【完結】Pandora   作:扇架

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十九話

 飽きたのか「返し」に恐れ慄いたのか、嫌がらせの手紙は止んだ。とはいえすべて平穏無事というわけにはいかなかった。手紙の中には吠えメールもあった。弟一味の手をかいくぐり爆発することしばしばであった。それに加えて手紙は多かった。フェンネルが爆発防止等を刺繍した、ドラゴン革の袋を渡して「ここに入れてこっちに寄越せ」と言ったところで、何通かは爆発するわけである。フェンネルは、顔を煤だらけにした弟に清めの呪文をかけるのが日課となってしまった。

 攻撃が止もうとも、弟に清めの呪文をかける必要がなくなろうとも、余波はあった。フェンネルは意地悪な兄だという噂が流れ、フラーは悪女だと囁かれた。ハーマイオニーは愛の妙薬の作り手だとも言われ、くだらない三角関係――弟とハーマイオニーとクラム――の噂が駆けめぐった。

 フラーがうんざりして「悪女っぽい格好をすればいい?」と言うものだから、悪女っぽい格好とはなにか、という議論に発展した。結果、とびきり際どいお洋服を進呈してもいいが、ホグワーツの男子どもが全員呆ける可能性が極めて高いので、おすすめしかねるとフェンネルは言った。

 フラーは鼻を鳴らし「有象無象に好かれてもね」と宣い、フェンネルをちらりと見た。本気になれば有象無象を屈服させ、愛の奴隷にできるだろうに、その気はさらさらないらしい。うじゃうじゃと群がられるのは嫌であるし、男にちやほやされて喜ぶ女ではない。むしろ、男が苦手であろう。クィディッチワールドカップの一件で、決定的になったわけだ。

 有象無象ではないフェンネルは、面倒だなと思いながらも魔の期間をやり過ごした。フラーじゃないがその気になれば口の軽い雀どもに服従の呪文、あるいはもっと軽い魅了でもかけてしまえるのだが、あまりにくだらないので我慢した。

 そうこうしているうちにイースター休暇に入り、レイブンクロー生は学期末試験に向けて本腰を入れ始めた。来年は普通魔法試験の年だし、とフェンネルもそれなりに「おさらい」をした。

 休暇が明けた頃には、七十五日も経っていないのに噂は止んでいた。新聞部にかけあって、三角関係の否定や、兄弟仲はいいですよ、という記事を書いてもらったから――と思いたい。

 ゴシップ誌が巻き起こした騒動は沈静化したと思っていた。

「……思わぬ伏兵だ」

 とある昼食時、フェンネルは顔をひきつらせた。レイブンクローの長テーブルに置かれたのは、華やかな包装がされたチョコレート菓子。イースターエッグである。

「やっぱり僕らが夏休みに泊まったのが家計の負担だったと言ってくれないか」

 空けてもらった席に滑り込みながら、弟が首を振った。

「残念ながら、格差問題だよ」

 ごとっ、と鈍い音を立ててイースターエッグが現れる。ドラゴン卵大。ただし、ペルー・バイパーツース種の卵くらいである。確認されている純血種の中でも最も小さいドラゴンで、山羊と牛が大好きである。牙には毒があり、危険。仕事の一環でルーマニアの保留地を訪ねた時、乗ったことがある。穏和しいいい子であった。最速を誇る翼で、ロディアを楽しませてくれたものだ。

「……読んでいるって?」

 いつまでも現実逃避をしていられなかった。思い出から心を引き剥がし――そうだ、あの子はふざけてロディアを川に落としたのだった。お茶目な子だった。並の魔法使いなら死んでたぞ――己に贈られたイースターエッグを見やった。鶏の卵くらいの大きさである。昨年までは弟と同じくらいの大きさだった。間違いない。ドラゴンの卵の大きさをフェンネルもといロディアは熟知しているのだ。

「料理の頁があるらしいよ」

 なるほどね。フェンネルは呻いた。モリー・ウィーズリーはお冠なのだ。まさかゴシップ誌こと『週刊魔女』を購読しているとは。料理特集が目当てなら『月刊お料理』を進呈するのに。ペチュニア叔母が購読しているのだ。

 まさか良家プルウェット家の娘が、ゴシップ誌に踊らされるとは。笑おうにも笑えない。庶民的なのは結構だし、たとえ脚色九割の記事とはいえ、のめり込んでしまうのは無理もない。リータ・スキーターは確かに文才がある。ルビウスのあれこれをほじくり返したり、学生のくだらない三角関係もどきを記事にするくらいなら、その才能を他に生かせよと言いたい。政治の腐敗を暴く、とか。服従の呪文にかけられたとされる「死喰い人」は今……とか。いくらでも書くことはあるだろうに。

 どうせならバーテミウス・クラウチ・シニアの動向をすっぱ抜けばいいものを。真夜中のホグワーツにいたのだ、と弟は主張しているが甚だ怪しい。シリウスに手紙を送ったものの「待て待て。忍びの地図の不具合とは考えづらい」と返事が来たことを思い出す。ついでに「クラウチは病、バーサは行方不明。不穏だな」とも書いてきた。

 フェンネルとシリウスの見解は一致している。クラウチがホグワーツを秘密裏に訪ねる理由などない。バーサがアルバニアで行方不明となったとするならば、彼女からヴォルデモートに情報が渡った可能性が高い……。

 もちろん、クラウチの「侵入疑惑」についてはダンブルドアに耳打ちしておいた。彼は眼を細め「理屈の上では真夜中に非公式の訪問はできるが」とだけ言った。保留ということだ。ダンブルドアはただでさえ忙しい身の上だ。なにもかも抱えていられない。

 なんとももどかしい。顔をしかめ、イースターエッグを指でつつく。孤児によくしてくれる婦人からはこんな仕打ちを受けるし、わからないことが多すぎる。

 なにを勘違いしたのか、弟が同情たっぷりに見つめてきた。

「フェン、ハーマイオニーのイースターエッグもこんな感じだよ」

「おいおい」

 実にくだらない、くだらなさすぎる問題である。頭が痛いったらない。こんな当てつけがましいことをするくらいなら、イースターエッグを贈らなければよかったのに。ハーマイオニーにもお冠だとは。きっと彼女が下手に優秀なものだから愛の妙薬も作れるに違いない、とモリー小母はお思いなのだろう。勘違いですよ。

「困った人みたいね」

 隣のフラーが言う。あまり接触が多いと揶揄されて面倒だな……と思っていたのは今は昔。朝から晩まで――三食とも並んで座るわけではないが、頻度が増えた。それもこれも呪詛付きの手紙のせいだ。なにかあっては遅いので、フェンネルとフラーはなるべく席を共にするようになっていた。

 己を挟んで左右に座るフラー、そして弟を順繰りに見やった。

「誰にでも欠点はある」

 孤児二人の面倒を見て、犯罪者予備軍扱いせずに――ロディアの時代だと、孤児院というのは悪徳の温床扱いであった――長期の宿泊に嫌な顔一つしなかった。基本的には善良である。もちろん聖人君子ではない。不憫なハリー・ポッターへの同情心がくるりと反転し、フェンネルとハーマイオニーに牙を剥いた形だ。

 前世はあれの弟だったばかりにろくでもないことになった。不幸耐性というべきか、最悪を想定することに慣れている。が、ただの魔女の思わぬ反応に、フェンネルはなんとも言えない気持ちになった。僕たちの仲ってその程度だったんだ小母さん。なぜか僕にプルフェット家のジャムとかスコーンのつくりかたを教えてくれたのに小母さん。なんで僕がよその家庭の味を継承しているんだ小母さん?

「……お礼の品を買って、小父さんにふくろうを飛ばしておくよ」

「えーと、僕も選ぶのを手伝おうか?」

「いや、お前は第三の課題が……なにか知らないが控えているんだから、雑事は兄に任せなさい」

 ぼそぼそと言う。ああ面倒な。シリウスをつっついて保護者同士の話し合いに持ち込ませてもいいが、モリー小母のふるまいを漏らすのはためらわれる。内々に済ませるべきだろう。

「フェン、落ち込んでるでしょ」

 弟が己のイースターエッグを割ろうとする。例年通りならヌガー入りのはず、と思い至り、フェンネルは皿を三枚引き寄せた。

「よろしければ、お嬢様もいかがですか?」

 包みを解き、小さなイースターエッグを割りながら言う。問いの形をとっているだけで、処理を手伝ってほしいという要請だ。幸い、フラーは察しがよかった。

「いただくわ」

 フェンネルがなるべく丁寧に割ったイースターエッグと、弟がばきばきに割ったイースターエッグの破片が皿に分けられる。

 ヌガーでべったりしたそれを、フラーはフォークとスプーンを駆使して口に運んだ。フェンネルも彼女に倣った。わざわざ指をべたつかせたくはなかったのだ。

「……甘いわね」

「なんだか苦い気がするよ」

「しょげないでよ」

「僕は過去を振り返らないんだ」

 軽口を叩き合うバカップルに耐えかねたのか、弟が猛然とイースターエッグを平らげた。席を立ち、フェンネルに囁く。

「パーシーに手紙を送ったんだけど」

 クラウチさんはただの病気で、仕事の指示はちゃんと来ているしやりとりもできているってさ。

 怪しいねえ、とフェンネルは瞬いた。弟もかすかに頷き、素早くその場を離れていった。

 

 

 イースターエッグのお礼状を書き、ダイアゴン横丁の格式高いレストランのお食事券――もちろんペア――を同封し、アーサー小父へ「お願いですから小母さんから『週刊魔女』を取り上げて。かくかくしかじか」と事情を説明した一葉も入れて、シリウスからもらった黒ふくろうに託した。

 ふくろう小屋を後にして、禁断の森の泉へと。思い立って、澄んだ水面を覗き込んだ。

 鋭い眼をした魔法使い、魔法大臣の座に手をかけ、失脚した男を思い浮かべる。合理主義。怜悧冷徹。瑕疵を許さない男。屋敷しもべを洋服刑に処した男。そんな男が三校対抗試合主催――魔法省の使者という立場を放棄するだろうか。病身を押してでも務めを全うしようとするはずだ。あらゆるものを切り捨て、頂を目指した男なのだから。

「バーテミウス・クラウチは」

 何処。

 囁きが、銀の綾を描く。現れたのはどこかの邸だ。クラウチ邸であろう。「眼」が邸の窓を覗き込む……影がある……椅子に座り、書類を持っている。その頬はこけている……。

 フェンネルは瞬く。見た限りでは病か。そして問いかける。じゃあホグワーツにいたのは誰だったんだ?

 ゆらゆらと水面に浮かんだ名は――。

 

 Bartemius Crouch

 

「失せものじゃないしなあ」

 仕方がないか。呟いて、背を向ける。重ねて問うても意味がない、とその場を去る。何日かおいて、再び占ってもいいが――まともな答えが返ってくるだろうか。病になった魔法使いの行動など、説明できるものだろうか。

 フェンネルはこう問いかけるべきだったのだ。

 真夜中のホグワーツ、スネイプの研究室にいたのは誰か、と。

 そうすれば見えざる神は答えを示したであろう。

 水面に、青い青い眼を――義眼を映して。

 だが、正しい問いは紡がれず、答えは返されなかった。

 事態は先視の知らぬところで進行していく。

 五月の最終週、とある金曜日。

 バーテミウス・クラウチ・シニアがホグワーツに現れるなど、わかるわけがなかった。

 まるで息子がしでかした罪――とある闇祓い夫妻を壊した罪にその身を蝕まれたかのように。

 狂いきった有様で。

 

 

 

「私の視た限りでは」

 彼はこの世にいないだろう。

 真夜中の校長室。銀の水盆を覗き込み、フェンネルは呟いた。いいや、誰かがフェンネルの口を借りたように思えた。破滅を歌う神女(みこ)のごとく、避けられぬ、取り返しのつかぬ悲劇を歌ったかのように。そこには真実の重みがあった……。

「望みは薄いと思っておった」

 執務机から声が飛ぶ。淡々としたなかに、ほんの少しの諦めと苦さが滲んでいた。フェンネルは頷き、卓の上の水盆を撫でる。澄んだ輝きを放つ器。満ちるのは暗い紅色だ。たぷん、と揺れる。鉄錆の香が鼻腔を塗り潰す。

 最初、フェンネルが問いかけたのはバーテミウス・クラウチ・シニアの居場所だった。返ってきたのは闇の色。酷く狭い「どこか」の像。続けて問うた。生か死か、と。

 投げ返された答えがこれだ。水面が真っ赤に染まった。触れてみるまでもなく、水盆を満たすものが粘つく血に変じたのだと悟った。これ以上ないほど明白な答えであった。

「先生のほうがよほど情がおありだ」

 ソファに身を預ける。水盆から眼を逸らし、続けた。

「魔法省はこれ幸いと、クラウチの件を放置するでしょう」

 フェンネルは舌を鳴らす。

 バーテミウス・クラウチ・シニアは布巾についた染みのようなものだ。洗っても洗っても落ちず、存在を主張する。彼は存在そのものが不吉であった。魔法大臣の座に手を伸ばし、あと一歩というところで転がり落ちた。息子が死喰い人であったせいで。高官たちにとって、彼の末路は悪夢そのもの。もしかしたら、ひょっとして我が身に降りかかっていたかもしれない未来である。みせしめのように国際魔法協力部に追いやられた。その有能さ、死喰い人を輩出したという咎のために、飼い殺しのようになっていた。

 わざわざ捜索したところで益などあるまい。秘書のパーシー・ウィーズリーのことを吊し上げ、クラウチ氏は死んだ妻に会いたがっていて……なんて証言を引き出して仕舞いにする可能性が高い。頭が切れすぎる故に、常人には理解できない思考をしていて、もちろん息子の一件で精神が脆くなっていたのだろう。三校対抗試合で番狂わせが起こったのもよくなかったのだろう。俗世なんて捨てたくなってもおかしくはない。彼に幸あれ。もっともらしい筋書きがあればよいのだ。世間と己たちが納得すればよい。

「バーティも儂の生徒じゃったよ」

 生死くらい気にかける。

「息子が死喰い人だったのと、どこかの闇の帝王の弟だと」

 どちらが罪深いでしょうね。

「……君のことも案じておったよ」

 子どもじみた問いに、ダンブルドアは優しく返した。フェンネルは梃子でも執務机のほうを見なかった。自分でも馬鹿げた問いをしたとわかっている。ダンブルドアは公平な人物だ。完璧とはいかないが、そう務めている。マグル生まれを穢れた血と呼ぶ過激派よりはまともだ。

――孤児院を訪ねてきた時だって

 人のものを奪う兄、誰かを脅し、怯えさせることに無上の喜びを感じていた異常者を聡そうとした。洋服箪笥を燃やしたように見せかけて、躾ようとした。盗んだ品を返すように、と兄に命じた。あの時点ではそれ以上の手を打てるはずもなかった。誰かを殺したわけでもない。兄は孤児院に君臨する、灰色の衣(チュニック)を纏った王であった。孤児院の制服は灰色のチュニックだったのだ。新品の服など望めなかった。たとえば遠足などのための外出着も、寄付されたお古であった。自分のものなどなに一つない、施しを受ける王であったのだ。容赦なく気に入った外出着を確保していた王である。感謝しろと言われたものだ。お前の分も取ってやったと。

 望んだわけじゃないが恩恵に浴していたロディアは、兄が盗んだ品を返すはめになった。わかったよ、返せばいいんだろうと兄は宣った。ダンブルドアが帰った後、眼をぎらぎらさせていた。魔法使いへの畏れと憧れが同居していた。

 せっせとロディアが持ち主に盗品を返したというのに――室にそっと置いて回っただけだが――少ししたら、また盗んだり脅し取っていた。あれはもはや病気である。ゴーントの濃すぎる血や、生育環境など言い訳になるまい。ひとつ胞の弟たるロディアは、おおむね正常だったのだから。

 苦い記憶を封じ込める。幼い時分、兄が将来なにをしでかすかわかっていたら、どうしただろうか。そんな仮定を切り捨てる。過去から現在へ意識を戻した。

「クラウチは死んだ。私も死んだ」

 案ずるべきはほかにいる。

「クラムは失神させられていただけで」

 服従の呪文やその他の干渉の痕跡は見受けられなかった。囁きに引き寄せられるように、執務机へ顔を向けた。

「始末するほどではなく、かといって見られると都合が悪かった」

 代表選手が召集され、第三の課題について開示されたのが数時間前。解散し、弟とクラムが二人きりになった際にクラウチが現れたらしい。尋常ではない様子で、わけのわからぬことを言っていた。満ち足りた幸福な日々――妻がいて、出来のよい息子がいる――について話していたかと思うと、ダンブルドアに伝えることがある、私のせいだ……等々訴えたそうだ。

「誰かにとっては、あなたへの警告を阻止することが大事だった」

 フェンネルは眉を寄せた。森に潜んでいただろう誰かは、ダームストラングのクラムを盤上から掬い取らなかった。やろうと思えば操って、弟を襲わせることだってできた。

「あまり騒ぎになって、三校対抗試合が中止されることを恐れたか」

 ダンブルドアが指を組む。喉の乾きを覚え、フェンネルは杖を振った。戸棚から茶器が滑り出て、執務机と卓へ着地する。湯を沸かし、茶葉を蒸らし……しているうちに、思考はめまぐるしく回転する。

「誰かは――潜んでいる「隠れ」は、弟に手出ししたくなかった……?」

 どこかに攫おうにも、間が悪かった。クラムがいた。邪魔だった。ご主人様に献上し「生き残った男の子」を始末していただくにしても、隠れにとってクラムと弟が森の近くにいるなんてことは、想定外で突発事態だった。なにせホグワーツでは姿くらましが使えない。失神させてどこかに運ぶ余裕もなかった。よって、クラウチを口封じすることを優先した。

「狂っていてもハリーのことも、ヴォルデモートのことも焼き付いておった」

 ヴォルデモートがハリーを狙っておる。そんなわかりきったことを警告しにきたわけではあるまい。

 フェンネルは後を引き取る。茶器に紅茶を淹れ、ひとくち飲んだ。

「バーサは死亡」

 魔法ゲームスポーツ部所属。ルード・バグマンの部下。行方不明で、魔法省が渋々捜索に乗り出した。純血名家の誰かが行方不明になったら、さっさと足取りを辿っただろうに。シリウス曰くバーサ・ジョーキンズは「なんにでも首を突っ込みたがる、噂好き」「沈黙は金という言葉を知らない」「厄介事に巻き込まれる類」だったそうだ。少々困った人間といえど、まさかアルバニアに旅行して、殺されるほどの罪はなかろう。

 哀れなバーサよ。黙祷し、瞬いた。

「亡骸は見つかりますまい」

 静かに言う。同じ行方不明でも、レギュラスの場合とは異なる。彼は行方不明となっておよそ七年で仮の死亡扱いになり、金庫を凍結された。失踪人にかかわる魔法法の一種である。そうして、幸運にも亡骸が発見され、正式に死亡したとされた。

 バーサ・ジョーキンズは家族、もしくは血縁が死亡届を出さない限り、失踪人であり「仮に死亡とみなす」のままであろう。

「兄は弱り切っていた」

 迷い込んできた旅人をああしてこうして、栄養剤にでもしたんでしょう。

 軽く言う。胸の内にわだかまった感情を見せないように。

 兄は魂を裂いて悦に入る愚か者だ。魔女の一人くらい、血抜きして、切り刻んで糧にしても驚かない。

 適当な墓場――たとえばアルバニア某所――に目を付けて、しめしめと空の器を手にして、バーサ・ジョーキンズの血を啜って力を付け、肉も骨もなにかも頂いたのだろう。特に、血は一滴残らず飲んだに違いない。血は魔法そのもの、命の水とも呼ばれる。一角獣を殺して血を飲む男なのだから、あらゆる物事への忌避などあるまい。ヴォルデモートは呪われた怪物である。

「もちろん情報を引き出した後で」

 三校対抗試合の開催を知った。動き出した……。ダンブルドアはため息を吐く。ライトブルーの眼には、深い悲しみが湛えられていた。

「推測でしかなく、魔法省は認めないでしょうけれど」

 狂ってしまったクラウチを引っ張ってきても、怪しいものだ。なにせ闇の印事件もただの騒ぎで片づけたのだから。平和を愛する気持ちはわかるし、世界は正常だと信じたい気持ちも痛いほどわかるものの、結局のところコーネリウス・ファッジという男は、毒にも薬にもならない男である。女傑ミリセント・バグノールドの後釜には「平時の大臣」が必要だったのだ。

「あれは見たくないものは見ない、面倒なことはさっさと片づけたい」

 そんな男だからのお。

 ダンブルドアの声には、失望が深く滲んでいた。今更であろうとはフェンネルは言わなかった。ファッジがことなかれ主義なのは『秘密の部屋』事件で証明されている。彼はルシウス・マルフォイに屈し、ちょうどよい生け贄をアズカバン送りにしたのだ。

 ファッジはあの時点で適切な処置であったとか、私は純血主義ではないとか言うだろう。しかし純血名家に阿ったのは事実である。

「そもそも、クラウチが失脚して一番喜んだのはファッジのはずだ」

 息子が死喰い人でさえなければ、クラウチが魔法大臣になっていた。呟いて、茶器を空にする。今度は違う茶葉を蒸らし始める。教え子が戸棚の中身を把握していることにも、勝手に紅茶を淹れていることにも、ダンブルドアは文句を言わなかった。彼の眼は虚空に向けられていたのだ。あるはずのない答えを探すように。

「バーサ、ハリー、ヴォルデモート、そして息子か……狂気ゆえに息子のことを口走ったのか」

 彼はこの十数年、息子については一言も口にしなかったというのに。家の恥だとして、存在を抹消していたというのに。

「錯乱していたし……拷問で心なんていくらでも……待ってください、私は躾はしましたけど壊してないですし、むしろ治療が得手でしたよ」

 ぽろりと闇の陣営時代の欠片をこぼし、慌てて手を振った。ロディアは兄に躾られる側であったし、躾たとしても人狼などのたわけを調教したくらいだった。磔刑の呪文を使ったとしても、どこかのベラトリックス一味のような執念深い真似には及んでいない。

 たとえば闇祓い――マッド・アイとかルーファス・スクリムジョールとか、当時名を馳せていたその他諸々――との戦闘で精神に傷を負ったものを癒したり、外傷を治療したり、等々が多かったのだ。トム・マールヴォロ・リドル、偉大なるヴォルデモート卿の下に集った者たちは、戦闘狂ばかりではなかった。ただおこぼれに与りたいだけの輩も多かったのだ。

「どこかで拷問でも受けて、精神に異常をきたし……」

 仮説を口しかけ、言葉を切る。精神の異常といっても原因は様々だ。病による錯乱もありえるが、話を聞く限りは当てはまらない。壊れるほどの拷問を受けたとして、クラウチは重篤なばらけにも陥らず、ホグワーツに辿り着いた。少なくとも正気に戻った瞬間はあった。ロングボトム夫妻のように(はた)ての向こうに行くことなく、かろうじて踏みとどまっていた。

「病気だとされ、クラウチ邸に軟禁状態だった」

 とする。先日、水盆で占った時点では病のように見えただけで、狂っているようには見えなかった。拷問による異常も当てはまらないか。

「服従の呪文……」

 ダンブルドアは眼を光らせる。フェンネルは頷いた。

「もしかしたら、三校対抗試合開催時点で――」

 本人が自覚するのは難しい。痛みや恐怖ではなく、幸福に包まれて抗える者がどれだけいようか? ましてや、クラウチは長い長い間、暗黒の日々を過ごしていた。高みか転がり落ちて、閑職に飛ばされた。血を裏切る者のウィーズリー家が配属されるような部署の長。おそらくだが少数精鋭とは聞こえのよい吹き溜まりだろう。秘書は首席で卒業したパーシー。そのほかに部下がいたとしても、一人、二人。

 満たされない日々。幸福の魔手に囚われるのも無理はない。

 服従の呪文は便利な魔法だ。自覚はほぼない。なんだか怪しいぞ、と調べたとして痕跡を見つけるのは至難の業だ。フェンネルとてじっくりと心を開き、そっと探らなければならないだろう。

 サラザール・スリザリンは精神への干渉を得意としていたとされる。最後のゴーントたるオミニスがあれこれとこぼしていたから間違いなかろう。優れた癒し手であり、魂の操り手。前者はフェンネル――ロディアで、後者は兄だ。片方は魂の傷を繕い、忘却させ、片方は操り人形を作り上げ、己の魂すら切り裂く。

 クラウチに直接会い、壊れた心から手がかりを掬いとれればよかったのだが……いや、フェンネルが掬いとらねばならぬほど、クラウチが壊れるのは道理に合わない。

「服従の呪文を振り払ったとて」

 消耗はすれど、壊れるほどには至らないはず。

 ダンブルドアを見やり、告げる。

「兄は」

 ここで誰がクラウチを軟禁したんでしょう、というほどフェンネルは馬鹿ではなかった。犯人など決まっている。遙々アルバニアから英国に帰還し、リドルの館で一休みし、クラウチを標的にしたのだ。

「服従させるだけでは不安だった。念のため、忘却術もかけたに違いない」

 行方不明は目立つ。死亡も目立つ。だから、そっと白の駒を黒の駒へ変え、掌上に乗せた。

「クラウチは抵抗した。服従の呪文を破り、疲れ果て……己の心にかかった暈も無理に振り払い」

 壊れた。壊れながらもホグワーツを目指した。幸福の日々を繰り返しながらも、狂気から時折目を覚まし、萎えた身体に鞭打って。

「ハリー・ポッター、ヴォルデモート……」

 なぜか、息子の名を口にして。

「自分のせいだと……」

 ぽろぽろと呟く。森にパン屑を落とすように。これまでの足跡を見失わないように……。

「なぜ息子なんじゃろうな?」

 幸福の名残か。息子への罪悪感が口走らせたのか。自ら監獄に息子を堕とした男だ。情よりも理を優先する性であろう。そんな男が罪悪感を抱くとしたら、その対象はロングボトム夫妻のはず。もしかすると息子について口にしたのは……錯乱していた男の言をどこまで信じるべきか。

「――息子がこの一件に関わっている?」

 ありえないと思いつつも、問いを投げる。ダンブルドアは眼を瞑った。

「獄死したはずじゃ」

 バーテミウス・クラウチ・ジュニアは、父親によってアズカバンに送られ、そこで死んだ。

「みんな冷たい土の下」

 歌うように言う。

 純血名門クラウチ家は絶えたということだ。なんともあっけないと嘆息し、ふと思い出した。

 ついさっきの占を。

 バーテミウス・クラウチ・シニアはどこか暗く狭いところにいるのだということを。

 誰かの高笑いが聞こえた気がした。

 俺は巧くやってやったのだという、勝利に酔った声を。

 笑っているがいいさ。フェンネルは首元から金の細鎖を引っ張り出す。無骨な指輪を、嵌められた闇色をそっと撫でた。

 蘇りの石にはしった一条の傷が、指先を引っかいた。

 答えにたどり着けぬ、愚か者を嗤うように。

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