【完結】Pandora   作:扇架

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二十話

「……よしなさい」

 危ないからねと囁いて、片手で金色の頭を撫でる。一角獣の仔だ。一歳くらいで、人懐っこい。フェンネルの膝に鼻を擦り付けていた。

 お母さんのところにお戻り、と言ってもお構いなし。諦めて、好きなようにさせた。ベンチに腰掛けている上に、片手にはつくりかけの刃物を持っている。下手に動いて一角獣の仔を傷つけたくはない。

 興味津々の仔がフェンネルが持った刃物に眼をやる。諦めて、銀製の箱に戻した。何重にも守りの呪文を刻み、内には呪文を染みこませたドラゴン革を張ってある代物だ。シリウスに「なにか呪物を仕舞える箱はないか」と訊いて送ってもらった。ドラゴン革やその他諸々を入れて包みがやってきたので、鋭意作業中だったのだ。

「お前でもお母さんでも」

 かなり痛いと思うし、おすすめはしないよ。

 囁いて、箱を鞄に仕舞う。仔が鼻をつっこんでこないうちに素早く閉めた。せっかく怪我を治してやったのに――後ろ足をくじいたかしていた――こんなところで死なれるなんて冗談ではない。一角獣は極めて強い魔力を有する生き物で、死の呪文で以てしても、一度では殺せない。裏を返せば、死にたいのになかなか死ねない、無駄に苦しむはめになるのだ。

 不満そうに鼻を鳴らした仔に、仕方なしに角砂糖を与えた。ああ、物で宥める悪い子育てである。

 手のひらを舐められ、嘆息する。背中をつつかれたので振り向けば、一角獣の「お母さん」がいた。子どもが怪我をしたので診てやってくれ、とフェンネルの元にやってきたのだ。男を嫌うとされる一角獣であるが、場合によるし対象によるらしい。ロディアの時代もそうだった。一角獣を扱う授業で懐かれたものだ。しばらく「本当は女」説が囁かれた。なんて不名誉。面倒なので放置していたら、ぴたりと噂が止んだ。犯人は兄であった。「お前が軟弱者扱いされたら、僕にまで波及するだろう。同じ顔をしているのに」と、不機嫌そうに宣っていた。頼んでいない。だいたい、好きで同じ顔に生まれたわけじゃない……と反論しようしたら、弾指された。弱々しい「姫」が弟なんて嫌だと言われたものだ。不名誉である。さすがに頭に来て、杖を抜いてやり合った。引き分けた。互いに片腕を折って、言い訳が面倒だったとな……と思い出す。

 あんな風に、他愛もない決闘で済んでいればよかったのに。四年生の頃を最後に、ああいう風にぶつかり合うことも――闇の陣営時代にやむなく衝突したことはあるが――レストレンジ邸の一室が吹っ飛んだかな……。

 すまないレストレンジ。でも昔のことだし時効だろう。

 少しやりすぎた記憶を頭の片隅に放り込み、そうっと振り向く。心得たように、一角獣が数歩退いた。角の先端が離れ、ほっと息を吐く。

「君、そういう気遣いは最初からしてほしかったよ」

 私がどれだけ怖かったか分かるか? 呟いて角砂糖を差し出した。穏和しい良い子だ。警戒心が強く、特に男を嫌う――たぶん汗くさいとか雄臭いとかなにか気に食わないとかいう理由だろう――のに、フェンネルを傷つけないように細心の注意を払っている。それにしたって、そうっと角でつつくのはやめてほしいのだけど。

 禁断の森での死因の一部は一角獣絡みである。その昔ダイナ・ヘキャットという凄腕の魔女が調べたそうだ。何代も前の闇の魔術に対する防衛術教授。直接の面識はない。かつての占い学教授、ムディワ・オナイ――ロディアの恩師である――曰く「時計が壊れてしまった人」だという。神秘部にいたらしくてね、あそこは色々なものがあるらしいから……。

『私たちにわかることなんてほんの一部よ』

 知らないことのほうが多い。私たちは死んでどこに行くのかも、ぼんやりとしかわかっていない。生も死も、愛も苦しみも。

 歌うように言って、オナイ先生は様々な話を聞かせてくれたものだ。故郷のことや、愛と苦しみのこと。神秘部にあるという逆転時計。星の巡り。可能性の絶対値。

『ロディ』

 あなたはきっと喜びを見つけるわ。

 深い憂いを刷いた眼が、ロディアを貫いた。彼女はこの未来を知っていたのだろうか。言ったところでどうしようもなかったはずだ。彼女もなにをどう伝えればいいかわからなかったのだろう。先視が視るものは様々で、ただの予感や影のことも多い。ロディアの身になにかよくないことが起こると察し、遠い遠い先にほんの少しの光を視たのだろう。

 誰も分かるまい。人の視野はあまりに狭い。紅い禍つ星をロディアは視ていた。闇に浮かぶ双眸を。だが、見ないふりをした。そうして殺された。可能性の絶対値、禍つ星に対抗する者とて、選択の結果として現れた。対抗する者を生み出したのは禍つ星自身である。自ら成せる禍である。

 誰もが時に間違え、時に正しい道を選び、現在がある。たとえ逆転時計があったとしても、取り消せはしない。遡ってトム・マールヴォロ・リドルを消したところで『名前を言ってはいけない例のあの人』と呼ばれる者は現れただろう。そういうものなのだ。運命あるいは神と呼ばれる者は、代役を立てるであろう。『名前を言ってはいけない例のあの人』もそれに対抗する者も、可能性の絶対値。その役を負う者は誕生する。

 身をひねり、片手で親を片手で仔を構いながら嘆息する。本当にメローピー・ゴーントは罪深い。愛と執着を履き違えて、とんでもないものを産み落として、勝手に死んだのだから。よりにもよってあれと双子で生まれたのがロディアの不幸であった。

「……命と引き替えに産んだのが」

 片や靄だか霞だか怪物になり、片や兄に殺されて生まれ変わったときた。どうなっているのだ。

 よしよしと一角獣の親子をかまっているうちに、手に銀色のたてがみと金色のたてがみが絡みついた。もらっていい? と訊いてみると、親が頷くように頭を下げた。礼代わり、ということだろう。昔もたてがみやら尻尾の毛やら、生え替わった角をもらったものだ。一角獣のみならず、狼やらヒッポグリフやらセストラルがやってきた。禁断の森の生き物たちに、治療師として認識されていたのだろう。

「お前の同族を殺した報いは受けさせるからな」

 囁く。一角獣は静かにフェンネルを見返した。

 片や癒し、片や殺した。兄は一角獣を殺し、その血を啜った。呪われし者になり果てた。そも、その生は呪われていた。自ら闇の中に踏み入った。救うことはできないし、救うつもりはない。

 一角獣の血は、兄を呪う。きっとなにも巧くいかない。あれがしたことは――無垢なるものを殺し、血を飲んだという罪は――あれのなかにわだかまる。あそこまでしたのに、なぜか賢者の石を手に入れられなかった、と。そうして思い出す。無意識のうちに刻みつける。

 赤ん坊を殺せなかった。あれからなにも……ほとんどなにも、巧くいかなかった。かろうじて真の死は回避できた。けれど、それだけだ。

 最も深い闇に踏み入ったのに、なぜ、と。

 思うはずだ。自覚もなしに、思い続けるはずだ。

 なにかが邪魔しているとしか考えられない。もしかして、いいやくだらない……ありえない。運命など信じない。けれど。

 自分は運に見放されているのではないか……。

「穏和しくしていればよかったんだ」

 吐き捨てる。リドルの館に籠もっているあろう兄。クラウチが逃げ、さぞ焦っていただろう兄。幸い、軌道修正できたと安堵していることだろう。弟が夢を見たと言っていたから。どこかの館で、あいつが笑っていたんだよ。よくやった我が僕。あれは死んだか……って。

 数日前、顔色が悪い弟に遭遇した。医務室に連行する道々に聞いたのである。校長室に行ってとかなんとか言っていた。占い学で傷跡が痛んだんだよ。趣味の悪い香のどれかにあたり、少し無防備になってしまったのだろう。傷跡の繋がりが、あれの感情を伝えてきたのだ。

 フェンネルは「そんな夢は忘れろ」「気のせいだ」とは言わず、休めとだけ告げた。余計なことはなにひとつ言わなかった。クラウチが死んだのはこの瞬間に確定したとか、彼の亡骸はどこかに埋められているか、ばらばらにされて湖に投げ入れられたのかもしれない、とか。子どもに聞かせていい話ではない。弟にはバラバラ死体も、どろどろになったなにかも、溶けたなにかの痕跡も見てほしいとは思わない。一生。

「素直に魔法大臣を目指していればよかったものを」

 なあ、と一角獣の首を軽く叩く。才能の浪費をした挙げ句、肉体を失って得体の知れないなにかになって、暗い館に籠もりきり。できればさっさと処理したかったとも。靄だか霞だかの状態のときに、瓶詰めにでもして宇宙に追放したかったとも。捕縛の難易度が高い上に、追放しようがなんだろうが、戻ってきそうで却下である。

 親は穏和しくしていたが、仔はフェンネルとじゃれ合うのに飽きたのか、うろうろし始めた。生け垣に顔を突っ込もうとし、ぽっかりと空いた入口の前をうろうろとし、だ。

 禁断の森のとある場所に聳えているのは迷路であった。高さは六メートルほど。広さはクィディッチ競技場の半分程度。せっせと仕掛けをほどこして、現在待機中である。

 時折杖を振る。ざわざわと生け垣が動く。それを繰り返し、一時間ほど経った時、唯一の開口部――出入口から人影が飛び出してきた。

「気が狂うかと思ったわよ!」

 青い眼を怒らせる恋人に、フェンネルは微笑んだ。

「まだ優しくしたんだけども」

「失神呪文の格子が優しいですって」

「全部相殺したんだろう」

 抗議の唸りをさらりとかわした。これでも加減したのである。迷路――通路を塞ぐように切断呪文を仕掛けることだってできた。恋人ことフラーならば、迫ってくる失神呪文の格子くらい回避できるであろう。全身を盾の呪文で包んで突破してもよし、相殺してもよしである。

「沼とか」

「……悪かったよ」

 杖を一振りして、泥まみれのフラーを綺麗にしてやる。彼女はほっと息を吐き、フェンネルの隣に腰を下ろした。一角獣の親子はフラーの気配を察知して森の奥に姿を消したようだった。

「ありがとう。その、色々と」

 フラーの声はわずかに暗い。

「僕が好きでやっていることだ」

 弟には友達がいるし、あれは城から出られない。クラムは戦闘系の魔法なんて鼻歌交じりで使えるだろう。セドリックはやたら友達が多いから、どうにかする。

 ボーバトンの魔女に迷路を献上しても、なんら問題はない。

「三校対抗試合は交友を深めるためのもの」

 別にいいさ。言って、立ち上がる。フラーも息を整えて、フェンネルに倣った。次の瞬間、光の花が現れては散っていく。踊るように杖を、呪文を交わす。他愛もない――しかし、第三の課題には必須のとっさの判断力や勘を鍛えるのには必要な、ごっこ遊びだ。

「――決闘ごっこも交友ですって?」

「僕らは魔法族だ」

 相手を知るにはこれが一番だ。失神呪文の赤が、中空で衝突し、はらはらと砕ける。フラーは舞うように動き――その歩は魔法を生み出し、フェンネルを絡め取ろうとする。すっと視線を切り、呪縛もふりほどく。フラーが眉間に皺を立てた。

「ヴィーラの魅了を解くなんて」

 生意気な人だわ。

「元から狂っている者に、錯乱の呪文は効かないものだよ」

 ほんの少し、フラーの動きが鈍る。気が強いくせに、たまに素直なんだよなあ。口端を吊り上げ、追い払い呪文。転がった恋人の元へ向かい、手を差し伸べた。

「降参――」

 するだろう、と言うか言わないか。ぐっと手を掴まれ、浮遊呪文をかけられ、ひっくり返される。馬乗りのフラーが、勝ち誇った顔をした。

「押し倒されるのが趣味なのかしら」

「喉に杖を突きつけて言う台詞か?」

 ぶつくさ言う。いくら男女だろうが、フェンネルのほうが力が強かろうが、上に乗られると大変、ものすごく分が悪い。振り落とすのが困難なのである。

 あの夜みたいだな、と嫌な記憶を思い出す。

 ひとつは最期の夜。あの野郎はロディアに馬乗りになって……背面もあったろうが……色々と、よろしくないことをした。

 ひとつは森での記憶。あの夜も、フラーにこうされたものだ。不覚である。

 顔をしかめ、みじろぐ。宮廷の花、銀の妖精殿はいっこうに退く気配がない。

「僕を褥かなにかかとお思いかな?」

「あたたかい人だと思っているわよ」

 それと、狂っているともね。なんだったかしら。錯乱の呪文は効かないって?

 深い深い青が煌めく。喉に押し当てられた杖が、仄かな熱を帯びた。彼女の祖母の髪を芯とした、すべてを魅了する者のための杖。

「せっつかなくても言うよ」

 吐いた息が熱い。銀の環を浮かべる、青の双眸に告げた。

「君の魅了は効かない」

 とっくのとうに、絡め取られているからね。

 なにせ狂人ですから、とおどけようとして、唇を封じられた。

 この先に、言葉などいらない、と。

 

 そうして、秘密の森から出た彼の首筋には。

――銀の花が咲いていた。

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