「第三の課題に臨む前に」
僕を殺す気かい?
六月某日、第三の課題の数日前。ちなみに試験期間中。ホグワーツの廊下で、フェンネルは弟に詰め寄られていた。壁にもたれ、不機嫌そうな緑の眼を見返した。擦り傷もなし。少し息は上がっているが許容範囲内だろう。
「だって、迷路には」
怪物がうじゃうじゃだぞ? お前、スクリュートに食べられたいのか。ガリガリで食えたもんじゃないと思うがね。
つらつらと述べてやる。弟はきりきりと歯を食いしばった。
「あのね、背後から失神呪文、曲がり角の先には甲冑」
しかも追いかけてくる。弟の声は震えている。怯え、怒りながらもあまり疲れた様子を見せていない。フェンネルは眉を寄せた。課題も間近だし、とちょこちょこと手を出した。一応、お兄ちゃん、加減はしたんだけどな……。
「甘すぎたかな」
「待って」
なんなんだ、レイブンクローってやっぱ変なのか? と弟が呻く。失礼な。まともなのもいる。お兄ちゃんは悲しい。ちなみにチョウはまとも寄りである。そう、弟が微妙に惚れてそうなチョウ・チャン。来年はウロンスキー・フェイントに挑戦すると言っていた彼女。
「失神光線は回避、甲冑の剣は、武装解除」
その他諸々は粉々呪文とか、追い払い呪文とか妨害の呪いとか。フェンネルは指を折って数えていく。さすがハーマイオニーである。ハーマイオニー……とロンに任せておけば、まあまあ仕上げてくれると思っていた。どんなものかなと試してみれば、弟がお怒りなわけだけれども。
「いや、だって」
大事なことなので繰り返す。だって。でも。
「普通の迷路じゃないから」
「嘘だスクリュートは全滅しただろ!」
「共食いしてな」
おそらく火蟹とマンティコアをかけあわせた――なにを考えているルビウス――スクリュート、正式には尻尾爆発スクリュートは危険生物である。ルビウスなら迷路に放り込む。絶対やる。
「一匹二匹くらい残ってると思う」
「ああ、幼体の時に全滅させておけばよかった」
「僕の予想ではアクロマンチュラも出るな」
「そんなまさか」
「だから、お前を鍛えようと思ったんだよ」
怪物どもに襲われて、ボロボロで救出されるなんて嫌だろう。
弟が青ざめていようがお構いなしに、フェンネルは言った。
「ねえ、スクリュートとかアクロマンチュラとか僕たちまずくない?」
ボロボロで救出なんて嫌だ、と弟がぶつぶつ言う。怪我するかも等の懸念は意識から締め出したようだった。
「ドラゴンを投入し、湖に人質を沈める競技だぞ」
まともなもんか。吐き捨てる。ポッター家の双子がいくら「雑談」していても問題はない。ここは人気のない廊下なのだ。嘆きのマートルのトイレが近所にある。陰気なのであまり誰も通りたがらない。
「……ドラゴンがいたらどうしよう?」
「ないと思う」
第一の課題で既に投入済みだ。ドラゴン使いたちを簡単に動員できるとは思えない。迷路は高さ六メートル。広さは少なくともクィディッチ競技場と等しい。箒での飛行は禁止されるであろう。つまり、六メートルを越える高さに浮上はできないと考えられる。俯瞰してしまえば、迷路の最奥、中心部にある優勝杯なんてすぐに見つけられるのだから。
「ドラゴンがいようがなんだろうが、この試合がおかしいのは変わらない」
第一の課題はドラゴン、第二の課題は人質を湖に沈める……。なんだか面白くない。もっと言えば気に食わない。誰だよ三校対抗試合なんて考えたやつは。安全ですと言いながら、けっこうなことをしているではないか? 特に第二の課題。
「湖から助けられたもんね、姫」
即座に蹴りを入れた。が、忌々しいことに弟はひょいと避けた。鹿のように敏捷である。
心は閉じているはずなのに。弟を軽く睨む。
「なにかあったでしょう。フラーと」
「お兄ちゃん、君たち四人のことが心配で」
すっとぼけた。半分以上本音だけれど。弟のみならず、残り三人の代表選手のことが気がかりである。
「……フェン、君の周りがなんだか甘い感じなんだよね」
「お前にそういう知覚があったとは、お兄ちゃんびっくりだ」
飛んできた拳を受け止める。ぱしっと軽い音がした。速さはあるが、いささか軽い。所詮じゃれあいである。
「だからほんとに甘いというか……」
「お前、僕の事情より考えることがあるだろう」
掴んでいた拳を離す。弟の腕を軽く払い、口笛を吹いた。
「弟よ。第三の課題が終わったら、お前は女の子に囲まれるに違いない」
「セドリックが……」
弟がもごもごと言う。歯切れの悪さからして、考えたことがないわけではないようだ。自分が優勝する可能性を。当初は「四人目の代表選手」に選ばれてしまって狼狽えていたが、課題を乗り越えるたびに自信をつけたのだろう。元々、ダーズリー家で揉まれてきたせいで気は強いほうだし頑固な傾向にある。こうと決めたら己を曲げない典型的グリフィンドール気質だ。三校対抗試合に端を発する様々な誹謗中傷に心が折れかけても、逃げ出しはしなかった。今では弟のことを詐欺だインチキだという輩はいない。表立っては。
「お前とセドは同点一位だよ」
頑張るんだな。夢見る顔をしている弟を押し退け、その場を去った。
気を逸らせてよかった。今頃、弟の脳裏にはチョウの姿が浮かんでいることだろう。たぶん、本気でセドリックから奪いたいわけではない。ちょっとした憧れくらいの感情だろう。ちなみにセドリックとチョウが別れる兆候はない。弟は叶わない望みを抱いている。
弟の恋――未満の思いが育つか否かはどうでもいいのだ。フラーとのあれこれをつつかれたくない。
角を折れ、廊下を進む。首筋をそっと撫でる。仄かな熱が伝わった。
「……一線を越えてなくてこれか」
ヴィーラの血、恐るべし。フェンネルの首筋には銀色の花が咲いている。
『おばあさまはヴィーラなのだけど』
森での一幕の後、服の乱れを直しながら、フラーは眼を逸らした。いや、それどころか背を向けた。まともにフェンネルの顔を見られない、と無言の内に語っていた。
『おじいさまを見初めて……』
印を付けたらしいのよね。巨人族とか小鬼とかは知らないけど、ヴィーラと人間の異種交配ってすんなりいくかというとそうでもないみたいで。印を付けて繋がりをつくって……等々、早口で説明してくださったのだ。
『予約済みってこと?』
そう訊けば、フラーはくるりと振り向いて、きっとフェンネルを睨んだ。もっとときめくような言い方があるでしょうと叱られたので、こう言い直したのだ。
『祝福の印ね』
緑陰の記憶から意識を戻す。印から手を離し、握って開いた。
フラー曰く祝福の印。絆の証、信頼の発露とも言えるそれ。いわゆる一線を越えた深い交わりにおいて、類似する魔法は存在する。邪悪なる術だと、組み敷いた相手を支配下に置く。逆のものだと双方に守護を与える。それは刺青となって現れ、肉体に刻まれる……。
首筋に銀の花なんて、可愛らしいものである。ただ、さすがはヴィーラの血筋といったところか。少々……魅了の力が移ったようだ。男女問わず視線を感じることしばしば。刻まれたばかりで、香りこと魅了が濃いのだろうと受け入れるしかない。フラーを獲得した、と嫉妬していただろう野郎どもまで妙に好意的で怖い。
「……祝福ねえ」
もう一度、印に触れる。隠しの術をかけたから、見た目は素肌のまま。そこにはなんの印もない。ただ、熱だけが伝わる。
単に森で出会っただけ。追われる彼女を助けたというより、かつての己を救っただけ。誰かとこういう仲になるなんて、想像していなかった。
ロディア・オミニス・マクファスティーは暗がりに引きずり込まれ、未来など描けなかった。深い仲になどなれるはずもなかった。きっと兄の標的にされるから。
独りで生きて、独りで……真っ暗闇、紅く赤い、禍つ星を呪いながら死んだ。
フェンネル・エムリス・ポッターとて、未来を描けていたかは怪しい。かつての記憶を思い出し、怒り、絶望し、けして赦すまいと。それだけを考えていたはずなのに。兄を、ヴォルデモートを討ってやると……。
本当は、あれを片づけるまで彼女と距離を取るのがよいのだ。わかっていても、踏み込んでしまった。
「離れるなんて」
冗談じゃない。寄せられた信頼を裏切るわけにはいかない。異国の地で心細いあまりに彼女は踏み込んできたわけではない。緑陰の中、彼女の指は震えていて、青い眼は張りつめていた……。
「稲妻形の
彼女は
数日後。恋人の頬にくちづけて、囁いた。
「気をつけて」
細い――黄昏に染まる背を。
印されし者は見送った。