【完結】Pandora   作:扇架

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二十二話

 フラーを見送ったフェンネルは、踵を返した。爪先を向けるのは観客席ではない。森である。勝者が決まる第三の課題。終幕が始まる前の奇妙な熱気と静けさを振り払うように、歩を進める。

 胸の底をじりじりと灼く焦燥がある。黄昏があまりに暗く赤いせいか。それとも聳える迷路があまりに高く思えたせいか。

――それとも

 夢を見たせいか。

 今朝のことだった。まざまざしい夢だった。

 闇。膝を突き、手を土塗れにして、触れたのは骨。見上げれば穢れた月乙女。紅の輝きに染められるのは、倒れた誰か。

 未だ来たざる時。あるかもしれない未来の光景。見えざる者が、そっとフェンネルの瞼を撫でてくださったのだろう。目覚め、悲鳴をこらえた。暴れる心臓を宥め、動いたのだ。

 すべては見通せない、とフェンネルは胸元を握りしめた。じっとりと湿った制服が手に張り付くようだった。

 大丈夫だ、と言い聞かせる。できるだけのことはした。代表選手の誰にも死んでほしくなかった。暗い迷宮に踏み入るなと言いたかった。それぞれに毛糸玉でも託して、そちらに行ってはいけないよ、と導いてやりたかった。不吉だ、妙だと言ったところで彼らは聞くまいとわかっていても。

 フェンネルの力には限りがある。全員を、確実に生かす方法など知らない。だから、選ぶしかなかったのだ……。

 この試合は妙だ、と心が叫んでいる。小さな違和感が絵図を描こうとしている。

 迷路の果てから意識を引き戻し、呼ばれるように、そこへ向かう。

 骨、と呟く。真っ白い骨。真新しいそれ。死の兆しかと思った。だけれども、夢がひとつのことを示しているとは限らない。

――本当に

 どこかに骨があるとすれば?

 校長たちが葬られているという墓場? 否。骨はしらしらと輝かんばかり。纏っていたのは濃厚な鉄錆の香。古いものではありえない。

「つい最近」

 殺された者がいた。

 落とした呟きを聞く者はいない。祭りが始まろうというこの時に、禁断の森にほど近いこんな場所に、用がある者などいない。

 ルビウスの小屋の前――いくつも穴が掘られ、あるいは埋められている場所へ到着する。弟曰く、ニフラーを使った宝探しをしていたのだという。レイブンクローとハッフルパフの合同授業では、違う生き物ついての授業であった。だから、よかったなと弟に言っただけだった。ニフラーは可愛いだろう? と。

 細く息を吐き、意識を凝らす。ざわざわと樹々が歌う。風がぬめるようにまとわりつく。どこか濁り淀んだ流れ。

 足が、穴の一つに向かう。埋まっているものがフェンネルに訴えかける。漂う無念は黒い糸となって、かつて殺され、生まれ変わった者を引き寄せる。

 ロディア・オミニス・マクファスティーもまた、呼ばう者と同じく非業の死を遂げた。故に、死せる者の聲、流された血を感じ取る。

 神経質なまでに均されたそこは、言われなければ穴があるなどとわからない。丁寧に、丹念に「誰か」は仕事をしたのだろう。

 ゆっくりと膝を突く。どこかで鴉が鳴いている。長く長く尾を引く声。黄昏の空にくるりと輪を描く。

 正解だ、とでも言うように。

 杖を地に向ける。フェンネルの、長く伸びた影も動く。いびつなそれが、腕を振り――隠されていたものが露わになる。手を伸ばす。からから、と軽い音を立てたのは髑髏(しゃれこうべ)

「高を括っていたのか」

 それとも、後で犬にでも食わせるつもりだったのか。空洞となった眼窩に語りかけ、再び杖を振れば、湿った音がした。

 鮮やかな紅色に両の手を濡らす。青白い顔の男、その首は酷く重かった。

「誰があなたを殺した?」

 最も相応しい鏡に、死者の双眸に。

 正しい問いを投げかけた。

 気まぐれな神は、殺された男の眼に、最期の光景を映し出す。その唇をそっと動かしてやり、寵愛する者の――踏みにじられ、しかしてこの世に再び生まれ出た――形の良い耳に、その名を届けてやった。

 今やただ一人の「バーテミウス・クラウチ」となった者。

 アラスター・ムーディという仮面で、すべてを欺いていた男の名を。

 

 

 刻々と日が暮れる。闇が忍び寄る。

 欠けることなき月が、迷路に、作り出された道に降り注ぐ。

「もう止められないぞ」

 けらけら、と男が笑う。月に暴かれ、偽りを剥がれた男は、酷く満足そうであった。

「なあ、フェンネル・ポッター?」

 あの方に印されなかった者よ?

「お前は選ばれなかった」

「ハリー・ポッターが選ばれた」

 フェンネルは、槍を握る手に力を込めた。男の肩を貫き、地に縫い止めた穂先が、傷口を抉る。びくり、と詐欺師は痙攣する。磔刑の呪文こそがこの男にはふさわしいが、やりすぎて、壊れてしまわれては困る。既に壊れているのかもしれないが、念には念をだ。完璧にマッド・アイになりすますために、己の片足まで切り落としたらしい狂える者に、どれほどの正気が期待できるかわからないが。

 唸り、背後の気配を探る。控えるのはクラムとフラー。その呼吸は速い。先まで死の舞踏を演じていたのだから当然だ。彼らはマッド・アイ――否、バーテミウス・クラウチの不意打ちを見事回避し、共闘していたのだから。

 二人とも三校対抗試合が奇妙なことだらけだ、と思っていた。

 クラムは禁断の森近くで失神呪文を食らった苦い記憶も新しく、迷路にも十二分に警戒していた。殊に、不穏な気配に敏感になっていた。

 フラーは模擬迷路で鍛えられたことと、最後に出発したこともあり、目いっぱい急いでいた。故に、呪いの射程範囲から逃れたようである。

 あとは簡単だ。数の理屈である。三対一。迷路を切り払い、焼き払いしたフェンネルは、乱入者に驚愕しているクラウチをさっさと捕縛した。聞き取り調査の真っ最中である。フラーたちはなにがどうなっている? と余計なことは言わず、静かに成り行きを見守っている。

「弟を攫って殺す?」

 いいや? とクラウチは笑う。おかしくておかしくてたまらない、とでも言うように。

「それは最後だ」

 俺は使命を果たした! 甲高い笑いに構わず、フェンネルは狂った男の、どこまでも壊れた扉をこじ開けた。手かがりを探す。最後。それはわかっている。予言があった。兄ならばハリー・ポッターを、忌々しい「生き残った男の子」を手ずから始末したいはず。そんなことは前提条件に過ぎない。

『我が君……』

 私にお任せください。あの小僧めを優勝させましょう――。

 泥沼から意識を引き上げる。潜った時間は一秒足らず。父親への憎しみ。「我が君」への憧れと崇拝がフェンネルの心をも侵そうとしていた。満ち満ちる毒のあまりのどす黒さに、身を浸していられなかった。

――これ以上

 狂った男の心に触れる必要はない。見切り、男を失神させ、縛り上げる。考えを巡らせる。

 優勝。弟だけ死相がなかった。それだけわかれば十分だ。掴んだ断片が絵図を描く。空白を補完する。およそ一年にわたる計画の全容を完成させる。

 勝利の道は弟のために敷かれていた。詐欺師――悪魔が導いていたから。

 殺すのは最後。攫った後。

 なぜ弟を優勝させたかったか。勝利条件はなにか。迷路の奥にある優勝杯を掴むこと。

 ホグワーツでは姿くらましが使えない。煙突飛行網が敷かれているが、近辺に暖炉がなければならず、煙突飛行網に組み込まれていなければ、無意味。

 ならばどうするか。

 迷路を切り開く。突破する。最奥に輝くはずの優勝杯はない。アクロマンチュラが転がっているだけ。

 ポート・キー、と呟く。優勝杯はただの器にあらず。「隠れ」が用意した招待状だった。弟は掴んでしまった。

――おそらく

 セドリックも掴んでしまった。最も有力な候補、優勝者たりえる者はセドリック・ディゴリーであった。だから死相が濃かったのだ。

 どちらが言い出したかはわからない。どうせ、一緒に優勝杯を掴もうと合意したのだ。二人で掴んだとしてもホグワーツの優勝には変わらない、と。これだから、善い人間というものは困る。すぐに騙され、嵌められる。そこらじゅうに悪い魔法使いがいるというのに。

「どこに、」

 視線をさまよわせる。ふと上を見た。

 夜の闇。輝ける月。

 あの日、あの闇を思い出す。月は隠れていた。星も陰っていた。あたりには朽ちたにおいがあって。

 私は最初の『分霊箱』となった。殺された。きっと死に満ちた場所、人が避ける所、穢れた地をあれは選んだはず。朔の日を選んで、記念すべきはじまりを、足跡を刻んだ。

 あれに縁のある場所。つながるところ。『分霊箱』をゴーントの荒屋に移動させた。現場と荒屋は近かった。つまり、終わりにしてはじまりの場所は。

「――墓」

 肉体を失った者が潜んでいるのはリドルの館。リトル・ハングルトンには共同墓地がある。

 過る光景がある。夏に見た水盆の中に――どこかの墓場が映っていなかったか? 見えざる神はすべてをわかっていたのか。

 確信に貫かれ、高く高く指笛を吹く。フェンネルは、空の台座を見つめ、呆然としている二人を――殊にフラーを見た。

「頼みがある」

 この男を――と、離れた場所に倒れるそれに顎をしゃくった。

「絶対に逃げられないようにして」

 ダンブルドアに守護霊を。

「フェンネル・ポッターは」

 双子の弟を迎えに行く、と。

 一方的に告げ、抱きしめて。

 もう一度、指笛を吹く。静かに羽ばたき、音もなくやってきたそれの、隠しの術が解ける。クラムとフラーが悲鳴を上げた。フェンネルは構わずともだちの背に乗って、首筋を優しく叩く。

 杖で中空に描くのは、複雑な方陣だ。

 青い青い光に身を包まれた刹那、フェンネルは歯を食いしばった。

「今宵は満月」

 魔力に満ちる夜。

 器を失った者が復活するにふさわしい夜。

 墓場には穢れ。埋まっているのは父親の骨。肉は――きっとクラウチのもので代用した。ヴォルデモートと名乗る者に、血族はもはやない。

 なぜハリー・ポッターを攫おうとしたか。殺すためだ。しかし、それは最後の最後。あれには「生き残った男の子」が必要だった。どうしても、ほしかった。

 殺す、手に入れる。そんな風に言っていたのを弟は「夢」を通じて聞いた。フェンネルはよく考えるべきだった。殺す、だけではない意味を。

 手に入れる、という意味を。

 あれは血がほしいのだ。ほかの誰でもない。己を退けた者の血を。

 骨、肉そして血を揃え。

 

 祝祭がはじまる。

 復活を祝う夜が、儀式がはじまる。

 

――月乙女が穢された夜

 長い眠りから、ひとつの命が目覚めた。

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