【完結】Pandora   作:扇架

23 / 27
二十三話

 その場所に侵入(はい)った瞬間、朽ちた風が頬を撫でた。鼻腔を塗りつぶすのは夏の香ではない。生き生きとした草花にとって代わるのは、腐臭であった。つい、と月乙女を見やる。黒夜に浮かぶ彼女は、鉄錆を帯びている。

 祝祭が行われたのだ、と確信した。理に反する、穢らわしいことが成されたのだ。故に月乙女は紅を纏った。血の色に染められた。

 鉄錆を振り払い、乙女は清かな輝きを取り戻す。しらしらとした輝きを受け、竜騎士は舞い上がる。天高く。彼と彼の竜は、静かに、密やかに夜をゆく。

 彼は地を睥睨する。転移の青い光にも、空に現れた影にも、この日、この夜集った者たちは気づく様子もない。はらはらと散る黄金の花片。ぼうやりとした真珠の徒が、誰かを守るようにそこに在る。

 眼を細める。追え、と叫ぶ声。竜騎士の、時を、闇を見通す眼は、跳ねるように逃走する、若鹿を捉えた。

「――上出来だ」

 くすくすと笑う。やられることなく、場をひっかき回しているではないか?

「さすが僕の弟だよ」

 軽く竜の首筋を叩く。彼がグリンゴッツの地下から救い出し、およそ一年あまりともにいた竜は、素直に高度を下げていく。

 月光を遮る闇に、地を這う者どもが顔を上げる。一瞬の停滞、ありえるべからざる侵入者に、眼を瞠ったのを見て取った。

「やれ」

 囁きに、竜が応えた。憤怒の炎は、流れる星のごとく、地へ向かう。あらゆる罪を灼き尽くさんと。

 竜騎士は、立ち上がる。揺れる背にあっても、小揺るぎもしない。その緑眼に黄金の環を浮かべ――銀の槍を構えた。

 じわり、と白い炎を纏ったそれを、投げ放つ。ただ一点。地にある紅の星に向かって。遅滞なく、躊躇いもなく。淀みなく。それが運命であるかのように、天から下した。

 

 罪を裁く、稲妻の如く。

 その輝きは大悪を穿った。

 

 と、と竜の背を蹴って、竜騎士――フェンネル・エムリス・ポッターであり、ロディア・オミニス・マクファスティーである者は、身を躍らせる。風を纏い、軽やかに地へ降り立った。弟の、すぐそばに。

「よく頑張った」

 肩を叩き、その腕を取る。湿り粘った感触が、手のひらに張り付いた。やはり、血を取られたようだ。肉体をつくる方法は古今東西、様々な方法が存在する。

 単純なものは肉体を継ぎ接ぎにする方法。死霊術師が得意とする。主に欠損した亡骸を補完するもので、彼らは修復師とも呼ばれる。

 少し複雑な方法は、卵と胤を合わせ、そこから練り上げていくもの。妊娠継続が難しい場合、母胎を探してきて植えつける。あるいは古代語を刻みつけ、幾夜も月光にさらした器――銀や水晶が望ましい――に薬液を満たし、合わさった卵と胤を入れ……というものがある。

 兄は己の復活を目的にしていたので、骨と肉と血を使った、原始的な方法を選択した。父の骨は既にあり、肉はどうとでもなる。なにより必要だったのは「生き残った男の子」の血であった。兄が自ら、稲妻を印した者の血が。

 悲鳴が木霊する。紅蓮に照らされ、慌てふためく死喰い人たち。ご主人様の命令を聞くどころではなかろう。薪代わりの草が生い茂っているので、火勢が衰える気配はない。

 が、フェンネルは騒ぎを綺麗に無視した。唸るような熱波も、頬を撫でる灼熱も。

「フェン……どうやって? 逃げないと」

 震える声。フェンネルは弟の青白い顔を見た。痛みの滲む緑の眼を覗き込むようにする。細かな傷がたくさんついていて、立っているのもやっとで……たぶん、足をくじいている、なにかに絶望している。

「先に行け」

「来てくれなんて頼んでない!」

 セドリックが、と弟が叫ぶ。その先を言うことはどうしてもできないようで、仄赤い闇を……鈍く光る優勝杯と、さらに奥まった場所に倒れる影を見つめていた。

「いいから」

 蜂の巣をつついたような騒ぎが、段々と静まっていく。弟が顔を歪めた。片手で額を押さえる。おしゃべりしている時間は、あまり残っていないようだ。

 杖を振る。鈍い金色が浮かび上がり、弟の元へ飛んでいく。さらに杖を振る。弟の片手が、やってくる優勝杯に伸ばされる。

「フェン!」

「僕はお前のお兄ちゃんだからな」

 弟の危機には駆けつけるのさ。

 なにやら弟が喚こうが無駄であった。優勝杯もといポート・キーの放つ青に包まれて、生き残った男の子、フェンネル・エムリス・ポッターのふたつ胞の弟は、姿を消した。

「お兄ちゃん、弟に見られたくないものがたんとあるからな」

 ゆうらりと側に寄り添う真珠色に語りかける。淡く、いまにも解けそうな……幽冥の者たちに。榛の眼と緑の眼が、フェンネルを力強く見つめ、励ますように頷いた。いかなる奇跡が起こったのか、今宵、この場所に蘇ったようだ。肉体復活の儀がなんらかの影響を及ぼしたのか、あるいは……と遠く遠くに転がる影をちらと見やる。

「月は満ちて、天に輝くは紅の星」

 執り行われたは闇の祝祭。

 これより始まるは――。

 足を半歩引き、くるりと踵を返す。ふわり、とローブが翻る。両の翼を広げるように、展開されたのは盾の呪文。力強い輝きを放つ守護は、邪悪なる緑光を完璧に防ぎ切り、砕かれた呪文は儚く消えていった。

「――死者の宴だ」

 歌うように言う。躍っていた紅蓮は既になく、背の高い影が禍つ星を宿らせて、フェンネルを凝視していた。

「誉めてやろう」

 フェンネル・ポッター。

 声はわずかに震えている。まんまと獲物に逃げられた憤怒、それか肩を貫かれた痛みのためか。

「不問に付してやる」

 我が陣営に来い。

「死の呪文を放っておいて」

 よく言うものだ。フェンネルは杖を構えたまま、囁くように言う。気配を探る。囲まれている。竜の炎に手傷を負わされ、けれども逃げることは許されず、ご主人様に従うしかない下僕たち。加減しすぎたか。獲物は男が一人。他を殺してもしょうがなし……といったところで、フェンネルはしくじった。首を貫くはずだった一撃は、肩を穿っただけだった。鈍ったものだ。

「しかし、貴様は防ぎ切った」

 フェンネルの内心など知らず、ヴォルデモート、死をも越え、飛翔する者は言を紡ぐ。先まであった震えはどこにもなく、その声には優しげな響きすらあった。傍らに大蛇を従え、その唇が動く。

「俺様という死から逃れた」

 なあ、我がひとつ胞の弟、その血筋よ?

 下僕たちがざわめく。満ち満ちていた殺気が、蝋燭の火を吹き消すように散っていった。

「へえ?」

 フェンネルは、さも驚いたというように、男を見上げた。彼らを隔てるのは、たった数歩の距離。

「ポッター家にスリザリンの血が?」

 戯言に乗ってやる。ひとつ胞の兄がどのように考えたか、手に取るようにわかりながらも。

「いいや、リリー・ポッターの血筋に我が弟の血が入っていたのだろう」

 俺様も穢れた血までは捕捉していなかった。弟は密かに子をつくっていたのだろう。あれもリリー・ポッターと同じく、緑の眼をしていた。

「そんな馬鹿な」

 息を詰まらせる――ふりをする。まともに考えれば、そういう理屈を組み立てるだろう。ポッター家の血筋は明らか。ならば「弟」の隠し血筋はリリーのほうだ、と。

 そうであれば平仄が合うのだ。文字通り降ってわいた、フェンネル・エムリス・ポッターの奇妙さの。

 

 なぜ竜に乗って現れたか。竜は人に馴れぬというのに。

 なぜ覚えのある銀の槍が降ってきたか。

 なぜ――。

――闇の帝王直々の、死の呪文を防げたか

 

 なぜならば、リリーを通じてポッター家には竜騎士の血が流れているから。フェンネル・エムリス・ポッターに、闇の帝王の写し身、ひとつ胞の弟の血が色濃く現れたから。由緒正しい純血の、優れた性質を受け継いでいるから。

「来るがいい」

 ヴォルデモートは手を伸べる。フェンネルに向かって、己が殺した夫妻の、その息子に向かって。

 ひとつ胞の弟の、子孫と信じてやまない者に。

 己が血族と信じてやまない者に。

「ハリー・ポッターに光が当たるばかり。お前は影だ」

 しかし、甘んじる必要はない。これからは、俺様がお前を導こう。

「闇の時代が再びやってくるのだ」

 うっとりと、ヴォルデモートが歌う。そこに強制の力を込めて。少年ひとり、からめ取るのは造作もない。ヴォルデモートと名乗る男はスリザリンの末裔。サラザール・スリザリンの血筋は、精神、魂を操る者。魂の繰り手と呼ばれたという……。

 フェンネルは俯いた。ぐっと杖を握りしめ、吐息をこぼす。

「さあ」

 見えざる鎖が伸びる。魔手が迫る。ただの十四歳ならば確実に手中に陥ちていただろう。ヴォルデモートはあらゆる者を屈服させる。

 実の、ひとつ胞の弟ですら屈服させた。屈辱を与え、惨く殺し、辱めた。

 フェンネルは顔を上げる。静かにヴォルデモートを見返し、片手を伸べた。何気なく、自然に。構えずに――。

――銀の槍が、男を貫いた。

 肉に食い込み、骨を打ち砕き、眠る心臓を炎で包んだ。

「『天高く(グローリア)』の炎は」

 邪を滅す。

 ロディアは歌う。燃えるような紅に射抜かれる。ヴォルデモートは口をかすかに開け、悲鳴を迸らせる。竜騎士は槍を掴んだまま、数歩の距離を詰めた。重い音とともに、穂先が背をも貫いた感触が槍を通して伝わった。

 なぜ、なにが、と混乱に満ちた双眸。身をよじり、恐ろしい槍から逃れようとするも、成功することはあるまい。

「どうし、」

 槍を捻る。つんざくような叫び。だが、ロディアは手を緩めない。傷口をえぐり続ける。積年の恨みを込めて。

 杖を振ろうとするヴォルデモートの片手が、ぽとりと落ちた。大蛇の牙が、それを成した。

「ナギ、」

「竜は蛇に勝つ」

 そして乙女は竜を眠らせる。

 ロディアは掠れた声で、この世の理を説く。地を這う者は、天翔る者に敵わぬ、と。

「これも宿命だ」

 ひ、と男が――ただの怪物が音を漏らす。ひ、ひ、と。なにかを思い出しているように。

 潤んだ眼が、ロディアを――フェンネルを、少年を映す。必死に記憶を手繰り、答えを引き寄せようとしている。

「なあトム」

「その名、で」

 死に瀕してさえ、肥大した自我(エゴ)を手放せないでいるらしい。どこまでも愚か。父の骨で蘇ったろうに、父の名を否定するか。

 このまま殺してやってもよいのだけど。それではいささかつまらない。

 ロディア・オミニス・マクファスティーが味わった絶望には及ばない。せめて、いくらかは味わってもらわねばならない。

「私はあのとき誓ったんだ」

 闇の中、朔の夜。穢され、銀の刃で貫かれたあの日。

 月が満ち、欠け、星が巡ったその先で。

 再び――。

「お前と巡り会い」

 その罪を贖わせてくれると!

 

 竜の咆哮に、闇の帝王、ただの孤児だった者は呻きを上げた。真実に貫かれた痛み、驚愕をありありと滲ませた声であった。

 ようやっと、悟ったのだろう。己を殺す者が誰なのか。リリー・ポッターがひとつ胞の弟の血筋などという「まとも」な推測など飛び越えて。

 フェンネル・エムリス・ポッターはリリー・ポッターの息子なれど、ロディア・オミニス・マクファスティーの血筋にあらず。

 時を超えて現れた、本人に他ならないと。

 ロディアは、幽冥の境で踊り、いまにも滑り落ちようとするその魂を――禍つ双つ星を覗き込む。一片の情もなく、緑の炎を眸に燃え上がらせて。

「お前は私からすべてを奪った」

 杖を仕舞う。腰に佩いた鞘から、刃を抜き放つ。月なき夜、真の闇を纏ったそれを。

「はじまりの『分霊箱』は、お前を赦さない」

 恥知らずにも己が殺した女の、献身が宿ったその血を身に取り込んだ者よ。一角獣に呪われた者よ。

「無事で済むと思うのか」

「……ま、だ、箱……」

 ある、と男が呻く。必死に生にしがみつく俗物は、唇を震わせる。血色がなく、真っ白いそれを。

 ロディアは柔らかく笑んだ。憐れみを一滴添えて、言い放つ。

「もうないよ」

 刃を一閃する。いつかされたように、滑らかに、喉を裂く。獣を屠るが如く、軽やかに。

 ひゅう、と風音を漏らし、銀の槍に支えられ、男はゆうらりと揺れた。穂先を抜いてやれば、どす黒い血がこぼれた。ぽつ、と落ちて、地を焦がす。腐臭が鼻腔を突いた。

 肉の塊を蹴る。玩具のように転がった。

 しゅうしゅう、と男だったものの唇からなにかが溢れようとする。それは黒い霧か靄に見えたが……闇よりも深き影が喉の傷から滑り出て、食らってしまう。

「これで復活したら、それこそ化け物だ」

 ロディアは短剣をくるりと回し、鞘へと仕舞った。闇の呪力を纏ったそれは、猛る気を鎮める。

 バジリスクの牙を研ぎ「ロディア」の灰とともに鍛えた刃は、死者の執着をも引き裂き、食らったようだ。

禁忌の箱(Pandora)をつくったお前」

 地に伏した者を、天を翔る者は見下ろす。しゅうしゅう、と未だ煙を上げる胸、そこに灼きつけられた紋は、白い花にも星にも見えた。

「グリンデルバルドでも知っているというのに」

 肩をすくめ、言を継ぐ。

「箱の底には」

 (Elpis)があるものなんだよ。

 私こそ、見えざるお方が用意した者。

 お前を裁く、断罪の刃(いなずま)である。




あと二話で本編終了です。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。