その場所に
祝祭が行われたのだ、と確信した。理に反する、穢らわしいことが成されたのだ。故に月乙女は紅を纏った。血の色に染められた。
鉄錆を振り払い、乙女は清かな輝きを取り戻す。しらしらとした輝きを受け、竜騎士は舞い上がる。天高く。彼と彼の竜は、静かに、密やかに夜をゆく。
彼は地を睥睨する。転移の青い光にも、空に現れた影にも、この日、この夜集った者たちは気づく様子もない。はらはらと散る黄金の花片。ぼうやりとした真珠の徒が、誰かを守るようにそこに在る。
眼を細める。追え、と叫ぶ声。竜騎士の、時を、闇を見通す眼は、跳ねるように逃走する、若鹿を捉えた。
「――上出来だ」
くすくすと笑う。やられることなく、場をひっかき回しているではないか?
「さすが僕の弟だよ」
軽く竜の首筋を叩く。彼がグリンゴッツの地下から救い出し、およそ一年あまりともにいた竜は、素直に高度を下げていく。
月光を遮る闇に、地を這う者どもが顔を上げる。一瞬の停滞、ありえるべからざる侵入者に、眼を瞠ったのを見て取った。
「やれ」
囁きに、竜が応えた。憤怒の炎は、流れる星のごとく、地へ向かう。あらゆる罪を灼き尽くさんと。
竜騎士は、立ち上がる。揺れる背にあっても、小揺るぎもしない。その緑眼に黄金の環を浮かべ――銀の槍を構えた。
じわり、と白い炎を纏ったそれを、投げ放つ。ただ一点。地にある紅の星に向かって。遅滞なく、躊躇いもなく。淀みなく。それが運命であるかのように、天から下した。
罪を裁く、稲妻の如く。
その輝きは大悪を穿った。
と、と竜の背を蹴って、竜騎士――フェンネル・エムリス・ポッターであり、ロディア・オミニス・マクファスティーである者は、身を躍らせる。風を纏い、軽やかに地へ降り立った。弟の、すぐそばに。
「よく頑張った」
肩を叩き、その腕を取る。湿り粘った感触が、手のひらに張り付いた。やはり、血を取られたようだ。肉体をつくる方法は古今東西、様々な方法が存在する。
単純なものは肉体を継ぎ接ぎにする方法。死霊術師が得意とする。主に欠損した亡骸を補完するもので、彼らは修復師とも呼ばれる。
少し複雑な方法は、卵と胤を合わせ、そこから練り上げていくもの。妊娠継続が難しい場合、母胎を探してきて植えつける。あるいは古代語を刻みつけ、幾夜も月光にさらした器――銀や水晶が望ましい――に薬液を満たし、合わさった卵と胤を入れ……というものがある。
兄は己の復活を目的にしていたので、骨と肉と血を使った、原始的な方法を選択した。父の骨は既にあり、肉はどうとでもなる。なにより必要だったのは「生き残った男の子」の血であった。兄が自ら、稲妻を印した者の血が。
悲鳴が木霊する。紅蓮に照らされ、慌てふためく死喰い人たち。ご主人様の命令を聞くどころではなかろう。薪代わりの草が生い茂っているので、火勢が衰える気配はない。
が、フェンネルは騒ぎを綺麗に無視した。唸るような熱波も、頬を撫でる灼熱も。
「フェン……どうやって? 逃げないと」
震える声。フェンネルは弟の青白い顔を見た。痛みの滲む緑の眼を覗き込むようにする。細かな傷がたくさんついていて、立っているのもやっとで……たぶん、足をくじいている、なにかに絶望している。
「先に行け」
「来てくれなんて頼んでない!」
セドリックが、と弟が叫ぶ。その先を言うことはどうしてもできないようで、仄赤い闇を……鈍く光る優勝杯と、さらに奥まった場所に倒れる影を見つめていた。
「いいから」
蜂の巣をつついたような騒ぎが、段々と静まっていく。弟が顔を歪めた。片手で額を押さえる。おしゃべりしている時間は、あまり残っていないようだ。
杖を振る。鈍い金色が浮かび上がり、弟の元へ飛んでいく。さらに杖を振る。弟の片手が、やってくる優勝杯に伸ばされる。
「フェン!」
「僕はお前のお兄ちゃんだからな」
弟の危機には駆けつけるのさ。
なにやら弟が喚こうが無駄であった。優勝杯もといポート・キーの放つ青に包まれて、生き残った男の子、フェンネル・エムリス・ポッターのふたつ胞の弟は、姿を消した。
「お兄ちゃん、弟に見られたくないものがたんとあるからな」
ゆうらりと側に寄り添う真珠色に語りかける。淡く、いまにも解けそうな……幽冥の者たちに。榛の眼と緑の眼が、フェンネルを力強く見つめ、励ますように頷いた。いかなる奇跡が起こったのか、今宵、この場所に蘇ったようだ。肉体復活の儀がなんらかの影響を及ぼしたのか、あるいは……と遠く遠くに転がる影をちらと見やる。
「月は満ちて、天に輝くは紅の星」
執り行われたは闇の祝祭。
これより始まるは――。
足を半歩引き、くるりと踵を返す。ふわり、とローブが翻る。両の翼を広げるように、展開されたのは盾の呪文。力強い輝きを放つ守護は、邪悪なる緑光を完璧に防ぎ切り、砕かれた呪文は儚く消えていった。
「――死者の宴だ」
歌うように言う。躍っていた紅蓮は既になく、背の高い影が禍つ星を宿らせて、フェンネルを凝視していた。
「誉めてやろう」
フェンネル・ポッター。
声はわずかに震えている。まんまと獲物に逃げられた憤怒、それか肩を貫かれた痛みのためか。
「不問に付してやる」
我が陣営に来い。
「死の呪文を放っておいて」
よく言うものだ。フェンネルは杖を構えたまま、囁くように言う。気配を探る。囲まれている。竜の炎に手傷を負わされ、けれども逃げることは許されず、ご主人様に従うしかない下僕たち。加減しすぎたか。獲物は男が一人。他を殺してもしょうがなし……といったところで、フェンネルはしくじった。首を貫くはずだった一撃は、肩を穿っただけだった。鈍ったものだ。
「しかし、貴様は防ぎ切った」
フェンネルの内心など知らず、ヴォルデモート、死をも越え、飛翔する者は言を紡ぐ。先まであった震えはどこにもなく、その声には優しげな響きすらあった。傍らに大蛇を従え、その唇が動く。
「俺様という死から逃れた」
なあ、我がひとつ胞の弟、その血筋よ?
下僕たちがざわめく。満ち満ちていた殺気が、蝋燭の火を吹き消すように散っていった。
「へえ?」
フェンネルは、さも驚いたというように、男を見上げた。彼らを隔てるのは、たった数歩の距離。
「ポッター家にスリザリンの血が?」
戯言に乗ってやる。ひとつ胞の兄がどのように考えたか、手に取るようにわかりながらも。
「いいや、リリー・ポッターの血筋に我が弟の血が入っていたのだろう」
俺様も穢れた血までは捕捉していなかった。弟は密かに子をつくっていたのだろう。あれもリリー・ポッターと同じく、緑の眼をしていた。
「そんな馬鹿な」
息を詰まらせる――ふりをする。まともに考えれば、そういう理屈を組み立てるだろう。ポッター家の血筋は明らか。ならば「弟」の隠し血筋はリリーのほうだ、と。
そうであれば平仄が合うのだ。文字通り降ってわいた、フェンネル・エムリス・ポッターの奇妙さの。
なぜ竜に乗って現れたか。竜は人に馴れぬというのに。
なぜ覚えのある銀の槍が降ってきたか。
なぜ――。
――闇の帝王直々の、死の呪文を防げたか
なぜならば、リリーを通じてポッター家には竜騎士の血が流れているから。フェンネル・エムリス・ポッターに、闇の帝王の写し身、ひとつ胞の弟の血が色濃く現れたから。由緒正しい純血の、優れた性質を受け継いでいるから。
「来るがいい」
ヴォルデモートは手を伸べる。フェンネルに向かって、己が殺した夫妻の、その息子に向かって。
ひとつ胞の弟の、子孫と信じてやまない者に。
己が血族と信じてやまない者に。
「ハリー・ポッターに光が当たるばかり。お前は影だ」
しかし、甘んじる必要はない。これからは、俺様がお前を導こう。
「闇の時代が再びやってくるのだ」
うっとりと、ヴォルデモートが歌う。そこに強制の力を込めて。少年ひとり、からめ取るのは造作もない。ヴォルデモートと名乗る男はスリザリンの末裔。サラザール・スリザリンの血筋は、精神、魂を操る者。魂の繰り手と呼ばれたという……。
フェンネルは俯いた。ぐっと杖を握りしめ、吐息をこぼす。
「さあ」
見えざる鎖が伸びる。魔手が迫る。ただの十四歳ならば確実に手中に陥ちていただろう。ヴォルデモートはあらゆる者を屈服させる。
実の、ひとつ胞の弟ですら屈服させた。屈辱を与え、惨く殺し、辱めた。
フェンネルは顔を上げる。静かにヴォルデモートを見返し、片手を伸べた。何気なく、自然に。構えずに――。
――銀の槍が、男を貫いた。
肉に食い込み、骨を打ち砕き、眠る心臓を炎で包んだ。
「『
邪を滅す。
ロディアは歌う。燃えるような紅に射抜かれる。ヴォルデモートは口をかすかに開け、悲鳴を迸らせる。竜騎士は槍を掴んだまま、数歩の距離を詰めた。重い音とともに、穂先が背をも貫いた感触が槍を通して伝わった。
なぜ、なにが、と混乱に満ちた双眸。身をよじり、恐ろしい槍から逃れようとするも、成功することはあるまい。
「どうし、」
槍を捻る。つんざくような叫び。だが、ロディアは手を緩めない。傷口をえぐり続ける。積年の恨みを込めて。
杖を振ろうとするヴォルデモートの片手が、ぽとりと落ちた。大蛇の牙が、それを成した。
「ナギ、」
「竜は蛇に勝つ」
そして乙女は竜を眠らせる。
ロディアは掠れた声で、この世の理を説く。地を這う者は、天翔る者に敵わぬ、と。
「これも宿命だ」
ひ、と男が――ただの怪物が音を漏らす。ひ、ひ、と。なにかを思い出しているように。
潤んだ眼が、ロディアを――フェンネルを、少年を映す。必死に記憶を手繰り、答えを引き寄せようとしている。
「なあトム」
「その名、で」
死に瀕してさえ、肥大した
このまま殺してやってもよいのだけど。それではいささかつまらない。
ロディア・オミニス・マクファスティーが味わった絶望には及ばない。せめて、いくらかは味わってもらわねばならない。
「私はあのとき誓ったんだ」
闇の中、朔の夜。穢され、銀の刃で貫かれたあの日。
月が満ち、欠け、星が巡ったその先で。
再び――。
「お前と巡り会い」
その罪を贖わせてくれると!
竜の咆哮に、闇の帝王、ただの孤児だった者は呻きを上げた。真実に貫かれた痛み、驚愕をありありと滲ませた声であった。
ようやっと、悟ったのだろう。己を殺す者が誰なのか。リリー・ポッターがひとつ胞の弟の血筋などという「まとも」な推測など飛び越えて。
フェンネル・エムリス・ポッターはリリー・ポッターの息子なれど、ロディア・オミニス・マクファスティーの血筋にあらず。
時を超えて現れた、本人に他ならないと。
ロディアは、幽冥の境で踊り、いまにも滑り落ちようとするその魂を――禍つ双つ星を覗き込む。一片の情もなく、緑の炎を眸に燃え上がらせて。
「お前は私からすべてを奪った」
杖を仕舞う。腰に佩いた鞘から、刃を抜き放つ。月なき夜、真の闇を纏ったそれを。
「はじまりの『分霊箱』は、お前を赦さない」
恥知らずにも己が殺した女の、献身が宿ったその血を身に取り込んだ者よ。一角獣に呪われた者よ。
「無事で済むと思うのか」
「……ま、だ、箱……」
ある、と男が呻く。必死に生にしがみつく俗物は、唇を震わせる。血色がなく、真っ白いそれを。
ロディアは柔らかく笑んだ。憐れみを一滴添えて、言い放つ。
「もうないよ」
刃を一閃する。いつかされたように、滑らかに、喉を裂く。獣を屠るが如く、軽やかに。
ひゅう、と風音を漏らし、銀の槍に支えられ、男はゆうらりと揺れた。穂先を抜いてやれば、どす黒い血がこぼれた。ぽつ、と落ちて、地を焦がす。腐臭が鼻腔を突いた。
肉の塊を蹴る。玩具のように転がった。
しゅうしゅう、と男だったものの唇からなにかが溢れようとする。それは黒い霧か靄に見えたが……闇よりも深き影が喉の傷から滑り出て、食らってしまう。
「これで復活したら、それこそ化け物だ」
ロディアは短剣をくるりと回し、鞘へと仕舞った。闇の呪力を纏ったそれは、猛る気を鎮める。
バジリスクの牙を研ぎ「ロディア」の灰とともに鍛えた刃は、死者の執着をも引き裂き、食らったようだ。
「
地に伏した者を、天を翔る者は見下ろす。しゅうしゅう、と未だ煙を上げる胸、そこに灼きつけられた紋は、白い花にも星にも見えた。
「グリンデルバルドでも知っているというのに」
肩をすくめ、言を継ぐ。
「箱の底には」
私こそ、見えざるお方が用意した者。
お前を裁く、
あと二話で本編終了です。