三話
長い長い苦闘の果てに、産み落とした命はふたつ。男の子が二人。
片方は元気に泣いて、片方は産声を上げなかった。
まるで、と彼女は思う。疲れ果て、ぼんやりとした思惟のなか、とりとめなく思う。遠くで産婆が「坊や、息をするのよ」と一生懸命に呼びかけている。どこか夢の中のような、現実で。
まるで、まるで……。
――生きたがっていないようだ
視線を滑らせる。ぼやけた視界に、産婆に抱き上げられた我が子が見えた。ぴくりとも動いていないようだった。産婆が慎重に、慎重に呪文をかけている……それでも、動かない。泣かない。さほど時をおかずに生まれた子は……双子の弟は、元気に泣いているようなのに。綺麗にしてもらって、ジェームズに抱っこされて、小さな小さなゆりかごで、泣いているだろうに。
何分、泣いていないのか。それとも数秒? 数十秒? 早く、早く酸素をとりこまないと……。
初産。しかも双子。彼女の明晰な頭脳は、すっかり錆び付いてしまっていた。なにも筋道立って考えられなかった。ただただ、恐怖した。
失ってしまうのか、と。
なにかに突き動かされるように、口を開いた。
「大丈夫よ、坊や」
きっと疲れてしまったんでしょう。
長いお産だったもの。私もあなたもくたくた。
どこかで聞いた話だ。赤ん坊は生まれてくるまでに――宿って、産道を通って、この世に生まれ出る前にひとつの旅を終えていて、生まれてしまえば忘れるのだと。母親のお腹という夜の世界から出でて、光の世界にやってくるのだと……。
「怖いこともいっぱいあるかもしれない。でも、」
楽しいこともうれしいこともたくさんあるのよ。
大丈夫よ。
ぽつぽつと、囁く。祈るように。願うように。
彼女の言の葉が届いたのか、そうでないのか。最初は小さく、ためらいがちに。やがて大きな泣き声が響いた。
一九■■年七月三十一日。
ポッター家に、双子の男の子が生まれた。
兄の名前は母親が付けた。なかなか産声を上げず、弱々しく思えたその子に魔除けと勝利の花の名を。そして、逝ってしまった勇敢なるマーリン・マッキノンから名をもらった。子どもが生まれたらあなたの名を付けるわね、と約束していたから。本当は
弟の名は父親の親友が付けた。響きの良い名を。そして父親のジェームズの名を付けた。
その日、確かに。
ポッター家には幸福が溢れていた。暗い時代のなかで、双子の男の子の存在は希望をもたらしてくれた。明るい未来を思わせた。
――そうして
こうなってしまった、と彼女は思う。あの時から一年数ヶ月。
破滅が、死がやってきた。
背の高い影。揺らめく魔法灯が、彼の黒髪と、骨のように白い肌と、禍々しい紅をくっきりと浮かび上がらせる。
「小娘」
そこをどけ。
冷え冷えとした、淡々とした、煩わしそうな、飽いたような声が響く。
「お前が死ぬ必要はないのだ」
俺様の目的はただ一つ。赤ん坊を殺すことだけ。
「なあ、リリー・ポッター?」
柔らかく、名を呼ばれる。彼女は――リリーは眼を瞑った。背後にはベビーベッド。わんわんと泣いているのはハリー。静かにしているのはフェン。彼女の息子たち。彼女と夫の息子たち。
状況は、まったく芳しくない。盤面の隅に追いつめられている。
「お前の夫は死んだ」
彼女は眼を開く。ただ、唇を引き結んだ。知っている。だからこそこの男が――ヴォルデモートはやってきた。夫が息絶えたから。彼が稼いでくれた貴重な時間を、彼女は生かせなかった。ポッター家は獄と化している。姿くらましは不可能。仮に箒での脱出を試みたとて無駄だ。窓もなにもかもふさがれているだろう。箒を呼び寄せている時間はなく、この場にあったとしても、飛び乗ろうとした瞬間に死の呪文が飛んでくる。
脱出路を切り開いている暇もない。詰み、だ。
「わかっているだろう?」
お前たちは信用してはならない者を信用したのだ。哀れだな。
闇が囁く。彼女は、じっと彼を見た。破滅の使者を。
どうすればよい。戦うか。ジェームズと二人ならば力を合わせて脱出できたかもしれない。しかし彼はもういない。
二人だったから、ヴォルデモートに三度抗えた。かろうじて、その手から逃れられた。
三度抗がったがゆえに、生まれた子に予言が下されるなんて誰が思うだろうか? 子どもたちが生まれる少し前に下された予言。七つ目の月が死ぬとき。闇の帝王を打ち破る……。
どうか七月末ではなく少し早く。それか八月に、と何度願っただろうか。予言なんて信じない。そうだけれども不安だった。
馬鹿馬鹿しいと、この人も思ってくれればよかったのに。戯れ言だと思ってくれれば、そうすれば。
――こうはならなかったのに
「……随分とおしゃべりなのね」
ヴォルデモート。
声が震える。足も震える。恐ろしくて、恐ろしくてならない。退路はない。死神の吐息がうなじにかかる。リリー・ポッターは己の運命を悟っている。
「時間が欲しいのは」
お前だろう、小娘?
「お仲間が、ダンブルドアが駆けつけてきてくれると信じているのか」
救援は期待できぬ。守護霊を飛ばそうとしただろうよ。けれど駄目だったろう? なあ。
「異変に気づいてくれると思っているのか?」
ハロウィンのパーティをしていると思っているだろうよ。楽しい、楽しいパーティをな?
「記念すべき日なのは間違いない」
俺様が、不確定要素を排除する日だ。
「饒舌なのは……」
お前が、緑の眼をしているからかもしれないな。小娘?
「好きな人が緑の眼だったのかしら」
とても素敵な人だったのでしょうね。
震える声で返す。なんの気まぐれかは知らない。だが、ヴォルデモートは「おしゃべり」する気になっている。元から気まぐれなところのある男なのだ。彼らの言うところの穢れた血、マグル生まれを勧誘したくらいだもの……。
シリウス、リーマス。誰か。
誰でもいい。駆けつけて。せめてこの子たちを救って。
心の内で、虚しい願いを叫ぶ。儚い望み、叶うとも思えないご都合主義。現実は、物語のように巧くはいかない。
「失ったときは、身も心も引き裂かれるようだったとも」
男は歌う。ふう、とため息を吐き、紅の眼を光らせた。
「今宵、俺様が求める命は一つ」
予言が示しているのは一人だった。打ち破る力を持った者。者たち、ではなく。
「双子のうち、死ぬのは片方だけでいい」
選べ、リリー・ポッター。勇敢なる者。
「どちらを差し出すのか」
兄か、弟か。そうすればお前は助かるだろう……俺様は喜んでお前と子どもを迎え入れよう。
首を振った。もはやどんな偽りも通用しない。子を差し出すふりをして隙を突くなんて真似はできない。成功しない。差し出したとて、皆殺しにされる可能性は高い。
自分の命を惜しんで、我が子を差し出すなんてことを、彼女はしない。できない。予言を回避したかったのならば、無理にでも堕胎すればよかった。摘み取ってしまえばよかった。できなかった。予言によって狙われるかもしれず、子どもたちが辛い思いをするかもしれないと悩んだときもあった……。
親の我が儘だとわかっていて産み落とした。幸福が約束されたわけでもない、暗い時代に産み落としてしまった。
そのうえ、子を差し出せるものか。
フェンネルもハリーも、どちらも大事だ。宝物なのだ。闇の帝王を打ち破る力なんてどうだっていい。健やかに生きてほしい。
「どうか、子どもたちだけは」
ひゅう、と息が漏れる。情けなかろうが、無様だろうが、希う。けしてすまいと思っていたことをする。両の腕を広げ、子どもたちを庇い、懇願する。
もう、これしかない。
数秒でもいいから時を稼ぐ。もしかしたらなにかが変わるかもしれないから。
「あなたは、求める命は一つと言った」
私の命をあげる。どうか、子どもたちだけは。
「許して」
私の命を、差し上げますから。
祈る。
心臓が跳ねる。視界が明滅する。だけれど、思考は澄んでいる。
犠牲が必要だ。どこかで読んだ、おとぎ話。古い古い時代の話。犠牲と対価。死と報い。
『魔法とはね』
祈りなんだよ。
そう言ったのはジェームズだった。
幸せになりますようにってね。
僕も祈ろう。
君と幸せになれますように、と。
精一杯、祈る。最期のあがき、時間稼ぎ。まったく当てにならない祈り。意味がないかもしれない願い。
どうか、どうか。
私の命を差し上げますから。
子どもたちを。
無垢なる命を。
救う力を。
守る力を。
くださいますように。
「子どもたちはどうか」
どけ、と男が吼える。彼女は首を振る。涙がこぼれる。瞬く。視界が澄む。
運命が見える。終わりが見える。しっかとそれを睨めつける。緑と紅が交わる。
――どうか
私の死で以て。
子どもたちに守護を。あるいは。
この男に報いを。
気まぐれがすぎたな、と彼は思う。小娘は死んだ。燃えるような赤い髪が広がり、見開かれた緑の眼は光を失っている。
馬鹿な小娘。稼げたのは精々数分。夫婦合わせて十数分といったところか。
惜しい者たちを亡くしたな、と顔をしかめた。死んでしまえばおしまいだ。こちら側に付けばよかったものを……。
歩を進める。きし、と床が鳴く。転がった空っぽのそれを蹴ろうとして、足が止まる。責めるような緑の眼が脳裏を過ぎる。
彼のひとつ胞の弟。もはやいないもの。けれどいるもの。
「……あの老いぼれならば」
愛、とでも言うのか。
たとえ去ってしまっても、心の中にいるのだとでも言いそうだ。愛しい名残だとでもほざきそうだ。
くだらぬ、と鼻で笑う。弟はいなくなった。しかし永遠となった。彼がそうした……。
嘲笑しようとしてなぜかできない。杖を一振りして、空っぽのそれを浮かばせる。室の隅に横たえた。
そうして仕事にとりかかる。本来の目的を果たそうとする。ベビーベッドを覗き込む。片方はじっと彼を見ていて、声も立てない。賢い子である……ヴォルデモート卿の恐ろしさをわかっているようだ。
「そうだ、泣いても無駄なのだ」
あまり似ていない双子。ジェームズ・ポッターに似ているほうが弟らしい、と聞いていた。
では、泣いていないほうが兄だ。さらりとした髪だから。
では、泣いているほうが弟だ。ジェームズ・ポッターの髪を受け継いでいるから。
「どちらにしようか?」
そうっと言う。ひく、と兄のほうが身じろいだ。手を伸ばし弟の手を掴む。わあわあと泣く弟を、抱きしめるようにする。
なんとも泣かせる話ではないか。口笛を吹く。よし決めた。
「俺様は勇敢さを尊ぶ」
リリー・ポッターに免じ。
「フェンネル・ポッター」
お前は生かしておいてやろう。幼くとも、弟を守ろうとする者よ。勇気ある者よ。賞賛に値する。
「弱き者は死ね」
なにが打ち破る者だ。
吐き捨て、片手でそっと兄のほうを引き剥がす。そのときまで沈黙していた双子の兄が、悲鳴を上げる。
ああ、絶望の叫びというものは。
耳に心地よいものだ。
泣きわめく双子の弟に杖を向ける。綺麗な緑の眼に、彼はにっこりと笑いかけ。
杖に死を歌わせた。
そうして。
一九■■年十月三十一日。
大悪は、報いを受けた。
ちか、ちか、と街灯が瞬いてる。今にも消えそうな頼りない輝き。真夜中で、細い細い月――にぃっと笑っているかのような月が、マグノリア・クレセント通りを照らしていた。より詳しく言うならば、石垣に腰掛けた、黒髪の双子を。
「……仕方ない」
双子の片割れ――さらりとした黒髪のほう――はため息を吐いた。膝で丸くなった、金色のニーズルをちらと見て、隣に腰掛ける弟の肩をぽんぽんと叩く。
「ほんとごめん……」
「お前がやらなきゃ、僕がやっていた」
僕には前科がないし。
「あれはドビーが」
ぶつぶつと弟――ハリー・ポッターが呟く。頭を抱え始めた。勢いで動き、あとでどうしようの大騒ぎをするのが弟であった。
意図していなかったわけだし、と双子の兄の方……二卵性なので双子というよりも兄弟――は眼を瞑った。弟が悪いか? ノーである。どうしようもないマグルの女が悪いのである。なにを人の親をろくでなしやら、クズやら、無職やら、あとなんだ……ポッター家の双子という出来損ないを生んだ「欠陥品の雌犬」なんて言ったのだ。
マージョリー・ダーズリーが性悪なのは知っていたが、今回の一週間の滞在で最悪の記録を軽々と更新した。いやほんと、どこの世界でも血筋だの悪い血だの欠陥品だの言う輩はいるものである。ダーズリー家だってたいした家じゃないくせに、よくもまあ……。
あれだけ言われて、弟が爆発しないわけがない。大人だって無理だろう。仕方のないことだし、不幸な事故であの女が弾けて消えてくれたら清々する。ものを膨らませる呪文というのは、単純な魔法だが拷問にも使えるのだ。
「ガレージをこじ開けて野宿して」
一旦寝てから考えよう。
あの女の滞在期間、つまり約一週間あまりで、フェンネルと弟は疲労していた。精神的な疲労である。どう考えたってまともにものを考えられない。一旦寝るに限る。
「悠長なことだね」
ほら、弟の声に棘がある。大混乱中である。着の身着のままで飛び出さず、トランクを持って出るだけの理性はあったわけだが。
もっとも、フェンネルも混乱に乗じてトランクにあれこれ詰め込み、ついでに台所を漁って食料を確保した。といっても、パンとインスタント麺を失敬しただけなのだが。
「ドビーの時は」
魔法省の警告が即座に来た、とフェンネルは返す。約一年前のこと。
元はいとこのものだった一室に双子は詰め込まれていた。そこにドビーが登場し、ハリー・ポッターはホグワーツに戻ってはいけないと警告し、ハリーは当然ノーと言い、悲劇が起こったのである。
プリベット通りにいる魔法使いは二人。フェンネル・ポッターとハリー・ポッター。ドビーの近くにいたのはハリーであった。フェンネルの動きはいささか遅れ、二階から駆け下り、玄関ホールに着地したときに事は起こった。食器が割れる音。悲鳴。台所に駆け込めば、ホイップクリームまみれの弟。悪夢であった。
魔法省の検知網は、浮遊呪文の使用者をハリー・ポッターと判断し、ふくろうを飛ばしたのである。魔法の使用から警告がやってくるまで、三十分もかかっていなかっただろう。
「あの女を膨らませ、荷造りをし、隙をみて台所を漁り、バーノン叔父と取っ組み合いをし……僕とお前と二人で力を合わせ、悪徳領主を打ち倒し、脱出」
ここまでで約十五分としよう。
「忌々しい「我が家」からこの通りまでそこそこかかる。そして孤児二人は休憩し……」
合計三十分はかかっているだろうね。なのに警告は来ていない。
「それに、いざとなれば僕がやりましたって言ってやるから」
問題ない。僕に前科がつくだけのこと。
現状をまとめ終え、長い長い息を吐いた。
「だってフェン、君は学年首席なのに」
「ハーマイオニーと並立首位だな」
「前科持ちになるわけ?」
「かすり傷だよ」
ほんのちっちゃな傷である。笑ってしまうほどの、ささいな問題だ。
フェンネル・ポッターは……いいや、ロディア・マクファスティーは。
――ヴォルデモートと名乗る男の弟だったのだから
逃れようもなく、罪を犯しただろうと確信している。あの男の弟であるということはつまりそういうことだ。同じ血を分けているというだけで罪。そしてかつてのロディアは、ヴォルデモートに従ったのだ。
マクファスティー家の養子となり、リドルの姓を捨て。
『秘密の部屋』事件の犯人が兄であると告発することもなく、沈黙し。
卒業し、ヘブリデス諸島に引きこもり。決別できた、と思っていた。
逃げられた、と思っていた。だが、兄はやってきた。仲間を連れて。
お前を迎え入れてくれた、大事な一族を滅ぼされたくなければ、と。
諸島を人の住まぬ地にしたくなければ、と。
逃げられるわけがなかったのだ。その場で追い返したとて、またやってくるに決まっている。隙をみてマクファスティー一族をひとり、また一人と殺しただろう。ロディアが根を上げるまで。
フェンネルは胸元を握りしめた。痛みとともに、きつく。
ロディアは屈した。
そうして、胸に印を刻まれた。心臓の真上に、黒々とそれは躍っていた。
髑髏と蛇。闇の印。
元は……ただの落書きだった。兄が描いていた「強そうな印」。孤児の、他愛のないお遊び。
『こういう印を付けて』
僕のものだってわからせるんだよ。盗み取った品々に、そう言って兄は印を描いた。ロディアは横目でそれをみて、顔をしかめるだけだった。人のものを盗みたがる兄。どうにかこうにかこっそりと、元の持ち主に返していたロディア。
『なんでだ』
ロディア。
兄はロディアを詰った。同じ顔をしていて、眼の色だけ違って。
『群れてこそこそしているやつらから、借りただけだ』
僕らは二人きりなのに。あいつらはずっと群れて、楽しそうで、だから。
だから、借りてなにが悪い……。
僕らは孤児で、双子で。双子だから食費がかさむだの言われて。邪魔者だと思われているのに。
お互い以外、なんにも持っていないのに。
恵まれない孤児。だからなにをしても許される。
特別な血を持つ者。なのに貧しい孤児。
優れた者。だというのに「純血」たちに下に見られる。
穢らわしい血が半分流れているだけ。
なのにほかの混血は、幸せそう。
羨ましくて、焦がれるようで。
不公平だと思って。
――きっとその果てが
ヴォルデモートという大悪なのだ。
「フェン?」
細い声。フェンネルはゆるく首を振った。軽く弟の背を叩き、立ち上がる。さあ、ガレージを開けるという仕事がある。真夏の夜。凍死はしないだろうが、まさか道ばたで寝るわけにもいかない。それにあの女の処理を終えた、魔法事故リセット部隊が「生き残った男の子とその兄」を保護してくれるかもしれない。なんにせよ、屋根の下で時間を潰した方がいい。
警告はまだ届いていない。そこにどういう理由があるかは知らない。もしかして、ポッター兄弟が特別功労賞を授与されたことに関係しているのか、否か。
服の上から、軽く腕をさする。固い感触にしばらく触れた。特別功労賞の盾がいくつか増えた。そして一つ減ったのは、少し前のこと。嘘で塗り固められ、一人の死人と一人の罪人を踏みつけた果てに、偽物の英雄が手にしたぴかぴかの綺麗な盾。木っ端みじんにして、塵も残さず消し去って、フェンネル――ロディアは大変すっきりした。
なんでも壊して終わり、消せば終わりだったら楽なのだが。なにせフェンネルは子どもで、弟も子ども。保護者が必要だが、ろくでもないマグル一家。情けないことにガレージをこじ開けるという、こそ泥のような真似をするはめになっている。
――どうせ
魔法省に保護されたとして、家族のところにお帰りと言われるだろうな。マグルも魔法族も「理想の家族の形」があるのだ。仲睦まじい、両親が揃った家。子どもの家出はただの癇癪。落ち着けば寂しくなって、帰りたくなるさ……。
子どもは親のもとにいるのが一番だ、と。
孤児院のほうがマシだった。本当に、ダーズリー家よりはよほどよかったろう。
ハリーはあの兄と違って盗癖はないし『秘密の部屋』を開けて遊ばないし、俺様はヴォルデモートなんて言わないし、実に可愛いではないか。ロディアが死んだのは少なくとも兄が『名前を言ってはいけない例のあの人』なんて言われる前だった……と思う。ヴォルデモート、闇の帝王と囁かれてはいたが。本当に、どうしようもない兄である。
今世の弟ならば、二人で孤児院に入っても、そう悪いことにはならなかっただろう。なんとかやっていけたと思う。
過去のことより寝床の確保、と杖灯りをともす。柳に一角獣の毛のそれ……かつてロディアのものだった――を掲げ、向かいのガレージへ踏み出した。ちょうどそのとき、金色のニーズル、ロビンが鳴いた。
「……なにか、」
いる、と弟が呟く。フェンネルは眼を細めた。杖灯りに巨大な影が浮かび、さっと消えた。
「――犬?」
素早く横切った、という感じ。杖灯りに少し眼がくらんでいたから、しっかりとは見られなかった……。
ロビンをちらと見る。警戒の唸りを発しておらず、毛も逆立っていない。
死神犬、というわけでもなさそうだ。フェンネルは振り返る。
「ただの野犬――」
だろう、と言い掛けた時。巨大な何かが眩しい光を放って――。
飛び退いたその場所を、一対のタイヤが踏みつけた。
「僕はロジャー・デイビース」
こっちは弟のネビル・ロングボトム。しれっと嘘を吐き、フェンネルは夜の騎士バスに乗り込んだ。弟の手を引っ張るようにして、乗り込ませる。かわいそうに、弟はフェンネルがぺしゃんこになりかけたことで、心的外傷を負ったらしい。
疲れる夜で、感情が乱高下した夜だった。その上、兄がバスに撥ねられかけられれば、青くもなる。
弟よ。お前はうっかりしているが。
お前も僕も魔法族なんだぞ。
バスに撥ねられても、せいぜい骨折くらいで済むさ。まあお兄ちゃんもびっくりしたが。
ロンドンまでいくらか訊いて、二人分の料金を払う。どうやら寝台車らしい。
ロディアはロンドンの孤児院出身で、夜の騎士バスに縁がなかった。マクファスティー家の養子になってから居を移し、新学期や帰省は先に荷物をホグワーツに送り、ドラゴンに乗って諸島から本土――北方沿岸へ移動。そこから箒で城へという経路が主であった。わざわざキングズ・クロスへ移動するのが手間だったのだ。なるべく兄と顔を合わせたくなかったせいもある。
『秘密の部屋』事件の後、長期休暇の時にディペット校長は快く「特別措置」に頷いてくれた。窓の外からドラゴンが校長を見ていたからかもしれない。
ああ、ドラゴンがいればなあ……ダーズリー家を燃やせるのになあ……と他愛もないことを考えつつ、寝台に潜り込む。お兄ちゃんはもうくたくただよ。
通路を挟んで向かいの寝台に手を振った。
「おやすみ、ハリー」
フェンネル・ポッター
ハリー・ポッターの双子の兄。黒髪に緑の眼。二卵性ゆえにあまり似ていない。
レイブンクロー生。正式名はフェンネル・エムリス・ポッター。
稲妻を印されなかった者。
前世はトム・マールヴォロ・リドルの双子の弟。
杖は柳と一角獣の毛。前世の己の杖である。
ロディア・マクファスティー
トム・マールヴォロ・リドルの双子の弟。ひとつ胞の弟。
正式名はロディア・オミニス・マクファスティー。
元の姓はリドル。ドラゴン使い一族の養子になり、マクファスティー姓となる。
黒髪に緑の眼だったが、銀髪に変じる。スリザリンの血が表に現れたが故の変化である。
占者。時の神の僅かな恩寵を賜りし者。
優れたドラゴン使い。馴れぬと言われるドラゴンと触れ合えるもの。
竜の繰り手。竜騎士の称号を持つ。銀の槍『天高く』の主。
ひとつ胞の兄によって殺害された。