【完結】Pandora   作:扇架

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四話

「ニンバスを持っているだろう?」

「わかってる」

「それとも2000じゃ不満なのか」

「そうじゃないよ」

 夏の昼間。家出の翌日。ダイアゴン横丁はクィディッチ用品店。ショーウィンドウ前。フェンネルはぼうっと立ち尽くしている弟をちらりと見た。フェンネルと同じ緑の眼は、美しい箒に向けられている。陶然と――まるで恋をしているように。

「でも、でも……」

 あんなのを見ちゃったら、と弟は呟く。フェンネルは腕を組み『炎の雷(ファイアボルト)』を眺めた。国際試合級の、最高級箒らしい。確かに素晴らしい箒なのだろう、と思わせる。磨き抜かれ、整えられた箒は輝いている。眼を惹くものがあるが……。

「教科書と薬の材料とお前、ローブを駄目にしたんだから新調しないといけないだろう。どうせ背が伸びているんだから、替えなきゃいけないわけだけど。羽根ペンにインクに……」

 フェンネルは指を折る。ホグワーツの購買部で羽根ペン、インク等は買えるけれど、ダイアゴン横丁でまとめて買っておいたほうが安くつくだろう。ローブはどうだったかな。恵まれない子どもたちのための、お古のローブがあったと思うが。

 ロディアと兄はダイアゴン横丁で中古のローブを買って、何度かホグワーツにあるお古のローブをもらったものだ。学用品を買うお金もなく、もちろん学費を払えるわけもない孤児であったので、奨学金を活用した。持ち物はたいてい中古の品。羽根ペンや羊皮紙などの消耗品、それに杖は新品だった……。奨学金をやりくりして、後に新品のローブや教科書を揃えたものだ。

 今世のフェンネルだって、恵まれた育ちとは言い難い。ダーズリー家は「押しつけられた厄介者」どもにお小遣いなんてくれなかった。実の息子以下なのは仕方がないとして、扱いは酷かった。一応、飢えはしなかったがそれだけ。労働力その一、その二でしかなかったのだ。ダーズリー家が貧しくて、余裕がないならなにも思わなかっただろう。一つだけ言えることは、いとこか新品の服を着て、最新型のおもちゃを買ってもらっているのを見るのは辛かった。悔しいというよりもただ辛く、暗い気持ちになった。

 他人との差異に耐えられなかったのが前世の兄であろう。なんだか辛いという気持ちから、悔しさになり、嫉妬となった……。自分は特別だ、とよく言っていた。兎だってこうできるのさ、と。梁から首を吊り、ぶらぶらと揺れる影……かわいそうで、兄の隙をみて下ろしてやった。孤児院にいる子の、大事な兎だった。ロディアも魔法が使えたのだ。兄のように、やらかしていなかっただけで。

 かわいそうなことをした。兄は――ホグワーツに行く前から、おかしかったのだ。兎を殺すなんてと詰め寄っても兄は鼻で笑った。だってあいつが兎を飼っていて、僕が飼えないなんてずるい。ちょっと借りて、構おうとしたら懐かなかった。

 だから、お仕置きをしたんだ。

 お前だって、あの兎を可愛いと言っていたじゃないか? 二人のものにできたらよかったのにね。梁から下ろしたのはお前だな? そりゃあ、お前しかいないか。ぶらぶら揺れて、愉快だったのに。あいつが見つけて、悲鳴を上げればよかったのに。

 せせら笑い、兄は去っていった。がらんとしたそこ、梁から紐が垂れ下がる室で、ロディアは膝を突いた。ふわふわとして冷たい感触をそっと撫でた。謝りながら、その首に傷をこしらえた。そうして、狭い庭に置いたのだ。

 同じ屋根の下にいる仲間の悪意で死んだと悟るより、迷い込んできた野良猫に殺されたことにしたほうが、まだマシだろうと思ったから。

「――現実を突きつけないでよ」

 わかってるよ。ぼやく弟の声に、引き戻された。そっと息を吐く。

「フローリシュ・アンド・ブロッツと、薬問屋と……マダム・マルキンと」

「行くってば」

 弟は未練たらたらで『炎の雷』から視線を引き剥がした。今世の片割れは、ちょっと言って聞かせればちゃんと受け入れるというのに。

 前世の片割れ、ひとつ胞の兄は本当に、人の言うことなんて聞かなかった。なんなのだ、この違いは?

 むっと唇を引き結ぶ。くるりと踵を返し、歩き始める。隣に弟が並んだ。

「ねえ、怒ってる? 時間の無駄だって」

「お前が楽しそうにしてたから、いい」

 無邪気なものである。たぶん、ポッター家の資産をちょっとつぎ込めば買えないことはない。ジェームズ・ポッターとリリー・ポッター、旧姓エヴァンズの共有資産、すなわちポッター家の財は、フェンネルと弟に継承されている。両親は双子にひとつずつ、金庫を作っていたのだ。そして生前から少しずつ、ガリオンを分けていた。子どもたちの将来のために。彼らが殺され、ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターの共有資産は二分割され、子どもたちの金庫に納められた……。

 金庫一つでも相当なガリオンが詰まっていた。たかが一、二年で使い果たせるわけもなく、弟の金庫には『炎の雷』を買えるだけのものはあるだろう。残り数年のホグワーツの学費、学用品の購入費、成人したあとにダーズリー家で出て、家を探し……それか故郷だというゴドリックの谷に居を移すか……などなどを考えると、フェンネルは最高級箒を買う気にはならないだけだ。弟もぼんやりとだが将来について考えているようで、理性ではわかっているのだ。無駄遣いするべからず、と。

 ただ、憧れる気持ちを押しつぶすのは酷だった。だから、眼をきらきらさせてショーウィンドウを眺めることまで禁じようとは思わないし、怒るのも筋が違う。

 おそらく、ジェームズ・ポッターが継承したポッター家の資産に、リリー・エヴァンズ名義の金庫の中身、彼女がマグルの両親から譲り受けた資産……マグルの通貨を魔法界の通貨に換金したものが加わっているから、弟が想像するよりも遙かに「お金持ち」なのだろうと想像している。しかし、言う必要はないだろう。ウィーズリー家に倣ってガリオンくじにつぎ込まれても困る。

 そしてふと思い出した。「以前」の自分の金庫を。ロディア・マクファスティーの金庫は名義人死亡により、養母殿に「返還」されたろうな、といささか切なくなる。マグルの孤児院で育った身だ。自分の金庫など持っていなかった。マクファスティー家の養子となり、金庫の鍵を作ってもらったのだ。あれは嬉しかったし、少し申し訳なかった。養母は自分の金庫から、いくらかガリオンを移してくれた。成人して、少しずつ稼ぐようになって、金庫の中身を増やしていった。

 そして、ロディア・マクファスティーは消息不明となった。グリンゴッツの鍵を養母に返し、島を――ヘブリデス諸島を出奔した。何年も行方知れず。死亡と判じられているはずだ。金庫が文字通り凍結され、本人の永存が確認されなければ、しかるべき者に譲られる。誰も継承する者がいなければ、魔法省に納められる……だったか。

 明るい日差しに眼がくらむ。考えても仕方がないことを振り払うように瞬く。心配そうな弟に、どうにか言い訳した。

「僕が不機嫌そうに見えたとしたら」

 大通り、あちこちの店に貼られた「それ」をちらりと見る。

「ご親切なファッジが、ご親切にもあれこれ伏せているらしいからだ」

 真新しい、インクの匂いがしそうな手配書。虚ろな眼をした男がいる。シリウス・ブラック。十数人を殺した、凶悪犯らしい。『名前を言ってはいけない例のあの人』の配下。つまり、前世の兄の配下。魔法省がここまで警戒するということは、配下の中でも腹心の。

――死喰い人

 闇の印を賜った者ども。刻まれた者ども。ロディアも印されてしまったのだ。子どもの落書きに端を発した、くだらないものを……。

「でも、ブラックは逃亡中で」

 僕らに関係があるとは思えないんだけど。

「お前は生き残った男の子だ」

 フェンネルは返した。弟は鼻を鳴らした。

「変なの。あっちじゃあ」

 フェンが注目の的で、僕は目立たなかったのに。

「……それはそれ、だ」

 返事に困った。いとこのダドリーという厄介者とそのお仲間に絡まれていたのはフェンネルも弟も変わらない。確かに、フェンネルは目立っていたのだろうけれど。成績もよかったし、どうも容姿が整っているらしい。弟だって顔立ちは整っているほうなのだが。

 ひとまず、話を戻した。

「ファッジが僕たちが……いや、お前が消息不明になって泡を食った原因は」

 たぶん、シリウス・ブラックだ。

「勝手に脱獄しただけなのに? どこにいるかもわからないのに? たかが十三歳の少年を狙っているって?」

「その「勝手に脱獄した男の」のお陰でお咎めなしになったんだぞ」

 フェンネルはたしなめた。

 家出した「生き残った男の子」を捜索、漏れ鍋に当たりをつけて待ちかまえていた、魔法大臣の反応から推測しただけだ。ブラックの名に反応していたし、妙であった。ハリー・ポッターを無事に見つけることができて、安堵していた。フェンネルのことは「おまけ」であり、魔法大臣コーネリウス・ファッジはそのあたりの繊細な機微に配慮しようともしていなかった。フェンネルがただの十三歳の少年ならば、さすがに傷ついていたかもしれない。

 「生き残った男の子」とおまけの兄、埋めようのない差異はどうでもいいのだ。問題は一少年のために、魔法大臣が直々にお出ましになったことだ。本来ならばありえない。ポッター家の兄弟は魔法大臣の子息でもなんでもない。ただのマグル育ちの孤児である。ハリー・ポッターが「生き残った男の子」であること以外は。

 それにしたって、である。どうもフェンネルたちをダーズリー家に預けるもとい押しつけることにしたのはダンブルドアらしい。つまり、ポッター家の兄弟の身柄はダンブルドアの管轄だ。魔法大臣の反応は過剰であった。大事な大事なハリー・ポッターが今にも殺されるのではないか、と思っているように。

 たぶん、見張りの一人や二人がいるんだろうなあ……と視線をさまよわせる。魔法警察か、闇祓いか。監視兼護衛がいても驚かない。シリウス・ブラック捕縛に大多数を動員しているとしても、ぎりぎりハリー・ポッターに付けられるだろう。

 今更、シリウス・ブラックが「生き残った男の子」を狙う理由がわからないが。考えたところで仕方なし。世の中にはわからないことが多いのだ。

 ダイアゴン横丁を一巡りし、ポッター兄弟は漏れ鍋に戻った。夕食を食べ、兄は十号室に、弟は十一号室に姿を消した。

 フェンネルは教科書の包みを解き、新しいローブを洋服掛けにかけ、薬問屋で買った材料を確認し、羊皮紙の包みや羽根ペン、インク壷を窓辺の机に置いた。古びた椅子に腰掛け、壁の姿見に眼をやった。

 少し眉を寄せた、黒髪の少年がいる。眼は緑色。顔立ちは端正だ。切れ長の眼が鋭く光っている。

 ハグリッドが兄弟に贈った両親のアルバムを思い出す。今は弟が持っているそれ。ジェームズ・ポッターとリリー・ポッターの生前の姿を封じ込めていた。写真の中では永遠に、二人は幸せだった……。

 ハリー・ポッターは父のジェームズに似ている。フェンネルは似ていない。髪質も、顔立ちも。かといってリリーに似ているかというと首を傾げざるを得ない。眼の色は確実に母親譲りと言われている。

 鏡の中の少年が、少し笑う。苦いものを口に含んでしまって、どうしようもないから笑ってみた、とでもいうように。

「面倒なことになるかも」

 隔世遺伝というやつだろう。ポッター家に血が伝わっていてもおかしくない。フローリシュ・アンド・ブロッツ書店で最新の家系図を取り扱っているかは知らないが、手に入れておけばよかったのかもしれない。学校に戻ったら即座に調べよう。

 フェンネル・ポッターの容姿はブラック家の血を偲ばせる。なぜ断言できるのかというと、ロディアはブラック家の者と会ったことがあるからだ。兄はあちこちに顔を出し、ロディアもなし崩しに同行し、ということがよくあった。「お仲間」の縁者という体で社交界を泳ぎ渡っていたのだ。ブラック家に招かれたこともあり、もてなされたこともある。兄はすぐにでもブラック家を引き込みたかったようだが、ロディアが待ったをかけた。自称王族は誇り高い。いくらスリザリンの末裔を自称しようが、あくまでも自称でしかない。ブラック家のような伝統と格式を私たちは持っていない。いくつかの純血――貴族家には膝を折らせた。それでも足りない。

 そう、諭した。学生時代の「お遊び」の輪の中に、何人か名のある貴族家の者がいた。ロディアは知る由もなかったが、兄はホグワーツでじわじわと勢力を築いていた。その輪の中に入っていない者がいた。慎重で用心深い二人。ブラックとマルフォイ。

――せめて

 マルフォイに膝を突かせてからだ、とロディアは囁いた。できれば永遠に、のらりくらりとマルフォイが逃げてくれればよいと思っていた。最終的に自称王族ブラック家まで、兄の配下になれば目も当てられない。ヴォルデモートを止める者などいなくなる。純血主義が主流になってしまう、と危惧したのだ。

 結局、ブラック家の者の中から闇側に「転ぶ」者が出たようだけど。自称王族のくせに「自称」スリザリンの末裔を名乗る狂人に膝をつくなど。なにが純血主義だよ、とフェンネル――ロディアは毒づいた。

 いささか混乱している思考を持て余し、頭をかきむしる。さらさらと髪がこぼれる。いちいち自分の容姿を気にしなかった。兄弟が似ていないなんてざらにある。双子とはいえ二卵性と聞いていたし。鏡を見て悦に浸る趣味はない。

 よりにもよって、ブラック家寄りの顔をしているなんて、誰が思うか。血の悪戯にしたって酷すぎる。

「リリー・ポッター」

 今世のお母さん。

 フェンネルは囁いた。

「あなたの名誉も、お父さんの名誉も守るから」

 鏡の中のフェンネル・ポッターの顔色は、真っ青であった。

 なぜならば、かつてトム・マールヴォロ・リドル、ヴォルデモートの弟だった彼には、時の神のささやかな恩寵があったから。

 どこかの未来で言われるのだと知っている。疑われるのだとわかっている。

 ポッター家の双子の兄が、実はシリウス・ブラックの息子ではあるまいか、と囁かれることを。

 

 

「ロンとハーマイオニーと離れないように。透明マントは持っているな?」

 九月一日。キングズ・クロス駅のホームで、フェンネルは弟に囁いた。ウィーズリー一家、それとハーマイオニーは少し先を歩いている。アーサー小父はしきりにこちらを気にしているようだったが、フェンネルはなにも気づかないふりをした。傍目には兄弟――似ていない双子がおしゃべりしているようにしか見えないだろう。

「特急にシリウス・ブラックが乗り込むとでも?」

 弟は小さく笑った。

 昨日、ウィーズリー夫妻の会話を立ち聞きしてしまった弟。シリウス・ブラックが自分を狙っているのはほぼ確定、と判明した弟。しかし、あんまり気にしていないらしい。剛胆なのか呑気なのか。

 マグル界から魔法界に放り込まれ、生き残った男の子と呼ばれ、継承者の疑いをかけられ……の波乱続き。挙げ句に凶悪犯に狙われているらしい弟が、か弱いとは思っていない。そもそも、ダーズリー家での日々で心が折れなかった時点で、強靱な魂の持ち主だろう。いくらでもひねくれて、世を拗ねて、斜めに見てもよかったのに、おおむね……この言い回しはあまり好かないが――まともだ。

「稲妻形の傷には価値がある」

 フェンネルは弟の額を指で弾いた。小気味よい音がして、弟が呻く。

「ヴォルデモートにお前の首を「献上」したがるやつがいても、不思議はないんだよ」

 ただの傷なのに……と弟はぼやく。

 そりゃあお兄ちゃんだってただの傷だと思いたいよ。残念ながら、ただの傷ではないようだ。

 傷跡のあるあたりをぐりぐりと指で押す。弟は蛇語が話せる。ポッター家に現れた突然変異、祖にサラザール・スリザリン……その末裔が誰ぞいて、たまたま先祖返りした、ということもありえなくはない。千年前から現在までの系譜を確かめたとて、それが正確なものかも不明。貴族の系譜は複雑に絡み合っている上に、純血に拘る連中はマグルやマグル生まれと婚姻していたという事実を、抹消しているものだ。ポッター家にスリザリンの血が入っていないとは言い切れない。

 ただ、サラザール・スリザリンの直系とされていたゴーント家は、相当に血が濃かったようだ。「父親探し」をしていたらしい前世の兄に、僕らはスリザリンの末裔だったんだと明かされ……ロディアは嫌々ながら、系譜を調べた。『秘密の部屋』を開け、ホグワーツを恐怖に陥れた挙げ句に一人の生徒を始末し、一人の生徒に罪を着せたろくでなしを生み出した血筋である。まったく好感を抱けなかった。

 図書館の、忘れ去られたようにある一角から兄が見たであろうそれを引っ張り出した。いわゆる貴族の系譜をまとめたもの。『純血一族概論』。単に貴族録、魔法界家系図と呼ばれることもあるようだった。

 マールヴォロの名がそこにはあった。超純血主義のゴーント家の魔法使い。彼には子どもが二人いた。モーフィンとメローピー。

 索引を見ても、リドルという姓はなかった。

 トム・マールヴォロ・リドル。最初の子に、自らの夫の名を付けてほしいと言った母親。自らの父の名を付けてほしいといった母親。夫がトム・リドル。父親がマールヴォロ。

 兄の幻想は打ち砕かれた。父親は「特別」ではなかった。母親こそが「特別」だった。メローピー・ゴーントが、彼らの母親が魔女であった……。

 同族としか交わらない、近親婚を習いとする狂った一族の色濃い血を、双子に伝えたのである。

 恐ろしく濃い血があればこそ「穢れた血」が半分混ざっても、蛇語の能力を発現させた。

 ポッター家にスリザリンの血が混じっていたとしても、薄いはずだ。蛇語の能力を発現させるに至らないだろう。先祖返りも考えにくい。

 では、なぜ弟が――ハリー・ポッターが蛇語を話せるか。棚上げにしていた問い。

 バジリスクを倒し、トム・マールヴォロ・リドルを消滅させ帰還した双子に、ダンブルドアは言った。傷跡がヴォルデモートの力の一部を伝えてしまったのだろうと。

 弟は納得していた。ロディアは納得していなかった。あれがただの記憶とは思えなかった。

 日記帳。独り歩きする影。ジニー・ウィーズリーへの憑依。つまり、トム・マールヴォロ・リドルが彼女の内に潜んでいた。蛇語の能力は肉体ではなく――とまで考え、つきりと頭の芯が痛んだ。拍子に、弟から指を離す。痛いなもう、と弟は額をさすっていた。

 モリー小母に抱きしめられ、フェンネルは特急に乗り込んだ。弟一行と別れを告げ、友人たちと合流した。

 ありがたくも、友――アンソニー・ゴールドスタインは、フェンネルにこうおっしゃられた。

「……君がシリウス・ブラックの息子だって噂が」

「みんな大好き、誰かさんの噂」

 ありがたくも、板チョコを受け取り、フェンネルは天を仰いだ。おっと、ポッター兄弟の知らぬ間に、社交界に野火のように広がっていたと。

「フェンネル・ポッターが実はシリウス・ブラックの息子では」説。ふざけているのか。

「弟のほうとは似ていないけど」

 でも、飛躍しすぎじゃない。早速とばかりに板チョコを手で割り、パドマ・パチルが言う。「待てパドマ、それは親が持たせてくれたもので。遠足のおやつじゃないみたいなんだ」とアンソニーが言うのも無視であった。

「綺麗な顔をしているとは思ったけど」

 パドマ、相変わらずの無視である。向かいの席に腰掛けた彼女に見つめられ、フェンネルは呻いた。あんまり嬉しくないものである。前世でも「綺麗な顔」と言われていた。双子の兄と、そっくりな顔。鏡写し。

「僕、母親が浮気したとか思いたくないんだけど」

 ため息を吐いた。肩が落ちた。俯きもした。そういう噂が流れるだろうとは覚悟している。ただ、気持ちは沈む。なにせ前世の母親は家を出て、マグルの男と駆け落ちした。兄は「穢れた血」の父親が「魔女」の母親を捨てたと思っていたようだが、事実は逆であろう。母親は魔女だった。マグルの男なんてどうにでもできた。偽りの愛は破綻した……。

 今世の母親がろくでなしだのあばずれだのなんて言われると考えただけで、最悪だ。リリー・ポッターはメローピー・ゴーントと違って、まっとうな人だったろう。弟への守護がその証。命を犠牲にした、古い魔法。原始的な祈り、願いだとロディアは知っている。兄ならば鼻で笑う類のものだ。愛など、犠牲などと。そんなもの、くだらないと。

 嘲笑していたそれに、見事してやられたのが兄である。どこまでも愚かだ。

「……親が言っていたけど」

 君、そんなに若い頃のブラックと似ていないってさ。

 慰めるようにアンソニーが言ったとき、コンパートメントの戸が勢いよく滑った。

「ちょっとフェン聞いたか? 君、ブラックの息子説が……」

 安心しろ、ここにブラックの写真がある!

 高らかに言ったのは二つ上のレイブンクロー生、ロジャー・デイビースであった。わざわざ写真を入手して、持ってきてくれたと。いい人なのだが登場が派手である。だからこそのロジャー・デイビースである。

 相変わらずの彼に、フェンネルは脱力した。どうぞ、とパドマの隣を示せば、ロジャーは身のこなしも軽やかに、腰を落ち着けた。

「……で、先輩調べでは」

 どこまで、と問いかける。ロジャーはにっこりした。

「元々、ポッター家とお母君については調べていた」

 驚くまい。

「素晴らしい。飛び手の才能があるお家のようだね」

 弟がああだし、まあそうであろう。

「父君はチェイサーだった」

 それは先学期、クソ忌々しい「特別功労賞」の盾を破壊したときに知った。クィディッチ杯に名があったのだ。

 パドマとアンソニーは「フェンを引き入れるための下調べか……」と呟いた。フェンネルは聞かなかったことにした。今はロジャー・デイビースという情報通の助けが必要なのだ。

「結論から言うと」

 ロジャーが写真を差し出してくる。見てみれば、卒業式の写真のようだ。グリフィンドールの集合写真。赤毛に緑の眼の母親と黒髪に榛の眼の父親が最前列の真ん中にいる。どうやら二人ともグリフィンドールの首席であり、その代の最優秀者、全校首席……総代だったようだ。

 そして父親の隣には黒髪に灰色の眼の男がいる。ブラック家の血筋を色濃く継いだ顔。これがシリウス・ブラックか。

――いや待て

 ブラック家の者が、グリフィンドールだと? ロディアの後の代、フェンネルの前の代にそんな椿事が起こっていたと。驚きはするが、今回の一件には関係ない。ふっと息を吐き、己の顔と若い頃のシリウス・ブラックの顔を照合する。似てはいるが、親子というほどではない。

「君たちの父方の祖母がブラック家出身」

 ちなみにシリウス・ブラックの祖母の姉妹。つまりポッター家と繋がっている。

「ありがとうございます」

 僕と似ているかどうなのか、とアンソニーに写真を渡す。彼は「やっぱりそんなに似ていない」と太鼓判を押し、パドマに写真を回した。彼女はフェンネルと写真を見比べて「赤の他人とは言い難いけど、親子ってほど似ていない」と頷いた。

「ちなみにドラコ・マルフォイは不愉快だと言っていたよ」

 ロジャーの情報開示は続く。フェンネルは感心した。聞き込みするならスリザリンが一番だろうとも。なにせブラック家はスリザリン系であるし。

「なんでポッター兄が注目されているんだとか?」

 投げた問いは、思わぬ方向に打ち返された。

「と、いうか彼の母君がお怒りらしくってねえ。爪弾きのろくでなしとはいえ、ブラック家の者に不義密通の疑いがかかるのは許し難い、と」

 シリウス・ブラックはぼろくそに言われていた。しかも不義密通って。あまり子どもに聞かせるものではない語では。

「……ああ」

 アンソニーがぽんと手を叩いた。

「そうか、マルフォイ夫人はシリウス・ブラックの従姉だったか」

 怒りもするだろう。面白がって噂を流した誰かは、ポッター家に傷を付けたかったのかもしれないが。ブラック家まで侮辱することになっているわけだ。

「ねえ、死喰い人を輩出しておいて、それはどうなのかしら」

 パドマが口を挟む。アンソニーはため息を吐いた。名門の出で、ロディアの時代でも闇祓いを輩出していた。貴族社会に詳しいのだ。

「それとこれとは別。言ってしまえば、たいていの純血家系――特にスリザリンの系統は死喰い人を出してしまっている」

 フェンネルはなにも言えなかった。すまないうちの兄が。本当にごめん。でも、レストレンジとかエイブリーとかノットとかロジエールとかが既に兄のほうに転んでたんだ。どうしようもなかったんだ。

 奇妙な罪悪感に胸を刺されつつ、フェンネルは小さく手を挙げた。

「こういう噂ってどういう対処が最善でしょう、ロジャー先輩」

「僕にそう訊くってことは、新聞部に口利きしてほしいんだろう?」

 新学期第一号。疑惑まみれのフェンネル・ポッターとか。

 さらりと言われ、歯を食いしばりながら頷いた。さっさと「シリウス・ブラックの息子説」を打ち消したいのは確かなのだが。できることなら目立ちたくはなかった。本当に。

「お願いできますか?」

「いいよ。君がチェイサーになってくれるんならね」

 大丈夫さ、箒カタログを持ってきているからね。にっこり笑ったロジャーの顔を殴りたくなった。

 ひとまず、解決の目処は付いた。隔世遺伝の出所もはっきりした。もう、フェンネル・ポッターの「三年生編」終了の感があった。

 とんだ勘違いであったし、フェンネルもといロディアは平和ボケしていた。

 シリウス・ブラックは未だ逃亡中。どうやらハリー・ポッターを狙っているらしい。魔法警察、闇祓いが動員されていて。

 吸魂鬼が遣わされないわけがなく、穢らわしい闇の徒が。

 おいしそうな獲物がたくさん詰まった特急に、乗り込まないわけがなかったのだ。

 中でも、とびきりおいしそうな獲物に、飛びつかないわけがないのだ。

 傷つき、絶望し、闇をたっぷりと湛えた魂に。

 

 

 暗闇がそこにはある。月は隠れ、星は翳り。風は朽ちて……。

 ぼう、と浮かぶのは紅の色。二つの、穢れた星。

「な、ぜ……」

 ぜ、と息を吐きながら、問う。どこもかしこも痛む。なにもかもが痛む。

 やることがある、と連れ出されこんな有様。ひとつ胞の弟を穢し、ひとつ胞の兄が笑う……笑ったのだろうと思う。

 灼熱の痛みに貫かれる弟を、あざ笑っている。

「お前が言い始めたんだぞ?」

 ロディ。

 なにが、と瞬く。ぽろりと涙がこぼれた。泣こうが叫ぼうが、兄はやめてくれなかった。磔刑の呪文をかけて弱らせて、誰よりも濃い血を分け合った者を穢し続けている。最大の屈辱を与え続けている。仄かな、魔法灯の光が今の彼を照らさないことを祈る。己が姿を目にしたくなどない。こんな……無様で……惨めな……。

「俺様なら、一番を目指せると」

 鈍い音。喉の奥から悲鳴が漏れる。掠れ、ひび割れ、壊れかけた、音の残骸。

 視線をさまよわせる。答えを求めるように紅の眼を見た。その眼はどこまでも澄んでいた……だというのに底が見えなかった。

「あんなの、」

 子どもの、戯れ……。

 切れ切れに返す。ぼんやりと、古い記憶を思い出す。小さな小さな頃の記憶。将来の夢。クリスマスだったか。お願い事を書いて……夢を書いて、貼りましょうと……。紙には適当になにかを……。

 それで、二人で話したのだ。本当の夢を。

『僕は』

 君がつまらなさそうな顔をしているから。そうでなくなればいいな。ロディアはそう言った。双子の片割れはいつだってそうだ。つまらなさそう。不満そう。楽しくなさそうだった。

 それは自分の願いなのか、と片割れは言った。願いを言えよ、と畳みかけられ、囁いた。

『誰にも見下されずに』

 誰にも孤児なんて言われずに生きていかれたらいいね。

『高いところから見る景色は』

 とても綺麗だろうね。

 他愛のない夢。ささやかな願望。片割れが鼻で笑いそうな、ちっぽけな祈り。

『じゃあ、僕が連れていってやる』

 僕が一番になって、連れて行ってやる。首相にでもなって、みんな召使いにしてやる。

 兄らしい、と彼は笑った。首相だってさ。孤児が英国の天辺に立つなんて。大胆で、野心的。子どもの夢。

 連れて行ってやると言ってくれたことが嬉しくて、彼はこう返した。

 トムなら一番になれるさ。

 そしたら、僕は首相の弟か。さすがに王様の弟は無理だものね。

 そのとき、たしかに彼は夢を見た。首相になって「いい政治」をして、首相閣下万歳、と言われる兄の姿を。

 そうなればいいなあ、きっと誇らしいことだろう……。

――幼い夢だった

 そのはずだった。なのに。

 なにもかもが凍り付いた気がした。馬鹿な。ありえない。彼が願っていたのはこんな兄ではない。

 こんな、闇の道ではない。

「頂に立ち、純血どもをひれ伏させ」

 混血どもを支配し。

 穢れた血を浄化し。

 俺様たちの出自など誰もが忘れ。

「王と讃え……神のごとく崇め……」

 連続した痛み。身体が跳ねる。呻く気力もない。

「お前は、王の弟となり」

 高みから共に、すべてを見下ろすはずだったのだ。

「だというのになんだ?」

 リドルの姓を捨て、ドラゴンに心を寄せ。

 『秘密の部屋』を開けても、俺様のことを誇らない。穢れた血を殺したことを詰る。半分の穢れた血を庇い、小鬼との混ざり者を庇い、半巨人を気にかける。ドラゴンに乗せてやっただって? ふざけるな。俺様のことは乗せなかったのに。

 挙げ句に逃げた。離れようとした。正しい道に引き戻したのに。

「お前はずっと、悲しそうだ」

 頂に至れるというのに、なぜだ。

 純粋な問いかけ。無邪気な呼びかけ。

 心底、疑問に思っているような。

 心底、怒っているような。

「決めたのだ」

 俺様は。お前を永遠のものとすると。

 熱が離れる。ぐん、と四肢が伸びる。手のひらと足が。

 地に縫い止められた。

 壊れた叫びがほとばしる。

 違うのだ。そうではなかったのだ。言おうとして、果たせない。すっと銀色が過ぎる。赤いものが飛沫く。

 声が失われ、響くのは空虚な風の音だけ。

 失われた声で呼びかける。

 違うのだ。私が本当に願ったのは。

 穏やかに暮らせればよかった。ひもじい孤児でなくなればよかった。別に誰も支配なんてしたくなかった。

 一緒に養子になろうと言っても嫌がったじゃないか。誰かの下につくのは嫌だと言ったじゃないか。ドラゴンの背に乗るかと言っても、気に入らないようだったじゃないか!

 私が見せたかったのはきっと。

 天を翔ける王の背から見た、あの美しい景色だった。

 私が見たかったのはきっと。

 魔法大臣になって、皆に讃えられるお前だった!

 

 叫びは届かない。嘆きは虚空に吸い込まれ。

 ロディア・オミニス・マクファスティーの生は。

 屈辱と、穢れにまみれ。

 絶望に染まり。

 闇夜の祝祭の中で摘み取られた。

 

 ひとつ胞の兄に、殺された。

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