【完結】Pandora   作:扇架

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六話

 空には満天の星々が輝き、流星が弧を描いて落ちていった。

 ダンブルドアも粋なことをする。大広間の天井は空を透かし見るためのものだ。『ホグワーツの歴史』によるとゴドリック・グリフィンドールがそのように魔法を仕掛けたらしい。だが、ダンブルドアは少し天井に手を加え、美しい星空を映した。動揺し、怯えている生徒たちのために。十月三十一日ハロウィンの夜、死喰い人がホグワーツに侵入し、行方が分からないとなれば当然怯える生徒だっている。

――彼の弟は

 フェンネル・ポッターの弟、ハリー・ポッターは隣で熟睡しているが。なんというか、昔から弟は……図太いところが……。そうでなければダーズリー家で「健やかに」育たなかったろうが。いやしかし、弟よ。お前は当事者なのでは?

 ハロウィンの宴が終わり、生徒たちが寮に戻ろうとした途中、大広間に戻るようにと通達があった。そうしてこうなっている。今夜はここで寝るようにと言い渡され、ちょっとした非日常が展開された。一部の教師や監督生が大広間に残った。一方でゴースト、教師、首席と監督生は駆り出され、死喰い人シリウス・ブラックの捜索に当たっている。

 フェンネルはレイブンクロー組に混ざって寝るつもりだったのだけど、ハリーに引っ張られるようにしてグリフィンドール組に入れられた。せっかくだから兄と隣で寝たかったようである。あとは、現場の様子を伝えたかったらしい。かくかくしかじかで聞いたところによると、シリウス・ブラックはナイフを持っていたらしい。『太った貴婦人』と押し問答をしていたらしい。そして逃走したらしい。『太った貴婦人』は動揺している、とのことだ。ハリーも直接現場を見たわけではなく、又聞きなのだけど。

 実際に遭遇していなければ、弟が危機感を覚えるわけがない。よって熟睡もできるというわけだ……と、すやすやと眠る親愛なる弟をちらりと見た。マージョリー・ダーズリーの一件ですっかり吹き飛んでいたが、フェンネルはバーノン叔父に交渉するつもりだった。もう一室ほしいと。つまり、双子を一室に押し込めるな、と。

 双子は十三歳。どんどん成長していくわけで、室は手狭になる。弟はいろんなこと――年相応のあれこれ――に興味が出てくるだろうし、私的領域は持ちたいだろう。たとえ年一度赴いて、少し滞在して出て行くにしろ。フェンネルだってダーズリー家が貧困層で、狭い狭い借家暮らしならばこんなことは考えなかった。しかし、ダーズリー家には室が余っている。そのことをフェンネルは誰よりも知っている。家中を掃除して回っているのは誰だとお思いだ、である。オンボロの自転車で買い出しに行かされ、消費期限ぎりぎりのお買い得品を買っているのは誰だとお思いか。掃除も買い物もフェンネルのほうが上手らしいので、そのあたりは彼の分担になっている。弟は風呂掃除とか芝刈りとか、洗濯が主である。料理は双子が交代で作っている。客観的に見て、双子の家事遂行能力は高かった。

 そんなわけで、フェンネルは一室をせしめようともくろんでいたのだ。マージョリー・ダーズリー襲来により、それどころではなくなったが。

 次の夏こそ室をせしめてやろう。流れる星に真摯に祈る。プリベット通りがマグルだらけのマグル地区でなければ、服従の呪文を使ってちょちょいのちょいだったものを……という邪心を封じ込めた。

 妙に眼が冴えてしまい、フェンネルはひたすら星空を見上げた。シリウス・ブラックはとうに逃げているだろう。彼はホグワーツで学んだ卒業生である。隠れ場所や逃走経路は熟知しているだろう。たとえ杖なしでも、魔法が使えないわけではない。ホグワーツは広く、侵入が発覚したのは彼が逃走したあとだった。

――なぜ寮だったのか

 ひとつの問いに行き当たる。シリウス・ブラックはハリー・ポッターを狙っているとされている。彼はアズカバンで「あいつはホグワーツにいる」と呟いていたらしい。標的がいるのは明らかで、それが生き残った男の子、ハリー・ポッターだとすれば、寮に侵入を試みるのは平仄が合わない。今日が何日か分からないような愚か者ではないだろう。よしんば失念していたとして、ホグワーツに漂う甘い匂いで気づいたはずだ。寮にハリー・ポッターがいないとも察したはずなのだ。

 狂っているとされているシリウス・ブラック。頭がおかしかろうと、アズカバンを脱獄できるだけの能力は有していた。それに狂気は知能を曇らせる、と一概には言い切れない。

 フェンネルは――かつてのロディアは実例を知っている。

 純血のゴーントとマグルとの間に生まれた混ざり子のくせに、マグル生まれを、マグルを淘汰しようとした愚か者を。できるわけがないというのに。

 己が一番になりたかっただけの男。きっと純血だろうが混血だろうが、マグル生まれだろうがなんだろうが、気に入らなければ始末するだけの男。混血でありながら純血主義を標榜し、スリザリンの末裔を名乗った男。

 どこまでも愚かな男――ロディアのひとつ胞の兄は狂っていた。

 そうしてひとつ胞の弟を殺したのだ。

 

「……僕はハリーに比べて」

 気にかけられていない。

 言って、黒い犬を撫でた。くん、と彼が鼻を鳴らしたので……なんだか悪いことをしている気になった。そうして慎重に言い直した。

「守りが薄いというほうが合っているかな」

 ぽんぽん、と犬の首あたりを叩いてやる。十一月のとある日。禁断の森、泉付近。稲妻を印されていないフェンネル・ポッターは、悠々と城を抜け出した。世間の皆様も、ホグワーツの連中もハリー・ポッターに夢中なのだ。シリウス・ブラック侵入が「生き残った男の子」を狙ったものであろうとおおっぴらに言われていた。

 フェンネルはただの兄である。しかもロジャー・デイビースが新聞部に口を利いてくれたお陰で「シリウス・ブラックの息子説」を否定する記事が出た。ポッター家の双子の祖母がブラック家の人間だった、と。それでひとまず、疑惑は黒に近い灰色から、うっすらとした灰色になったのだ。

「シリウス・ブラックが侵入しようがクィディッチはあるわけだ」

 ふう、と息を吐く。ロビンはどこかに出かけていて――どうやらおともだちができたようだ。ハーマイオニーの猫、クルックシャンクスと一緒にいるところをたまに見かける――泉の近くにはフェンネルと黒い犬だけであった。一人と一匹は並んで座っている。

「グリフィンドール対スリザリンのはず……なんだが」

 フェンネルは身を乗り出す。黒髪に緑の眼の少年が、水面に映る。黒い犬もひょいと顔を覗かせた。

 風が吹く。一人と一匹の像が揺らぎ、消えていく。

「なんとなくいやーな予感がするんだよなあ……」

 『塔』が見えるとはどういうことか。稲妻に撃たれた塔。正位置だろうが逆位置だろうが、よろしくない絵である。事故とか混乱とか、不運な状況とか。さすが我が弟。なんでこんなにトラブル体質なのか。まあ、スリザリンに敗北しても、お兄ちゃんが雪辱を果たしてやろうではないか。『炎の雷』に乗り、あのマルフォイを凍り付かせてやるとも。レイブンクローのチェイサーになり、どうせならと奮発して買ってしまったのだ。弟に言えばどういう反応をされるかわからないので伏せている。ロジャーは言いたくて言いたくて言いたくてたまらないようだったが、歯を食いしばりながら「試合当日『炎の雷』の衝撃で相手の動揺を誘うため」とレイブンクローチームに箝口令を敷いていた。

 後でタロットで占ってみるか、と呟く。水面の影だけでなく、きちんと占った結果であれば、なにやら弟の身に起こるようだ。

 わき腹をつつかれる。フェンネルは鼻を押しつけている黒い犬をちろりと見やった。

「……君を連れていこうか、パッドフット」

 犬は魔除けである。墓守。黒犬(ブラックドッグ)。彼は――パッドフットはぶんぶんと尾を振った。

「僕の言うこと、どこまで分かっているんだか」

 賢い犬である。なんとなく浮かんだ、パッドフットという名を付けた時なんて、眼を丸くしていた。おそらく無意識に「名前を付ける未来」を視てしまい、付けただけなのだが。あんなにびっくり顔をするとは思わなかった。

「なにもないといいんだけど」

 パッドフットに抱きついて、囁いた。少し苦笑気味に。

「でもね」

 ハリー・ポッターにはトラブルが付き物なのさ。

 この時、フェンネル・ポッターは知る由がなかった。

 弟が災厄に見舞われる兆しを見抜いた彼は。

 己に伸ばされる(かいな)を見通せなかった。

 幾本もの、腐ったような――吸魂鬼の魔手を。

 

 

 声を出すこともままならぬ。

 漏れるのは風の音のみ。

 助けを求めることはできず。ただ、その眸に闇と、紅の双つ星を映す。

「俺様は」

 高みへ至る。最も優れた者になる。

「そのためには」

 最も深い闇へと踏み入る。

 歌うような声。ひとつ胞の弟を穢し、屈辱を与え、四肢を地に縫い止め、喉を裂いた。にもかかわらずひとつ胞の兄の声は丹念につくられ、磨き抜かれた楽のようであった。彼も同じ声を持っている、そのはずなのに。

――なぜ

 美しいはずのそれは、これほどまでに歪み、壊れて聞こえるのか。

「七つ、だ」

 魔法数字の七。最も強い数字。七番目の子から生まれた七番目の子は強い力を持つと言い伝えられるように……。

 ひとつ胞の兄は、禍つ星を宿す男は歌う。いずこかにまします神に言挙げするように。(うけ)いするように。

「俺様は」

 禁忌を犯す。

 既に犯しているではないか。実の、ひとつ胞の弟を……このように……屈辱を与え……。

 彼は笑おうとする。兄を、歪んだ者を。だが、果たせなかった。

「ゆえに」

 七つに裂かねばならぬ。

「俺様は完璧な存在に」

 ならねばならぬ。

「死をも超える者に」

 歯が鳴った。裂く……死をも超える……七……。

 過ぎった記憶。とあるおとぎ話。荒唐無稽な……無謀な……正気ではない。

 ありえない。ありえてはならないことが起ころうとしている。彼をこのような有様にしたのは、単なる、怪物の憂さ晴らしではなかったのか。禁忌の箱(Pandora)を開けようとするなどと。

 戦慄が駆け抜ける。彼はただ、眼を見開くことしかできない。どこまでも無力。祈ることしかできず、その祈りすらも神は聞き届けてくださらないだろう。その耳を、両の手で塞がれることだろう。

「お前が名付けたのだものな?」

 死の飛翔、と。

 怪物が嗤う。どこまでも無邪気で、美しい笑み。

 どこまでも、残忍な笑み。

 ああ、と彼は吐息を吐く。嘆きは砕け、消えていく。

 彼は、己の末路を視た。

 ひとつ胞の兄によって、穢らわしい存在となる未来を。

 悟るしかなかった。

 祈りというものは、聞くものがあってこそ。

 そして彼の祈りはなんの意味もない。救いはもたらされない。

 穢れた者に。

 神の御手は差し出されぬ。

 

 祝祭が始まる。

 闇の祭りが始まる。

 

 

「まあなんだ」

 君もハリーも吸魂鬼の影響を受けるのは証明されている。

 レイブンクローの五年生、クィディッチチームのキャプテン、ロジャー・デイビースは呟くように言う。彼は寝台の脇机に積まれた品々を整理していた。手持ち無沙汰だし、落ち着かないしで動いていたいのだろうとフェンネルは放っておいた。グリフィンドール対ハッフルパフ戦から数日、フェンンネルは未だに床払いできずにいる。高熱は治まり、微熱になったものの、倦怠感にむしばまれ、ちょくちょくと嘔吐する有様であった。積み上げたクッションや枕にもたれ、半身を起こすだけで精一杯。脇机はそろそろ満杯で、雑然としていた。ロジャーが整理してくれるのはありがたい。

「ごめんね、か弱くって」

 ロジャーの手が、お見舞いの品――菓子、手紙、カード、玩具、本を分類していくのを眺める。彼は小机を引っ張ってきて、欠席中のノートを教科別に分けて並べ始めた。几帳面かつ流れるように。

「吸魂鬼は最悪の記憶を見せる」

 と、言われている。

 ロジャー・デイビースによる講義が始まる。彼はちゃらちゃらしているが、その実優秀であった。監督生でこそないものの、学業の成績は上位であり、情報通である。そして調べ物を欠かさない。

「君たちが体験したことは……一生分の恐怖に値するんだろう」

 か弱いなんてことはないし、誰だってああなる。根性とか精神力とかそいう問題でもない。廃人になっていても――と言い掛け、ロジャーは顔をしかめた。嫌な臭いをかいだように。

「――吸魂鬼の大半が君に向かっていったときは、終わったと思った」

 僕も、とフェンネルは返す。昏倒している間に叫んで、叫んで、叫んだようで、声は掠れていた。嘔吐したせいもあって酷い声であった。

 ロジャーじゃないが終わったと思った。かろうじて心を閉じた。守護霊の呪文を行使しようにもできなかった。ロディアだったときの己は、守護霊を出せたはずだった。それも――あの兄に攫われるようにして島を出てからは絶えた。幸せなどなかった……幸福など空に浮かぶ、遠い遠い星のようなものであった。手に掴むことなどできなかった。

 パッドフッドが吼えて、少しだけ吸魂鬼の勢いがゆるんだ。行け、と彼を蹴った。吸魂鬼の標的はあくまでもフェンネル。絶望にどっぷりと浸った、不幸な魂。またとないごちそうのはずだった。忠実なともだちは震えながらも側にいてくれた、と思う。墓場の黒犬。ブラックドッグは確かに魔除けになってくれたのだ

 そうして、気づけば医務室の寝台の上だった。もちろんパッドフッドはいなかった。無事に逃げてくれたのだろう。

「病人にこれを言うのは酷なんだが」

 ハッフルパフ戦に吸魂鬼が現れないとも限らない。

「できれば」

 守護霊の呪文を習得してくれたら……とロジャーが歯切れ悪く言う。フェンネルは舌を巻いた。五年生は普通魔法試験を受ける学年だ。守護霊の呪文は高等魔法試験級。つまり、七年生の範囲であり――闇の魔術に対する防衛術で触れられたかどうか、ロディアの記憶は曖昧だ。なにせ日常生活において必須の魔法ではない。五年生のロジャーが知っているということは、彼なりに調べたということだ。

 まさか既に知っています、使ったこともあります。前世のことですが、なんて返せるわけもなく、フェンネルはロジャーに教えを請うた。彼は謙虚に「僕もまだ試したことはないし、杖十字会の集まりでやろうと思うんだけど」と断り、守護霊の解説をした。吸魂鬼への対抗手段であること。実はレシフォールドという魔法生物の対抗手段でもあるが、これは割愛。幸福な思い出によって作り出すもの。形は人によって様々。

「有体の守護霊を作り出すのが一番だけど、これは難しいだろう。霞とか煙とかを出して時間稼ぎをするだけでもいい」

 対吸魂鬼の魔法具はあるらしいけれど高価でね。アズカバンの看守向けの道具だし。学生が手に入れるのは無理だろう。

 ため息を吐いて、ロジャーが首飾りを手に取る。カーテンの隙間から差し込む陽に、きらきらと輝いた。貝殻を連ねた首飾りだ。

「うん、吸魂鬼除けのお守りとかないからね……」

 ルーナさあ……とロジャーは遠い眼をする。レイブンクローの二年生、ルーナ・ラブグッドのお見舞いの品らしかった。以前、彼女の捜し物を手伝ったことがあり、妙にフェンネルに懐いている。ちなみに、杖十字会の構成員であった。会、といってもふらりと集まって、呪文の練習や課題をこなしたり、決闘ごっこをする類のものなので、構成員という言い方は適当ではないかもしれないが。ペネロピー・クリアウォーターやロジャー、セドリックが取りまとめ役……のようなものになっている。ウィーズリーの双子もたまに顔を出す。ごちゃ混ぜの集団であった。

 ロックハートにそっぽを向いた賢明なる者どもの集まりは、消滅することなく続き、今では持ち込まれる「依頼」をこなすこともある。失せもの探しだとか……これはフェンネルの得意分野だが……。家にあった謎の文書の解読だとか、他愛のないものだ。

 フェンネルはきらきらと輝く、素朴な首飾りを見つめた。脳裏に別の首飾りが――ロケットが――過ぎったが、そうと認識する前に掻き消える。

「退院したら、練習してみる」

 ぽつ、と返す。先までの悪寒はどこかに失せていた。

 ロジャーは脇机に貝殻の首飾りを置く。ことん、と軽い音がした。

「できればでいい」

 僕の予想では、ハッフルパフ戦は長引かないだろう。

「かわいそうに」

 セドのやつ、腑抜けちゃって。

 

 学期最後の週末。ホグズミード行きの日、とある私室にフェンネルは招かれていた。

「ハッフルパフ戦は見事だった」

 昔から、君たちの寮は連携が巧みだからね。

 穏やかに言って、あちこちに傷のある手が紅茶を淹れる。ミルクはいるかい、と訊かれたので頷いた。

「けして彼らが弱かったわけじゃあないですけどね」

 フェンネルは茶器に手を伸ばす。ティーバッグを除け、小皿に置いた。茶葉ではなくティーバッグなのは、リーマス・ルーピンなりの配慮だろう。フェンネル・ポッターはインチキ予言者によって死の兆しがあると言われたハリー・ポッターの双子の兄なので。

 あの詐欺師、なにをやってくれているのか。フェンネルは紅茶をすする。弟は未だに落ち込んでいるようだった。ハッフルパフ戦の日に不可抗力で箒から落ちた挙げ句、相棒だったニンバスは暴れ柳によって木っ端みじんになってしまったそうだ。しかも、さっさと退院した弟は「巨大な犬を見たんだ」とフェンネルに打ち明けてきた。フェンネルは猛烈に具合が悪いふりをし――本当に具合が悪かったのだが――盥に嘔吐し――返した。弟よ、お前は色々あって動揺している。マグノリア・クレセント通りで犬……らしきものを見たし、変な予言はされるし、ハッフルパフ戦はああだったし。不吉な印を脳が拾っているだけさ。

 予言されたお前より、僕のほうが重症なんだぞ? 落ち着け。滔々と語れば、弟は素直に頷いた。なんとなく言いくるめられて幸いだった。まさか黒犬を連れて行ったのがお兄ちゃんだとか言えない。

 あんまり予言とか占いとかを信じるなとも言って、弟を追い返した。フェンネルはいわゆる先視、占者であるが……視たものをなにもかも鵜呑みにはしない。占いに傾倒してもろくなことにならないのだ。時たま島にやってくる依頼者に、場合によっては聖マンゴへ行くように誘導していたものだ。先が視えたからといってなにもかも解決するわけではない。依頼者が欲しいのはすがれるなにかであったり、話を聞いてくれる誰かであることが多かった……。

 おそらく、未来を見通すことは幸福を意味しないのだ。片眼を瞑るくらいがちょうどよい。先視は発狂しやすい、と言われているのもそのせいだろう。人間にとって、未来というものはあまりに重く、不確定なのだ。

 未来の霧に包まれた者どもは、なにもかもを識ることが幸せなことではない、と本能的に分かっている。だからこそ命名予見者の慣習は廃れつつある。生まれた赤ん坊の未来を視て、ふさわしい名を付けるという習わしだ。今では古い古い名家くらいしか、命名予見者を招いていないだろう。視えたものが輝かしいものであればいい。だが、その逆であったら?

――たとえば

 大悪になる。

――たとえば

 殺される、とか。

「『炎の雷』に乗って、君が登場したときは驚いたが」

 ルーピンがくすくす笑う。物思いから覚め、フェンネルは息を吐いた。出されたクッキーを指で掬い取るようにする。

「たかが『炎の雷』一本ですよ」

 ニンバス2001がチーム全員分ではなくて。

 クッキーが口の中で砕けていく。酷く苦い味がした。まさか弟のニンバスが粉砕されるとは思っていなかったのだ。失意の弟を尻目に『炎の雷』に乗って颯爽とデビューする兄の図。最悪である。本当はハッフルパフ戦を終えてから、弟に『炎の雷』に乗ってみる? と誘うつもりであった。吸魂鬼のせいで全部が狂った。弟はフェンネルになにも言うわけでもなく、ぐずぐずと新しい箒を買うのを先延ばしにしているようだ。

「吸魂鬼が現れる前に片が付いたのはよかった」

 ルーピンもクッキーを咀嚼した。淡い憂いが彼の顔に刷かれている。彼は紅茶をひとくち飲み、続けた。

「ダンブルドアがお怒りだから、吸魂鬼たちも分かっているとは思うが」

 なにせ競技場に現れたやつらの大半をダンブルドアが蹴散らした……とルーピンは囁く。あとはマクゴナガル先生、フリットウィック先生、スプラウト先生も。君に群がった吸魂鬼を排除したのは、お三方だね。

 さすが先生、さすがミネルバたち……とフェンネルは眼を瞑った。彼らの助けがなければ、フェンネル・ポッターの物語が終わるところであった。

 かつての恩師と友人たちの活躍に思いを馳せているフェンネルをよそに、ルーピンは茶器を置いた。かつ、と鋭い音がする。彼は唇を舐め、そっと言った。

「彼らが使ったのは、守護霊の呪文というんだが」

 これがあれば吸魂鬼を相手にしても時間を稼げると思う……実は私はハリーに教える約束をしていて……とルーピンはぼそぼそと言う。いつの間に弟はルーピンと親しくなったのか。弟も、教師をあまり信用しない類だったのだけど。ポッター兄弟の生育過程において、手を差し伸べてくれる大人、あるいは教師は少なかった……ほとんどいなかった……。

――ミネルバか

 弟の飛び手の才を見い出して、シーカーに推挙したのは彼女だ。厳しくはあるが公正な教師であった。

 それにルビウスはポッター家の兄弟に親切だった。彼に会ったとき、フェンネルはロディアの記憶を取り戻す前だったけれど、それでも信頼できると思った。

 弟もフェンネルもそれなりに警戒心が強かった。だが弟が少しずつ張り巡らせた荊を解いているのなら、それは喜ばしいことだった。

「よかったら、君もどうだね?」

 フェンネルはルーピンの琥珀の眼を見た。少し金色がかった眼。きっと緊張しているのだろう。弟と違ってあまり話したことがないわけだし。

「弟だけで手一杯でしょうから、僕は遠慮しておきます」

 寮の先輩に教えてもらおうかと。ゆっくりと返す。本当は教えてもらうのではなく一緒に試してみるのだが、些細な違いだろう。

 ルーピンの申し出はありがたい。だが、教えてもらったところで、フェンネルは守護霊を出せないだろう。

 彼は、吸魂鬼が好む魂の持ち主なのだから。

 甘く芳しい絶望に染められているのだから。

 

 

 ルーピンの室を辞して、城を散歩した。ホグズミード行きの日とあって、どこもかしこも静かだった。

 弟は寮にいるのか、はたまた図書館にでもいるのか……ホグズミードに行けなくてさぞ落ち込んでいることだろう。フェンネルは抜け道をいくつか知っている。連れ出してやってもよかったのだが――吸魂鬼の巡回があってもおかしくないし――と、計画を封印していた。秘密裏に抜け出して、ホグズミードで倒れるなんて冗談ではない。レイブンクローもグリフィンドールも百点減点されるだろうし、寮生から恨みを買う。

 フェンネル――ロディアが知っている抜け道の一つは使えなくなっていた。五階の鏡の裏の抜け道は崩落していた。まさか、夜な夜な瓦礫を撤去するわけにもいかず放置している。

 なんにせよ、弟には悪いがホグズミード行きはなしだ。お兄ちゃんはそこまで頑張れない。来年は許可証に署名をせしめてやろう。それか、バーノン叔父の字を真似すればよい。

――きっと

 抜け道が増えているんだよなあ。

 フェンネルは足の赴くまま城を出る。しばらく歩き、禁断の森に踏み入った。

 勝手知ったるなんとやらで森を行く。頭の半分は考え事に費やす。ロディアが在学中、暴れ柳は存在していなかった。いくら貴重とはいえわざわざ植えるだろうか。あれはたしか、お宝を守る類の樹である。ドラゴンと同じく番人として重宝される。

 あの根元に、なにかが隠されているのだろう。暴くつもりはないけれど……ルーピンに関係しているような気がする。どこか警戒心の強い男。穏やかそうな見た目や振る舞いは、彼なりの鎧だろう。フェンネルも同じ類だから分かる。

 彼を見たとき、フェンネルの目交が捉えたのは月であった。正位置は不安、動揺。嘘、迷い。逆位置だと時が解決する等。塔もとい、稲妻に撃たれた塔よりは救いがある札であった。

 リーマス・ルーピンはなにやら抱えている。周りを警戒するしかないような、なにかを。月、といえば狩猟神が思い浮かぶが――魔法族の考えだとむしろ……。

 人狼とか。呟いて、首を振る。ダンブルドアなら彼の優秀さを惜しんで教師にしてもなんらおかしくはない。ありえることである。あまりこの件をつつくのはよくないだろう。

 彼が人狼だとすれば、朔の日が一番安らげるのだろうなと、他愛のないことを考える。月のない夜……くらやみ、と連想し、呼吸が荒くなる。

 ただの幻だ。終わったことだと言い聞かせる。あの夜は終わった。過ぎ去った。今の自分はフェンネルだと。

 ほかのことを考えよう。弟はどうしているかとか。意識を凝らす。鏡や水面があったほうがよいのだが、ただの戯れだ。あの夜のことを考えたくはない。考えないためならば違うことに意識を割く。

 ふっと、隠者の札が過ぎる。逆位置か。無分別……。それに、秘密が漏れるなど……。なんだかよくない雲行きだ。

 背筋に汗が滲む。駄目だ、どうしてもあの闇を振り払えない。息を吸って、吐いて。小走りになる。先視なんて意味がなかった、とどこかが囁く。殺される兆しを神は見せてくださったのに、恐ろしさのあまり眼を閉じ、耳を塞いでしまった。

――酷く

 恐ろしいことがあった、という感触が胸に巣食っている。殺された。その前に、あれは何かを言った……。

 泉が見えた。フェンネルは残りの数歩で清らかなその場にたどり着く。背を押されるようにして飛び込んだ。飛沫が上がる。冷たい刃がフェンネルに食い込む。

 口をすすぎ、身を沈める。着衣のままだろうがなんだろうがよかった。ただただ、恐ろしいなにかを剥がしてしまいたかった。

 なにかがあった。あの夜、殺された。おぞましい……穢らわしい……。

 痛かった。喉を裂かれた。心臓に短剣を突き立てられた。月はなく、星は陰っていた。あれは嗤っていた。

――楽しそうに

 嗤っていた。

 吐息がこぼれる。全身が震えていた。ぐい、と濡れそぼったローブの袖を引かれる。パッドフッドであった。

 彼に引きずられるようにして、泉を出る。十二月。季節は冬だというのに、フェンネルは寒さを感じなかった。それよりももっと恐ろしく、冷たいものに心を食い荒らされていた。

 膝を突く。パッドフッドに抱きついた。縋るように、強く。

 わかっている。ロディア・オミニス・マクファスティーの死など、ただの死。ひとつの死なのだ。世の中にはもっと苦しい思いをした上で死んだ者だっているだろう。少なくとも飢えや病気で死んだわけではない。残酷な死などそこらに転がっている。ロディアだけが悲惨なわけではない。

――あれは

 嗤っていた。

 そうしてひとつ胞の弟を殺した。

 わんわんと耳鳴りがする。耐えきれず、フェンネルはパッドフッドの毛並みに顔を埋めた。

 たかが一人の死。理不尽な死。兄弟殺しなど珍しくもない。

 だけれども。

「……私は」

 死にたくなかった。

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