【完結】Pandora   作:扇架

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九話

「……はっ」

 なにが『炎の雷』だ。

 地上に降り立った瞬間、嘲笑が向けられた。二月某日、クィディッチ競技場に穏やかならざる――張りつめた――空気が満ちた。

 スリザリン対レイブンクロー戦はスリザリンが勝利した。後は両チーム集合して、締めの一幕でお仕舞いなのだけど、どうしてもなにか言いたいお坊ちゃんがいらっしゃったのだ。

「最新のニンバスを全員分寄付してもらったのに」

 たった十点なんだものな、マルフォイ?

「おめでとう。まあ僅差は僅差でも勝ちは勝ちだ」

 爽やかで健全な少年Aの笑みを浮かべ、レイブンクローチームのチェイサー、得点王、フェンネル・ポッターは続けた。

「怪我はよくなったようだね。僕のヒッポグリフが、君に後遺症を残さなくてよかったよ」

 お前の「父上」は少なくとも引き時を知っていたぞ? と暗に言う。

 ひく、とマルフォイの頬が痙攣する。そんなに苛立つくらいなら、なんで絡んできた坊や。弟もけっこう皮肉屋だが、双子の兄だってまあまあ言うほうなんだが?

 マルフォイの視線を感じながら、試合終了が宣言される。レイブンクローチームはぞろぞろと競技場を後にした。

「私が獲っていれば、ぺしゃんこにできたのに」

 隣を行くチョウが、歯を食いしばっていた。フェンネルは肩をすくめた。

「あればっかりはねえ」

 実力はチョウのほうが上であった。コメット260号を巧みに使い、ニンバス2001と互したのだ。不運なことに強風に吹き飛ばされてしまい……数秒遅れを取ったのだ。

「あんな玩具ではしゃいでる連中なんてどうでもいいだろう、チョウ」

 フェンネルは空を見上げた。

「僕らの次の相手はグリフィンドールだ」

 『炎の雷』にどう対抗するか。それを考えないといけない。

「ポッター弟の箒は、まだ返却されないのか?」

 声に、振り向きもせず答えた。

「まだ調べることが残っているみたいで。オリバー・ウッドが発狂してたよ、ロジャー」

 そりゃ発狂もするか……とロジャーが呟いた。あいつは今年卒業だしなあ……とも言った。彼の声には「このまま『炎の雷』がポッター弟の元に戻らなければ楽なのになあ」という願望が滲んでいた。わからないでもない。ニンバス2000と弟の組み合わせですら脅威だったというのに現在最高峰の箒と組めばどうなることやら、である。

「ロジャー、甘いことは考えないほうがいい」

 マクゴナガルは試合に間に合うように動いているだろう。

「……たとえ数日前に返却されたとしても」

 僕の弟は乗りこなすだろうね。

 

 グリフィンドールとの試合は、やりやすかった。なにせスリザリンのように汚い手は使わないし、スリザリンのようにシーカーが女どうこう、という最低な野次は飛ばさない。心おきなく試合ができた。

 レイブンクローの作戦はこうだった。速さでは『炎の雷』には敵わないのだから、とにかく妨害すべし。割り込むべし。

 そして、チェイサー陣はクアッフルを奪わせるべからず。

 基本に則った、作戦ともいえない作戦だ。何事も単純にしたほうが、破綻したときに軌道修正しやすいだろう、というのがキャプテンのロジャーの言であった。

 作戦は見事にはまった。弟は気の優しいところがあり、どうしても自分より小柄な女の子に体当たりするなんていう芸当はできなかった。

――オリバー・ウッドが正しいんだが

 試合なのだ。情けは無用。異性だろうが小柄だろうが関係なし。同じ場にいる、対等な相手なのだから……と彼が考えていたかは不明だ。単に勝ちたかっただけだろう。

 戦いは激しかった。魔法族は多少の怪我では死なないものだから、少々雑なのである。色々と。

 双子のウィーズリーによってロジャーの片腕はへし折られた。もう片腕があるさ、とロジャーは意地を見せ、フェンネルに完璧なパスを送った。

 取りこぼせば一生の恥、とクアッフルをゴールに叩きこみ、フェンネルは上空を見た。

 ああ、やられた。弟は体当たりなんて乱暴な手を使わず、もっと紳士的な手を使ったようだ。数メートル下にチョウがいるが……追いつけないか。

「ゴリラならともかく」

 華奢な女の子を突き落とすのは僕も無理だ……と呟いたとき、競技場に黒い染みが見えた。

 つ、と眉をひそめる。背の高い影だが――。

「吸魂鬼か?」

 グリフィンドールのキャプテン兼キーパーの、オリバー・ウッドが呟く。レイブンクローのビーターによって、彼は鼻を骨折していた。だらだらと血を流す様は、ちょっとした惨劇であった。

 怪我やら流血やら慣れているフェンネルは首を振り――いとこのダドリーによって階段から突き落とされるなどされていたのだ――ちょうど近くにいたレイブンクローのビーターから棍棒を拝借した。

 向かってきたブラッジャーに思い切りぶちかました。

「やあ、君はビーターの才能もあったのか」

 ロジャーが嘆息する。骨折の痛みで青ざめているが、根性で泣いていないようだ。叡智のレイブンクローは、実は見栄っ張りであった。見栄っ張りと流血沙汰に慣れているもとい、一度死んだ存在が見守る中、ブラッジャーは乱入者へとまっしぐらだ。そのとき、後を追うように白い影が流星のごとく落ちていった。

 銀色の牡鹿であった。

 

「ブラックの目的がまったくわからん」

 禁断の森、とある泉の近く。雪洞のなかには楽しげな火が躍っている。竜胆色の、無害な火である。

 シリウスは伏せをして、少年をちらりと見た。敷物や鍋まで持ち込み、ちょっとした居住空間をつくった彼は、なにごとか考えていた。シリウスを枕にして。

「……寮にわざわざ忍び込んで撤退。たかだか子どもの首ひとつ……」

 落とそうと思えばできたろうに。

 やはり彼は白か。

 シリウスは、すんと鼻を鳴らした。そうなんです。姓はブラックだが実は潔白です。へまをしたわ、色々とやりかたが拙いのはわかっているが。少なくとも、親友夫妻を裏切っていないし、十数人殺してもいない。潔白ったら潔白である。

「今のところ人的被害はないけれど」

 うーんと唸りながら、フェンネルが杖を振る。どうやら名付け子は無言呪文が使えるようだ。シリウスのことをただの賢い、愛すべき犬と思いこんでいるので、まあまあ色々ダダ漏れである。

 中空に金の文字が浮かぶ。シリウスは瞬いた。

 おや、ネビルといえばアリスとフランクの子では……。

「どうやって盗んだんだか、ブラックは……」

 クルックシャンクスに頼んだんだよ。でもまさか、あんなに都合よく合言葉を手に入れられるとは思わなかったけれど。

 ちなみにフェンネルのニーズル、ロビンは管理人アーガス・フィルチの猫の気を逸らすなど、陽動係をしたようだった。どうやらフィルチの猫は飼い主に似てなんにでも怪しい影を見る類らしい。つまり、猫――ニーズル混じりとニーズルが城中をぶらついているのがお気に召さない……とのことだ。ふわふわした橙の毛の猫が、どこになにをしに行くのか非常に興味を持っているらしい。へばりつかれてはかなわないので――もっと言えば禁断の森に怪しい犬が住まっていると、なるべく気づかれたくないので――ロビンと管理人の猫が追いかけっこしている隙に、橙色の片割れがシリウスの元にメモを届けてくれた。一週間分の合言葉を記したそれを。

 アリスとフランクの子が、かなりうっかりした坊やだったのは計算外であった。本当にすまないネビル……とシリウスは遠い目をした。

「ロンが狙いじゃないものな……?」

 金の文字が次々と現れる。

 ハーマイオニーとロンは絶交か?

 ぶつぶつと呟くフェンネルの言で、シリウスはおおよその状況を把握した。頭を抱えたくなった。そうそう、寮に侵入したはいいが、あのどぶ鼠は逃げていたのだ。先手を打たれたのである。血痕を残して消えてしまった。猫が調査した際、運悪く橙の毛が落ちてしまった。

 まんまと逃げられた挙げ句、名付け子――ハリーの友人たちに亀裂が入ったようである。最悪だ。

 クルックシャンクスは賢いのになあ……あの鼠にだけ、やたら追いかけて……。でも、血痕なんて残るか? 一口でぱくりだろ。

 賢い猫は、売れ残っていた己を迎えてくれた主のそばに「変な鼠」がいることが気に入らなかった。捕まえる、あるいは排除したかったのである。つまり、シリウスと利害が一致したのだ。本当に賢い猫である。ロビンも似たようなものらしい。仔ニーズルの頃からそれはもう可愛がってくれた、主の弟の近くにいる「変な鼠」の存在に気づいていた。今まではぐうたら寝ていただけなので、放っておいたそうだ。まあしかし「猫の先輩」がやる気を出したので、ロビンも便乗したそうだ。目障りなので排除しよう、と。

 ニーズル混じりとニーズルの思惑や奮闘など知らず、名付け子はかなりいい線をいっていた。

 無言呪文を使いこなすし、禁断の森を庭のように歩くし、どこかで魚は釣ってくるし、内蔵抜き出し呪いで綺麗に処理して焼き魚はつくるし、考えごとをしながらパンを焼くし、何者だこの子は? ちなみにシリウスは熱々の焼き魚をもらい、感動した。簡素な味付けだが身に染みた。

 こんなに好き放題しておいて、ただの学生ではないし、ただの子どもではないのだが。

 ではなにか、と問われると首を傾げざるを得ない。五年生で非合法の動物もどきになった連中もいたし――シリウスたちなのだけど――フェンネル・ポッターが多少「はみ出しもの」でも……さほど奇妙でもないのか?

 なまじ自分たちも「好き勝手」していたせいで基準がおかしくなっている。害があるわけでもなし、せっせとシリウスの世話を焼いてくれるし、とてもありがたいのだけども。

――保留にするしかないか

 何度目かの保留である。シリウスたちだって無言呪文を多少使っていたし……いやでも三年生の時はどうだったかな……とか、色々言い訳して、シリウスは沈黙を守っている。どうせ正体を明かせないことだし。

 シリウスが悶々と考え込んでいるうちに、フェンネルは水盆を出現させ、覗き込んでいた。

「清算じゃあなくて」

 シリウス・ブラックの狙いは? と問いかけて得た答えに、フェンネルはきりきりと歯を食いしばった。シリウスは戦慄した。当たってる。おおまかには当たっているぞ名付け子よ。本人はまったく気づいていないが。

 確かに、シリウスは清算を求めている。

 罪の清算。

 ワームテールを捕らえて無実を証明する。それが叶わなければやつを始末する。名付け子たちの側から排除しなければならない。

 鼠ごときの命ではジェームズとリリーを殺した罪が帳消しになるまいが。己が逃げるために、道を吹き飛ばし、玩具のようにマグルたちを殺した罪も消えまいが。

 ポッター家の双子の、奪われた年月が戻るわけでもないが。

 どうせやつは死にたくない、自分は悪くないと言うだろう。どこまでも自分が可愛い下衆である。

 ならば――誰かが断罪の刃を振り下ろすしか、ないだろう。

 鼻を鳴らせば「ごめんね、重かった?」と優しい声が響いた。そっと首筋を撫でられる。シリウスは起き上がり、少年を転がした。軽やかな笑声が響く。尾を振って、頬を舐めてやった。くすぐったいよとさらに笑う名付け子に、少しだけ安堵する。

 どれほど奇妙でも、謎めいていても。

 フェンネル・ポッターはシリウスの名付け子である。

 どれほど大人びていても。

 名付け子がどこかに深い傷を負っていることには変わらない。

 悲しい顔は見たくない。

 親友たちの忘れ形見の幸福を。

 シリウスは願うのだ。

 

 

「……君、なんでレイブンクローに入らなかった?」

 フェンネルはレイブンクロー寮の場所を突き止め、謎かけを突破した才女の背を押した。

 幸い、ホグズミード行きの日で、人はまばらであった。入口から談話室に上がる階段には、フェンネルとハーマイオニー、そして「彼女が呼んでるよ」と伝言を伝えたロジャーしかいなかった。ロジャーは侵入者にまったく怒っておらず、それどころか賞賛し、挙げ句にフェンネルをからかった。

 デートか、頑張れよと片眼を瞑る馬鹿を無視した。扉を出れば、とたんに冷気が襲いかかる。逃亡犯シリウス・ブラック捕縛のため――いや、処刑が許可されたのだったか――派遣された吸魂鬼たちのせいだ。暦の上では春だが、城の周辺は冬なのだ。太陽の恵みは乏しく、石造りの城は冷え込んだ。

「グリフィンドールはダンブルドアの出身だったから」

 ぽつ、とハーマイオニーが答える。吐息が白く凍り、わずかに手は震え、顔色は悪く、一言で表すならば惨めそうであった。ぼさぼさの髪はさらにぼさぼさで、眼の下には隈まで飼っている。

 なんだか僕が虐めている気がするんだが、と落ち着かない。ひとまず扉脇のくぼみ――置かれた長椅子に腰を下ろす。ハーマイオニーはそわそわと足踏みしていた。

「転寮の申し込みかい」

 歓迎するよ。軽口を叩いても、ハーマイオニーの視線は定まらない。しきりに周囲を見回して、なにかに追われているようだった。フェンネルは半秒考え込み、ハーマイオニーに待つように言って、寮に戻った。ロビンを従えてとんぼ返り。

 行くよ、と彼女に呼びかける。

「……どこに?」

「ちょっとした冒険」

 話を聞かれたくないんだろう? と言えば、ハーマイオニーはこくんと頷いた。

 怯え、緊張している小動物を連れて、フェンネルは階段を下りる。末裔特権を駆使し、次々と階段を連結させた。抜け道をいくつか使い、最短で玄関ホールにたどり着く。そこからさらに地下へ。透明呪文を使って二人の姿を隠し、とある壁の前に行く。

「ねえ、フェン」

 いったいなにがあるの、とハーマイオニーが囁く。見つかるよ、と返し、フェンネルは耳塞ぎをハーマイオニーにかけた。透明呪文を二人分、同時に耳塞ぎを一人分。やってできないことはない。

開け

 漏れたのは蛇語。スリザリンの末裔の前に、扉が現れた。

 秘密の書斎に続くそれが。

 

「……で?」

 約十数分で奥の間に到着し、空気を綺麗にした。黒こげの残骸から椅子と卓を復元し、腰掛ける。

「話がしたかったんだろう、ハーマイオニー」

 向かいに座るハーマイオニーは、眼を泳がせていた。しきりに卓を撫で、物問いたげにフェンネルを見やる。

「ここって」

「ホグワーツには不思議がたくさんある」

「ねえ、途中で蛇の装飾があったけど」

「そりゃスリザリン寮の区画だもの」

 フェンネルはさらりといなした。まさか『スリザリンの書斎』だなんて言えない。『秘密の部屋』だけでなく、書斎までつくっていたのだ彼は。兄は知らないはずだ。なにせ隠されていたから。

 オミニス・ゴーントが厳重に封印したのである。誰も踏み入らないように。

 

 

『書斎は焼いた』

 忌々しいものがたんとあったからな。

 彼はそう言った。不機嫌そうに「突然の訪問者」を睨んで。両の眼に光がなくとも、彼の「視線」は正確にロディアを捉えた。

 一九■■年、北米にてロディアは大叔父と対面するはめになったのだ。まったく意図していなかった。島――ヘブリデス諸島を渋々出て、北米に赴いたのはドラゴン使いの集いがあったからだ。ロディア・オミニス・マクファスティーは次の諸島の主、マクファスティー家を治める島主として、北米に行くように養母から命じられた。いわゆる、世界中のドラゴン使い、実力者たちとの顔つなぎであった。

 滞りなく集いは終わった。そのまま帰ればよかったのに、少し寄り道をしようと思ったのがいけなかった。とある山をぶらぶらと歩いていたら、角水蛇に出会ってしまったのだ。川からひょっこり顔を出したその子は、まだまだ子どもだったようで……ロディアを見つけてはしゃいだ。仲間がいるよ、と水を飛沫をロディアに浴びせた。どこかに連れて行きたい風だったので、子どものお遊びに付き合うか、と角水蛇についていったら、館があったのだ。

――まさか

 それが、英国から逃亡したゴーント、ロディアの祖父の弟、つまり大叔父の館だと思うまい。

 「あのクソッタレな兄の子だと」とオミニスはロディアを追い出そうとした。ああ、この人も兄関連で苦労したのか……とロディアは同情した。角水蛇の子が「新しいともだち」にはしゃいだもので、結局オミニスは折れて、ロディアを招き入れたのだ。

 事情を説明し――北米のゴーントに害を為すつもりはないこと、この出会いは偶然だったこと――オミニスの態度はやや軟化した。ロディアと「双子の兄」がマグルとの混血だと言うと、オミニスは面白がった。ああ、あの兄の娘がね……と。ゴーントは血が濃すぎるからちょうどよい、と。お前たちはいかれなくてよかったな、と笑った。

 ゴーントの濃すぎる血、近親の交わりについて皮肉気に語り、やがて話は『スリザリンの書斎』に至った……。

 どうせお前の母親もいとこ婚どころか、の産物だろう。マグルの血が入ったところで、スリザリンの末裔には違いない。必要ないだろうが……とオミニスは言葉を濁した。

『この子が言うからな』

 お前には必要になるかもしれない、と。白濁した眼が水を張った盥に入れられた、角水蛇を捉えた。

 まさか、とロディアは笑った。私がホグワーツに戻ることはないでしょう。島に戻り、静かに暮らすだけですよ。いくらこの子に未来視の力があっても……。

 角水蛇は神秘の生き物だ。不可視の力、飛翔能力、時には予知する個体がいるという。その神秘性ゆえに狩られ、一時期数を減らしていたようだった。

『言を左右する人間より』

 この子たちのほうが信用できるだろう? オミニスは口端を吊り上げた。ロディアは苦く笑うことしかできなかった。皮肉気に言うオミニスだが「信用できる」妻と出会ったらしいのに。孫もいると聞いていた。

 オミニスは自分は異端だと嘯いていた。ゴーントは同族しか信用しない傾向があったようだ。純血主義を唱えれば当然迫害される、自然と同族しか信用せず、交わらないようになったのだろう……と。

『お前の母親は』

 ゴーントの軛から逃れたくせに、父の弟の名を付けた。

 結局、本当の意味では解放されなかったんだろう。

 ぽつ、とオミニスは――ロディアがその名をもらった男は呟いた。

 ゴーントは、特に女にとっては酷だったろう。いっそのこと国外にでも逃げればよかったものを。

『濃い交わりを強いる家だったのでしょう?』

 おぞましい事実から眼を背け、ロディアは返した。いとこ婚より近い交わりなど限られる。つまり、オミニスもその兄……ロディアの祖父も……濃すぎる交わりによって生まれたのだろう。どうしたって母体を確保しなければならなかったはず。子を産めるのは女なのだから。

『ただただ、生ませるために』

 押し込めて、ろくな教育もしなかったはず。知恵をつけること嫌ったでしょう。

『モーフィンもメローピーも』

 ホグワーツの卒業名簿に載っていなかった、と囁けばオミニスは吐きそうな顔をした。

『俺は幸運だった』

 あそこを出たいと望むだけの、健全な精神があった。友人にも恵まれた。

 俺にとって生家は、獄に等しかった。

 あれから、長い時が過ぎた。英国において、ゴーントの姓は絶えた。オミニスは生きているのか、死んでいるのか……。彼は新たな姓を考えるのを面倒がって、そのままゴーントを名乗っていた。「自称スリザリンの末裔」「もしかしてスリザリンの末裔」であるヴォルデモートのクソよりも、よほど確かな末裔は北米のゴーントである。

 過去から意識を戻し――奇しくも、角水蛇の予知どおりになったことに驚きつつ、ハーマイオニーに水を向けた。

「それで、なんの相談ごと?」

 なるべく手早く済ませたかった。なにせ外にロビンを待たせている。二時間経っても戻らなければ、セドリックか、ロジャーか、アンソニーかパドマを呼ぶように言いつけている。『スリザリンの書斎』の「洒落にならない仕掛け」はフェンネルが潰したが。もし脱出不可能になった場合に備え、万が一の保険をかけておいた。オミニスが書斎を焼いたから――お陰で壁もなにもかも煤けている――バジリスクが飛び出てくる心配はなさそうだけれど。

「あのね」

 意を決したように、ハーマイオニーが唇を開いた。続く「相談事」にフェンネルは眼を瞑った。

 おい、弟よ。お兄ちゃんに黙って『忍びの地図』なんていう面白そ……危険物を持っていたって?

 しかも、ハーマイオニーの忠告も聞かず、ホグズミードに遊びに行ったって?

 お兄ちゃん、なにかあっても庇わないぞ。

 書斎から戻り、ハーマイオニーの肩を叩き「ひとまず寝ろ」と言って別れた。ハーマイオニーは「ハリーになにかあったらどうしよう」と軽く錯乱していた。ロビンにハーマイオニーを寮に送り届けるように言って、フェンネルは嘆息した。さあどうしよう。今からホグズミードに行くか? 嫌だな寒いのに……行ったところで見つけて連れ戻しては厳しいか。ハーマイオニーは筋を通してくれて「マクゴナガル先生に言う前に、フェンネルに言うべきだと思ったの」と言ってくれたけれど。またく賢明なことである。ミネルバは怒り狂うに違いない。

 なにせ、吸魂鬼の派遣も、城中に手配書が貼られているのも、すべてが「生き残った男の子」を守るためなのだから。

 弟が分かっているとは思えない。ただの、少し勇敢で無鉄砲な十三歳なのだ。口で言っても分かるまい。

 手洗いに入る。冷え冷えとしたそこは、スリザリンの区画らしく蛇の装飾が施されている。うんざりしながら唱えた。

「鏡よ鏡よ鏡さん」

 僕の馬鹿な弟はどこでしょう?

――案の定である

 ハリー・ポッターの双子の兄は、天文塔……汚い言葉を使うなら、クソ寒いそこで眼を瞑った。隣には弟がいる。ロンと連れ立って、しょぼくれた顔をして歩いていたから連行したのだ。

「……あのなあ、弟よ」

 別にお前が『忍びの地図』なんてものを持っていたとしても、ホグズミードに行ったとしても、それはお前の勝手だ。

「ハーマイオニーにあまり心配をかけるな。やるなら上手にやりなさい、と」

 言うだけにしようと思っていた。

 ちろ、と弟を――膝を抱えて座る愚弟を見やった。無言である。

「まあまあな騒ぎになったみたいだね」

 こくん、と弟が頷く。無言。お兄ちゃん、お前に沈黙呪文をかけた覚えはないのだけどね。

「なんでお前を探しに行くか迷っていたら」

 マルフォイがポッターの生首がどうの、と叫んでいる現場に出くわすんだよ。

 頭痛がしてきた。状況を整理しよう。

 一つ、フェンネルは鏡よ鏡よ……というふざけた問いにより、弟の大まかな居場所を特定した。どこかの室であった。なんでかルーピンとスネイプ……と弟が映っていた。

 一つ、なにがあった? と驚愕しつつも、弟救出に動こうとしていたら、マルフォイが「ポッターの生首がホグズミードにいたんだ! あいつは終わりだ!」と怖いやら昂揚しているやらが入り交じった叫びを発していた。

 一つ、さすがマルフォイ。びっくり仰天しながらも全力疾走してホグワーツに帰り、即座にスネイプに報告したのか。無駄に行動が速い。

 一つ、弟、めちゃくちゃ危機である。

「……ルーピン先生に助けてもらってよかったな」

 一つ、弟の危機をルーピンが救った。

「『忍びの地図』を取り上げられちゃった」

 一つ、弟はめちゃくちゃ落ち込んでいる。

 フェンネルは震える吐息をこぼした。空き教室で話し込むのでもよかったのだが、弟は頭を冷やす必要があると判断し、連れ出した。双子の兄弟は震えるはめになっている。こんなに寒かったら、喧嘩もできやしない。それが目的でわざわざ天文塔に登ったのだが。

「いくらマルフォイが根性悪でも」

 なんで不意打ちで泥団子なんて投げた?

「弟よ、お前はチェイサー志望だったのか」

 茶化しても、弟は唇を引き結ぶばかり。手も、ズボンの裾も、靴も泥まみれであった。

 懐かしいね泥団子。ダドリーにぶつけられたものである。成長するにつれて、ぶつけられるものが小石になり……最終的に拳大の石になったのが笑えない。

「傷物だの孤児だの言われたか?」

 いつものことだろう、と言ってみても、弟は不機嫌であった。

「あいつは嫌なやつだ。だから、泥団子くらい……」

「だからって不意を打ってはないだろう。なにかをされたわけでもないようだし」

 それじゃ、ダドリーたちと同じだろうと窘める。お兄ちゃんの言も聞かず、弟は立ち上がった。

「フェンには関係ないもん」

 出たよ、弟仕草。ないもん、と言われたらそうですかとしか返せないじゃないか。

 下手につつけないなあ……と瞬き、弟の背に呼びかけた。

「ハーマイオニーに心配かけてごめんって、謝るんだぞ!」

 兄の声を振り切るように階段を下り、フェンネル・ポッターの双子の弟は呟いた。

「別に僕はなにも言われていない」

 マルフォイが悪口を言っていたのは兄――フェンネルのことだった。

 本当は不義の子じゃないか、とか。成績がいいのは先生方に媚びを売っているからじゃないか、とか。

 ポッター弟より目立たないから、劣っている森番と仲良くしているんだとか。

 穢らわしい孤児は、穢れた血とお似合いだとか。

 色んな、くだらない悪口だった。自分が言われるのは平気でも、兄に悪口を向けられるのはとさかにきた。

「僕らは双子の兄弟なんだから」

 兄の悪口は、僕への悪口なんだ。

 それだけのことである。

「ダドリーと同じじゃないんだからな」

 心外である。とっても心外である。

 かっちかちの泥団子じゃなかったんだから、まだ優しいと思う。

 絶対動機について言わないぞ、と己に誓い、ちょっと頑固、けっこう勇敢な少年は寮に戻った。

 さすがに悪いと思ったので、ハーマイオニーにはちゃんと謝った。

 泣かれてしまい、かなり気まずかった。

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