「僕らと一緒に、正しい世界を取り戻そうじゃないか」
間仁の差し出した手は、死神の誘いのように白く、禍々しかった。
廻仟は動けない。恐怖と、心のどこかで「自分を肯定してくれる言葉」に縋りたくなる弱さが、足を縫い止めていた。
「……戯言を」
凍りついた空気を裂いたのは、由良の声だった。
彼は瞬時に印を結び終えると、自身の影を踏みしめる。
「
由良の足元の影が爆発的に膨張し、巨大な蛇の形となって間仁へと襲いかかった。
牙を剥く影の
土煙が舞い上がり、静寂が戻る。
「……やった、のか?」
「いや」
由良の額から冷や汗が伝う。
影の蛇が霧散すると、そこには無傷の間仁が立っていた。いや、無傷ではない。体がまるで液状化した粘土のようにぐにゃりと歪み、蛇の牙を受け流していたのだ。
「痛いなぁ。いきなり噛みつくなんて躾がなってないよ、現代の忍者は」
間仁の体が不気味な音を立て、元の青年の姿へと修復されていく。
「六道の人間道が持つ叡智と陰陽遁の合わせ技さ。魂の形そのものを変えてしまえば、肉体へのダメージなど無意味になる」
間仁が軽く地面を蹴る。その動きは、忍者の瞬身の術とは違う、重さを感じさせない幽鬼のような加速だった。
一瞬で由良の懐へ潜り込む。
「しまっ──」
由良がクナイを抜こうとするが遅い。間仁の手のひらが、由良の肩に触れた。
「『
触れられた由良の肩の肉が、内側から風船のように膨れ上がり、破裂した。
「ぐあぁっ!?」
「由良!」
吹き飛ばされ、壁に激突する由良。鮮血が舞う。
間仁は血濡れの手をぶらりと下げ、つまらなそうに嘆息した。
「弱いねぇ。魂の練度が足りないよ。……さて、邪魔者は消えた」
間仁の視線が、再び廻仟へと向く。
その瞳には、実験動物を見るような純粋な好奇心が宿っていた。
「さあ、おいで廻仟くん。君のその『器』としての性能、ここで試させてもらおうかな」
死ぬ。
廻仟の本能が警鐘を鳴らす。逃げろと叫んでいる。
だが、視界の端で、由良が血を吐きながら立ち上がろうとしているのが見えた。自分を捕まえに来た忍者。敵かもしれない人間。
けれど、祖父は言った。『人を助けろ』と。
(……クソッ!)
廻仟は恐怖を怒りでねじ伏せ、地面を蹴った。
逃げるためではない。間仁へ向かって。
「おお?」
間仁が目を丸くする。
廻仟は無我夢中で拳を振り上げた。忍術も、体術の心得もない、ただの素人の右ストレート。 間仁は避けない。魂を変形させれば衝撃など無効化できるという余裕の笑みで、それを受け止めるつもりだ。
鈍い音が響き、間仁の顔面が大きく歪む。
余裕の笑みが消えた。
殴られた頬から、青黒い体液のようなチャクラが噴き出したのだ。
「……ッ!?」
間仁が驚愕に目を見開き、バックステップで距離を取る。
鼻血を拭うその手は、小刻みに震えていた。
「痛っ……! なんだ今のは? 僕の魂に直接響いた……?」
廻仟もまた、自分の拳を見つめて呆然としていた。
殴った瞬間、拳から何かが『
魂の可塑性を維持するエネルギーを失い、防御が機能しなかったのだ。
「まさか……打撃の瞬間に、僕のチャクラを吸収したのか? 無自覚に?」
間仁の表情から笑みが消え、嗜虐的な色が濃くなる。
「ハハッ、最高だ! 予想以上の逸材だよ! でも──調子に乗るなよ小僧」
間仁の腕が異形へと変貌する。骨と筋肉が複雑に絡み合い、巨大な鎌のような刃を形成した。 殺気が膨れ上がる。これまでの遊びではない、本気の殺意。
「まずはその手足、貰っておくよ!」
回避不能の速さで、刃が振り下ろされる。
廻仟は死を覚悟し、目を閉じた。
──その時。
世界が反転したような衝撃波が、路地裏を吹き抜けた。
廻仟が目を開けると、目の前に『見えない壁』があった。間仁の刃は、廻仟の鼻先数センチの空中で、何かに阻まれて静止している。
「……は?」
間仁が顔をしかめる。
頭上から、場違いなほど軽い声が降ってきた。
「君さあ。僕のかわいい生徒候補に何してくれてんの?」
音もなく、廻仟の前に一人の男が舞い降りていた。
目隠しで両目を覆い、白髪を逆立てた長身の男。上忍ベストをラフに着崩しているが、その体から立ち昇るチャクラの密度は、間仁のそれをも凌駕していた。
「大丈夫? 由良。……あちゃー、派手にやられたね」
「なん……じょう、先生……」
由良が安堵と悔しさの入り混じった声で呟く。
南条は、目の前の異形の刃を指一本で弾いた。
それだけで、間仁の巨大な腕が弾け飛ぶような『斥力』を受けてのけ反る。
「妙な術だね。陰遁の変異種か? 随分と趣味が悪い」
「ハハッ、これが噂の『
間仁は再生した腕をさすりながら、ニヤリと笑う。
だが、その瞳の奥には警戒の色が見えた。
「でも、僕には触れられないよ」
「触れる必要なんてないさ」
南条が、スッと人差し指を立てる。
その指先に、赤黒く発散する光の点が現れる。空間が軋み、周囲の瓦礫がガタガタと震え出した。
それは弾丸などではない。極限まで圧縮された、斥力の特異点。
「『
南条が指を弾いた瞬間、鼓膜を突き破るような高周波と共に、紅い閃光が走った。
それは一直線に間仁を捉え、その半身をごっそりと抉り取り、背後の廃ビルを三棟ほど貫通して空の彼方へ突き抜けた。
「……ッ!!」
再生しようとする間仁だが、傷口に残る南条のチャクラがそれを阻害しているのか、修復が遅い。 圧倒的な力の差。間仁は舌打ちをし、体を液状に崩した。
「……今日は挨拶だけにしておくよ。またね、廻仟くん」
間仁は自身の体を無数の小さな人間のような形に分裂させ、排水溝の隙間へと逃げ去っていった。
静寂が戻る。
南条はふぅ、と息を吐き、指先のチャクラを散らすと、呆然と立ち尽くす廻仟へと向き直った。
「さて。……君が廻仟くんか」
目隠しの下の視線を感じる。廻仟は、自分が丸裸にされているような感覚を覚えた。
「君、自分が何者か分かってる?」
「……俺は、人を傷つける化け物だ。じいちゃんも、俺が殺したようなもんだ」
「半分正解。でも半分間違い」
南条は廻仟の胸を指差した。
「君の中には『餓鬼道』っていう厄介な因子が埋まってる。チャクラを無尽蔵に吸い込む穴だ。放っておけば、君は歩く災害になって、処刑対象になる」
「……殺すなら、今殺してくれ」
「嫌だね」
南条はあっさりと否定した。
「君には才能がある。さっきのパンチ、あれは凄かった。……その『吸い込む力』は、使い方次第で最強の盾にも矛にもなる。死ぬのを待つか、それとも力を制御して、人を助ける忍びになるか。どっちがいい?」
廻仟は拳を握りしめた。祖父の最期の言葉。そして、由良を守るために振るった拳の感触。 この忌々しい力が、誰かを守れるというのなら。
「……やるよ。南条さん、俺にこの力の使い方を教えてくれ」
南条はニカっと笑い、廻仟の背中をバシッと叩いた。
「合格! じゃあ、今日から君は僕の生徒だ。地獄の特訓、楽しみにしててね」