呪術師 廻仟   作:四月三十日

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第2話「極点」

「僕らと一緒に、正しい世界を取り戻そうじゃないか」

 

 間仁の差し出した手は、死神の誘いのように白く、禍々しかった。

 廻仟は動けない。恐怖と、心のどこかで「自分を肯定してくれる言葉」に縋りたくなる弱さが、足を縫い止めていた。

 

「……戯言を」

 

 凍りついた空気を裂いたのは、由良の声だった。

 彼は瞬時に印を結び終えると、自身の影を踏みしめる。

 

影法術(かげほうじゅつ)大蛇(オロチ)!」

 

 由良の足元の影が爆発的に膨張し、巨大な蛇の形となって間仁へと襲いかかった。

 牙を剥く影の(あぎと)が、間仁の細い体を丸呑みにし、アスファルトごと噛み砕く。

 土煙が舞い上がり、静寂が戻る。

 

「……やった、のか?」

「いや」

 

 由良の額から冷や汗が伝う。

 影の蛇が霧散すると、そこには無傷の間仁が立っていた。いや、無傷ではない。体がまるで液状化した粘土のようにぐにゃりと歪み、蛇の牙を受け流していたのだ。

 

「痛いなぁ。いきなり噛みつくなんて躾がなってないよ、現代の忍者は」

 

 間仁の体が不気味な音を立て、元の青年の姿へと修復されていく。

 

「六道の人間道が持つ叡智と陰陽遁の合わせ技さ。魂の形そのものを変えてしまえば、肉体へのダメージなど無意味になる」

 

 間仁が軽く地面を蹴る。その動きは、忍者の瞬身の術とは違う、重さを感じさせない幽鬼のような加速だった。

 一瞬で由良の懐へ潜り込む。

 

「しまっ──」

 

 由良がクナイを抜こうとするが遅い。間仁の手のひらが、由良の肩に触れた。

 

「『陰陽術(おんみょうじゅつ)魂魄転変(こんぱくてんぺん)』」

 

 触れられた由良の肩の肉が、内側から風船のように膨れ上がり、破裂した。

 

「ぐあぁっ!?」

「由良!」

 

 吹き飛ばされ、壁に激突する由良。鮮血が舞う。

 間仁は血濡れの手をぶらりと下げ、つまらなそうに嘆息した。

 

「弱いねぇ。魂の練度が足りないよ。……さて、邪魔者は消えた」

 

 間仁の視線が、再び廻仟へと向く。

 その瞳には、実験動物を見るような純粋な好奇心が宿っていた。

 

「さあ、おいで廻仟くん。君のその『器』としての性能、ここで試させてもらおうかな」

 

 死ぬ。

 廻仟の本能が警鐘を鳴らす。逃げろと叫んでいる。

 だが、視界の端で、由良が血を吐きながら立ち上がろうとしているのが見えた。自分を捕まえに来た忍者。敵かもしれない人間。

 けれど、祖父は言った。『人を助けろ』と。

 

(……クソッ!)

 

 廻仟は恐怖を怒りでねじ伏せ、地面を蹴った。

 逃げるためではない。間仁へ向かって。

 

「おお?」

 

 間仁が目を丸くする。

 廻仟は無我夢中で拳を振り上げた。忍術も、体術の心得もない、ただの素人の右ストレート。  間仁は避けない。魂を変形させれば衝撃など無効化できるという余裕の笑みで、それを受け止めるつもりだ。

 鈍い音が響き、間仁の顔面が大きく歪む。

 余裕の笑みが消えた。

 殴られた頬から、青黒い体液のようなチャクラが噴き出したのだ。

 

「……ッ!?」

 

 間仁が驚愕に目を見開き、バックステップで距離を取る。

 鼻血を拭うその手は、小刻みに震えていた。

 

「痛っ……! なんだ今のは? 僕の魂に直接響いた……?」

 

 廻仟もまた、自分の拳を見つめて呆然としていた。

 殴った瞬間、拳から何かが『()()()()()』きたのだ。間仁が魂の形を変えるために練っていたチャクラを、接触した瞬間に奪い取った感覚。

 魂の可塑性を維持するエネルギーを失い、防御が機能しなかったのだ。

 

「まさか……打撃の瞬間に、僕のチャクラを吸収したのか? 無自覚に?」

 

 間仁の表情から笑みが消え、嗜虐的な色が濃くなる。

 

「ハハッ、最高だ! 予想以上の逸材だよ! でも──調子に乗るなよ小僧」

 

 間仁の腕が異形へと変貌する。骨と筋肉が複雑に絡み合い、巨大な鎌のような刃を形成した。  殺気が膨れ上がる。これまでの遊びではない、本気の殺意。

 

「まずはその手足、貰っておくよ!」

 

 回避不能の速さで、刃が振り下ろされる。

 廻仟は死を覚悟し、目を閉じた。

 

 ──その時。

 

 世界が反転したような衝撃波が、路地裏を吹き抜けた。

 廻仟が目を開けると、目の前に『見えない壁』があった。間仁の刃は、廻仟の鼻先数センチの空中で、何かに阻まれて静止している。

 

「……は?」

 

 間仁が顔をしかめる。

 頭上から、場違いなほど軽い声が降ってきた。

 

「君さあ。僕のかわいい生徒候補に何してくれてんの?」

 

 音もなく、廻仟の前に一人の男が舞い降りていた。

 目隠しで両目を覆い、白髪を逆立てた長身の男。上忍ベストをラフに着崩しているが、その体から立ち昇るチャクラの密度は、間仁のそれをも凌駕していた。

 

「大丈夫? 由良。……あちゃー、派手にやられたね」

「なん……じょう、先生……」

 

 由良が安堵と悔しさの入り混じった声で呟く。

 南条悟(なんじょう さとる)。他国の忍びビンゴブックに『遭遇したら即時撤退』と記される、芥隠れの最強戦力。

 南条は、目の前の異形の刃を指一本で弾いた。

 それだけで、間仁の巨大な腕が弾け飛ぶような『斥力』を受けてのけ反る。

 

「妙な術だね。陰遁の変異種か? 随分と趣味が悪い」

「ハハッ、これが噂の『天道(てんどう)』使いか。……引力と斥力、厄介だな」

 

 間仁は再生した腕をさすりながら、ニヤリと笑う。

 だが、その瞳の奥には警戒の色が見えた。

 

「でも、僕には触れられないよ」

「触れる必要なんてないさ」

 

 南条が、スッと人差し指を立てる。

 その指先に、赤黒く発散する光の点が現れる。空間が軋み、周囲の瓦礫がガタガタと震え出した。

 それは弾丸などではない。極限まで圧縮された、斥力の特異点。

 

「『極点(きょくてん)(あか)』」

 

 南条が指を弾いた瞬間、鼓膜を突き破るような高周波と共に、紅い閃光が走った。

 それは一直線に間仁を捉え、その半身をごっそりと抉り取り、背後の廃ビルを三棟ほど貫通して空の彼方へ突き抜けた。

 

「……ッ!!」

 

 再生しようとする間仁だが、傷口に残る南条のチャクラがそれを阻害しているのか、修復が遅い。  圧倒的な力の差。間仁は舌打ちをし、体を液状に崩した。

 

「……今日は挨拶だけにしておくよ。またね、廻仟くん」

 

 間仁は自身の体を無数の小さな人間のような形に分裂させ、排水溝の隙間へと逃げ去っていった。

 静寂が戻る。

 南条はふぅ、と息を吐き、指先のチャクラを散らすと、呆然と立ち尽くす廻仟へと向き直った。

 

「さて。……君が廻仟くんか」

 

 目隠しの下の視線を感じる。廻仟は、自分が丸裸にされているような感覚を覚えた。

 

「君、自分が何者か分かってる?」

「……俺は、人を傷つける化け物だ。じいちゃんも、俺が殺したようなもんだ」

「半分正解。でも半分間違い」

 

 南条は廻仟の胸を指差した。

 

「君の中には『餓鬼道』っていう厄介な因子が埋まってる。チャクラを無尽蔵に吸い込む穴だ。放っておけば、君は歩く災害になって、処刑対象になる」

「……殺すなら、今殺してくれ」

「嫌だね」

 

 南条はあっさりと否定した。

 

「君には才能がある。さっきのパンチ、あれは凄かった。……その『吸い込む力』は、使い方次第で最強の盾にも矛にもなる。死ぬのを待つか、それとも力を制御して、人を助ける忍びになるか。どっちがいい?」

 

 廻仟は拳を握りしめた。祖父の最期の言葉。そして、由良を守るために振るった拳の感触。  この忌々しい力が、誰かを守れるというのなら。

 

「……やるよ。南条さん、俺にこの力の使い方を教えてくれ」

 

 南条はニカっと笑い、廻仟の背中をバシッと叩いた。

 

「合格! じゃあ、今日から君は僕の生徒だ。地獄の特訓、楽しみにしててね」

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