間仁に「
羽織が夜風にはためく。その背中はあまりに無防備で、しかし近づき難いと本能が警告するような、異質な威圧感を放っていた。
その手には、掌サイズの古びた銅鏡が握られている。
月明かりを鈍く反射するその鏡を見た瞬間、
『南条上忍、封印』
そして、敵が用いたとされる特級忍具の特徴。古びた銅鏡。
間違いない。あれが、先生を封印した『
あの中に、最強の忍が閉じ込められている。
「待てェェェッ!!」
廻仟が喉が裂けんばかりに叫び、地面を蹴った。
間仁との戦いで負った傷が痛み、肋骨が軋む。だが、そんなものは構っていられない。
由良恵と七丹も続く。
相手は底知れない。間仁を葬ったその実力は未知数だ。
だが、ここで彼を逃がすわけにはいかない。逃がせば、二度と取り戻せない。
「先生を……返せッ!」
廻仟の拳が、脳噛の背中に迫る。
餓鬼道のチャクラを限界まで練り上げ、纏った全力の一撃。触れれば、相手のチャクラを根こそぎ奪い、術を枯渇させる餓鬼道の拳。
だが、脳噛は振り返りもせず、背後の羽虫を払うかのように、煩わしそうに呟いた。
「
ドォンッ!!
世界が拒絶された。
見えない壁が弾け飛んだような、圧倒的な質量の衝撃。
廻仟の拳が届く寸前で、強烈な斥力が彼を弾き飛ばした。
「くっ、近づけない!?」
「ガハッ……これは!?」
援護しようとサイドから迫っていた由良と七丹も、同様の不可視の力によって木の葉のように吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられる。
物理的な風圧ではない。空間そのものが彼らを異物として弾き出したのだ。
「南条先生の『斥力』と同じか……!?」
瓦礫に埋もれた由良が呻く。
だが、南条の洗練された、針の穴を通すような精密な刃のような術とは違う。
この男の力は、出力任せで範囲も大雑把、あまりに荒く、精細さに欠けている。
だが、それ故に暴力的で、重かった。
「だとしても……止まるわけにはいかねぇ!」
廻仟は受け身を取り、口元の血を拭うこともせず、即座に地面を蹴った。
弾かれるなら、弾き返せないほどの速さで懐に入るまでだ。
何度でも食らいつく。その鬼気迫る気迫に、脳噛は初めて足を止めた。
「執念深いな」
脳噛が軽く手を振る。
袖口から四本の「黒い棒」が射出された。
それらは廻仟を囲むように、正確に四方の地面に突き刺さった。
「! なんだ!?」
「──
ズゥンッ!!
大気が呻りを上げ、大地が軋んだ。
途端、強大な重力場が四本の棒の内側に発生した。
廻仟の体が、見えない巨人の手で上から押さえつけられたように、その場に縫い付けられる。
「ぐ、ぁ……!? 重……ッ!?」
地面が四角いクレーター状に陥没し、廻仟の体がめり込む。
指一本動かせない。呼吸すらままならない。
それは黒い棒を媒介とし、陰陽遁により「重力」という形を成すよう法則を付与され展開された、天道の力の応用術。
脳噛がゆっくりと振り返る。
鋭い双眸から覗くその瞳を見て、三人は息を呑んだ。
瞳孔を中心に広がる、幾重もの波紋模様。
紫色の虹彩。
それは伝説やお伽噺の中で語られる、神の眼。
「
七丹が震える声で呟いた。
だが、伝説上の輪廻眼とは何処か違う。眼球全体に輪廻の模様が浮かんでいるわけではない。瞳孔の周囲にのみ波紋が刻まれた、不完全で、歪さを感じる輪廻眼だ。
「ああ、驚くには及ばない」
脳噛は自らの眼を指差した。
そこには誇りも傲慢もなく、ただ事実を述べる冷徹さだけがあった。
「これは南条悟のような、生まれながらの
脳噛が掌をかざす。
そこには先ほど回収した間仁の因子と、彼が元々持っていたであろう複数の因子が、赤黒いオーラとなって渦巻いている。
「天道、人間道……六道の理を束ね、導く者。それが私だ」
ズズズン……!
結界内の重力がさらに増す。
廻仟の全身の骨がミシミシと悲鳴を上げ、意識が飛びそうになる。
勝てない。
格が違う。
間仁とは次元が違う。この男は、存在そのものが別格の「災害」だ。
「殺しはしないよ」
脳噛は興味を失ったように、踵を返した。
黒い棒はそのまま残され、廻仟にかかる重圧は解けない。生かされたのだ。
「君の持つ『
脳噛が歩みを止める。その足元に、黒い空間の歪みが生じる。
時空間忍術による転移。あらかじめ用意をしていたのか。
彼は獄門鏡を懐にしまい、最後の言葉を零した。
それは独り言のようでありながら、これからの世界に訪れる地獄を告げる宣告だった。
「これから
その名を残し、脳噛の姿は闇へと吸い込まれるように消えた。
後には、ただ静寂だけが戻ってきた。
残されたのは、半壊した里と、敗北した者たち。
夜明け前の冷たい風だけが、彼らの頬を撫で、絶望を冷たく冷やし固めていった。