呪術師 廻仟   作:四月三十日

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第5話「寂静無為」

 灼熱の「火口」の中で、南条悟は涼しい顔で生徒たちを振り返った。

 

「さて、みんな僕の身体に触れておいてもらえるかな」

「は? 先生、何言って……」

「いいから。早くしないと、脳みそが焼き切れて一生よだれ垂らすことになっちゃうよ?」

 

 南条の冗談めかしているが、有無を言わせぬ響きに、三人は戦慄して手を伸ばした。

 廻仟が南条の背中に、由良と傀儡丸がそれぞれの肩に手を置く。

 指先が、普段は決して触れられない「不可侵の壁(せきりょくのよろい)」をすり抜け、南条のジャケットの感触を捉えた。

 

「よし。僕が許可した対象(きみたち)は、これから起こる『現象』の例外とする」

 

 南条は満足げに頷くと、隻眼の男──鉄山へと向き直った。

 

「それじゃあ、お見せしよう──」

 

 南条悟が額あてに手をかけ、ずり上げる。

 露わになったのは、天空をそのまま閉じ込めたような蒼い瞳。

 六道の力の一端、「転生眼(てんせいがん)」の輝きが、薄暗い領域内を照らし出した。

 対峙する鉄山は、その瞳を見た瞬間、本能的な焦燥に駆られた。

 何かされる前に潰す。

 (わし)の結界に付与した「熔遁・絶対高地(ぜったいこうち)」は、この地のマグマ溜まりとリンクし、地の利を得て極限まで練り上げられた灼熱の術だ。

 いかに最強の忍といえど、この圧倒的な優位性(ハイ・グラウンド)の前には敗れ去るはず──。

 

「焼き尽くしてやる、南条悟ゥ!!」

 

 鉄山は吼え、ありったけのチャクラを南条へ叩きつけようとした。

 南条の指が、印を結ぶ。

 その口が、静かに動いた。

 

「──領域展開」

 

 

 プツン。

 鉄山の思考は、唐突に断絶した。

 視界が、聴覚が、嗅覚が、触覚が。

 全ての感覚が灰色のノイズに包まれ、世界が遠のいていく。

 熱くない。暗くない。何も聞こえない。

 いや、違う。

 聞こえすぎている。見えすぎている。

 

   『          』

 

 脳髄に、意味を持たない情報の濁流が流れ込んでくる。

 処理できない。理解できない。終わらない。

 彼は、永遠に続く一瞬の中に閉じ込められた。

 

   ◆

 

「な……んだ?」

 

 廻仟が呆然と呟く。

 さっきまでの灼熱地獄が、嘘のように消え失せていた。

 彼らの周囲には、熔岩も、岩盤も、蒸気もない。ただ薄暗く、黒いモヤのかかったような半透明の結界が広がっているだけだ。

 あまりにも静かだった。

 

「これが……南条先生の領域……」

 

 由良が息を呑む。

 目の前には、鉄山が立っていた。だが、様子がおかしい。白目を剥き、棒立ちのまま、口から泡を吹いてピクリとも動かない。

 まるで魂だけがどこかへ吹き飛ばされたかのようだ。

 

「彼はもう、何もできないよ」

 

 南条が額あてを下ろし、いつもの軽薄な笑みに戻る。

 

「僕の領域には、必中効果として転生眼の幻術を付与している。……まあ、少し特殊な幻術だけどね」

 

 南条は動かない鉄山の肩を小突いた。鉄山は糸が切れた人形のように崩れ落ちる。

 

「転生眼っていうのは、チャクラの流れから世界の理まで、とにかく『見えすぎる』眼なんだ。あと瞳術を使って、相手に『体感時間三日間の拷問』みたいな幻術をかけることができるんだけど……」

 

 南条は肩をすくめた。

 

「それって面倒くさいだろ? シナリオを作るのも、映像を組み立てるのも」

「は、はあ……」

「だから僕は、その制作工程を全部省くことにした。瞳術を使って送れるだけのイメージ、音、情報……その全てを、特に定めずに『()()()』のまま、相手の脳みそに送りつけるんだ」

 

 南条は指を立てて説明する。

 

「丁寧に組み立てられたプラモデルなら、君たちも受け取れるだろう? でも、送るほうも、一個一個作らないとだから送る量はせいぜい1~2個だ」

 

 廻仟たちはコクコクと頷く。

 

「でも組み立てずに済むならトラック一杯分のランナーとパーツをお届けできちゃう。小分けにもなってないパーツをバーッとね。すると送られたほうは、どうなるかな?」

 

 廻仟は想像して顔をしかめた。

 

「……受け取れきれねぇし、何を作ればいいかも分からなくてパニックになるな」

「そう。脳の処理が追いつかずにパンクする。この領域の中で、絶えず幻術が命中している彼は今! 終わりのない情報のゴミ山に埋もれて、指一本動かす命令すら出せない状態ってわけさ」

 

 処理落ちによる強制的な廃人化。

 それが、南条悟の領域展開の正体だった。

 結界がガラス細工のように砕け散り、元の地下倉庫へと戻る。

 鉄山は完全に意識を失っていた。

 

「強すぎる……」

 

 傀儡丸が低く唸る。

 忍術の撃ち合いにすらなっていない。一方的な蹂躙だ。

 

「さて、と。回収班を呼んで、こいつとそこの呪物たちを確保しないとね」

 

 南条が伸びをした、その時。

 地下倉庫の奥、崩れた壁の隙間から、微かな違和感を感じた気がした。

 

(……ん? 今何か……)

 

 南条は視線を向けたが、特にチャクラ反応はない。気のせいか、あるいは小動物か。

 今は生徒たちの安全確保が最優先だ。南条は警戒を解き、通信機を取り出した。

 

 

 ──その壁の奥。

 闇に溶け込むようにして、一人の男が立っていた。

 古い長着と羽織を着た男、脳噛(のうがみ)

 その容貌は異様だった。細めた目は鋭く、頭部には冠の環のように何本もの無機質な「()()()」が直接打ち込まれている。

 彼は冷ややかな目で、一部始終を観測していた。

 

(……やれやれ。やはり厄介ですね、南条悟)

 

 彼の中に、畏怖や賞賛といった感情はない。あるのは、散らかった部屋を見るようなうんざりとした感情だけだ。

 

(真正面からやり合っては、こちらの計画が遅延するばかりだ。やはり『封印』の手順を進めるしかありませんね)

 

 脳噛は懐を探り、これから使用するであろう「切り札」の準備について思考を巡らせる。

 

(面倒ですが、舞台を整えましょう。……彼が逃げられない、最悪の舞台を)

 

 脳噛は音もなく踵を返し、闇の中へと消えていった。

 

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