死を告げる者の過去と現在。

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招かれざる来訪者

 招かれざる来訪者

 

 朝、彼は0600に目を覚ます。

 そして家の窓を全て開け放ち、一部屋ずつ掃除をしていく。

 それが終わると、縁側の安楽椅子に腰掛け、妻が淹れてくれた温かい珈琲を飲みながら新聞を読む。

 これが彼の日課だ。

 軍務を退き、はや三十五年が経っていたが、やはり長きに渡る軍隊生活で身体に染みついた習慣というのは、なかなか抜けないらしい。

 その証拠に、彼は定期的に軍服を新調し、オルクセン陸軍予備役将校としての品位を保つ努力を怠らなかった。

 息子がその姿に憧れを抱き、オルクセン陸軍士官学校を志した事はごく自然な成り行きだった。しかし、彼は息子を陸軍には入れさせず、船乗りの道を歩ませた。

 次に戦が起これば、中立国たる我が国が生き残る為には海を制せねばならない。大陸全土を巻き込む大戦争が起きた時、船乗りであれば祖国へ大きな貢献ができる、と。

 無論、本音であった。

 が、息子を守りたかったという想いも強かった。

 彼が軍人として関わった戦争、ベレリアント戦争では、多くの若者が再び祖国に帰ることはなく彼の地にて土に還った。

 船は沈みでもしない限り、死にはしない。ましてや、民間船舶であるなら中立国であるオルクセンの船が沈められることなどない。

 星欧で大戦が始まってもオルクセンが参戦することはなかったが、アスカニアとの国境線には続々と陸軍部隊が集結しつつあり、と連日ニュースが騒ぎ立てている。

 息子に船乗りを勧めて良かった、と彼は安堵した。

 予備役海軍将校に任官したとはいえ、直接戦闘に即時かかるわけではない。

 二度とあんな想いはしたくない。

 彼は直接ベレリアント戦争に行ったわけではなかったが、オルクセン軍人として最も"戦死"という現象に近い職務に就いていた。

 それが今やこうして安穏と珈琲を楽しみ、家族との思い出が詰まった庭を眺める毎日だ。

 息子が生まれた日に植えた苗木は、大きなドングリの樹となり、時が経つ早さを彼に教えていた。

「あの子は元気かしら」

 お手製のドングリケーキの載った皿を机に置き、心配気な表情の妻が隣に腰掛ける。

 彼女の心配も最もだ。

 同盟陣営オスタリッチは劣勢気味の現状を覆すべく、特定海域における無差別通商破壊戦を宣言した。

 参戦国はもちろん中立国であっても、指定された海域を行き交う船は片っ端から沈めるという、あまりにも無茶苦茶な潜水艦作戦を開始したのだ。

 既に協商陣営の雄、キャメロットはかなりの船舶を喪っており、海上覇権国家たる彼の国の面目を完全に潰しにかかっていた。オルクセンとてひと事ではなく、国境線が緊張度を増している今、海上交通路の遮断は死活問題であった。

「今のところオルクセン船舶に被害は出てない…。連中とて、わざわざ敵は増やしたくはないさ」

 彼は彼女の手を擦り、半ば自分に言い聞かせるように言った。

「さ、食べよう。冷えてしまうよ」

 妻のドングリケーキは絶品だ。

 温かい珈琲と手作りのドングリケーキ。これがあるから私は、毎朝ベッドという約束された安寧の地から脱出できる。

 この前息子がよこしてきた手紙にも、母さんの手作りドングリケーキが食べたいと書いてあったか。

 オルクセンが誇る豪華客船の船員なのだから、もっと良いものを食べてるはずなのにね。

 そう言う妻の口角が僅かに上がっていたことを、彼は見逃さなかった。

「今、地裂海の辺りを航行中だったかな」

「そうねぇ。元気でやってるかしらね」

 ちょっと甘すぎたかしら、と彼女は自作のケーキを品評している。五十年以上作り続けてなお、もっと美味しくなるよう努力している妻を、彼は非常に愛おしく思った。

 ラジオは相変わらず星欧大戦の行方をがなり続けている。新聞も似たような調子だ。

「すまないが、ラジオを消してくれないか」

 世界の状況も気にはなるが、二人の時間を邪魔されたくはない。

 家族の時間や空間に入り込むのはよろしくない。

 まぁ、しかし。

 私の仕事はその典型例だったな。

 眉間に皺を寄せ、彼は目を細めた。

 思い出したくもない仕事だった。誰かがやらねばならない仕事ではあったが、家族の時間や空間、そして幸せな思い出すら奪ってしまうものだった。

 

 

 

 

 家族を奪われた者は、すぐさま敵の弾を憎む事はできない。目の前にいる、夫や父が地に還った事を告げに来た者をまず恨む─────。

 たとえ理不尽であっても。

 受け入れなければならない。

 そういう仕事だ、と彼は息をついた。

 この仕事が嫌いだ。

 私の来訪を知るや、その地域の住民の顔は一瞬にして固くなる。

 死神が来たが如く。

 まさに。

 やり過ぎだと思うほど糊のきいた、濃緑色のオルクセン陸軍第一種軍装に身を包み、磨き上げられたブーツの威圧的な靴音。

 不吉な死神か疫病神のように思われて当たり前なのだろう。

 この街はコボルト族が多い。

 昔、エルフィンドで迫害され、オルクセンに亡命してきたコボルト族に提供された土地に近いというのもあるだろう。

 住所と簡単な地図を記入した手帳を見つつ、路地裏へと歩みを進める。

 段々と街並みがうらぶれ始め、道を違えたかもしれないという疑念が頭をよぎった時、手帳に記した特徴と合致する家を見つけた。

 年季の入った、小さな家。

 家族でずっと住み続けているのだろうか。扉の向こうからは、子供たちの元気なはしゃぎ声が聞こえてくる。

 

 悪いエルフィンドをやっつけろ!────

 

 オルクセン軍の大勝利だ!─────

 

 我等が祖国の勝利を疑わず、我等を虐げた憎むべきエルフィンドを叩き潰すと誓ったオルクセン王国民。特に白エルフに国を追われたコボルト族やドワーフ族なら、その想いは強いだろう。

 愛国者として、市民として戦い死んだ者に最大限の敬意を。

 制服にシワやホコリは無い。靴に曇りはなし。

 深く息を吸い込み、扉を叩いた。

「どちら様ですか?」

 子供たちを宥めつつ、扉を開けたのはビーグル種の牝だった。

「朝早くに申し訳ありません。リッター夫人でいらっしゃいますか?」

「はい、私ですが……」

 私の様相を観察した彼女の顔は、一瞬にして強張った。

 努めて事務的に、平坦な口調で述べる。

「カール・リッター上等兵は、アレッセア島にて壮烈な戦死を遂げられました」

 彼女の顔はみるみるうちに青ざめ、その場に倒れ込みそうなほどだった。実際、卒倒してしまう遺族もいる。

 私は、いつでも彼女を抱きとめられるよう気を張りながら続ける。

「戦死された詳しい状況については、後日また別の…」

「分かりました」

 沈黙。

「夫は、帰ってこないと、分かりました」

 彼女は小ぶりな犬歯で、己が唇を血が出るほど噛み締めていた。小刻みに震えている。湧き出てくる感情を言葉して目の前の牡にぶつけたりせぬよう、滂沱しないよう、必死に耐えている事を私は痛いほど感じられた。

「カール・リッター上等兵の祖国への献身に対し、最上の敬意を表します」

「はい。ありがとうございます…」

 長く玄関から帰ってこない母親を心配してか、奥から子供たちが顔を出してきた。

 私を見つめるその目は、憧れに満ちていた。

 彼等も父親と同じように、兵隊として活躍する事を夢見ているのだろう。軍服を着ているだけで、子供からは同じような瞳を向けられる。

「それでは失礼します」

 俯き肩を震わせる彼女に対し、敬礼を捧げる。

 踵を返して大通りへ向かう私の背後から聞こえる嗚咽が、幾ばくかもせずそれはやがて絶叫へと変わった。

 私は振り向いて彼女を慰めるような事はしない。

 招かれざる者として、その場に留まってはいけない。

 これは任務であるし、私の手帳には次に訪れるべき家への道筋と名前が書かれている。

 死を告げる者。

 これが私の仕事だ。

 

 

 

 幸いにして、彼はもはや軍務を退き、嫌いだったあの仕事から解放された。

 ベレリアント戦争が終わって、作戦中行方不明者の遺体が見つかったり、復員中の事故で亡くなったり。戦後も多くの招かれざる来訪者としての仕事をこなしてきたが、最後まで仕事に慣れることはなかった。

 退役した彼は、後備連隊の事務方予備役将校として、もはや軍に籍があるだけと言っても過言ではない。 

 再びあの仕事に就くことはなかろう。

 そして、オルクセンが戦禍に巻き込まれる事はないと彼は信じている。

 このまま何事もなく、平和なオルクセン国民として生涯を終え、豊穣なる大地に還りたいものだな、と彼は少し冷めた珈琲を口に含む。

 戦争ともなれば、こんな美味い珈琲も飲めなくなる。

 ベレリアント戦争以来、我が国は永世中立を標榜して戦争から遠ざかっている。

 平和とはかくも有り難きものなのだなと。

 オルクセン存亡を賭けて行われたかの戦争を知る者として、彼は改めて痛感する毎日だった。

 年末には息子も帰ってくる。

 危険だ、危険だと新聞は煽るが、連中とて今や星欧を代表する大国となったオルクセンを敵に回したかなどあるまい。強大な軍事力を有し、外交的にも極めて大きな影響力を持つ永世中立国と敵対して良いことなど理性的に考えれば分かることだ。

「あの子が帰ってきたら、お向かいさんも呼んでパーティーでもしようか」

「いいわね。知ってる?あの子、お向かいさんの娘さんといい感じらしいのよ?」

 知らなかった。

 そうかそうか。あいつも一人前の牡になったのだな。

 彼は穏やかな陽光に目を細め、遠い海に居るであろう息子の顔を思い浮かべた。

 

 

 

 

 この仕事が嫌いだ。

 私の来訪を知るや、その地域の年寄りの顔は一瞬にして固くなる。

 死神が来たが如く。

 最近は戦争もなく平和な世界が続いたおかげで、この仕事をする機会は殆ど無かった。

 かといって殉職者が発生しないわけでは無いから、全くというわけではない。

 しかし。

 今回は違う。

 平時の殉職ではなく、厳然たる事実としての戦死。

 戦に巻き込まれた死である。

 やり過ぎだと思うほど糊のきいた、漆黒のオルクセン海軍第一種軍装に身を包み、磨き上げられたブーツの威圧的な靴音。

 無制限の通商破壊作戦?

 オスタリッチの連中、正気なのか?

 目的の家の前へ辿り着く。

 庭には大きなどんぐりの木が静かに佇んでいた。

 大きく息を吸い、そして吐く。

 伝えるべき言葉を反芻し、彼は玄関の呼び鈴を鳴らす。

 扉の向こうから足音が聞こえてくる。

 私の姿を見て、口から出てきた言葉によって全ての幸せが打ち砕かれるのだ。

 私は、この仕事が嫌いだ。




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