ベルデン郊外
定期便の砲撃。日常の一部となっているこの出来事が、私を眠りから目覚めさせた。
閉鎖的な塹壕の中で泥水は曇天の空模様を反射し、それに浸かったブーツからは振動を感じる。
この世界に生まれてからの16年が何かの夢であって、目が覚めればまた会社員としての日常に戻っている、などと言う客観的思考は打ち砕かれた。
サンチマンタリスム、なんてカッコつけて言ってみても現実は変わらない。こういう時は、いつも他の事を考えるようにしている。例えば転生とは何か、今更こんな事を考えても仕方がないが、神様が居るなら何故こんなシステムを作ったのか是非問いただしてみたい。
転生、なんて言葉は前世において人気だったアニメ作品を気まぐれで見た時に聞き齧ったことがある程度で、ましてや男から女に転生するという事は私にとっては非現実的出来事である。その為か、起きたばかりだとより一層これを強く感じるのだ。
これはいけない、と思いながら思考の渦から浮上する。どうやら天気も相まって今日はより一層悲観的らしい。
こんな時この世界がSF的な世界であれば自分の脳に何らかの電気信号を送り一瞬にしてムードを穏やかにできるのだろうが、未だに主要な交通手段として馬を使っているこの世界に、そんな便利な物はない。
....それにしても妙だ、いつもの定期便砲撃にしては砲撃時間が長いような気がする。私からすれば、長かろうが短かろうが嫌がらせでしかないが。
何やかんや考えていると、良い匂いと共に塹壕の奥からフードコンテナを背負い立派な髭を蓄えたおじさんがやってきた。どうやら朝食の配給が来たらしい。いつもより早いな、と思いながらおもむろに飯盒を取り出し配給の列に並ぶ。いつも通り最後尾、自分の番が来るのを待つ。最後に貰った方が、ちょうど良い温度になって食べやすいのだ。砲撃音は、もう聞こえない。
「お嬢ちゃん、最近はどうだい?」
いつも通りの世間話。私はいつものように答える。
「ぼちぼちです。体調も悪くないですし、毎日こうして温食も食べれますから」
「はは、そりゃよかったよ。ここら辺の若い連中は大抵が精神的に参っちまってる。正気でいるのはおまえぐらいだよ」
「そんな事はないです。私だって皆と同じく実戦は経験してない二線級部隊の一員ですし、何よりもいつここまであの砲撃が届くのか、と考えると恐ろしくて中々眠れません。」
「つっても、お前さんの顔を見るとそんなことは無いように思うがね」
「私は表情が顔に出にくいだけです」
軽口を交わしながら、よそわれた食事を見る。いつもと同じエンドウ豆のスープに、黒パンが浸っていた。
「あぁ、そういやお嬢ちゃん、ここ数日は気を付けた方が良い」
「どうしたんです?急に」
食事を持って配置に戻ろうとすると、片付けをしている配給のおじさんが、こちらに背を向けながら話しかけてきた。
「なにやら連隊本部が騒がしい。おそらく敵の大規模攻勢を感知したんだろう」
「と、言うことはさっきの砲撃も」
「おそらくそうだろうなぁ、噂によればここが前線になる可能性があるらしい」
瞬間、最悪のシチュエーションが頭によぎる。ここが最前線になる?ここにいる人員は、殆どがまともに訓練を受けていない。身体から、血の気が引くのを感じる。
「まあ、最悪の場合の話よ、そうじゃない可能性もある。それに、何かあったら俺みたいなロートルがすぐ駆けつけるさ」
「貴方はその年で戦えるんですか....」
「なにぃ?これでもまだまだ腕っぷしはあるつもりだぜ」
気を遣わせてしまったのか、はたまた偶然か、おじさんはいつものように軽口を叩いた。それが今の私には、とても心強かった。
「まあ、英雄にだけはなろうとするなよ」
そう言って、こちらを向いたおじさんはどこかぶっきらぼうだが、優しい笑顔をしていた。
ーー粗方食事を終えた後、私は小銃の点検をしていた。
と、言ってもそこまで大層なことではない。ここでできるのは最低限の動作確認ぐらいだ。
実戦は経験していない私だが、訓練の一環として日常的にやってきたことだ。その手に迷いはない。
...まともに受けた訓練がこれくらいというのもあるが。
どちらにしろこの小銃は私達の年齢には不釣り合いなほど不格好だ。確かに前世の年齢も数えれば、十分な歳でもあるだろう。問題はこの世界の少女、はたまた少年達が前世に駆り出されている事だ。あくまでも臨時召集の二線級部隊ではあるが、これは異常なことだろう。それほど前線が国内に近づいているということなのか、後方の治安維持の為か...考えすぎと言えばそこまでではあるが、ここでできるのは考える事ぐらいだ。
そんなことを考えながら、ふと足音がしたので目線を上げる。
「エーリカ~、暇だから話し相手になってよ~」
結い上げられた髪に、耳に響く綺麗なソプラノ声。
「...貴方の配置はここじゃない筈ですが、アレーネ」
「もぉ~、そんな固いこと言わずにさ、私とエリの仲でしょ?」
「その呼び方はやめてくださいよ...ハズカシイノデ」
彼女、アレーネ・フィートリッヒとは腐れ縁...いわば幼馴染みだ。
今世で周りから浮いていた頃、彼女は唯一私に話しかけてくれた。それには感謝しているのだが、不真面目な所が玉に瑕だ。それに、愛称で呼ぶのは恥ずかしいのでやめてほしい。
「照れてるエリもやっぱりかわいいなぁ。結婚しよう!」
「なに馬鹿なこと言ってるんですか。」
と、まぁいつもこの調子なのである。それはそうとしてもーー
「そもそも貴方は北地区担当でしょう」
「いいのいいの、私は殆ど南地区みたいなもんだし」
戦争の長期化による弊害か、塹壕はとどまることを知らず拡大し続けた。後方地域だって例外ではない、いつ前線になるかも分からないのだ。ここの塹壕はある意味でその象徴と言えるかもしれない。南北に広がる巨大な溝を、地区ごとに分けて管理するのは必然的であった。
ここで問題になるのは彼女の行動だ。もしかすると、本人にその気がなかったとしても脱走と疑われるかもしれない。そうなれば最悪死刑は免れないだろう。まぁ、士気的な面を考えればそこまで重い処罰に処す事はないだろうが、何があるかは分からない。
「ねぇ、難しい顔しちゃってさぁ。さっきから人の話聞いてる?」
「そんなことより貴方はここにいてはーーー」
そうやって苦言を呈する為口を開こうとした時、私は気付いてしまった。
彼女の細い手がか弱く震えていたことに。
「あっ、あれ?エリ、怒っちゃった?」
私は大切な事を忘れていた。彼女はまだ年相応の少女なのだ。いつ砲撃がここまで来るかという恐怖に毎日さらされれば、精神的に参ってしまう。彼女、いやアレーネが危険を犯してまでここに来た理由が、やっとわかった。
「....いや、、何でもないですよ」
「あ...なら、よかった。やっぱりここにいちゃ駄目だよね、元のところに戻るよ」
アレーネの顔が一瞬曇るのを見逃さなかった。
「少しだけですよ」
「え?」
親友の事を気にかけない程、私は薄情な人間ではない。
それにーーー
「ありがとう!」
アレーネには、いつも笑っていて欲しいのだ。
一面の銀世界。すぐにこれが現実ではないと気付く。
これは遠い過去の記憶。故郷での思い出だ。
私は、極東部地域の出身だった。
だから、遊ぶ時は基本雪で遊ぶのが基本だったのだ。
『痛っ、なにするんだ!』
『やーい、おとこおんなだ!』
これは、まだ幼い私が近所の男に嫌がらせをされている時の記憶だ。
当時は精神が肉体に引っ張られたのか、情緒が不安定で周りから浮いていたのだ。
だが、大人としての良識を持ち合わせていたのか決してやり返す事はしなかった。
『へーん、なにもやり返して来ないのーー』
『ちょっと貴方達、なにやってるの!』
『げぇっ、暴力女だ。にげろ!』
あぁ、思い出したそうか、これは...
『何が暴力女だ!まったく...貴方、大丈夫?』
『あ、ありがとう』
『いいよ、お礼なんかさ。ところでせっかくの縁だし私と友達になってよ!』
私の名前はーー
目を開けると、既にアレーネの姿はなく一面を闇夜が照らしている。
今、塹壕を照らす照明は夜空に佇む月光のみだ。
彼女が帰った後、どうやら眠りに落ちてしまったらしい。
夜風は私の身体を強ばらせ、体を動かそうとする気力さえ奪ってしまう。
肩にかけた小銃をなんとか持ち上げ、ふと外を見渡してみる。
いつもと比べれば、とても静けさに満ちている景色だ。
いつもなら散発的な発砲音が聞こえるところだが、今朝の砲撃で力尽きたのかそれらも聞こえない。
この静寂は、どこか恐ろしい程闇を貫いている。
おじさんの話を思い出し嫌な予感を覚えるが、突然眠気が私を襲ってくる。
いつもならば何度も発砲音で目覚めるところだが、この静けさからか脳内が睡眠の好機と感じたらしい。
あぁ、この機会に甘んじるのも良いかもしれない。
私は頭を引っ込めて、眠りについた。
突如身体が地面に叩きつけられる。
随分ひどい目覚ましだ。口の中が大地の味で一杯になる。
間髪いれずに空中に響く炸裂音。お次は冷や水を浴びたかのように思考がクリアになる。
どうやら最悪の予感が的中したらしい。
敵だ!
すぐさま銃のボルトを動かし、ヘルメットを深く被り直す。
最悪だ、前線は既に突破され敵は後方地域まで浸透している。
不幸中の幸いなことに、今は準備砲撃をしている最中。
この砲弾の雨が降る限りは敵兵は来ない。直撃を受けない限りだが....
体感で5分程過ぎた後、砲撃がピタリと止んだ。
すぐさま敵のいる方向に銃を構える。
土煙が落ち着くと同時に、地響きがドロドロと鳴り響く。
敵はまだ見えない。
周りを見渡してみるが見えるのは塹壕の奥にいる味方だけ、私よりも年上の少年が小銃を乱射している。
これでは組織的な反抗は厳しいだろう。そもそもこの塹壕内には規模に見合わず2、3人の下士官と士官しかいない。
ここが前線になると予想をしていなかったのかもしれないが、指揮官の不足はあまりにも致命的だ。
「ぎゃ」
間の抜けた断末魔とともに、先ほどの少年は糸の切れた人形のように地面に倒れた。
耳元に響く風切り音、砲撃のあった方向からだ。反射的に撃ち返す。
暗闇に目を凝らすと、限りなく続く平原に人影がぼんやりと浮かび上がってくる。一人や二人ではない、数えられない程の大群だ。
まだ距離はある。だが、すぐさま理解する。これには勝てない。足が竦む。逃げだしたい。死にたくない。
足にどうにか力を込め、塹壕から這い出る。休んでいる暇はない。立ち上がりともかく平地を走り出す。少なくとも、この先にある森を抜ければ味方がいるはずだ。
背中からは死のプレッシャーと、あの少年の死体が私の事を卑怯物と言うように感じる。
私はそんな感覚に耐えられず、後ろを振り返りもう一発銃を虚空に撃つ。敵に当たるかは分からない。
ただ、この感覚から逃げ出したかったのだ。
吐き出す息は紫煙のようになり、目には涙が貯まる。
私自身も結局の所死を恐れていたのだ。
まるで自分が自分ではないようで、どこか夢現だった。
この恐怖の熱が冷めアレーネの無事を案じる余裕ができたのは連隊本部に到着してからだった。
場所が既に露見していたのか小さな村に位置していた連隊本部は砲撃によりほとんどが瓦礫となっており、奇跡的に直撃を免れた教会が残るのみだった。無事な人間達は各々撤収の準備をしている。
その時、伍長の階級章を携えた兵士がちょうど通りかかった。
「お前!そんなところで突っ立って何してるんだ、ってお嬢ちゃんじゃねぇか」
炎上する建物の光に照らされたその兵士の顔を見てみれば、いつもの配給のおじさんだった。
「あっ、あの私は」
次に続ける声が思い浮かばない。それはそうだ、自分は敵を前にして逃げたのだから。
「撤退命令を聞いてねぇのか!お前さん達のような臨時召集者は内地まで後退だ。」
その事実を聞いて一瞬安堵するが、そこで安堵してしまった自分の感情に激しい嫌悪感を抱く。
今回はたまたま運がよかっただけだ。
「北地区のやつらは既に撤退してたが、まさか南には情報が伝達ーー」
「本当ですか!」
「あ、あぁ、北のやつらは今頃国境付近だろうが知り合いでもいたのか?」
アレーネは無事、その事実を理解して自然と涙が流れてくる。
あぁ、これはいけない。早く返事をしなければ。
「はい。私の、親友が一人」
「お前さん泣いて...いや、それよりも早く撤退しろ!敵がいつここまで来るか分からんぞ」
「おじさんはどうするんですか?」
「なぁに、俺みたいな老いぼれは若いもんの為にも殿になるさ」
「そんな...」
殿になるということは、ほとんど生き残れる確率は低い。つまりは彼は死にに行くというわけだ。
ここで止めなければ、二度と彼には会えない気がした。
「あの、」
「いいか?この道を進んで、国境を越えたらリュースバルクという都市がある。そこに行けばお嬢ちゃんの原隊に合流できる筈だ」
彼の気迫に押され、私は言葉を続けることができなかった。だが、それでも伝えようと口をーー
「振り返るな!」
彼はそう言ったかと思うと、森の中に走って消えていった。
とうとう私は彼を引き留めることはできなかった。
それでも行動しなければ意味がない。私は言われた通り歩みを進めた。
あの村の中で、唯一倒壊していないと思っていた教会を横目で見る。
よく見れば、崩れた壁から負傷兵が詰め込まれ、呻き声をだしていた。
しかし、従軍看護婦は彼らには見向きもせず医療器具をかき集めここから走り去っていく。
『おかあさん、おかあさん』
そんな声がこだまする中、突如聞こえる声。
『何でお前が』
負傷兵中にあの塹壕にいた少年がいた気がした。
彼とは一度も話した事はない。ただ、彼が事切れる瞬間が頭にこびりついている。
動悸が速くなる。嫌な汗が身体から滲んできた。
私は、恐怖でまた走ることしかできなかった。
道中、負傷兵の力尽きた死体が転がっていた。
私はそれがあの少年にしか見えなかった。
翌日、私は日が明けてようやくリュースバルクへと到着した。
とうとうあのおじさんの名前を知ることはなかった。
Tips ベルデン会戦
1917年3月21日未明、西部戦線に展開していたロイテン帝国(以下ロ帝)軍は、
フ共が開発した新兵器――塩素ガスによる大規模な毒ガス攻撃を受け、前線は急速に瓦解した。
当時、西部戦線のロ帝軍最高指揮官であったルントシユッデイッヒ元帥は
即時撤退命令を下したが、命令は戦線全体に行き渡らず、
攻撃は翌朝にかけて断続的に継続された。
この際、特に被害が甚大であった部隊として
第13南区臨時召集戦闘団の壊滅が記録に残されている。
本会戦によりロ帝は多数の熟練兵を失い、
以後、戦争は同国にとって明確に不利な局面へと転じていくこととなった。
『帝国の崩壊――ベルデン、1917』
著:カール・H・ヴァルデンシュタイン
欧歴1936年 フリードリヒ学術出版刊より