プリミティブ・プライメイツ ~暴君転生~   作:翠碧緑

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108話 汚らしい虚構

 

 フィンナ・カルクルールにとって言葉とはただのパターンでしかない。

 

 挨拶。近況。欲望。約束。感想。

 

 言葉を重ねる行為はただ文字数が多くなるだけの無駄な行為だ。

 

 最初から欲しいものを言えばいい。

 気に入らないものを言えばいい。

 

 しかし、人間というものはあまりにも曖昧だ。

 

 それを指摘すると激怒し、さらに文字数を多くする。

 

 “その通りだ”と言えば済む話なのに。

 

 あまつさえ嘘をつき、誤魔化し、着地点さえ失っていってしまう。

 

 愚かがすぎる。先に進めない。共有が遅れる。

 

 それはフィンナという少女の苛立ちを強めるだけの音だった。

 

『また侯爵が粗相をしたそうで……』

 

『らしいな……』

 

 下卑た風の音がまたフィンナの耳に入ってくる。

 

 その会話の主はフィンナの父と、とある王族のもの。

 上位貴族が多く招かれたパーティでの一幕だった。

 

 噂の侯爵を目の前にして、彼らは侯爵に聞こえない音で会話をしている。

 その顔には笑顔が。侯爵はただの笑顔だと思って彼らに接している。

 

 本当に無駄な言葉の羅列でしかない。そうフィンナは思った。

 

 上位者に与えられた風の声はこうした相手を嘲笑する使い方しかされていない。

 本来ならばこんな内緒話ではなく、もっと利益のあるものに使われるべきだ。

 

 苛立ちを抱えたままのフィンナは心の中でまた耳を塞いだ。

 どうせフィンナの父は長くない。それまでの辛抱だ。

 

 そんなとき、彼女の塞がれた耳にすら届く大きな声が響き渡った。

 

「あん? 粗相~? 叔父上殿! 公爵殿! 侯爵の粗相ってなんだよ!?」

 

 あえて大きく言ったかのような声量で少年はわざとらしく質問した。

 

「な、なんのことかな? ハットリューク?」

 

「はあ? 言ってたじゃん。粗相ってなあにいいいいいいい!?」

 

 その少年はお飾りの王の息子。つまりはお飾りの王子だ。

 

 困ったように笑うフィンナの父と国王の弟。

 そしてわけが分からず混乱している侯爵。

 

「さっさと言えや!! “この間侯爵が病気で漏らしちまっただけのことを俺達は笑ってました~”ってよおおッ!!」

 

 少年を一言で表すのならば、美しい。それに尽きた。

 しかし、その口から放たれる音の羅列は下品が過ぎた。

 

 だが、とても一途で熱のある音だった。

 

「馬鹿にしやがって!! てめえらうるせえんだよ!! 虫みてえによ……! ちゃんと口で喋れや!! ……って痛ってぇ!!」

 

 咆哮していた少年だったが、突然何かにぶたれたかのように頭を手で押さえた。

 

「うるさいのは貴方ですな、ハットリューク王子」

 

「うげえ……グスタフのおっさんかよ」

 

「退場しましょうぞ」

 

「は!? なんで俺が!? お、おい、ゴラァ!! まだメシ食ってねえ……ッ!! うおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 屈強な男性に無理矢理捕まり連れ去られていく少年。

 呆れた顔と賑やかなものを見るような笑顔がそれを見た者達の間に広がっていた。

 

(ハットリューク・サルヴァリオン……王子)

 

 そしてそれを見たフィンナの顔は驚きと興味を抱いていた。

 

 熱に浮かされたように顔が、脳が、熱く焼けていた。

 理論に縛られていた少女が意味の分からぬ感情に犯されていた。

 

 回りくどいやり取りを嫌うフィンナを突如燃やしたのは直情的で単純な人間の本能だった。

 

 それはありきたりで典型的な、初恋だった──。

 

 

 

 

「好き」

 

「……あ?」

 

 フィンナの行動は早かった。早すぎたのかもしれない。

 

 その端的にすぎる告白は少年を惑わすだけだった。

 

「好き」

 

「どうしちゃったの、この子……。なんか言わされてる?」

 

「好き」

 

「あれ? 時間って進んでる?」

 

 開口一番の愛の告白は失敗した。

 しかし、それ以来フィンナは彼と一緒に行動するようになった。

 

 だいたいが彼のいたずらに付き合わされるだけであった。

 

 ある時は、調理場の食料を持ち出そうと二人は深夜の宮殿をうろつく。

 

「おっし、やるぞ、フィン。ちゃんとあっち見張ってろ」

「うん。あ、グスタフが来てた」

 

「……ハットリューク王子、お話よろしいかな?」

 

「ちょっと言うの遅かったかなあ、フィンちゃ~ん」

「えへへへへ」

 

「さっさと来い、馬鹿王子!」

 

「なんで俺だけええええええッ!?」

「ばいばい」

 

 ある時は、その生まれ持った特性のため倒れたフィンナを王子が看病した。

 

「おいおい、こんな便利なもんあるならはじめから言っとけよ、フィン。お前、すげえ魔力タンクやん! これで夜でも本が読めるな!」

「…………」

 

 そのはずだったのだが、ハットリュークはフィンナの体から溢れる力を灯火に利用していた。

 

 フィンナの何も無い部屋には、いつの間にかハットリュークが持ち込んだ本が増えていた。

 夜になると彼はフィンナの部屋で、勝手に彼女を明かりの油の種にしていた。

 

「ふふふふ……」

「あん? どした?」

 

 その暴挙をフィンナは笑って受け入れていた。そのくらいの扱いをされる方がむしろ心地よかった。

 実際にその時に彼が作った装置が、彼女と未来の娘を助けることになったのだから。

 

 夜の帳が落ちる静かな空間に、陰りのある黄金の髪がなびいていた。

 小さな光に照らされ、本に目を落とす彼の横顔があまりにも愛おしかった。

 

「好き」

「あいよ」

 

 その愛の言葉はまた届くことはなかった。

 

 そのうち、彼は城を抜け出し外の世界の現状を見ることになった。

 

「リューク? どうしたの?」

「……フィンか」

 

 ある日、彼が宮殿の端で泣いているのをフィンナは目撃してしまった。

 

 なんでも民の一人が処刑される様子を見てしまったらしい。

 

「……あれは無罪だった。冤罪だった……ッ! あの畜生ども……ッ!! 好き勝手しやがって……ッ!!」

 

 彼は現実を知った。

 女王の目を盗んで悪事を働く貴族たちを。

 

「王子である俺の意見がなんで無視されんだよ!! どこに罪があったんだよ!!」

 

 自分の無力を知った。

 

「なあ、フィン……。城を抜け出した先の街ではいっぱい聞こえるんだよ。俺への悪口がさ。

 わかっちゃいたけど、あんなに嫌われるもんなんだな……」

 

 自分の評価を知った。

 

「でも、身分隠して話してみるとよ、みーんな、いいやつなんだよなぁ……。なんでなんだろうなぁ……」

 

 それはフィンナが初めて見た彼の弱さだった。

 フィンナもまた、なんの力も持たない少女だ。

 

 だから、彼に寄り添うくらいしかできなかった。

 

「……好き」

「…………ばーか」

 

 

 やがて、彼女たちは男女を意識するようになる。

 

「リューク!」

 

 いつものように宮殿の催しでフィンナは彼に声を掛けた。

 

「フィン……。あー……また後でな」

「どうした、()()()()

 

「……ッ!!」

 

 いつの間にか、彼の隣に立っているのはフィンナではなく、同世代の男性たちになっていた。

 

 フィンナだけが呼んでいた呼び名を彼は他の男たちに許していた。

 

「いや、なんでもない。行こうぜ、ダルン」

「そうか」

 

 それだけではない。

 彼の周囲が色めきだっていたのだ。

 

 王族の中でも美形であり、性格に難はあるが、政治に真面目だったのだ。

 彼は幼い頃に見せた弱さを飲み込み、折り合いを付けているようだった。

 

 フィンナは慌てた。

 必死に彼に虫がつかないように徹底的に排除を繰り返した。

 

 そして、その過程で邪魔になった自らの父を謀殺した。

 

「はは……我が家は安泰だな……。お前のような化け物が生まれたのだから……」

 

 それが父の最期の言葉だった。

 

 十四歳の公爵が誕生した。もちろん女王が健在だった当時は、直接的な統治をできる力を持っているわけではない。

 しかし、政務能力を評価されたフィンナは政治の中枢に入った。

 

 女王は徹底的な能力主義者だったのだ。

 

 玉座に座る女王に謁見し、跪くフィンナが見たのは正しく化け物である女だった。

 

「貴様か。なるほど。その飢餓が満たされることはないだろうが、せいぜい励むことだな」

 

 初めて上位の存在に見下された。

 女王がフィンナを見る目には一切の興味がなかった。

 

 女王は玉座から全ての下等生物を見下ろしているに過ぎなかった。

 

 

「女王サマに会ってみてどうだったよ?」

「どうしようもないと感じたよ」

 

 公爵の継承式を行った日にフィンナは久しぶりに彼と話す事ができた。

 

「なんだよ、その話し方。気持ちわりー」

「これでも公爵なのでね。誰かさんのおかげで会話には困らなくなったからな」

「俺は悲しいぜ。あのフィンちゃんがこんなことになっちまって……」

 

 大袈裟な反応を彼はするが、大して気にしていないことはわかっていた。

 

 そういう男だった。

 

「ははは、まあ、あの女王サマはこええけど、()()()()()()

 

 それは彼なりの称賛だった。

 彼は王族の無意味さを嘆いていても、女王の采配を尊敬していた。

 

「偉い?」

「まあな。一回あの女王サマにブチギレたときがあってさ」

「……本当にキミは何をやっているのかね」

 

 少し頭を掻きながら、とんでもない失敗談を話す彼をフィンナは見つめる。

 彼女の表情は幼い頃から何も変わらない。愛しい者を見つめる女の穏やかなものだった。

 

「あんときは、もうどうでもよくなっちまったんだよな。でも、あの人は俺を傷つけることも、押さえつけることもしなかった。ただ、俺の疑問に答えてくれたんだ」

 

 彼の視線が、無意味な挨拶を繰り返している女王に向けられた。

 それは憧れるものを見る瞳だった。

 

 フィンナはそれを危険だと判断した。

 

 彼は人間を嫌っていた。つまり、それは人外性に強く惹かれてしまうことを意味する。

 

 それは打算ではなく、焦りから飛び出した言葉だった。

 

「リューク……あの……」

「ん?」

 

 王族と公爵の婚約になんの問題があるのだろうか。血筋的にも問題はない。

 きっと未来を継ぐに値する子供が生まれるはずだ。

 

 その時のフィンナは昔のように()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 回りくどい言い訳と建前を用意してしまったのだ。

 何を悔やむのかと聞かれれば、きっとそのことを今のフィンナは語るだろう。

 

「あ、そうだ! お礼を言い忘れてた!」

「……? お礼?」

 

 軽くフィンナの肩を叩きながら、親しげに彼は微笑んだ。

 

「フィンだったんだろ? “()()()()()()()()()()()”を無くしてくれたの! マジでありがとう!!」

 

 フィンナはそれを聞いて、必死に言葉を探した。

 しかし、何も思い浮かばなかった。

 

「おかげでやりてえことできてんだよな! 結婚なんてめんどくせえし! 俺の子供なんて考えるだけでも嫌だわ」

 

 純粋な笑顔を彼はフィンナに向けていた。

 

 それを言っている相手を女だとは思っていなかった。

 

「…………では、なぜ、私とは話してくれるのかな」

 

「は? なんだよ今更。お前はずっと一緒だったじゃねえかよ。もう家族みてえなもんだろ?」

 

 それはフィンナの望んだ言葉ではなかった。

 

「……ああ……。そう、だな……」

 

 激情がフィンナの体を駆け巡って狂いそうだった。いや、実際に狂いだしていた。

 

 その場で彼を犯してしまいたかった。絶対的な、彼の嫌う権力や暴力で汚してしまいたかった。

 

 しかし、フィンナはその凶暴な愛情を我慢した。時を待つことにしたのだ。

 そう計算できてしまうだけの理性を彼女は残していた。

 

 彼も所詮は男なのだ。肉体がある以上、快楽からは逃れられない。

 その獣性が芽生えた時に、丁度良く隣にいる都合の良い女でいればいいのだ。

 

「────好きだよ」

「あはははは! なっつかしー!!」

 

 だが、そこからフィンナの地獄が始まった。

 

 彼が簡単に女に落ちたのである。

 

 偶々訪れた国で出会っただけのぽっと出の女。

 それが下級の頭の悪い女ならば、フィンナは即排除できた。

 

 しかし、その相手は『ハピフクス』。古き血を濃く残す大家だった。

 

「お初お目にかかります、ハディア、と申します。よろしくお願いしますね」

 

 さらには絶世の美女であり、礼儀作法も、知識教養も問題ない。

 

「俺の妻!! ははは! ちょー可愛いんだから!」

「まあまあ、ふふふ」

 

 その光景を見て、目が腐るかと思った。

 彼の甘い声を聞いて、耳が溶けるかと思った。

 自分が一生その横に立てないのだと知って、心が砕け散るかと思った。

 

「……ああ、そうか。それは……めでたいな」

 

「ああ! ハディア! こいつはフィン! 俺の大事な家族みてえなヤツ!」

 

 けっして蔑ろにはされていないのがまたフィンナの魂を狂わせた。

 

「へえ、そうなんですのね。……()()()()()()()?」

 

 何もわかっていないような笑顔でその雌は語っていた。

 

「いやいや、コイツとはそういうんじゃねえから!」

 

 では、どういうものなのだろう。

 

 フィンナは虚無となった心で日々を彷徨った。

 

 そして、別の愛を見つけた。

 

「……ずっとお慕いしておりました、フィンナ様」

「フィンナ様どうか僕と……」

「あれ? 素敵な女性ですね? どちらまで?」

「……貴方のお名前は?」

 

 フィンナは狂った。

 愛に、欲に、憎しみに、嘆きに。

 

 楽しかった。癒やされた。満たされた。愛しかった。

 

 苦しかった。辛かった。寂しかった。悲しかった。

 

 フィンナ・カルクルールは愛多き女だ。ロルカニア人の典型だ。

 

 それはパートナーを増やし続け、繋がりを強化する公爵としての彼女を皮肉って言われる言葉だ。

 

 しかし、それは──()()()()()()()()

 

 いくら愛を育んでも、増やしても、忘れられない、上書きできない。

 

 夫たちを、妻たちを愛している。

 そのはずなのに、最初が、最初だけが忘れられない。

 

 あれだけの失恋をしておいて、まだフィンナを縛り続けるそれは呪いだった。

 

 馬鹿らしくて自分で嗤った。もはやそれは受け入れるしかなかった。

 

 だから、彼のために動くことはやめられなかった。

 

「フィン……!! 何をやってるんだよ!? どうしちまったんだよ!」

「……なにかな? ハットリューク王子?」

 

「頼む……。その話し方をやめてくれ」

「そろそろ立場を考えたほうがよろしいのではないですかな?」

 

 たとえ肝心の彼に悲しい顔をされても、フィンナは燃える情熱を国の運営に向けた。

 

 “()()()()()()()()()()()”。

 

 もちろん『あの女(ハディア)』だけは含まないが、それがフィンナの生存理由だった。

 

 宮殿の防御能力を高め、権力を自分へ一点に集中させていく。

 

 女王はそれを咎めることはなかった。効率的なシステムを女王は求めていたからである。

 というよりもそれに構う必要が無かったのだ。

 

 なぜなら大戦争が始まったからである。

 

 誰もが勝利を信じて動く中、彼だけは逆の動きをしていた。

 

「待ってくれ!! 人間のことを考えるのなら、待ってくれよ!!」

 

 議会で叫ぶ彼の声は無視され続けた。

 

「!! フィン……!! お前ならわかってくれるだろう!?」

 

「……具体的なことを話して貰えないことには何も言えませんな」

 

 ()()()()()()()()()そう告げるフィンナに対して、彼は沈黙した。

 

 それを見て嘲笑する貴族たち。いつもの光景だった。

 

 しかし、彼をよく知るフィンナにはわかった。

 彼は何も理由無く、戦争に反対しているわけではないと。

 

 その瞳はフィンナを見ていた。

 唇を噛み、握る拳は震えている。

 

 懇願するような彼の態度がフィンナにはわかった。

 

「……理由はある……ッ! でも、言えない……!」

 

「…………」

 

 きっとそのときに彼の意見を聞くことができたのはフィンナだけだった。

 

 彼はおそらく大戦争の裏にたどり着いていたのだろう。

 

 だが、あのときのフィンナは彼と向かい合っているだけでも苦痛だった。

 丁度そのときにあの女の腹には彼の子供が宿っていたのだ。

 

 あれだけ拒絶していた女を彼が受け入れた事実にフィンナは激しい憎悪を抱いていた。

 

 だから、フィンナはそれ以上彼の声を聞こうとは思えなかった。その声を聞いていると、その姿を見ていると、本当に狂ってしまいそうだったからだ。

 

「時間終了だ。下がれ、ハットリューク」

 

 無慈悲な女王の宣告が下された。

 

「────」

 

 そう言われた彼は女王を激しく()()()()()()()

 過去にあれだけ尊敬していた女王を彼が怒りのこもった目で見ていたのだ。

 

 女王は相変わらずの無表情だった。女王はあくまでルールに則って彼に発言を許していた。

 もし、女王がフィンナのような人間だったのなら、彼は部屋から出ることすらできないだろう。

 

 その場を去るハットリュークがフィンナを見た。

 

「…………っ!」

 

 そこには深い失望があった。そこからフィンナは毎晩悪夢にうなされるほど、彼のその絶望の表情はフィンナの心をさらに傷つけた。

 

 そして時が経ち、ある事件が起こった。

 

 女王が突然、倒れたのである。しかも、目覚めても発狂し、まともに話せなくなってしまった。

 

「……なに?」

 

 その出来事はフィンナの耳にもすぐに入った。

 そして、彼女が真っ先に向かったのは、女王の下ではなく彼の下だった。

 

(今ならば……あの時のリュークの話が聞ける)

 

 彼は明らかに女王を警戒していた。

 しかし、今ならば聞けると判断したのだ。

 

「! リューク!」

 

「…………」

 

 そして、あのとき、あの場所で──。

 

「リューク……?」

 

 彼は廊下の壁に手をついて、何かをぶつぶつと言っていた。

 

「どう……する? どう、なるんだ……? 何を……すれば……いいんだ?」

 

 その眼は虚ろで、立っているのもやっとの状態だった。

 

「ど、どうしたのだ? 聞こえるか? リューク!!」

 

「……? ああ……フィンか……」

 

 やっとフィンナを見た彼は笑った。それは()()()()()()()だった。

 仲がいい人と会ったから笑った。それだけの肉体の反応だった。

 

 心と体がバラバラになっていた。

 

「リューク……っ!」

 

 明らかにおかしかった。彼まで女王のように発狂してしまったのかと思うほどだ。

 倒れそうになる彼を支えようとフィンナは近づいた。

 

「……ッ!! 触んじゃねえよ!!」

 

「────っ!?」

 

 腕を振り払われた。初めての彼からの明確な拒絶だった。

 

「え……? あ……? なにやってんだよ。ったく……。わりーわりー」

 

 と思えば彼はすぐに笑顔になった。

 遅かった。彼は既に壊れていた。

 

「……落ち着け。リューク」

 

「あ? なにがだよ? あはははははは!! そういやさ、女王が倒れたんだってな?! 馬鹿すぎない!? やられてやがんの!? ぷっくはっはははは!!」

 

「リューク……動くな」

 

 彼は半狂乱になってフィンナに向かって歩き始めた。

 

「なあ……フィン。聞いてくれ、俺の子が生まれるんだよ。こんなクソみてえな世界に生まれてくるんだ……。どうしよう……? もっとよくしておきたかったのに……。がっかりされちまう……」

 

 次の瞬間には彼は床に座り込んで泣き始めた。

 刺激しないようにフィンナはゆっくりと近づく。

 

「ああ……ファビライヒ……ごめんなぁ……。俺なんもできねぇ……。

 ダルン……どこにいんだよぉ……。早く帰ってきてくれよぉ……」

 

「リューク……」

 

 そしてやっとフィンナの手が彼に届いた。

 しかし──それが悲劇の引き金になってしまった。

 

「!! 触んじゃねえッ!! 女ども!! 汚えんだよ!!」

 

「ッ!?」

 

 今度は振り払うだけでなく、明確な攻撃がやってきた。

 風の刃がフィンナに向けて放たれた。

 

 それをなんとか防いだフィンナが見たのは、狂気に落ちた王子の姿だった。

 

「なに考えてやがんだよ、どいつもこいつも……。好きだの、嫌いだの、愛だの……。どこを見てやがる。世界を見ろよッ!! 頼むから……もっと見渡してくれよ……。

 てめえも、アンリーネも……所詮、肉欲に溺れる汚らしい女なんだ……。触んじゃねえ……。寄るんじゃねえ……」

 

 それは彼が抱え続けた闇だった。

 きっとそれはフィンナが出会ったときからずっとだ。

 

 彼の仮面は宮殿の誰よりも厚かった。

 それが剥がれた時に現れたのは、悲しみに暮れ、世界に絶望した一人の男だった。

 

「!! リューク!! 危ない!!」

 

 慌てて手を伸ばした。

 だって、彼は手すりに向かって歩いていったからだ。

 

 ここは最高権力者が集う場所。ならば、そこは高い場所にある。

 

「わりぃ……フィン……。今まで、ごめんな……もう無理だわ──」

 

「待って……ッ!! 嘘……ッ!! いやああああああああああああああああッ!!」

 

 あっけなく彼は落ちていった。

 子供の頃、いたずらをするときのような笑顔を浮かべたまま。

 

 遥か下の方で、聞きたくない音がした。

 

「あ……あ、あ……」

 

 なんとか、フィンナは思考を再開する。

 こんなことがあっていいわけがない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 フィンナは自分の兵士を招集した。彼女が魔法を使うと、すぐさま近衛の兵士がやってくる。

 

「カルクルール様! 何用ですか?」

 

「……ハディア・ハピフクスを殺し給え」

 

「……え。……いえ、は!」

 

 狂ったような視線を兵士たちに向けると、彼らを暗殺に向かわせた。

 

 そうだとも、こんな無様な死ではなく、王子の死ぬ理由はドロドロの謀略が絡んでいなけれればならないのだ。

 

 例えば、“権力に取り憑かれた女が邪魔な王族を排除した”という脚本だ。

 

 もちろんついでに邪魔な女は殺す。お腹の子も殺すのは彼の望みだからだ。

 この狂った世界に生まれる業を未然に防いであげなくては。

 

「ああああああああああっ!! ハットリューク様!? そんな!!」

 

 階下から、もう一人の哀れな女が泣き叫ぶ声が届く。

 同情が過ぎて、いっそ酒でも酌み交わしたくなるほどだった。

 

 しかし、フィンナはゆっくりと階段を下りていった。

 いかにもな登場に見えるようにゆっくりと。

 

「お願いしますッ!! いつもの悪い冗談はおやめ下さいッ!! あ、ああああああああッ!!」

 

 そこでぐちゃぐちゃな彼を抱きかかえるのは、フィンナと同じように肉欲に溺れた汚らしい女だ。

 

 笑えてしまう。彼女がフィンナの代わりに泣いてくれているようだった。

 

「これは、これは……。なんていうことだろう」

 

 思ったよりも冷たい声を出すことができた。

 

 彼の死体を抱えながら、アンリーネがフィンナを見た。

 

 そこから言うことは決まっている。

 

 あえてそう言うことで、誰もが勘違いする。誰もが疑うのだ。それでいい。

 

 それでこそ、愛される王子の人生は完結するのだ。

 

「お疲れだったのかな? ハットリューク王子は足を滑らせてしまってね。まったく……なんて、不幸な事故なのだろうね」

 

 その虚構の音を発しながら、フィンナは思った。

 

 そう言えば、自分は彼に『好き』とは言ったが────『愛している』と言ったことがあっただろうか。

 

 端的に述べずにもっと修飾していれば変わったのだろうか。

 まあ、今となってはどうしようもないことだ。──本当に。

 

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