フィンナの表情は硬く、冷静に見えた。
王都が蹂躙される光景を見ても、眉一つ動かさずに、撃ち込まれる砲弾を防御していた。
しかし、その仮面の奥では激しい感情が渦巻いていることを、サフィレーヌは理解していた。
前に立つ母の背中はとても大きく、孤独だった。
この国の最高権力者。支配者足らんと胸を張って、背筋を正して戦う。
サフィレーヌはその母の姿をできるだけ記憶に焼き付けておこうと【オブリヴァリス】を使って見守っていた。
しかし、何かできることはないかと、焦りもあった。
「お母さま、わたしの魔力は使えませんか?」
「……馬鹿なことを言わないでくれ給え。今、この術式に触れればキミは一瞬で干からびてしまう。
貯め続けたものを消費しているから私は生きているのだよ」
「…………! では、あの鎧の狙いは……」
あの巨人の狙いは、その貯蔵されたフィンナの魔力を枯らすことだ。
だがその魔力量は彼女の人生にも等しい。早々に無くなるものではない。
それだけの苦悩を抱いてきたのだ。自分の幸福の邪魔などさせるものか。
「あんな将が敵にいたとは……。
……っ!! ふははは、中々に性格の悪い者のようだ」
出現時よりも近くに見える巨人が左腕を上へ掲げた。
またあの凶悪な砲撃を行うつもりなのだろう。
あのふざけた巨人は宮殿を守護する魔法術式の切り替えを的確に狙ってきた。
そして、フィンナの大事な思い出に傷を付けたのだ。許せるものではない。
「……さて」
フィンナは魔法術式を攻撃用のものに変換した。宮殿全面に展開された魔法陣が切り替わる。
今度はフィンナが先制の一撃を放った。その魔力砲撃は使うことなど想定していなかったものだ。
王都から国の端までを狙える、超長距離砲撃。
“最終手段”として用意はしていたというだけの話だ。
見せないことに価値があった兵装だったが、使わざるを得なかった。
街一つを滅ぼすほどの一撃が巨人に直撃した。避けられる大きさではないのだから当たり前だ。
掲げていた巨人の左腕が壊れ、王都に落下した。そしてまた被害が出てしまう。
破壊に特化したあの歩く災害は厄介だった。
巨人を見るフィンナの表情に少しの揺らぎが見えた。
巨人が片腕になってもまだ立っていたからだ。
先ほどの大魔力砲撃を受けても、あの巨人の胴体部分は無事だった。
よほど頑丈に作ってあるのだろう。
そして、残った右腕が宮殿に向けられた。
「……っ!」
防御に切り替えている余裕は無かった。
再び魔力砲撃をフィンナは放つ。今度は右腕を破壊するために。
しかし──
「────な」
その瞬間にフィンナは理解した。
あの巨人は左腕を敢えて壊させたのだ。魔力砲撃が効くのだと教えるために。
──
小賢しくて、手慣れた相手だった。
巨人の砲撃が放たれた。
「サフィレーヌ!!」
「……?」
フィンナはすぐさま後ろに待機する娘の下まで走った。
それは衝動的な行動だった。
おかしな話だ。
自己保身を気取る女が何故か他者を守っている。
いや、いくらでも理由はある。
娘を──サフィレーヌを失えば、フィンナは幸福ではなくなってしまう。
そうだ。
轟音がフィンナたちを包んだ。
直撃したのはテラスの近くの部屋だったが、破壊の衝撃で崩れた壁が彼女たちを襲った。
舞い上がる土煙と、散った宮殿の破片がサフィレーヌに降りかかる。
「ぅ……お母さま……?」
「…………っ」
吹き飛ばされたサフィレーヌが見たのは、崩れてしまった母のお気に入りのテラスと部屋。
そして──埃を被り倒れている母の姿だった。
「く……っ」
フィンナはそんな中、宮殿の防御術式を起動する。
そのおかげで間に合い、容赦なく迫っていた巨人の次の砲撃を防ぐことができた。
「……あの怪物め。装填にかかる時間も偽りであったか……」
巨人の右腕の砲撃の時間間隔はこの揺さぶりのための布石であった。
おそらく本当は装填などせずに放つことができるのだろう。
戦いの経験の有無がここに来て響いている。
相手の巨人はおそらく、ずっとこうやって人間を狩ってきた。
膨大な魔力を持つフィンナと膨大な戦略を持つあの巨人。
このまま続けばきっと先に倒れるのはフィンナになるだろう。
──だが、ここで倒れるわけにはいかなかった。
あの刹那に生きているだけの巨人とは違い、フィンナは先のことを、それこそ自分が死んだあとのことも考えて生きている。
魔王領に降ってからもやることは山程あるのだ。
それに、娘とあの子の結婚も待っている。絶対に見逃したくはなかった。
自分の幸福のために。自分の満足のために。
近づく巨人に視線を向け、フィンナは立ち上がる。
先程の一撃で受けた傷が彼女のあふれ出る魔素によって修復されていく。
しかし、その作業により、脳処理に負担がかかる。
頭痛に苛まれながら、フィンナはさらに攻撃術式を宮殿の前面に、あの巨人に向かって起動した。
もう街への被害を考えている暇はない。
自分の寿命を考えている余裕はない。
死ぬ瞬間まで幸福でいなければ意味がない。
大砲撃が巨人に放たれる。
先程と同じものが六発同時に。
多重に放たれたその魔力の収束砲撃は巨人の防御魔法を貫通した。
巨人の右腕と、また街を素材としながら修復していた左腕は吹き飛び、さらにはその頭部すら破壊した。
「……逃げろ!」
「倒れるぞ!」
そのエネルギーにより、巨人は後ろへと倒れた。
また街が壊れていく。
フィンナが気に入っていた酒場が潰れた。
あの場所は二人目の男と出会った思い出の場所だった。
ダメージを与えたのはこちらなのに、被害を増やしているのもこちらだった。
激怒しながらも、フィンナは冷静に次の術式を起動する。
「…………っ!」
ついにフィンナは自分の肉体の魔素を消費し始めた。
まだこの思い出の城に溜め込んでいる力は残っているが、これ以上の消費は未来に響いてしまう。
“魔石無しでも、生活する”。
魔王領への依存体制から脱却するために必要なものだった。
遠くない未来に魔王は資源の供給を打ち止めにする可能性があった。
だから、その緊急の避難場所としてこの宮殿を解放し、せめて数ヵ月は生活できるくらいのエネルギーを残しておきたかった。
明かりと気温だけでも賄いたかった。
おそらく自分のいないであろう未来の為にフィンナは今の苦痛を受け入れた。
倒れたままの巨人へ向けて、もう一度魔力砲撃を再開する。
今度は弾ではなく、初めに上空をなぎ払った照射型の攻撃だ。
その六門の魔法の砲台から放たれた光の線が大地に情けなく倒れている巨人の胴体に届いた。
「あ──」
「え──」
おそらく着弾した周囲の温度上昇によって、倒れた巨人の近くにいた人々は蒸発しただろう。
それを見ながらも、フィンナは歯を食い縛って攻撃を続けた。
一番頑丈な胴体の内部。
そこにはあの巨大な鎧型のゴーレムを操作する大量虐殺者が座しているはずだ。
やがて、光がその強靭な防御魔法を食い破った。
「…………」
起き上がろうとしていた巨人が停止した。
再構築されようとしていた腕が動かなくなった。
「ぅ……はぁ……はぁ……」
「お母さま……!」
魔法陣は油断せずに展開したまま、フィンナは膝をついた。
サフィレーヌが駆け寄り、母にその手を触れる。
母の体温はかなり高くなっていた。
「単純な魔力切れさ。おかげで頭はスッキリしているとも。
私はキミほど体内貯蔵量は多くないのだよ。やれやれ……」
勿論それだけではないだろう。
エネルギーは貯蔵したものから使っているとはいえ、あれだけの魔法を何度も使用すれば、脳処理は限界に達する。
その苦しみを理解できるサフィレーヌはただ母の背中をさすっていた。
「母上……!」
「フィンナ様!」
そこに、タイミングがいいのか、悪いのか、フィンナの愛するパートナーたちと子供たちがやってきた。
全員ではないのが、フィンナには少しだけ悲しかった。
「母様!! 体調が……ッ?!」
娘の一人が心配をしてくれる。
「フィンナ……! 逃げよう! こんな場所はもういいだろう! 過去に縛られるのはよせ!」
夫の一人が現実的な逃亡を提案してくれる。
「フィンナ様……。魔王領に援軍を頼みましょう。もう調印は済んでいるはずです」
妻の一人が愚かではあるが、生存を優先する提案をしてくれる。
「ママがあれを倒したんでしょ! すげえ!!」
息子の一人が小さな体を懸命に使って褒めてくれる。
一切の打算なく、単純な自己愛により選ばれた相手と子供たちとは強い絆があった。
もちろん、フィンナは嫌いになれば、それはを躊躇なく捨てるだろう。
だが、今この場にいる者たちのことは大好きだった。
そして────
「…………」
その家族の団欒を一歩引いて見守る少女がいた。
きっとこの雰囲気に流されぬその捻くれ者こそカルクルールの跡継ぎに相応しい。
────サフィレーヌ。その子のことをフィンナはきっと愛してる。
こんな状況でもフィンナは物事に優劣を作っていた。
その愛しい娘を、真に次期当主として皆に紹介したいと思った。
だから、フィンナはサフィレーヌの方をたまたま振り返った。
巨人が見えたテラスとは逆方向の、王族しか入れない中庭がある方向を。
そして──
娘を狙う黄金の石でできた触手のようなものを。
その先端には鋭利な剣のような爪があった。
「…………ッ!」
ありったけの力で大事な宮殿の床を蹴った。
そのせいで床が欠けた。お気に入りの高価な石で作られていた床だった。
フィンナの肉体はサフィレーヌよりも貯めておける魔素の量は少ない。
しかし、肉体そのものはサフィレーヌよりも優れていた。
──だから、間に合った。
「……お母さま?」
突然の理解できぬフィンナの行動に驚いた娘の可愛らしい声が聞こえた。
突然母が全力疾走で向かってきて、覆いかぶさったのだ。当然の反応だ。
「……っ」
大丈夫だ。即死ではない。
臓器は損傷しただろうが、死んではいない。
サフィレーヌには傷一つ無かった。それならば問題はない。
フィンナが自分の体を見ると、触手の爪が左脇腹に刺さっていた。
「あ……」
サフィレーヌの絶望したような声が後ろから聞こえた。状況を遅れて理解したのだろう。
少し遅いな、とフィンナは厳しく評価した。
だが、またそれは改善していけばいい。
「…………くっ」
無理矢理触手の爪を引き抜き、魔力で壊そうとしたが、その触手にはヒビ一つ入らなかった。
触手を遠くに投げると、それがうねって動き出した。
そしてまたフィンナに向かってくる。
だが、今度は問題ない。
フィンナ防御魔法で軽く弾き返した。
「くくくくくく」
それは──失敗などではない。油断などではない。
ただ、相手が
「ぎゃっ!?」
「がはっ!!」
「っ……!!」
「────」
その場に大量の墓標が立てられた。もしそれらに名前をつけるのなら、簡単だろう。
フィンナのお気に入りの石が、大事な幸福の象徴である家族を串刺しにしていた。
みんなとても痛そうだった。
みんなとても苦しそうだった。
さっきまであんなに笑い合っていたのに。あんなに醜い顔で死んでいる。
「くくくくくく……あはははははははっ!!」
────それを見て笑う女がいた。
兜の奥から聞こえる声は、フィンナのよく知るものだった。
未だに忘れぬ声だ。なぜならば、それはこの世で一番憎い女の音だったからだ。
「あ……。そんな……」
「…………サフィレーヌ。私の
ただ一人残ってくれた大事な娘を守るようにフィンナは立ち上がり、前へ出た。
サフィレーヌは切り替えの追いつかぬ心をなんとか抑えて、母の後ろへ隠れる。
フィンナの血がついた触手が縮んでいく。そして収納された。
触手の爪部分がその黄金のスカートの一部を形成していた。
派手で、悪趣味な黄金の女性型の鎧。
右手には叩き潰すことに特化した大きな剣。
左手には幾重にも防御魔法がかけられた鉄球付きの盾。
その鎧の兜が崩れ、人間の顔が現れた。
ちゃんと人間の顔だった。
そこに醜い化け物の顔があったのならば、すぐに諦めて納得することができた。
だが、見えたのはとても綺麗な女性の顔だった。
「お久しぶりですね。フィンナ・カルクルール様」
フィンナが忘れもしない顔だった。
だが、こんな血塗られた場所には不釣り合いな女だった。
「……ハディア。ハディア・ハピフクス。生きているとは思ったが、まさか──……ッ!?」
突然、黄金の鎧の触手が動き、爪の先端から魔力砲撃が放たれた。
それを打ち払うと、フィンナは驚愕してハディアを見る。
こんな好戦的な女では無かったはずだ。
こんな虐殺を楽しむように笑う女ではなかったはずだ。
静かに微笑んで、彼を見守る女だったはずだ。
だから──フィンナは譲るしかなかったのに。
「あらあら、耄碌してしまったのですか? 私はハディア・『サルヴァリオン』ですわ」
人を殺す一撃を放っておきながら、ハディアは笑っていた。
それこそ、可愛い間違いをした子供を軽く叩くくらいの気軽さだった。
そんな雰囲気でハディアは人を殺そうとしたのだ。
「……目的を聞こうか?」
「貴方の命」
フィンナの質問に、ハディアは間をおかずに答えた。
「そうか」
フィンナは力を振り絞って、狂った女と向き合った。
彼女がフィンナを殺しに来るのは当然だ。命を狙われたのだから。
その恨みをフィンナは買っている。
とても納得のできる。行動目的だった。
──だからこそ、ハディアはそれを理由にしている。
「──では始めましょうか」
彼女が言い終わる前に、フィンナは正面から魔力砲撃を放った。
宮殿前に仕掛けられたものにはさすがに見劣りするが、ただの鎧ならば撃ち抜ける威力があった。
それは簡単にハディアの左の盾に防がれた。
ハディアの顔が黄金に飲まれていく。
そして、不吉な黄金の鎧が再び現れる。
「…………?」
同時に地響きを感じた。
その地響きはまるで──
フィンナがハディアを見るその後ろで巨人がまた起き上がったのだ。
「私、人形遊びが趣味ですの」
「ふ、なるほど」
あの巨人の中身は最初から空っぽだった。
胴体だけ固くしていたのも、操縦者がいると思わせるための仕掛け。
当の本人は悠々と特別なルートから侵入してきた。
フィンナが予想できるルートは一つだ。
それは王族が入ることを許された、地下に存在するとされる陵墓だ。
中庭の転移魔法で行けると言われる場所。
目の前の女は、
つまり、地下を掘って直接墓を暴き、墓から中庭に入ってきた。
そしてフィンナの感知をすり抜けるために、あんな大きな人形を作った。
そして、ついでに虐殺を行った。
巨人が復活した巨砲をこちらに放ってきた。
その狙いは正確になっていた。
操縦者が
「……っ!」
宮殿の防御が起動し、それは防がれた。
だが、目の前には大きな剣が迫っていた。
「……ぅ……く……」
魔力を右手に集中し、その剣をなんとか受け止めた。
刺された左脇腹の傷が痛みだした。回復魔法を使っている暇がなかった。
外から迫る巨人と内を攻める黄金の外道騎士。
「くくく……」
熱に浮かされたように女が笑う。
フィンナは初めて、人間に対して純粋な恐怖というものを覚えた。
自分など生温かった。
この女はただフィンナを殺すために、ここまでのことをしている。
人の人生を、思い出を、心をただの遊び道具にしている。
「キミは……誰だ……?」
知らない女に対して抱く当然の質問だった。
「ぷっ……!! あっはははははははははははははははっ!!」
だが、女は本当に楽しそうに笑うだけだった。