黄金の瞳がコーロンを見る。
それには純粋な疑問が満ちていた。
どうして自分は生かされているのか。
どうして王は残されているのか。
厄介な子供だとコーロンは思った。
正しいものの見方をする賢人だと思った。
だからこそ、あのときあのタイミングで生まれたことは不幸だった。
もっと早くに生まれていれば、コーロンたちは考えを変えたかもしれない。
しかし、あまりにも遅すぎた。
「なんで母親でもないテメエなんぞに指示されなきゃいけねえんだよ!」
衛兵に押さえつけられながら、その幼い王子はコーロンを非難した。
その質問に対して、ロルカニア王国に派遣されたシーハルンの一人、パペヌラーレ女王として回答した。
「貴様たちより私のほうが優れているからだ」
「────な」
面食らった少年の顔を覚えている。
コーロンが人間よりも優れているのは当たり前だった。
生命としての強さも、活動してきた経験年数も違う。あまりにも違いすぎるのだ。
それ以来、その少年はコーロンの下をよく訪れるようになった。
職務中であろうと、少年はコーロンの部屋に遊びに来る。
さすがに玉座で誰かと謁見するときなどは邪魔はしなかったが、女王が会話をしていないときを見計らっていつも話しかけてきた。
「なあ女王サマ、なんでオヤジとかと仲良くしねえの?」
「意味がないからな」
「……じゃあ、なんで俺の話は無視せずに聞いてくれんだよ」
「貴様は優秀だからな。仲良くしておいて損はない」
「……。……うっす」
女王の机に座る無礼者をコーロンは叱らなかった。
元々、彼女はその程度で人間をいちいち咎めたりしない。
そんなことをしていたら人間全員を殺すことになるからだ。
逆に言えば、パペヌラーレ・シーハルン女王が処刑を言い渡す人間は、そこまでの者だったということだ。
「アンタこそそんな頑張ってるのに、なんで皆に嫌われてんだよ」
「私に怒っていた者がよく言うな。あれこそ証拠だろう」
「いやあ……若かったなあって……」
まだ十五にもなっていない分際でそんな言葉を少年は吐いた。
少年の言い分は最もだった。
コーロンは人間に嫌われていた。
それは仕方のないことだ。
他人が勝手に作り上げたシステムを好む者などいるはずもない。
理解はしていても好き嫌いというものがある。
コーロンも人間を利用しているだけで、別に救おうとは思っていなかった。
彼女の目的のために繁栄してくれれば良いだけだ。
彼女がこんなシーハルンなどというシステムを作ったのは、こうでもしないと滅ぼしあってしまうからだ。
他の生物を利用するだけのメリットもない。
『人間』はとても便利で優秀なのだ。扱い方さえ間違えなければ問題なかった。
コーロンがその少年を邪険にしなかったのは、本当にただの打算だった。
オスリクスはサルヴァリオン因子がとても濃く、その種も優秀だった。
彼の子供たちは皆、黄金を色濃く受け継いだのだ。
それにこのまま行けば、その少年を次代の王として育て上げ、成長した彼の伴侶として別個体と婚約させる。
そのときにシーハルンが嫌いなままよりは、パペヌラーレを気に入り、その親戚とでも言って別個体を紹介すればいい。
そんなことを考えながら日々を生き、着々と計画を進める彼女は、その優秀な子供に情報を与えすぎた。
久しぶりに話のわかる人間の個体を見つけて、油断していたのかもしれない。
大戦争が始まる直前にやってきた彼の眼はまた幼い頃の怒りが宿っていた。
「女王サマ……なあ、これってどういうことだよ」
そう言って彼が持ってきたのは、王国の古い記録書だった。
そこに記された“当たり前の事実”に彼は気づいたのだ。
そして、人間と魔族という構図の歪さを理解したのだ。
「今まで俺はアンタに恵んで貰ってるんだと思ってた! だから、アンタの仕事を引き継いでいけるように、できなくとも手伝えるように努力してきたんだよッ!!」
絶望の表情を彼は浮かべていた。本当に優秀で、勿体ない個体だとコーロンは感心した。
コーロンにとって彼は今まで出会ってきた人間の優秀な一体に過ぎない。
“珍しく頭がいい”くらいの認識である。
彼の妻もコーロンのお気に入りの一体ではあるが、抱く感想は少し違った。
彼に対して抱くのは、種族差があるからこその愛玩の心である。
そしてその妻に抱くのは、種族差を超えた共感であった。
自分以外を嫌うコーロンにとっては、両方とも好意だった。
「信じてたのに!! 人間をもう放っておいてくれよ!! ふざけんじゃねえぞ!!
やっぱり
人間のたった一個体の言葉をまだコーロンは覚えている。
◆
白い部屋が振動する。地震だ。
おそらく魔王を名乗る古い友人の仕掛けが始まったのだろう。
嫌な走馬灯を繰り返す頭を振って、コーロンは起き上がった。
そして、久しぶりに身だしなみを整えた。
こんなものは人間に馴染むためのものだ。
──魔族の行動とは思えない。
きっと長く彼らと過ごしすぎたのだ。
友人たちの中で一番見た目に頓着しないのがコーロンだった。
意外なことに見た目に一番こだわるのが、オーレイルだった。
自分のお気に入りの服装を馬鹿にされると無言で空間を割るほどだった。
ぼさぼさの髪を埃だらけだった櫛で梳きながら、しばらく見ていなかった鏡を見る。
そこに映るのは、死に損ないだ。
あの日、コーロンは人間に構っていて生き延びたのだ。
彼に無視されるようになって口数の減ったコーロンを見て、今度はその妻が絡んでくるようになった。
腹を膨らませ笑うあの純真な女との会話を思い出す。
皆、死んでいく。弱いから、死んでいく。
自分もその一人になるのだ。
お茶会を終え、コーロンのやることはシンプルだった。
──
コーロンがここにいる限り、アルテはここを中心に監視を続ける。
何もせずにただここで死ぬことが、コーロンの役目だった。
すでに種子も植え付けている。あとはプロティナたちがやってくれるだろう。
アルテの行動を防ぐには遅すぎた。だからこそ、彼女たちはその先を考えた。
助言はしたが、きっとあの生意気な子供は今も戦っているのだろう。
背負わなくてもいい業を背負っているのだろう。
(この世界には馬鹿者が多すぎるな……本当に)
誰に対してかわからぬ愚痴を溢しながら作業を終えた。
新調した衣服を着て立ち上がる。死ぬときくらい綺麗でいたかった。
死人すれすれのひどい顔でベッドに横になろうとしたコーロンの耳に、弱々しい声が聞こえてきた。
「…………ここは」
「…………」
コーロンが振り返ると、見たことのない人間がいた。
見たことがないと言っても、その身体的特徴からその少女がどの血を継いだ個体なのかは把握できる。
青色の眼。そして、異常な魔素生成速度。エネルギー源として生み出された種類の人間の末裔だ。
この部屋に入れた時点で、闘争心のない人間なのだろう。
体に力を入れて、コーロンはベッドに座り直した。
「最近は、客人が多いな。……名前は?」
「サフィレーヌ・カルクルールと言います……」
「ふはははははっ、これはまた因果な名前を聞いたな」
少女の名前を聞いて、コーロンは笑った。
その名前はハットリュークに固執した人間がこさえた赤子の名前だったからだ。
そしてその名前を聞いたのはコーロンがパペヌラーレ女王として最後に聞いた出産の報告の中だった。
「なぜ……ここに来た?」
「
「なるほどな……。まったくあの馬鹿者は……」
頭を一番悩ませる存在の名を聞いて、コーロンはため息を付いた。
ここに少女を誘導して、なんだというのだろうか。
まさか、コーロンがその少女を匿うとでも思っているのだろうか。
コーロンは横目で少女を見た。
入口で警戒するように少女は立ったままだ。
そして、その左腕に付けられている腕輪が光り輝いていた。
その仕組みを一瞬で理解したコーロンは少し考え事をした。
悪い癖だった。何か情報を知ると、すぐに何かと結びつけてしまう。
「私はパペヌラーレと呼ばれていた者だ」
「……!!」
コーロンの個体名としての名乗りを受けて、少女は驚愕をその顔に浮かべた。
どうやら知識はある程度あるようだった。さらにコーロンの考えがまとまっていく。
「なにをしている。近くに来い」
「……失礼します」
恐る恐る近づいてくる少女は不安感を抱きつつも、豪胆さも持っていた。
というよりも彼女をここに導いたルクスの言葉を信頼しているのだろう。
どうやらルクスの世代は親の因果に縛られつつも、優秀な個体が多いようだった。
縛られたからこそかもしれないが。
だが、その少女は惜しい部分があった。
「なるほどな。……貴様、そのまま見るもの全てを覚えていては、すぐに死ぬぞ」
「…………」
目を見開いて驚く少女。舐められたものだ。
コーロンはこのくらい見抜くことは造作もない。
それだけ人間という種族に関わってきたのだ。
自分だけの個体を作り続けた女神とも、力で簡単に選別した武帝とも違う。
コーロンは分体を使ってはいたものの、ちゃんと人間という生物に正面から関わってきたのだ。
会話し、裏切られ、嫌われ、怒られてきたのだ。
だからこそ人間のどうしようもなさを理解している。
「貴様、ルクスのなんだ?」
「妻です」
即答だった。先ほどまであんなに不安そうにしていたくせに、毅然とした態度でそう答えた。
「ふははははははははははッ!! 今、死にかけなのだ! 笑わせるな!」
コーロンは笑った。
これだから人間というものは興味深い。
だから、人間を選んだのだ。
あれだけ他に候補がいる中、人間を選んだのだ。
勿論、女神の入れ込みもあった。生み出された経緯もあった。その特性もあった。
だが、純粋に人間という生物を、コーロンは重用していたのだ。
それは一方的な感情でしかない。だからこそ彼女は嫌われ続ける。
実際に嫌われて当たり前のことをした。
だが、そんな自覚を持てたのは今のこの個体だけだろう。
もし、未だに深い水底に眠る本体が、魔王への恐怖を克服し目覚めたとしても、また人間を使い始めるだけだ。
分体は彼女以外全滅し、同期もできない今、この感情を持ち帰ることはできない。
目の前の少女は、自分の短い寿命を嘆くように目を伏せている。
おそらく、どうやって命のやりくりをしようか考えているのだろう。
下手をするとここを出て、“ルクスのために死ぬ”とでも言いかねない。
それは困る。とても困る。
コーロンが思いついたことをできなくなってしまうからだ。
「生きたいか?」
「────」
人間の扱い方を心得ているが故に、コーロンは少女の心を揺さぶる。
そして、ここからどんな方法でこの少女を攻略しようかと考えを巡らせた。
しかし、少女は──サフィレーヌ・カルクルールは端的に告げた。
「はい。どうすればいいですか?」
「ほう……」
縋るような目ではなく、そんなことできるのなら教えてみせろとコーロンを試すような目だった。
それを見て、コーロンはこの個体も気に入った。
──
「…………!」
コーロンが突然、自分の胸の中に手を突っ込み、何かを取り出した。
体に穴が空いているのに、コーロンの肉体から血が流れることはなかった。
傷つけたわけではなかったからだ。
コーロンの手には、奇妙なものが握られていた。
それは卵のようにも、球体の虫のようにも見えた。
それを見たサフィレーヌは息を飲んだ。
「貴様にはただ説明するだけの方がよかろう」
「はい」
真剣な瞳でサフィレーヌはコーロンを見た。
今から何が起こるのかを理解しても、生き延びたいという生存欲の強さをコーロンは感じた。
その欲望はコーロンも共感できるものだ。
だから彼女はこんな人間の国で生きているのだ。
「これは我々を増やすためのものだ。シーハルンを生み出すものとでも言っておこう。
これには私の情報が蓄積されている。つまりは私の“記憶”だ」
コーロンはその人知の及ばぬ物体をサフィレーヌに渡した。
サフィレーヌはそれを受け取ると、説明の続きを待った。
「──
それはサフィレーヌの体を作り変えるということだ。
人間の肉体に変質を促し、分体の一部とする。
久しく使用していなかったコーロンの能力である。
他者を塗りつぶし、支配する力だ。
女神の洗脳や武帝の憑依よりも激しい上書きだ。
最近は他の能力を使い、人間を基本とする必要がなくなったので封印していたのだ。
「ただし、私の記憶は重い。貴様の意識すら上書きする可能性がある。自覚なく言動や価値観まで変質してしまう可能性が──」
「んぐ……」
「あ……なに……? 貴様……どんな判断の速さだ?」
デメリットを提示しようとしたコーロンの言葉をほぼ無視してサフィレーヌはその力を受け入れた。
「……どちらにしろ、わたしは、生きるために受け入れる必要があります」
「なるほどな。……ならば、しかと耐えろよ? 私に負ければルクスの妻となるのは私だからな。
ん……? システム通りというわけだな? はははははは!」
発破をかけるようにコーロンは空元気でサフィレーヌを煽った。
しかし、返ってきた言葉はそんなものなど必要ないと拒絶するような鋭いものだった。
「いいえ、あなたの全てを食らって、わたしが
「…………ははは。ああ、貴様たちはなんで、そう……」
パペヌラーレ・シーハルン。
ロルカニア王国に派遣されただけの魔族の分体。
他に比べて彼女はあまりにも経験を積みすぎた。
なによりも、敗北と挫折を記憶する唯一の個体だった。
コーロンは死に体に鞭打って、自分のベッドをどかした。
そうすると、人一人分くらいの穴が現れた。
「これは……脱出用のものですか?」
「私専用のものだ。人間では途中で死ぬ」
「そうですか。あの、お世話になりました……」
「何を言っている?
「え?……あ」
コーロンは驚いているサフィレーヌを髪の毛を纏めて作った触手で掴むと、そのまま穴へ放り投げた。
その穴は地中深くの地底湖につながっている。
人間ならば、落下の衝撃で即死だろう。
しかし、もう彼女は人間ではない。彼女もまた怪物として迫害されるであろうことは予想できた。
いくら寿命を伸ばすためとはいえ、怪物となった彼女を人間社会は許さない。
自分の目的のため、コーロンは知人の妻を利用したのだ。
けっして、その生命を優先しているわけではない。
迷わないあの少女の方がどうかしている。本当にあの子供の周りにはあんな人物ばかりなのだろうか。
このままここにいれば、おそらくサフィレーヌは助かるかもしれない。
しかし、それでは一手遅い。
今、ここから遠くへ。
きっと優秀な少女のことだ。記憶からコーロンの目的を察するだろう。
あとはその心さえ折れなければ大丈夫だ。やり遂げてくれる。
「あ、あの……ありがとうございました……!」
穴に落ちながら、これから味わう苦しみを知らずに、利用した相手に少女はお礼を言った。
人間というものは──
「……本当に馬鹿ばかりだ」
穴を塞ぎ、コーロンは歩みを進めた。
そして──
ここでコーロンがこのまま死んだ場合、あの穴の存在に気づかれてしまう。
それでは先手を取った意味がない。
だから、彼女は盛大に外で死ぬ必要があった。
こんな日なのに空には雲一つない晴天が広がっている。
だが、久しぶりの外の空気は爽やかで、気分がよくなった。
もはや悔いはない。
自分以外を信じずに怪物となった女はもうここにはいない。
少なくともパペヌラーレ・シーハルンとして生きた彼女は最期に他者を信用して、何かを任せたのだ。
あとは人間を永らく支配した最後の女王として、あの正真正銘のバケモノに謁見を申し込むだけだ。
「ふははは……身だしなみを整えていてよかったな……」
辿り着いたのは、玉座の間だ。
何もかもが様変わりした、その殺風景な場所に君臨する存在がいた。
壊れた壁の向こうに見える町並みを退屈そうに眺める少女。
そんな若い姿をしながら、コーロンよりも永く生きてきた究極の存在。
だらけた格好のまま玉座に座っていた彼女はコーロンを見た。
その表情には呆れがあった。
「なんだ……来たの? どうせ死ぬから放っておいたのに」
「酷い挨拶だな。久しぶりもないのか」
「久しぶりってわけでもないでしょう? まあ……いいわ。なぁに、コーロン?」
実に十二年ぶりの再会だった。
壊れた玉座に座すのは、魔王。究極の生物。
『地覇女帝アルテ・リルージュ』。
コーロンにとっては友人であった少女だ。