「落ち着きなさい、リエーニ。私を嫌ってはいけないわ」
「はあ? 好き嫌いは個人の主張だろ?」
寝ぼけたことを言うアルテちゃんだなあ。
「貴方はどうして私に逆らうの? 私なら幸せにしてあげられる。毎日、美味しいもの食べられて、演劇を好きなだけ作って、歌って生きられるのよ?
貴方は人間として生きるのは勿体ないの。私が毎晩温めてあげる。一緒に寝れば仲良くなれるのよ」
「熱烈なお誘いどうも。でも、もう間に合ってるんで。いらねえっす」
もう決まった相手が三人いるんでな。俺の心に、てめえが入る隙はもうねえんだよ。
「……貴方はもっと賢いはずよ。力の差は歴然。負け戦に興じてどうしようというの?
いずれ終える命を、できるだけ延ばしたいとは思わないの?」
「ああ、言ってることはよくわかる。てめえの言うことは一番理解できる」
「ええ、そうよね。だったら──」
「でも、嫌だね。
「────」
俺のその返事を聞いたアルテの表情は、痛々しいほどに悲しそうだった。
まるで、見捨てられた子犬のように切ない顔をしていた。
“また裏切られた”とでも言うような絶望の感情を表していた。
ふざけんじゃねえぞ。そんな顔ができんのなら、なんでこんなことをしてんだよ。
「リエーニ……。お願い、わかって。貴方は
「あ?」
「それがどんなに素晴らしいことなのか、わからない?」
それは、アンタにとってだろ?
また少し、コイツのことがわかったかもしれない。
────その孤独に俺は共感しない。
だってこの世界の俺は孤独じゃねえからな。
勝手に親近感を持たれても困る。
「はっ! 寂しがりのアルテちゃん先輩。いい加減離してくれませんか?」
「…………。そう。そうなのね……リエーニ。貴方も私から離れていくのね」
あっさりと俺は解放された。
体に痛みはない。それほどまでにコイツの抱擁は優しかった。
「……とても残念だわ。本当に」
悲しみに包まれていたアルテの顔が、また元に戻った。
上位のものとして振る舞うスイッチが入ったようだった。
その瞬間、俺の周囲の空気が変動する。
重苦しい生暖かい風が辺りを舞っている。
そして、この世界にもある太陽が隠れた。
黒い雲が王都を覆い尽くしていた。
「…………こえぇな。急に魔王じゃん」
俺は体力とか関係なく、立っているのがやっとだった。
地上を支配する絶対の暴君を目の前にして、臆すのは当たり前だ。
自分で喧嘩売っといて情けねえ限りだが、怖いもんは怖い。
爬虫類のような縦に割れた瞳孔が俺を見ている。
小さな人間の目の前に君臨するのは生物の究極だ。
「改めて自己紹介させてもらうわね? 私はアルテ・リルージュ。魔王よ」
「……どうも。
「ありがとう」
アルテの姿の一部が変わっていた。
今までは人間の少女と遜色ない見た目だったのに、サソリのように先が尖った尻尾が生えていた。
それは生身に備わった剣だ。
あえて、アルテはそれを見せつけていた。
“お前とは違うのだ”と。生物としての性能差を誇示していた。
「じゃあ、死んで貰おうかしら。貴方は見逃すには大きすぎる。
体でも能力でもなくて、その思想は
自分の支配を盤石なものにするために魔王は絶対の決定を下した。
「さっそく約束を破るんすか?」
「いいえ。
出たな。よく見る方便だ。
魔法を全て使って逃げられるかどうかはわからない。
でも、アルテ自体には俺を殺すことはできない。
それだけで逃亡できる確率は上がるだろう。
アルテは空を見た。
しかし、しばらく待っても何も起こらなかった。
「あら? ミーナは遊んでいるのかしら。仕方のない子ね……」
アルテは溜め息をついた。
コイツはミーナに俺を狙撃させる気だったらしい。
だが、残念だったな。あのビームシスターは重力ゴリラが相手してるよ。
ダルン、マジでナイスだ。ここで狙撃はさすがに避けられんかった。
「なら私がやるしかないわね」
面倒臭そうに、アルテが近寄ってくる。
「…………」
コイツは俺の中のフィフは見えていなかった。
俺の髪の毛の色の違いを認識している。
つまり、アルテは普通に視覚を使っている。
それでも俺を俺であると見抜けた理由はわからない。
匂いとかかもしれない。
とりあえず俺を個体として認識できるということは確実だ。
だから、変装は意味がない。
やるなら、全力疾走しかない。
転移魔法がクソ欲しいぜ。
よし、地下に逃げよう。
「…………」
地面をこじ開けて、俺は潜ろうと思った。
「────?」
いつものように魔法を使って、土をいじろうと思った。
「……な、んで?」
できない。
────
「……私を前にして、魔法を使おうと思ったの? 馬鹿ね」
体をなんとかひねって、俺は駆け出した。
しかし、アルテの尻尾がまったく認識できない速度で無慈悲に俺を捕まえた。
「……ッ!」
「いい子にしててね」
先ほどまでの優しい抱擁などなく、捕食者の狩りのように俺はアルテの前に引きずり出された。
「……!! かは……っ!?」
なんだ……? 息ができない……。
別に肺を潰されてるわけでも、首を締められているわけでもないのに。
空気は取り込めている。
酸素は取り込めている。
しかし──魔素が取り込めていない。
そうか。この周囲の
「か……ひゅ……」
これは魔素の欠乏だ。
『魔法を前提にする戦いは危険。それは袋小路になる』
出会ったばかりの頃、相棒が言っていたことを思い出した。
こういうことか──。
「最後の選択よ。頷きなさい、リエーニ。貴方は私を理解して、私と一緒に生きるの」
「うるせえ……な。黙れや、パワハラ女……」
呼吸自体はできている分、かなり辛かった。
まるで、電池が切れている感覚だった。
細胞が一つ一つ順番に停止している。
命の火が消えていくのを感じた。
「……わかったわ。私は『魔王』なの。私の目指す世界に貴方のような特異な存在はいらないわ」
そう言うと、アルテは尻尾で拘束した俺を引き寄せ、胸に手を当ててきた。
「……はは、殺すんじゃねえか……。嘘つきっすね……。……ッ!?」
「いいえ、殺さないし、傷付けない。私は
「がッ!? あ、あああああああああああああああああああああああッ!!」
建物の下敷きになって潰されたときよりも痛かった。
もう一つの心臓を抜かれているような感覚だった。
左右にある心臓の片方を握り潰され、体全体の神経や血管が一斉に断裂していくような喪失感。
我慢などできなかった。涙を流しながら、俺はその痛みに悶えるしか無かった。
「これは貴方と私の間に発生するやり取りよ。個人間のやり取りに、何も介入はできない」
「ああああああッ!! うぐは……ッ!! はぁッ! はあ……ッ!!」
アルテが手を離した。別にその手に心臓は握られていない。
だが、何かを奪われた感覚はあった。
「そのやり取りの結果────貴方が死んでしまうとしてもね」
「う……が………。はっ……はっ……。てめえは……なんなんだ?」
涙で滲む視界には俺を見る二つの瞳。
話す言葉は人のものなのに、やっていることがどうしようもなく化け物だった。
「何を言っているの? 名前は教えたわよね。
貴方って、本当にすごいのね。なにかが、人より多いのかしら?」
会話が本当に成立しねえな。
俺のことは今はどうでもいいだろうが。
「ハァ……ハァ……。な……なんで、魔王なんてやってんだよ……。こんな力を持ってるなら、なんでも……できんだろ……」
巻き付いた尻尾は緩むことはない。
呼吸は苦しいままだ。
体はどんどん砂になっていく。
だが、最後まで動く口で俺は抵抗を続ける。
最初に消えていくのが手足で良かった。
慣れてんだよ、こっちは。
崩れていく俺を見ながら、アルテは世間話に乗るように答えた。
「害虫を駆除するために、自分の庭を全て燃やすわけにはいかないでしょう?」
──害虫?
──自分の庭?
一瞬、脳が意味を理解することを拒んだ。
「自分が作り上げた花壇を荒らされたら、どう思う?
野生の動物たちが住み始めて、喧嘩するくらいだったらなんとも思わないわ。
でも、それらが殺し合って死体だらけになって
俺も花壇をいじったことがあるからわかる。
それを野生動物に荒らされれば、キレるだろう。
死体だらけになっていたら、掃除して囲いを作るだろう。
そうかよくわかった。
コイツは生物としてのスケールが違う。
自分を人とするのなら、あとは全てが平等な動物だ。それは、魔族さえも変わらない。
“大地に生きる命”。それで十分なのだ。
アルテにとって、俺たちの抵抗は子猫の威嚇だ。俺たちの嘆きは可愛い鳴き声だ。
家の窓の外に見える、庭でのじゃれ合い。それがコイツの大戦争への認識だ。
最近よく鳴いていてうるさい『魔族』と『人間』をなだめるために魔王になった。
きっとそれだけの理由なのだ。
「……魔王、め」
「…………」
最期にそんな罵声を浴びせてやることしかできない。
この孤独な化け物にどうか、哀しみあれ、と。
どこかで、俺はどうにかできると思っていた。
魔王と言えど、心を持つ。ならば、戦わずともなんとかできるのではないか、とも考えたこともある。
だが、コレは駄目だ。
この魔王は人間から遠すぎる。
俺は人間である以上、そこに肩入れする。
しかし、魔王はそれを許さない。
たまたま興味を持ったのが人間の俺であって、人間に興味があるわけではない。
魔物の種類に興味はない。命の形には興味がない。
コイツは自分が可愛いと思うものしか残さない。
きっと今は選別の最中だ。
望むのは“自分を愛するものしかいない楽園”。
俺は────涙を流した。
それは俺の終わりへの虚しさではなく、コイツに訪れる未来を想像してしまったからだ。
おい、どうしろってんだよ、世界さんよ。相変わらずクソで安心したわ。
わかったよ。俺の役割が。
「──さようなら、リエーニ。……? ────ッ!?」
アルテの表情が形を変える。それは驚愕だった。
俺もなにが起こったのか、よくわからなかった。
俺の体は宙に浮いていた。いつの間にか尻尾の拘束が無くなっていたのだ。
そして、何かにふわり、と抱きとめられる。
「あははははは!! 久しぶりね!」
俺を抱きとめた女性は重苦しい空気の中でも快活に笑った。
「…………」
その女性を見るアルテの顔は苦々しいものだった。
「ほい、応急処置はしたけど、そのままじゃ死んじゃうから。なんとか耐えてね?」
俺に魔力を分け与えながら、その女性は微笑んだ。
どうしてだろうか。なんだか、その女性はヴィクトリアを連想させた。
少し雑に俺を地面に下ろすと、女性は魔王へと向き合った。
「この子ってさあ、私も目をつけてんのよ。勝手に手を出さないでね」
魔素が消えた空間でも、女性は普通に動いている。
さらには魔力も纏っていた。
その手には光る剣が握られている。
きっとあれの力だ。
「…………あの二人を倒してきたのね」
「いや? 貴方の声がしたから無視して飛んできただけよ?」
魔王がその女性を警戒している。
よく見れば、アルテの尻尾が切断されていた。
だから、俺の拘束は無くなったのか。
飛来すると同時に、あの魔王の体にダメージを与えた女性。
その剣は、世界に一つしか存在しない人間の宝だ。
四人いた中の最後の一人。
人間の最高戦力。
「あはははは! また戦えるわね? アルテ!」
想像していた性格とは少し違った。
しかし、彼女は間違いなく剣を魔王へ向けていた。
ブレイブハート。英雄の血筋。
人間の出自を考えれば、それがどんな意味を持つのかはある程度予測がついた。
でも、間違いなく彼女こそが最強の人間だった。
「…………」
「テンション低いなぁ……。また前みたいに笑いなさいよ。……ま、いいか」
『破壊剣エルヴァリス・ブレイブハート』はとても嬉しそうに笑う。
正真正銘の化け物同士の戦いが繰り広げられようとしていた。