東部戦線。
聖国と王国が戦争をしていた場所には、二つの影しかなかった。
「……まったく、かなり堪えたな……」
ボロボロの軍服を纏い、地面に座るのは魔王領幹部オフィーティトナだ。
「我らもかなり鍛えたと思ったが、それ以上か。カカカ。」
いくつかヒビが入った黒色の外骨格を持つプラツムが返事をした。
プラツムは地面に落ちていた彼女の剣を拾い、それを投げる。
「私たちはヤツと相性がいい。保って当たり前だ。それでこれなのだからな……二度と御免だ」
オフィーティトナは剣を受け取ると、溜め息をつきながら立ち上がった。
そして、敵として戦っていた英雄が飛び去っていった方向を見た。
「我はまた挑戦したいものだ。同じ魔物として、あの高みに至れるのかどうか試してみたい」
強く拳を握りながら、プラツムは同じように暗い空を見上げてそう言った。
その言葉には戦士として生み出された彼なりの誇りが宿っていた。
疲れた顔でそれを聞いたオフィーティトナは彼の拳に自らの拳をぶつけた。
「至って欲しいとは思うがな。……とりあえず、お疲れ様だ」
「カカカ……! 本当に疲労が激しいな」
気安いやり取りだった。
彼女たちの仕事はまだまだある。
それに彼女たちの個人の目的もあるのだ。休んではいられない。
だが、一旦の区切りとしてそのやり取りは行われた。
◆
「場所を変えましょう」
「ん? 別にいいよー」
あっさりとしたやり取りで、魔王と英雄はルクスから離れていった。
アルテは自分の交わした約束を守るために。
エルヴァリスはお気に入りの人間を守るために。
二人ともルクスのことを気にかけてはいた。
しかし、最優先は目の前の存在だ。
彼女たちの戦いの舞台は、何も無くなった王都。
荒れた空と崩壊した街が広がっている。まさに滅びの光景だった。
そして、眩しい光が見えた。大きな音が聞こえた。
人間と魔族の決戦が始まったのだ。
それを感じるルクスは、まさに虫の息だった。
エルヴァリスから渡された魔力でかろうじて生きながらえているものの、彼の体は機能を失いつつあった。
「…………っ」
貰った魔力が体内にはあるはずなのに、ルクスは魔法を使うことができなかった。
魔素の欠乏ではなく、根本的にルクスは魔法という能力を失っていた。
魔王が彼から回収したもの。それは彼の魔法能力の全てだった。
そう────ルクスは自分がよく知る“普通の生物”になったのだ。
「う……っ、ゲホッ、ガハッ……」
そして、普通の生物はこの世界の環境に耐えることなど出来はしない。
魔素を失った物質は停止するのがこの世界の法則だ。
ルクスは今、砂となっていく体を必死になんとかしようと足掻いていた。生きようとしていた。
「くそ……っ! また、こんな目に遭うのかよ……! マジで、ゴミだなこの世界は……っ」
その足は大部分が砂となって崩れていた。靴は彼から離れた位置に転がり、ズボンは膨らみなく潰れていた。
「……!? く……そぉ……」
右腕が崩れた。砂となったそれらは風に流され、どこかへ消えていった。
這いずっていた体が止まる。左腕一本ではなかなか進まなかった。
“なんて慣れた感覚なのだろうか”とルクスは自嘲した。
「だああ……ッ! クソが……」
力を込めていた左手の指にヒビが入って、崩れていく。
うつ伏せのまま、なにか手段を探す。
「がはっ!! おえッ……!! ふぅ……ふっ……」
おそらく体内の何かが崩れた。肺かもしれない。
「あ…………けっ」
意識は飛び飛びで、方向感覚も無い。出そうと思った声もうめき声にしかならない。
そんな状況でもルクスはまだ諦めていなかった。
遠くにはダルンがいる。エルヴァリスだって戦ってくれている。
まだ、何かがあるはずだ。そんなありもしない光を必死に探している。
「…………ぁ」
しかし、訪れるのは暗転。
理不尽な世界は偶然を許さない。
「────」
意識を失う直前にルクスが想うのは、人々のこと。
そして、愛する少女たち。
最後までルクスは絶望しなかった。
光は消えることなく、祈りは届く。
この世界は偶然を許さない。
────しかし、
「まさか体がまだ残っているなんて……。本当によく頑張りましたね」
この世界を治めんとした者たち。その最後の一人が降臨する。
その服装。その首飾り。その技術。
それはこの世界の信仰の証だ。
その女神は捨てられた赤子を抱くように、彼を拾った。
それは繰り返された光景だった。
彼にとっては二度目の救済だ。
「残念ながら、お別れをさせることはできません。貴方は行方不明となります」
黄金の輝きが失われつつある彼の髪を優しく梳きながら、女神はその額に口づけを落とした。
「しばらくはお眠りなさい。私の最新にして最後の信徒」
女神がカバンの中に小さくなった彼をしまい込んだ。
そして見た目以上の容量を持つそのカバンを閉じ、それを手に持って女神は立ち上がる。
「…………」
女神──プロティナが見つめるのは、遠くの空で戦いを繰り広げる魔王だ。
一度自分を殺した少女を見るその表情は、哀れみを含んだ複雑なものだった。
そして、プロティナは歩き出す。
その戦いとは逆の方向へ。
彼女たち三人が選んだのは、この襲撃への抵抗ではなく、全力の逃亡だ。
たった一人の人間の子供を生かすために、彼女たちはその身を
プロティナの姿が見えなくなっていく。空間に溶けていく。
潜伏能力は彼女が一番優れていた。だから彼女がその子を引き継いだ。
不器用な優しさを手に入れた友人から、その子を託されたのだ。
肉体が残っているため多少は早くなるが、その子の復活はこの先何年かかるかもわからない。たとえ目覚めたとしてもその子にはまた苦労が待っている。
そこからは────その子の選択次第だ。
そしてまた女神は表舞台から姿を消した。
◆
崩壊した王都で破壊の嵐が巻き起こる。
エルヴァリスは手に持つ破壊の剣を振るう。
それだけで空間が歪むほどのエネルギーが発生する。
その膨大な暴力の塊をアルテは自分の尾で打ち払った。
エルヴァリスに切断されていたはずのそれはすでに再生していた。
「あははははは! まだまだ!」
「…………!」
エルヴァリスがアルテへ接近し、連撃を繰り出す。
アルテはそれにも尾を使って対応した。
剣戟の音が大きく響き渡る。
状況だけを見れば、他の戦場で巻き起こった英傑同士の戦いと変わりはしない。
しかし、場の状況を考えるとそれは異常だった。
枯渇した魔素。
この場ではアルテ以外まともに動けないはずだ。しかし、エルヴァリスは手に持つ剣の力によって、無理矢理活動していた。
狂った重力。
常に変わり続ける自分の重さに対応しなければならない。これにもエルヴァリスは魔法で無理矢理対応していた。
荒れた天候。
雨が降り、雪が降り、雷が鳴り響く。目の前の相手さえも見えなくなるような視界の悪さだった。
この環境で戦える者がそもそも限られているのだ。
それはある種の足切りであり、英雄の条件でもある。
魔王に挑むには、生物としての限界をなにかしらの方法で克服している必要があるのだ。
「……ねえ、私のこと忘れたの?」
「……そんなわけがないわ」
「ふーん。それなのにそんな態度なんだ」
「────ッ!」
英雄として、エルヴァリスはさらに優れている。
魔王の体に傷が入った。
肩から胸にかけての一本の切り傷。
彼女の剣が魔王の体を喰らった。
その隙にエルヴァリスはさらなる追撃を放った。
剣を尾で防がせてから、アルテの顔を蹴り飛ばした。
それを受けて、アルテはよろけた。
「……やっぱり違う。貴方は……誰?」
「なんのことかしら?」
エルヴァリスは少し不機嫌になって、攻撃の手を止めた。
「ずっと思ってたの。最近の貴方のやり方が気に食わないって」
「そうなのね」
その少しの会話の間にアルテの傷は塞がった。
それになにも思うことはなく、エルヴァリスは不満をぶつけ続ける。
「なんなの? ちまちまとしたやり方なんかしちゃって。昔の貴方ならさっさと力で制圧していたわ」
エルヴァリスの思うアルテは、かつて大戦争で殺し合いを繰り返したあの姿だ。
「今の貴方からは、あの時のような喜びを感じない。命の奪い合いを楽しんでいない」
少し目を伏せてから、エルヴァリスは剣先をアルテへ向けた。
「そして、実際に会って確信したわ。────
「…………」
その問いにアルテは答えない。
「さっさと力を解放して。私だけを見て。そして、一緒に笑ってよ」
再び剣が振り下ろされる。
「────」
アルテはそれをまた尾の先で受けた。
顔を向かい合わせ、エルヴァリスは至近距離でアルテに語りかける。
「貴方……中身が違うのね。必死にあの子の真似をしている。魔王になろうと努力している。
──あの子は散っていく命を嘆いたりしない。嘘だって平気でつく子だったはずよ」
「……っ!」
エルヴァリスがその直感で、アルテの状況を言い当てた。
それが正解なのかどうかは、歪んだアルテの表情が証明していた。
「私が戦いの場で出会ったあの子はどこに行ったの? 答えなさい! 偽者!」
「…………」
暴風雨の中で、二つの視線が交差する。
そして、エルヴァリスは決定的な一言を放つ。
「──いつも一緒にいた“あの騎士”はどうしたの?」
「────」
真顔で質問するエルヴァリスに、アルテは怒りに似た表情で答えた。
「お気に入りの赤と黒の騎士はどこに行ったの?
「黙りなさいッ!!」
「……!!」
怒声とともにアルテはエルヴァリスを吹き飛ばした。
アルテを中心に全ての物体が吹き飛ばされていた。
そしてそこから起こったのは、“変化”だ。
周囲一帯から重力が消えた。
地面が砕け、足場が無くなった。
エルヴァリスは空を飛ぶことができるからなんとかなったが、ただの人間は冥界へ真っ逆さまだっただろう。
大気中の魔素だけではなく、他の酸素や二酸化炭素なども濃度が変化していく。
減ったり、増えたりと常に空気を構成する元素が変化し続ける。
その影響か、あちこちが燃え嵐が巻き起こる。
火炎の旋風と、雷撃の閃光が常に大地を蹂躙し続ける。
そして、アルテのいる場所を中心にして、
王都の瓦礫も、生えていた雑草も、生物の残骸も、その
命どころか、物の多様性も失われた。
街の残骸だった景色は、この世の終わりとも呼べる空間へと変わってしまった。
天空は黒い雲に覆われ、物理法則すら崩れ去り、命は一片たりとも存在を許されない。
そんな果ての世界に迷い込んだ英雄は、そこに鎮座する化け物を見下ろした。
きっと中身は違うが、その姿こそ彼女の望んだ魔王の姿だった。
二本の角を冠とし、黒い翼を腰から広げ、鋭利な尾が揺れる。
その角は全てを識る。
その爪は全てを司る。
その翼は全てを阻む。
その尾は全てを打ち払う。
そして、その髪と瞳には“黄金”が宿る。
太古に人々が憧れたその色を彼女は宿している。
その名は『アルテ・リルージュ』。
彼女こそ、魔族など及ばぬ遥か昔より生きる古き神。
「いいわ。そんなに知りたければ、教えてあげる。どうせ時間はたっぷりあるのだし」
絶対の生物がエルヴァリスを見上げる。
その威圧感にぞくぞくとエルヴァリスは興奮した。
「……へえ、嬉しいわね」
翼を広げ、アルテ・リルージュが飛翔する。
そこから始まるのは神話の戦いだ。
王都だった場所は人間の入ることができぬ禁則の領域となった。
その時空間すら歪んだ場所で行われる英雄と魔王の争いは終わることはなかった。
この日、公的な文書にはなにも記されることはなかったが、王国が沈んだ。
それはどうしようもなく自然な出来事だった。起こりうる普遍の歴史だった。
本来のものから少し変わったことと言えば、王都から生き延びた人々が多かったということ。
そして、新たな波が成長を遂げているということだろう。
その結果が訪れるのは──少し先の話だ。
◇
心の奥底で、オレは座ったまま見ているだけだ。
一笑に付すような展開ばかりで、飽き飽きしてしまう。
だがこれで、盤面に駒が並んだ。舞台に役者が揃った。
ここから行われるのは、勇者が仲間と道具を集めて魔王を倒すありきたりな物語だ。
くだらない。実にくだらない。
オレに任せておけば、なんの苦労もなく敵を蹂躙し、逆らう者を悉く破滅させる爽快な道を歩めるというのに。
肉体への干渉権を失ったオレは、なんの捻りもない普通で取るに足らない作品を観劇することしかできない。
我慢はできる。
しかし、この退屈を癒やすことはできない。
────
十二年前のように、教会の礼服を着た女に拾われて。
そしてオレもまたあの日にように指針を練る。
オレの目的は二つある。
一つはこの素晴らしい世界を維持することだ。
ここは楽園だ。
全てが許されるのだから。
このまま“地獄”に変わってしまうのは我慢がならない。
そして二つ目だが────。
それこそ、本当にくだらない理由だ。
話す価値もない。
ルクスの魂への干渉はもうできない。
ならば、オレの方からできることは何もない。
どうせルクスは知るだろう。
お前という存在がこの世界にどんな影響を及ぼしたのかを自覚し、存分に絶望するがいい。
因果の始まりはどこからだったのか。
お前があちらの世界での終わりを何故覚えていないのか。
それを思い出すがいい。
ああ、そうなれば、お前はオレを頼るしかないのだ。
オレはお前を次なる『魔王』にし、この世界に素晴らしい混沌をもたらすのみだ。
この世界というものは本当に素晴らしい。
楽しみだ。心が踊る。
これが彩り、歓びというものだ。
さあ────“第二幕”を始めよう。