透明の仕切りに写し出された深緑の森が過ぎ去っていく。聖国は女神による計画的な発展を続けていたが故に、自然環境を壊すことはなかった。
文明の発展の第一歩となる、火を
それに続く果てしない消費の連鎖を、この世界は経験しなかった。
それは別の力があったから。もしくは誰かが識っていたから。
いずれにしろ、残された緑の世界は広大だった。
だが、消費はされなかっただけで、管理はされている。
偽りの自然性は聖国を駆ける列車の通り道に設置されているのだ。
計画された都市の間には、計画された自然環境がある。
それは『箱庭』、あるいは『リバリウム』。少女が夢見たこの世界のカタチだ。
しかし、その整った環境は戦後になると、人間の手が入ることで崩れ去った。
この自然環境をどうしていくのかすら、人間だけでは判断できないのだ。
都市での暮らしから、森の暮らしに帰っていく人々。
魔石の消費を抑えるために森林を伐採する人々。
女神の管理していた土地であるが故にその所有権を主張する人々。
女神の生み出した全てがこの聖国ラークフムでは争いの火種になっている。
それは当然の変化であり、悲しい事実だ。
麗しき聖都への道を進む列車の外には、新緑の葉がそんな炎を覆い隠すようにして茂っている。
列車内──ネトス教徒用の車両には、穏やかな雰囲気が漂っていた。
座り心地の良い椅子に座りながら、飲食を楽しみ、仲間たちと談笑する。
それは彼女たちには当たり前のことであり、日常だ。
今この国に広がる怒りも嘆きも聞こえることはない。
傷ついた人間も壊れた建物も見ている。しかし、それを真に見ているわけではない。
仕事の一環。観察。記録。そのためだけに触れる体験でしかないのだ。
だから、車窓に流れる景色の向こう側に気づける者などいない。
息を潜めこちらを見る悪意を感じ取ることもできない。
彼女たちが考えるのは、聖都に帰ってからのこと。
自分の家に帰って、また世界を見下ろすだけの生活に戻る。
だって、こんなにも自分たちの生活が楽しいのだから。
争う人間も、怖い魔族も知るものか。
戦い続けた荒くれ者は死に、守護と生存に長けた者が残った。
人間領域内でネトスの威信がなくなったとしても、残った権力が彼女たちにはある。
女神の構築した防衛網が機能し続ける限り、ネトス教の総本山は揺るがない。
重さを克服した列車は進む。誉れ高い神の住まう都へ。
女神を信仰し、幸福を享受する女たちは暇つぶしに勤しむ。
この国は外敵に対しては無類の強さを誇る。
しかし、内に潜む敵には弱い。内乱が絶えないのもそれが原因だ
乗客である彼女たちではなく、この車両を運営する者たち。
その者たちの手には、
「準備はいいか?」
「はい」
リーダー格である男が、部下に尋ねる。
“これから行う犯罪の準備はいいか?”──と。
「一般車両の方はどうだった?」
「グループ客がひとつ。相当金持ちです。稼げると思いますよ」
チケットを確認する役割を演じていた制服姿の男がそんなことを言う。
彼は信徒でもないのにこの車両を利用するそのグループを笑った。
「ふ、そうか……。任務終了後に備えて懐を厚くしておくのも悪くない」
彼らは作戦を開始した。
彼らは、これから信徒たちを確保し、身代金を強請ろうとしていた。つまりジャック犯だ。
しかし、ただの犯罪者たちではなくどこか訓練された兵隊のようにも思える。慣れた動きで彼らは銃器を扱っているからだ。
この国で銃器を扱えるのは、軍隊、もしくは教徒内でも武闘派の者たち。
だが、彼らの持つそれらは最新式のものだった。
皆がマスクを被った。それには最近力を強めてきた反社会勢力の印が刻まれている。
だがそれもきっとまやかしなのだろう。
──この国には嘘しかないのだから。
◆
RPGで例えると、二つ目の大きな街で進行不能のバグに陥りかけた俺たちは、なんとか旅を続けていた。
俺はババア仕込みのお辞儀をして、必死にお礼を言うしかない。
「いやぁ……助かりましたわ、姉さん。おおきに~」
「いえいえ。お気になさらず」
疲れたOLお姉さんの名前は『ミニス』というらしい。
俺の少しおちゃらけた謝礼は軽く流されてしまった。……さてはこの人、だいぶ真面目だな?
しかし、我らの救い主であることには変わりない。俺はへりくだるだけである。
「なんなんです? その訛りは?」
黙れ、無賃乗車駄女神。
ボケを拾ってくれてありがとう。
「なんだかよくわからない感情を感じますね……」
ルイナの隣に座り直して、ミニスさんに対面する。
いつの間にかこの人は俺たちの前の座席を回転させて、対面するように座っていた。
この列車にもその機能あんのな。
「ふふ、仲が良いのね?」
優しい笑顔でミニスさんは俺たちをそう評価した。
なんだろう。この“はしゃいでたら近所のお姉さんに見られちゃった”感じ……。
「……で? 貴方はなんなんです?」
コイツ……。
隣のルイナは見るからに不機嫌だ。それを隠すこともなく、ミニスさんを警戒している。
「なにと言われても、ただの通りすがりよ?」
「通りすがりの領分を越えています。余計なことをせずともよかったのですよ」
「あら……ごめんなさい?」
「くっ……この人間……!」
くすくすと微笑むミニスさんに対して、歯ぎしりしているルイナちゃま。
雑魚すぎだろ。もう大人しくしてろ。
「素直にお礼言っとけよ。この人いなかったら俺ら終わってたぜ?」
「終わりません! そもそもどうしてあんな確認方法などをとっているのです? 人間にいちいち客席のチェックをさせてもエラーを起こすに決まっています!
管理システムは生きているのですから、それでいいではありませんか!」
「知らん」
自分のミスの言い訳をしはじめやがった。
「ああ、よく知っているのね。でも、現在は違うの。女神様の管理していたものは、必ず人の手が入るようになったわ」
ミニスさんは優しく説明してくれる。こんなヤツ放っといていいのに。
「はあ? なぜそんな無駄なことを?」
「それは……まあ、その方が都合がいい、から?」
「なるほど。システムが退化してやりにくいですね。……人間では私の──むぐっ」
「あーあー……どうどう」
ルイナを羽交い締めにして、口を塞ぐ。コイツ、初対面に変なこと口走りそうだな。
『バレたら消せばいい』とか思ってそうで、そうなる前に止めるしかねぇ。
「ふふふ……姉妹、ではなさそうね。二人は同郷の仲良しさんなの?」
「そんなとこっす。俺ら聖都にどうしても行きたくて。いろいろとコイツに任せてたら、ああなった」
「むーーッ!!」
これどう説明すんのが正解なんだ? 事情を知らない人と一緒にいることって少なかったからムズいな。
「聖都に、ね。……信徒になりたいって思ってるの?」
なんだ?
一瞬だけど、ミニスさんの表情が暗くなった気がする。
まあ確かにネトスの現状を考えると、世間的には逆風なのか?
でも、聖国では当たり前のことだとは思うけど。
「まあ、うん。コイツとか自分を巫女だって言い出すくらい夢見てるからさ」
「んんんんんんッ!?」
ルイナが変なこと言っても厨二病患者ってことになるように、保険張っとこ。
本当を嘘にして誤魔化すのだ。
「ああ……。その見た目で生まれてきたのなら、まあ、しょうがないわね」
「?!」
ミニスさんに憐れむような視線を向けられて、暴れていたルイナの力が抜けた。
……相当効いたみたいだな。
「でしょ? 自分を偉いって勘違いして大変なんだよ。だから、すげぇ生意気な態度をとるんだけど勘弁してね!」
『どの口が……』とでも言いたげなルイナの視線を無視して、俺は無難な会話を続ける。
「ふふ……ルクシアさんはかなり苦労していそうね」
「ミニスさんも聖都に?」
「ええ。お仕事の関係で」
なんの仕事だろう。この人すごく金持ちだし、教会のスポンサー的なヤツなんだろうか。それとも商人か。
聖国に来てすぐの素人の感覚だけど、この人はネトス教徒って感じがしねぇんだよな。
むしろ──いや、今考えても無駄だな。
さて。
ルイナじゃないけど、この人の目的はなんだろう。
助けた代わりをいきなり要求して来ない。
しかし、こうして俺たちに接触はしてきている。
こっちに興味を持っているのはわかったけど、最終的にはどうしたいのか。
それによって俺たちの対応も変えなくてはいけない。
だから、俺の方から少しぶっこむとしよう。
「それで……立て替えてくれたお代のことだけどさ、すぐには用意できないんだ」
「? ええ、そうなのね」
……この人、『急になにを言っているの?』みたいな顔したんだけど。
「5000ラーコなんていつ払えるようになるかわからない……という話なんだけど……?」
困ったように俺がそう伝えると、ミニスさんはやっと俺の言いたいことに気付いたようだった。
「ふふ、気にしなくていいって言ったでしょ? 未来の信徒に
今までの貼り付けたような笑顔ではなく、とても純粋な笑顔でミニスさんはそう答えた。
「────!」
腕の中のルイナの警戒心がまた高まったのを感じる。
おいおい、いきなりぶっ放すのだけはやめてくれよ?
慌てて俺はルイナだけに聞こえるように話す。
(落ち着け。言葉ではこう言ってるんだ。受け取っておこうぜ)
(……どうしてそう判断するのです?)
(んー……興味?)
「はあぁぁ~~~……」
なんか特大の溜め息が漏れてきた。
でもそれで一応ルイナは大人しくなったのでオーライ。
「おー……よちよち」
「なんです!? 気持ち悪い!!」
腕で固定して、撫でてたら文句言われた。
「いや、褒めてるだけだが」
「……ぅ。……そうなんです?」
よし、借りてきた猫状態になった。ある意味扱いやすいのよな、この邪神。
「くすくす……。
観客席で俺たちのじゃれ合いを見ていたミニスさんは動じることはなかった。
むしろ、なぜか好感度が上がっている気がする。
「んじゃ、ありがたく投資として受け取っておくよ? あとで取り立てに来ても知らんぷりするからね」
「ええ、もちろん。私が勝手にしたことだから」
困っている子供たちに施しただけ。
つまりは──“ただの善行”だ。
女神を信仰する証をなにも持たないこの人は、
ルイナが女神であると気付いていないと思う。
俺がサルヴァリオンだってこともわかっていない。
でもきっと、
表情の奥底に見える仄暗い光がそう感じさせる。
こりゃあ、厄介な人と関わったのかもしれない。
「ありがと」
「どういたしまして」
俺が右手を差し出すと、ミニスさんはなんの躊躇もせずにそれを握り返してくれた。
「最近の人間はどうなっているのです……?」
だから、そういうことを言うんじゃねぇよ。コイツは一回徹底してコンプラを教えないと駄目だな。
「あう……」
ルイナに、べし、とチョップをかまして大人しくさせる。
最近わかってきたわ。コイツはただの構ってちゃんだ。
「変な人間だとはよく言われるの。気にしてないわ。そんなに怒らないであげて、ルクシアさん」
ミニスさんは本当になんともないようだった。
まあ、イキってる中学生くらいのガキ相手じゃそんなもんか。
「人間に……舐められている……?」
むしろコイツはそれでいいのか? 通算何歳だよこの女神。新社会人くらいの女性に大人の対応されてるぞ。
……まあ、ミニスさんの本当の年齢はわからないけど。
この世界は本当に見た目で判断してはいけない。
1年の長さは地球と同じなのに、感覚はかなり違う。
40歳の人が20歳に見えることもあるし、その逆もある。
俺は肉体の成長が遅れているがそれでも地球の感覚だと普通だ。
でも、この世界の感覚だとかなり小さい。
つまり、この世界の人間は成長が早く、老化が遅い可能性がある。どこの戦闘民族だよ。
魂を基準にした身体というものがどう関わるのかは謎だ。
しかし、それが違いをもたらしているのは確かだと思う。
『人間』か……。
生物学はあんまやってこなかったんだけどなぁ……。もうそうも言ってられねぇか。
そう言えば、ミニスさんは俺のしているマスクについては、なにも訊いてこないな。
聖国じゃ珍しくもないのか、ミニスさんにとってはどうでもいいのか。
「ミニスさん、聖都まではどれくらいかかるの?」
「あと半日はかかるわ」
「あー……やっぱ結構かかんのか」
食事のときどうしようかなぁ……。まあ、それくらいの事情は話していいのかも。
俺が思考に飲まれている間も、ルイナはミニスさんを睨み続けていた。
「……ルイナちゃんは私を信用できない?」
「はい、もちろんです。というかなんで私はちゃん付けなのです??」
「ふ……そう言ってくれて少し嬉しいわ」
「は?」
「ふふふふ……」
「気色悪いです……っ! ルクシア! この人間は本当におかしいです!」
うるせぇな……。
なにが楽しいのか、ミニスさんは上機嫌に笑っていて、ルイナは全然大人しくならなかった。
「お前なぁ……ミニスさんになんてこと言うんだよ。全力で媚びろよ」
「はあぁッ!?
何言ってんだコイツ。
俺の胸ぐらを掴んで揺らしてくるルイナを無視して、ミニスさんをちらっと見る。
やはり、彼女の表情には微笑みがある。
それは純粋で、少し儚いものだった。
足掻き苦しみ、心は摩耗した。
それでも団欒を見つけたときに感じる温もりを諦められない。
俺は……どこまで踏み込んでいいのだろうか。
なんとなく予感があった。
この人と俺は無関係ではいられないのだろう、と。
だからこそ距離を測りかねる。
「どうかした? ルクシアさん」
「────ああ。ミニスさんって……」
そのとき、大きな音が響いてきた。
それは発砲音。
今の普通の耳でも聞くことのできる距離で、撃たれたものだった。
この列車内で、誰かが武器を振るっている。
ちゃんと押さえていたから、ルイナではない。ならば、誰か。
もちろん、人間だろう。
「…………」
ミニスさんは最初のときのような疲れた表情になると、俺たちを庇うように立ち上がった。
やっぱ、この人普通じゃないよね?
「何事です?」
ルイナの手には、また拳銃が握られている。
列車内での銃撃戦なんて、起こりうるのだろうか。まあ、起きるんだろうなぁ。
複数の足音がこちらに迫っている。
マジで勘弁してくれ。本当に始まったのかよ。
予想はしてたし、どうせ上手く行かないだろうって思ってたけど、俺は静かな旅になって欲しかった。
久しぶりに言うか……。
──相変わらずクソだなぁ、世界さんよ!