我が家の玉藻(キャット)さん   作:歌川

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我が家の玉藻(キャット)さん

 心のどこかに漠然とした穴がある。

何がって言うとそれを表現する言葉は見つからないけど。

両親にそんなぼんやりとした不安を相談してみても「立香くらいの歳ならよくある事だ」と微笑ましく流されて終わってしまう。

友達にも、先生にも。誰に話しても「よくある事」それで終わってしまう。

それはそうだ。私にだってなんだか分からないのだから、そんな相談をされて答えが出せる人なんている訳がない。

結局答えもなく、大学受験という目下の現実と向き合っている内に時間は過ぎて行きそんな悩みと向き合うのは少なくなっていった。

 

 受験も終わり、どこか大学に近い良い物件はないかと探していると、

お父さんの同僚の友人が良い物件が有ると紹介されたと言うのでとりあえず行ってみる事にした。

なんでも私と同じ位の歳の女性が広い家に一人で住んでるので、同居人を募集中との話らしい。

「ここがそうなのかな?」

少し古めの和風の一軒家、今時あまり見ない木造住宅。まるで某海産物一家の家のようだ。

「えっと…苗字は玉藻さんであってるよね」

表札を確認してから門をくぐり、チャイムを鳴らす。廊下の向うからトストスと玄関に向かう足音が響いた。

人影がすりガラスの向こうに見えたと思った瞬間、扉はやかましい音を響かせながら思い切りよく開いた。

「つまりアレだな。お主は安い宿代に釣られてやってきた愚かな贄……我が家の敷居を跨ぐ資格が………」

ピンク髪のメイド服の女性は突然言葉をまくし立てて来たと思ったら、私の顔をジロジロと見つめて来た。

「ちょっと顔をこちらに……」

両手で私の顔を挟み、ジッと見つめてくる。必然的に玉藻さんの顔も目に入る訳だが、女性の私から見ても心臓が高鳴るほど美人だと思った。

「ああ…そうか……」

言葉をこぼす様に何かを呟いた玉藻さんは急に身をひるがえし家に戻っていった。

「昼餉の準備中なので一度戻らせていただく!後で案内はしっかりするが、とりあえず勝手に見てもらって構わないぞ」

私の返事を聞かずに玉藻さんは家の奥に消えて行く。

「まるで嵐みたいな人だ…」

誘われるままに、私は家の中に入っていった。

 

 玉藻さんを追う様に廊下を進むと、そこは広めのリビングだった。

そこに併設されているキッチンに玉藻さんの姿がある。料理に集中している様子なので私は黙って荷物を置いて家の中を見て回る事にした。

 使われいる様子はないが綺麗に掃除のされている個室がいくつか。お風呂とトイレも綺麗に整えられていて、それらを見るとあの人がとても真面目なんだと分かった。

庭には妙な着物の様な赤い和服?が干されいるのが気になったが、日当たりもよく天気のいい日は軒下が気持ちよい昼寝の場所になりそうだ。

そして最後にとても気になる部屋が目に入った。【キャットの部屋 立ち入り禁止】と看板が掛かった部屋だ。

キャット?猫?なんだろう?家を見て回った感じからしてここが玉藻さんの部屋であるのは間違いないだろう。

立ち入り禁止のと言われると気になってしまうのが人の性だ。好奇心のままに手を伸ばす。

「あれ?」

カギがかかっていた。力を入れても扉は全く開く様子がない。

「ダメかー」

「うむ。秘密とは甘美故に欲してしまうもの。しかしそれは禁忌に触れる行いと知れ!」

「ひゃあ!」突然の声に思わず飛び上がる。

「お昼の準備が終わったので呼びに来たぞ!せっかくなのだ一緒にどうだ?」

「あっ…うん。じゃあいただこうかな」

私の答えを言うと同時に玉藻さんは私の手をとり、リビングまで足早に案内された。

食卓の上にはサラダとカレーライスが二人分並んでいた。

「さあさあ。遠慮なくいただくがよいっ!おかわりもあるぞ!」

「それじゃあいただきます」

食欲を誘う香りに誘われるままに料理を口に運んでいく。これはもしかして凄くレベルの高いカレーなのかもしれない。

思わずおかわりもしてしまい、先に食べ終わった玉藻さんはそんなカレーをガッつく私を笑顔で見つめていた。

「美味いか?」

「うん。ここまで美味しいカレー初めて食べたかも」

「ほう、そこまで褒められるとは。その賛辞は素直に嬉しいぞ」

「特にこの辛さが凄い丁度良いよ。家のカレーと同じくらいなんだけど、それもあって凄く美味しく感じる」

「ほう…そうか。何を隠そうその辛みこそがこのカレーの旨味を最大限に引き出すコツであるからな。

お主の母君も中々の域に達しているとみられる……そうか…それは良い事だな」

玉藻さんの顔にほんのりと影が見られる。何かマズイ事を言ってしまっただろうか?

家のカレーと比べる事が失礼だっただろうか?

 

 食事も終わり食器洗いくらいは私がやろうとしたが「それは我の役目」と断られてしまった。

暇を持て余してなんとなく縁側に腰を下ろして読みかけの本を開いた。

しかし、心地の良い日差しと満腹感から全然内容が頭に入ってこない。うつらうつらと同じ文字列を何度も往復してしまう。

「微睡みながらでは読書も進まぬだろう。お茶でもどうだ?」

玉藻さんがお茶を乗せたオボンを私の横に置き、傍によって腰を下ろした。

「ありがとう。なんか色々お世話になってなんだか悪いな」

「同じ屋根の下に住もうと来てくれた者に、御もてなしをするのはそう珍しくもないだろう」

「そういう物かな?なんか最初は凄い剣幕で迫ってきた気がするけど」

「アレは緊張から来る照れ隠しというものだ。気にするな」

「そういうものかあ」

玉藻さんの持ってきた緑茶に口をつける。あまり飲まない種類のお茶だが多分美味しいと思う。香りも良い。

「それでだ。お主はどうしたい?」

「え?ああ、うん。下宿先としてどうかって話だよね。そんなの玉藻さんが良ければ私からお願いしたい位だよ」

そう言うと花が咲いた様な笑顔で飛びついて来た。

「そうか!そうなのだな!キャットのもてなしがそんなに気にいったのだな!」

ギュウと抱きしめられる。あまり悪い気はしないが少し力が強い。

「そんなに寂しかったの?」

「ああ、寂しかったぞ。この世界は一人でいるには広すぎるのでな…」

 

 なんだか憂いを帯びる玉藻さんに詳しい話を聞く訳にもいかず、しばし辺りには静寂が流れる。

私から離れた玉藻さんは恥ずかしそうに流れた涙を拭うと緑茶を飲み空を見上げた。

それを追うように私も空を見る。青い空が広がっている。太陽も暖かい。

気が付くと玉藻さんも寝息をもらしている。私もそれに釣られる様に眠気にのまれていった。

 

 何かが軽く倒れる音で目を覚ます。

空になったお茶碗がコロコロと縁側から落ちそうに転がっていく。

「おっと危なかった。そうだ、玉藻さんお茶のおかわりって……」

お茶碗を拾い上げ、顔を向けるとそこには先ほどまで姿の変わった玉藻さんが気持ち良さそうに転がっている。

ピンクの髪の上にはピンと尖ったケモノの耳。立派な爪の生えた肉球の輝く手足。そしてフワフワとした大きな尻尾!

「妙な人だとは思ったけど…嘘……?これ本物?」

あまりにも非現実的な光景に私の心は激しく高鳴る。触ってみたい。撫でてみたい。そんな欲望を抑えきれるずに玉藻さんの頭に手を伸ばす。

暖かい。フワフワとした耳毛を堪能していると、カッ!と玉藻さんの目が開いた。

「なな!ななな…変化が解けてる!!」

目にも止まらぬ速さで玉藻さんは私から距離をとった。

「うぐぐ…ぐううう……こんな時にとんだ失態を!こんな化生の怪物と共に居たい者などおるまいに…」

身を震わせ、今にも破裂しそうな怒気を発する様に地面を睨みつけている。

玉藻さんについて私は何も知らないに等しい。だけど、だけどあんな悲しそうに怒る人を放っておいては置けなかった。

「好きです!そういうの!」

今にもどこかに飛び出して行きそうな玉藻さんを引き留める為に言葉を選ぶ時間はなかった。

「可愛いと思います!むしろ…評価点としてはプラスです!」

高速で近づく私に玉藻さんは反応できない。そのまま手を掴み、逃がさない様に強く握った。

「逃げるならせめて私に怯えた顔をさせてからにしてください!」

呆然と私の顔を見つめる。だんだんと顔をほころばせると大きな声で笑い始めた。

「ハハハハハハ!そうだ!そうだったな!ハハハハハ」

お腹を抱えながらずいぶんと笑った後にやっと冷静になったようだ。

「アタシは自分で思っているよりも弱気になっていたようだ。お主がそういう人間だと分かっていたのに。

だがいかんぞご主人。こういう物に心根を明け透けに開くとろくな事にならんぞ」

「えっと……はい?」

「では改めて問おう。アタシと一緒に居てくれるのだな」

「うん!」

 

 帰りの電車に揺られながら思う。

深く考えずに返事をしてしまったがなんだか重い契約をしてしまった気がする。

玉藻さんが妖怪だとしても人を喰うタイプには見えなかったし大丈夫だよね?

自分の手を見つめて今日の出来事を思い返す。

「温かったな…」

今日。私の中の常識という概念がバラバラに吹き飛んだのだが、なんだか久々に気持ちの穴が埋まったような。

そんな気がした。

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