舌鼓を打つという言葉の意味を、閻魔亭での食事で初めて理解したかもしれない。
舟盛りを中心に彩られた食卓は見るだけで食欲を刺激し、刺身だけでも、包丁の入れ方でこうも変わるのかと驚かされた。
玉藻さんも、一品食べる事に天を仰ぎ「こうも違うか」「まだまだ届かぬ……」などと驚きながら箸を進めていた。
食事を終えて、帰りの支度を済まして入り口へと向かう最中にマッサージチェアに揺られている少女がいた。
「お客さん、私達の他にもいるんだね」
「この気配は人間では無い様だが。おお……」
顔を見て、玉藻さんが一歩引いた。それが気になって、失礼とは思いつつも顔を覗いてみた。
ヘッドセットを付けて、だらしなく口を開けながら眠っている金髪の少女。
綺麗な顔立ちをしていると思うが、それ以上にどこかで見た覚えが有る気がする。
引っ掛かりの正体が思いつかないままでいると、少女は目を開いてこちらを一瞥した。
「あっ。こんにちは」
「こんちはー……」
私の挨拶に返事をすると、再び目蓋を閉じて眠ってしまった。しつこいのも迷惑かと足を進めた。
「アヤツはメタトロン・ジャンヌ。それが怠惰に堕した姿だ」
「メタトロン?!ジャンヌ?!その二人が合体する事ってあるの?!」
「有るのだ。恐ろしい事だがな……正に奇々怪々である」
「そっか……それも驚きなんだけど、あの顔って……そうだ!折田さんだ!えっ!じゃあもしかして、ジャンヌ・ダルクなの?!」
「なんだ、まだ真名を聞いて無かったのか。まぁ、我には及ばなくとも奇妙な身の上なだけに話難くはあるか」
オルレアンの乙女。そして聖人でもある伝説的な人物。そんな人が友人として傍にいるというのは驚いた。
しかし、普段の彼女の振る舞いや、その趣味からすると、失礼には思うがこう思ってしまった。
「なんか、イメージと違うね。うーん……でも、戦場で兵を鼓舞して導く人なんだから、アレ位の荒っぽさは有るべきなのかな?」
思い返してみると、態度が悪かったり、口が悪い時でも、喋り方に丁寧さを忘れない。
それに、折田さんは人付き合いの中で感じる義理難さはとても立派に見えていた。
「清廉潔白なイメージは、まあ私が勝手にそう思ってただけだし。意外と聖人ってそういう感じなのかな?」
ジャンヌ・ダルクの人となりについて、ぶつぶつと考察をしていると、何故だか玉藻さんが生暖かい笑みを浮かべていた。
「どうしたの?」
「いや、なに。キャットが訂正する事でも無いのでな。フフフ……」
口に肉球を当てて笑いを堪えている。
とても気になる反応だが、教えてくれそうに無い気配を察して、黙って部屋に帰った。
玄関口に立つと、お出迎えに数羽の雀と紅閻魔さまがお見送りにやってきた。
「お客ちゃま。大きいつづらと小さなつづら。どちらかお持ち帰りくだちゃい。
と言っても、だーれも大きいつづらを選ぶ人はいまちぇんが」
「有名な話ですからね」
私は迷いなく小さなつづらを手に取った。
その横で、玉藻さんは古い紙の束を渡されていた。
「これはおかえちしまちゅね。それに書いてある現象は、地獄でも奇妙な揺れが起きていた時期と繋がりがありまちゅ。
そして、ソレについては地上の者がどうにかするべき問題だと判断しまちた。
まずは、あちき達よりもそれを読める人を探すと良いでちゅ」
「やはり問題と判断しますか……とりあえずやれるだけやってみるとする。その気遣い感謝いたす」
「こちらから助力できる事はありまちぇんが、頑張ってくだちゃい」
なんだか、私が踏み込むべきではない話が聞こえたが気にしてもしょうがないか。
笑顔で別れを告げて、閻魔亭の前の橋を渡ると視界が歪み、視界がハッキリするとキャンプ場に戻っていた。
奇妙な現実に頭がおかしくなりそうだ。
「なんか……キャンプに来たのにそれ以外の出来事が大きすぎて困惑するね」
「うむ。我もそう思っていた所だ」
荷物をまとめて、キャンプ場を後にした。
色々有ったけど、怖い思いをしたのも含めて良い思い出になる……と思う。
家に帰ってから開けたつづらの中身は、二人分のおにぎりと総菜でした。
ささやかだけど、温かい。そんな幸せを感じました。
キャンプに行ってから、しばらくした休日。
連日の雨で外に出る気にもなれず、居間で本を読む日々を過ごしている。
メイド服を来た玉藻さんは縁側の窓に手を当て、寂しそうな顔で雨雲を見つめていた。
「洗濯物は乾かない。買い物は面倒。雨が続くと憂鬱になるな……」
ため息をついて窓を離れると窓に肉球の形の跡が残っていて頬がほころぶ。
そして暇を持て余した玉藻さんは、私の傍で正座をして待機し始めて。それを見て、私はキリの良い所で本に栞を挟み、読書を止めた。
「何か……二人で出来る事でもする?」
同棲をしていて分かってきたが、玉藻さんは雨の日が苦手だ。
玉藻さんの趣味と言うと、日常生活の中で行われる雑事を片付けるのが趣味といった感じだ。
それ以外に時間を使うのは、散歩か縁側でのお昼寝と、晴れの日でなければ万全に行う事が出来ない趣味になっている。
そんな訳で、長い雨が続いたせいなのか。今日の玉藻さんはナイーブに見える。
「これはちょっとした質問なのだが。立香は魔力を扱う事に興味は無いか?」
突然の言葉に私は驚いた。
「ビックリした。その手の話題は絶対触れさせたく無いんだと思ってた」
「そうさな。触れずに済むのならそれで良いと思っていたが、先日の様にどうにもならない事件が起きた時に、少しでも選択肢を増やすべきかと思ってな。
我の意図しないマジカルでHELLな場所にも迷い込んだし、妙な事件に巻き込まれる可能性も考えたら、少し位は触れておくべきかと思った訳だワン!」
その言葉に続いて、要約すると、普段は絶対に使わない。戦おうとは思わない。逃げる為以外には使わない。という事を誓わされた。
魔術をみだりに使う事の恐ろしさも説かれたので、それは絶対に守るつもりだ。
「長々と注意をしたが、我に教えられる事は肉体強化くらいだがな」
玉藻さんは、両手を広げてこちらに向ける。
「まず魔術回路を開く。痛みを感じるかもしれぬが、まあ慣れてくれ」
「痛いものなんだね」
「人によるがな。そして強引だが、我の魔力を流し込み、お主の魔術回路を刺激する。
流れて来る感覚が不快でも、中断する方が危険なので大人しくするように」
「はーい」
緊張と冒険心が半分づつ私の心を満たす。玉藻さんの手に私の手を重ねる。
いつも通りにふわふわと肉球の柔らかさが手に伝わる。しばらくすると、感じた事の無い、熱を持った何かが体の中に入ってくる感じがした。
(やはり魔術回路は既に開いているか。カルデアで習得した知識や技術を知らず知らずのうちに活用している気はしていたが、これが世界を取り戻した者に与えられる報酬とするには何とささやかであるか……
ワタシが魔術に近づかせる責任を負わずに済んだのは嬉しいやら寂しいやら……複雑であるな)
指先から始まり、体の中にピリピリと何かが走る感覚がした。痛みと言うにはとても柔らかく、おとなしい。
その感覚が全身を巡った後、玉藻さんは手を離した。
「こちらの感触としては異常無しだが、何か体に変な所はないか?」
手を開いて閉じて、特に気になることは無い。その後に全身を弄って見たが、特に変化は見られない。
「問題無いかな。多分。けど、ちょっと体が熱いかも」
「それはただアドレナリンが出ているだけだな。よし!次は魔力操作と行こう!」
再び、玉藻さんは手を広げてこちらに向ける。
「また、この姿勢になるんだ」
「分かりやすさが何よりも優先なのでな!内側に感じる魔力を掌から我に渡す事をイメージするのだ。そう難しい事ではない。慌てず、ゆっくりとな」
手を合わせ、目を閉じる。自分の内側に先ほどまで無かった何かを感じた。
私にこんな力が眠っているのは正直驚いた。だけど、それが当たり前な気もする。
妙な気持ちはとりあえず置いておいて、玉藻さんの言う通りにしてみる。
深く深呼吸をして、自分の魔力を呼び起こす。すると、腕に僅かな痛みが走った。目を開けて確認する。
「なんか腕が光ってるんだけど……大丈夫?」
「それはそういう物だ。魔術回路が起動しているだけなので気にする必要は無い」
気を取り直して、もう一度。目で見たからなのか、魔力を感覚でハッキリと捉える事が出来た。
それを手に集中させて、玉藻さんに渡そうと心の中で思う。そうすると、手の中に集まっていた魔力が抜けていく感覚がした。
「うむ。しっかりと出来ているな」
「おお……なんか変な感じ。ちょっと疲れる感じもするね」
「まあ、魔力の元は結局生命力や気力と言った身体から湧く訳であるからして、渡せば疲れるのも当然だな。
もう大丈夫だとは思うが、感覚になれるとしよう」
今度は玉藻さんが私に魔力を渡す。そうすると、少しだけ疲れが無くなった気がする。
魔力の扱いの基礎を学ぶ意味で、それを何往復か繰り返した。
「なんか……ちょっといやらしくない?」
「魔力供給を理由に粘膜接触を図る輩もいるが、行為自体にいやらしさを感じるのは、問題有りでは?」
「言わなきゃよかった……」
「まあ、ご主人がそのつもりならキャットがいつでもウェルカムだ!」
「それはいいから、次の訓練に行こう!」
ここからが本番だ!と気合を入れて肉体強化の練習を始めて1時間。
「波風が一切立たない!」と叫び、玉藻さんが仰向けに倒れてしまった。
「なんだ?我の教え方が悪いのか?それともまさか魔術をレジストしてしまう特異体質なのか!それは無いな!ちゃんと幻術に掛かるし!」
自分の事をある程度の事を器用に出来る人だと思ってたので、この結果には私もショックだ。
「うーん……玉藻さんの言う通りにやってるんだけどね」
クルミの殻を握り、手に魔力を込めて思い切り握る。うん、全く握力が増しているという感覚が無い。
「魔術に適さない体質なのか?うーむ……一つ試してみるか」
玉藻さんは起き上がり、ふらりと姿を消す。しばらくすると、一枚の御札を持って帰って来た。
「この札に魔力を通してみよ」
言われた通りに魔力を通すと、塵の様になって御札は消えてしまった。すると、何だか体中に力が溢れて来た。
これはまさかと思い、グッと手に力を込めると、アッサリとクルミの殻を割る事が出来た。
「なにこれ!凄い!」
そう思ったのも一瞬。今度は体が凄まじく重く感じる。
「ぐっ……これは一体……」
「キャットの普段から使っている筋力強化の術だワン。人間が使う術では無いのでちょっと反動が重いかった様だな」
「疲労感も凄いし、手が凄い痛いんだけど……」
「特別鍛えている訳でも無い人間が、握力のみでクルミを砕けばそうもなろう。ほれ、手を出せ」
私が手を差し出すと、柔らかに肉球で包まれる。スリスリと優しく撫でられて、少しは気が紛れる。
しかし、痛みが無くなる訳ではない。
「これは?」
「文字通りの手当てだ。残念ながらキャットに人の傷を治す手段は持ち合わせてない。我に出来るのは励ます事だけだ!」
ただの筋肉痛との事らしいので、少しの間、玉藻さんの気づかいに甘えてから手を離した。
「これで分かったが、礼装を用いての魔術の行使は出来るようだな」
「礼装?」
「ザックリと魔術を使う為の道具と思えば良い。……しかし、礼装を常に持ち歩くのは少し問題があるな。
ここは一旦諦めてもらうか……」
「うん。流石にそんな魔法の道具を持ち歩くのは私も怖いかな。ちょっと残念だけど諦めておくよ。だけど、変化してみたかったな」
「訓練が上手く行っても、それは流石に難しいぞ。魔術というよりは妖狐の生来から持つ技術だからな」
「そっかー」
体の怠さから、その場に寝転んだ。外を見ると、いつまでも雨が続き、雨音に耳をすましていると何だか眠くなってくる。
「魔術の世界には照応という概念がある」
「ふぇ?」
寝ぼけていたせいで何とも間抜けな声が出た。
「魔術師となにがしかの現象を同士を結び付け、魔術的に同一の物として力を引き出す為の手段である。
これを使えばお主も一時的に変化が出来るのではないかと思いついてな。やってみるか?」
「なにそれ!やるやる!」
「そうはしゃぐでない。どちらかと言えば冷静さが大事だからな」
まずは玉藻さんの言う通りに、正座になって向かい合う。
「完全に思い付きだから、あまり期待をされても困るのだが……」
私の期待に満ちた様子を見て、なんだか恥ずかしい様子だ。
「厳密に我とご主人を同一にするというのは難しいので、キャットが強引にご主人をキャットとするぞ」
「私が玉藻さん……どうやって?」
「まず、我がお主に魔力を流す。それを静かに受け止めてくれ。その後は……自分の認識を歪めるのは得意な方だから問題無いとして。
そのまま、自身起きる現象をありのままに受け止めてくれれば多分上手く行くので安心して、身を任せるのだ!」
両手を握り、目を閉じる。
少しの間を置いて、玉藻さんの魔力が私に流れて来た。先ほどの魔力を操作する練習の時と違い、なんだが圧力を感じる。
まるで私という存在を塗り潰そうとしているようだ。
「不快か?」
「ちょっとだけ……分かっちゃった?」
「魔力の歪みでな。気軽に始めたが、やろうとしている事は大分暴力的であるからな。嫌なら嫌と言ってくれて良いぞ」
「大丈夫。元から危ない所に飛び込むつもりで始めた事だし。もう大丈夫」
私を心配する玉藻さんの顔を見て、恐怖が落ち着いた。深く息を吸って、吐き出す。
再び目を閉じると、またあの感覚が全身に浸み込んでくる。少し冷たいその感覚に身を任せる。
『『此方の体。其方の体。ここに共に在し2人を同一とせん』』
突然私の口から言葉が放たれる。玉藻さんも同じ言葉を言っていた様に聞こえる。
『『なればこの身は其方の身。なればその身は此方の身。我の力を持って同一とせん』』
言葉を口にしてから段々と熱が戻ってくる。そして、腰の辺りに重さを感じる。
「良し!上手く行ったぞ!」
目を開くと玉藻さんはパッといなくなり、鏡を持って帰ってきた。
そこに映る私の頭には、玉藻さんの様にキツネの耳が生えていた。
「お~~凄い。本当に生えてる」
頭を触って見ると根元からしっかり感覚がある。そして指を使って気づいたが、玉藻さんの様にケモノの手足にはなっていなかった。
「ここはそのままなんだね」
「ふふふ。このキュートなおててはキャットの証だからな。お主の様な、にわかキツネには相応しく無いのである」
「うーん。それは残念。というか尻尾も短いね」
立ち上がって自分の尻尾を確認する。ふんわりとした毛並みは負けてないが、ボリューム不足だ。
「魔力と関係のある部位だからな。魔力の量の差だろうか?しかし、質は良い物を持ってるぞ」
玉藻さんが私の尻尾を爪先で優しく撫でる。なんだかとても恥ずかしい。
「それにしても、玉藻さんも嬉しそうだね」
「上手く行ったというのも有るが……征服感がとても満たされて満足だ……」
「うわっ。いやらしい顔」
お互いに毛づくろいしたり、普段は出来ない事をしている内に気がつけば、日は傾き空が闇を抱えていた。
「いつの間に夜だね。そういえば、この変化ってどう解除すればいいの?」
「………厳密に言えば、それは変化というより、玉藻化と言った方が正しい状態でな」
「うん」
「玉藻が玉藻で無くなるなんて普通にある事では無く……我が注いだ分の魔力が無くなるまで解けぬ!」
「それ大丈夫なの?!」
「安心しろ。その姿を維持するだけでも魔力は消費されていく。
それにお主がタマモナインの末席に座る事になってもキャットは味方だ!」
「何も安心できないなあ!」
玉藻さんの言う通り、数日後に気がつけば無くなっていた。
しかし、時は遅く。妙なコスプレ女の噂はしっかりと広まってしまったのでした。
イベントの最後でとんでもない話があったけど、まあ気にしてもしょうがないので気にしない。
ご意見、ご感想が有りましたらよろしくお願いします。