これはカルデアでの出来事。その日はマスターが食堂に来るのが遅い日だった。
昼食の時間も終わり、他の職員やサーヴァントはそれぞれの持ち場に戻り、ガランとした食堂で一人、ワタシは待っていた。
マスターの食べたい料理は何か。そんな話をしてマスターは「家のカレーが食べたい」と言った。
無理もあるまい。突然、明日もわからぬ戦いに身を投じる事になり、今や空も見れぬ状況だ。
我が家の味を恋しく思う時もあるだろう。
幸いにも日本の食文化に精通した弓兵の助力もあり、その力とマスターのうろ覚えのレシピからマスターの家庭の味に近いカレーを作る事には成功した。
後は食べてもらうだけなのだが、今日に限っては妙に遅い。キャットは耳も尻尾も垂れ下がり地面に溶けそうだ。
「ごめん!キャット!シミュレーションが長くなって遅れちゃった!」
扉が開くのと同時にマスターの声が響く。
「気にすることは無いぞ、ご主人。妻の立場として主を待つのは当然なのでな」
そんな風に言うが尻尾はバサバサと犬の様に跳ね回る。だらしないが止まらないのだからしょうがない。
パッとキッチンに飛び込み、鍋を火にかけてカレーを温める。奉仕する身からするとこの時間はとても楽しい。
カレーとご飯をお皿に盛り、サラダと一緒にマスターに持っていく。
「さあ召し上がると良い」
「ありがとう。じゃあ、いただきます」
スプーン一杯にカレーライスをすくってマスターは大きく一口頬張った。
目を見開き、驚いた様子でゆっくりと味わってからそれを飲み込む。
「凄い!凄いよキャット!!なんでこんな所で日本のカレールーの味が再現できるの?!」
「ふふん。存分に褒めるが良い。
と言いたい処だが、企業の研究と研鑽により作られた物を、主の口伝えのみで0から作るのは猫の手だけで不可能であった…
と思われたが、赤い主夫の力添えがとても大きい故にお礼を言うならばあちらの方に言っておくが良い」
「おーエミヤが!あの人、本当に何でもやるなあ」
よほど空腹だったのだろう。マスターは会話を切り上げるとカレーを勢いよく食べ始進める。
時々スプーンが皿にぶつかる音と、我の尻尾の音だけが食堂内に響いた。
頃合いを見て、二人分のお茶を入れてテーブルに運ぶ。
「ご馳走さまでした。お茶もありがとうね」
「満足したのだったらキャットも嬉しいぞ!これからも精進はしていくので期待するが良い」
「そうだね。うん。それで…さっきは食べるのに夢中で言葉が出なかったんだけど……
私はキャットのおかげで凄い温かい気持ちになれたよ。だから、ありがとう」
それまでもあの者に惹かれている自分があったのは確かだった。
だが、主従関係を超えた想いを持っていると気づいたのは、あの日のお礼の言葉だと思う。
満月の明りの下。一人ベッドの上で目を覚ます。
幸せな夢だったと思うが、もはや誰にも共有される事のない過ぎた日々の思い出。
夢から覚めればなんと虚しい話だろうか。自然と瞳からは涙が落ちる。
また会えたのは嬉しいはずなのに。失われた全てがアタシの心をグチャグチャに掻き回す。
「肉体のある存在とはなんとも面倒であるな」
ボロボロと落ちる涙が毛皮を濡らす。
「立香……また会いたい……」
満月に願いを掛けるように呟き、眠りに落ちるまでずっと窓の外を眺め続けた。
━━━━━
奇妙な出会いをした翌日。
私は散らかった自分の部屋のベッドの上で寝転がりながら携帯端末で情報を集める。
「玉藻の前……やっぱり猫要素はどこにもないよなあ」
苗字(?)からして玉藻さんは狐の妖怪の様な存在できっと玉藻の前、或いは妲己と呼ばれる人物に縁のある人なのは間違いない。と思う。
安定しない一人称の中でキャットと言っていたし、『キャットの部屋』と看板の掛かった部屋を自分の部屋だと言っていたのだから、玉藻さんの本名は玉藻キャットで間違っているということはないだろう。
しかしなんだって猫なのか?気になって仕方がない。
「本人に聞きに行くか、専門の本でも探してみるしかないか」
連絡先を聞きそびれたのは結構な痛手だと後悔する。
何分あの時はそんな事を聞ける様な雰囲気ではなかったし、玉藻さんの方から一人にして欲しいという空気を感じたので急いで帰ったが、よく考えたらもう少し一緒にいてあげるのが正解だったかもしれない。
端末をベットの上に放り投げ、ボーっと天井を見つめる。何か分からないがあの人の顔が頭から離れない。
何をしようにも集中できずに思考がバラける。
「落ち着かないな」
玉藻さんの手を掴んだ時、私は何か大切な物がそこにあった様な。
「なんて……ただ手触りが良かっただけかな」
不意に訪れた眠気に身を任せて目をつぶった。
微睡に身を任せて気持ち良い感覚を味わっていると、階下から私を呼ぶ母さんの声が聞こえた。
「立香ー!あなたにお客さまよー」
こんな時間に誰だろう?わざわざ家に来なくても携帯に連絡を入れてくれたら良いのに。
あくびをしながら玄関に向かうと、母さんの向こうに先日見た派手な髪の色が目に入った。
セーターにズボンと先日のメイド服とはかなり違ったスタイルだ。変身もしっかりしている。
「わざわざありがとうございます。忘れ物を届けてもらって」
「いえいえ、こちらも色々と同居人ができると浮かれてしまい、渡さなければいけない書類を渡すのを忘れていたので」
なんだからしくない話し方をする玉藻さんが少し可笑しくて笑いそうになる。
「こんばんは、玉藻さん」
「あっとっ…立香さんもこんばんは」
「立香。あなた学生証落としてたって。もっと気をつけないと」
そういうと母さんは受け取った荷物を持ってリビングに行った。
「うむ、まあそういう事なのでな。縁側に落ちていたぞ。母君の言う通り気をつけるのだぞ」
本を取り出す時に引っかかって落ちたのだろうか?お礼を言ってそれを受け取る。
「それで…それでなのだが……」
玉藻さんはモジモジとしながら何かを言いたそうにしている。
「いや、何でもない!用もすんだので帰らせていただく!」
とっさに振り返り、扉を開くと足早に去って行く。
「あっ待って!」
私は靴も履かずに飛び出して玉藻さんの手を取った。
しっかりと話をしたい気持ちもあるし、なんだか放っておけない気がしたからだ。
「あのさ…もう夜も遅いし。泊まっていかない?」
「うむ…だがな……」
「いいから、いいから」
私はそのまま手を引いて、家の中に戻る。玉藻さんを引く手はとても軽く、意外なほど従順だった。
「玉藻さん泊めてあげても良いよね!」
「良いわよー」
なんの迷いもなく母さんからの返事が聞こえる。
そしてそのまま、私の部屋に向かった。
勢いのままに連れて来たが、ハッキリ言って知り合ったばかりの人に見せて良い類の部屋ではないと思い出す。
「散らかってる部屋とか平気?」
「正直に言えばそういう部屋を見ると片付けたくなるな」
まあ今更どうこう出来る問題ではない。そのまま玉藻さんを連れて部屋に入った。
ベッドの上以外は本の山で散らかった室内。
私としては一応ジャンル訳をして整えているつもりなのだが、他の人から見ればそうではないだろう。
「お主は随分と読書家なのだな」
「数年前からね。なんか突然目覚めちゃってさ。色々な英雄、偉人について色々知りたくなってね」
「知識を貯める事は良いことだ。過去の出来事を知れば同じ過ちを犯さずにすむからな」
とりあえずベッドの上に二人で座る。なんとなく、昨日から感じていた玉藻さんの憂いが強くなっていると感じた。
人の心の中に抱える暗い部分に気軽に触れるべきでは無いと思うが、人に話せば楽になるという事もあるだろう。
「玉藻さんは……私のなんなのかな?」
ん?我ながら何を聞いているんだろう。
妙な事を聞いたと思ったが玉藻さんは深く息を吐いてから話しだした。
「それはだな……それは猫の一存で言うべき話ではない。きっと誰か…どこかで知る機会もあるかも知れぬ。
それはきっと知るのならば必然であり、意味がなければいけない話だ。ワタシの口から話す物ではないのだ」
なんとなく、歯の間に挟まった小骨を取る程度の気分で聞いた事だが、かなり深い質問をしてしまったようだ。
「何かを手放すという事は軽い決断ではない。大切な物であるならば尚更な」
顔を伏せ、体を揺らす玉藻さんの手を私は無意識の内に掴んでいた。
「こんな近いのに、こんなに一緒なのに。なんでこんなに遠いのだろうな」
顔をくしゃくしゃにしながら玉藻さんは私を抱きしめた。
「何も聞かずにこうさせてくれ。もう気持ちを吐き出さねばどうにかなりそうなのでな」
「うん、良いよ。私も変な事を聞いてごめんね」
「すまない………会いたい……会いたいよ。マスター……」
私は子供をあやす様に頭を撫でた。少しでも慰めになればと願いながら。
ふと、首筋にまわされた手から温かさを感じた。
玉藻さんの頭を撫でる指にも先ほどまでなかった髪の毛とは違う感触もする。
「あの…変身とけてません?」
「もうちょっと……」
いや、困るのは私ではなくて玉藻さんの方なのだが?
引き離そうにも私が力を込めた分だけ抱きつく力が増えるみたいで全く剥がれる気配がない。
そんな時に突然、扉をノックする音が響いた。
「お茶とお菓子持ってきたよー」
「ありがとう、置いといて」
と返事をした瞬間、何を考えているのか分からないが玉藻さんがピョンと飛んで扉を開いた。
「わざわざありがとうございます。夜遅くにすみません」
手足と耳、そして尻尾もそのままにペコリと頭を下げる。
「あら、コスプレ?可愛いわね」
「はい。立香さんと昨日話して見てみたい!っていうので今日持って来たんです」
「あら~まるで本当に生えてるみたい。凄いわねぇ」
何気なく母さんと話す玉藻さんを他所に私だけとても緊張していた。
「いくらでも起きてていいけどあんまり大きな音は出さないでね。おやすみ~」
「はい。おやすみなさい」
そういうと母さんは扉を閉じて去っていった。
「何してるの?」
「なんて事はないぞ。ただ話をしただけだ」
「え?いや…なんで隠さないのさ!」
「甘いぞ、お主よ。尻尾隠して耳を出す。下手に隠すよりも堂々としていれば案外バレ無いものだぞ。
伊達に何年も人の世で生きておらぬ。変身する時や解ける時を直接見られなけばどうにでもなるものなのだ」
「見られたら?」
「生憎人の記憶を操る術には疎いのでな。頭をちょっと弾いて逃げるしか道はない。
そんな細かいことは置いておいて、冷める前に飲まねばこの紅茶に失礼であるぞ」
私の身の上話を玉藻さんが聞きたいと言うので最近の事を話した。
ちょっとした私の家についての話。友達と遊びに行った話。学校で難しかった試験の話。
大学の進学は意外と早く決まったことについては自慢げに話した。
夜も深くなり、私が先にお風呂に入り、その後に玉藻さんがお風呂に向かって行った。
「さて、どこで寝るべきか」
部屋を見渡すと、全く持って人を迎えるべきではない部屋だと認識する。
本が散らかっているだけとはいえ、そもそもしまえる場所がないから散らかっている訳で、どうしようもない問題といえるだろう。
しょうがないので、ベッドの広さを確認する。
普段一人で使っているけど、さっき二人で座っていても特別狭いと感じる事はなかった。だから多分二人で寝ても問題ないだろう。
「まあ窮屈でも我慢するしかないか」
一人になって落ち着いてみるとどうしても玉藻さんの事を考えてしまう。
玉藻さんの影にいる人。私はその人の面影を強く持っているのだろうか?
あの人の言い回しには妙な部分も多く、玉藻さんの真意を測るのは難しい。
「つまり…私の前世?」
「安直な答えだな。と言っても五里霧中。情報不足の中で導き出せる答えはそんな物だろう」
驚きの声をあげそうになるが玉藻さんの手が私の口を塞いで抑えられた。
「ビックリした……」
「ふっふっふ。何やら真剣に考えていた様子だが、猫の言う事はあまり気にする必要はないぞ。
気まぐれなケモノのご機嫌なぞその時々で変わるのだからな」
「その…玉藻さんの……悲しそうにする原因ってあんまり触れない方が良いよね?」
「気にするな。と言っても無理な話か……冷静な今言わせてもらえば、結局の所はワタシの気持ちの問題だ。
そしてそれを人と共有するつもりはないのでな」
「そうだよね。ごめんなさい、変な事聞きすぎて」
「ワタシもだ。勝手に重ね合わせて悪かったな」
はっきりと分かったのは玉藻さんのデリケートな部分。珠のような大事な思い出があるのだろう。
悲しい事もきっとその思い出と同じ位大きいのかもしれない。
それは好奇心で触れていい物じゃないと私はやっと理解した。
妙な空気の中、とりあえず目下の問題と切り出す。
「ところで…玉藻さんは二人でベッドに寝るのを気にしないタイプ?」
「ふむ、それは中々に大胆な誘いだな。もう少しムードを作るべきだとキャットは思うぞ」
「そういうのじゃなくて!寝る場所ないから二人でベッドに寝るの大丈夫かって意味だよ!」
「あい分かった。湯たんぽ代わりと思って傍に置かせていただくぞ!」
そんな事を言うと玉藻さんはベッドに飛び込んだ。あの人の情緒の振れ幅は確かにあまり気にするべきではないのかもしれない。
少し呆れながらも部屋の電気を消した。
人の事を湯たんぽ扱いするつもりはないのだが、実際二人で布団に入るととても温かい。
普段と状況の違う寝床なのだがすぐにでも眠ってしまいそうだ。
「なんだか眠そうだな。今日はそんなに疲れていたのか?」
「疲れたって言えば…まあ気持ち的には少し疲れたかもね。でも疲れって言うよりは……なんだか安心するんだ。
玉藻さんといると不思議と安心するのかも」
「まったく…化生の身の者に対してそういう事を言うなと昨日も言っただろうに。勘違いさせて貞操を奪われてからでは遅いのだぞ」
「えーー?玉藻さんも私も女だよ?」
「ワタシはどちらでも大丈夫だぞ?」
瞬間。玉藻さんの顔が真っ赤に染まる。少しだけ、私の顔を見つめた後に枕に顔を沈めた。
「今のは何も聞かなかった。何も言ってない。いいな?」
「はい……」
その後、私の隣で唸り声のような声が響き続けた。
しばらくして大きく息を吐く音を最後に玉藻さんは仰向けになる。
「別に……ベッドで襲おうとかそういうのはない!おやすみなさい!」
「うん、おやすみ」
ちょっとした騒ぎの結果、私の眠気はどこかに行ってしまった。
結局は玉藻さんの方が先に寝息を立てていた。規則正しい寝息だけが私の耳に届く。
悪い気分ではない。
月の薄明かりが照らすその顔を見つめてから目を閉じる。
芽生えたばかりのこの想いに、心地よさを感じながら。
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鳥の鳴き声が聞こえる。もう目覚める時間だと告げる様に。
目覚めて一番に感じたのは自己嫌悪だった。出会ったばかりの相手に甘えてばかりの自分が情けない。
立香を起こさないようにそっと布団から抜け出して、大きく体を伸ばす。
うむ。しかし気分は悪くない。
愛しいワタシのマスター。だが今は何でもないただの藤丸立香。
再び愛して良いのかと、狂った身にそぐわぬ悩みに突き動かされ会いに来たが全ては猫の祭り。
結局は藤丸立香は藤丸立香なのだ。
カルデアの日々と重ねず、合わさず、共にいれば良いのだ。
契約がなくとも、キャットの想いは変わらない。
「愛しているぞ。マスター」
頬に軽く口づけをする。
「あれ……玉藻さんもう起きたの…早いね」
慌てて距離を取ったが気づかれていないだろうか?
立香は大きく欠伸をして時計を見る。
何か疑問がある様子で頬を手を置くので若干の気まずさを感じる。
「うむ。これでも仕事はしっかりしてるのでな。朝早くだがもう帰らせてもらうぞ」
「そっか……今日は一緒にどっかに出かけようかなって思ったけど…」
「それはいずれかで良い。別に何時でも会いに来れるのだからな」
立香に布団をかけ直すと再び布団の中に沈んでいく。
「じゃあまたね」
「うむ。また今度な!」
私は階下で活動を始めていた両親に挨拶をして家を出る。
「天気が良いな」
浮かれるままに、足取り軽く、帰路を歩いた。