ツングースカでの戦いからマスターが帰還してから少し時間のたった時の話。
マスターと二人での時間がとれた久々の嬉しい日の出来事だった。
ストームボーダーのマスターの個室。
個室なのに中々プライベートな空間を作るのが難しいのは人徳と捉えて諦めるしかないのだろうか?
まあ今はその部屋の中で二人で優雅なティータイムを作れたのを喜ぼう。
ティーポットにお湯を注ぎ、葉が十分に蒸れるまで待つ。ささやかだが幸せな時間。
椅子に座り、足をパタパタと揺らしながらマスターを見つめる。何かを思考を巡らせるように顔を伏せているがそんな顔も心をくすぐる。
私のマスターはどこを見ても、どこから見ても素晴らしい。野性の気性が燃え上がりそうだ。
「結局、妲己っているのかな?玉藻の前から8人分かれて9人でしょ?その内の誰かは強くその要素を持ってそうだけど」
うーむ。ロマンティックな空気を作るにはあまりにも場違いな言葉が飛び出したぞ。
あの雌兎と仙人のせいか?
「そんなのは……断じてキャットと関わりのあることではないぞ!アルターエゴの身である以上無関係とも言えないが……」
「無神経な質問だったよね。この話はやめよう」
「ふむ……我としても恥が勝つ話題なのでそうしてくれるとありがたいぞ」
「そうだね、じゃあ今年のクリスマスの予定なんだけど━━」
また夢か。
せっかくの昔の思い出の中にいたというのに肝心な楽しい時間を過ごせずに目覚めてしまい損をした気分になる。
マスターからしてみれば本当にただ疑問を口にしただけなのだろうが、ワタシにとっては深い問題だ。
自身が悪であるのか?そんな事はないと自身に言い聞かせ、自分の本質から目を背けて生きているのではないか?
そういう部分は有るのだ。他のナインがどうで有るのかは分からないが、ワタシの中には誰かを破滅へと導く事への願望が存在しないとは言い切れない。
狂化により誤魔化さず生きていたら自分はどうなるのだろう?
コヤンスカヤの様に人を惑わし、自分の目的の為に誰かを陥れる存在になるのだろうか?
首輪に手が伸びる。この首輪に鎖を付けて誰かに握ってもらえばそんな不安を抱かずに済むのだが。
誰かなんて、そんな事をしてもらいたい相手なんて一人しかいないのだが。
彼女の顔を頭に浮かぶ。
今は何をしているだろうか?もう寝ている時間だろうか?まだ読書に耽って起きているかもしれない。
こんな風に遠くにいる人を想うなんて、電子の海で存在が芽生えてから今まで無い感覚だ。
「この感覚は…そうだな。あまり悪い感じはしないな」
首輪の鈴を爪で弾く。それが小さな音を弾ませると静寂が訪れる。
さっきの夢の続きを見られればいいな。ワタシはそう願いながら目を閉じた。
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玉藻さんと出会ってから大体一週間くらいだろうか。
日常の中でもあの人の事が妙に気になってしまい、些細なミスが増えている気がする。
バイト先の個人経営のカフェでも注文のミスをしそうになるなど危ない場面があったので気を緩めない様にしないといけない。
最近は無理言って仕事入れてもらっているのに、それでミスしたら元も子もない。
卒業を近くに控えて色々とお金に用がある時期というのもあり、
閉店後の店内清掃でバイト代を上乗せしてもらっているのだが帰りの時間が遅くなるのだけはかなり困っている。
「わがままばかり言えないよなあ」
冬の夜空を身を震わせながら歩く。
ひと気のない道はどうしたって怖いものだ。冬の寒気の中では強くそう思う。
まだ家は遠い、誰でも良いから何か話したい。そう思い立ち止まって携帯を手に取る。
だが、連絡先に目を通しても今電話を掛けても雑談に付き合ってくれる人はいない気がする。
大勢がまだ受験期間中だし、寒空の下で寂しさを紛らわせる為に電話をするのは迷惑だろう。
「はあ…さっさと帰りますか」
そう思った瞬間、辺りに奇妙な叫び声が響いた。
「ふにゃーーー!」
赤い何かがクルクルと回転しながら私の目の前に落ちてくる。
「夜も深くなり、街灯から外れれば一寸先は闇。そんな時間に一人で彷徨うのは注意が足らぬという物だぞ!お主よ!」
玉藻さんが私にビシリと指を指す。初めて会った時に来ていたメイド服も奇抜だったが、今日来ている服はそれに輪を掛けて妙な服装をしている。
赤色を基調として着物に黒い帯、帯に肉球マークが刺繍されているのが可愛いと思った。
「えっと…こんばんは!」
「うむ!こんばんは!こんな夜遅くにどうした立香。道に迷ったか?」
「バイトで遅くなってさ。その帰りだよ。玉藻さんこそこんな所でどうしたの?というかその恰好は?」
「我も仕事の帰りだ。お主気配を感じたのでちと心配になってな…何も無いようだが。
そしてこれは気合を入れた仕事着の様な物だぞ。かわいかろう?」
クルリとその場で見せつける様に回る。じっくり見ると中々に下の丈の短い服だ。寒くないのだろうか?
「うん、凄く似合ってるよ。かわいい!だけど流石にこの季節にそれは寒くない?」
「むっ?!心配には及ばないぞ。この程度の気温で体調を崩す程弱くはないのでな。ほら、この通りだ」
玉藻さんは私の両手をとる。フワフワとしたその手は確かにとても温かい。
「あんまりのんびりしてお主が風邪をひく方が問題だぞ。家まで送ろう」
そう言って玉藻さんは私の手を引いて先を歩く。手を引かれて歩くのなんて何年振りだろう?少し恥ずかしさを感じる。
玉藻さんもご機嫌な様だし、今まで聞けなかった事を聞いてみる。
「そういえば玉藻さんって人間…ではないよね?妖怪?」
「む?妖怪?うーーむ。正直に言うと我が何か、存在の話はだな。真面目に言ってもふざけていると言われる様な物でな?そんな話になるが聞きたいか?」
「うん。よく考えると私は玉藻さんのことキツネっぽい何かって事しか知らないし。何でも良いから知りたいな」
「どこから話すべきか…この世界ではない別の世界。今ではない時代の出来事…」
「いきなり理解できなくなった!?」
「そんなある電脳空間での出来事……そこに存在する玉藻の前。そやつが修行の果てに九尾の狐となった」
「電脳世界で玉藻の前???」
「うむ。そして奴は目的を果たすと不要と思い、8本を尾を切り捨てたのだ!」
「切れるんだ!」
「そしてその力を持った8尾は独立した意思を持ち、奴の姿を模して8人のタマモが生まれたのだ!」
「その一人が玉藻さんっててこと?つもり玉藻さんは玉藻の前ではない?」
「うむ。理解が早いのは助かるぞ」
凄い。妖怪とかそういう括りを飛び越えて電脳世界の玉藻の前が出てくるとは思わなかった。
そもそも玉藻さんの存在だけで私の持つ常識の無意味さは味わっていたが、もう理解は諦めた方が良い気すらしてきた。
「つまり……玉藻さんは電脳世界を飛び越えて現れたデジタル生命体?」
「それは違うぞ。生まれがそうなだけでこのキャットの身はまた別なのだ。
前に呼ばれた場所での使命を終えてから、突然この世界で目が覚め、肉体を持つ身でいたのでな。
つまり何か?と聞かれても我も知らないことだぞ」
「あっ。玉藻さんにも分からないんだ」
「そうそな…まあ説明不可能な事象は奇跡という安易な答えで良いと思うぞ。
この猫の頭では到底世界の真理なぞ分からぬのでな」
「へー…じゃあ狐狸の類では無い、不思議な力を持った狐っぽい人ってこと?」
「立香がそうだと思う認識が得られれば好きにするが良い。だがしかし、あまり恐ろしい物だとは思って欲しくないがな」
「そこは大丈夫。会えない人のことを想ってあんなに寂しそうにする人が悪い人だなんて思わないよ。
それに……私は結構玉藻さんのこと好きだったりするんだよ」
「物好きな奴め……」
玉藻さんの尻尾がバサバサと揺れる。何かと謎の多い人だとは思うけど、感情の動きについてはとても分かりやすい人なのかもしれない。
同時にアナタはなんの動物なんだという部分には更にベールが掛かったが。
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ああ、もう気持ちの昂りが治らない。
愛しい気持ちを立香に伝えて抱きしめてたい。
出会えた時は少し大人なお姉さんとして振る舞おうと思っていたのに、寂しさに誘われるままに素の自分を出しすぎだ。
いくら好かれているとはいえ今すぐに手を出してしまうのは絶対にマズイ。
今のワタシは立香にとって非日常を感じさせることで気持ちを引いているだけなのだ。
恋愛対象。いや、友人としても深い関係にいる訳では無い。そもそもマスターの様にワタシを愛してくれるかも分からない。
焦るべきではない。頭を冷やすのだ。
「玉藻さん。ここまでありがとう」
声を掛けられて気がつくと立香の家の玄関の下で灯りに照らされていた。
「ああ。次からは親に連絡するなりして夜遅くに一人で歩くのは出来るだけ控えるのだぞ。何かが有ってからでは取り返しもつかないのだからな」
「はーい。次から気をつけるね!」
ワタシの手を放し、立香は家の扉に向かう。別れは惜しいが、何も引き留める理由が見つからない。
アレコレと言葉を探していると、立香は足を止めてこちらに向き直す。
「玉藻さん。ちょっとこっちに来て」
なんだろう?ワタシはただ言われるままに足を進める。
「どうした?何かキャットに話でもあるのか?」
「ちょっとね。伝えたいことがあってさ」
ワタシが足を進めるのに合わせて立香も一歩進んで来た。そのせいでとても顔が近い。
「えっとね……」
少しの静寂の後。視界が塞がれたと思ったら頬に柔らかい感触が残された。
「この歳でまだって言うのは恥ずかしいけどさ……私まだ恋愛って言うのは分からないけど……玉藻さんの気持ち。嬉しかったよ。これはそのお返し」
顔を紅潮させ、ぎこちない笑顔を見せると、立香は家の中に駆け込んで行った。
その後の記憶はかなり曖昧だった。
幸福感で頭がどうにかなるんじゃないかと衝動のままに街中を疾走した様な気がする。
翌日のニュースに怪生物が東京近隣に現れたとか見たがキャットには関係のない事を願うばかりである。