お風呂から上がり、髪を整えて、レースのネグリジェで自分を飾る。
鏡に映るその姿に、勝利の確信を持ち、扉の前に向かう。ワタシは逸る気持ちを抑えながらノックをする。
「開いてるから入っていいよ」
その言葉に誘われるままに扉を開くと、立香は荷物の整理をしている最中だった。
「何か用事?……って凄い格好!」
我を見た立香は若干引いている気配を見せる。ふむ。これは確実に空気を読み違えたか。
「用というか……まあ……折角の屋根を共にする初めての夜なのだから、ラブロマンスな空気を味わいたいなーー。という感じでな」
「ラブロマンスって……」
立香は手にしていた衣服をタンスにしまうと、目をつぶりながら思案に暮れる。
少しの時間を開けた後に立ち上がると、ベッドの上に腰を下ろした。
「玉藻さんの気持ちは凄く嬉しいし……そういう恋人同士の行いにも興味が無い訳じゃないよ。だけど、今はそういう気持ちになれないかな」
我が夜の正装も効果が効いていない訳ではないのだろう。
ワタシに魅力を感じているのは、伏し目がちながら確かに感じる視線からも明らかである。しかしその言葉に嘘は混じっていないのも確かだ。
「ふむ。その心境は如何なるものかな」
ワタシは立香の横に身を寄せる様に座る。
「ほら、恋愛のステップってもう体を重ねるまでに行ったら先が無いでしょ?だからもう少し、もどかしい距離感を味わっていたいな」
顔を赤らめながら答えた。
魅了を掛けた時にも感じたが、立香はそういう段階については結構気にする性質なようだ。
マスターはあまりそういう事に気を回している様子は無かったが、これも環境の違いだろうか。
そもそもカルデアは、そういう教育に良くないサーヴァントがいたのも原因かもしれない。
「了解した。それではキャットはおとなしく部屋に戻ろう」
そうして立ち上がろうとした時、腕を引かれた。
「そうは言っても、今日は家族と離れて寂しいんだ。一緒に寝てくれる?」
「添い寝か?我としては断る理由は無いが……襲われるという不安はないのか?」
「玉藻さんが無理矢理そういう事しないって信じてるから」
ワタシは無言で布団の中に入り、行動で返答した。立香の純粋な好意と信頼に対して、ワタシの抱くあらゆる感情に恥ずかしく思い、言葉が見つからなかったから。
立香はそんなワタシを見て笑み、を浮かべながら部屋を出て行く。
「寝る前に歯を磨かなきゃね。玉藻さんはお布団温めておいて」
ひらひらと手を振りながら姿を消した。まさかこのキャットが人間に化かされるとは……
────
引越してから数日経った。今まで玉藻さんが何を仕事にしているか、疑問だったが意外としっかりしていた。
家政婦だ。曰く、これが天職であるという自負があるらしい。
家賃が安い事に少しばかり負い目があったので、手伝おうかと聞いてみたが「接客モードは親しい人に見られたくない」との事で断られてしまった。
いつか何かお返しを考えないといけないね。
ある日の、正午を過ぎた頃。「花見に行くぞ!」と突然玉藻さんに連れられて出かける事になった。
移動手段が玉藻さんの運転する車というのは、デートを楽しむ気持ちよりも若干不安が勝る。
「安心しろ。今のワタシは無事故、無違反。ドライバーとして生まれたての期待の星なのである」
「免許取りたてなのは不安しかないよね?」
「そこに抜かりはない。例え事故が起きようとも、衝突するよりも早くご主人を助ける事なぞ朝飯前なのだワン!それに……そんなにキャットの運転が不安か?」
普段の言動や行動からなんとなく不安に感じたが、玉藻さんが何か失敗をしている所は見た事がない。
むしろ、とても周囲に気が利くタイプだと感じている。
「まあ……ちょっと考えてみればそう不安に思う程じゃないかな」
「ならば問題はないな。大船に乗った気になってくつろぐが良い!」
そうして車に乗る事、数時間。
玉藻さんの真面目な運転は特に肝を冷やす様な事態には一切ならず、順調に道を走っていた。
最初の方こそドライブを楽しんでいたが、どこを走っているのか。今、眼前に広がる景色には山の木々が映るのみで変化もなく、正直退屈だ。
何度目かのアクビを、ドライバーに気取られる様に嚙み潰す。
「流石に退屈か」
「まあ……そうだね」
「もうすぐに着くから、昼寝は我慢してほしいぞ」
そう言われて数分後、何もない様な道端で車が止まった。
「ここから先は歩きだ!」
「ここから歩き!?なんか道も何もない気がするんだけど?」
車を降りて周囲を見渡す。車道以外にはどこにも道もなく、ただ山が広がっている。
「人の手が着かぬからこそ、生み出される美もある。苦労をしてこそ、桜花爛漫たる景色を味わえるという物だ」
「ここまで来て帰る訳には行かないから行くけど……どれ位、登るの?」
「そこまで厳しくはない。長くて1時間程度だ」
そう言うと玉藻さんは手足をケモノに戻し、赤い和服に着替えて車から出てくる。そして、登山靴とカバンを渡してきた。
「その恰好では山は辛いぞ。これでしっかりと身を守るのだ」
そういった気づかいはとてもありがたいと思うが、太ももを丸出しにして、裸足の玉藻さんを見ると、少しだけ申し訳なく思った。
毛皮も厚いし、あの格好が色々と動き安いのだろうか?
「玉藻さんはその恰好でいいの?」
「気にすることは無い。幼き頃からこの姿で山で駆け回っていたからな」
意気揚々に玉藻さんは山の中に入って行った。私は不安に駆られながらもその後に着いて行く。
山登りはこれが初めてという訳ではないけど、全く人の手が入っていない道なき道を行くのはこれが初めてだ。
容赦のない傾斜や不安定な木の根。数メートルを登るだけでもかなり体力を奪われていく。
正直に言えば10分もしない内に帰りたい気持ちが大分強くなっていたが、目の前で尻尾を振りながら私の為に邪魔になる枝を払い、道を開く彼女の姿に励まされて足を動かすことが出来た。
私の背の半分ほどの高さの段差を目の当たりにして、足を止めて困っていると、それを察した玉藻さんはすぐに手を貸してくれた。
どうにか登れた段差の上で一息つく。
「さて、ご主人。そろそろお疲れであろう?少し休むか?」
「そうだね。ちょっと休もうか」
私がそう答えると、カバンから折りたたみの椅子を2脚取り出した。ただ腰を下ろせるだけでも今はとてもありがたく感じた。
「体力には自信が有る方だけど、山は違うね……」
「初めての経験ならば、お主はかなり着いて来られてる方だがな。ほれ、これで一息ついて後半も頑張るのだ」
玉藻さんは水筒からカップにコーヒーを注ぎ、それに砂糖を加えた物を用意してくれた。
普段飲むそれと同じ物だあるはずなのに、こういう場ではなんだか染み入る様に感じる。とても美味しい。
休憩を入れて、少し落ち着ていから、ふと思った疑問を玉藻さんに聞いてみた。
「そういえば、玉藻さんの子供の頃ってどんな風だったの?」
「ああ、そういえば立香には話した事がなかったな。子供の時……というよりどの、タマモキャットの話をするべきか。
月の話か、今生か」
「月?ああ、電子世界の話は……凄い気になるけど、そっちに踏み込まれても困るから今の玉藻さんでお願いね」
「あい、分かった。と言っても特別人間と変わる様なことは無いぞ?学び、遊び、子供ながらの無茶をして叱られる。
その場にいたのが仮面のよく分からない先生とキャットだけで時々寂しかったが……
まあ、意外と話の出来る人物でもあり、健やかに楽しい子供時代だったぞ!」
「その先生は今どうしてるの?」
「数年前。アヤツはキャットが猫であると自己を見出したら、すぐに我を家から追い出してそのまま行方不明なのである。
そもそもキャットが育った場所自体が、迷い家の様な所だったのであろうな。何度か探したが、似たような地形すら見つけることが出来ぬままである」
「玉藻さんの話を聞くと、玉藻さんの事が分かる以上に疑問が増えるね……というか数年前の話なんだ。
あれ?もしかして玉藻さんって数百歳いってるみたいな感じじゃないの?」
「うむ。まあ、魂の詳しい年齢を考えると、とても計算がややこしくて不可解になるが、我の年齢はお主と同じだワン!」
「そうだったんだ……なんかビックリした」
「そもそもだ、数百年も生きる玉藻の名を冠する妖狐が、多少の動揺で変化が解ける訳もなかろう?」
「あぁ、そう言われたらそうだね。なんか……玉藻さんと同じ事って全然無いと思ってたからなんか嬉しいかも」
2人で顔を見合わせ、笑みが溢れた。
「さて!あまりゆっくりとしてると帰りが朝になってしまう。そろそろ行くぞ!」
休憩を挟み、だんだんと山の歩き方にも慣れて来たのか、最初よりは進むのが速くなった気がした。
そんな余裕からうっすらと思っていた疑問を聞く。
「そういえばさ、ここまで来てから聞くのも遅いんだけど、全然桜が生えてる様な山じゃなくない?」
「ああ、お主の疑問の通り。ここにただの桜は無いぞ。しかしここまで来て、その正体を言葉にするのは野暮である。
もう少しファイトだ!」
桜はないのか……。一体何を見る為に私はこんなに苦労をしているのだろう?
そんな疑問を抱きながら、進む先に目を向けると、僅かに何かの光が見える。
「あれは?」
不思議な光に目を向けると、モフっとしたやわらかい物に目を塞がれる。
「おっと。半端に見てしまっては勿体ない。後は我が良い場所まで連れて行くのでしばし目をつぶってくれ」
言われた通りに目をつぶると、玉藻さんに抱きかかえられた。
この感覚はお姫様抱っこ?私は体を起こして、そこに有るであろう玉藻さんの首筋に向けて、手を伸ばして抱きついた。
その瞬間。体を震わせたが、玉藻さんは何もなかった様に足を進めた。
今まで何度か玉藻さんには抱きついてきたが、力を込めているいる時に抱きついたのはこれが初めてか。
なんだか、普段は感じない芯の太さを感じる。幼い頃に感じたお父さんの頼もしさというか……
いや。それは女の子に対して使う誉め言葉ではないか。
「玉藻さんって普段は筋肉ある感じしないけど、結構ガッシリしてるよね」
「基本的にキャットはキュートでかわいい!を目指しているからそこに触れてほしくないぞ!」
「ごめん……なんか、頼もしく感じたからつい」
「まあ誉め言葉だとは分かっているからそこが気にしないが……さて、ここら辺りで良いか。目を開いて良いぞ」
目を開くと、そこにはこの世の物とは思えない光景が目に映った。
薄く光る桜色の風が私を包み、去って行く。理解の及ばないその光景に、目を凝らして見つめて気づく。
ほのかに光を帯びた、桜の木々が山頂の一帯を埋めているのだ。
「凄い……」
言葉が見つからなかった。その景色の美しさに私はただ、感嘆たる思いに震えるしかなかった。
「常世の桜だ。どういう訳か、ここは常世の景色を映し出し、それに触れる事もできるのだ」
玉藻さんは舞う花びらの一つを掴んでみせる。しかし、それはすぐに光の塵になって消えてしまった。
「あくまでも景色を写し撮っただけの物。触れてしまえばこの通り、消えてしまう儚い物だ。
お互いに何か干渉できる訳ではないから心配する必要はないぞ」
地面に降り、有りえない景色に目を奪われ、その場に尻餅を着いてしまった。
「なんか……こんな場所にいても大丈夫なのかって不安になるね」
「それなら大丈夫だ。これ程の事が起きる山の、こんな奥まで来ている時点で山の者からは許されているという事だ。
許されていないのなら、遭難。もしくは車まで戻されているからな!」
「山の者って何?!」
「それは何かの異妖か鬼か。はたまた狸か。これほどに霊気に満ちた土地ならば何かはいるであろうが、我の知るところではない……
何度か来ているが、礼節さえ違えなければ問題は無いタイプなのだろうな。視線は感じても何かが起きた事は一度も無いので、まあお互いに不干渉でいるのが正解なのである」
妖狐がいるのだから、山に何かが潜んでいるのも当然か。
肝の冷える感覚はするが、今の時点で問題ないのは玉藻さんの言葉の通りなのだろう。多分。
「ところで……ご主人はしばらく動く気もなさそうだし、キャットはちょっと駆け回って来たいので、良いか?良いな!!」
私の返事も聞かずに玉藻さんは桜の中を駆けていった。
狂気を孕む笑い声が辺りに響く。
光となって散りゆく花びらの中で、彼女は舞う様にはしゃぎまわる。子供の様に、散る花を追い、積もった花びらを光の塵に変えて行く。
前から薄っすらと感じていたが、玉藻さんは結構抑えの効かない部分が有るようだ。
マタタビを目の前にした猫とでも言えばいいのか。何にしても、私が抑えてどうにか出来る物でもないし、好きにさせてあげるしかないのだろう。
強いて困る事があるとすれば、笑い声がちょっと怖い位だし。
何よりも、そんな奔放にしている姿に私は心が引かれている。
「おや、迷子かと思ったらそうでもないようですね」
突然、知らぬ男性の声が聞こえて体が跳ねる。
声の方を向くと、柔和そうな白髪の男性が立っていた。老人の様な、そうでも無い様な、見た目の若さからは分不相応ない雰囲気を感じた。
「えっと……お邪魔でしたでしょうか?」
まさかこの人が玉藻さんの言っていた山の者なのだろうか?
「いやいや、そんなことは無いよ。ただ、もし迷ってここに来たのなら、帰してあげようと思ってね。
だけど、そうでもない様だ」
男性は玉藻さんの方に目を向けて微笑んでいる。
「あの、連れがはしゃいでいて申し訳ありません。なんだか気持ちが高ぶってる様で」
「別に問題ないよ。あれは昔、儂がやった事の後に残った残り香とでも言うのかね。この時期になると毎年、咲き誇るんだよ」
「アナタのやった事?」
桜にまつわる話。日本の昔話で言えば一番に思い当たる話が頭に過ぎる。そんな訳は無いだろう。
そう思いながらもその言葉を絞りだす。
「花咲かじいさん……」
「ふふっ。よくそう呼ばれるよ。さて、何時までも儂と話している訳にもいかないか。キミの友人も待っているようだしね」
そういうと、どこからか犬の鳴く声が聞こえた。その声に向かうように、花咲かじいさんは灰の様になり、さぁっと消えて行った。
頬をやわらかい物で突かれる感触で目を覚ます。いつの間にか眠っていたようだ。
「おーい。そろそろ起きないと猫は寂しさで死んでしまうぞー」
「ごめんね…なんか寝てた」
アクビをしながら、先ほどまでの出来事を思い出す。夢だったのだろうか?
「なんか……花咲かじいさんと話す夢見た」
「花咲かじいさん……なるほどな。ここがどういう場所か。なんとなく分かったぞ」
先ほどまで、野性の本能に溺れていた玉藻さんの目に光が走る。
「まあ、その話はゆっくりと花見でもしながらするとしようぞ!」
地面にシートを敷き、玉藻さんの用意した緑茶とダンゴを食べながら、話を聞く。
今まで生きて来て、知らない概念が多いがなんとなく理解は出来た。
「霊脈を通して冥界の景色が写されて、それと花咲かじいさんの起こした奇跡の残響がこの景色を生んでいる……
こんな所でお茶を飲みながら言うのもなんだけど、ファンタジーが過ぎない?」
「それを言ったら、目の前のお主の彼女もファンタジーの塊であるぞ」
「そうだけど…そうなんだけど……うん。飲み込むしかないか」
「おかわりなら十分あるぞ!」
「お茶の話じゃないから!」
お茶を飲み、桜を眺め、気が付けば空には満月がこちらを覗いていた。
「すっかり遅くなっちゃったね。どうしようか」
「大丈夫だ。帰り道はキャットが背負って行くから、一瞬だぞ」
山を駆け降りるという話だろか。まさか木々の上を飛んで行く様な事はないよね?
「そっか。じゃあもう少し遅くなっても大丈夫だね。ちょっと横になっても良い?」
私の言葉を聞くと、玉藻さんは太ももをポンポンと叩き、ここに来いという様に指示をしてきた。
ただ寝ころびたいから場所を失礼すると言う意味の発言だったのだが、断るの失礼と感じてそこに頭を乗せる。
やわらかくて、温かい。
「こうして見ると、桜と……月が見えて良い景色だよ」
「そうか。それは良い事だ」
風が吹く。少しの暖かさと共に、周囲の花びらを舞い上がらせる。
玉藻さんも舞う桜を追って空を見上げる。その肌に触れて散る桜の光は、何よりも美しい姿を浮かばせていた。
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