010
「えーっと、新学期になってから一週間が経ちましたが、ここで新しい先生を紹介します。士郎先生、入ってきてください」
ネギの声に導かれ、教室の扉が開く。
黒のスーツを隙なく着こなし、頭の上に人形のチャチャゼロを乗せた士郎が姿を現した。
その瞬間、教室中に黄色い歓声が巻き起こる。
女子生徒たちが色めき立つ中、エヴァだけはニヤリと不敵に笑い、明日菜と夕映は呆然と士郎を凝視していた。
「初めまして、衛宮士郎です。担当教科は……一応、英語かな?」
生徒たちの熱気に圧倒されつつも、士郎は苦笑いを浮かべて自己紹介を終えた。
「えっと、士郎先生は学園長が僕のために付けてくれた、アシスタントというか助手のような人で、一緒に授業を進めていきます。副担任も兼任してもらうことになりました」
「若い!」「カッコいい!」とさらに歓声が上がる中、明日菜が人波を掻き分けてネギへと詰め寄った。
「ちょっとネギ、どういうことよ! それに士郎さ……先生!? いきなり先生って、聞いてないわよ!」
「えっと、実は僕も今朝いきなり言われて……」
詰め寄る明日菜にたじたじのネギ。二人は揃って、説明を求める視線を士郎へと向けた。
「いや、説明と言われてもな……。先週、学校で明日菜と会っただろう?」
明日菜は記憶を掘り起こし、ハッとして頷く。
「あの時はちょうど学園長と会った帰りでさ。その時点で、副担任になることはもう決まっていたんだ」
「……うそ」
「えーっ! 僕、そんな話全然聞いてなかったですよ……」
呆然とするネギと明日菜。だが二人は、この状況をあらかじめ知っていたであろう「犯人」に気づき、視線を向けた。
そこでは、エヴァが「してやったり」と言わんばかりの意地の悪い笑みを浮かべていた。
「……だからエヴァンジェリンさん、今日は確実に出席するって言ったんですね」
「そういうことか……」
二人が揃って肩を落とす中、背後から一人の生徒が優雅に歩み寄ってきた。
「あら、アスナさん。ネギ先生だけでなく、衛宮先生ともお知り合いでしたの? ぜひ紹介してくださらないかしら」
「……げ、委員長」
雪広あやかの声を皮切りに、飢えた狼のような女子生徒たちが士郎に群がってくる。朝のホームルームは瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、士郎とネギはただ乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
騒がしい午前中の授業をネギと共にこなし、ようやく昼休みが訪れた。
「……エヴァたちと食べようと思ったんだが、どこに行ったのかな」
士郎はお弁当を手に校内を彷徨っていたが、チャチャゼロの嘲るような笑い声を聞き流し、一人で食べる場所を探し始めた。すると、背後から声をかけられる。
「あらまあ、衛宮先生。お昼ご飯ですか?」
「こんにちは、衛宮先生」
振り返ると、そこには大人びた雰囲気の少女と、短髪の赤毛の少女が立っていた。
「確か、うちのクラスの……」
「那波、那波千鶴です。で、こっちが――」
「あ、村上夏美です」
「那波に村上か。二人も昼食か?」
士郎が二人の弁当箱に目を向けると、千鶴が柔らかく微笑んだ。
「ええ。よかったら衛宮先生も、ご一緒にいかがですか?」
「ちょっ、ちづ姉!?」
「あら、夏美は嫌なの?」
「あ、いや、そうじゃないけど。先生のご都合とかもあるし……」
遠慮がちな夏美の様子に、士郎は「俺は構わないよ」と苦笑した。
「ほら、夏美。大丈夫ですって」
「あはは、そうだね……」
どこか自棄気味に笑う夏美を連れ、千鶴は手際よく士郎を案内した。少し歩いた先の芝生にシートを広げ、三人は弁当を囲む。
「衛宮先生のお弁当、もしかして手作りですか?」
「ああ。食べてみるか?」
士郎に促され、千鶴が玉子焼きを一口運ぶ。
「あら……美味しい! これ、先生がご自分で?」
「親父が家事全般ダメでさ。子供の頃からずっとやっていたから、今じゃ趣味みたいなものだよ」
「あ……あの、お母さんは?」
「夏美!」
夏美の何気ない問いに、千鶴の鋭い声が飛ぶ。夏美はハッとして顔を青くした。
「ああ、気にしないでくれ。俺はもともと孤児で、引き取ってくれたのが親父だったんだ。母親はいなかったよ」
「ご、ごめんなさい……!」
「いいんだ。母親はいなかったけど、姉みたいな人はいたからな」
士郎は慰めるように夏美の赤毛を優しく撫で、ふと思い出したように小さく笑った。
「どうしたんです、先生?」
「いや、悪い。その『姉みたいな人』も英語の教師でさ。藤ねぇ……藤村先生って言うんだが、これも奇縁かなと思って」
「どんな方だったんですの?」
「最初はよく喧嘩してたんだが、なんだかんだで和解してな。親父が一ヶ月家を空けるのもザラだったから、いつの間にかうちに入り浸って朝晩一緒に食べてたよ」
懐かしそうに笑う士郎につられ、夏美や千鶴の顔にも笑顔が戻る。沈んでいた空気は、士郎の温かな思い出話によって一掃された。
「それで、私たちのクラスはどうです?」
和やかな空気の中、千鶴がふと尋ねた。士郎は一瞬考え込み、口を開く。
「そうだな……俺が中学の頃は、こんなじゃなかったなと思って」
「どういうことです?」
「あー……なんとなく分かります」
首を傾げる千鶴に対し、夏美は深く同意した。
「ほら、ちづ姉や委員長って、すごく大人びてるじゃないですか」
「ああ、大学生でも通じそうだよな」
士郎と夏美が揃って「うんうん」と頷く。だが、その直後。
「……誰が老けている、ですって?」
千鶴から放たれた「凄まじい威圧感の微笑」に、士郎と夏美は本能的に後ずさった。
「ひっ!?」
「い、いや、誰もそんなことは言っていないぞ!」
「あら、そうでしたか?」
千鶴が一転して柔和な笑みに戻ると、二人は揃って安堵の溜息を漏らす。
「ち、ちづ姉に年齢の話は禁句だった……」
「そ、そうだったのか……」
「何かおっしゃいました?」
ヒソヒソ話を千鶴に睨まれ、二人は慌てて首を横に振った。
「しかし、村上を見ているとなんだか安心するよ。中学生らしくてさ」
「そ、そうですか? でも、私って普通だし、赤毛だし……」
褒められた一瞬は喜んだ夏美だったが、すぐにコンプレックスを思い出して俯いてしまう。
「あら、夏美は十分可愛いわよ?」
「そうだ。それに村上はまだ中学生だ。これからいくらでも変われるさ」
士郎の真っ直ぐな言葉に、夏美は「でも……」と呟いてまた俯いた。士郎は落ち着いたトーンで語りかける。
「なあ、村上。俺も昔、諦めかけていたコンプレックスがあったんだが、結局どうにかなったんだ。何だと思う?」
「……肌の色とか、髪の色ですか?」
自信なさげに答える夏美に、士郎は微笑んで首を振る。
「実はな、身長なんだ」
「え? ……高すぎる、ってことですか?」
今の士郎は、優に190センチはあろうかという長身だ。贅沢な悩みだと呆れる夏美に、士郎は笑って否定した。
「いや、逆だ。高校を卒業するまで、俺は本当に背が低くてさ。あの頃は確実に那波よりも低かったぞ」
「うそ!? じゃあ、卒業してからそんなに伸びたんですか?」
「ああ、そうだ。だから村上も、まだまだこれからだ」
「は、はいっ!」
夏美に笑顔が戻ったのを見て、士郎も安堵する。さらにダメ押しの一言を付け加えた。
「それにな、俺ももともとは赤毛だったんだ。だから、自分の髪を嫌ってやるな」
「えっ! 先生も!?」
驚き、そして今日一番の笑顔を見せる夏美。 だが、その頭の上で沈黙を守っていた人形が、空気を読まずに叫んだ。
「ケケケ! 家政夫はもともと赤毛でチビだったのかよ!」
「ひゃああっ!?」
急に喋りだしたチャチャゼロに、夏美は椅子から落ちんばかりに驚愕する。
「ふ、腹話術……じゃないですよね!?」
「あー、気にするな村上。こいつは……その、そういう仕様なんだ」
小声でチャチャゼロを窘める士郎だったが、人形は「ケケケ」と笑うばかり。その様子を微笑ましく見ていた千鶴が、何かを思い出したように声を上げた。
「ん、どうかしたのか?」
「衛宮先生……もしかして、『レッドの兄ちゃん』と呼ばれたことはありませんか?」
「あ、えっと……どうしてそれを?」
図星だった士郎が驚くと、千鶴は花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
「……レッドの兄ちゃん?」
「ほら夏美、先週話したじゃない。園児たちがヒーローに会ったってはしゃいで大変だったって」
夏美も心当たりがあったのか、しきりに頷き始めた。
「那波、それをどこで?」
「私、学園都市内の保育園でボランティアをしているんですよ。先生、園児たちがみんな会いたがっています。またぜひ遊びに来てあげてください」
「……そうか。なら、また行ってみるよ」
「その時は、私もご一緒しますからね」
二人が揃って笑っていると、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
「あら、もうこんな時間。夏美、急ぎましょう」
「あ、うん! 士郎先生、またお昼一緒に食べましょうね!」
「ああ、またな」
士郎も二人の手伝いをして片付けを終えると、午後の授業に向けて駆け出した。
午後の授業をこなし、終礼(SHR)の時間。ネギが教壇で弾んだ声を上げた。
「えーと皆さん! 来週から僕たち3-Aは、京都・奈良へ修学旅行に行きまーす! 準備はいいですかー!?」
『はーーーい!』
中学生らしい元気な返事に、士郎は思わず苦笑する。
「来週から修学旅行なのか……」
「そうみたいですね! 僕も昼休みに気づきました!」
喜びを爆発させるネギ。教室中が騒然とする中、SHRが終了した。
直後、事務の源しずなが現れ、ネギと士郎に「学園長がお呼びです」との伝言を残していった。
学園長室へ向かう道中、二人は首を傾げる。
「何の話でしょうか?」
「さあ……授業初日の報告かな?」
部屋に入ると、近衛近右衛門学園長が待ち構えていた。
「ふむ、来たか。……すまんが、士郎君は少し外で待っていてくれんかのう」
「えっ、僕だけですか?」
驚くネギに対し、士郎は冷静に「分かりました」と一礼して廊下へ出た。
(魔法使い関連の、俺には話せない内容か……?)
ぼんやりと待っていると、一人の生徒が歩いてくるのに気づいた。
「あれは確か、うちのクラスの……龍宮、真名だったか」
中学生とは思えない体躯、そして褐色の肌。
真名は士郎の前で足を止め、探るような視線を向けた。
「衛宮先生か。こんな所で何を。学園長に呼ばれたのでは?」
「ああ。今はネギ君が話し中だ」
沈黙が流れる。真名の視線には、明らかな「警戒」と「観察」の色があった。
その緊張を破ったのは、勢いよく開いた扉だった。
「士郎さーん! 僕の話は終わりましたよ。龍宮さんもこんにちは!」
ネギの明るい声に、真名は視線を外した。
「いえ、何でもありません。それでは、衛宮先生も」
一礼して去っていく真名。
「龍宮さんは何だったんでしょう?」
「……さあな」
「あ、僕もやることができたので帰りますね! また明日、士郎さん!」
元気に駆けていくネギを見送り、士郎は入れ替わりで入室した。
「失礼します。……俺には話せない内容だったのですか?」
「ふむ、どちらかというと、ネギ君にはまだ言えんことでのう」
学園長の真剣な眼差しに、士郎は表情を引き締めた。
「修学旅行の件は聞いたな。実は、京都には『関西呪術協会』という組織があってな……」
語られたのは、関東と関西の魔法使い同士の対立。
そして、ネギが「親書」を届ける特使に選ばれたという事実。
「士郎君には、その護衛とサポートを頼みたい」
「護衛ということは……生徒たちをですか?」
「うむ。特にワシの孫、このかには事情があってな。あの子には極東一とも言われる巨大な魔力が眠っておる。それを悪用せんとする輩がおらんとも限らん」
護衛として『京都神鳴流』の剣士、桜咲刹那がついていること。しかし彼女もまだ子供であること。
「士郎君、大人として彼らを守ってやってくれんか」
「……分かりました。彼らが純粋に旅行を楽しめるよう、全力を尽くします」
「頼もしいのう。……もし、君やネギ君の手に負えん事態になったら、龍宮君の手を借りるのも手じゃ。彼女の実力は折り紙つきじゃからのう」
士郎は眉を潜めた。
「龍宮は確かに実力者かもしれませんが、彼女はまだ子供であり、守られるべき生徒です。無関係な生徒を巻き込むつもりはありません」
その言葉に、学園長は重く、しかし満足げに頷いた。
「……士郎先生。ネギ君と生徒たちを、頼んだぞ」
「はい。必ず」
「士郎さん、お帰りなさい」
「ああ、ただいま、茶々丸」
エヴァの別荘に帰宅した士郎は、紅茶を飲みながら不気味に微笑んでいるエヴァを見て首を傾げた。
「ドウシタ御主人、壊レタカ?」
「おい、それは言い過ぎだぞ、チャチャゼロ」
「……ん、帰っていたのか」
心ここにあらずといった様子だったエヴァが、ようやく士郎に気づく。
「機嫌が良さそうだな、エヴァ」
「そうか?」
不審に思った士郎が茶々丸に視線で問うと、彼女は無機質ながらも少し嬉しそうに答えた。
「十年前に亡くなったと思われていた、ネギ先生のお父様が生きているかもしれないと判明したのです。マスターはそれをお喜びで……」
「よかったじゃないか、エヴァ。好きだったんだろ?」
士郎の無邪気な一言に、エヴァの表情が一変した。
「おい……なぜ貴様までそれを知っている!」
「チャチャゼロに教えてもらった」
「チャーーーチャーーーゼーーーローーーッ!!!」
エヴァが士郎に飛びつき、頭上の人形をひったくる。そのまま壁へと全力で叩きつけた。
「イテーゾ御主人!」「黙れチャチャゼロ!」という騒ぎを横目に、士郎は本題を切り出した。
「ところでエヴァ、修学旅行はどうするんだ?」
「行かんぞ。呪いのせいで出られんし、第一、脳天気なガキどもと連れ立つ気はさらさらない」
エヴァは猿轡を噛ませたチャチャゼロを納戸へ放り込み、きっぱりと言い放った。
「本当に行かなくていいのか?」
「しつこいぞ。行かないものは行かない」
「……そうか。茶々丸もか?」
エヴァは茶々丸に視線を向け、「行きたいなら行ってもいい」と告げたが、アンドロイドの少女は静かに首を振った。
「いえ。私は常にマスターのお側に」
「そうか。……残念だな。でも、しっかりお土産を買ってくるから楽しみに待っていてくれ」
「誰がそんなもの……」
「……楽しみにしていますね」
正反対の返答が同時に重なり、士郎は思わず吹き出した。
「エヴァが気に入りそうなもの、探してくるからさ」
「フン、勝手にしろ」
そっぽを向くエヴァ。だがその耳は少しだけ赤かった。
士郎は苦笑しつつ夕食の準備に取り掛かり、茶々丸も「お手伝いします」と彼の後に続いた。