「う、うぅん……ん? ここはどこだ?」
ふわーっと伸びをしながら、エヴァは辺りを見回して昨日の事を思い出した。
「そうか、確かハカセの研究室に泊まったのだったな」
「おはようございます、マスター」
「茶々丸か……もう大丈夫なのか?」
「はい、大丈夫です」
そうかと頷いて簡易ベッドから降りようとしたとき、パサッと赤いコートが地面に落ちた。
「これは……士郎のコートか? そういえば茶々丸、士郎はどこだ?」
「休憩所でまだ寝ているはずですが……」
茶々丸は落ちたコートを拾い、丁寧に畳みながら答える。
「何? ここで寝ていたのではないのか?」
「いいえ。休憩所で寝ていたマスターをここに運び、また戻っていきましたから」
それからは見ていませんと言う茶々丸に、そうかと頷いて二人は昨日士郎とエヴァがコーヒーを飲んだ休憩スペースに向かった。
そして休憩スペースでは案の定、毛布をかけ椅子にもたれかかって寝ている士郎がいた。
士郎の寝顔はとても穏やかな微笑を浮かべ、どこか安堵した表情であった。
「……本当にここで寝ていたのだな」
士郎の寝顔に呟いて士郎に近づいた瞬間、スゥッと士郎の目が開かれた。
「……―ィヤ?……っと、エヴァか。おはよう。茶々丸もおはよう」
「おはようございます、士郎さん。コートはここに置いておきますので、毛布を」
「ああ。茶々丸が毛布をかけてくれたのか? ありがとな」
「いえ……」
茶々丸はぺこりと御辞儀してテーブルにコートを置き、士郎にかかっていた毛布を回収する。
「……そんなとこで寝て、寝づらくないのか?」
椅子から立ち上がって体を伸ばしている士郎に、エヴァは怪訝そうに尋ねた。
「慣れてるしな。それに外よりはましだ」
あっさりと言ってのける士郎に、エヴァは呆れてしまう。
「どんな生活を送っていたんだ? まあ、いい。それより帰るぞ」
「っと、エヴァの家に行くんだったな。ああ、わかった」
エヴァ、茶々丸、士郎の三人は早々に工学部の建物を後にしてエヴァの家へと向かった。
帰っている途中、エヴァは思い出したかのように口を開いた。
「そういえば士郎の世界のことばかり話して、こっちの説明をしていなかったな」
エヴァはふむと頷いて麻帆良学園都市の簡単な説明を始める。
小中高、大学や研究所などの学術機関をはじめ、学生寮や保育園、住宅街、商店街、教会に神社などの都市機能まで集積した超巨大な学園都市であると。
エヴァの説明に、へー凄いんだなと士郎は相槌を打ち、エヴァは案の定感心してる士郎を見てにやりと笑う。
「と言うのが表向きの話だ」
「表向き?」
「そうだ。普通の都市をなぜ私のような存在が警備しなければならない」
そのことに今気付いたかのように、あっと声を上げる士郎。
「そういえばエヴァは警備員だと言ってたな」
警備員という言葉に、エヴァはふんと鼻を鳴らす。
「私の場合は少々事情が異なるがな。……まぁいい、話を続けるぞ」
「ああ」
「この学園都市には世界樹と言われる巨大な木や、広大な地下図書館、いたるところに魔法に関係するものがあったり、何人もの魔法先生や魔法生徒がいる。学園長のじじいからして関東魔法協会理事なんてのをやってるからな」
関東魔法協会? と士郎から見てまったく考えられないような事を言われて呆然としてしまう。
「……本当に俺のいた世界とは魔術師の現状が全然違うんだな」
呆れたように士郎。
「だろうな。魔法のあり方が全然違うのだ、それも当然だろう」
「仕事を紹介するって言ってたけど、魔術関連か?」
「さぁな。学園長のじじいに紹介するから一概には言えんが、もっとも何かあった場合は魔法使いとして動いてもらうだろうがな。……そろそろ着くぞ」
そう言って視線を向けた先には、林の中に建っているログハウスの一軒家があった。
「ここが私の家だ」
エヴァと茶々丸は鍵を開けて家の中に入っていく。そして士郎もあわててそれに続く。
家の中は結構ファンシーで人形がいたるところに置いてあり、士郎は物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。
「何をきょろきょろしてるこっちだ」
「地下室?」
士郎の問いかけに、ああと言ってエヴァは地下への階段を降りて扉を開ける。
そしてその向こうには、一階のリビングよりも大量の人形が並べられていた。
「凄い数の人形だな」
「一応私は人形使いとも呼ばれているんでな。まぁ適当にスペースを確保しろ。ここにある家具なんかも適当に使え」
言うだけ言ってエヴァは再び上の階へと行ってしまい、入れ替わるように茶々丸がやってきた。
「茶々丸、どうかしたのか?」
「……はい。一緒に片づけをしたいのですが、これからマスターと学校へ行かなければならないので」
「えっ! 二人とも学生なのか?」
「はい。今日が始業式なので今日から中等部の三年です。それとマスターの場合は登校地獄と言う呪いのため生徒をしているのですが……」
「登校地獄?」
その話題に合わせるかのように、丁度エヴァが降りてきた。
「そういえば教えていなかったな」
「エヴァ?」
「十五年ほど前にな、私が一騎打ちを挑んで負けて学校に行かなければならないっていう、めちゃくちゃな呪いをかけられたんだよ」
エヴァはそう言って、いまいましいと吐き捨てた。
「もしかしてサウザントマスターとかいうやつか?」
士郎の何気ない一言に、エヴァは驚いた表情になる。
「っ! 何で知ってる?」
「あ、いや、昨日エヴァが魘されてその名前を零したら、もしかしてと思ってな」
「……そうだ。サウザントマスター、ナギ・スプリングフィールドが私に呪いをかけた張本人だ。奴のせいで麻帆良学園中等部に通うことになってな。卒業するころになったら呪いを解いてやると言ったのに、結局くたばってそれっきりだ」
「……呪いを解く方法はないのか?」
「いや、そうでもない。十五年目にしてようやくチャンスがめぐってきた」
不敵な笑みを浮かべるエヴァに、
「そうか、何か手伝えることがあったら言ってくれ。協力するぞ」
と多少不安があるものの答える士郎。
「ふん、頼むことなんてないと思うがな」
そう言い残して、エヴァは再び上の階へと戻っていった。
「では士郎さん、私は着替えてきますので」
「ああ、わかった。とりあえず俺も上へ上がるよ」
「わかりました」
二人は連れ添って上の階へと戻ると、茶々丸は着替えてきますのでと言い残して奥へと入っていった。
手持ち無沙汰になった士郎は、ふと昨日の夜から何も食べてないことを思い出して、朝食でも作るかと思い一人台所へと向かった。
「パンがあるから手早くサンドウィッチかな……トマト、アボガド、お、エビもあるな」
ふむふむと頷いて、士郎は手早く料理を始め出していた。
「ケケケ御主人ガ他人ヲ家ニ置クナンテ、今日ハ槍ガ降ルンジャネーカ?」
「黙れチャチャゼロ。士郎はなかなか使えるぞ。最弱状態で油断していたとはいえ、茶々丸と二人がかりでこの私が負けたのだからな……ん? 茶々丸か?」
チャチャゼロと喋りながら降りてきたエヴァは、台所からの匂いに引かれてふらふらっと向かった。
「士郎?」
「お、エヴァか。ちょっと台所借りてるぞ」
「それは別にかまわんが、料理なんて出来たのだな」
「家事全般が趣味みたいなものだからな。もう少しで出来るから、座っていてくれ」
「ああ、わかった」
エヴァは何処か釈然としないものの、言われるままに椅子に座る。
「ナンダ御主人、家事デ負ケタノカヨ?」
「違うぞ! 戦って負けたのだ!」
「……どうかしたのですかマスター?」
エヴァとチャチャゼロのやり取りを不思議そうな顔をして、制服に着替えた茶々丸がやってきた。
そしてそれに続くように、皿にサンドウィッチを乗せて士郎も台所からやってきた。
「はいおまたせ。エビとアボガドのサンドウィッチだ。二人とも飲み物は紅茶でよかったか?」
そんな士郎に、茶々丸はすまなそうにして口を開いた。
「……すみません士郎さん。せっかく用意していただいたのですが、私はロボなので食べることが出来ないのです」
「そうなのか……すまなかった」
「……いえ」
「余ったのはお昼にでも食べるからさ」
「……ありがとうございます」
士郎は気にするなといって、エヴァに紅茶とサンドウィッチを渡そうとしたとき、隣に座っていた人形、チャチャゼロと目が合う。
「ナンダ家政夫」
「は?」
「私が作った従者のチャチャゼロだ。私の魔力が封じられているせいで動くことは出来ないが、私と茶々丸がいないとき何か聞きたいことがあるならこいつに聞け」
そういってエヴァは士郎の入れた紅茶を飲み、茶々丸のほうが美味しいが及第点は超えているなと呟いていた。
「マ、ヨロシクナ家政夫」
「む、家政夫……」
「ふむ、それもいいな。家事全般が趣味なのだろう。茶々丸と一緒に家事をやれ、居候」
くっくっくとサンドウィッチを食べながら不敵に笑うが、ふと思い出したかのように士郎に向き直る。
「そうだ、居候で思い出したが、確か干将莫耶とかいったな。あれをさっさと渡してもらおうか」
士郎は食事中にかと一瞬思ったものの、まぁいいかと考え直して投影を始める。
「投影開始」
そして陰陽の双剣、干将莫耶を両手に生み出した。
「ふむ、かなりの魔力を秘めている剣だな。それに魔法の杖の代用としても使えそうだな」
「ああ。グラムやレーヴァンティンに比べれば格は落ちるかもしれないが、式典用の魔術兵装と言う意味合いもあるからな」
「神話級の聖剣を比較対象にすれば、どんな剣でも格下に決まっているだろ。まぁいい、返せと言われても返さんからな」
「……やけに念を押すな。大丈夫だ」
干将莫耶を背中に隠すように持って念を押す様が妙におかしくて、士郎は無意識にエヴァの頭を撫でていた。
「な! 子ども扱いするなと言ってる」
「ヤルナ、家政夫」
慌てるエヴァをよそに、チャチャゼロがケケケケと笑っていた。
「……それにしても士郎さんは元居た世界で何をしていたのですか?」
「それは私も興味あるな。昨日の話だとお前の世界の魔術師は魔法とやらに挑むための存在らしいが、お前はそんなのはしてはいなかったのだろ?」
茶々丸とエヴァの質問に、士郎はあまり面白い話でもないぞと前置きを置いて、少しためらいつつも口を開いた。
「……たいていは戦場にいた。もともとはNGOに参加していたんだが、戦争に傭兵として介入して止め、死徒が暴れてると聞けば殲滅し、非人道的な魔術師を狩ったり、あとは封印指定にされて協会からのハンターを退けたりな」
ずっとずっとそんな生活だったなぁと、士郎は懐かしむかのように自然と苦笑いを浮かべていた。
「……………」
「……封印指定とは何だ?」
茶々丸は士郎の話の内容に言葉も出ず、エヴァは疑問に思ったことを口に出した。
「ん。魔術師にとって最高級の名誉であると同時に厄介事で、後にも先にも現れない希少能力をもった魔術師を永久に保存するための目的で協会から受ける指定のことだ」
「はんっ! 永久に保存するだと馬鹿じゃないのか。お前のとこの魔術協会は!」
エヴァの怒声に、士郎は思わず苦笑いを浮かべて言葉を続ける。
「まぁ、それは否定しないけどな。多分こっちの世界より俺がいた世界のほうがえげつないことしていると思う。人間性は魔術の探求の前には無いも同然というのが当たり前の事柄だったからな。そういうのもあって、俺は一人戦場を駆けていたんだけどな」
「……そうか。こっちの魔法使いとはまるで真逆だな。こっちの一般の魔法使いは、大体はマギステル・マギに憧れるからな」
「マギステル・マギ?」
士郎は知らない単語が出て、鸚鵡返しのように尋ねていた。
「マギステル・マギは立派な魔法使いといってな。世のため人のために陰ながら力を使う、魔法界で最も尊敬される仕事の一つだ」
「それは……何と言うか、うらやましいな」
士郎は世界の違いとその優しさに言葉を短く切ったが、エヴァはその言葉に多大なる意味が含まれているのだろうなと思い、ただそうかと答えた。
「お前は……」
「ん?」
「お前は向こうの世界で、唯一人のマギステル・マギだったのかもな」
そのエヴァの台詞に、士郎は一瞬きょとんとするものの首を振って、そんな立派なものじゃないさと答えた。そんな士郎にエヴァも茶々丸も思うところはあったが、何も言わなかった。
「それにしても……」
「ん? どうした?」
「封印指定とやらを受けたのだろ? そんなに希少な能力なのか?」
「ああ、そうだな。でもエヴァは何度も見ているぞ?」
「は? いつそんな希少な能力を見た? いや、そもそも私はお前の魔法らしい魔法なんて見たことないぞ。茶々丸は覚えがあるか?」
「……体の強化ぐらいかと」
しきりに首を捻るエヴァを、士郎は不思議そうに見る。
「いや、何度も見ているって」
「なら、今ここで使って見せろ」
「別にいいけど……」
エヴァはぶつぶつと呟きながら、士郎をじっと見る。
「投影開始」
幻想を結び、今度は黒鍵を投影する。
「で、武器を取り出してどうするのだ?」
「確か、その剣は砲撃するように撃ち出していましたから、それが魔法では?」
「そうか! いや、だが物を撃ち出すなんて全然希少ではないぞ」
一喜一憂するエヴァに、士郎は不思議そうに首を捻って黒鍵を軽く叩く。
「いや、だからこれが俺の魔術だ」
「???」
「投影と言う魔術で……オリジナルの鏡像を魔力で物質化することが出来る魔術。俺の場合はほとんどが武器関係だけどな」
エヴァは士郎が言ったことを一言一言確認し、それがどういう意味か知覚できたとき、がばっと顔を上げて士郎に詰め寄った。
「士郎、貴様これを魔法で一から作り出しただと! アーティファクトを呼び出しているのではなく、一から作り出していたのだと!」
エヴァは叫び、士郎に掴み掛かってガクガクと揺する。
「お、おいエヴァ……」
「昨日の、私の氷の矢を一瞬で蒸発させたあの炎の剣は、明らかにお前の魔力以上の力を感じたんだぞ! そんなわけあるか!」
「お、落ち着けエヴァ」
「マスター、どうか落ち着いてください」
士郎と茶々丸に落ち着くように言われて、はあ、はあと肩で息をしつつも、エヴァはとりあえず士郎から手を離した。
「いや、本当だって。だから封印指定を受けたんだ」
「まさか、この干将莫耶もお前の魔術で作り出したものなのか?」
士郎は肯定するかのように、干将莫耶を再び投影する。
「な! 騙された……」
「だから騙した覚えはないぞ。それに魔術で作り出したと言っても、俺が消すか壊れるまでずっと存在し続けるから、真贋の話は意味がない」
エヴァはとりあえず紅茶を飲み、気落ちを落ち着かせた。
「まあ、いい。お前の魔術やお前の世界の魔術の細かいことに関しては、おいおい聞いていくことにする」
そう言ってサンドウィッチの最後の一口を食べて、紅茶を飲み干す。
「あと、お前はうちの居候なのだからな。誘われても勝手に何処か行くな。いいか?」
「ああ。エヴァにお世話になるからな。勝手にいなくなったりしない。約束する」
「……本当だな?」
「本当だ」
そう言って士郎はぐりぐりとエヴァの頭を撫でる。エヴァはそれを甘んじて受けると、何を思い出したのか、かぁっと顔が赤くなった。
「ケケケ御主人、顔ガマッカダゾ」
「なっ! うるさいぞチャチャゼロ! 茶々丸! さっさと学校へ行くぞ!」
エヴァは士郎の手を振り払って、ずかずかと外へ出て行った。
「……すいません、士郎さん」
「片付けはしておくから、行っていいぞ」
ぺこりと御辞儀する茶々丸に、大丈夫だといって送り出す。
「行ってきます、士郎さん」
「ああ、いってらっしゃい」
士郎は二人を見送った後、一日中チャチャゼロと漫才しながらも、自分のスペースを確保するためにひたすら地下室を整理して、家中を綺麗に掃除してた。