「シェロ!」
指に宝石を挟み、臨戦態勢のまま転がるようにルヴィアが駆け込んできた。
でも、目の前に広がった光景に息を呑み、それ以上は何も口にしなかった。
ここはある魔術師の工房の最奥。
ここには名も言わぬ女と男の骸、静かに眠る少女、そして赤く濡れた干将・莫耶を持つ俺だけがいた。
ああ、この時俺は、もう胸を張って正義の味方だなんて言えなくなったんだ。
◇
倫敦についてからルヴィアは二人の人間に引き合わせてくれた。
赤髪を肩口で切りそろえたルヴィア付のメイドの少女、カティ・リリエ。
白髪で初老のがっしりとした執事、マーカス・ブリック。
自己紹介をするとカティという少女は特に何も反応せず、無表情で従者然とした様子を崩さなかった。
ただマーカスという老執事は、俺の名に何を感じたのか怪訝そうに眉をひそめた。
「……エミヤ、でございますか?」
「マーカス、エミヤを知っていて?」
「…………」
「マーカス?」
常には無い歯切れの悪い老執事の様子に、ルヴィアは不審に思いながらも言葉を促す。
「……もう二十年以上になりましょうか、悪名高い一人の魔術師がいたのです」
「悪名? ……それがエミヤという訳?」
「はい、その通りでございますお嬢様」
老執事はルヴィアに向かって恭しく頭を下げ、言葉を続ける。
「私めは直接に会った事はございませんが。彼の者は我々魔術師が忌み嫌う近代兵装を使いこなし、標的とした魔術師をありとあらゆる手段で殺害せしめ、堅牢な工房に篭った魔術師すら殺してみせたとか。それ故に魔術師殺しと呼ばれておりました。それ以外にも、金の為に表の世界の紛争にも首を突っ込んでいたという話も有ります」
「ふーん、シェロとは似ても似つかないわね。ただ名字が同じだけなのでしょう」
耳を傾けた事を損したとばかりに、ルヴィアはエミヤと名が上がった時とは違い、もう既にマーカスの話に興味を持っていなかった。
それでもマーカスは話題を挙げた責務としてその名前を告げる。
「……確か名は、キリツグ・エミヤと」
マーカスの告げた名前に俺はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
マーカスの話はあの聖杯戦争で言峰が言っていた事、セラから魔術を教わっていた頃それとなく教えてくれた事。
切嗣の正否は別にしても、誰かを救いたい、その心は分かっているつもりだから。
「いや、衛宮切嗣は確かに俺の親父だよ」
だから臆する事無く俺は言い切った。
◇
ルヴィアの所に来てから最初の一週間はずっと車椅子での生活だった。
執事のマーカスは基本的にエーデルフェルトの本邸にいるらしく、数日してから帰っていった。
俺の方は半身がほぼ動かない状況で、カティの淡々とした、それでも献身的な世話はありがたかった。
ただ、カティの相変わらずの無表情に嫌われているんじゃないかと思い、ある時カティに聞いてみたけど、ただ気にしないでくださいとしか言わなかった。
その事をルヴィアに話してみたら、くすりと笑ってそんな心配は無用ですわ、と言われてしまった。
ルヴィアが言うには十分楽しんでいるらしいけど、俺には良く分からなかった。
一週間が過ぎた頃、杖を使って歩けるようになってからは、体が鈍らない様にと積極的に動いていた。
ルヴィアの住まいには、カティの他にも数人のメイドが家事や雑務をこなしていて、俺も暇をみては迷惑にならない程度に手伝っていた。
ただ他のメイド達には快く受け入れられたけど、カティはどこかむっとしていたような気もする。
「シェロ、カティが怒ってましてよ?」
ある日の食事を終えた夕刻、ルヴィアがふらりと俺の私室に紅茶を持ってやって来て、そんな事をのたまってくれた。
「む」
ルヴィアが言ったように、カティが何処か不機嫌そうだったのは気がついていたんだけど、その原因は分からずじまいでただ俺は唸るしかなかった。
「心当たりありまして?」
ルヴィアは俺に尋ねながら、程よく蒸れたのかティーポットからティーカップに紅茶を注ぐ。
「あ、いや、なんとなく不機嫌なのは分かるんだが、理由までは分からなくてさ……」
腕を組んで考え込む俺に、ルヴィアは呆れたようにしながらも優雅に紅茶を口に含んだ。
「ふぅ。カティはね、世話を頼まれたシェロが勝手気ままにふらふらするのが赦せないの」
「む、そうなのか?」
「ええ、シェロの世話はカティに一任してますし、カティはシェロ専属の従者、言ってみれば主従の関係なのですから。自分を飛び越えて何かをされるというのは、自分が信用されていないという事と同じでしょうからね」
「ちょっと待ってくれ、主従って、カティの主人はルヴィアだろ?」
「いえ、違いますわよ?」
「は?」
きっと間抜けな顔をしているだろう俺を見てルヴィアは笑う。
「カティはもともとエーデルフェルトとは関係ない魔術師の娘だったのですけど、故あって私が引き取ったの。それからのカティは私の弟子で、助手でしたのにどういうわけか私付のメイドになっていましたけどね。そういう意味では主人と従者と言えなくも無いですけど、もっと軽いものですわ」
ルヴィアは懐かしむようにくすくすと笑い声をもらす。
「あの子にはシェロのことを主人だと思って接してとお願いしてます」
「は? じ、じゃあ、カティの意思は?」
「ありません、と言いたいところですが、ちゃんと確認していますわよ。取り合えず一週間だけでもお願いって。もし嫌だったら他の子と代わってもいいって言ってありますし。それでも代わろうとしないのなら、あの子はあの子なりに思うところがあるのでしょうね。それにあの子はなかなか頑固ですから」
「む……」
ルヴィアがカティの主人とかで無いのはなんとなく分かった。
……でも、信用されていない、信用していない、か。
メイドといわれてぱっと思いつくのは、冬木の家にいるはずのおかしな二人のメイド。
俺専属になんて言ったら、リズはどうか分からないけど、セラだったら小言の一つや二つは飛んでくるはずだ、絶対。
……それでも、まぁ、仕事はしっかりこなすはずだ。それはきっと主人であるイリヤへの礼として。
「あの子は感情を表立って表すのは苦手ですけど、心情はちゃんと起伏していますのよ」
言外に、もう少し歩み寄ってみなさいと。
カティを信じて、それにカティに指示をしたルヴィアを信じて。
「そう、だな。もっと気を配るようにしてみる」
「まったく、自分に対する感情に鈍いっていうのは、なんだかシェロらしい話ですわね」
「む、そうか?」
「ええ」
確かに無頓着だとかは言われたことがあるけどさ。
「……その事を話すために、俺の部屋に?」
「従者を見るのは主人の勤めですわよ。それに客人を持て成すのも」
毅然として言い切るルヴィアにさすが貴族の当主、と感心しそうになった時、意地悪そうな、どこか悪魔的な笑顔に変わった?
「ですけど、シェロは客人の前に私の大切な友人ですもの。だから、私の紅茶と相談は安くなくてよ?」
ふふん、なんて笑いながら、上機嫌のままにそんなことを仰ってくれた。
意地悪そうな笑みは、何処か遠坂に繋がって……。
「……わかった。俺にできる事なら何でもするよ」
降参とばかりに、俺は両手を挙げるしかなかった。
そんな俺にルヴィアは楽しそうに笑って、ふと考え込むように腕を組んで顎に手を添えた。
「そうですわね、士郎のお父様の話が聞きたいわ」
「親父のか?」
「ええ、マーカスが言っていた事が本当なのか、シェロの口から聞きたいですから」
親父の話、か。話すのは吝かじゃないけど、何から話すか……。
「――ルヴィア、聖杯戦争って知ってるか?」
俺と親父の関係を話す上で、これは切っても切れない話だから俺はそう切り出した。
それなのに、聖杯戦争という言葉を聴いて、上機嫌だったルヴィアの表情が一転してしまった。
えっと、どうしたルヴィア?
「ええ、知っていますとも。このエーデルフェルトの一族も一度は参加したことがありましたのよ。第三次聖杯戦争、エーデルフェルトは双子の姉妹がマスターとして参加しました」
むすっとした不機嫌なままに言い切ったルヴィアの言葉に、参加したことがあるんだと感心しつつも、ふと疑問を感じて俺の口が開いていた。
「双子の姉妹? 二人ともがマスターだったのか?」
二人同時にマスターだなんて、それはどんな確率なんだ?
「士郎の思っている事は正しくて、間違っていますわ。あの聖杯戦争において姉妹、二人で一組のマスターでしたのよ。同一の英霊を異なる側面から呼び出して使役していたのですけど……」
「ルヴィア?」
途中で何を思ったのか、ルヴィアのカップを持つ手が震え、紅茶が波打ち始める。
ルヴィアは忌々しいとばかりにそのまま紅茶を一気に飲み干して、派手な音を立ててカップを置いた。
「まったく遠坂の魔術師はっ! 士郎、知っていまして!? 数年前にあった第五次聖杯戦争で勝利した今代の遠坂の当主、リン・トオサカが鳴り物入りで時計塔に入ってきたんですのよ。エーデルフェルトにとって聖杯戦争は鬼門ですっ!」
「まぁ、遠坂だしな」
遠坂らしいなと何気なくもらした言葉に、ルヴィアがぴたりと止まった。
「ルヴィア?」
ルヴィアの不審な行動に怪訝そうに名前を呼ぶけど、聞こえているんだかいないんだか。
それでもルヴィアはきょとんと俺に視線を向けてくる。
「シェロ? どうしてシェロの口からミス・トオサカの名が? まるで知り合いかのような口ぶりですわね?」
「あ、ああ。遠坂とは同じ高校だったし、家にもよく来ていたからな。時計塔に一緒に来ないかって誘われもしたし……」
断った末に、大喧嘩に発展したんだけどな。
結局和解することなく今に至るのに、俺は魔術協会のお膝元、倫敦に居るんだよな……。
「シェロはミス・トオサカの弟子でしたの?」
「あ、いや、アドバイスみたいなのはしてもらった事はあるけど、別に弟子じゃなかったぞ。その頃にはちゃんとした師匠はいたし」
何を思ったのか、ルヴィアはなんだか恐ろしいことを聞いてきた。
まぁ、セラの場合はちゃんとしたって言っていいのか微妙だけど、それでもしっかり教えてもらったしな。
イリヤの指示の元、土蔵が大変なことになったけど。
……遠坂の弟子か、もしあの聖杯戦争が別な形で収まっていたのならそういう事もあったのだろうか?
「でもおかしいですわね。シェロは協会に属していないというのに、ミス・トオサカと同郷でしたのなら、セカンドオーナーである遠坂の魔術師と顔見知りというのはおかしくなくて?」
「まぁ、そうなんだけど。あの頃の俺は半人前以下の魔術師で、ほぼ一般人と変わらなかったからな」
なんたって遠坂にすら気づかれなかったんだから。
「今からでは信じられない話ですわね」
当時の俺を知らないルヴィアは不思議そうな顔をするけど、本当に酷かったからな、あの頃は。
「何か切欠がありましたの?」
「ああ、これもまた聖杯戦争だ」
不思議な縁だと思う。
第四次聖杯戦争で俺は切嗣に拾われ衛宮士郎に。
第五次聖杯戦争で色々な事を知り、こうして今いる十分のきっかけとなった。
そして第三次聖杯戦争に参加していたエーデルフェルトに会うなんて。
「巻き込まれたといえば巻き込まれたんだけど、俺はマスターとして参加した。途中でサーヴァントを奪われてさ、聖杯戦争のルール上俺は脱落したんだ。遠坂のサーヴァントとやりあったけど、遠坂とは直接戦うことはなかったな。むしろ助けられたって感じだ。それでも結局、勝者が居ないまま聖杯戦争は終わったけど」
最後までマスターとサーヴァントが残ったっていうならイリヤが勝者なのかもしれないけど……。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいシェロ! 勝者がいないって。遠く離れたこの倫敦の地でも根源の渦に繋がる穴が観測されたというのに! いえ、それだけじゃありません。ミス・トオサカが嘘をついているって事ではないですかっ!」
「いや、そういう事にしてもらったんだよ。俺の魔術は詳しく言えることでもないし、協会に目をつけられたくなかったからさ」
それにイリヤの事もあるし。
「だからさ、この話は誰にも言わないで欲しい」
一瞬しまったかなと思ったけど、ルヴィアなら多分大丈夫だろう。
「ええ、分かっていますわシェロ。この私を信じて話してくれた事ですから、約束は守りますわ。それにしても、ミス・トオサカがね……」
フフフと何処かの悪魔みたいに笑うルヴィア。あまり近づきたくないぞ。
「あ、あのルヴィア。遠坂には……」
「大丈夫ですわ。このルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、そこまで落ちぶれていません。ミス・トオサカごとき正面から完膚なきまでに叩き潰してさしあげますわ」
不敵な笑みを浮かべて宣言するルヴィアに、俺は思わずかっこいいなんて思ってしまう。
それは遠坂とも似ていて、きっと顔を付き合わせるたびに喧嘩腰、というか本当に好敵手みたいなやりあいをしているんだろうと思う。
初対面の時は二人とも猫を被っていたのだろうかと思いつつも、親父の話に戻すけどさ、と前置きをおいて切嗣のことについて話し始めた。
「親父は、第四次聖杯戦争に参加したんだ」
その一言でルヴィアは不敵な表情を潜めて、俺の言葉に耳を傾けてくれる。
「四次聖杯戦争に参加していたやつが教えてくれたよ、親父は勝利の為には手段を選ばなかったって。無関係な人間を巻き込まない、なんて考えも無くて、相手の弱みを徹底的に叩いて、反撃の余地も与えなかった。敵の肉親を盾にし、敵の友人を足枷にして速やかに勝ち残っていった」
「…………」
「初めてその話を聞いた時には到底信じられる事じゃなかった。俺にとって親父は、まるで子供がそのまま大きくなったような人だったから」
そう、二人っきりの衛宮の家で無邪気な生活を送っていた切嗣。
「『一を切り捨てて九を救う』、親父は、衛宮切嗣はずっとそうして人を救ってきた。切り捨てる一には素早く、容赦なく、圧倒的に、そう、魔術師殺しと呼ばれるほどに。……でも」
「でも?」
「親父は誰かが笑えば嬉しくて、誰かが悲しめば胸を締め付けられる、無念の怒りには心を共にして。……血も涙も無い計測機械じゃなかった、親父は確かに人間だったんだ」
親父は優しかった。
「だから世界を救うという願いのために、聖杯戦争に望みをかけたらしい」
ルヴィアはゆっくりと頷いて、紅茶を口に運ぶ。
「……そういえばマーカスが教えてくれましたわ。二十年前、衛宮切嗣が純潔の血統を保ってきたアインツベルンに婿入りしたと。――アインツベルン、聖杯戦争に関わる者ならその真意は分かりますもの」
こくこくと頷くルヴィア。
「シェロ、お父様のお相手は?」
「……アイリスフィール・フォン・アインツベルン。銀髪の、綺麗な人だったらしい」
姫君そのものだとは、セイバーの言。
「シェロのお母様ね」
「……? あ、ああ、そうなるのか」
俺は一瞬何を言われたのか理解できなかった。
俺のそんな様子にルヴィアは怪訝そうにしながらも口を開く。
「何ですの、シェロそんな不思議そうな顔をして」
当たり前のことでしょう? なんて言外に言ってくるが俺は素直に頷けなかった。
「いや、確かにそうなるんだけどさ。今までそんな事、考えた事も無かったから」
イリヤの母親、切嗣の配偶者。
俺の母親だったかもしれない人。そういえば、そうなんだよな……。
「会った事ありませんの?」
「ああ、アイリスフィールさんの事を話してくれたのは、イリヤとセイバーだけだったからさ」
俺とアイリスフィールさんの邂逅は絶対にありえない事だから。
俺の浮かべた苦笑いに、ルヴィアは何を感じ取ったのか、はっとしたように顔を上げた。
「……まさか、聖杯戦争で」
「そう、そうなんだけどさ。きっとルヴィアが考えているのとは少し違う」
俺は何から話そうかと視線を宙に彷徨わせながら言葉を探し、ルヴィアは静かに俺の言葉を待つ。
「ルヴィア、第四次聖杯戦争の結末、知っているか?」
「……勝者はいなく、最後に街が燃えたとだけ。まさか、その中で!?」
ルヴィアの問いに答えず、俺はただ言葉を吐く。
「親父がセイバーに令呪を使って命じたんだ、聖杯を破棄しろって。それが終局」
「……聖杯に望みを託した人が、聖杯を破壊?」
怪訝な表情で漏らしたルヴィアの言葉に俺は頷く。
「聖杯は呪われていたんだ。第三次聖杯戦争でアインツベルンが切り札として呼び出したアンリ・マユ。それはたった一人の普通の男だった。でも、それの所為で聖杯が、この世の全ての悪に感染した。第四次聖杯戦争の最終局面、最後の切嗣の相手が不完全な聖杯に自分たち以外の邪魔者を退かせと願った、ただその願いだけで街が一つ燃えた」
「なん、ですって!?」
「その事で聖杯が破壊のみで事を成す事を知った切嗣は『一を切り捨てて九を救う』その信念の元に聖杯を破壊した」
「…………」
「……親父は、何もかもに平等で、本当に平等すぎたんだ」
「え?」
「ルヴィア、管理する霊地を提供したのが遠坂、サーヴァントを律する令呪を作ったのがマキリ、じゃあアインツベルンが出したものは?」
俺はまた話を飛ばすが、ルヴィアはその答えがこの先重要であると分かってくれて、俺の問いに答える。
「聖杯、ですわよね?」
「そう、聖杯。第三次、ただの器だった聖杯。それを反省したアインツベルンはそれに変わるものを聖杯とした。自ら意思を持つモノに」
「えっ? ちょっと待ちなさいシェロ!」
憤りすら感じるルヴィア。
その時、俺はどんな顔をしていたのか。それでも俺は静かに口を開く。
「それをした時の親父の胸の内は、俺には分からない。分かるなんて口が裂けても言える事じゃない。でも――」
何もかもに平等で、本当に平等すぎた、だから。
俺の原初の記憶の一つ、あの泣きそうで、心の底から救われた様な、俺もそうなってみたいと思った切嗣の顔。
「でも、その切り捨てたはずの大きくて少ない中、切嗣に救われたのが俺だ」
「――――!?」
「一を切り捨てて九を救い続けた親父、それでも本当は全てを救いたかった。だから親父は逝く時、俺に託した」
――ああ、安心した。
切嗣は俺の答えなんて聞くまでも無いとばかりに、笑って、そして逝ったんだ。
「そう、それが俺の始まり」
笑顔を浮かべながら言い切った俺を、ルヴィアはただ呆然と見ていた。
「どっちが正しいかなんて俺には分からない。だけど、切嗣が望んで、俺がそうなりたいと思った。だから俺はその理想を追う」
言いたいことを言い切ったとばかりに俺は息を吐いて、もう冷めてしまった紅茶を一口飲む。
「シェロは馬鹿なのですね」
何処か呆れたような、それでいて何処か誇らしげなルヴィアの言葉。
「馬鹿か、そうなのかもしれないけど、俺にはこれしかない」
そう、道は一つだけ。俺は理想を胸に進んでいくんだ。
「お馬鹿なシェロ。でも嫌いじゃないわ。エーデルフェルトの当主、ルヴィアゼリッタがシェロに力を貸してあげましょう」
「そっか、うん、ありがとう、ルヴィア」
◇
ルヴィアの下に来て一ヶ月。
この頃にはもう杖無しでも自由に歩くことができた。
体に若干痺れがあったけど、それでも日常生活には支障なく、そして気がついたらルヴィアの執事になっていた。
事の始まりは、メイドたちの手伝いをしていると小耳に挟んだマーカスが、俺に合う執事服を持ってきたことが発端だった。
マーカスの真意は掴めなかったけど、世話になりっぱなしっていうのも気が引けたし、俺に出来る事ならと特に考えることなく頷いた。
マーカスに礼儀作法から始まって、今までは特に指摘されなかった発音までと多岐にわたってみっちり仕込まれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
ルヴィアが帰ってきての出迎え。
マーカスとカティと一緒に恭しく頭を下げた。
ルヴィアは軽く頷いてすぐ脇を通り過ぎようとしたのだが、ぴたりと止まった。
「…………シェロ、いったい何をしているのですか?」
「あ、いや、マーカスに執事をやってみないかって言われて……」
「マーカス!」
「何でしょうか、お嬢様」
不自然なことなど何もありませんとばかりにルヴィアへと向いたマーカス。
無論語気を強めるルヴィアだったが、マーカスはルヴィアの言葉を躱しながら、あれやこれやとルヴィアを納得させてしまった。
年の功、というよりはさすがエーデルフェルトの執事長といった所か。
仕方ないとばかりに認めたルヴィアだったが、認めたからにはと仕事をいくつか任された。
特筆するべき事は工房の管理を任された事だ。
杖で歩けるようになった頃に一度だけルヴィアの工房に案内された、一応魔術師のマナーとしてそれ以降近づく事は無かったんだけど。
もともとはルヴィアの弟子兼助手でもあったカティがある程度をしていたのだが、どうせなら俺にもという意味だったみたいだが。
俺はルヴィアの研究を本格的に手伝えるほど、魔術に精通しているわけでもなかったので、せいぜい工房内の整理だけだったが、ふとして手伝った魔具の情報解析力には呆れられた。
◇
魔術協会のお膝元にいる割には他の魔術師とも顔を合わせる事が無い日々が続いたある日。
俺は散歩を兼ねた買い物に、カティと一緒に昔ながらの街並みを保った路地裏を歩いていた。
当初の予定では俺一人で行く予定だったのだが、すったもんだの末にカティと行くことになってしまった。
体に違和感が残るけど、もうすでに日常生活を送る分には動けるようになっているのに、と呟くが、カティの耳には入っていなかった。
「エミヤ様、言っていただければ私が買い物に行きましたのに」
「だけどさ、あんまりカティに頼るのも……」
「私は一向に構いません」
きっぱりと言い切るカティ、あくまでも頑なな様子に俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
そんな俺をどう思ったのか、カティがぴたりと足を止めた。
「カティ?」
「そんなに私と一緒ではお嫌でしたか?」
「うっ」
足を止めて、感情を消した表情でじっと見つめてくるカティ。
それはまるでリズにも繋がる無言の脅迫……。
「あ、いや、そうじゃなくて――」
「私を空気と思って、どうかご自由になさってください」
どうぞとばかりに、カティは俺の一歩後ろに下がって視界から消えようとする。
「カティ!」
俺は慌ててカティの手を掴んだ。
「俺はカティと一緒に歩きたいんだっ」
「…………」
「…………うっ」
どれだけそうしていたんだろうか。
カティに冷たい視線を向けられて、思わず怯みそうになった時、掴んでいた手を逆に引かれて前を向かされる。
「え?」
「そうですか、では参りましょう」
カティは絡めた指を流れるようにほどいて、背筋をぴんと伸ばし、靴を鳴らしながら俺の目の前を何事も無かったかのように進んでいく。
「エミヤ様? いかがなさいました?」
振り向いたカティの顔はいつもの無表情だったけど、何処か嬉しそうだった。
嬉しそうなカティの背中を見ながら、ため息を一つ吐く。
カティに悪いと思って一緒に行くのを断ろうとしたんだけど、ここまで喜んでくれるのなら最初から頼めばよかったかな。
「ボール?」
カティの背中越しに、転がってくる一つの青いボール。
転がって来た方へと視線を向けると、細い道路を挟んだ向こう、路上駐車されていた車の間から子供の影。
ふと耳に入った甲高いエンジンの音。
それは対面から、こんな狭い路地裏で出すべきでない速さで走る車。
その二つから導き出される一つの未来。
俺は半瞬で強化を完了し、駆けだしていた。
空気を切り裂くクラクション。
俺は左腕で浚うように子供を抱え、そのまま歩道へと転がり込もうとした。
「ッ!」
鈍い音と共に右手が跳ね上がった。そしてすぐさま続く酷い鈍痛。
俺は歯を食いしばりながらも、子供を轢こうとした車を確認しようとするが、もうすでに走り去った後だった。
ぎゅっと目を閉じて体を固まらせた子供をゆっくりと下ろし、外傷が無いかを確かめる。
「怪我は無いか?」
俺の声に反応して恐る恐る目を空ける子供。
何が起こったのかわからない様できょとんとしていたが、直ぐ一瞬前のことを思い出してその場にへたり込んでしまった。
「もう、大丈夫だ。安心していいぞ」
ぽんぽんと二、三度子供の頭を左手で撫でる。
右手を見せないように背に隠しながら。
「あ……」
カティが、子供が追いかけていた青いボールを拾ってくれたのか、少し離れた場所に佇んでいた。
「カティ?」
遠目に見えたカティは少し青ざめたような表情で、少し気になった。
「僕のボール!」
カティがボールを拾ってくれた事に気がついたのか、子供はカティの元へと元気に駆けていく。
子供は現金だなと思いながら、ふと右腕を触る。
袖が裂かれて広がった腕には裂傷だけでなく、芯に響くような酷い鈍痛があった。
もしかして骨に異常が、と思った時、石畳を打つ甲高い杖の音に俺は振り返った。
「大丈夫、かね?」
振り返った先には中年、いや初老に手が届きそうなほどの男がいた。
今の事を見られていたのか近づきながら、俺が触れている右腕へと視線を向けている。
――気配で分かった、この男も魔術師だと。
「貸してみなされ」
男の言葉に素直に従うように俺は怪我を負った右腕を差し出す。
「――――ッ」
男が魔術回路を起動させ、魔術を展開させると、傷を負ったはずの腕が再構築されていく。
それはまるでセイバーと契約していた時の様に。
「ほう、面白い」
「?」
傷の再生に視線を落としていたが、ふと顔を上げると愉悦の表情をした男。
「魔術回路と神経が癒着、いや神経その物が魔術回路なのか。……これはずれているのかね」
ふむと頷き、男の魔術刻印が再び輝いた。
「これでどうだ?」
一瞬その男が何を言っているのか分からなかったが、手を握ったり開いたりした感覚が違っていた……いや、そう、違和感がない。
エクスカリバーを投影した代償、痺れるような感覚のずれが元に戻っていた。どういう事だ?
俺が不思議そうな顔をしていると、好々爺然とした笑みが向けられた。
「君の神経は魔術回路の酷使で覚の波長がずれていたのだ。君のような神経その物が魔術回路という特異な体質でなければ起こり得ない現象だよ」
「ありが――っと」
目の前の男に礼を言おうとした瞬間、強い力で引かれた。
何だと振り返るとカティが俺の手を引き、守るかのように正面へと立った。
「下がりなさい」
カティの表情は硬く、今まで見たことも無い、とても鋭くて、とても冷たい視線。
それは敵を見る眼だった。
カティの敵意を一身に受けた男は、臆することもなく楽しそうに低く笑った。
「大丈夫ですか? 何かされていませんか?」
「あ、いや、怪我を治してもらって。魔術回路の麻痺まで治してもらったよ」
俺の言葉にカティは一瞬だけ驚いた表情を浮かべるが、すぐさま真剣な表情へと変わり、魔術回路を起動させた。
「カティ、何を?」
「じっとしていてください、エミヤ様」
カティは真剣な表情のまま、いつもの治療をするときと同じように俺の中を探査して、異常が無かったのか一先ず安堵のため息を吐いた。
カティは背筋を伸ばし、再び毅然とした様子で相対した。
「この方はエーデルフェルトの客人、その客人に手を出すという意味は、分かりますよね?」
「ほう、あの天秤の」
男の魔術師はカティの敵意を完全に流し感嘆の声をもらす。
「いやはや、そのお嬢さんに睨まれるのはこの老骨には堪えるよ。今日は興味深いものを見せてもらった。……それでは、また」
帽子の鍔に手を添えて、男は会釈をすると甲高い杖の音を鳴らし、俺とカティに背を向けて歩いていく。
十秒、二十秒と去っていく男の背を見ていたが、カティがか細い声でポツリと言葉をもらした。
「……エミヤ様、もう少し自分のことを考えてください」
「いや、それでも魔術回路の痺れを治してもらったし……」
「エミヤ様、もう少し自分の魔術の異端性を分かってください。お願い、お願いしますから」
「…………」
カティのそれはまるで縋るような懇願だった。
その様を見せられて俺は、自分がいかに不用意な行動を取ったのだと今更になって気づかされた。
「ごめんな、カティ。こんなに心配してくれていたのに、俺は……」
「いえ……」
なんでもないと首を振りながらも、カティには何処か悲しそうな色があった。
「……今日は帰るか」
「はい、エミヤ様のお召し物を代えなければなりません……」
どちらからともなく、ゆっくりと、本当にゆっくりと歩き始める。
「……申し訳ありませんでした」
「カティ?」
俯きながらの蚊の鳴くような声、この時カティの小さな体がいつもより一回り小さく感じた。
それはいつもの従者然としたカティからは決して感じられない弱さ。
だがそれも一瞬で、カティは足を止めて毅然とした表情で俺と視線を合わせた。
「エミヤ様、お嬢様に仰ってください。私は従者に相応しくないと」
「カティ?」
いきなり何を言い出すんだと口に出そうとした時、カティはそれに被さる様に言葉を続けた。
「いえ、これは私の失態です。私は迷ってしまった。エミヤ様の安否と願いを天秤にかけ、それが隙となった。あなた様の魔術は晒していいものではありません。それなのにあなた様の中を見られた」
淡々とカティは喋り、申し訳ありませんと深く俺に向かって頭を下げた。
「ですから、どうか私を」
「…………」
カティは瞬きもせず、じっと俺だけを見ていた。
出会ったばかりの頃なら、彼女が望まないんだと思って、きっと頷いていた。
でも、その瞳の奥が揺れているのは確かに分かった。
それは俺の世話を任されてからずっと一緒にいたから分かる感情の揺らぎ。
「カティ」
「はい」
表面はいつもの知らない人からは能面と言われるような無表情、それでも俺には分かった。
カティは自分自身が何よりも許せないから、そしてその思いの先にあるのは俺をいかに思っていてくれるということ。
だから――
「ありがとう」
「――――ッ!」
声もなく驚くカティに俺は笑いかけて、ぽんと頭に手を置いた。
「俺は今までカティの事を従者だなんて思っていなかった。でもそれは俺のエゴで、カティには苦痛でしかなかったのかもしれない」
ルヴィアは言っていた、もう少し信用してみなさいって。
結局俺はカティのことを信用しきれてなかったんだ。
「い、いえ、そんな――」
「カティは、俺にはもったいないほどの従者だよ。……仮の主人でしかない俺だけど、もし俺のことを少しでも主人として扱ってくれるのなら、これからも俺を助けてくれるか?」
俺の問い掛けに、カティは目を瞑り胸の前で片手を握って、一秒二秒、そしてゆっくりとその瞳を開いた。
「エミヤ様、貴方様に仕えてからは何度も感情を揺さぶられることがありました。……他のメイドばかり相手にするのに怒って、私は要らないのでしょうかと悲しんで、お役に立てるのに喜んで、何で勝手ばかりするのでしょうと泣いて」
「うっ」
「でも、それは決して嫌ではありませんでした。世界に色が戻るように、こうして胸が温まります」
ああ、ここにいるのはエーデルフェルトのメイド、カティじゃなくて、カティ・リリエという一人の少女が目の前にいるんだ。
「そうか」
「はい、マイロード」
カティが笑った。
それは柔らかい、可憐な花が咲いたような笑顔。
メイドじゃない一人の少女としての微笑み。
「――――」
「エミヤ様?」
「っ! あ、いや、なんでもない」
カティのその表情に見とれたなんていえる訳が、無い。俺は慌ててごまかすように答えるしかなかった。
「そう、ですか?」
不思議そうにしていたカティだったが、いつもの従者然とした表情に戻っていた。
「エミヤ様、帰りましょう。私の主人をいつまでもこのような姿にさせてはいられません」
汚れた姿、擦り切れた服。
俺は別にと言いたかったけど、きっと叶えられる事はないんだろうなぁと。
「では行きましょう」
強引に手を取られてしまった。
問答無用のカティに慌てて俺も脚を進める。でも、カティの足取りは速くて……。
「カ、カティ、もう少しゆっくりでもいいんじゃ……」
「いえ、駄目です」
カティは俺の言うことなんて聞いてくれず、やっぱりどんどんと足を速めていく。
俺は内心でため息をついたけど、それは決して嫌じゃなかった。
「ま、いいか」
「何か仰りましたかエミヤ様?」
「いや、なんでもない」
「そうですか?」
問答の間も足は止まることは無く、カティの顔はどこまでも柔らかで、その瞳には確かに喜色があって、繋がれた小さな手は、温かかった。
面白い二次創作をひたすらに読んで時間が溶けていくしあわせ。
過去編にもう少しだけお付き合いください。