「まったく、呆れましてよ、シェロ」
帰ってきたルヴィアに昼間あった事を話したら、呆れた表情でため息を吐かれた。
「う……。反省してる。カティにも散々注意されたし……」
屋敷に戻ってきてから、擦り切れた服を剥かれながら滔々と注意を受けた。
それでもカティに泣かれたのが一番堪えるんだけどさ。
「シェロ、今何を考えていましたの?」
「え?」
きょとんとする俺に、ルヴィアは殊更深くため息を吐いた。
「なんだか笑っていましたわよ?」
「む」
別に笑っていたつもりじゃないんだけど……。
無意識的に自分の顔に触れると、ルヴィアにまたため息をつかれた。
「まったく、カティに嫉妬してしまいそうですわ」
これ以上何を言っても駄目な気がして、苦笑いしつつ肩をすくめた。
「でも、まぁ確かにタイミング的に不用意だったわね」
俺が滑稽だったのか、ルヴィアも苦笑いしつつも、少し真面目な口調でポツリと言葉を漏らした。
それはやけに気にかかる言葉。
「タイミング的?」
「ええ」
怪訝な顔をしていたのは自分でも気がついていたが、無言でルヴィアにその先の言葉を促した。
「ここ最近、協会の魔術師の失踪が続いてるのよ」
「失踪?」
ルヴィアの不穏な言葉に、俺は無意識に眉をひそめた。
「ええ失踪。ただの失踪ならそう珍しくは無い、と言ってもそうある事でも無いけど。今度のはねシェロ、神隠しのように忽然と魔術師だけが消えているの」
「神隠し?」
ルヴィアは不思議そうに小首を傾げる俺に、ゆっくりと頷く。
「ここ協会のお膝元である倫敦には多くの魔術師がいるわ。そして魔術師の数だけ研究の種類がある。魔術師がその一生をかけ、それでも足りなければまた一生、子へと孫へと伝える研究が。魔術師は自分の手の届かないものを絶えず欲している。その近道に他人の魔術を奪う者だっているのよ、シェロ」
ルヴィアはそんな盗人のような感情はまったく理解できないと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「それが一番多いし、魔術師同士の私怨もあるわ。それ以外にも聖堂教会との諍い、人外の侵入。でもね、それらには何かしらの痕跡があるのよ」
戦いの痕跡、魔術的な布石、工房の状態……。
ルヴィアは指折り数え、例をすらすらと挙げていく。
「でも今回の失踪は、それらの痕跡は何一つ無かった。この件を探っていた協会の魔術師が消えた場合すらもね」
「…………」
ルヴィアの言葉に俺は、まるで白昼夢のように薄気味悪い何かを感じた。
ルヴィアはいつの間にか腰掛けていた椅子から身を乗り出していたのか、そこで一度息を吐いて背もたれに全体重を任せた。
「……数十年前にも同じような事が在ったらしいわ。でも、その時も結局原因は分からずじまい。ピタリと止まってそれっきり」
射すくめるようにルヴィアは俺を見た。
「――気をつけなさいシェロ、この倫敦で何か起こっているわ。シェロみたいな人はきっと狙われるでしょうから」
いつになく真剣なルヴィアに、俺も真摯にその言葉を受け止めた。
気をつけなければならない。
俺自身が巻き込まれるならまだしも、ここにはルヴィアが、カティがいるのだから。
そう、決めたはずだったんだ。
◇
「エミヤ様」
「ん?」
ルヴィアとの話の次の晩、カティではない他のエーデルフェルトのメイドに声を掛けられて、一枚の手紙を渡された。
「これは?」
「カティからエミヤ様に渡してくれと頼まれたものです」
受け取った手紙は封をされて、特に変わった様子は無い。
強いて挙げるなら、手紙の表面に少しだけ皺が寄っていることぐらいか?
几帳面なカティからすれば、珍しいといえば珍しいのかもしれないけど。
「カティは?」
手紙から一旦視線を外してメイドに問いかける。
「少し出かけてくると申しておりましたが、詳しいことは何も」
「そうか……」
カティと四六時中一緒にいるという訳では無いが、側を離れる時はいつも自主的に用件を告げてから出掛けるのに……。
いや、他のメイドに言付けを頼んだ事は何度かあったけど、今回のは手紙。
ふと気になって俺は尋ねていた。
「カティに何か変わった様子は?」
「そうですね……。カティはあまり顔に出すような子ではありませんし、私からは特にこれといった事は。でも……」
「何かあったのか?」
「何か、というわけではありませんが。手紙を受け取ろうとした時、一度だけ手紙を離さなかったのです」
メイドの言葉を聞いて、手紙に出来た皺に視線を落とする。
手紙の皺はその時出来たものか……強い力で握っていたのか?
「今思えば緊張していたのかしら? くれぐれも一人の時に見てくださいって、カティ言ってましたし。もしかして夜の逢引のお誘いとか?」
きゃーなんて無邪気にはしゃぐメイド。
俺はその様子に苦笑いを浮かべるしかなかった。
まぁ、確かに昨日の一件でまた一つカティと仲良くなったのかもしれないけど、いくらなんでもそんな事はないだろうさ。
「まぁ、とりあえず受け取ったから」
「はっ、いささか取り乱しておりました」
はっと気がついたようにメイドは元に戻り、失礼しましたとペコリ、頭を下げた。
「俺は部屋に戻るよ」
「はい、かしこまりました」
「確かに渡しましたからねー」なんて語尾が踊っている様子に苦笑いを浮かべながらも、俺は部屋へと戻る。
「カティからの手紙、か」
どんな内容なのだろうかと考えながら、皺になっている部分に一度だけ触れて、中の手紙が傷つかないように開封する。
封を開いた中には便箋が一枚だけ。
畳まれていた手紙をゆっくりと開いた。
「え?」
一瞬、そこに書かれていた事が認識できなかった。
俺は回らない頭で、それでも二度三度そこに書かれている文に目を走らせ、ようやく内容を正確に認識した瞬間。
俺は弾かれたように私室のドアを開け放ち、転がるように駆け出していた。
「エ、エミヤ様!?」
一番初めに会ったのは、カティの手紙を俺に渡してくれたメイド。
俺の様子を見て目を白黒させている。
……ちょうど良かった。
「ルヴィアは帰ってきているか?」
「い、いえ。お嬢様はまだ帰ってきておりません。何かあったのですか?」
「ああ、時間が無いんだ。急いでこの手紙をルヴィアに渡してくれ、そうすれば分かる! 急いでくれ、大至急だ!」
「は、はい!」
慌てていてもさすがルヴィアのメイド、すぐさま行動へ移ってくれる。
これならば安心だと思い、俺は背を向けていた。
「エ、エミヤ様は何処へ!?」
「カティの所へ、だ!」
メイドに俺は、背中越しに答えて駆け出していた。
◇
カティがメイドに頼んで俺に渡した手紙の内容は、綺麗な文が並ぶ文章ではなく、まるで落書きのような紙が一枚。
内容は、簡単な地図とカティ・リリエを預かっているという一文だけ。
そこには綺麗で読みやすいカティの文字の面影も無く、文字という文字が波打っていた。
文面には「来てください」とも「助けてください」とも書かれていなくて、ただ何度かペンで消された跡だけ。
それだけが抵抗の印だった。
「くっ!」
目的は分からないが、カティを連れて行ったヤツは俺を指名した。
名の知れたエーデルフェルトのルヴィアではなく、この俺を。
カティ、必ず俺が助け出す、たとえこの身に代えても。
◇
息を切らせて、幽玄の洋館に俺はいた。
見上げるは、ここだけ時が止まったかのような洋館。
俺は一つ息を呑む。
セラも遠坂も言っていた。魔術師の工房は入るものを拒み、入れたとしても決して外には出さないものだと。
だが、そんなことで俺が足を止める理由にはならない。
俺は行く、カティを救い出すために。
一歩洋館の敷地内に足を踏み入れると、空気が、世界が変わった。
外界からの認識遮断の結界、その境目。
そう、ここはもうすでに敵地。
干将・莫耶を投影して周囲に気を配りながら、洋館の入り口を開ける。
魔術でロックされているのだろうかと思った扉は難なく開き、踏み入れた屋敷の中は薄暗く、古い黴の臭いがした。
「っ!」
闇の中、幽鬼のように一人のメイド姿の少女がゆらりと屋敷の奥へと消えていった。
一瞬しかその横顔を見ることは出来なかったけど、あれは確かに……。
そう思った瞬間、俺は駆け出し、カティらしき人が入っていった扉を開け放っていた。
「カティ!」
駆け込んだ部屋は、まるで長い廊下のような部屋。
左右に無貌の人形が均等に並び、その奥に視線を向ける。
立っていたのは初老の男。昨日出会った魔術師の男。
そしてその傍らにカティが控えていた。
「ようこそ、特異な魔術回路を持つ魔術師。そしてさよなら、だ」
甲高い、石を打つ杖の音。炉辺の石を見るような男の視線。
それを認識した瞬間、全身の神経が痺れと共に圧がかかった。
意識が強制的に落とされようとしている。
歯を食いしばり、唇を噛み、それでも意識が今にも飛びそうに。
カツカツと石を打つ杖と足の音が規則正しく近づいてくる。
ここで終わるというのか、こんなにあっさりと。
何も出来ず、何もやらず。
俺は何のためにここにいる?
思い出せ。
この地に来ることになったきっかけ、死徒に蹂躙された人々を、目の前で死んだ子供を。
思い出せ。
遠坂と袂を分かって、イリヤを置いてまで家を出た理由を。
思い出せ。
あの聖杯戦争で英霊エミヤと対峙した時の信念を。
思い出せ。
一を切り捨て、九を救うしか出来なかった親父が、俺に託した理想を。
思い出せ。
あの黒い太陽の下、■■を見捨て、俺だけが生き残ってしまった絶望を。
思い出せ――
反射的に、亀甲の文様浮かぶ干将で空を薙いでいた。
「ほう! 君は私と同種の人間かね」
「……何?」
雰囲気が変わった?
顔を上げると、そこにはまるで語尾が踊るかのように嬉々とした表情があった。
ただ薄く頬から血を流すことを除くなら、それはどんなに深いものだったのだろうか。
気づけば、体にかかる痺れも重圧も無くなっていた。
……どういう事だ?
セラからもらったアミュレットのおかげで多少の抗魔力は上がった。
だがさっきのあれは確かにそれすら抜いていたはず。
この魔術師は俺になんて言った?
「……同種の人間?」
いや、今はそんな疑問を考えている場合じゃない。
目の前に倒すべき男がいるのだから。
俺は思考を切り替えるなり、干将・莫耶を走らせた。
「面白い、実に面白い出会いであるな」
「クッ!」
干将・莫耶が男に届く直前、無貌の人形が二体、両脇からそれぞれ干将・莫耶を受け止めていた。
俺は一歩間合いを外し、再度人形を抜けるべく突撃する。
その間にも初老の魔術師は優雅に石畳を打ち、部屋の奥へと戻っていた。
二対の人形を相手にする中、男は嘲笑う訳でもなく、ただ楽しそうに俺を見ている。
そしてその隣には視線だけがこっちを向いている、感情の見えないカティ。
「ッ! 邪魔だ!」
左手にいた人形を力で押し切り、その間に右手にいた人形を白の莫耶で武器ごと袈裟切りに切り伏せる。
体勢を整えた左手にいた人形が突進してきたが、それを黒の干将で横薙ぎに腹を断ち切った。
断ち切った勢いのまま部屋を駆け抜けようとしたが、そこには十を軽く超える、無貌の人形の集団。
「くそっ!」
無貌の人形の集団は俺に向かってくる訳でもなく、俺と魔術師の間に壁となって立ち塞がる。
俺は足を止めるしかなかった。
「君の名を聞かせてくれないかね? 君のメイドは君の名を教えてはくれなかったのでね」
「貴様、カティに何をした!?」
「ふむ、私はただ意思を乗っ取っているだけで、中を弄った訳ではない。私の得意とする魔術はね、人の肉体を弄る物、そこから派生して相手を乗っ取る魔術。そこに抗魔力なんてものは関係しない。抜け出すのは簡単、そう私の意志を乗り越えればいい、ただそれだけだよ」
君がしたようにね、と片目を瞑り滔々と口を開く魔術師。
「私の妄執と同等か、それ以上なら容易く抜けられる程度のもの。それが他人には難しいみたいだがね」
ふんと、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「私は数年ぶりにこの倫敦に戻ってきてね、しばし材料が足らなかった。何時もの様に材料を集め、協会が動こうとも私には脅威たりえない。そんな中で見つけたのが君だ。今度こそ願いに手が届くかもしれない素材。その君が私と同じように妄執を抱く者だとは。どこの国の言葉だったかな、“エン”と言うものを感じるよ」
さらりと口に乗せるその言葉の中に聞き捨てならない言葉が有った。
「ちょっと待て、素材? 材料? ……まさかそれは人間の事なのか!」
「そんなものは些細な問題でしかない」
俺の怒りすら歯牙にもかけない目の前の魔術師。
干将・莫耶を握る手が無意識的に強まっていく。
「まさか、カティもその材料に使うつもりか?」
「私が欲しいのは君で、このメイドではない。だが、君を手に入れられたならば、このメイドも材料の一つになってもらう事になるがね。態々解放する事も無いだろう」
怒りでぎりぎりと食いしばる歯が鳴る。
それでも頭の片隅では、冷静に状況を見定めるべく思考を回転させていく。
「さて、再度尋ねるとしよう。君の名前は何だね?」
「……衛宮、士郎だ」
突っぱねる事も出来たが、俺は自分の名を口に出す。
「ふむ、エミヤ・シロウ。名がシロウかね?」
「ああ、そうだ」
「シロウ・エミヤ、私と同種の妄執を持つ者よ、君は知っているかね? 人というのは案外折れやすい物という事を。命より大切だと謳い、真の意味で愛する者のために死ねる者はいったいどれだけいるのだろう。自己の願いのために、真の意味で世界を敵にまわせる者はどれだけいるのだろう。さぁ、我が同類、君は分かるかね?」
「………………」
世界を敵に回そうだなんて思わない。
俺の理想は人々を救うこと、世界と敵対することとは交差することの無い矛盾。
それでも俺が世界の敵になる?
そんな事は知ったことじゃない、考えることでもない。
人々を救えるのなら、子供たちが心から笑えるなら、俺はいくらでも世界の敵になれるさ。
この男との問答はどこか鏡を見るようで、まるで俺の中の思いが浮き彫りにされる、そう先鋭化していくような……。
「――君のメイドもなかなかどうして、頑固であったよ」
「……何?」
思考の海に囚われようとした瞬間、男は嬉しそうな声色で口を開いていた。
だがそれは聞き逃す事の出来ない科白。
「カティが、どうかしたのか?」
「主人である君に、自分が引き金となって害が及ぶと認識した瞬間、この娘は躊躇無く死のうとした」
「ッ!」
「安心したまえ、彼女には傷一つ無い。しかし、躊躇無く他人の為に死ねるという事。この娘のそれは、もうすでに献身なんて言葉で括るべきものではない。……その意思の根底にはどんなものが潜んでいるのだろうね。この娘も何処かで歪み、壊れかけている。面白い、実に面白い」
くつくつと低く、男は笑った。
「今でこそ私の管理下に入るが、なかなか完全に掌握できなくてね。君に宛てた手紙を見たと思うが、あれはどうだったかね?」
俺へと宛てられた手紙、そう、まるで落書きのように何度も消された手紙。
「そう、あれは何度書き直した事か。この娘の妄執に抵触する行為は中々うまくいかなくてね。しかし、この娘は決して助けを求めなかった。主人を救うべき最良のものは知らせない事だと知っていたのか。……もしくはそれこそが君の妄執の起点になるのかな?」
「何を、言っている……」
「一つの意志に、理想に殉ずる者、もう行くべき道が固定されてしまった者、振り返る事も戻る事も出来なくなった者、といえば分かるかな?」
男はふむと頷き、一目目を瞑り、まるで俺の奥底を覗き込むように正面から視線を合わせた。
「君の理想は、妄執は届くかね?」
それは最後の確認。
俺の理想、それは「全てを救う、正義の味方」。
理想のためなら世界の敵にすらなれるのだろう。
「そうか、同類かね」
男は俺の思考を読んだかのように一つ、言葉を漏らした。
それは哀れむように、嬉しそうに。
「さあ、道を決めた者がここに出会った。互いの目的は、互いの理想に抵触する、さすれば道は一つ。声高に理想を唱えて、妄執を振りかざし、純然たる意思を角突き合わせようじゃないか。結末もまた一つだ。より狂った殉教者だけが生き残る。答えは何よりも簡単なのだよ」
男は道化の様に謳い、笑った。その言葉は、俺の心の底に触れていた。
だけど、俺は認められない、認めたくない。
「……なんで、なんで一つしか道が無いなんて言える」
「なぜ? 今更そんな言葉は無粋でしかない、分かっているだろうシロウ・エミヤ。私たちには言葉はいらない。君が私の死の象徴というなら打倒してみなさい」
まるで血を吐くかのように口にした俺の言葉を聞く耳持たないと切り捨てる。
男は片目を瞑り、可笑しいとも、可笑しくないともその顔に乗せず。
ただ淡々と、俺を見る。
「さぁ私と同じように壊れた者よ、道を決めてしまった者よ、――君は私の敵たりえるか?」
それは宣言だった。
◇
男がカティを伴ってこの部屋から出て、一呼吸の後、無貌の人形たちが一斉に襲い掛かってきた。
心の中に引っかかった何かの憂さを晴らすべく、無貌の人形を干将・莫耶で薙ぎ払い、投影した剣で串刺しにする。
「ちくしょう、何が――」
食いしばっていた歯から力を抜き、一度だけ深く、深く息を吐く。
「今すべき事はカティを無事に助ける事だ。それだけを考えろ」
やる事を決めたのなら、進むべき道は一つ。
だから俺は奥へと進む扉を開け放つ。
次の部屋は同じような構造の通路。
違う事は、室内が薄暗い事と、微かな明かりの中で何かが蠢いているという事。
先手必勝で剣射撃、追撃に「壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)」。
爆発の閃光で三つの獣の影、いや影の獣の姿が見えて、消えた。
「っ!」
すぐさま奥の扉へと駆け出そうとした瞬間、消したはずの影の獣が空中から染み出るように再び現れて牙をむく。
俺は干将・莫耶で防ぎながらも二、三ステップをして後方へと下がるしかなかった。
再生や、蘇生とは違う。まったく効いていないのか?
「そんな所で梃子摺るのかね、シロウ・エミヤ」
「!?」
どこからともなくあの男の声が聞こえ、周囲に視線を飛ばす。
ここはあの魔術師の工房内部。
アインツベルンの森のようにこちらの様子を見られていても不思議じゃない。
だから驚く事じゃないだろ、衛宮士郎。
「その影の玩具は、以前協会で名の知れた人形遣い、傷物の赤の色を冠された封印指定の魔術師が使っていたものでね」
男が話している間にも獣は俺に襲いかかり、両手に持つ干将・莫耶で斬るが、まるで本物の影のように何もなかったかのように動き続ける。
不死身のはずがない、必ずどこかに秘密があるはずだ。
あの聖杯戦争で化け物としか思えなかったイリヤのバーサーカーにだって死が訪れたのだから。
「この屋敷を警備するにはなかなか重宝してね。タネが割れてしまってはどうって事の無い玩具だよ」
そうタネだ、タネがある。
ただ目を向けるだけでなく視界に映るすべてのものを、その中の奥まで視る。
影の獣、床、天井、左右の壁、すべてを解析し俺は見つけた。
「そこだ!」
確実に仕留めるべく弓を投影して、射る。
陽炎に消えるように、まるで何事もなかったように影の獣は消えていった。
「ほぅ、よく出来た、それが解答だ」
子供が一人で問題を解けたかのように、男は喜びの声色で賞賛の声を上げた。
皮肉にしか聞こえなかったが、その気分に浸る間も無く俺は扉を抜ける。
そこは地下へと抜ける階段。
◇
地下へと続く階段を落ちるように駆け下り、次の部屋の扉を開けた。
地下なのにそこは広い空間、そこに一人の人影。
長い銀髪の女性が部屋の中央に一人、何かを待つように目を瞑って佇んでいた。
髪の色と同じ銀色の甲冑に両手剣、騎士という出で立ち。
まるで聖杯戦争のサーヴァント。
でも、その雰囲気はどこか見知ったものを見ているようで……。
閉じられていた瞳が開いた。
その目は赤、血が固まってくすんでしまった様な赤。
「……リ、ズ?」
いや、あれは違う、印象が、細部が違う。
「魔の領域を超えたといわれるアインツベルンの人形、あれを弄った事があるが、なかなかのモノだ。サンプルとしてはとても興味深いがどうも手が出ないのでね」
知っているかね? アインツベルンの人形。
言われて思うのは冬木にいるであろう、二人のメイド。
決して人形なんかじゃないあの二人。
男の言葉に俺は答える気なんて毛頭無い。
「その様子から知らない事も無い、といった所かね。教えてくれないだろうから後ほど君の脳髄に直接尋ねよう、か」
「ッ!」
引けない理由が、ここにまた一つ出来た。
「話を戻そう。君の前にいる人形はそのアインツベルンのホムンクルス、その劣化コピーとでも思ってくれたまえ。私の目指す方向性と違うとはいえ、それは戦闘人形としてなかなかだと思うのだがね」
男の声に呼応したように白い人形は両手剣を静かに掲げ、十メートル以上あった間合いを一瞬で詰めて来た。
そして振り下ろしの一撃。
間髪入れずに干将・莫耶で受け止めたが、甲高い金属音と火花を撒き散らし、その膂力を受けきれないと理解できた瞬間、俺は即座に左に流す。
受け止める事によって幾分減らしたとはいえ、力任せに振り下ろされた剣は深く石畳に突き刺さった。
「ここで!」
相手が硬直したことを隙と捉え、右手の莫耶が空を走る。
だが俺の考えは甘かった。
床に突き刺さったことを気にする事もなく、床石ごと無理やり横薙ぎに薙ぐ。
何とか干将で受け止められたものの、あっけなく吹き飛ばされて壁に叩きつけられ、一瞬意識が飛ぶ。
なんて力だっ!
一瞬飛んだ意識の中でふと思い出す。
あの聖杯戦争で一度だけリズと共闘した。その膂力はまさにサーヴァント。
衛宮の屋敷に来てからも、およそ人の扱う物じゃない形状と重量のハルバードを、まるで木の棒を振り回すように軽々と扱ってたっけ。
追撃を喰らわない為に、転がるように逃げながらも視線は常に白い人形へ。
叩きつけられた衝撃によって放していたのか、干将を再び投影して思考する。
戦場を見ろ、俺にできる事なんて限られている。
だったら勝てる方法を考えろ。
「投影開始!」
都合九本の斧剣、バーサーカーが使っていた斧剣を白い人形の真上に降らす。
目的はそれで押し潰す訳ではなく、足止め。
さらに相手から距離を取り、刹那の時に弓を投影して、瞬時に螺旋剣ほどの貫通力も破壊力もない、無銘の剣を五本射った。
そして爆破。
普通の人間ならそれだけであっけなく木っ端微塵になるほどの威力。
だけど砂埃が舞う中で、ゆらりと立ち上がる人影。
無傷、という訳でもないが、それでも致命的にはほど遠いという事なのか……。
まだ砂埃が漂う最中、白い人形は不釣り合いな斧剣を片手で軽々と持ち上げた。
まさかと思った時には、瞬く間に間合いを詰めていた白い人形による斧剣の振り下ろし。
「――ッ!」
辛うじて身を躱せたが、まるで空間そのものを刈り取るかの一撃だった。
鼻先を掠める如くの振り下ろしは剣の斬撃とは違い、まるでクレーターのように同心円状に亀裂が走った。
それは触れただけで命を持っていっても可笑しくはない一撃。
あったかもしれないその光景に肝が冷える。
俺の危機感を察したように、白い人形は俺に視線を向けさらに追撃に走る。
追いかけっこが始まった。
さほど広くないその部屋で避け続ける俺と追う白い人形。
さほど長い時間ではないはずなのに、部屋の中は無事な場所を見つけるのが難しいほど蹂躙されていた。
考えろ、考えろ。勝利へと繋がるその道を!
一向に当たらない事に業を煮やしたのか、白い人形による殊更大振りの大剣による横薙ぎ。
だから俺は大剣が通ったその後に右手の莫耶による刺突を合わせた。
だがそこに待つのは触れるだけで命を狩る斧剣の出番。
突き出した莫耶ごと押し潰さんとばかりの斧剣が迫る。それは完全に予想した一撃。
振り下ろす斧剣は俺が投影した物。
だから斧剣の振り下ろしに合わせ刃同士が触れる瞬間、斧剣の投影を消した!
「!?」
絶妙のタイミング。
一切の感情を見せなかった人形の顔に驚愕の色が浮かび、確実にとったと思った。
――だが人形の反応速度は俺の予測の上を行った。
薙いでいた大剣を手放した右腕で、体に突き刺さろうとした莫耶の刺突を庇ったのだ。
一瞬悪態をつきそうになるのを抑え、畳み掛けるように干将の追撃。
それでも人形は俺の上を行く。
「ッ!」
激痛が走り、嫌な音が走った。
斧剣を持っていた人形の左手が、干将を持った俺の左手首を握り締めていた。
干将が床に落下して、甲高い金属音があたりに響いた。
莫耶は人形の右腕に突き刺さったまま動かず、俺の左腕も人形に掴まれたまま。
俺の両手も相手の両手も互いに拘束され、硬直状態となった。
そのまま行けばこの硬直は圧倒的な力の差に僅かな時間も置かず、俺の左腕が粉砕されて瓦解するのは分かっていた。
そう、このままいけば、だ。
――これで、詰みだ。
白の人形が後ろから押されたように一度たたらを踏み、不思議そうに自分の背後を見た。
「――?」
何が起こったのか分からないといった表情を浮かべ、ずるりと俺に向かって倒れこんできた。
その背中には亀甲紋の干将が、初めの攻防の時に手放していた干将が突き立てられていた。
その干将は、本当に最後の最後の布石。
綱渡りのような攻防だったけど勝利の余韻なんてない。
俺は喉に苦いものを感じながら痛む体を引きずって、ただカティの元に。
◇
「待っていたよ。あれを倒すとはね」
扉を開けた先には、男とカティ、そしてその最奥に座る一人の女性。
ここが工房の最奥か。
ふと嫌な気配を感じで真上を見上げた。
其処にあったのは黒い闇の塊。まるでタールか何かが集まった形代。
「君がそうであるように。私の道は一つ、もう戻る事の無い道なのだよ」
カティを目の前にして気が抜けた訳ではなかったはずだ。
しまった、と思った頃にはもう遅かった。
黒いヘドロのように、粘度の高いそれが俺に覆いかぶさった。
「君は、ここで終わるのかい?」
その声色は、いままで男が声を出してきた中で一番感情の色の無い台詞だったような気がすると、頭の片隅で感じた。
「君は可能性だよ。そう、可能性」
「何を?」
俺を溶かそうというのか。
じくじくと痛みを伴って、黒い液体は俺の体を飲み込んでいく。
液体のはずなのにその中ではまるで鎖で拘束されていくように身動きが取れない。
「君はまだ未熟だ。そう、未だに折り返せる位置に留まっている」
まるで舞台の一幕のように、男は滔々と声を張り上げる。
「何を、言っている?」
「その位置でなお、世界を敵に回せる。そう、たとえ敵わなくても躊躇無く回すだろう」
男は、ははっと腹の底から笑い声を出し、俺を飲み込むように気配を濃くしていく。
「それがいずれ、世界を敵に回し、その世界すら打倒してみせるだろう!」
俺に何かを喋らせたいのか、飲み込まれていく体で、頭だけがまだ覆われていない。
「…………」
それでも俺は語る言葉は無かった。
瞬間、反転するかのように激情を吐き出していた男の気配が凪いだ。
「……君の心に巣食う願いは何か?」
俺はその問いには答えなければならないと理由無く思った。
だから口にする、俺の理想を。
「すべての人を救いたい。指先から零れ落ちていくはずの、救われない人を……」
それが俺の始まり。
衛宮士郎が衛宮士郎として形作っている思い。
俺の理想を聞いた男は、馬鹿にする訳でもなく、ただ静かに声を漏らし頷いた。
「君は劇物だ」
徐々に首から上を侵食し始めていく。
「君は、君自身は決して救われる事は無く、君を慕う者すら不幸にする」
「そんなこと、分かるか!」
「矛盾を含んだそれは、君に引く事を選択させず、勝ち続けていくとしても。それは絶えず君に敗北を振舞う」
俺の言葉をまるで聞かず、淡々と男は喋り続けていた。
「その先には何も無い」
まだ侵されて無い視界から見えたのは、杖に手を置き見下ろす静かな男の顔。
「分かるかね?」
男の横で佇むカティが視界に入った。
空虚にただ空を見るカティ。
俺は救う、何があってもカティを救う。
遠い昔に俺のあり方は決まったんだ。
あの聖杯戦争でアーチャーと向き合ってさらにその思いを強くした。
俺は救うためにここにいるのだから!
「そんなの、分かるかよ!」
投影開始(トレース・オン)――
――I am the bone of my sword.
「――――ッ!」
背後に螺旋剣を投影し至近距離で爆発させ、俺ごと焼いた。
「君はやはり、止まれんか」
広がる激痛と肉を焼く嫌な臭い。
それでも俺は前を向く。
「生き汚い、本当に生き汚いな」
凪いでいた男はそれをやめ、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑い始めた。
まだ体に残った黒いヘドロのような液体を振り払い、俺は男を睨む。
硬直していた俺と男の時間は急激に加速していく。
「やれ」
男の短い言葉に反応してカティが走り、顔と顔が触れるような目の前で急に止まった。
「どうかしたのかね? 早く刺しなさい」
カティの腰だめに構えたままの短剣が、俺の脇腹に触れるか触れないかの位置で、小刻みに震えていた。
「……カティ」
それは確かにカティの中でひしめき合う意思の証明だった。
そっと背中を押すように、俺は優しくカティの名を呼んだ。
カティの瞳に意思が浮かび上がり、短剣を持った腕が力なく下がった。
「……エ、エミヤ様?」
「ああ、そうだ」
カティはぼやけていた視線をゆっくりと俺の顔に合わせ、安心させるように俺は首肯した。
でも、俺の言葉は届かなかったのかカティの肩が揺れ、一歩二歩と俺から離れるように下がった。
「私は、今、何をしようとした――」
「カティ!」
いけないと思った瞬間、俺はカティが自分自身に突き立てようとした短剣の刀身を掴んで止めていた。
「あ、ああ……」
俺の腕を伝って赤い血が床に零れ落ちる。
短剣の能力なのか、刃に触れている手のひらから俺の魔力と体力が湯水のごとく流れ落ちていく。
それでも俺は言わなければならない言葉があった。
「カティ、自身を、粗末に扱わないでくれ。俺はカティが、居なくなるほうが、辛いんだ」
「ッ!」
体を支えられなくなって、俺は膝を折る。
「エ、エミヤ様!」
カティは短剣を投げ出し、俺を支えようと近づく。
溶かされたように服を、肌を蝕み、全身から血が流れ、そしてその上から焼かれた肌。
「あ、ああ、ああっ!」
耐え切れなかったのか、ブレーカーが落ちるようにカティの意識が落ちた。
床に無防備に倒れそうになるのを右腕で支え、ゆっくりと床に横にする。
「人というものは、面白い。本当に本当に面白いものだな」
「何が! 何が面白いって言うんだっ!」
痛々しいカティの悲鳴が耳から離れない。
「ここに来てこの娘は私の呪縛を解いた。予想外とはいえ、とても面白いものが見れた」
敵だ、目の前にいるものは、確実に俺の敵だった。
「私は君の侵してはならない領域に足を踏み入れただろう。さぁここからは言葉は要らない」
「……ああ」
あの言峰がそうだったように、止まらない、止まれない人種。
もうこの先に言葉なんて不要だった。
カティが握らせられていた短剣の力か、もう魔力も体力も朽ちかけていた。
それでも俺は進まなければならない。
男の左半身が解けるように黒の液体に変わり、飛び掛かってくる。
俺は振り払うように右手の莫耶で迎撃するが、そのまま右腕から俺を溶かそうと、行動を止めようと侵食してくる。
――それでも構わない。
崩れ落ちそうになる膝を、歯を食いしばって踏み込み、刹那の時、男と視線を交わし、壊れかけの左手を突き出した。
「ほう、君は私の上を行くか。いや、もう私はすでに――」
一瞬、その場にいた者の時間が止まった。
握りも甘く、弾かれても可笑しくなかった干将が男の背中を貫いていた。
それは呆気ないほど簡単に。
男は倒れ、流れ出る命のまま、どこか安堵したように、どこか寂しそうに。
一瞬だけ男の表情が、あの聖杯戦争で対峙したアーチャー、対峙した後のどこか清々しかったアーチャーの顔に重なる。
そして最後に未だ椅子に腰掛けたまま、微動だにしない女性の方へと向いた。
「すまんな、先に……」
それが本当に本当の最後の言葉。
年月が経って摩耗してしまった男の言葉。
願いは願いのまま、叶えられる事も無く、男は絶命した。
「……っく」
男の死に顔は、泣いているようで、安堵しているようで……。
ふと空気が動く気配を感じて顔を上げる。
今まで何があってもただ椅子に腰掛けていた女性が立ち上がり、男の片方しかない左腕を静かに自分の手で包み込んだ。
「逝きましたか……」
気配が薄く、まるで幽玄のようなイメージを浮かび上がらせるそんな女性。
「……あんたは? もしかしてカティと同じように――」
「――黙りなさい」
「ッ!」
あの魔術師に誘拐されたんじゃ、と続けようとしたけど、それは絶対零度の言葉によって黙らざるを得なかった。
……前言を撤回する。彼女は決して幽玄のような存在じゃない。
きっと燃えるような魂を持っているのかもしれない。
それなのに気がつけばまた、気配が薄くなっていた。
「私は彼によって作られた存在。一番願いに近く、そして手の届かなかった存在」
願い、か。
「……願いというのは何だったのか聞いてもいい、のか?」
ここまでして、もう骸になった男が目指した願い。
俺はそれを聞きたかった。
「ええ、貴方には聞く権利がある。いえ、聞きなさい」
彼女の言葉に是非も無く、俺は頷く。
「彼は一人の女性を生き返らせたかった。ただそれが願い」
「死者蘇生だって?」
「はい」
平然と答える彼女に、俺は怪訝そうに眉をひそめた。
死者蘇生。
それは幾多の魔法が魔術に堕ちた今でなお、魔法として存在するもの。
「彼は汎用的なものは求めなかった。一人だけ生き返らせられれば良かった。彼には魂の構成情報を複製する事が出来た。その構成情報を元に肉体を復元させるために幾多の事を学び、人形遣いと呼ばれるほどの業まで昇りつめ、そして成功を願い、実験を行った」
魂の構成情報の複製? 魔術の知識が余り深くない俺でも、それがどれだけすごい事なのかおぼろげながらも分かる。
だが俺の驚きなんて構う事無く、目の前の女性は淡々と言葉を続けて、事も無げに言い放った。
「結果、出来たのが私」
話を聞いていてある程度予想は出来たが、俺は何も言う事が出来なかった。
「私は彼の望むように演じる事は出来た。だけどそれは私の魂が許さなかった」
魂が許さなかった、か。
「その事を話したら、彼は一度驚いた表情をして、『そうか』と頷いて、哀しそうに笑っていました……」
「…………彼はどうして」
「数多くの事は聞きませんでしたが、彼は死んでいた。息をして心臓が確かに脈打っていても死人でした。何故そうなったかなんてわかりません。それを彼女が、私の元となった女性が無理やり屍の状態から引きずり出して、無理やり生を与えた。……そうですね、なんと言うのでしょう、きっと彼は彼女に救われて、空っぽだった心が彼女で満たされた。その彼女の為に生きて、生きて、彼女が死んでしまっても彼は生きて、死ねなかった。彼は今、息を引き取った」
今すとんと、心にはまった。
ああそうか、彼もまた俺と同じなのか。
同類。彼は何度と無く俺を指してそう言っていた。
あの男が言っていたのは思いへの強さだったのかもしれないけど、そう、確かに俺たちは同類だ。
「彼は楽しそうでした」
「……楽しそうだった?」
「はい」
怪訝そうにする俺に、目の前の人は薄く微笑んだ。
「私が彼に作られてから。彼女の魂の複製から作られた私が失敗作だと分かってから、彼は新たな可能性を追い求めた。まるで強迫観念に駆られるように。それから五十年余、彼は一度として笑う事は無かった。それが……」
「…………」
「私は元にされた女性ではないですし、彼の心の内を知っている訳でもありません。ですが、私は礼を言います。『彼を殺してくれてありがとう』と」
俺はその言葉に素直に頷く事は出来なかった。
男は結局願いは願いのまま、決して届く事は無く逝った。
俺が殺し、俺が食いつぶしたのだ。
「っく!」
彼女は俺を一度だけ哀れむように見た後、瞳に意志を込め、すっと目を合わせた。
それは決して逃げてはいけないと思わせる思い。
「一つ聞きたい。貴方はこれからも願いの為に進むのですか?」
「ああ、無論。俺はその為にいるのだから」
確かに絡み付くものは有る。
だが俺は止まることは許されない。
だから淀むことなく言い切った。
「よろしい、これで説明は果たせた。ではさようなら、これから永劫戦い続ける人」
「え?」
俺は彼女の言葉の意味が分からなかった。
ただ無表情に淡々と言葉を紡いだと思ったら、右手を大きく掲げた。
それの意味するものは――
「や、やめろっ!」
俺の制止の声をまるで無かったように、一度だけ微笑み。
振り上げた右腕で自分の心の臓を貫いていた。
「……どうして。何でだよ」
「私は、彼がいなくては、存在する意味が無いもの。だから……去るだけです」
「もう、いい、喋らないでくれ……」
駆け寄ってすぐさま抱き起こしたが、もうすでに遅い。
急激に零れ落ちている生命を繋ぎ止めることなんて出来ない。
「あなたには次の戦いが待っています」
命の最後の一滴で紡いだ言葉。
ただそれだけははっきりと残して、彼女は止まってしまった。
その言葉はまるで呪いのように、俺自身へと染み込んでいった。
◇
「シェロ!」
指に宝石を挟み、臨戦態勢のまま転がるようにルヴィアが駆け込んできた。
でも、目の前に広がった光景に息を呑み、それ以上は何も口にしなかった。
ここはある魔術師の工房の最奥。
ここには名も言わぬ女性と男の骸、静かに眠るカティ、そして赤く濡れた干将・莫耶を持つ俺だけがいた。
◇
人の気配がまったくしない、あの魔術師の屋敷を、俺とルヴィアはただ眺めていた。
あの後ルヴィアにカティの無事を確認してもらい、ここであった事のあらましを話して協会に報告された。
協会の人間が来る前に屋敷の人間がカティを迎えに来て、怪我を負った俺も同行するように言われたが、俺は頑なにそれを拒んだ。
だけどルヴィアに無理やり寝かされたのか、気が付いたら屋敷の私室で横になっていた。
後日、ルヴィアから事の顛末を聞かされた。
詳細に工房内を調べた結果、あの男が魔術師失踪の犯人と確定した。
一方の俺の方はエーデルフェルトの人間としてあまり深く追及を受けることは無かったけど。
そして身寄りも帰る故郷も無いあの魔術師の工房は、協会が接収することになったらしい。
今はもう何も無いあの屋敷。
願いのために走り続けたあの男も。
人形のようでいて、それなのにまるで燃えるような魂を持った女性も。
もう誰もここにはいない。
「帰ろうか……」
「もういいですの?」
「ああ、もういいんだ」
ルヴィアの言葉に、俺は自分を納得させるように頷く。
「ルヴィア、俺は行くよ」
それはこの倫敦を去るという意味。
そしてルヴィアも何か予感していたのか、ただ「……そう」と小さく漏らすだけだった。
◇
事件があった一週間後の早朝。俺はルヴィアの屋敷を見据えて立っていた。
「本当に行ってしまうのね、シェロ」
「骨のある若者で、私の後継にお嬢様の側にと考えていたのだがね」
目の前にいるのはルヴィアとマーカス。
「それでも俺は何時までも止まっているわけにはいかないからさ」
「まぁ、シェロですからね」
どこか呆れたように溜息をつくルヴィアに、俺は苦笑いするしかなかった。
それから二言三言言葉を交わして、俺は最後の別れを切り出そうとした。
だけど口を開く前に、凛とした声が俺の耳に届いた。
「――私もついて行きます」
声がした先に視線を移すと。
大きな鞄に、いつものメイド服ではない外套を纏った私服。
そう、それは明らかに旅装の姿のカティがいた。
「……ついて行くって」
「一緒に行くと申し上げております」
カティの頑なな様子に、ルヴィアに視線で救援を求めた。
だけど……。
「カティは一時的に私が預かっていただけですから。カティが進むべき道を見つけたのなら、私は送り出すだけですわよ、シェロ?」
ふふんと不敵に笑ってカティに味方するルヴィア。
次にマーカスさんへと視線を移した。でも……。
「よいかカティ、エーデルフェルトのメイドでもあることをいかなる時でも忘れてはならんぞ」
「はい、執事長」
マーカスさんもか……。
俺に味方はいない。俺自身が説得しなければならなくなった。
「あのな、カティ。俺に関わると危険だ。今回の件だって俺がいなければカティはあんな怖い目には遭わなかったんだから。それに……」
「シロウ様」
「っ!」
今まですっと「エミヤ」と呼んでいたのに、不意打ちのように名前を呼ばれて。
俺は思わず説得の言葉を止めてしまった。
「大丈夫です。シロウ様は私に言ってくださいました。私が傷つくのが何よりも嫌だと。それに私にはシロウ様みたいに前線に立って戦う事なんてできません。後方支援か身の回りの世話だけですから」
「それでもっ、俺が行く場所は絶えず危険なんだ。だから――」
「――それがどうかしましたか?」
カティは続く「連れてはいけない」という言葉をまるで切り捨てるような一言だった。
俺の言葉を遮ったカティは、俺と真っ直ぐ視線を合わせた。
その瞳には鬼気迫るものがあって、俺は言葉を止めるしかなかった。
「私の主はシロウ様ただ一人。主人が死地へ行こうというなら、私も死地へ。地獄へ行こうというなら私も地獄へ。たとえそれが世界の終わりだろうとも私は付いていきます」
「…………」
「シェロ、カティを連れてお行きなさい」
「ルヴィア?」
さっきの茶化すような物言いとは少し違い、どこか真剣みを帯びた声色に、俺は怪訝な表情を向ける。
「エーデルフェルトは誰が呼んだか傭兵貴族と呼ばれていましてね。戦場の情報なんかも広く集めているわ、裏も表も含めてね。シェロにはそのエーデルフェルトの情報網を好きに使ってくれて構いませんわ。一緒についていく事の出来ない私からの餞別」
「ああ、助か――」
「――でもね、殆ど顔も名も知られていないシェロにはその情報を引き出すのは無理。だからカティを連れて行きなさい。カティはこれまでずっと私付きのメイドとしていたのだから名も顔も広い。私が命じればきっとカティには情報が行き渡るわ」
「…………」
「それにね。もしここでカティを置いて行っても、カティはきっとシェロを追いかけるわ、一人でもね。シェロが駆け抜けるのはきっと戦場、私とシェロが出会ったような戦場。そんな所にカティを一人迷わせる事になるわよ。シェロはそれでいいのかしら?」
「いい訳、無いだろっ!」
「なら連れてお行きなさい」
「む……」
俺はルヴィアから視線を外して、カティと視線を合わせた。
「…………」
「…………」
「……カティ、俺が行く道は。裏切られて、捨てられて、その果てに誰かが笑っていられるのならそれでもいいと思っている」
「…………」
アーチャーもそう思っていたはずだ。
あの聖杯戦争で流れ込んできた英霊エミヤの記憶。
それを一瞬だけ目を瞑って思い、そして目を開いて真っ直ぐカティを見つめる。
「きっと俺の果てには何も無い、それでもカティは俺に付いてくるのか?」
「…………」
「…………」
「……シロウ様」
「うん?」
俺は静かにカティの言葉を待つ。
「……それでも、そこにはシロウ様がいらっしゃるじゃないですか」
「――――っ」
それは俺がまったく思ってもいなかった一言。
「私は言いました。死地だろうと、地獄だろうと、世界の終わりだろうと付いて行きますって。――もう一度、いえ何度でも言います。私はシロウ様について行きますと」
カティの信念の強さに、俺はもう説得するだけの言葉を持っていなかった。
「シェロの、負けね」
「……ああ」
俺の雰囲気を感じ取ったのか、ルヴィアが微笑むように勝敗を下し、俺は重く頷くしかなかった。
「それでは、私が付いて行ってもよろしいのですね!」
「ああ。だけど、これだけは約束してくれ。カティが命の危険を感じたら真っ先に逃げてくれ。俺の事なんて構わずに」
「わかりました。ですが私の身に危険が及ばない範囲でなら、シロウ様を助ける事をお許しください」
「……わかった。だけどカティが危険にならないというのが前提条件だからな」
「はいっ!」
心からの笑顔を浮かべるカティを目の前にして、俺は本当にカティを同行させていいのか迷っていた。
確かにカティがいれば旅は楽になる。
それでも俺が感じるその答えは、きっと出ないんだろう。
「お嬢様、カティとエミヤがいなくなって寂しくなりますな」
「そうね。でもどこへ行ったとしてもカティは私のメイドで、シェロは私の執事なのですから」
む、ルヴィア。それさっき言った事と違わないのか?
俺が不満そうに思っている横で、カティはクスクスと笑いながら「はい」と頷いていた。
「それに偶には倫敦に帰っていらっしゃい。二人とも私の優秀な助手なのですから」
「その時は寄らせてもらうさ。じゃあ、またなルヴィア」
「ええ、シェロも」
「お嬢様、それでは」
「カティもがんばりなさい」
俺とカティは二人に最後の別れの言葉を交わし、背を向けて歩き出す。
ルヴィアたちを振り返ることも無く、寄り添うようにして。
これから何が待っているかなんて分からない。
それでも決して足を止めないようにと。