理想を胸に駆け続けたのにエミヤと言う名が一人歩きして、俺の思いとは裏腹に何時しか最悪の魔術師殺しと同義になっていた。それでも人が救えるならと俺は構わなかった。
それは移動の合間にふと訪れた城郭都市。歪んだ結界が街を包み、何時か見た全てを溶かして喰らう結界と同じようで何処か違うもの。俺とカティは街中の入り口を何度か行き来して調べ、直ぐに、城郭都市から少し離れた小高い丘に陣取る事を決定した。
カティは後方支援、俺は内側へ調査をと話を進めている瞬間それは起こった。
「シロウ様!」
「くそ! 発動したか!」
禍々しい魔力の顕現。そこだけ世界が切り取られたかのように暗転して魔力の渦が世界を侵す。距離を置いたこの場ですら肌がチリチリとするというのに中ではいったいどれほどと言うのだ。
「カティ、そこから全体の状況報告を頼む!」
「シロウ様、何があるか分かりません、くれぐれもお気をつけて」
「ああ、カティも」
会話をする間にも手慣れた仕草でインカムを受け取り、駆け出しながらそれを装着する。
碌な準備も出来ていない状況だったが、俺はこの場に遭遇できた。この城郭都市に立ち寄ったのは本当に気まぐれ、少しだけ時間が空き、少し足を伸ばしてみただけそれなのに……。まるで何かに導かれるように俺はここにいた。
「今はそんな事を考えている暇は無い!」
俺は頭を振って雑念を消し去る、目の前には城郭都市の城門が微かに見えていた。
『シロウ様、城郭内部の説明を』
「頼む」
『はい。都市の中心には教会と思われる大きな礼拝堂があり、門からの大通りは全てその教会へと続いています。ですが大通り以外の道は増築を重ねられてきたせいでしょうか、全てが全て細々と入り組んで、ここからでは詳細は分かりかねます。これだけ大掛かりな儀式ですから、町の中心、礼拝堂が術式の核でしょう。それに城壁の数箇所も結界の基点となっていると――私が爆破しましょうか?』
「いや、最悪俺が砲撃で落とす」
『分かりました』
カティの報告に耳を傾けている間にも、城門がはっきりと見えてきた。さっき訪れた時には開かれていたはずの門は、今では硬く閉ざされ、別個に何か魔術的に塞がれていた。
止まる時間も惜しい。
「今から突入する」
『はい』
投影するのは弓と、貫き通す矢。
「――“偽・螺旋剣”」
どれだけ強固な魔術だろうと、それを上回る神秘を持つ宝具によって貫き、俺は速度そのままに中へと進入した。
「今、入った。カティ、聞こえているか?」
『はい、大丈夫ですシロウ様』
爆破した粉塵で視界が遮られるが、カティとの通信は途絶える事は無かったようだ。
「内部の異変は確認できるか?」
『それが――』
カティが口を開くより早く、風によって視界が開けた。
「なっ!」
そこは正常で、正しく異常の地だった。
誰も俺を理解いや、認識できていない。城門が爆破されたのに誰一人として関心を払わずに、正常に生活と言う人の営みを続けている。
「……何だ、これは」
建物が、風に吹かれる砂山のように消え去って、人が裏返るように黒い影へと変貌する。日があるのに暗い、まるで井戸の底のように闇が溜まっていく。それを誰も彼もが認識していない。笑顔を交わしながら話す隣人が、手を握っている子供が、見る影も無い異物に変わろうと、誰一人、誰一人として……。
無意識に手を伸ばしたが指の隙間から流れて消えた。
『……シロウ様、行動を』
冷静なカティの言葉が、止まろうとしていた俺を動かす。
「……ああ、そうだな。俺が動かなければならない。すまない、カティ」
『いえ、それが私の務めですから』
飛ぶように速く、ただ俺は道を駆ける。
大通りを駆け抜ける両脇は、直ぐにでも手を出して異変を取り除きたい。それだと言うのに、まるでこの街全てが、俺を外に置いてただ零れていく。
だが、外縁はまだましだったのだ。道を行けば行くほど状況は悪化し続けそれは現れた。
『シロウ様。中心部はすでに一面が――』
インカムから絶えず流れるカティからの状況報告。
それはまるで底、黒い黒い海、それは抽出された膿のように溜まる澱。
「…………ぁ」
眩暈を覚えるような強い既視感。
喉が震えた。
感じたソレに飲み込まれないように歯を食いしばる。
「……カティ、今すぐ逃げろ。身一つで速やかに出来るだけ遠くに」
『!? シロウ様それはどういう――』
「いいから、早く! 時間が無い」
視界に広がる黒い澱。そこに蠢く何か。
これは危険だ。危険なものだ。
かつて聖杯戦争で流れ込んできたアーチャーの記憶、その中でも一番暗く禍々しい守護者としての記憶。その記憶の断片が俺に絶え間ない警告を与え続ける。それは霊長を滅ぼし得る原因。このまま行けば確実に召喚される。守護者と言う名の殺戮者が。
そう思った時には俺は強い何かに突き動かされるように螺旋剣を投影していた。進むべき道は開かなければならない。早くしなければと焦燥が俺を炙り、力技で黒い波を吹き飛ばして、俺は礼拝堂へと転がり込んだ。
静謐とした空間に俺の立てた音が響く中、俺は素早く視線を走らせて状況を確認する。
礼拝堂の椅子は粗方取り払われその中心には今尚起動している魔方陣が、そしてその上に三人の魔術師。
「ようこそ私の世界へ、闖入者。歓迎するよ」
「な、に?」
一瞬眩暈のような感覚と共に、この街に侵入してから感じていた違和感が消えた。
「何をした?」
「この世界に君は認識されたのだよ」
認識、この男は俺に言った。それは傍観者でしかなかった俺がこの空間に喰われるかもしれないという事、そして同時にこの空間で活動できるようになるという事だ。
「言え! どうすればこの惨状を収められるッ!」
「ただの魔術師風情が止められるとは、傲慢と思え」
男は話す。ただ単純な死を何百と揃えても意味は無い、第二要素たる魂を糧に第三要素たる精神を犯す。全てが裏返り、情報を糧に循環を繰り返し、やがて到達への足がかりとなるだろう。そして始まりに還るのだ、と。
男は尚も語る。問題は魂を取り込もうとする方法だ。それはまるで癌細胞のように増殖を続け、絶えず肥大化をしていく。この城郭都市を囲んだ塀が隔離世の機能を起こしているが、それも何時まで持つか、と。
「言ってみればここは強固な結界なのだよ。擬似的な固有結界と言い換えても遜色は無い程の異界」
「心象世界の具現、と言うよりは蒐集した情報を展開しているという意味に近いかも知れない。どちらにせよ世界を作っているのに変わりない」
「今更私達を殺しても無駄。もう終着へとただ走るしかないのだ」
最後の余興とばかりに三対の瞳が俺を射る。もう問答している間もない、カティは言った行動しろと。だから止まるまもなく俺は動かなくてはならない。
「さぁ、まもなく穴が開くぞ。私は到るのだ」
終わる世界を歓迎するように魔方陣の中心にいた男は両手を開き、この世界に溶けていった。
二人の魔術師はその事に一瞬驚いた顔を浮かべたが、次の瞬間自分が世界へと溶けるのを待つように、この狂った世界を見て楽しそうに笑った。
「何が到るだ。穴が開けばやってくるのはただの滅びだぞ」
「貴様も魔術師というのなら、この場所、この時に立ち会えた事を喜びなさい」
「……俺をお前達と一緒にするな」
俺の否定の言葉に臆病者とでも言いたげな嘲笑が投げかけられた。
もう時間が無い、俺にやれる事は何だ?
男は言った、ここは作り出された世界だと。ならそれを否定するだけだ、衛宮士郎にだけ許された方法で。
――俺にやれるか? いや、しなければならない。
――イリヤ、俺に力を。
「ここがお前達の世界だと言うのなら、俺がその世界を全て塗り替えてやる」
始まりはいつもその言葉。何百何千と唱え、血肉にまで染み込んだ俺だけの呪文を紡ぐ。
自身の体を剣と定義し、内に広がる心象風景を魔力に乗せて世界へと叩きつける。
人間にとっての大禁呪、一つの幻想が今ここに顕現する。
俺の意志を体現する炎が走り、敵の作り上げた忌まわしい異界を真っ向から喰らい尽くし、塗り潰していった。
「馬鹿な、世界の侵食だと!? これは固有結界!」
「貴様は何だ!」
闇を感じさせる怨嗟と好奇の視線。そんなものに俺は気を払う事は無かった。やるべきことは一つ、ただそれを成すだけだ。
荒野に突き立った何千、何万という俺の内包する剣が浮かび上がり、俺の意を汲むようにただ敵だけを正確に貫いて行く。
一突きで足りなければ二突きで、二突きで足りなければ三突きで、全てを食らおうとする者を屠っていく。
だがそれでも足りない。俺の広げる手から零れ落ちていくように、残る人が端から変貌を遂げる。建物が歴史を食われるかのように消え去っていく。
「ッ! 頼む、間に合ってくれ」
無限の剣製の展開が格段に軽く、考えられないほど長く広く展開していたがそんなものは関係なかった。零れ落ちる、救おうとして救えない、ただそれだけが重く圧し掛かる。
どれだけの時間そうしていたのだろう、気がつけば全て消え去っていた。
残ったのはまっさらな荒野と、突き立った無数の剣、この実験を手伝っていた二人の魔術師と無様な俺だけ。
膝から崩れる。そんな俺に背後から罵声がとんだ。
「そうか、貴様が世界か!」
「お前は繋がっているというのか……」
「貴様が要れば今度こそ――」
残った二人の魔術師が俺に手を伸ばす、それを俺はどこか遠くの出来事のように見ていた。
――ボッ
何も無い地面に穴が穿たれる、続けざまに二度三度、それはカティからの警告を込めた狙撃。
「協会が貴様のような人間を見逃すと思う――」
刹那、俺へと手を伸ばしていた魔術師の耳が削られ、肉片と血が弾け飛んだ。
「カティ」
『…………』
俺は制止の意味を込めてカティの名を静かに呼ぶ。インカムの向こうからは無言の怒りが俺に伝わってひとまず止まってくれた。それでも今すぐこの二人を遠ざけないと今度はその頭が吹き飛ぶかもしれない。
そう思った瞬間口を開いていた。
「……今すぐ立ち去り、自分の工房へ篭って身を守れ」
「貴様何を!」
「俺の名はエミヤ、この名に聞き覚えは無いか?」
怒りで赤くした顔が次の瞬間、青く染まっていた。
「き、貴様が魔術師殺しだというのか!」
感情をまったく乗せない瞳で二人の魔術師を見る。
俺の視線にこの魔術師達は好奇と悔しさと恐怖を合い混ぜにした感情を宿し、背を向けて逃げるように俺の元から離れていった。
らしくない脅し。矛盾を孕んだ理想の末に恐怖を意味するようになったエミヤの名前。
ああ、俺は何て無力、また救えなかったというのか……。
俺は悔恨を抱き、力なく顔から地面へと崩れ落ちた。
『ッ! シロウ様、今すぐ駆けつけます!』
インカムから聞こえてくるカティの声が遠い。
どれだけ意識を失っていたのだろう。目が覚めた時には朝焼けの中、カティの膝枕の上だった。
「大丈夫ですか、シロウ様」
「ああ、もう大丈夫だ」
俺は体を起こし荒野を見る。
無数の剣が日の光を浴びて煌く。無数の剣はまるでこの地で亡くなった人たちの墓標のようで……。
「……カティ、行こうか」
「…………はい、シロウ様」
俺は立ち上がり、剣の丘に背を向け、そして全ての剣の投影を解く。
投影を崩す音は葬列の鐘のように何も無い荒野に鳴り響く。
今回、俺は確かに世界と繋がっていた。それは抑止力が働きその結果俺に力を貸しただけなのか、それとも俺という存在が世界に目を付けられたからなのか……いや、どちらでもかまわない。俺はただ理想を胸に、俺の道を行くだけだ。
この件があってから数日後、エミヤシロウに魔術協会から封印指定が下った。
協会から封印指定を受けてもやる事は変わらない、いつも以上に警戒を強めるだけだ。
「シロウ様もう無理です! この段階まで来てはもう救える手立てはありません!」
「だけど!」
異形へと変質した少女を目の前に、俺は迷っていた。
とある部族の集落に立ち寄った時、それは起こった。
病人の家族が、藁にも縋るような思いだったのか。ただ立ち寄っただけの俺たちに家族を見てくれと懇願されて一つのテントへと足を踏み入れたのが切欠。その時には既に変質を始めて、俺とカティが刺激となったのか、完全に変貌してしまった。
元は可愛らしい少女だったのだろう。体のいたる箇所が変質して、残るのは綺麗な蜂蜜色の髪だけ。
「シロウ様、悪魔憑きです!」
家人は家族の異形への変貌に悲鳴を上げて気を失った。カティが素早く家人を介抱して距離を取る。
悪魔憑き、シエルさんから話には聞いた事があったが出会うのは初めてだ。人間ではない何かが取り憑き、内面から崩壊させるものだと。そして成ってしまったが最後、最早焼却するしか術はないとも。
「カティ!」
「分かりました」
カティは名を呼ぶだけでテントを飛び出し、行動をしてくれた。意味する所は家人の安全と他の住民を遠ざける事。
そう広くはないテントの中では、立ち回る事も出来ず、何より家人を危険に晒す。それにカティが事を終えるまで時間を稼がなければならない。
少女は俺という存在を認識したのか、声にならない声を上げて威嚇する。無闇にこの少女を傷つける訳にはいかないが、いつでも動けるように間合いをじりじりと調整していく。
一際大きな唸りと共に少女が俺へと迫ってくる。走り抜けるスピードは俺の予想を遥かに上回り、気がついたときには頬に三条の傷が走っていた。
立ち位置が変わり、少女の後ろはテントの出口。この少女を外に出す訳にはいかない、今度はこちらの番だ。
「行くぞ」
短い宣言と共に俺は地を駆ける。踏み込みと共に突進する俺へと振り下ろされたのは、少女の小さな手から生えた歪な鉤爪。
だがいくら変質したとはいえ、この少女のトータルの体重が変わるわけではない。俺は振り下ろされる鉤爪の下、少女の手首を掴み、背負うように少女を投げ、関節を極める為に腕を捻った。
「何、だと!?」
極めるべき関節が人間ではありえない角度に曲がる。俺の動揺に隙を感じたのか、掴んだ腕とは逆の鉤爪が唸り、それを避ける為にも腕を開放するしかなかった。仕切り直しのように間合いを取りあう状態へと戻った。
何度このようなやり取りをしたのか、一向に打開されない事に苛立ちを感じているのか少女は、顔を赤くして激昂のまま俺へと突貫する。
「おとなしく、してくれッ!」
それは今までより遥かに高い膂力の突進。俺は少女の両腕をなんとか掴んだが、突進力は殺せず、そのまま縺れ合うままテントの外へ出た。
テントから出た俺と少女は地面を転がり、最後には俺を組み敷くように少女が俺の上に跨る。
「拙い、か?」
俺に跨った少女は、両の鉤爪を俺へと突き刺そうと力を込める。この体格の少女には不釣合いな膂力。だがいくら変質したとはいえ、元はただの少女。拮抗を崩そうする為に更に力を込めると腕が耐え切れなかったのか血管が裂け、筋肉は断裂し、骨が軋みの音を上げる。
「それ以上はよせッ!」
俺の言葉は聞こえないのか認識しないのか、それでも力を込めるのをやめず。さらには犬歯が並ぶ口を開き、俺に覆いかぶさろうと顔を近づけてくる。狙いは多分俺の首元。徐々に鋭い歯が俺の皮膚を突き破って行く。……このままではかなり拙いぞ。
――瞬間銃声が鳴った。
「退きなさい!」
カティの怒声が聞こえたと思ったら、少女は俺を足蹴にして大きく間合いを取っていた。
顔を上げると他の住人を遠ざけたのか、カティは撃ったばかりの回転拳銃の照準を未だに少女に合わせたままだった。
「カティ、すまない」
「シロウ様を助けるのが私の役目ですから」
俺は首元から血を流しながらも立ち上がるが、一瞬眩暈を覚えた。
「シロウ様もう無理です! この段階まで来てはもう救える手立てはありません」
「だけど!」
「安らかに眠らせるのも救いです!」
カティは魔力弾頭を手早く装填していく。
葛藤にさえなまれた時、俺の膝があっけなく折れた。
「シロウ、様?」
「あ?」
俺は無様に地面へと膝を突いていた。
少女の何かが感染したんだ。それは呪い?
「く、そっ」
ジレンマに縛られるのと比例して、俺の意識が拡散していこうとする。
「シロウ様!」
カティは悲鳴に近い叫びを上げるが、異形の少女に銃口を合わせたまま動けない。
「離れて!」
状況が硬直しようとした時この凄惨な場に誰かが足を踏み入れたのだ。
視線を向けた先には一人の女性がこちらに歩いて来ていた。ゆったりとした服に褐色の肌、輝く銀髪。
「何を、している、離れろ!」
白銀の女性は一度俺の顔を見て微笑んだが、決して歩みを止めようとはしなかった。
異形の少女はこの女性に何かを感じるのか、怯えるようにジリジリと後退していく。
「大丈夫ですよ。私は私の務めを果たすだけですので」
閉じられていた彼女の瞳が開いた。それはまるで宝石の瞳。
白銀の女性はそのまま俺の脇を通り、異形の少女に手が届く位置で足を止めていた。
「心、安らかに」
悪魔憑きの少女は白銀の女性を前に小刻みに震えていた。
「もう、お逝きなさい」
何の装飾もされていない無骨な短刀が深々と胸に突き立てられた。
「巫女、様……」
奇跡だったのか。もう異形としかいえなかった少女は、確かに言葉を取り戻していた。
抜かれた短刀は一切の血も見せず、少女は膝から崩れる。白銀の女性が優しく抱きとめていた。
「あり、がとう、ございます……」
少女は最後にそう言葉を残して変貌が解けて逝ってしまった。
女性は膝を突いて静かに祈りの言葉を口にする。俺も倣うように黙祷を捧げた。
これで漸く終わりだと立ち上がろうとした瞬間、呪いの残滓がそれを許さなかった。意識が揺らぎ、意識を保つ事すらままならない。
「シロウ様!」
カティの悲鳴を遠くに感じて、俺はそのまま意識を失った。
夢を見た。
夢を――
口内に何か柔らかいものが侵入してきたと思ったら、何かを流し込まれるような感覚。
「……こ、ここは?」
開かれた視界に、長い銀髪が俺の頬を撫でていた。
「……シロウ様、大丈夫ですか」
「……ああ」
カティの声だ。
「シロウ様はあの後倒れられたのです。それから二日ずっと昏睡したままで……。これも全てラティーファ様のおかげです」
「ラ、ティーファ?」
「この辺り一帯の民の安然を祈り、部族の祖霊を祭る姫巫女様です」
「たまたまそのような役職に就いているだけですので、そのままラティーファと呼んでくださいね」
声に反応して首を向けると、そこには瞳を閉じた白銀の女性がいた。
「ああ、俺はエミヤシロウ。シロウが名前だ」
「お顔に触れていいですか?」
「ああ、自由に触れてもいいぞ」
ラティーファは俺の顔を撫でるように触れていく。
「シロウさんのお顔は精悍さが溢れているのに、それでいて優しさが感じられるお顔。……そして、自分にとてもとても厳しいお方」
見えないはずの目で、まるで俺の深遠を覗いたような不思議さがあった。
カティが現状について話し終った。
「シロウ様の状況はラティーファ様の助けを借りて何とか意識を維持している状態です」
思い当たる一つの事柄。目を覚ます寸前、口内に柔らかくて温かい何かが侵入したあの感覚。
ラティーファは頬を赤らめて微笑んでいた。
「感応能力、と言ってよいのでしょうか。精神力や体力を分け与える事が出来るそうです」
「ラティーファ様は、端的に言えば超能力者です」
「超能力とは、ヒトの無意識が生み出したヒトにあだなす者達対する抑止の欠片とも言われています。ラティーファ様の一族はその能力を伝え続けているようです」
カティが情報を集めるために一時的に離れることになった。
「シロウ様、行って参ります」
「カティ、気をつけてな」
カティがテントを後にした。
「旅の人が教えてくれました。こういうのをヤボテンさんと言うのですね」
「私は目が見えませんけど、その代わり別なものを見ることが出来ます。人の想いを」
ラティーファは話してくれた。子供の頃の事故で目が見えなくなったが、その代わり人の想いが見えるようになったのだと。
「カティさんはシロウさんで出来ています。カティさんの中にはシロウさん、貴方が溢れてる」
「シロウさんは、色々な人の想いで出来ている。その中でも特に大きいのは“切嗣”“イリヤ”」
「……貴方の中はとても分かりづらい。そして、誰もが持っているものを持っていないんですよ」
ラティーファは悲しそうに笑う。
「エミヤシロウさん、貴方は、何処にいますか?」
不意な問い。俺は答えられなかった。
「もう休んでください。私はずっとここにいますから」
夢を見た。
甘美で、優しさに溢れた夢。
何処か調子の外れた歌が聞こえる。
「起こしてしまいましたか?」
「ラティーファ、か?」
目を開けると、俺の頭には温かくて柔らかい感触があった。膝枕というやつだ。
「そうです、シロウさん。ずっと寝たきりだったので体を拭きましょう。……ちょっと失礼しますね」
ラティーファはそう言って俺の頭を抱き、顔を近づけてくる。
合わさる唇。無理やり彼女の唾液を嚥下させられて、やっと息が出来るようになった。
「…………何で、初めて会った俺にここまでしてくれる?」
「私の世界はここだけ。私はただ民の安然を祈り、ただ朽ちていく存在。ですけど、こんな私にも欲しいものが出来てしまいました」
「シロウさん、私は貴方と共に在りたい。私はシロウさんが大好きになってしまったのです」
「……でも俺は、俺はきっと誰か一人だけの為に生きる事は出来ない」
「ええ、分かっています。シロウさんの思いは、理想は分かっています。ですけど、この想いだけは私のもの」
ラティーファは膝枕を外し、ゆっくりと立ち上がる。
「動けない私の代わりに、私の半身を差し上げます」
絹擦れの音と共にラティーファの衣服が落ちた。
夢を見た。
懐かしい人たちが居る夢を。
「お兄ちゃん」
「……イリヤ?」
イリヤに手を引かれ、歩いていこうとする。
幸せそうな皆の元へ。
「――シロウ」
現実味のある声色。
「――シロウ、お姉ちゃんが助けてあげる」
次の瞬間、イリヤだと思っていた少女が、黒く変色し崩れていく。
「甘い甘い罠。はっきり認識した瞬間、敵意がこの世界に溢れた」
「まったくもー。はい、シロウそれ見て」
妖艶に笑うイリヤがそこにいた。本物のイリヤだ。
敵意が溢れ、ヘラクレスが現れる。
「私のバーサーカーはこんなのじゃない。やっちゃえ、バーサーカー!」
イリヤのバーサーカーが偽物を屠っていく。
偽物のセイバーが現れた時、短刀を片手にラティーファが立っていた。
「私の出番が無くなるんじゃないかと思いましたよ」
「むー、お兄ちゃんを助けるのは私一人で十分だったのに」
全てが排除された。
「はい、これでシロウさんに感染していた呪いは排除されましたよ」
「じゃあ、帰るねシロウ。大丈夫、シロウなら大丈夫」
イリヤが花が咲くように笑い、ラティーファと共に輪郭がぼやけていく。
目を覚ました時、熱病は去っていた。
テントの外から、調子の外れた歌声が聞こえてくる。
外に出ると、燃えるような朝焼けが目を焼く。
「どうかなさいましたか?」
「……あんたは、誰だ?」
「……ラティーファ、でいいですよ。私も彼女である事は変わらないのですから」
宝石のような両目がしっかりと俺を捉えていた。
「……全てを救い、皆が幸せな世界、そんな世界を望んではいけないのか」
「ヒトがヒトである限り、その夢はかないません。貴方は世界にとってとても都合がいい存在。阿頼耶識、霊長の抑止力」
「私は改めて言います。――貴方は、何処にいますか?」
俺が答えられなかった問い。
「心の奥底で、ほんの一欠けらが夢見た風景。貴方はまだ、あの座に居るアレとは一線を画す存在です」
晩にはカティが戻って来ていた。
次の日の昼過ぎ、別れがやってきた。
「私はシロウさんの伴侶、私の半身は常に貴方と共に。いつでもここに帰ってきてくださいね」
ラティーファは俺の胸をとん、と叩いた。
「シロウさんに、私の加護がありますように」
「――カティ」
血を流し、蹲りながらもインカム越しにカティの名を呼ぶ。
刹那、死徒の頭部が吹き飛んだ。カティの狙撃だ。
「……大丈夫か?」
怯える人質の女性に背を向け、カティと合流する。
もう直ぐ夜が明ける。
シャワーを浴び、カティに髪を拭いてもらう。
「……珍しく、この先の予定が空きましたね、シロウ様」
「そう、だな」
――コンコン。
扉を開けると、そこにはルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトがいた。
「本当に久しぶりね、シェロ」
ルヴィアは一枚の手紙を差し出した。
「ミス・トオサカから伝言を頼まれたの。――『イリヤが倒れた、直ぐに冬木に戻りなさい』と」
手紙には、イリヤの周期が早まり、今度ばかりは危ないと書かれていた。
「……くそっ、なんて――」
眩暈を堪え、俺は決意する。
「――カティ」
「はい」
「冬木へ行くぞ」
カティは恭しく頭を下げた。
ルヴィアも同行を申し出る。
慌ただしく部屋を出て行くカティ。
俺は無心で荷物をまとめる。
脳裏に浮かぶのは、懐かしくも遠い、冬木の街並みだった。