正義の味方と悪い魔法使い   作:ヒフミくろねこ

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「こんなのが俺の全てだ」

 

つまらないものを見せてしまったと士郎は恥ずかしそうに薄く笑った。

ただ誰もその軽口に答える者は居なかった。

 

「俺は人を救うために行動をしてきた。それはこれからもきっと変わらない。でも、俺は俺の周りにいる人にまでその道につき合わせる事なんて出来ない。俺はきっとその人を不幸にするから」

 

士郎は喋りながら何時の間にか夕映に視線を定めていた。

夕映はこの士郎の凄惨な記憶にただ衝撃を受け、整理できないまま士郎と視線を交わす。

 

「夕映、俺はこんな道を歩いてきた。確かにこの世界の魔法と俺の世界の魔術は違うのかもしれない。でも俺は見てきた、魔術を接点に不幸に見舞われる人々を。だから夕映には魔法に近づいて欲しくは無かった。それにさっき言った通り、きっと俺は人を不幸にする。だから魔法の契約とかじゃなくても従者という存在を持てない、持たない方がいいんだ」

 

「わ、私は……」

 

諭すように微かに微笑みながら告げた言葉に夕映は言葉を返す事が出来ない。

それでも何とか、何とか言葉にしなければならない。

 

「し、士郎さんは、それで、それでいいんですか? たった一人じゃ、幸せに、お姉さんと、イリヤさんと交わした約束はどうなるんです!?」

 

やっとの思いで吐き出した夕映の叫びに、士郎は少しだけ困った表情を浮かべ口を開く。

 

「幸せ、それを俺は望んでもいいのか今でも迷ってる。イリヤと約束した事は嘘じゃない。ただ、たださ、俺は幸せというのが分からない、分からないんだ」

 

「だって、それじゃあ、そんなんじゃ――」

 

「? 夕映!」

 

ふらりと自分に向かって倒れてくる夕映を士郎は慌てて抱きとめる。

士郎はそのまま夕映の顔を覗き込み、状態を調べる。

夕映は許容量を遥かに超えた士郎の記憶と、答えを出せない焦り、そんな手に負えない感情から自己を守るかのように気を失っていた。

 

「……茶々丸、夕映を頼んでいいか?」

 

夕映をこんなにしてしまったのは自分、だからこれ以上夕映の側に居ない方がいい。そう結論づけて士郎は茶々丸を呼ぶ。それはエゴかもしれないけど、それでも。

 

「…………」

 

「茶々丸?」

 

「はい、分かりました士郎さん」

 

何時もより自動的な行動、機械然とした様子で茶々丸は士郎の手から夕映を受け取り、一礼して背を向け歩き出す。

 

「ただの小娘に見せるには過ぎた物だったな」

 

「そうかもしれない」

 

いつの間にか直ぐ脇に立っていたエヴァに士郎はただ淡々と肯定の意を示す。

 

「貴様は、今をどう思っている?」

 

「どうって?」

 

「この状況を、だ」

 

この状況、まったく違う世界にたった一人放り出された事。

死に物狂いで救う為に戦場をただ駆け抜けていた時とは違う、緩やかな時間。

 

「そう、だな。……確かに事故でこの世界に来たけど。それはゼルレッチの爺さんが意図的にこの世界に送ったんじゃないかって、この世界は優しいからさ。屍の山を築き血の河を越えその果てにたどり着いた少しだけ優しい世界。……それにさ、こうも思うんだ。もしかしたらこの世界は、俺にとって全て遠き理想郷なのかもしれないってさ」

 

遠い何かを見るように士郎は視線を上げた。

そんな士郎にエヴァは自分で話を振っておきながら苦虫を潰したような顔を浮かべた。

それから二人は暫く無言で佇んでいたが、口を開こうとしない士郎とは違いエヴァは何か言わなければと、そして思い浮かんだのは気を失った綾瀬夕映の事。

 

「なぁ士郎、あの小娘、あれだけ貴様に懐いていたのに、もしかしたら嫌われるかもしれんぞ」

 

「……それも又いいのかも知れないって思う。そうすれば魔法に近づこうだなんて思わないだろうからさ」

 

「……まさか貴様、自ら嫌われようとでも思っているんじゃないだろうな?」

 

怯えるようにしていた夕映の様子。その事を指して言ったエヴァの言葉に士郎は苦笑いを浮かべる。そしてそれをエヴァは肯定と受け取った。

 

「馬鹿か貴様!」

 

エヴァの苛立ちの篭った罵声に、士郎は少しだけ楽しそうに笑った。

 

「もう幾人の人に馬鹿って言われてきたか分からない、きっと俺は馬鹿なんだろうな」

 

「貴様――!」

 

士郎の軽口とも言える台詞にエヴァの髪が一瞬にして膨れ上がり爆発しようかといった瞬間、士郎は薄く笑って口を開いた。

 

「それにさ、俺は人に嫌われる事、怨まれる事は慣れているから。それで夕映が普通の道を歩んでくれるというなら俺は構わない」

 

士郎はどこか悲しそうに、寂しそうに、茶々丸に運ばれていく夕映をただ見ていた。

エヴァはそんな士郎を怒り覚めやらぬ表情のまま見ていた。

エヴァは視線を定めたままでいると、ふとの心に怪訝な物が芽生えてきた。

その士郎の横顔はどこかで見た顔、そうそれは遠い遠い昔に何度も見た――の顔。

思った瞬間、一瞬にして憤っていた想いが霧散して、無意識に、そう、ただ――。

 

「エ、ヴァ?」

 

「――あ?」

 

士郎の不審な表情を見て、エヴァは漸く自分が何をしているか気がついた。

十の歳で成長が止まったこの幼い手で、厚い厚い皮の傷だらけの手を握っていた。

それは何を掴んでいた? 士郎の手を掴んだ向こう、それは何を意味していた? 

 

それはいつぞやの昔、自分が――。

 

「私は――」

 

エヴァは狼狽して、よろめきながらも一歩、二歩と下がる。

 

「エヴァ、大丈夫か? 気分でも――」

 

「士郎、今日はもう遅い。時の流れが違うとはいえ、もう休め。私も寝る」

 

エヴァはまるで拒絶するかのように士郎の言葉を遮り、言うだけ言って逃げるように身を翻した。

 

「そっか、じゃあお休みだなエヴァ」

 

「ああ、貴様もとっとと寝ろ」

 

足早に去っていくエヴァの背をなんとなく見ていた士郎だったが、気がつけばチャチャゼロと月詠もいなくなっていた。士郎はなんとなく頭を掻いて溜息を吐く。誰もいなくなった無人の庭園。士郎は忘れる事の無かった大切な約束、履行できるかどうか分からない約束。そしてそれに纏わる自分の大切だった人との思い出。

 

「……イリヤ、俺は幸せと言うものを感じれる時が来るのかな?」

 

誰からも返る事の無い問いかけ、それは確かに今を生きる士郎の指針の一つであった。

士郎は柱に腰を下ろして煌々と照る月を見上げ、今のこの時だけはゆっくりとしようと思いながら。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

茶々丸は夕映を一人寝かして、ただ理由も無くエヴァの寝室へと足を向けた。

 

「マスター?」

 

静かに扉を開けた茶々丸の言葉に声は無く、ただカランとグラスを打つ氷の音だけが鳴る。目を細めると月明かりだけが差し込む薄暗い部屋の片隅で、士郎に休むと言った筈のエヴァが片膝を抱いてロックグラスを躍らせていた。

 

「マス、ター?」

 

「なぁ茶々丸、幸せとはなんだと思う?」

 

茶々丸が部屋に入ってきた事に何も反応しなかったが、エヴァはまるで今までずっと茶々丸が側に居たかのように問いかけていた。

 

「幸せ、ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

エヴァの問いに茶々丸は一瞬だけ考えて口を開く。

 

「……。何の不自由なく心が満ち足りている状態、でしょうか?」

 

「……らしい言葉だな」

 

「私は、間違っているのでしょうか?」

 

喉を殺して薄く笑ったエヴァに茶々丸は不安そうに言いよどむ。

 

「いや間違ってなぞおらん。幸せとは内から成る物だ。一秒後に死ぬ事が分かっていても、他人から見てどんな不幸だと哀れまれていようとも幸せを甘受する事が出来る、出来るやつはいる。……茶々丸、貴様は今幸せか?」

 

フフフとどこか試すように笑うエヴァに、茶々丸は考える。マスターに仕え、姉も居る、生徒として麻帆良に通い、そして何よりガイノイドである自分に普通に人と同じように接してくれて、優しくしてくれる士郎さんが居る。

 

 

この状況を言い表すなら――。

 

 

「私は、幸せだと思います」

 

「……そうか、ならそれを大切にしろ」

 

不安そうにしながらも自身の思いを述べる茶々丸に、エヴァはまるで年老いた老人がほんの小さな子供を見るような慈しみを持って小さく頷く。だがそれも一瞬にして反転した。

 

「貴様が甘受できる幸せという物。例えどんな状況であれ感じる事が出来ると私は言った。だがな、それとは逆に幸せという物を当たり前のように甘受できない者も居る。その事もまた覚えておけ」

 

「……それは」

 

「そう、士郎や私のような者だ」

 

口を吊り上げて自然と笑う。それは苦味を知り尽くした、それは激動を生きてきた、深い深い老成した貌。

 

「…………」

 

茶々丸は思う。マスターは時に笑い、時に楽しそうにする、それは士郎さんも同じ。

それなのに幸せでないと、幸せになれないと……。

幸せ、その言葉は稼動して三年も満たない自分には難しすぎるのだろうか? 

ただ分かるのはマスターが言うように今の自分にはこの言葉を真に理解する事は決して出来ないだろうという事。

そして経験の少なさをこの時ほど悔やんだ事は無く、いつかきっと私もその場所へと。

 

「……そう、幸せになれないのだな」

 

「マスター?」

 

エヴァは自分に言い聞かせるように呟いた後、片膝に腕を乗せ口元を隠すようにして目を逸らした。

 

「それ相応に理由という物が存在する。互いに脛に傷持つ身、歪みというものがなんとなく分かる物だ。傷が疼く、とでも言えばいいか。初めて士郎と出会った時から引っかかっていた感情、見え隠れしていた影。漸くその正体が見えたのかもしれん、そう思った」

 

「…………」

 

「私は士郎にナギを重ね、士郎は私にイリヤという姉を重ね――いや違うか、ヤツはただ私にその影を見ただけなのかもしれん」

 

エヴァはそう呟いて自嘲的に笑う。

 

「同族、最初はそう思った。私と士郎には同じ部分がある、確かにある。だが決定的に違う物もまた存在する、それも致命的なものがな」

 

「……聞いてもよろしいですか?」

 

「ああ」

 

「それは?」

 

茶々丸に促されて一度口を開きかけたが、それを一度閉じて皮肉的な表情を浮かべて、

 

「――言ってみれば、ヤツは正義の味方で私が悪い魔法使いだっただけ、という事さ」

 

正義の味方と悪い魔法使い。

士郎は正義の味方ではないと言いそうだが、それでもやはりそういう存在。

エヴァは悪という事に誇りを持っている、士郎は正義に誇りなんて持たないがその結果にのみ文字通り心血を注ぐ。

中庸という物を忘れたかのように両極端に居る二人。

自分の言葉に自嘲的に笑うエヴァと今一理解できないと顔を顰める茶々丸。

そんな茶々丸を思ってか否か、エヴァは尚言葉を続けた。

 

「内へと向く私と、外へと向く士郎。それはどうしようもない隔たりだ。……ヤツは言ってのけた、こんな世界が理想郷だと。世の為、人の為と同じく外へと向く馬鹿な魔法使いども、それを知っての言葉だろう。……だがな、こんな世界にだって貴様の敵に成り得るやつだって居るんだぞ、士郎」

 

エヴァは自分で言った言葉に忌々しそうにグラスをあおり、それだけでは足らないとボトルを掴んで直接口につけた。

 

「それにだ、何が人に嫌われる事、怨まれる事に慣れているだ馬鹿者。……その痛みは何時だって心を抉る、決して慣れる事なんてないぞ? ただその傷を覆い隠す術だけが巧くなっていくだけでな……。一人になってしまえ、誰とも会わないのは楽だ。誰も傷つけず、誰も傷つかない、それはそれは楽だった、な」

 

それはどこか泣きそうでか細い声。エヴァが見るは、遠い昔の幻想。この世界にも魔法使いの世界にも自分の居れる場所なんて無かった。

 

近づけば傷つき、近づく者は傷つけた。だから誰もいない孤島でたった一人になった、はず、だったんだがな……。私は、私には――。

 

「……小さな光を、他人が見ればバカにされるようなほんの小さな光を私は見つけてしまった。だから今度こそ無くせないと私は足掻いてきた。だが士郎にそんな物はない、あるのは小さな切片だけ……」

 

茶々丸には自分の主人が何を意味して言っているのか判断はつかなかったが、それはきっと意味のある言葉、だからその全てを受け止める。

 

「ああ、貴様は本当に本当に、私に……」

 

金糸が流れて、エヴァは何も無い天井を見つめる。その顔は笑っているようで、泣いているようで。茶々丸はエヴァの肩が小刻みに震えている事に気がついたが決して何も言おうとはしなかった。

 

「士郎……」

 

エヴァは自分の小さな手を見る。それは別れ際に士郎を無意識に掴んでいた手、それはいつぞやの昔ナギが助けるために握ってくれた手。

 

「――ッ!」

 

溢れ出ようとする感情にエヴァは頭を振って俯き、その長い髪で自分の表情を隠した。

 

「……茶々丸、スマンが一人にしてくれ」

 

従者だといえ、見せる顔でなかったなとエヴァは自嘲的に笑う。

 

「――私は外に控えていますので何か御用があればいつでも声をかけてください」

 

茶々丸はエヴァに向かって深く深く頭を下げて静かに退室する、何も見ていなかったとばかりに平然と。

 

それでも扉を閉める瞬間視界の端に見えたのは、小さな体で丸まる様に自分の両膝を抱く敬愛すべき自分の主人の姿だった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「チャチャゼロは~んちょっと付き合ってくれへん~」

 

そんな月詠の耳打ちをして二人はふらりと士郎達の下から離れていた。先導する月詠と何も聞かないチャチャゼロ。円筒の住居から螺旋階段を一歩づつ降りていき、浜辺の真ん中でふと月詠は足を止めた。

 

「なぁチャチャゼロはん~」

 

何時もより尚ゆっくりとした月詠の口調、それはどこか酩酊した色を含み、振り向くや否や月詠の剣閃が走っていた。だが剣を向けられたチャチャゼロは来ることが分かっていたとばかりに、いつの間にか握っていた自身より大きな大剣で弾きケケケと笑った。

 

「ナニヲシヤガル、ッテ聞イタ方ガイイノカ? ケケケ」

 

大剣を持った逆の手で短刀を弄びながら、チャチャゼロは分かりきった答えを聞くように口を開いていた。

 

「血が昂って眠れそうにないですから~」

 

問われた月詠の方も予定調和のごとく微笑みながら答え、無造作に二刀の鞘を投げ捨てた。それは気が済むまで刀を振るうという意思表示。

 

「ケケケケケ、オマエモカ。最近ハスッカリ御主人モ甘クナッチマッタカラナ。アンナ戦場ノ記憶ヲ見セラレチャア俺様モ収マリガツキソウニナカッタカラナ」

 

「闘争闘争闘争、あぁやっぱり士郎はんに付いて来て正解やったわ~」

 

士郎の戦場の記憶を反芻しているのか月詠は頬を紅潮させて艶やかに答える。そんな月詠にチャチャゼロは同意するようにケケケと笑った。

 

「オマエモ大概ダナ」

 

ダガ本当ニソレダケカと茶化すようにチャチャゼロはケケケと笑い、どうでしょうと韜晦するように月詠はうふふふと笑った。

 

――瞬間視線が交差し、両者共に砂を蹴る。

 

言葉も無く、ただ舞うように剣閃が躍る。風斬りと金を打つ音が誰も居ない海辺に響き、その音色は夜が明けるまで止む事は無かった。




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