身体計測で教室中が騒がしい中、エヴァは一人でうんうん唸っていた。
「うー……どうして士郎なんかでナギのことを思い出すんだ」
「マスター、顔が赤いですよ……風邪ですか?」
すうっと茶々丸はエヴァの額に手を当て、
「季節の変わり目ですからね」
などと言って体温を測る。
「少し熱いようですが、大丈夫ですか?」
「ええい、うるさい黙れ茶々丸!
あいつは私が拾ったのだ。だからあれは私のものだ! いいな?」
「いえ、私に言っても意味がないのでは……?」
「あいつのものは私のもの、私のものも私のものだ」
「聞いてませんね、マスター……」
くっくっくと不敵な笑みを浮かべて自己完結しているエヴァと、冷静に突っ込む茶々丸をよそに、教室内では吸血鬼の噂話が始まり、黒板にはでかでかとチュパカブラの絵と説明が描かれていた。
そのとき廊下から、
「先生大変やー! まき絵がー!」
という声が響き、教室中が騒然となる。
「……そういえば昨日、血を吸ったのだったな。士郎との戦闘のせいで、補充した魔力の大半を使ってしまったがな」
「……マスター、戻ってきましたね」
「まあいい。とっととこんなもの終わらせて、じじいのところへ行くぞ」
「はい、マスター」
エヴァと茶々丸は我関せずとばかりに手早く済ませ、そのまま学園長室へと向かった。
「じじい、いるか?」
「どうしたんじゃ?」
バン、とエヴァが扉を開け放つ。
学園長ははてと首を傾げたが、あまり驚いた様子はなかった。
「ふん、ぬかせ。昨日の戦闘のこと、気づいているんだろ?
その件について、わざわざ話に来てやったぞ」
「うむ、それでどうなったのじゃ?」
「茶々丸、簡単に説明してやれ」
「はい。侵入者は昨晩、学園都市内に出現。遭遇したマスターと戦闘、そして投降。現在はマスターの家に滞在しています」
「殺してはいないんじゃな?」
学園長は“出現”という言葉で一瞬眉をひそめたが、まず聞くべきことを優先した。
「ああ、当たり前だ」
「いや、問答無用で殺しそうじゃから聞いたんじゃがのう……
どんな侵入者だったんじゃ?
戦闘の後を見るに、相当な相手だったようじゃが」
「名前は衛宮士郎。
年は聞いていないが二十代半ばぐらい。
褐色の肌に白髪、身長は190近くはある男だ」
「魔法使いじゃったのか?」
そこでエヴァはにやりと笑い、
「いや、魔術使いだ」
と言い放った。
学園長は「魔術使い?」とはてと首を傾げ、説明を促す。
「奴――士郎は異界から来た魔術使いだ。
ここに似た、しかしどこか違う世界。
魔術の理そのものが異なる世界から、
魔術事故でこっちに飛ばされたらしい」
「な……! 異界の魔術使いじゃと?」
「ああ、それは私が保証してやる。それから、奴をここで働かせてやれ」
「ふむ……働かせるのはやぶさかではないが、強いのかのう?」
「強いと思うぞ。
全力で戦ったわけではないだろうが、
まだ隠し玉はいくつもあるはずだ。
タカミチあたりと同レベルと考えておけばいい」
学園長はしばらく考え込み、結論を先送りにした。
「会ってみなければ分からんのう」
「安心しろ。明日、連れてきてやる」
「そうか……」
「最後に忠告だ。あれは私が拾った。つまり私のものだ。変なちょっかいを出してみろ。肉塊一つ残さず殺してやるぞ」
エヴァの殺気に当てられ、学園長は反射的にこくこくと頷く。
「そういうことだ。帰るぞ、茶々丸」
「……はい、マスター」
バタンと扉が閉まり、学園長はやれやれとため息をついた。
「この年寄りには堪えるのう……それにしても異界の魔術使いとは厄介じゃ」
しばらく呟いた後、ふぉふぉふぉと笑い出す。
「……楽しみだのう」
「今帰ったぞ」
「……ただいま戻りました」
「おかえり」
エヴァと茶々丸が家に戻ると、奥からチャチャゼロを頭に乗せた士郎がやってきた。
「片付けの方はもう終わったのか?」
「ん? ああ、人形や魔具の整理もしておいたぞ。
あと、家の掃除もな」
そう言って揃って地下へ降りる。
「ふむ……なかなか綺麗にしたものだが、何もないな」
士郎の確保したスペースには、ベッドと小さな机しか置かれていなかった。
「もともと部屋にあまり物を置かない性質だし、私物もないからな」
「そういうものか。まあいい、じじいに話は通しておいたぞ」
「それで、どうだったんだ?」
「とりあえず会ってみなければ分からん、だとさ。
だが興味はあるみたいだぞ」
「そっか……ありがとな」
撫で撫でと士郎はエヴァの頭を撫でるが、パンと手を払われる。
「ふんっ。それで明日は一緒に学校に行ってもらうぞ。それにしてもお前、他に服は持っていないのか?その赤いコートに軽装のボディアーマーだけか?」
「そう言われても、服なんて持ってないぞ。あってもせいぜいTシャツくらいだ」
「まあいい。職が決まったら、まず服を買うぞ。私が金を出してやる」
「ケケケ、ヨカッタナ家政夫」
「……そんなことまでしてもらうなんて悪いぞ」
「居候とはいえ、この家に住むのだ。みすぼらしい格好は、この私が許さん」
「む……わかった」
士郎をやり込め、どこかご機嫌なエヴァ。
「お茶が入りました、マスター。士郎さん」
「分かった。上へ行くぞ、士郎」
お茶を飲んでまったりしてから、士郎はそろそろ晩ご飯だから何かリクエストはあるかと聞いた。
「ニンニクとネギ以外なら、何でもいいぞ」
「朝も思ったが……料理人でも目指していたのか?」
「親父が家事全般まったくだめで、ずっと俺がやってたからな。それに、趣味みたいなものだ」
「それでここまで美味いのか」
食事も終わり、茶々丸と士郎が一緒に片付けをしている中、エヴァは士郎に向かって、
「これから散歩に出てくる」
と言って外へ出ようとする。それを士郎は心配そうに止めた。
「こんな時間に大丈夫か?」
「ふん。いくら魔力を封じられているとはいえ、真祖の吸血鬼だぞ。甘く見るな」
フフフ、と笑い、エヴァは黒いマントを纏って夜空へと飛んでいった。
「本当に大丈夫なのか?」
「はい。満月の前後は、多少魔力が上がりますので。問題はないかと」
そう言って茶々丸は、
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「じゃあ、もらおうかな」
士郎はカップを差し出した。
「心配ですか?」
「まあな。エヴァは……アルトとは違うし」
「……アルトさん、ですか?」
「ああ。アルトルージュ・ブリュンスタッド。エヴァと同じで見た目は幼いけど、死徒のお姫様だ。少し世話になった」
「そうなのですか?」
「死にかけていたところを拾われてな」
士郎は苦笑いを浮かべ、
「色々あったんだ」
と呟いた。
「ケケケ、家政夫。御主人にも拾われて、オマエ何度拾われてんだ?」
「……む」
チャチャゼロの突っ込みに、士郎は言葉を詰まらせる。
そんな士郎を見て、茶々丸はためらいがちに口を開いた。
「……今回のことは別としても、士郎さんでも拾われる、助けられるようなことは多いのですか?」
「そうだな……俺はいつも戦場にいて、敗走が許されない状況だった。どんな戦力差であっても、だ」
士郎は遠い目をして続ける。
「だから、死にかけたのは一度や二度じゃ済まなかった」
「……すみませんでした」
「茶々丸?」
「辛いことを聞いてしまったようで……」
「いや、違う。俺は自分のやりたいこと、自分の矜持のために走ってきただけだから」
そう言って、士郎はポンポンと茶々丸の頭を撫でた。
その光景を見ながら、チャチャゼロは鋭い眼光で士郎を見据える。
「家政夫。オマエの矜持とは、なんだ?」
士郎は数瞬沈黙し、口を開いた。
「……俺の矜持はな、人を救うことだ。正義の味方になりたかった」
一瞬きょとんとしたチャチャゼロだったが、すぐに大声で笑い出す。
「ケケケケ!よりにもよって正義の味方かよ!傑作だな!」
士郎は首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「御主人は悪だからな。家政夫は、悪い魔法使いに助けられた正義の味方だな」
チャチャゼロは続ける。
「自分の目的、欲望、理想のために、他人の犠牲を厭わぬ者。それが悪人だ」
「正義の味方に悪を説いても無駄だがな」
そう吐き捨てるように言い、肩をすくめる。
「御主人を、そこらの三流で腰抜けの小悪党と一緒にするんじゃねぇ。御主人は誇りある悪人だからな」
「……とはいえ、最近は妙に丸くなってつまらねぇがな」
やれやれだぜ、とチャチャゼロはため息をついた。
「悪い魔法使い、か……そうは見えないけどな」
士郎が物思いにふけるように呟いた、そのとき。
急に茶々丸が立ち上がった。
「茶々丸?」
士郎に呼ばれ、茶々丸は数瞬じっと士郎の顔を見つめてから告げる。
「士郎さん。マスターに呼ばれましたので、行ってきます」
「何かあったのか?だったら俺も――」
士郎が立ち上がろうとすると、茶々丸は慌てて首を振った。
「い、いえ。どうか留守番をしていてください」
それだけ言うと、ぺこりと一礼し、
バシューッという音とともに夜空へ飛び去った。
「どうしたんだ……?」
「魔法使いが従者を呼ぶなんて、戦闘に決まってるだろ」
チャチャゼロの言葉に、士郎はハッとなる。
聖骸布のコートを纏い、すぐさま外へ飛び出した。
「チャチャゼロ、留守番を頼む!」
「コラ家政夫!俺様も連れてけー!」
その声を背に、士郎は目を強化し、茶々丸の飛んだ方向を追う。
「……向こうか」
視界に捉えた士郎は、森を突っ切り街中へと出る。
そして、建物の上に人影を見つけ、さらに目を凝らした。
そこには――
茶々丸、エヴァ、そして見知らぬ少年が対峙していた。
エヴァは宮崎のどかを襲った後、黒のマントをなびかせながら夜空を飛び、誘うように逃げていた。
「まったく、十歳の見習いとは思えん魔力だな。ネギ・スプリングフィールド」
襲い掛かる魔法を魔法薬で打ち消しながらも、ネギに隙を与えてしまう。
「追い詰めた! これで終わりです!
風花! 武装解除!」
ネギの魔法によって、エヴァが纏っていたマントは無数の蝙蝠となり、散っていく。
そして二人は建物の屋根へと降り立った。
「やるじゃないか、先生」
「こ、これで僕の勝ちですね。約束どおり教えてもらいますよ。なんでこんなことをしたのか……それに、父さんのことも」
「お前の親父、サウザントマスターのことか?」
「と、とにかく!魔力もマントも触媒もないあなたに、勝ち目はありません!素直に――」
「これで勝ったつもりなのか?」
エヴァはふふっと笑い、ネギの台詞を遮る。
「さあ、お前の得意な呪文を唱えてみるがいい」
その瞬間、呼び寄せていた茶々丸が、エヴァを守るように降り立った。
ネギは新手の出現により、二人まとめて拘束しようと呪文の詠唱を始める。
「風の精霊、十一人。
縛鎖となりて――」
詠唱を始めると同時に、エヴァはスッと笑い、茶々丸は音もなく前進。
「敵を捕まえろ――あたっ!」
茶々丸はネギの詠唱を、デコピン一発で止めた。
「あたた?」
額を押さえたネギは、ようやく目の前の相手に見覚えがあることに気づく。
「あれ?
君は……うちのクラスの……」
「紹介しよう。私のパートナー。3-A出席番号10番、ミニステル・マギ・絡繰茶々丸だ」
「えっ!?えええ~~!?茶々丸さんが、あなたのパートナー!?」
「そうだ。パートナーのいないお前では、私には勝てん」
驚愕するネギをよそに、エヴァは淡々と告げる。
「なっ、パートナーがいなくたって!」
ネギは再び詠唱を試みるが、そのたびに茶々丸に妨害され、満足に唱えることすらできない。
パートナーの存在を知らなかった事実に愕然とするネギをよそに、エヴァは拘束の指示を出そうとする。
――その前に、茶々丸が口を開いた。
「マスター……」
「ん? どうした、茶々丸」
「出るときに、士郎さんに気づかれてしまいました。もしかしたら……」
「……そうか」
エヴァは即座に状況を理解し、鋭い声で指示を出す。
茶々丸はネギに謝りながら、素早く拘束した。
「ようやくこの日が来たか。お前が学園に来てから、今日という日を待ちわびていたぞ」
エヴァは喋りながら、拘束されたネギへと近づいていく。
「これで、奴が私にかけた呪いも解ける」
「え……呪い、ですか?」
「そうだ。真祖にして最強の魔法使い。闇の世界でも恐れられた、この私がなめた苦汁……」
愉悦に満ちた笑みを浮かべ、ネギに掴みかかる。
「私はお前の父――サウザントマスターに敗れて以来、魔力を極限まで封じられ、十五年間も日本の能天気な女子中学生と一緒にお勉強させられているんだ!」
「そ、そんな……僕、知らな――」
「このバカげた呪いを解くには、
奴の血縁であるお前の血が大量に必要なんだ。
悪いが……死ぬまで吸わせてもらう」
悲鳴を上げるネギ。
エヴァはかまわず首筋に噛みついた。
――その時。
「マスター!」
風切り音と、誰かが駆け寄ってくる足音。
「ちっ!」
エヴァはネギを放り出し、茶々丸と共に後退。
直後、細く長い刀身の剣が一本、二本と突き刺さり、
数秒後、硝子が割れるような音と共に砕け散った。
「ウチの居候に何してたのよっ!」
ツインテールの少女――神楽坂明日菜が、ネギを抱き上げ怒鳴る。
「……あれ?あんた達、ウチのクラスの……ちょっと、どういうことよ!?」
茶々丸は一礼するが、エヴァは剣の飛んできた方向を睨み続ける。
「あんた達が犯人!?二人がかりで子供をいじめるなんて、答え次第じゃタダじゃ済まないわよ!」
「……ふん」
ようやく明日菜に向き直り、エヴァは吐き捨てる。
「士郎に妨害されたがな。
次はないぞ。覚えておけ」
「あっ、ちょっと!」
制止を無視し、エヴァと茶々丸は屋上から飛び降りた。
――ここ八階、という明日菜の呟きを背に。
空中で茶々丸はエヴァを抱え、剣の矢が飛んできた方向――士郎がいるであろう方角へと向かって飛んでいった。
「思わぬ邪魔が入ったが……坊やがまだパートナーを見つけていない今が、チャンスであることには変わりない……だが」
闇夜に映える赤いコートを着た士郎の姿が見えたとき、エヴァはおもむろに魔法薬を取り出した。
「マスター?」
「魔法の射手――氷の一矢」
茶々丸が疑問を抱く間もなく、エヴァはふんと鼻を鳴らし、士郎へ向かって一条の氷の矢を放つ。
士郎は一瞬戸惑うが、迫り来る氷の矢を難なく叩き落とした。
そして、エヴァと茶々丸は士郎の前へと降り立つ。
「何をするんだ、エヴァ」
「それはこっちの台詞だ、士郎」
「なっ……その格好……」
エヴァの下着姿に士郎は慌てるが、エヴァは不機嫌そうに士郎から無理やり赤いコートを剥ぎ取り、だぼだぼのそれを身につけた。
「で、何をしていたんだ、エヴァ?」
「ふん。お前には関係ないだろう」
一瞬むっとする士郎だったが、粘り強く言葉を続ける。
「確かに、俺は関係ないかもしれない。それでも、聞くことすら駄目なのか?」
士郎の真摯な表情を見て、エヴァは小さく舌打ちし、仕方ないとばかりに口を開いた。
「士郎。お前に教えたはずだ。私にかけられている“登校地獄”の呪い、そして、それを解くチャンスだとな」
「……」
「その鍵が、あの坊やだ。ネギ・スプリングフィールド」
「スプリングフィールドって……」
「そう。サウザントマスターの息子だ」
エヴァは淡々と告げる。
「あの坊やの血を、死ぬほど吸えば、私の呪いは解かれる」
「エヴァ……」
「話はこれで終わりだ。茶々丸、帰るぞ!」
なおも何か言いたげな士郎の言葉を遮り、エヴァはもう用はないとばかりに自分を抱えさせる。
茶々丸は士郎を一度見つめ、何か言いたげな表情を浮かべたが、ぺこりと頭を下げ、空へと飛び立った。
「怒らせてしまったかな……」
士郎は二人が飛び去った方向を見つめ、ため息をつく。
不機嫌そうなエヴァの顔を思い出しながら、とぼとぼと歩き出した士郎を待っていたのは――開かない扉だった。
「なっ……ちょっと待て、エヴァ!」
「いいか、茶々丸。私がいいと言うまで、絶対に中へ入れるなよ」
窓の向こうで紅茶を飲むエヴァは、士郎の方をちらりと見ると、そう命じてから、ふんと鼻を鳴らして視線を逸らした。
「ケケケケ。いい気味だ。俺様を連れて行かなかったからな」
「……すみません、士郎さん。マスターの命令は絶対なので」
締め出された士郎に、窓から顔を出したチャチャゼロは笑い、茶々丸は申し訳なさそうに頭を下げる。
「茶々丸、俺は大丈夫だ。気にするな」
「……ありがとうございます、士郎さん」
「俺様のお陰で御主人のところに行けたのに、無視するんじゃねーぞ!」
「チャチャゼロ!お前のせいか!」
耳ざとく会話を聞いていたエヴァは、チャチャゼロの言葉の意味に気づき、激昂して本を投げつけた。
「イテーぞ、御主人!」
投げられたチャチャゼロは、窓枠から弾き出される形で落ちかける。
「ふん。それこそ自業自得だ。茶々丸、お茶」
エヴァの催促に、茶々丸は士郎にもう一度頭を下げ、チャチャゼロを回収しながら台所へと消えていった。
士郎はそんなやり取りを眺め、ため息をつく。
「野宿も久しぶりだな……」
壁に背を預けて座り込み、ぼんやりと夜空を見上げるように目を閉じた。
夜の帳が完全に降り、月だけが煌々と輝く時刻。
「……ん?エヴァ……か?」
微かな気配を感じ、士郎はゆっくりと目を開ける。
そこには、幽鬼のように一切の音も立てず、妙齢の女性が立っていた。
「士郎」
「……エヴァ、なのか?」
「そうだ」
背丈も体つきも違うが、その顔立ちと雰囲気で、士郎はそれがエヴァだと理解する。
「この毛布……」
起き上がろうとした士郎の体からずれ落ちた毛布。
視線で問いかけると、エヴァは首を振った。
「いや、茶々丸だろう。後で礼を言っておけ」
沈黙が流れる。
「……その姿は?」
「坊やから血を吸って、魔力を得た。これからは大人の時間だ」
そう言って、エヴァは士郎にグラスを差し出す。
飲めるだろう、と視線で問い、ワインを注ぐ。
士郎も返礼とばかりに、エヴァのグラスへワインを注ぎ返した。
「乾杯……」
二人は静かにグラスを鳴らした。
「チャチャゼロが言っていたな。お前は正義の味方だと」
「そうだな……正義の味方になりたいと思ったことはある。だが、自分を正義の味方だと名乗ったことはない」
士郎は続ける。
「困っている人がいれば助け、死に瀕している人がいれば生かし、この手から命が零れ落ちないよう、足掻いてきただけだ」
「……お前も、いい具合に歪んでいるな」
エヴァの言葉に、士郎は苦笑いを浮かべるだけだった。
「私の呪いについて、少し話してやろう」
そう前置きして、エヴァは語り始めた。
サウザントマスターが、その有り余る魔力で“登校地獄”の呪いをかけたこと。
その経緯。
そして、卒業の時には迎えに来てくれるはずだったこと。
呪いを解くには、どうしても血縁であるネギの血が必要であること。
感情を込めず、淡々と語り終え、エヴァはワインを一口飲み、月を見上げた。
「ここに縛られ、女子中学生として過ごし……時には、悪くないと思うこともあった」
「お前も正義の味方を名乗るなら、平和の尊さは身に染みているだろう。この私でさえ、平和の価値は理解しているつもりだ」
――だが。
その一言で、声色が変わる。
「十五年だ。十五年だぞ、士郎!」
「奴は私に呪いをかけ、卒業のときには迎えに来ると言った……!」
「最初の三年は、不平不満もあったが、それなりに悪くはなかった」
「だがな!三年経っても奴は来ず、届いたのは――死んだという知らせだけだ!」
エヴァは月から視線を落とし、哀愁を帯びた瞳で士郎を見る。
「私のような存在が魔力を抑えられ、ここに縛られ、同じことを十五年……」
「エヴァ……」
「たかが、などと言ってくれるなよ」
「ようやく巡ってきたチャンスだ。邪魔をするな、士郎」
「私は悪い魔法使いだ。自分の欲望のためなら、他人の犠牲など厭わない」
「さあ、正義の味方。お前はどう出る?」
一秒、二秒。
二人は見つめ合う。
やがて、エヴァがふっと笑った。
「今日の私はサービスだ。こういう私もいることを、覚えておけ」
子ども扱いするな、と言外に告げ、玄関の扉を指さす。
「もう家に入れ」
「……エヴァ。最後に一つだけ、いいか?」
「なんだ?」
「本当に……殺すのか?」
「……さあな」
士郎は数秒エヴァを見つめ、やがて頷く。
「そうか。ワイン、ありがとう」
そう言い残し、士郎は家の中へと入っていった。
「ふん……子供相手だからといって、即答できないとはな」
「私も、丸くなったものだ」
エヴァは空になったグラスにワインを注ぎ、飲むことなく、その揺れる水面を見つめる。
デッキの手すりに、静かにうなだれた。
「……ナギ。どうして、お前は死んだのだ」
そう、一言だけ呟いた。