授業をまったりとさぼり、茶道部の茶室を出た帰り。
エヴァと茶々丸は飛び石の道を歩いていた。
「茶々丸、今朝のオコジョ妖精を見たか?」
「はい、マスター」
「坊やに助言者がついたみたいだな。仮契約をした可能性が高い。しばらく私か士郎の側を離れるなよ」
「士郎さん、ですか?」
「ああ、あんなやつでも家の居候だしな。おまえを守ってくれるさ」
そんなことを話しているとき、エヴァを呼ぶ男の声が聞こえてきた。
エヴァはその相手が誰か分かり、思わず眉を顰める。
「タカミチ、何か用か?」
「学園長がお呼びだ。一人で来いだってさ」
「わかった。すぐ行くと伝えろ」
エヴァは不承不承頷き、それから茶々丸の方を向いた。
「すぐ戻る。必ず人目のあるところを歩くんだぞ」
そう言ってから、そういえばと何かを思い出したように言葉を繋げる。
「……確か士郎のやつが町を散策すると言っていたな。出来れば一緒になれ」
エヴァの忠告に、茶々丸は無言で頷いた。
「お気をつけて、マスター」
ぺこりと頭を下げて、茶々丸はエヴァを見送る。
そしてエヴァとタカミチは学園長室へと向かい、歩き始めた。
「何の話だよ? また何か悪さじゃないだろーな?」
「うるさい。貴様には関係ない事だ」
「そういえばさっき言ってた士郎君って、新しくネギ先生のところの副担任になるとか言う?」
「じじいから聞いたのか? まあ、どうせあのじじいの話とやらも士郎関係の話だろう」
タカミチの言葉に、エヴァはん?と眉を上げ、めんどくさそうに溜息をついた。
「じじい、来てやったぞ。何の用だ」
「そういきり立たんでもよかろう」
ふぉふぉふぉと笑う学園長に、エヴァはきりきりと眉を吊り上げる。
「士郎君に書類を頼もうと思うてのう」
これなんじゃが、と示された分厚い封筒を受け取る。
「それで士郎君の住む所なんじゃがのう――」
「必要ない」
「むぅ?」
学園長の提案を、エヴァは即答で切って捨てた。
「前にも言わなかったか? あれは私が拾ったのだ。だから私のものだとな。それに奴も私の家に住むことを了承している。茶々丸も奴を気に入っているようだし、ただでこき使える家政夫だからな」
「ふむ、それはしかたないのう」
好々爺然とした表情で学園長はそう言った。
その様子にエヴァは、何か別な含みがあることに気付きながらも無言で流す。
「ついでに報告だが、昨日学園に侵入した奴な。どうやら坊やの関係者のようだぞ。今朝、坊やと一緒にいたオコジョ妖精を確認したからな」
「ふむ」
エヴァは別に学園に危険は無いだろうと思いながらも、その表情はどこか不機嫌そうであった。
「これで話は終わりか? 終わりなら私は帰るぞ」
「そう急ぐ事もないじゃろう」
背を向けて出て行こうとするエヴァに、学園長はゆっくりと声を掛けた。
「こんな噂話、知っているかのう。満月の夜になると、桜並木に真っ黒なボロ布に包まれた怪物が出るとか」
「そいつは怖い話だな。茶々丸には後で話でもしておかないとな」
「そういえば、ネギ先生のクラスの生徒が立て続けに貧血で倒れたらしいのう。日々の健康は大切にせんとな」
「そうだな。私も風邪を引くこともあるからな。せいぜい健康には気をつけるさ」
エヴァのからかい半分の言葉に、学園長はむぅと唸り、数瞬の間が空く。
「……ふむ。士郎君が知ったら、どうなるんかのう」
何を、とは言わない。
「さぁな。奴の事だ、きっとどうにかしようとするんじゃないのか?……と言っても、もう知っているかもしれんがな」
肩をすくめながら話すエヴァの言葉に、学園長は満足そうに頷いた。
「もう、じじいの茶飲み話は終わったか?」
「うむ。士郎君によろしくのう」
「フン、ぬかせ」
そう捨て台詞を残すように答え、エヴァは颯爽と学園長室を後にした。
その背中を見送りながら、学園長はふぉふぉふぉと愉快そうに笑っていた。
茶々丸はエヴァと分かれてから、いつも通り街を行き、日課である猫の餌やりをするために猫の溜まり場に来ていた。
茶々丸は猫たちに餌をやりながら、ふと士郎の事を考える。
この世界に来てから、一緒に生活するようになってから、それほど経ってはいないはずなのですが、まるでずっと一緒にいたような感じがします。
私を背負ってハカセの所まで運んでくれて、ロボである私の体を見て慌てたり。
そして、食べられない私に食事を用意してくれて……。
あの時湧いた感情は、口惜しいという感情だったのでしょうか。
今日も麻帆良の中を買い物をするついでに散歩をすると言っていましたが。
「士郎さんは道に迷ってはいないでしょうか……」
ふと空を見上げながら呟いたとき、茶々丸は背後に人が近づいてきたのに気付き、振り返った。
するとそこには、ネギと明日菜の二人がいた。
「……こんにちは、ネギ先生。神楽坂さん」
二人は無言で佇み、茶々丸は猫たちを自分から遠ざけて向き合った。
「……油断しました。でも、お相手はします……」
「茶々丸さん、あの……僕を狙うのはやめていただけませんか?」
「……申し訳ありません、ネギ先生。私にとってマスターの命令は絶対ですので」
ぺこりと、茶々丸は礼儀正しく頭を下げる。
「ううっ……仕方ないです……。では、茶々丸さん」
「ごめんね……」
「神楽坂明日菜さん……いいパートナーを見つけましたね」
茶々丸とネギ、明日菜が対峙し、ネギが詠唱を始める。
「行きます! 契約執行、10秒間!
ネギの従者『神楽坂明日菜』!
ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」
ネギが呪文を唱え終えると、明日菜がまるで羽が生えたかのように身軽となり、爆発的な加速と共に駆け出した。
一撃目は互いに弾き合い、それでも明日菜は接近し、左手で構えていたデコピンを茶々丸の額へ向けて放つ。
だが放たれる瞬間、茶々丸は右腕で明日菜の伸びてくる左腕を逸らし、自らも後退することで、なんとか回避していた。
「速い……! 素人とは思えません」
一瞬の攻防を経て、茶々丸は明日菜の動きに舌を巻く。
明日菜は茶々丸の驚きを気にする暇もなく、我武者羅に間合いを詰める。
そして二人が接近戦を繰り広げている間に、ネギは別の呪文の詠唱を始めていた。
「光の精霊、11柱……集い、集まりて……」
ポッ、ポッ、ポッと、ネギの詠唱に反応して光の玉が展開されていく。
「魔法の射手――連弾・光の11矢!!」
詠唱完了と同時に、十一条の光の矢が茶々丸に向かって迫った。
「………………!!」
茶々丸は即座に解析を行うが――。
「追尾型魔法、接近多数……回避不能」
解析結果から回避不可能と悟り、覚悟を決める。
「すいません、マスター……。
もし、私が動かなくなったら……ネコの餌を……。
士郎さん、明日の買い物……行けなくなりました……」
光の矢が迫る瞬間、声にもならない謝罪を口にした――その時。
「――投影開始」
一陣の赤い風が、茶々丸の前に躍り出た。
ネギが止めるか迷った一瞬の後、十一条の光の矢が着弾し、粉塵が舞い上がる。
「どうなったの……?」
「わ、わかりません……! 障壁の類は展開されませんでしたけど……魔力を感じます……!」
「……それって!」
粉塵が晴れると、そこには180センチを超える白髪で色黒の男が、白と黒の双剣を構えて立っていた。
「……士郎さん?」
「あ、あんたは!」
茶々丸と明日菜が声を上げる。
「明日菜さん、知っているのですか?」
「う、うん……ほら、一昨日話したじゃない。
エヴァちゃんから助けてくれた人で……確か、衛宮士郎さん、だったかな?」
「……衛宮士郎さん」
ネギと明日菜は呆然と士郎を見ていた。
士郎はそんな二人をよそに、茶々丸のもとへ歩み寄る。
「大丈夫か、茶々丸?」
「あ、はい。士郎さんのおかげで私は大丈夫ですが……士郎さんは?」
「ああ、俺は大丈夫だ」
そう答え、表情を引き締めてネギと明日菜へ向き直る。
「それにしても、ネギ・スプリングフィールド先生。
自分の生徒を襲うなんて、どういうつもりなんだ」
「何言ってるのよ! ネギは命を狙われているのよ!」
「エヴァに狙われているのは知っている。二人がかりで茶々丸を狙ったのも卑怯だとは言わない。戦略的には間違っていないからな。だがネギ先生――」
士郎は一歩、前に出る。
「自分の生徒を、二人がかりで闇討ちのように襲うのは、勉強を教え、生徒を導く先生という存在からしてどうなんだ?」
「うっ……」
「一般人であり生徒でもある神楽坂明日菜を巻き込み、同じ生徒である茶々丸を襲う。それでも先生と言えるのか? もし他の生徒が自分の不利になるようなら、同じように排除するのか?」
士郎の声は低い。だが、そこに怒りが滲んでいた。
「確かな信念、誇りを持って外道を行くのなら何も言わない。自分の命が何より大切だというなら、もう何も言うことはない。……ただ、その分のリスクを負う覚悟を決めろ」
ネギと明日菜は、士郎に気圧されて無意識にじりじりと後退する。
「言いたい事があるなら直接エヴァに言えばいい。それに仮契約とかいうのをしたのだろう。だったら正面から、エヴァと茶々丸と戦うこともできるのだから」
士郎は一呼吸置き、鋭い視線を二人に向ける。
「……それでも、今ここでこれ以上、茶々丸を襲うというなら――俺が代わりに相手になるぞ」
ネギはその重圧に耐え切れなくなったのか、泣きながら踵を返し、走り去ってしまった。
「あ! ちょっとネギ!」
明日菜も慌ててそれを追いかける。
去り際、士郎は少しだけ眉をひそめた。
(……まあ、少し可哀想だったかな?)
「ふぅ……大丈夫か、茶々丸?」
士郎は剣呑な気配を解き、いつの間にかぺたんと地面に座っていた茶々丸へ、視線を合わせて尋ねた。
「ええ。さっき言ったとおり、私は大丈夫です」
「そうか。……顔に泥が付いてるぞ。ちょっと動かないでくれ」
士郎はハンカチを取り出し、茶々丸の頬についた泥をぬぐってやる。
いつの間にか遠ざけたはずの猫たちが、茶々丸へ寄ってきてにゃーにゃーと鳴いていた。
「心配してたみたいだな」
「……そうみたいですね」
茶々丸は猫たちをやさしく撫で、立ち上がる。
「帰ろうか」
「はい」
士郎は投げ出したチャチャゼロと荷物を回収する。
「オイ家政夫、ヨクモ俺様ヲ捨テテクレヤガッタナ」
「いや、悪かった。すまん」
ケケケケケと不機嫌そうに笑うチャチャゼロに、士郎は素直に謝り、茶々丸と並んで歩き出した。
しばらく歩いたところで、茶々丸はふと気がついたように口を開く。
先ほどネギと対峙したとき、士郎が口にした言葉を思い出していた。
「士郎さん。ネギ先生に言っていた――『確かな信念、誇りを持って外道を行くのなら何も言わないが、その分のリスクを負う覚悟を決めろ』という言葉は?」
「ああ、あれね。……親父の事みたいなものかな?」
「士郎さんのお父様ですか?」
「そう。俺が正義の味方を目指してるのは話したと思うけど、その願望は……じいさん……親父の正義の味方に憧れて、親父が夢見た正義の味方に、ってね」
士郎はどこか遠くを見るような目をした。
「ただ、親父の正義の味方のあり方っていうのは――九を救うために、一を切るものだった」
茶々丸は、語る士郎の横顔をじっと見つめる。
「親父は魔術師としては一流ではなかったけど、それでも最強の魔術師殺しと呼ばれてたみたいでさ。こっちの、魔術の世界に入ってから俺の知らない親父の色々な話を聞いた」
「どんなに強い魔術でも、どんなに堅牢な工房でも、それを破り対象の魔術師を確実に殺す。その方法――勝つためには何でもしたらしい」
士郎は笑っていない。淡々と、だが重く続ける。
「相手の恋人を人質に取ったり、裏切り、不意打ち……何でもありって事もさ。それが“一を切る”ことで、どれだけ怨まれても――その一を気にかけることで他の命が危険にさらされるのなら、迷う暇なく切り捨てる……」
「親父もそんなあり方に、ずっと迷っていたけどな」
「……士郎さん」
「俺も正義の味方を目指してる。……一を切るんじゃなくて、親父が憧れた十を全部救えるような」
士郎は小さく息を吐く。
「でも……いつも指先から零れ落ちて。自分のあり方が歪だってことは、なんとなく分かってるつもりだ。十を救おうとして、本当に大切なものを救えないんじゃないかって、いつも考えてる」
「それでも、自分のあり方は自分では変えられない……」
茶々丸は何も言わず、ただ士郎の横顔を見つめ続けた。
「あ、レッドの兄ちゃん!」
重い空気を破るように、唐突に背後から幼く明るい声が飛んだ。
士郎と茶々丸が振り返ると、幼い少年が二人のもとへ駆け寄ってくる。
「あー、茶々丸もいる! 茶々丸、あのさあのさ! レッドの兄ちゃんすごいんだぞ!」
少年は目をきらきらさせ、舌足らずな口で必死に説明する。
「子猫が車にぶつかりそうになった時にな! びゅーってやってきてさ! カッコよく助けたんだぞ!」
その様子が微笑ましくて、士郎は思わず笑みを浮かべた。
「……そうなのですか?」
「ああ。街を回ってるときな。偶々、保育園の目の前で車に轢かれそうな猫を助けてさ」
「すごかったんだぞ!」
興奮気味に語る少年に、士郎は照れたように苦笑いする。
「おいらもレッドの兄ちゃんみたいな正義の味方になるんだ!」
えへへ、と笑う無垢な少年の言葉に、士郎は一瞬だけ体を強張らせ――それでも、すぐに小さく頷いた。
「そうか」
「なら、まず好きな人を守れるようにならないとな」
「父ちゃんと母ちゃんか?」
「そうだな」
「うん! がんばるぞ!」
元気に頷く少年の頭を、士郎は少し乱暴に撫でる。
少年はえへへと笑みを濃くした。
「もう遅いし、一人で帰れるか?」
「うん! 大丈夫だぞ!」
士郎はぽんと背中を押してやる。
「車に気をつけてな」
「……お気をつけて」
「じゃあな! レッドの兄ちゃんと茶々丸!」
少年は体全体で手を振り、元気に去っていった。
「まるで嵐だな」
「……はい」
チャチャゼロも同意するようにケケケと笑った。
空気が少し和らいだところで、茶々丸は士郎へ向き直る。
「士郎さん。……さっき私を救ってくれたとき、士郎さんは私にとっての正義の味方でしたから」
茶々丸の明け透けな感謝の言葉と微笑みに、士郎は照れてどこかぎこちない笑みを浮かべる。
「ははっ……」
「……っと、そういえば。どうしてあんな事が聞きたかったんだ?」
「アレハ御主人ト同ジダカラナ」
チャチャゼロの言葉に、茶々丸も頷いた。
「エヴァが?」
「はい。『誇りある悪ならば、いつの日か自らも同じ悪に滅ぼされることを覚悟するんだ』と」
士郎はその言葉を小さく反芻し、ゆっくりと頷く。
「そうか」
「はい」
穏やかな空気のまま、二人はエヴァ邸へと帰路についた。