持ち上げた瞼。眠りから覚めし素っ裸の女神は、乳白色の長髪を枕元に散らかしながら自室の天井を見つめていく。
持て余したダブルベッドで目覚めたユノ。掛け布団の下には色白で黄金比の肉体が収まっており、彼女はどこか夢の余韻に浸るよう虚ろな様子で上体を起こしていく。はらりとずり落ちた掛け布団は彼女の美麗な乳を曝け出し、ユノは寝起きにも関わらず悠然とした凛々しい面持ちでベッドを下りた。
素足でひたひたと歩く彼女は、カーテンを開けて日光を浴びていく。全裸の姿で窓越しに陽を拝んだユノは、踵を返して部屋の中央へと移動すると、ちゃぶ台の上に用意してあった着替えへと手を伸ばして淡々と身支度をし始めた。
一番上に乗せられていた、白色を主体とした高級ランジェリー。サイドの黒色レースにシルク生地を用いた白色のショーツを履き、少し厚みのある上品な白色ブラシャーを着けていく。それから黒色のバイクパンツを履き、ボタンを二つ外した赤色のワイシャツをタックインして、黒色のライダースジャケットを着込んで輪ゴムを咥え込む。最後に乳白色の長髪を分厚く束ねてまとめると、大きなポニーテールを作って彼女は準備を終えた。
寝床のスペースからリビングルームへ移る際には、部屋の境界線に用意してあった膝丈まである黒色ロングブーツを履いて歩き出す。ユノはそれをコツコツと鳴らしながら二階の住居を横断すると、一階へと続く階段を下りて自身が経営する雑貨屋『
既に開店のプレートが表向きとなっており、洒落た小道具の世界にはひとつ、きびきびと動き回る人影が蠢いている。その人物は下りてきたユノに気が付いていくと、とても律儀な青年の声で挨拶を口にしてきた。
「あ、ユノさん。おはようございます」
「おはよう、
「とんでもありません。これも仕事の内ですから」
柏島と呼ばれる彼は、175cmの背丈を持つ現代的な容姿の青年だ。
「既にお客様が三名ほどいらっしゃいまして、売上を帳簿の方にまとめておきました。ユノさんの目で確認の方をお願いします」
「貴方は勤勉ね。さすが、大手便利屋事務所『ワールズアパート』の従業員なだけはあるわ」
「皆さんと比べれば、俺はまだまだですよ。何よりも経験が足りていないので、とにかく自分から進んで苦労をしないと。副業のバイトとして、こうしてユノさんの元で働かせて頂ける時間も無駄にしたくありません。どんな出来事も、俺にとっての大切な経験のひとつとして学んでいきたいんです」
「貴方のその前向きな人柄が、幾人もの人々を魅了してきたのでしょうね。プレイボーイである所長の彼すらも例外に漏れず、男性である貴方の事を気に入っているのがその証拠よ」
ユノがその言葉を口にした直後、扉の呼び鈴が鳴らされると共にのっぽの大男が入ってきた。灰色のスーツと黄色のシャツに身を包んだ陽気な男性であり、彼は常備するサングラスに光を反射しながら口角を上げた表情で会話に参加する。
「弊社が推薦する社内一の真面目な従業員、
「あ、
「よぅ、カンキちゃん。噂をすれば何とやら、荒巻所長とはこのオレちゃんのことよ」
閉じた扉を背に、荒巻と呼ばれる陽気な男性は陽の光を受けながら指を立てて応えていく。それからズボンのポケットに両手を入れ、ユノの下へ歩み寄りながら飄々と喋り続けた。
「よーぅ、ユノちゃん! ユノちゃんの口からオレちゃんのことを噂してくれて嬉しいぜ」
「貴方を呼び立てたわけではないわ。用が無いならさっさと帰りなさい」
「おっほ! 相変わらずオレちゃんに対しては冷たいねェ。でも、この当たりの強さがまたクセになるんだわ」
「貴方の変態趣向に付き合っている暇はないの」
「変態!? ユノちゃんの口から、変態の言葉が!? うっひょー!! ユノちゃんの罵りからしか得られない成分がこれまた最高に堪んねぇなァ!!!」
本気のドン引き。ユノは心から軽蔑した。尤も、荒巻は鋭く突き刺さるユノの視線にすら興奮を覚えながらも、スマートフォンを取り出してはケロッと話題を変えてそれを喋り出してくる。
「んまァ冗談はこれくらいにしておいて、今日はちょっとした用事があって顔を出しに来たんだ。こいつはもう見たか? 今日のニュース記事だ。『超人、現る!』。ここ最近と大都市『
荒巻が水平に倒したスマートフォンを、ユノと歓喜は覗き込む。そこには長々と書き綴られた文章と共に、深紅のコートと乳白色のポニーテールを靡かせながら両腕のガントレッドを振るう人物の写真が載せられていた。顔面にはジャック・オー・ランタンを想起させる不気味な仮面が嵌め込まれており、赤色に光る目と口が畏怖を掻き立てる。
ユノは凛々しい面持ちをそのままに表情を変えず眺めていく。一方で歓喜は自分のことのようにウキウキしながら、ユノへと向いて言葉を投げ掛けた。
「俺も詳しくは知らされていない立場の人間なんですけど、この『超人』はユノさんのことでいいんですよね? 最近の活躍がニュースにも取り上げられて、これって相当すごいことなんじゃないですか?」
「世間の目には、そう映っているのでしょうね」
「やっぱりすごいことですよ! 俺もいつか、こうなれたらなぁ……。でもユノさん、これだけの力を持っているのなら、それこそヒーロー協会とかに入ったりしないんですか?」
「そういう性分じゃないわ。私はただ……」
そう言って、ユノは言葉を止めていく。脳裏に想い人の姿を浮かび上げていたのだろう。彼女の様子に歓喜は首を傾げて顔を覗き込む一方、荒巻はすぐにスマートフォンをしまいながらユノへと言葉を投げ掛けた。
「そんな『超人』に、オレちゃんは“仕事”を持ってきた。そいつが今日ここに来た用事だぜ」
どこからともなく用紙を取り出す荒巻。考える間もなくそれがレジカウンターに置かれると、ユノと歓喜はレジカウンターへと移動しながら荒巻の話へと耳を傾けた。
「今回の依頼は、物探しだ。依頼主は龍明に住む主婦の方で、亡くなった夫の形見である指輪を見つけ出してほしいと相談された。探し物を探すだけなら、ワールズアパートにある専用の小道具なんかを使って調査することはできるんだが、如何せん今回の捜索場所が場所なだけに、一端の便利屋であるオレちゃん達だけでは難儀を極めているっつーワケだな」
用紙を眺めていた歓喜が顔を上げ、荒巻へと訊ね掛ける。
「その、捜索場所とは……?」
「カガリビだ。黄泉百鬼の巣窟として、政府に立入禁止措置がとられている危険地帯。進入するには政府からの許可が必要だが、個人的な理由で許可が取れるほど管理は甘くない。被害を出さないためにも、黄泉百鬼の巣窟は徹底的に警戒されているからな」
「どうしてまた、カガリビの中に?」
「黄泉百鬼に侵略される前、その依頼主の住まいがそこにあったんだ。黄泉百鬼の侵略を受けて直ちに避難したが、避難の際に形見の指輪を持ち出すのを忘れたんだと。当時の緊急性が伺えるな。命こそは助かったが、元の住まいがカガリビと名付けられ隔離地域に指定された今、指輪を取りに行くことも叶わず、置いてきてしまった旦那に対する後悔だけが積み重なっているという話だ」
「そう言われてしまうと、何とかしてあげなきゃと思ってしまいますね……」
「カンキちゃんの優しさが出ていて、オレちゃんはイイと思うぜ。ただ、人情だけでは物事は解決できない。必要なのは、解決に導くための道筋だ。ユノちゃん、やれそうか?」
用紙を見つめるユノは、ゆっくりと顔を上げた。彼女は凛々しく、悠然とした様子で答えていく。
「引き受けましょう」
「ありがてぇ! いつもリスクばっかりの仕事を任せちまってすまねェな」
「私としても都合が良いわ。調査した先でヒイロの行方が分かるかもしれないのだもの」
そう言い、ユノは用紙を手に持つ。同時に視線を歓喜へと投げ掛けると、当然のような口ぶりでその言葉を発言した。
「柏島くん、本日は店じまいよ。貴方もこの仕事に同行して頂戴」
青色の乗用車を走らせること数時間。発展した街並みでありながらも一切もの
「ところでなんですけど、カガリビに入る手段とかあったりするんですか? 黄泉百鬼の巣窟は厳重に管理されている関係上、まず進入する方法を考えないといけませんよね? 何かこう、掛け合えるツテとかがあったり?」
歓喜の疑問に対して、助手席に座るユノは凛々しいサマで答えていく。
「ツテは無いわ」
「では、どうやってカガリビの中に入られるつもりで……?」
「手段はただひとつ、不法侵入よ」
「…………え?」
「出入りを監視されていなければいいだけでしょう?」
「いやいやいや!! そういうわけにはいかないでしょう!?」
「他に方法が無いわ。貴方に代案があるのなら別だけれども」
「代案は……ないですけど。でも、不法侵入ってそれはもう犯罪じゃないですか!」
「柏島くんを共犯者に仕立て上げるつもりはないわ。ただ、私が侵入する際に通行人として監視の目を引き付けてもらえれば、あとはこちらで何とかするから」
「でも、だからって……!」
「本来の計画であれば、それで捜索に取り掛かるつもりだった。けれども、事態は想定よりもだいぶ深刻のようね」
「?」
ユノの言葉に、歓喜は並々ならぬ予感を抱いた。一瞬と噤んだ口で訪れた静寂。その中で無人の空間では異質な物音を耳にした彼は、周囲を見渡しながら状況の把握を急ぐ。
鳴り響く銃声。崩落と打撃音。人々の切羽詰まった声が断片的に聞こえ、緊張を掻き立てる。直にも直進する道路の先で複数の警察官が後退してくると、走行するこちらの車を見掛けるなり男の一人が大声で呼び掛けてきた。
「そこの乗用車!! 今すぐ引き返しなさい!!」
警察の言葉を耳にして、歓喜は疑問のまま窓を開けて顔を覗かせながら訊ね掛けていく。
「あの、どうかされたんですか?」
「今すぐ引き返せ!!! ここは既にカガリビの中だ!!!」
「カガリビの中――?」
瞬間、助手席のユノが歓喜を押し退けた。次に展開されたのは、歓喜とハンドルの間を通り抜け、車の窓から華麗に飛び出したユノの動作。彼女が前転して着地すると、直後、車へと飛び掛かってきた“異形”へと強烈な蹴りをお見舞いした。
すぐさま立ち上がり、左脚を軸にして横へ回転させた体。その一瞬で破壊的な勢いをつけると、次にも構えた右脚を突き出すことで槍のような鋭い裏蹴りが異形に炸裂する。蹴られた異形は禍々しい靄で形成された実体を持ち、ゾンビや餓鬼を彷彿とさせる薄汚くて不格好な体格を有する人型の黄泉百鬼だった。地上に揚がった深海魚の如く目玉が飛び出しているそれはユノの蹴りを食らうと、一直線を描いて後方に飛んでいき、ビルにぶつかって爆発四散した。
右脚を持ち上げた姿勢で佇むユノ。咄嗟の出来事に場が唖然とする中、歓喜は車を停めて降りながら警察官へと駆け寄っていく。
「便利屋事務所ワールズアパートから派遣された者です! 彼女は連れの者であり、今回依頼を受けてカガリビ周辺の調査に訪れたのですが!」
「なら、ここはもう立入禁止だ! 今しがた、カガリビに巣食う黄泉百鬼が生息域を広げやがった!」
「カガリビが広がった……!?」
動揺する歓喜と、凛々しいサマで足を下げるユノ。警察官は暫し二人の様子を眺めると、躊躇う様子を見せながらも緊迫した調子でそれを口にし始める。
「民間人に頼むことじゃないと思うが、今の感じで戦えるのならどうか頼みたい! カガリビを広げつつある黄泉百鬼の群れと一緒に戦ってくれないか!? 今いる警備隊だけでは大群に押し切られそうなんだ!!」
「え、えっと……ど、どうしますか、ユノさん!?」
慌てる歓喜。救いを求める眼差しの警察官。二人の視線がユノに注がれると、彼女は一切と表情を変えることのない凛とした面持ちでそう答えた。
「いいでしょう。主戦場に案内して頂戴」
森林のようにビルが立ち並ぶ直線状の大きな道路。生命の鼓動が追い出された無機物の集合体に今、無数の警察官が地を這うアリのように駆け抜けていた。
巣窟から次々と現れては襲い来る黄泉百鬼の群れ。先程の薄汚い餓鬼に加えて、猛禽類の翼と馬のような分厚い身体を持つ
幸いと被害は軽微で済んでいるようだが、皆が恐怖で引き攣った顔をしている。まるで無限とも言える異形の大群に一同は絶望するが、撤退を続ける戦況の中で、私服の女性がひとり、黄泉百鬼の群れに向かって真っ直ぐな足取りで歩いていく。
自分らと逆行する存在に、辺りの人々は次々に振り返った。その場の誰もが彼女の背に注目する。
舞台の準備が整った。残すところは、“主役”の活躍という最大の見せ場のみ。
地面を蹴り付けたユノは、瞬時に姿を消した。次に訪れた展開は、地上の黄泉百鬼に急接近した彼女が異形を天高く蹴り上げる光景。左脚を軸にして、上半身を低く下げながら体を捻り、右足を踵から天に突き出した華麗なる佇まい。呼吸を忘れる束の間。世界の時間が一瞬止まると、ユノは澄み渡る覇気を纏いながらゆらりと体を動かした。
瞬間を縫う高速移動。接近と共に繰り出される、
仮面の裏に秘めた力は、非常に繊細で刹那的だった。ユノは地上の黄泉百鬼を足払いで浮かせ、その体に華麗なサマーソルトキックをかまして吹き飛ばす。続けて地上を蹴り出すと音速で無数の黄泉百鬼を踏み台にして飛び移り、上空にいる飛行型の黄泉百鬼へと蹴りを食らわせ、食い込ませた足を地上に向かって振り抜いていく。落下した黄泉百鬼は地面に衝突すると、その衝撃で周囲の黄泉百鬼も散り散りに吹っ飛んで倒れ込んだ。
異形の群れが落ち着き、奥から次の集団がわらわらと現れ始めたその頃。ユノは道路に着地すると後方で待機していた歓喜へとその言葉を投げ掛けた。
「柏島くん」
「は、はい!」
「この場は任せたわよ」
そう言い残してユノは跳躍すると、彼女は返事を聞くまでもなく瞬く間に姿を消してしまった。
急にこの場を託された歓喜は、困惑のあまり唖然とした。だが、前方では今も次に控えた黄泉百鬼の集団が迫り来る。次第にも彼は意を決するように歩き出すと、その両腕に
その現象を目の当たりにした警察官達が、会話のために顔を近付け合いながらそれを喋り出す。
「な、なんですかあれ……? 腕に何か出てきましたけど……?」
「知らないのか? あれは“ヴィジョン”だ」
「ヴィジョン?」
「要は、異能力だよ。一部の人類が宿す特殊な超常現象さ。主にヒーロー協会で活躍する連中なんかが持ってたりするんだが、彼のように一般人が所有しているケースもある。法整備もされて普段使いができなくなった分、お目にかかる機会はそんなないだろうな」
水縹色の篭手を握り締め、重みのある足取りで黄泉百鬼の集団に立ち向かう歓喜。彼の存在に反応を示した黄泉百鬼の群れが一斉に注視し始めると、連中は束になって歓喜へと襲い掛かった。
地上と上空、双方から二十体ほどの黄泉百鬼が迫り来る。その光景を眼前に歓喜は両拳をどつき合わせて甲高い音を鳴らすと、次にも姿勢を低くしながら拳を地面に叩き付けた。
直後にも、彼の周囲に巡ったドーム状の透明なバリアが黄泉百鬼を弾き飛ばす。歓喜は続けてドーム状のバリアを両腕の篭手に吸収すると、ばちばちと満ちたエネルギーを迸らせながら拳を振るい始める。
そこから繰り出されたのは、伸縮自在と伸びる拳の幻影だった。迫り来る黄泉百鬼を遠距離から一方的に攻撃して退け、黄泉百鬼が接近すると歓喜は両手を突き出すと共に防壁とも呼べる巨大なバリアを張り出し、黄泉百鬼の接近を跳ね除ける。威力は殲滅力こそは先方に劣るものの、防衛に長けた歓喜の異能力ヴィジョンに警察官達は安心感を寄せ始めていた。
だが、戦況は刻一刻と移り変わる。警察官のひとりが指を差しながら声を上げていく。
「なんだあれは!?」
歓喜はハッとしながら顔を上げた。上空から迫る新手の黄泉百鬼だ。それは全長2mほどの図体を持ち、モアイ像を想起させる巨大な人面で静かに浮遊する異形だった。人間の皮膚を思わせる質感の表面で、ふくよかな頬の輪郭が横幅をとる形状のそれらは、音も無く浮遊を続けた後に歓喜へ向かって牙を剥いてくる。
黄泉百鬼の口部が裂けるように開き、中からはライフルのような巨大の銃身が現れた。それは集束する光を蓄えると、次にもレーザーのような粒子砲を撃ち出してくる。一目で食らってはいけない危険性を察知した歓喜は、急ぎ地面に両手をついて特大の防壁を張り巡らせることで攻撃を凌いだ。
しかし、その攻撃を防いだところで粒子砲は止まらなかった。黄泉百鬼が口を広げている限り、レーザーのように熱を帯びた直線状の粒子砲は無限に発射を続ける。それが無数の方向から降り注ぐことでバリアは確実に消耗し、直にも歓喜の防壁にヒビが入り始めた。
一向に止まない粒子砲。その間にもカガリビから出てくる黄泉百鬼の群れ。眼前の光景に人類は絶望した。警察官達は安堵から一転、震える手で銃を構えながらじりじりと時を待つ。歓喜は力を込めてバリアを張り続けようとするが、無情にも降り注ぐ粒子砲にただただ耐える選択肢を取らざるを得なかった。
人々は願った。この窮地を脱する奇跡の存在を。歓喜は信じた。身近に知る温もりの信頼を。
だからこそ、彼らの前に現れた。“それ”は
粉々に割れる歓喜のバリア。防壁を撃ち抜いた粒子砲が皆の元へ降り掛かる。人々に直撃するという絶望の刹那、歓喜の前に現れた“それ”は引き絞った右腕を振り抜き、破壊的な一撃で空間を殴り付ける。
その拳の一撃は規格外の膨大な質量を含んで放たれた。降り注ぐ粒子砲を風圧で打ち消し、迫る黄泉百鬼を吹き飛ばし、漂う砂埃も欠けたビルの破片も、迫る脅威も人々の絶望も、その悉くを一撃で吹き飛ばした。
深紅のロングコートを身に纏い、乳白色のポニーテールを揺らめかせる。両腕に装着された漆黒と鮮紅のガントレットに、顔面に嵌め込まれたジャック・オー・ランタンを想起させる仮面。目と口からは畏怖を象徴する不気味な紅い光が溢れ出している。
止まない粒子砲に対し、“それ”は道路に両手を突っ込んで地盤ごとひっくり返すことで物理的な盾を作る。これで人々に降り掛かる脅威を一時的に食い止めると、“それ”は跳躍してビルの壁面に飛び移り、壁を音速で走り抜けて上空の人面型黄泉百鬼へと飛び掛かった。
無慈悲な一発が、黄泉百鬼を打ち砕く。攻撃を終えて上空に放り出された“それ”は次にも身を翻すと、空中を蹴り出すと共に軌道を変え、落ちるどころか飛行するかの如く一直線に飛び出しては次の黄泉百鬼へと向かって打ち砕いた。これを数度と繰り返して直線的に上空を移り飛び、瞬く間に人面型黄泉百鬼を一掃すると、“それ”は大気を蹴り出した勢いで地上に下り、着地の衝撃と共に周囲の黄泉百鬼を吹き飛ばしてみせた。
あまりにも圧倒的だった。黄泉百鬼の群れは恐れの感情からか次第と進行を止め、引き返し始める。連中の本能的な判断に対し、“それ”は人類を護るかの如く仁王立ちすることで深追いせず、黄泉百鬼がカガリビに撤退する様子を無言で見守り続けていた。
絶望から一転として、圧巻の勝利をもたらした存在。窮地を救ってくれた“それ”に、一同は歓声を上げて心から讃えたものだ。
緊張のあまりに息を切らしていた歓喜も、信じていたと言わんばかりに期待を両目に浮かべながら微笑する。最中、歓喜の後ろから近付いてきた複数の警察官は、喜びと興奮のままに彼へと言葉を投げ掛けてきた。
「君! あの人って、さっきのすごく綺麗な女の人だよね!? もしかして、ニュースとかで最近よく見るあの『超人』って、彼女のことなのか!?」
「え? えっと、俺からはノーコメントで……」
「なら、せめて教えてほしいことがある! 俺達は彼女のことを何て呼べばいい? 『超人』じゃあ抽象的だろ。もっとほら、名前とかあるだろ、名前!」
「え、えっと……」
歓喜は“それ”を見た。彼女は相変わらず背を向けたまま、無言で佇んでいる。戦闘後のそよ風にポニーテールとコートを靡かせ、圧倒的強者の風格を醸し出しながらカガリビの領域を真っ直ぐと眺めていた。
歓喜は暫しと考え、警察官へと振り向いていく。そして彼は畏れ多く感じながらも、ひとつの確信を胸に秘めながら爽やかにそれを言ってみせた。
「……“
青色の乗用車は交通量の多い道路に合流し、流れに任せるがまま穏やかに走行していた。運転する歓喜もホッと一息つくものの、どこか困った様子で喋り出す。
「カガリビの拡大阻止は大手柄だと思います。本当にお疲れ様でした。ただ、あの後カガリビ周辺の整備とかで追い返されちゃいましたから、結局カガリビへの侵入はできませんでしたね。荒巻所長から引き受けた依頼はどうしましょうか。ダメだったことを素直に言う他ありませんよね」
歓喜は助手席に座るユノへと視線を向けた。彼女は凛とした様相で目だけを歓喜に向けながら、動じることのない声音でその返答を行う。
「指輪の件であれば問題ないわ。依頼の目的も全うした。それだけのことよ」
「え? でも指輪は回収できてませんよね?」
「指輪ならあるわよ、ここに」
そう言い、ユノはダイヤモンドの指輪を取り出した。これに歓喜は思わず仰天する。
「え!? あ、本当だ!! いつの間に!! でもなんでですか!? だってユノさんも一緒に戦ってたじゃないですか!!」
「戦闘を貴方に任せたタイミングがあったでしょう。その時にカガリビへ侵入し、依頼主の旧居へと赴いて依頼品を回収してきたの」
「あ、じゃああの時離れたのって指輪を回収するためだったんですか!? それってつまり、戦闘のどさくさに紛れてカガリビに不法侵入してきたってことですよね……!?」
「今回に関しては、警察の了解を得た上での正当な立ち入りだったわよ」
「それはまぁ、確かにそうでしたが……」
歓喜はどこか複雑そうな表情を浮かべていた。一方でユノは凛々しく微笑し、助手席でくつろいでいく。そして彼女は達成感に包まれた気分の中、フロントガラス越しに天を仰ぎながら悠然とした調子で言葉を口にした。
「依頼は無事に完了したわ。あとは戻るべき場所に戻るだけよ。そして、在るべき日常を過ごしましょう。ユノとしても、超人