デンレゼが足掻く度に不幸になるケッコンの悪魔さん   作:Nera上等兵

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31話 油断

廊下に設置されている屋内消火栓設備のランプが赤く点灯している。

本来であれば、風景の1つであるが、深夜では周りを赤く照らす照明器具となる。

赤い光が届いている手洗い場で手を洗ったレゼは、目の前にあった鏡と向き合った。

 

 

(なんで笑顔なんだろう…)

 

 

鏡に映る自分の表情は、暗くて分かりにくかったが、少なくとも悲しんではいないので問題ない。

大雨と吹きつける風の音によって全てを隠し通してくれる。

 

 

(大丈夫、きっと上手くいく)

 

 

デンジ君とのデートは上手く行った。

お互いの本心を曝け出してずっと一緒に居たいと思えるほどに交流を重ねたおかげである。

 

 

(デンジ君は私を好きになってくれた。後はもう一押しするだけ…)

 

 

本来の予定ではなかった深夜の学校デートは楽しかった。

デンジ君には味わう事がなかった学校生活を再現する事で自分も同じ世界に居られた気がした。

すぐに消え去る2人だけの世界であったが、それでもやる価値はあった。

 

 

(もう少しだけ……)

 

 

大雨が降っている中、深夜の学校に侵入する輩は居ない。

悪魔対策はあるものの監視カメラすらないこの校舎は日本を象徴するようだ。

平和を望んでいるレゼにとっては、もう少しだけ居たい場所であった。

 

 

「……デンジ君?」

 

 

足音がした。

訓練で身に付いた技能がここまで憎たらしい事は無かった。

ここにはデンジ君しか居ないはずなのに敵意を感じてしまったのだから。

 

 

(違う…)

 

 

月光が雨雲に遮られたせいで校舎の中は誘導灯以外に光源がない。

だから近くに居る人物をはっきりとは視認できないが、本能が敵だと判定した。

 

 

「そーだよ。デンジ君だよー。俺さあ。俺もションベンしたかったんだよね」

 

 

デンジが特別な人間である事は知っている。

 

 

「一緒に連れションしような~?」

 

 

顔面が抉れて両目の視線が一致しない謎の男を見た瞬間、レゼは逃げた。

 

 

(なんで!?なんで!?)

 

 

一見するとナイフを持った不審者を目撃して逃げ出した若い女に見えた事だろう。

 

 

(なんで今なの!?)

 

 

公安のデビルハンターがまさか自分を襲撃してくるとは思わなかった。

レゼとしては、デンジ君と健全なデートをしていただけなのに何で襲撃されたのか分からない!

実際、結婚の悪魔はレゼをここで始末する予定だったが、全裸水泳デートを見て呆れて撤退した。

というか、結婚の悪魔とその一派が撤退していなければ、謎の男はすぐに始末されていた。

 

 

「なんで逃げるんだ?連れション行くって約束だろ~?」

「いやあああ」

 

 

とにかくこの男がデンジと同じ公安対魔特異4課に所属しているならば、交戦はできない。

レゼは必死にデンジが居る教室から遠ざかって男の追跡を撒こうと試みる。

 

 

「あ!?」

 

 

暗い廊下でわざと転んでみせたレゼは後方を振り返る。

相変わらずゆっくりと獲物を追いかける素振りを見せる謎の男を見て騙すのは不可能だと感じた。

 

 

「ハァハァ…!!」

 

 

入り口はおそらく封鎖されている。

窓を割れば、警備会社や学校と契約しているデビルハンターが召集されて調査されてしまう。

ならば、逃げる場所は決まっている!

 

 

(屋上なら逃げられる)

 

 

常人であれば袋のネズミとなるが、レゼは屋上から脱出できる技能がある。

心残りがあるとすれば、健全なデートをしたデンジ君とお別れをしないといけない事か。

 

 

(……なんか変)

 

 

公安のデビルハンターは単独で動く事は無い。

屋上に向かえる階段に辿り着いたレゼは違和感を覚えた。

 

 

「おーい!トイレは屋上にないぞってぇ~」

 

 

階段の曲がり角ほど奇襲に有利な場所はない。

しかし、襲撃されなかったので公安のデビルハンターにしては稚拙に感じた。

 

 

(囮?)

 

 

確かに謎の男は歴戦の猛者に感じられるが、それだけだった。

あっさりと屋上に辿り着いたレゼは、ずぶ濡れになりながら中央まで駆け抜けた。

 

 

「もしも~し、キミは屋上でションベンをするのか~?」

 

 

振り返るとモヒカン男がナイフを握り締めながらゆっくりとこちらに詰め寄って来る。

 

 

「アナタ…アナタなんなの!?」

 

 

とりあえず、無垢な女子を演じて相手が所属する部署の確認をする。

もしかしたらカメラに盗聴器が仕掛けられていてフィルムを交換したのがバレたかもしれない。

そのフィルムを提出して事情聴取を受ければ、ただの民間人として開放される…!

 

 

(その可能性は低いけど…)

 

 

せっかくデンジ君とここまで仲良くなれたのだ。

大切な時間を別の何かに上書きされたくないレゼは怯える少女を演じるしかなかった。

 

 

「そういう事聞く自分こそ己が何者か理解してるのか?」

 

 

謎の男の発言を聞いてレゼは理解した。

目の前にいる男は公安のデビルハンターではない。

 

 

「俺はお前を知っているぜ、お前はチーズだ」

 

 

“チーズ”というワードを出してきたので男の正体が分かった。

 

 

(そんな…)

 

 

自分と同じソ連の刺客である。

始末する目標に対して無駄にハニートラップをしている事に祖国は見切りをつけたのだろう。

 

 

「ネズミを表に導き出す為のチーズ」

「何を言ってるの…?お願い、やめて」

 

 

それでもまだ期限ではない。

命乞いをするわけではないが、せめて最期まで任務を全うさせて欲しい。

ナイフを片手に振り回す男にレゼは任務の続行を懇願する。

 

 

「これからキミの綺麗な顔の皮を剥いで目をくりぬいてチェンソーに見せつけてこう言うんだ~。キミの大切な女性は(ry」

 

 

だが、謎の男の発言により正体が発覚した。

確かに同業者ではあった。

よりによってチェンソーの心臓を狙っている刺客だった。

 

 

(……самое(サーマエ) худшее(フーツシェー) чувство(チューストヴァ))(さ、最悪の気分…)

 

 

思わずレゼは無意識に瞼を痙攣させてしまう。

せっかく深夜の学校でデートする女の子だったのに自分が刺客だったと思い出す羽目になった。

思いっきり水を差されたどころか、大切な思い出が汚された気がした。

 

 

「~だけなんだ。命はいらない……うえぇあ!?」

 

 

ナイフを持って近づいて来た不審者をレゼは関節技で返り討ちにした。

公安職員でも民間人でも祖国の密偵でもないのであれば、殺しても問題無い。

 

 

(Покойся(パコーイシャ) с() миром(ミーラム))(せめて安らかに)

 

 

殺さなくて済むならそれが一番良い。

だが、殺さないといけない時がある。

男の気道を絞め技で圧迫し、窒息死させようとするレゼは「ジェーンは教会で眠った」を歌った。

これを歌い終われば、男は死ぬ。

 

 

(雨は好き、だってただの女の子になるから……でも、身に付いた技能は消えない)

 

 

人には鍛えられない急所がある。

眼球、脳、内臓、股間、そして気道。

全身が濡れている今は普通の女の子になれるはずなのに体が言う事を聞かない。

無意識に男を窒息させる技能を実行して歌い終わったレゼは立ち上がる。

 

 

(……ダメか、()()になれない)

 

 

一瞬だけではあるが、祖国の密偵だと勘違いしたせいで思考の一部が刺客に変換されている。

無意識に死体からナイフを盗ったのもその証拠だ。

このままだとデンジ君にボロが出てしまう。

 

 

「嵐で学校に閉じ込めたのキミでしょ?台風」

 

 

だから排水溝に潜む悪魔に八つ当たりをした。

 

 

「レゼ様ガイタトハ知リマセンデシタ」

「今回の事を見逃すからしばらく私に服従ね」

 

 

台風の悪魔にもレゼの名が知られていた。

祖国も利用している悪魔だったからまんまと騙された。

でも、そのおかげで公安相手にもやりやすくなった。

 

 

「この男の死体は処理しておいて」

 

 

排水溝に吸い込まれる水流は、すぐさま死体の処理に掛かった。

その影響で雨量は弱まって別の音も聞こえ始めた。

 

 

(обратный(オブラートゥヌイ) рейс(レイシ))(帰りの飛行機が…)

 

 

校舎の屋上に居たせいか、祖国に向かう飛行機が間近で見える。

本来はあの便に乗って帰るはずだったのに…。

 

 

Всё(フショー) в() порядке(パリャートケ))(大丈夫、問題ない)

 

 

明後日の便に間に合えば、なんとか自分の使命を達成できる。

いつもより寄り道をしただけで今回も目的を達成できるはずだ。

気を取り直してトイレで表情を確認し、デンジ君の元に戻るだけ。

 

 

(待っててくれてたんだ…カワイイ)

 

 

…だったのだが、未だに教室で待機しているデンジ君が愛しく思える。

ハニートラップをやるなら自分から騙す必要があるのだが、むしろ逆にやられている気がする。

プールの時の上目遣いといい、本当は美少年になれる彼を…。

 

 

「バア!」

「わぎゃっ!?」

 

 

驚かせてみると想像通りの反応をしてくれた。

これだけでさっきの光景が頭の中から消え去ったとレゼは思った。

 

 

「便所行ってなんでそんなに濡れてんの!?」

 

 

だが、当然の指摘を想定してなかった。

 

 

「アレ!!デンジ君!!あれってUFOじゃない!?」

「え!?ユーフォーって何!?」

 

 

何も考えてなかったので咄嗟に別の事で興味を逸らすしかなかった。

窓に近づいて男の子が好きそうな話題を振るとデンジ君は喰らい付いた。

 

 

「ごめん、もしかしたら見間違いだったかも…」

「なあ、ユーフォ―って何だ?」

「空よりも上にある宇宙に住む生物が乗っている乗り物だよ」

「えぇマジで!?」

 

 

嘘は言っていない。

勢いで誤魔化せたと確信したレゼは…。

 

 

「で、なんで濡れてんの?」

 

 

自分がデンジ君以下だと確信してしまった。

でも、夜空が晴れていると窓から確認できたおかげで名案が思い浮かんだ。

 

 

「えーっと、雨が止んだと思って外に出たら屋根から水が降って来たの~!」

「マジかー」

「マジだよードリフみたいになっちゃった」

 

 

雨が止んだと思って外に飛び出したら屋根から落ちて来た雨水で濡れた。

これでゴリ押しする事にしたのだが、彼は思ったより素直に納得してくれた。

 

 

「大丈夫か?風邪とかにならねぇよな?」

「ありがとう。デンジ君って優しいんだね~」

 

 

ハニートラップを仕掛けたのは、今回が初めてではない。

だが、裸体を見せるほどの関係になったのはデンジ君が初めてである。

自分より祭りデートの心配している彼であるが、それで良いとレゼは思ってる。

 

 

(私なんか心配しなくていいんだよ)

 

 

偶然、生き残ったものの祖国の道具として生きる事しかできなかった。

だからどれだけ自分がゴミ扱いされても、彼女は自分の境遇に疑問に思わなかった。

――同じく学校に行った事が無くて国から道具として扱われる青年と逢うまでは…。

 

 

「じゃあ、今日はこの辺でお開きにしよ。次の集合場所はいつものカフェで午後3時とかどう?」

「分かった。必ず迎えるようにする!」

「お仕事、頑張ってねー」

「任せておけ!」

 

 

今回のデートで完全にハニートラップは成功した。

あとは、祭りデートでこちら側に引き込むだけ。

二道で会話をしていた時から彼の視線を分析し、どんな格好が良いのかレゼは理解している。

 

 

(次回が本番!)

 

 

季節が夏に近づいているので薄着の白いノースリーブに脚を魅力的にする黒色のニーソックス。

脚をしっかり見せれるように短パンを履いてアクセントで首元に黒色のリボンを付ける。

 

 

(デンジ君好みのエッチになるはず…!)

 

 

男なんかニーソ履けば釣れると教官が告げたが、娼婦っぽくてレゼは苦手だった。

でも、それでデンジ君の視線を独占できるのであればそれに越した事はない。

女は男の視線に敏感なのだ!

 

 

(Никаких(ニカキーフ) проблем (プラブリェーム)!)(問題ない)

 

 

これでちょっと背伸びをした思春期の女の子に見えるはずだ。

それにフィルムという秘密がある。

公安に内緒で自分たちだけの秘密を共有できるという関係は既に築いた。

 

 

(あのモヒカン野郎のせいで…どうしてもロシア語で考えちゃう…)

 

 

唯一の欠点があるとすれば、刺客のせいで情緒が不安定になっているという点か。

男を喜ばせる訓練はしてきたが、自分を喜ばせる訓練はしていない。

 

 

(デンジ君の股間でも思い出すかー)

 

 

前からエロ女とデンジ君から言われているし、それだけを考える事にした。

下ネタが受けたのでそれを考えていれば、デンジ君の望むレゼになるのだから。

――男の裸体自体は何度も見たことあるが、何故かあの時のデートだけは殺意が湧かなかった。

何故なのかはレゼも理解できないまま隠れ家に戻り支度をする。

 

 

(Всё(フショー) хорошо(ハラショー), что(シトー) хорошо(ホロショー) кончается(コンチャーエッツァ)!)(終わりよければ全てよし)

 

 

シェイクスピアの戯曲「終わりよければ全てよし」のタイトルを引用した彼女には秘策がある。

女の執着と愛する心さえあれば、彼の心を鷲掴みにできると信じていた。

 

 

「デンジ君、キミなら私の手を取ってくれるよね…?」

 

 

祖国から届いた手紙から「後がない」とわざわざ知らされたレゼは、ぼそりと呟いた。

まるでシェイクスピアの戯曲と違ってハッピーエンドで終わらないと確信しているように…。

 

 

-----

 

 

ついに待ちに待ったお祭りデートである。

もちろん、フィルムを交換したカメラでデンジは祭りの風景を撮影する。

この時ばかりはレゼも浮かれてピースサインで写真を撮ってもらった。

 

 

「デンジ君~!こっちこっち!」

 

 

この祭りにはいろんな屋台や露店が出店している。

リンゴ飴、水ヨーヨー、焼きそば、カラーヒヨコ、かき氷、ウナギ釣り、金魚すくい。

先行したレゼが本でしか見た事無かった食べ物や屋台をデンジに紹介した。

 

 

「金魚すくいだって!どっちが多く取れるかやってみない?」

「おう!」

 

 

それだけではなく一緒に祭りを楽しむ為にいろんなことをした。

金魚すくいや輪投げ、射的など得点が競えそうなものはデンジに勝負を仕掛けた。

 

 

「くっそ、もう1回やっていい!?今度はデンジ君に勝てるんだから!」

「いいぞ、今度は俺はもっと!点数を稼いでやるよ!」

 

 

わざと負けたり、勝ったりしてお互いがデートを楽しんでいると感じさせる。

射的勝負で負けて悔しがって再戦を願うレゼにデンジは何も疑問に思わない。

 

 

「ワタアメだって!」

「雲みたいだな」

「飴の一種だよ」

「これが?」

 

 

祭りでしか見ないお菓子や食べ物も味わうのも大切である。

さっそくワタアメをゲットしたレゼは、デンジに見せつける。

彼は既にリンゴ飴を買っていたが、それでも彼女はワタアメを美味しそうに食べる。

 

 

「……俺も欲しくなってきた」

 

 

美味しそうに食べるレゼの姿を見てグルメツアーを楽しんでいたデンジが誘導された。

 

 

「はい、分けてあげる」

「いいのか?」

「ここだけの話、この後ダイエットするから一緒に分けて食べてもらうと助かるな~」

 

 

そのまま男に尽くすよりは、頼る姿を見せた方が男が嬉しがる。

頼られるという実感が男のプライドを効率良く満たす事ができるとレゼは知っていた。

 

 

「そこで白い雲をもぐもぐ食べてるデンジ君!チーズチーズ!」

 

 

そしてそれを撮影する事で何があっても心に残る光景になる。

外堀どころか内堀も埋め始めたレゼは、勝利を確信している。

 

 

(お!デートに疲れてきたね!あともう一押し!)

 

 

楽しい一時とはいえ、ずっと楽しむ事は不可能である。

デンジ君は仕事終わりに参加しているので疲労が溜まっているのが目に見えている。

 

 

「これから花火があるんだって」

「あのうるさい奴?」

「そうそう、ここだと人が多いし、ちょっと静かな場所に行ってみない?」

「いーく」

 

 

疲れているデンジ君の左手を取って指を絡めながらゆっくりと人気が無い場所に先導をする。

これにより、正常な判断力が失いつつあるデンジはレゼの行動に身を任す事しかできなくなった。

 

 

「とうちゃくー!」

 

 

祭り会場から少し離れた丘の上までやってきた。

崖下には国道が通っており、一見するとただの風景の1つでしかない。

 

 

「デンジ君、疲れた~?」

「つかれたー」

「私もちょっと疲れちゃった…」

 

 

後は、花火に紛れて告白をすればいい。

既に正常な判断力も体力もない彼は、自分の手を取ってくれる。

レゼはそう信じていた。

 

 

「実はこの場所、カフェのマスターに教えてもらったんだ。花火が一番見えるんだけど人が来ないマル秘スポットなんだって」

「へぇー」

「…これで2人っきりになれたね」

「そーだな」

 

 

元よりここに決めていたが、マスターからアドバイスを受けた。

どうやら自分がデンジに本気で恋をしていると勘違いしたようだ。

でも、恋する乙女を演じている以上、否定できかったし、なにより説得力が出ると思った。

 

 

「ねえ、デンジ君」

「ん?」

 

 

もうじき花火が打ち上げられる。

本来だったらもう少し待つつもりだったが、レゼは先走った。

 

 

「いろいろ考えたんだけどさ、やっぱり今のデンジ君の状況、可笑しいよ」

 

 

これは本音だった。

 

 

「16歳で学校にも行かないで悪魔と殺し合いさせるなんて国が許して良い事じゃない」

 

 

嘘は言っていない。

不死身だからって悪魔との殺し合いの日々を送らせるのは可笑しい。

本人はまだ気付いていないかもしれないが、第三者から見れば異常な状況である。

振り向いたデンジに近づいたレゼは彼の両手を優しく握る。

 

 

「仕事やめて……私と一緒に逃げない?」

 

 

これがレゼが放った最後の一手。

相手に取り入るつもりが、感化されて考え抜いた先に出た最善の方法。

 

 

「私がデンジ君を幸せにしてあげる。一生守ってあげる」

 

 

異性に両手を握られて逆プロポーズを受けたデンジは頬を赤く染めた。

 

 

「お願い」

 

 

いつもだったら女の子の頼みを受け入れるはずであった。

 

 

「に、逃げるって…どこに?」

 

 

だが、デンジの反応は鈍い。

さすがにいきなりの告白過ぎて脳が展開に追いついていないようだ。

 

 

「今は私を信じて。子供を学校に通わせずに兵士みたいに活動させるなんて碌な組織じゃない…。知り合いに頼めば、公安の捜索が絶対に及ばない場所があるの」

 

 

レゼは実体験に基づく発言をする。

今のデンジ君の状況は公安に不信感を抱かせないように洗脳している時期である。

しかし、それが常識になればすぐに奴らは掌を返して扱いを雑にする。

 

 

「今の生活が普通だとは思わないで…それらはキミを利用する為に政府と公安が騙しているだけ。このままだと学校に行けないどころか結婚もできないし、精神が壊れるまで酷使されるよ」

 

 

日本で常識を知ってしまったからこそ、それを味わえない青年にレゼは憤りを覚えた。

 

 

「キミの常識は世間からすると非常識なの…だから私がキミの助けになりたい…」

「なんでレゼが…そんなことを…?」

 

 

デンジからすれば、いきなり過ぎて反応に困っている。

しかし、今まで重ねて来たデートのおかげで真面目にレゼの話を聞いている。

 

 

「だって…私、デンジ君が好きなんだから」

 

 

もう少しで陥落しそうだったのでレゼは切り札を出した。

更に詰め寄って上目遣いでデンジの顔を見る。

告白を受けて恥ずかしいのか、彼は視線を地面に移した。

1秒、2秒、3秒、5秒…10秒経っても返答が得られない。

 

 

「……なんでそこまで悩んでいるの?デンジ君は私の事、嫌い?」

「好きィ!!」

 

 

既にデンジのハートはレゼに射抜かれていた。

質問をすれば、好意があるのは間違いないが、それでも決断できていない。

思わずデンジ君の手を離したレゼが何故かと訊く前に彼が先に心境を語り始める。

 

 

「…だけど。最近、自分の仕事が認められてさ、監視がなくても遠くに行けるようになったし…。糞みたいなバディの扱いもだんだんと分かってきた。それにイヤ~な先輩とも仲良くなってきた。仕事の目標みたいなもんも見つけてさ。だんだん人生が楽しくなってきたんだ」

 

 

レゼにとって想定外だったのは、公安はデンジを引き留めるほどの魅力がある場所だったのだ。

同じ待遇のはずのレゼは、祖国の道具くらいしか自分の存在価値が無くどこにも居場所が無い。

同情したつもりが、自分の境遇に不満を感じてしまい、デンジを利用しただけだと彼女は気付く。

 

 

「ここで仕事を続けながら、レゼと…会うのじゃダメなの?」

 

 

更に致命的だったのは、デンジは既に別の女性と仲良くなっていた事だ。

そうでなければ、二股をかけるような発言をしない。

趣味や仕事よりも女を選ぶはずの彼が仕事を選んだという事は、既に職場には…。

 

 

(振られちゃった…)

 

 

デンジには帰る場所もあるし、時間もたくさんあって都会で刺激を望んでいるネズミ。

レゼにも帰る場所はあるが、任期終了間際となり、田舎で暮らしたいのに絶対にできないネズミ。

2人だけの空間に浮かれて少しだけ夢を見ていたのはどちらであったのか。

 

 

「そっか、わかった」

 

 

辛い現実を暗に示すデンジを直視できずに丘から街を見渡すと確かに都会なのに綺麗だった。

だから改めてレゼは彼に向き合う。

 

 

「デンジ君、私の他に好きな人がいるでしょ?」

「え?」

 

 

さきほどまで顔を真っ赤にしていたデンジが図星を指されて動揺する。

そんな彼の頭を両手で支えて固定し、舌を交えた濃厚な接吻をする。

丁度、打ち上がった花火が炸裂し、夜空に光源と爆発音と振動をもたらした。

 

 

(лжец(ルジェーツ))(嘘つき)

 

 

ロシア語には「Что(チート) на() уме(ウメ), то(トー) и() на() языке(ヤズィーキェ)」という表現がある。

直訳すると、「心にある事は舌に表れる」、考えている事をそのまま言葉に出す正直な人。

でも、デンジ君は嘘をついたので舌=心ではない。

だからレゼは、嘘を隠していたデンジの舌を噛み千切った。

 

 

(デンジ君、日本語でも二重が嘘つきなんて面白いよね)

 

 

口に違和感を覚えて倒れ込むデンジにレゼは口を開けて千切れた彼の舌を見せつける。

まさに二枚舌、キミとの交流は嘘だと示し、甘いデートとの別れを告げた。

 

 

(ダメだよ)

 

 

混乱のまま助けを呼ぼうとするデンジの喉元をナイフで切り裂いた。

これにより、残った舌が自重で喉を塞ぐのを含めて二重の意味で窒息する。

それでもスターターロープを引っ張ろうとするが、レゼにはお見通しだった。

 

 

(ここまで信じてくれてありがとう)

 

 

周りには人がいないし、花火のおかげで異音に誰も気付けない。

左手を切り落とされても、未だに自分に恋しているデンジの顔を見て…。

 

 

(せめてものお礼)

 

 

今度は優しく頭を撫でながらキスをして意識が朦朧となったデンジの濃厚な血を(すす)った。

そしてお別れのキスを終えたレゼは、呼吸ができずに苦しむ彼に謝る。

 

 

「痛いね?ごめんね」

 

 

ナイフを彼の胸部に突きつけて仕留めるつもりだった。

 

 

(あっ…)

 

 

そこには、今まで撮った写真が焼き付いているフィルムが入ったカメラがあった。

少しだけ動きが鈍ったレゼは、改めて彼に告げる。

 

 

「デンジ君の心臓とカメラ、貰うね?」

 

 

せめてこのフィルムだけでも大切にしたかったレゼは、刺殺に邪魔なカメラを首から外した。

これが致命的なミスに繋がる。

 

 

「ダッシュ!!」

「え!?」

 

 

奪取(だっしゅ)とダッシュ(走る)のダブルミーニングを叫んだビームが瀕死のデンジを救出した!

不意を突かれたレゼは、一瞬だけ何が起こったか分からず、逃走劇を見逃した。

 

 

(しまった!?)

 

 

凄腕のスパイでも油断する時がある。

用を足すときと目的が達成する直前、そして…。

 

 

「うっ!?」

 

 

いざ、目的を達成しようとした瞬間に致命的なミスが発生し、動揺した瞬間である!

周りの風に違和感を覚えたレゼは木製の柵から遠ざかった!

すると、さきほどまで居た柵が粉砕されて破片が飛び散った!

 

 

「まんまと騙されたよ…」

 

 

花火の光源のおかげで襲撃者がスーツを着用する金髪の壮年男性だと分かる。

デンジ君から度々口に出される“金髪のおっさん”そのものだった。

 

 

「…Queen(クイーン)Famiglia(ファミッリャ)Directive(ディレクティブ)同志(トンジー)Honor(オナー)Товарищ(タバーリシチ)(同志)……なるほどソ連の刺客か」

 

 

トンファーバトンを構えた公安職員はドイツ語訛りでスパイが反応する単語を不審な女に告げた。

いくら訓練で他者を演じられても祖国の命令や暗号は素直に反応するものだ。

レゼもまんまと引っ掛かってしまった。

 

 

KGB(カーゲーベー)*1か、NKVD(エンカーファウデー)*2の亡霊か、подопытный (ポードゥイティヌイ) кролик(クローリク)(実験用ウサギ)*3の生き残りか?」

「な、なんのことかな~!」

「まあ、お前がどこに所属してるのかはどうでもいい」

 

 

ある程度の実力になると対峙する人物の強さを察する事ができる。

夜間の学校で襲撃してきた刺客とは比べ物にならない実力者だとレゼは見抜いた。

 

 

Сдаться(スダーッツァ) немедленно(ニミェードリンナ)!(速やかに投降せよ!)」

Нельзя(ニリズィャー)!!(絶対に嫌!!)」

 

 

絶対に生かす気が無いのに降伏勧告をしてくるのには意味がある。

建前である降伏勧告を蹴ったので合理的に始末できるという事だ。

ドイツ語訛りのロシア語で煽って来る化け物にレゼは応戦する羽目になった!

 

 

*1
ソ連国家保安委員会の略( Комите́т госуда́рственной безопа́сности СССР) ソ連の諜報機関

*2
内務人民委員部の略(Народный комиссариат внутренних дел) ソ連=粛清のイメージはこいつらのせい

*3
подопытный кролик (実験用ウサギ)≒Guinea pig(モルモットの英名)=モルモット。要するに実験体

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