フォドラの牙の先、ブリギット諸島は暖かな海流に包まれている。
穏やかな海と豊かな緑に覆われた大自然の結晶とも呼ぶべき地だ。
帝国の属国となった今も異文化と精霊信仰が調和し、傾いた文化人を魅了してやまないのだ。
降り注ぐ暑い日差し、広がる珊瑚礁、沖の方では海の獣が高く跳躍して飛沫を上げていた。
敷布を広げた上でココナッツジュース片手に景色を楽しむ。
そんなフロルに、ざくざくと砂を踏む足音が近づいてきた。
「ここにいたのね」
皇女エーデルガルトが呆れた表情を浮かべる。
フロルを上から下まで見た。
フロルは鍛え上げられた上半身を日光に惜しげもなく晒していた。
「はしゃぎ過ぎじゃないかしら。私たちは課題に来ているのよ」
「来るのは日が暮れてからって話だろ。警戒しすぎても疲れるだけだ」
エーデルガルトの文句にフロルがひらひらと手を振って返す。
フロルは黒鷲の学級に課題協力に呼ばれていた。
ダグザ海軍を名乗る戦闘艦が、ブリギット諸島で海賊行為を働いているらしい。
ダグザと帝国は侵攻されたり、侵攻したりの関係だ。
そこで教会を通して黒鷲の学級に海賊退治の課題が提示された。
エーデルガルトは島ごとに生徒と騎士団を分散して敵を待ち受けることにした。
「フォドラの外なら女神の目も届かないからな。
今はこうして伸び伸びできるわけだ」
「……貴方、敬虔なのか不敬なのかわからなくなるわ」
エーデルガルトが深くため息を吐く。
「セテスさんには言わないでくれよ。
長い説教を聞くのは嫌だ。
それより、なにか話に来たんじゃないのか」
「ええ……そうね。貴方は本当にダグザの海軍だと思うの?」
フロルが返事の代わりに、自身の隣を軽く叩いた。
エーデルガルトが目を細めて睨むが、フロルに引く様子はない。
根負けして敷布の上に座った。
「それじゃあ皇女様を饗そう」
フロルが新しくココナッツを掴むと、紋章を輝かせた。
砕かないよう慎重に力を込める。
ズボッと音を立ててフロルの五本指が突き刺さり、捻る。
ココナッツに綺麗に穴が空いた。
傍に置かれた壺から砂糖、蜂蜜、スパイス、氷を注いでいく。
蓋を戻して、じゃかじゃかとよく振って中身を混ぜる。
最後に麦わらで出来たストローを刺し込めば完成だ。
「どうぞ、殿下」
「宮廷道化師の仕事は何時でも空いているわ」
「就職先が決まったな」
エーデルガルトが受け取って口をつけた。
口の中でまろやかな甘さとスパイスが溶けあう。
ココナッツのえぐみを見事に打ち消している。
「……美味しいわね」
エーデルガルトが悔しさを滲ませながらも素直に認めた。
「地元の子に教えて貰ったんだ。
それで、相手がダグザかだっけ、違うだろうな」
「どうしてそう思うのかしら」
「俺だってただ遊んでたわけじゃない」
フロルが傍にあった枯れ枝を拾って、噂の戦闘艦を砂地に描いていく。
案外上手く描けていると自画自賛する。
「聞き込みをしたが、よくある高速船だ。
風の魔法を前提にしているから少人数で動かせる。
その分船の乗員数のわりに戦闘員を多めに積めるわけだ。
でもこれじゃあ、ダグザから来るのは苦労しそうだな」
島の周辺の海は穏やかだがダグザ方面の沖に出れば話が変わる。
ダグザの船をフロルは知らないが、おおよそ見当をつけていた。
例えば王国であれば氷河を割るために衝角と竜骨に力を入れてる。
同盟であれば東方の強い風に乗って動くよう全装帆船が主流だ。
絵の戦闘艦は帝国の近海用のものと非常に似通っている。
「ブリギットだってそれはわかってる。
それでもダグザの軍という建前をそのまま伝えた。
死人も不自然に出ていない。
俺よりエーデルガルトの方が詳しいんじゃないか?」
暗に帝国の陰謀だとフロルは指摘した。
エーデルガルトが眉をひそめた。
「……私には知らされていないわ」
「なるほど、そっちも大変だな」
フロルは驚かない。
七貴族の変によって皇帝の実権は失われている。
エーデルガルトが知らないのも無理はない。
「同期に得意そうなヒューベルトやリンハルトが居るんだ。
皇帝にさえなればその辺りも上手くやってくれるだろう。
そういえばリンハルトは?」
フロルと同じ島に配置されていたはずだ。
「借りた民家で寝ているわ」
「砂浜を監視する俺の方がよほど仕事をしているってことだな」
「……物は言いようね」
フロルが枯れ枝を投げ捨てて指笛を吹く。
しばらくして、砂地を元気に駆け回っていた愛馬が近づいてきた。
「考えたって答えが手元にあるわけでもないし。
今はできることをやっておいた方が良いと思うぞ」
ヴァレリアに飛び乗りエーデルガルトに手を差し出した。
サボりがばれたなら、ばれた相手を巻き込むに限る。
「まずは島の巡回に行こう」
「……良いでしょう。今は口車に乗せられてあげる」
エーデルガルトは少し迷って、手を取った。
そんなわけで。
大当たり、いや大外れで自称ダグザ海軍は待機していた島に襲撃に来た。
エーデルガルトを見た瞬間逃げ出そうとしたので、フロルたちは乗り込んだ。
「俺の休暇を邪魔しやがって!」
フロルの振り回す櫂で、二人の船員が宙に浮き、ドボンと海に落ちた。
手間だが服装以外はどう見ても帝国兵なので殺さないよう手加減する。
相手も同様だ。
腰に下げたサーベルは抜かず、手にするのは棍棒や縄だ。
フロルを捕えようと網を投げるが、綱引きに負けて海に放り投げられた。
リンハルトはフロルを手伝わずに欠伸を噛み殺した。
「僕も同意見だね。もう少し寝ていたかったよ」
「貴方達と同じ島の担当になったこと、後悔しているわ」
エーデルガルトも気力が湧かず、フロルが暴れまわるのをただ眺めている。
だらだらとした戦いはフロルの勝利で終わった。
船から縄を垂らして海に落ちた船員たちを救出していく。
エーデルガルトに土下座する船長の正体はやはり帝国の武官だった。
「す、すみません。エーデルガルト様。
どうやら連絡が行き違いになっていたようです」
「誰の指示なのか言いなさい」
苦しい言い訳に、エーデルガルトが睨みつける。
「え、エーギル公です。誓って誰も殺しは行っておりません」
「当然よ。そうでなければ、今すぐ私が貴方達の首を刎ねていたでしょう」
「ははっー!エーデルガルト様の寛大さに感謝いたします!」
深々と武官が頭を下げた。
七貴族の変を起こしたエーギル公は宰相として皇帝から実権を奪った。
その陰謀となるとエーデルガルトは気に入らないだろう。
このまま暴くつもりのようだ。
フロルは、帝国の政争など聞きたくなかったが、船上に逃げ場がない。
仕方なく空の雲を眺めて聞いていないフリをする。
「最近ヒュミル子爵がブリギットとの貿易を開こうとしているらしく。
そこは、メニヤ家とオックス家が主な産業としていますし、ただヒュミル子爵は……」
武官がちらりとエーデルガルトの様子を伺った。
「私に配慮する必要はないわ。話しなさい」
「は、はい。
申し上げにくいですが七貴族の変で貢献されて発言力も強いですから。
ブリギット側に圧力をかけて貿易をさせないようにと命じられました」
自分の財布に手を突っ込まれて許す貴族はいない。
メニヤ家とオックス家により人が死んでいないだけ良心的と言える。
エーギル公がフロルの父と似たような立場だから直ぐに気付いた。
二家に代わり公が主導しているのは、事態が過激化するのを抑えるためだ。
ただ、手段がブリギットに対する圧力とは、上手いやり方ではない。
今のようにブリギットにエーデルガルトを介入させる余地が出来てしまっている。
フロルの父ならもっと上手くやるだろう。
なんて考えていたら急にエーデルガルトが話を振ってきた。
「フロル、貴方の意見はどうかしら」
リンハルトなら直ぐに答えを出してくれるだろうに、なにを考えているのやら。
仕方なくフロルは蛇形の雲を眺めるのをやめた。
「俺ならそうだな。
ブリギットに恩が売れるし、彼らをブリギットに引き渡した上で交渉するかな」
帝国に連れて行く場合、エーギル公は証拠隠滅のため殺そうとする。
ブリギットに引き渡せば交渉材料になるので、処刑されることはない。
寝覚めが悪くない方をフロルは選ぶ。
「それとは関係なしに、ヒュミル子爵は調子に乗り過ぎだ。
貴族としての常識が欠けている。
エーギル公のように回りくどいやり方をする必要はない。
リンハルトの父親を通しておけば、上手く行くと思うぞ」
リンハルトの父、ヴァルデマー卿は帝国の内務卿だ。
冷徹にヒュミル子爵に対して灸をすえるだろう。
「僕の父はそういうの得意ですからね」
リンハルトがお墨付きを与える。
エーデルガルトは口元に手を当てて少し悩んだ後頷いた。
「では、そうしましょう」
フロルは惜しみながらもブリギットを去った。
翌節、ヒュミル家は主要産業の毛織物が暴落。
責任を問われ、ブリギットとの貿易も担当していた文官が地位を追われた。
ブリギットは海賊退治を目的として海軍の制限緩和を帝国から勝ち取った。