★〈支援会話:マリアンヌ〉
荘厳な静けさを保つ礼拝堂。
ステンドグラスから降り注ぐ、月の光に照らされた乙女。
マリアンヌが囁くように、女神に祈りを捧げていた。
「宴をサボって祈りか?」
今も食堂では生徒たちが鷲獅子戦の宴を続けている。
ぴくりと肩を揺らしてマリアンヌが振り返った。
「……フロルさん……どうして」
「どうしてか、そうだな。
マリアンヌが一人で抜けだすのを見たから着いて来た」
フロルが月明かりの下に出て、マリアンヌと並び、女神の像を眺めた。
「良く来るってセテスさんが感心していたぞ」
「……私の祈りは、懺悔ですから」
マリアンヌの瞳の奥に後悔と悲しみが渦巻いていた。
フロルは今まで避けてきたそこに踏み込んだ。
「不幸を呼び込む獣の紋章。
その懺悔は両親が失踪したことに対してか?
俺は懺悔する必要なんて、ないと思うけどな」
獣の紋章は災厄の象徴、関われば不幸になると伝えられている。
マリアンヌが人と関わりたがらない理由だ。
言い当てられたことに、マリアンヌの強く握った手が白んだ。
「……知っているなら、関わらないでください……。
あなたは不幸を知らないから、そんなことが言えるんです」
「どうかな。俺のせいで沢山の人間が死ぬ。
マリアンヌ以上に俺は人を不幸にすると思う」
これでは不幸自慢だなとフロルは自嘲する。
「……悪い。全然違うな。
俺のこれはただの自業自得だ。
ただ、気付いてほしいんだ。
マリアンヌの人生が祝福されていることを」
フロルの言葉がマリアンヌの逆鱗に触れた。
「……貴方になにがわかるって言うんですか!
私に近づく人は、不幸な目に遭うんです!
それが祝福なんて……」
嘆きに返ってきたのは、穏やかな翡翠色の瞳だった。
心の中に思い描く女神の瞳と重なって見えた。
それを見ただけで、マリアンヌは言葉が紡げなくなる。
「なんで君の両親は君を産んだんだ。
不幸を呼ぶんだろう。なら、生まれた時に殺すべきだった。
なんでそうしなかったのか、考えたことはないのか?」
ドクンドクンとマリアンヌの鼓動が早まる。
「出来なかったからだ。
君の小さな手に触れた時、産声を聞いた時、両親は君を生かすことを決めた。
自分達が不幸になると解っていても、それでも君の生に幸あれと祝福した。
君は幸福になるために生まれて来たんだ」
赤子は自分が生まれた時のことを知らない。
フロルは朧気ながらも知っている。
傷つけぬよう怯えながらも強く抱きしめた腕。
悲しみと喜びにくしゃくしゃになった顔。
涙と共に父はフロルのために生きると誓った。
それを知るフロルの言葉だからこそ、マリアンヌの心に響いた。
「……そんな、そんなことって……」
あまりにも残酷で救いようのない。
やっと出せた声が震え、涙が零れ落ちて、大理石を濡らした。
けれども、マリアンヌは弱い人間ではない。
両親の想いに報いたい、そう思える強い人間だ。
「……私は……どうすれば良かったのでしょうか。
教えてください……なにも出来なかった……」
初めて、本当の意味での懺悔がマリアンヌの唇から零れ落ちた。
「……フレンが助かったのは君のお陰だ。
君が忌まわしいと思っている力で、人を救うことが出来たんだ。
同じことを続けていけば良い」
フロルの言葉には強い確信が宿っていた。
動物と話せる力は上手く使えば多くの人を助けることが出来る。
人を幸福にできる、その事実がマリアンヌの心を救うだろう。
「……なら、どうか。
どうか、私の手を……あの時のように導いてください」
なぜそんな言葉を口走ったのか、マリアンヌ自身にもわからない。
あまりにも無責任で、身勝手だ。
それなのに、フロルならそうしてくれる、そんな気がしたのだ。
「喜んで」
フロルの差し出した手に、マリアンヌが触れた。
ステンドグラスから届く月の光が、雲に遮られて陰る。
二人を見下ろす女神の像は、沈黙を続けた。
★
飛竜の節の終わり。
グロンダーズ鷲獅子戦が終わり、士官学校は穏やかな日々を取り戻した。
フロルとベレスが正門の前で待っていると一台の馬車が停まった。
馬車の扉が開き、出て来たモニカの手をフロルが取って地面におろす。
「フロル様!お待たせして申し訳ありません」
「良いんだ。よく無事だった。
先生、紹介させてくれ。
彼女が行方不明になっていたモニカだ」
こくりとベレスが頷いた。
「無事で良かった」
「フロル様からベレス先生のお話は沢山伺っています!
凄い優秀な先生なんだとか。
あたしの時も貴方みたいな先生だったら良かったのに」
「歓談の時間は後にしよう。
レア様を待たせるわけにはいかない」
数日前、王国内の賊の拠点からモニカが救出された。
事件の詳細をレアたちに報告したい。
表向きはそういうことになっている。
今日、トマシュの正体、『闇に蠢く者』ソロンを殺す。
階段を昇り、二階の大広間へ。
騎士が扉を開けた先にはレア、セテス、トマシュが待っていた。
フロルはレアとセテスにトマシュの正体を伝えていない。
大修道院内のため武器も帯剣と隠し持った魔道書だけだ。
襲撃の気配を察すればトマシュはすぐに転移魔法で逃げてしまう。
アガルタの民の厄介な点だ。
レアがモニカに優しく語り掛けた。
「よく、無事でした。これも主の加護あってのことでしょう」
「もう絶対に助からないって思ってましたけど……フロル様のおかげです」
モニカはレアの言葉に感激した様子で涙を浮かべる。
才女はどうやら演技力もあるらしい。
頃合いを見計らって、セテスが口を開いた。
「辛いことを思い出させるが至急確認しなければならない。
君の担任は死神騎士……イエリッツァだった。
私の妹フレンもイエリッツァに攫われかけたのだ。
二つの事件には繋がりがあると考えるのが自然だろう。
君は王国内の賊に囚われていたという話だったな」
「……はい」
セテスの言葉にモニカが涙を拭って頷いた。
「囚われている間に、
なにか覚えていることや聞いたことはないか?
君は記憶力が良かったはずだ。
なにかわかれば教会が総力をあげて必ず原因を突き止める」
「あたしをさらったのは、たぶん賊ではないです」
「なに?」
モニカがトマシュに視線を向けた。
「トマシュさん、ひとつ尋ねてもいいですか?」
「ふむ、なんなりと」
モニカが神聖武器『風呼びの根源』を起動する。
「では……あたしをさらった理由をお聞きしたくて」
マクイルの小紋章が輝き、適合反応が起こる。
風が部屋を覆うように広がり、アガルタの民の転移を封じた。
この魔法は空間そのものに作用し、彼らの魔法耐性を無視する。
「貴様……!秘しておきたかったが、仕方あるまい。
実験体よ、起動しろ」
仮初のトマシュの姿が剥がれ落ち、闇の障壁を纏ったソロンが姿を現した。
同時に四人の修道士が内側から弾け飛ぶと、魔獣が這い出てくる。
近くにいた騎士を薙ぎ払い咆哮をあげて暴れまわった。
「ここは退くとしよう」
深淵を思わせる黒炎がモニカに向かって放たれる。
転移を妨害し続けるモニカは自衛できない。
予期していたフロルが間に割り込んで光の魔法で相殺した。
「先生!モニカを頼んだ!」
「わかった。後で説明して」
ベレスがモニカに襲い掛かった魔獣を斬り刻む。
レアがソロンの背後から、剣を振り下ろした。
「主の御名を穢す者に、裁きを!」
「チッ……!獣め。わしの、邪魔をするでない!」
紫の衝撃波がレアを吹き飛ばした。
セテスがレアを受け止め、大理石の床を転がっていく。
ソロンに考える猶予を与えてはならない。
「クロニエが冥府で待っているぞ。
次はお前の番だ」
フロルが騎士の死体から槍を奪って、ソロンに斬りかかった。
「なんなのだ、貴様は。なぜ我らの身の神秘を暴けた。
なぜわしの正体に気付いた」
互いの魔法がぶつかり合い、フロルの光の魔法が貫く。
ソロンの闇の障壁に罅が穿たれ、そこに槍が突き刺さる。
ブレーダッドの紋章が青い閃光を放って障壁が砕かれた。
「わしは、貴様が恐ろしい……!」
フロルの刃がソロンの右腕を切り飛ばす。
このまま殺す。地虫は殺さねばならない。
ソロンが後ろに跳ぶと、フロルとの間に闇の炎が立ちはだかった。
「貴様だけはなんとしても消さねばならぬ。
ザラスよ、深淵を揺蕩う……」
ソロンの詠唱にフロルは聞き覚えがあった。
神祖の力でしか脱出不可能の闇に飲み込む、ザラスの禁呪。
「自身を生贄に焦位の門を召喚するつもりか!」
詠唱が完成する前に、体が焼けるのも構わず炎に飛び込んだ。
普通の炎とは違う。
魂を焼き尽くされるような異常な感覚。
熱い、苦しい。
だからどうした。
フロルが積み上げた犠牲に比べればこんなもの。
「こんなもので!止まっていいはずがないッ!」
ソロンが炎を突き破ってくるフロルを見て、詠唱を止め、闇の球体を生み出す。
が、遅い。
闇の球体が放たれる直前、フロルが刃をソロンの首に叩きつけた。
ソロンの首が落ち、フロルが大理石を転がりながら意識を失った。