時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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29話

★〈支援会話:マリアンヌ〉

 

 マリアンヌは壁の花になって眺める。

 

 ガルグ=マク大修道院では、舞踏会が開かれていた。

 士官学校の生徒たちは化粧を施し、酒の注がれたグラスを傾けた。

 楽団が奏でる帝国の宮廷音楽に合わせて、大広間で男女のペアになって踊る。

 

 マリアンヌは部屋にいるつもりだったのにヒルダに化粧を施され連れ出された。

 ヒルダの気遣いに嬉しく思う気持ちはある……でも、場違いなだけだ。

 もう帰ろう、そう思った時だった。

 自然と目で追っていたフロルと視線が合った。

 フロルは今まで踊っていた生徒に断りを入れ、真っ直ぐにマリアンヌの下まで来た。

 

「美しいお嬢さん。どうぞ手を」

「……私……もう、戻るつもりで」

「それなら一曲だけでもどうかな。

 後から思い返して、あの時ああすれば良かったと思わないためにも」

 

 差し出された手を見つめる。

 守るために沢山傷ついて、亀裂のような痣の残った手。

 

「……一曲だけ、でしたら」

 

 マリアンヌをフロルが大広間の中心へと導いていく。

 触れた指先から、とくんとくんと早まる鼓動が伝わっていないか不安だった。

 黒鷲の生徒と共に踊るシルヴァンが、二人を見て驚いた。

 

「どうやって口説いたんだ?フロル」

「別になにも。

 皆断られるのが怖かっただけじゃないか?」

 

 フロルは強張るマリアンヌのためにゆっくりと踊り始めた。

 音楽に体が慣れ、ようやく周りから向けられる好奇の視線に気づいた。

 身分の高い者が誰と踊るのかは、生徒たちの興味の的だ。

 フロルがマリアンヌの体を引き寄せて視界を奪った。

 

「俺も昔同じことをした。

 周りを気にしてると足運びを間違えるんだ。

 一度間違えると、今度は周りに笑われてないか気になってしまう。

 恥ずかしさから俯いてしまって、焦りで余計に間違いを積み重ねる。

 コツは相手だけを見て別のことを考えているといい」

 

 そうだなぁとフロルは考えを巡らせる。

 

「例えば、少しは人助けに慣れて来た?」

 

 礼拝堂で話した日から、フロルは積極的にマリアンヌの力を人助けに使い始めた。

 椅子の脚を噛んでしまう犬の理由を教えたり、脱柵を繰り返す馬を宥めたり、迷い猫を一日かけて探したりもした。

 人々の感謝が少しずつマリアンヌの心に積み重なっていった。

 

「……私の力が感謝されるなんて思ってもみませんでした」

「その力は人を不幸にするためじゃなく、幸せにするために女神が与えたものだ。

 俺が気づくきっかけになれたのなら嬉しい」

 

 マリアンヌの不安が鎌首をもたげる。

 恥ずべきこととわかっていながらも言葉が口をついて出る。

 

「……貴方になにも返すことができません……」

 

 フロルが浮かべた表情は呆れでも、憐れみでもなかった。

 ただマリアンヌの視線を釘付けにする寂しげな表情だった。

 

「俺に返す必要はないんだ。

 世の中には色んな悲劇があって、女神の手が全て届くわけじゃない。

 もし君の前に悩みを抱える人が現れたのなら、今度は君が導いてくれ。

 俺としてはそれが一番嬉しい」

 

 マリアンヌはあの日を思い出して、小さく息を飲んだ。

 

 記憶に蘇る、月の光に照らされた礼拝堂で、女神が二人を見守っていた。

 嘆いていたのはマリアンヌだけではなかった。

 フロルも自らが起こした不幸を嘆いて、懺悔していたのだ。

 それなのにマリアンヌは自分のことばかり考えてフロルに縋っていた。

 なんて傲慢なんだろう。なんて怠惰なんだろう。

 両親の想いを見て見ぬふりをしたあの頃の自分と変わらない。

 変われたように思えて、なにも変わってはいなかった。

 

 心臓が締め付けられて息が苦しくなる。

 

「マリアンヌ……?」

「……ご、ごめんなさい……」

 

 ぽろぽろとマリアンヌの目から涙が零れ落ちていく。

 慌てたフロルが手を引いて大広間の中心から離れた。

 ヒルダがその様子に真っ先に気づいた。

 

「うわあ!フロルくんがマリアンヌちゃんを泣かしてる!」

「無理に誘った俺が悪いな。

 ヒルダ、後は任せても良いか?」

「仕方ないなあ、もう。

 おーよしよし、フロルくんが全部悪いからね。

 マリアンヌちゃん、一緒に部屋まで戻ろうね」

「……違うんです……私が……」

 

 なんてもどかしい。こんな自分が嫌になる。

 言葉が上手く口から出ない。

 

「気にしないで。私も誘われ過ぎて千鳥足だったから丁度良かったんだよー」

 

 マリアンヌはヒルダに手を引かれていく。

 涙で滲んだ瞳は、大広間から出るまでフロルのことを見つめ続けた。

 

 

 透き通った冬の空に、星辰が瞬く。

 青海の星はその姿を隠し、女神は遠く天上から、地上の平穏を祈るという。

 眼下の中庭ではドロテアが男子生徒に告白されていた。

 フロルは寒空の下、外套を羽織り、女神の塔の窓辺に座りながら待ち人を待った。

 手には一枚の手紙があり、今日、女神の塔で待ち合わせする旨が書かれている。

 フロルの白く吐き出す息が夜闇に消えていく。

 コツコツと階段から塔を登ってくる足音が聞こえて視線を向けた。

 

「待たせたわね」

 

 そこに立っていたのは皇女エーデルガルトだった。

 

「よく抜け出せたな。誘う相手は尽きることがなかっただろうに」

「ベルナデッタに任せて来たわ」

「それは……森の中を泳ぐ魚のごとしだろうな」

 

 フロルはエーデルガルトの鬼畜の所業に引いた。

 あの引きこもりのベルナデッタに皇女の代わりが務まるはずがない。

 今頃大広間ではいつもの絶叫が響き渡っている筈だ。

 

「ヒューベルトはいないのか?」

 

 どこかに隠れていないか辺りを見回す。

 エーデルガルトの従者ヒューベルト。

 その頭脳はかなり怖い。

 今回もヒューベルトの策謀ではないかとフロルは疑っていた。

 

「貴方を呼び出したのは私の意志よ。

 ヒューベルトにも話していない」

 

 エーデルガルトの鋭利な瞳がフロルを貫く。

 どうやら嘘はついてなさそうだと、窓から降りて床に脚をつけた。

 

「私は、最初貴方が敬虔な信徒だと思っていたわ。

 毎日の祈りをかかさず、信仰魔法に優れ、休日は大聖堂の讃美歌にも参加する。

 奉仕活動でもよく姿を見せるとマヌエラ先生が褒めていたわね」

「最近、俺を褒め殺そうとする奴が多いな。

 流行ってるのか?」

 

「……でも、本当の貴方は女神を信仰などしていない」

 

 探偵のようにエーデルガルトはフロルを暴いていく。

 

「最初に違和感を覚えたのは、西方教会の件よ。

 貴方は躊躇なく敬虔な信徒たちを虐殺した。

 私が聞いていた人物像とは違ったわ」

「あれは、俺じゃなく俺の父上がやったことだ」

「いいえ。貴方を暗殺する計画は、偽造されたものよ。

 本当にあったのは大司教レアの暗殺計画。

 貴方は父を操ってその怒りを西方教会に差し向けた」

 

 エーデルガルトは態々西方教会に赴いて、真実を確かめたのだ。

 炎帝として汚い手も使って生き残りの口を割らせた。

 

「それから、幾つもの小さな疑問が積み重なったわ。

 決定的だったのは貴方は信仰魔法を使うときに女神に祈りを捧げないこと。

 ペトラに話したのは迂闊だったわね」

「なるほど。

 それで、俺が仮に女神を信仰していないとして……。

 君に関係ないだろう」

 

 フロルが事実上の降参宣言をする。

 ここまではエーデルガルトにとってただの確認事項だ。

 エーデルガルトが頷いて、ようやく本題に入った。

 

「私が恐れた闇に蠢く者たちが……貴方の手によって塵のように死んでいく」

 

 幹部が次々と死んでタレスでさえ慌てる様は痛快だった。

 モニカが生きていると知ったときは心の底から喜んだ。

 だからこそ、許せなかった。

 

「それなのに古くてカビの生えた制度によって貴方は望まぬ戦いを強いられる。

 血を分けたディミトリと争うことになる。

 私と貴方が手を組めばそんな悲劇は二度と起こさなくて済む。

 闇に蠢く者たちを滅ぼし、古びた制度を破壊し、女神から人々を解放できる」

 

 エーデルガルトがフロルに手を差し出した。

 

「私と手を組みましょう。フォドラに住む人々のために」

 

 フロルはエーデルガルトの手を見つめた。

 あのエーデルガルトに必要とされたというだけで胸が高鳴る。

 この手を取れば王国の民の犠牲が減る。

 ディミトリと戦わなくて済む道さえあるかもしれない。

 それでも。

 

「俺には、その手を取ることは出来ない」

「貴方……」

 

 顔を上げたフロルの瞳をエーデルガルトは見た。

 星々を背に、輝く翡翠の瞳。

 エーデルガルトは言葉を詰まらせる。

 

「俺は君ほど人に期待していないんだ。

 だから……。

 俺は俺のやり方で、少しだけ、良い未来を目指すことにするよ」

 

 

★〈女神の塔:フロリアヌス〉

 

 踊り疲れたベレスはたまらず大広間から逃げ出した。

 向かったのは女神の塔。

 一歩一歩螺旋階段を登っていると、足音が聞こえる。

 降りてきたのはフロルだった。

 

「先生、逃げて来たんだろう。

 あれだけ揉みくちゃにされてたらわかるよ。

 人気者はつらいな」

「別に人気者では……」

「謙遜も過ぎると嫌味にしか聞こえないぞ」

「フロルこそ探されてたよ」

 

 思わぬ反撃にフロルは半笑いした。

 

「痛いところをつくなぁ。

 これも貴族の義務とはいえ、気が重い」

 

 子供とはいえ、その繋がりは本物の晩餐会と変わらない。

 フロルには踊らなければならない相手が山のようにいる。

 

 フロルが羽織っていた外套を脱いでベレスにかけた。

 

「そんなわけだから俺はもう行くよ。

 ここで休んでいくなら風邪をひかないようにな」

「ありがとう」

 

 ベレスは思い出した。

 たしか門番に聞いた話だ。

 舞踏会が行われる星辰の節の最後の夜に、男女で女神の塔で願い事をすると、必ず叶うと。

 あれは今日のことだったのかと、得心した。

 

「フロルは願い事とかに興味ある?」

「ああ……あの迷信か」

「迷信?」

「昔……帝国の皇帝と、とある女性がこの場所で愛を誓い合ったんだ。

 結ばれたと言っても側室で、結局二人は離れ離れになって二度と会えなかった。

 皇帝は悲惨な目にあい、女性の末路は俺の口からではとても語れない。

 これで願いを叶えたことになるなら女神様は随分と残酷だな」

 

「……なら、今からする願いを本物にすればいい」

 

 目をパチパチと瞬かせたフロルが、ぽつりと呟いた。

 

「初めて先生を先生と思えたよ」

「……ひどい」

「悪い悪い。それで、どんな願いにするんだ?」

 

 ベレスの答えはもう決まっていた。

 

「フロルの願いが叶いますように」

 

 フロルがなにか言いかけて、視線を彷徨わせる。

 それから、ふと笑みを浮かべた。

 

「……ありがとう、先生」

 

 フロルが今度こそ階段を降りていく。

 ベレスにだけ見える少女がその背中を興味深く見つめていた。

 

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