帝国暦1180年 天馬の節
皇帝エーデルガルトは教会へと軍を進ませた。
既に帝国軍の先鋒はガルグ=マク大修道院へと到達し、開戦している。
エーデルガルト率いる本隊もあと二刻もしないうちに到達する。
決戦が行われた王都から大修道院はあまりにも遠く。
同盟は終わらない円卓会議で、兵の一人も寄越す様子はない。
ガルグ=マクは陥落するだろう、だが。
朝日を眩しく思いながら、槍を担いだ本隊の兵士が愚痴った。
「教会を攻めるなんて皇帝はなにを考えているんだ」
「静かにしとけって。隊長に聞こえるぞ」
なんのために戦争を起こすのかもわからない。
騎士が村にやってきて兵を出せというから集まった。
熱心な教徒なら大修道院に一度は訪れる。
大司教より皇帝の顔の方が知らないのだ。
前の皇帝は種無しらしく紋章のない子供ばかり作った。
女神に見捨てられたんだろう。
だから教会に戦争を仕掛けたんじゃないか?
戦争が起こるとまた賊が出てきて村が荒らされる。
そんな愚痴を兵士たちがこそこそと話す。
「なあ、あれなんだ?」
兵士の一人が朝日の中になにかを見出した。
肩を叩かれて、歩き疲れた兵士が指が指した方を見る。
「なんだよ。なんにも見えないぞ」
「いや……確かに……」
兵士が諦めず、目をこらして正体を探ろうとする。
日の中の小さな影は徐々に数を増していった。
それが、山の峰を覆い尽くした時、ようやく気付く。
「あぁ……そんな、ありえない……」
大地を揺らす蹄、蒼いサーコート、山に角笛が響く。
朝焼けを背に、ずらりと陣形を組んだ騎兵たち。
不可能を可能にした。
王国軍本隊に先行する騎兵隊が遂に帝国軍を捉える。
突撃の合図と共に山の斜面を一直線に駆け下りた。
その先頭に、馬上でベレスを抱きしめたフロルの姿があった。
ディミトリでも、エーデルガルトでも、クロードでもない。
運命はフロルを選んだ。
馬の速度の乗った投げ槍が帝国の兵士たちを串刺しにする。
逃げようと背中を向けた兵士が蹄で背骨を砕かれて即死する。
勢いを殺さず帝国軍に雪崩込んだ。
騎兵の本懐とは戦列を破壊する衝撃力である。
為す術なく数で勝る帝国軍は二つに引き裂かれていく。
蒼い星が先行して軌跡を描き、エーデルガルトの眼前に到達した。
「やってくれたわね、フロル!」
「再会を歓迎してくれよ。俺たち同期だろう!」
フロルの持つ英雄の遺産『アラドヴァル』とエーデルガルトの斧が激突する寸前。
嫌な予感に従ってエーデルガルトは、泥に塗れてでもその場から跳んだ。
直後、フロルのブレーダッドの紋章と炎の紋章が重なり合い、異常な光を示す。
紫雷を纏ったアラドヴァルがエーデルガルトのいた空間を焼いた。
「貴方……!その力は、ぐぅっ!」
ベレスの天帝の剣の追撃を、エーデルガルトは辛うじて斧で弾いた。
しかしフロルの優位はここまでだ。
フロルを狙う闇の魔法をベレスが斬り、降り注ぐ矢をヴァレリアがかいくぐる。
「貴殿だけは……貴殿だけは始末しておくべきでした」
エーデルガルトを守るため、ヒューベルトの部隊が集結する。
「いかにして辿り着いたのですか。
貴殿はまるで未来でも見えているようだ」
「いいや、わからなかった。
だがな、
開戦を決めたのはお前たちじゃない。なら、誘導できる」
原作と侵攻時期が違う可能性はありえた。
事実、今こうして一節半も早い。
しかしつけ入る隙はあった。
開戦を決めるのはエーデルガルトではない。
何年も前から計画してきた帝国貴族と、闇に蠢く者たちだ。
わかっていれば誘導できる。
情報を流せば、彼らは王国の内戦という目の前の餌に飛びついた。
「時期がわかれば簡単だ。
大修道院までの道のりに補給拠点を用意したり。
戴冠前に国王派に情報を売って決戦時期を早めたり。
色々やったよ。最後は気合と根性だな。
それでもぎりぎりだったから、ディミトリを追撃出来なかった」
闇の魔法を斬り裂き、エーデルガルトと刃を交わす。
ヒューベルトの会話が時間稼ぎだとは気づいている。
フェルディナントかペトラあたりの到着を待っているのだろう。
だが、あえて本来の狙いのために付き合った。
狙いがエーデルガルトだと印象付けるために。
「言い忘れてたが……俺もお前が一番、怖かったんだ」
だから、ここで死んでくれ。
一筋の紫閃が奔り、遅れて衝撃波が大気を揺らす。
投げられたアラドヴァルが、闇魔法の障壁を一撃で貫く。
主を守ろうと一歩前に出たヒューベルトの肩に突き刺さった。
フロルの狙いは最初からヒューベルト。
引きずり出して、隙を作るために、エーデルガルトを狙っただけだ。
「ヒューベルト!」
「エーデルガルト様……来てはなりません……!」
エーデルガルトが届くはずのない手を必死に伸ばした。
周囲の兵士を天帝の剣が薙ぎ払う。
フロルがヒューベルトのもとに到達し、アラドヴァルの柄を握った。
ヒューベルトは翡翠色の瞳の奥を見た。
「……貴殿は一体どこまで……」
返答はなく、ヒューベルトの身体が二つに引き裂かれる。
泥のなかに残骸が崩れ落ちた。
目的は達成した。
元よりフロルはエーデルガルトをここで殺すつもりはない。
フロルがベレスを乗せて、帝国軍を貫き離脱していく。
エーデルガルトが急いでヒューベルトの下へ駆け寄った。
胸から下を失ったヒューベルトがごぼりと血を吐き出す。
王国軍の蹄の振動が近づいてくる。
構わずエーデルガルトは叫んだ。
「貴方は私と同じ道を行くと、そう言ったはず……!」
約束を果たせず、死ぬ無礼をお許し下さい。
血が溢れてヒューベルトの声は出ない。
だが、最期に見たのが主の姿で良かった。
命が尽きる前に、ヒューベルトは主の腕を掴んだ。
ヒューベルトの命を吸って転移魔法陣が起動する。
「……待って、貴方を置いてはいけない……」
主にそんな顔をさせるとは。
私はなんて、愚かで、間抜けな、従者失格だ。
エーデルガルトが転移した直後、騎兵隊が到達した。
ヒューベルトの亡骸は無残に踏み砕かれる。
名もなき兵士に混じって、歴史に名を残すことはない。
並ぶ者なき策略家は忠義故に、なにも成せず死んだ。
★
レアが城壁の上で目の前に広がる叛徒共を睨みつける。
帝国の大軍勢が大修道院に押し寄せ、その中には前節まで生徒だった者までいる。
徐々に前線は押し込まれ外壁へと接近しつつある。
絶望的なことに、これは帝国軍の先鋒に過ぎない。
帝国軍の本隊が来れば外壁が破られる。
未だ襲撃事件の傷が癒えていない城下町が蹂躙される。
アロイスが必死に叫び、ジェラルトと共闘して帝国軍の侵入を押しとどめている。
「騎士団、生徒諸君、全兵士に告ぐ!防衛線を死守せよ!」
だがいかにジェラルトが強くとも一人の人間に過ぎない。
マクイルやインデッハさえ共に居てくれれば。
かつてセイロスとして長きにわたる戦いを知るレアだからこそ解る。
これは敗戦だ。
全てのありえた可能性において、同じ道を辿るはずであった。
しかし。
レアの心を、千年以上忘れていた感情が満たした。
「……貴方は……やはり、お母様の……」
灰と泥に汚れた蒼い旗。
それは鷲獅子の騎士を描き、風に靡く。
帝国軍の動きが止まり、アロイスが歓喜の声を上げた。
「王国軍だ!王国軍が来た!援軍が来たぞぉぉぉ!」
先行する騎兵隊に、歩兵を主体とする王国軍本隊が追いついたのだ。
ディミトリとの決戦を終えたその脚で、王国北部から大陸の中心までやってきた。
彼らの脚は血と泥にまみれ、疲労と寒さでとうの昔に感覚を失っている。
日が昇っては歩き出し、日が落ちては泥の様に眠った。
だが王国とは騎士の国である。
雪と鉄により幼少から鍛え上げられ、忠義と信仰を胸に生きる。
平民も貴族も教会に足繁く通い、祈りを欠かすことはない。
聖地の、信仰の危機だと知れば、脚が止まることはなかった。
馬は残らず使い潰され、騎兵も剣を手に大地を踏みしめる。
燦然とフロルの王の紋章と女神の紋章が輝きを放つ。
紫雷を纏ったアラドヴァルが掲げられる。
フロルの声が、戦場の喧騒の中で不思議とよく通った。
「見よ!我らの聖地が蹂躙されようとしている。
帝国が大恩を忘れ、女神へと刃を向けている。
人が信念と秩序を失い獣に堕ちようとしている。
だが、今この時、この場に我らを女神が導いた。
王も、貴族も、騎士も、平民も、
等しく、信仰を証明する時がきた!
ファーガスの獅子たちよ!誇り高き戦士たちよ!
共に征こう、女神のために!」
大気を震わす王国軍の咆哮がガルグ=マクに響き渡る。
それはかつて、セイロスと共に戦った者たちのように。
レアが一筋の涙を流して、剣を掲げた。
「この機を逃してはなりません!開門しなさい!
私たちも出撃し王国軍と挟み撃ちにするのです!」
津波となって押し寄せる王国軍の突撃を帝国軍は止めることができない。
レア率いるセイロス騎士が、開かれた門から飛び出して、帝国兵の死体の山を築く。
数で勝るはずの帝国軍は王国と教会に挟まれて、すり潰された。
ガルグ=マク攻防戦は突如襲来したフロリアヌス率いる王国軍により、教会が勝利した。
直前に行われた王都決戦は殿となったフラルダリウス公が討たれる。
しかし、追撃を受けず軍の残ったディミトリ率いる旧国王派が抵抗を続ける。
同盟は教会の優位により王国派と帝国派に別れ、分裂の危機に陥っていた。
帝国は次なる戦いに向け、失った戦力を補充するため力を蓄えるのであった。
第一部 白雲の章 完