時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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42話

★〈支援会話:バルタザール〉

 

 砂の上で半裸の男たちが筋骨隆々の肉体をぶつけあう。

 腰に短い布を巻いただけの姿で、汗で濡れた砂が黒く体にまとわりついていた。

 血と汗が飛び散り、荒い息が漏れ、筋肉が震える。

 バルタザールが男の肘を掴んで外に捻り上げる。

 樽を担ぐように持ち上げて、砂の上に背中から叩きつけた。

 ごぼりと男の口から血が噴き出す。

 支配人が十秒数えても男は手足が震え、砂の上でもがくことしかできない。

 

「勝者はまたしてもフォドラの格闘王バルタザールだ!」

 

 支配人の宣言と共に、バルタザールが口元の血を拭い、拳を突き上げた。

 すり鉢状につくられた席で観客たちが歓声をあげた。

 砂地に投げ入れられる硬貨や花束を雇われた孤児たちが回収していく。

 倒れる男に直ぐに癒者が駆け寄って、回復魔法を施した。

 

 フロルは最も高い場所に作られた席から拍手を送った。

 アリアンロッドに新設された闘技場は週に一度、賑わいをみせている。

 

 フロルは民の戦争への不満を逸らすため、王国各地で興行を打った。

 それが戦争特需に沸く王国の民に大受けした。

 彼らにとって戦争は近いようで遠い。

 戦傷は誇りとなり、戦死は殉教となる。

 農村からの多すぎる志願兵を送り返さなければならないほどであった。

 収益のほとんどは戦没者遺族に充てられ、一層フロルの名声を高めている。

 

「これより、ファーガスの獅子、フロリアヌス陛下から賞金の贈与があります!」

 

 フロルが立ち上がり、中心へ向かって階段を降りると、観客が万雷の拍手を送る。

 血の混じった砂に脚をつけバルタザールの下へと歩いた。

 喧騒にかき消されるくらいの声量で言葉を交わす。

 

「借金は返せたか?」

「おおっと、それを聞くかい。

 むしろこの半年で倍になったぜ」

「お前返す気ないだろ」

 

 バルタザールは闘技場の目玉として扱われている。

 かなりの額を稼いだはずだ。

 そして得た信用を担保に更に借りたのは容易に想像がつく。

 

「さて、この金貨の詰まった袋だが……」

 

 フロルがじゃらりと袋を揺らす。

 全く同じ重さの袋を、懐から取り出した。

 

「俺に勝ったら二倍やる。どうだ?」

「はっはっはっは!いいぜ!俺に勝てるもんならな」

 

 フロルが自らのシャツを素手で破いて捨てる。

 鍛え上げられた鋼の肉体を惜しげもなく晒した。

 

「な、な、なーんと!

 まさか陛下からの格闘王への挑戦状だぁ!」

 

 支配人のマイクパフォーマンスに観客たちが盛大に沸く。

 駆け寄ってきた子供からフロルが包帯を受け取って掌と膝に巻きつける。

 手足を伸ばして、ごきりごきりと関節を解した。

 

「わかってるよな、バルタザール」

「おうよ、任せておけ!」

 

 本気のバルタザールに勝てるとは思っていない。

 興行目的の茶番である。

 

 両者大紋章を持つ者同士、戦いは派手なものになる。

 平民は茶番に気づくことはないし、紋章を持つ貴族は空気を読む。

 王国は騎士の国。

 フロルは民の支持を得る為に強さを証明しなければならないのだ。

 靴を脱いで砂の感覚を確かめた。

 

「お手柔らかに頼む」

 

 がつんと一度、フロルとバルタザールが拳を合わせる。

 十歩ほど互いに離れて向き合った。

 喇叭が鳴り響き、観客たちのざわめきがおさまった。

 唾を飲み込んで今か今かと待ちわびる。

 

「両者、準備はよろしいでしょうか!それでは……はじめ!」

 

 バルタザールが突撃を開始した。

 

「遊ぼうぜ、フロル!」

 

 迎撃の構えを見せたフロルが紋章を輝かせて震脚を放つ。

 噴き上がる砂が視界を覆い尽くしバルタザールが一手遅れる。

 砂を引き裂いて現れた拳を潜り込むように避けた。

 互いの蹴りがぶつかりあい、破裂するような音が響く。

 跳躍したバルタザールが空中で大振りの拳を構える。

 落下する拳と突き上げた拳が、びりびりと会場全体を揺らした。

 一連の流れだけで観客は大盛り上がりだ。

 

 バルタザールがくるりと回転しながら着地して再度拳を構えた。

 

「お前には感謝するぜ。

 借金取りにも追われねえし、金もたんまり手に入る。

 今までで一番悪くない生活だ」

「そりゃよかったな。

 借金さえやめてくれれば文句はないんだが」

 

 突き出されたバルタザールの拳を半身引いてかわし、掴んで背負い投げる。

 怪力を用いれば相手の力を利用するという工程が必要なくなる。

 ごろごろと転がったバルタザールが筋肉を黒い砂で汚した。

 あくまで興行が目的なので、暗黙の了解で地味な寝技には発展しない。

 

「そういや、この前いい店を見つけてな。

 貴族御用達で遊ぶには丁度良さそうだ。

 今度、お前の奢りでどうだ?」

 

 軽口を叩くバルタザールに、フロルが連打を叩き込む。

 一方的に受けるバルタザールのガードが割れた。

 顔面にほんの少しだけ力を込めた拳が突き刺さり鼻血を噴いた。

 

「くーっ!お前、わりと今のは本気で痛かったぞ」

「バカなこと言うからだろ。

 俺は清廉潔白で通ってるんだ。

 心配しなくても息抜きはちゃんとしてる」

「そうかい、それなら良かったぜ。

 お前がぶっ倒れちまったら、おれの信用も共倒れ必至だからな!」

「結局それかよ」

 

 互いの拳の応酬は徐々にフロルに傾いていき、最後に綺麗にアッパーが決まる。

 フロルが意識を刈り取るつもりで殴り、バルタザールも素直に受け入れた。

 天高く舞い上がったバルタザールがドスンと音を立てて砂の上に転がった。

 支配人が数え上げる十秒を観客たちが大声で繰り返す。

 

「……今、勝者が決まりました!

 勝者、フロリアヌス陛下ああああ!」

 

 歓声に向けて、フロルが拳を突き上げた。

 

★〈支援会話:ベレス〉

 

 夜の帳が下りて、大修道院が寝静まった頃。

 深い藍色の天蓋が広がり、星々が大地を照らし出す。

 オグマ山脈から吹き付ける暖風が木々をざわめかせる。

 夏の気配が徐々に迫り、瑞々しい緑の葉が生い茂っていた。

 ベレスが大修道院に植えられた一本の大樹に近づいて、見上げた。

 

「まだ、眠らないの?」

 

 翡翠色の瞳がベレスを見下ろす。

 それは丁度、女神の星と重なって夜闇に輝いて見えた。

 まるでベレスにだけ見える少女のように。

 

「眠ろうと思えば眠れるんだが、

 今はそんな気分じゃないんだ」

 

 ベレスが手を上に伸ばした。

 フロルがその手を掴んで、太い枝の上に引っ張り上げる。

 二人分の重さに枝が少したわんだ。

 

「首飾りで刺された時、先生が助けてくれたんだろ?

 よくは覚えてないんだけどな……ありがとう」

「ううん、フロルが生きていて良かった」

 

 フロルがラルヴァに剣で貫かれた傷は致命傷だった。

 内臓が深く傷つき、意識が戻らず、心臓の鼓動が徐々に弱まっていった。

 ベレスが必死に回復魔法をかけても命が失われていく。

 だから、少女に言われるがまま、フロルにベレスの血を飲ませたのだ。

 

「……結局、俺は先生がいないと死んでいた。

 ディミトリを支えて欲しいと言ったのにこのザマだ」

 

 シェズとラルヴァさえ生きていなければ。

 いや、言い訳にもならない。

 

「見通しが甘かったんだ。

 また、同じことを繰り返しかけた。

 俺は王に向いてないなってつくづく思うよ」

 

「今からでもやめる?

 ジェラルトみたいに傭兵を率いるのは少し憧れていた。

 隣にフロルがいてくれたらきっと、上手く行くと思う」

 

 ベレスにはわかっている。

 フロルがそんな道を選ぶはずがない。

 それでも、伝えたかった。

 

「ダスカーのあの日、俺は罪を犯した。

 取り返しのつかない罪だ。

 時はもう戻らない。俺にはこの道を選んだ責任がある」

 

「星辰の節の終わり、女神の塔での願いを覚えてる?」

 

「ああ、覚えてるよ。

 俺の願いが叶いますようにって、そう言ってくれたな」

 

「ようやくわかったんだ。

 フロルはずっと前から願いなんてないんだね」

 

「……先生には敵わないな。

 そうだ。

 俺の本当の願いは壊れてしまった。

 でも俺にはなくても、父上の願いを背負うことはできる」

 

 王となったディミトリを支えて共に歩むのがフロルの願いだった。

 その道が残っていたのなら、たとえ、父の願いだとしても王にはならなかった。

 けれどもフロルの傲慢さが最善の道を、自ら壊したのだ。

 以来、フロルは願いを持たないことに決めた。

 代わりにフォドラの未来のために、皆の願いを背負って生きると決めたのだ。

 

「なら、私の願いも背負って欲しい。

 もう二度と生きるのを諦めたりしないで。

 もう二度と私の前から消えようとしないで」

 

 ベレスはフロルが死にかけた時、涙を流した。

 生まれて初めてのことだった。

 動いていないはずの心臓が締め付けられた。

 息をするのも難しかった。

 喪失の痛みを知った。

 

 二人の視線が絡み合う。

 ベレスが手を伸ばそうとして躊躇う。

 ディミトリの背に伸ばした手は、届かなかった。

 

 まったく、おぬしは世話の焼ける。

 

 とんとベレスの背中が押されて、倒れ込むようにフロルと重なりあう。

 枝から落ちそうになったベレスを、フロルが腰に腕を回して抱きとめた。

 慌てながらも木の幹に背中を預けて安定させる。

 

「大丈夫か?先生」

「……どこにも行かないで欲しい」

 

 フロルはベレスが震えていることに気付いた。

 しなだれかかるベレスの指がフロルの背に食い込む。

 荒くなった熱い吐息が首筋を擽った。

 必死にフロルが生きている実感を求める。

 神秘的な雰囲気が剥がれ、今はただ少女のようだった。

 

 俺のせいだ。

 俺の選んだ道が先生を傷つけ、苦しめる。

 こんなことで罪滅ぼしにもならないけれど。

 

 フロルがベレスを壊さないように強く抱きしめた。

 

「先生が望むなら、俺はずっと傍にいるよ」

 

 天に輝く女神の蒼き星が二人を優しく見守る。

 フォドラの戦乱は未だ収まる気配がない。

 しかし、今日だけは不思議と静寂に包まれた夜だった。

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