時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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43話

★〈支援会話:モニカ〉

 

「陛下、おはようございます」

「ああ、ありがとう」

 

 朝、日の出と共に寝室に入ってくるモニカが濡れた温かい布を差し出す。

 フロルはごしごしと顔を拭ってふぅと大きなため息を吐き出した。

 お湯で温められた布は仄かにクチナシの花の香りを漂わせていた。

 

「今日はヴィクター商会との取引がございます。

 お召し物はグロスタール領の細工で飾られてはいかがでしょうか」

「そんなものあったか?」

「はい!一節前にエドマンド辺境伯から贈られてきたものです」

「最近露骨に贈り物をしてくるようになったな。

 取り敢えず今日はそれで頼む」

 

 歯を磨き、寝汗を拭ってから、香油で髪を整え、シャツに袖を通す。

 フロルの様子をじっとモニカが見つめるので非常にやりにくい。

 鏡台の前に座ったフロルの背後で、モニカが髪に櫛を入れていく。

 

「また伸びましたね」

「んー切っても良いんだが、レアが長い方が良いって言うからな。

 ただ頭が重くて……これ以上伸びたら肩が凝りそうだ」

「その時はあたしが肩を揉みます」

「はは、頼んだよ」

 

 モニカがフロルの髪を一つにまとめ、最後にレアから贈られた髪留めを挿した。

 フロルの部屋はかつての寮部屋と違い、大広間二階の個室に住んでいる。

 警備のためとはいえ少し寂しい。

 部屋から出て、朝早くから廊下を警備しているセイロス騎士の前を通る。

 

「おはよう」

「陛下、おはようございます!」

 

 フロルとモニカが合言葉を告げてから階段を降りた。

 ソロンがトマシュにしたような闇に蠢く者のなりかわりを即座に見破る方法はない。

 定期的に変わる合言葉を交わす、健康診断を受けるなどなど。

 手間ではあるが対策を続けている。

 中庭を通り抜けていると、丁度ハピと鉢合わせした。

 

「おはよう、ハピ。今日は珍しく早起きだな」

「ふあぁ……今日はバルトに付き合って警邏しなくちゃいけないんだってさ。

 フルルが代わってよ」

 

 バルトとはバルタザールのことだ。

 どうやら二人ともコンスタンツェに捕まって仕事を押し付けられたらしい。

 

「国王が警邏してたら、国王を護衛するための警備が必要になるだろ。

 それじゃあ本末転倒だ。

 行くついでに商店でも見てきたら良いんじゃないか?」

「バルトはいっつもお金ないじゃん」

「この前俺が金を渡したはずだが……いやもう無くなってるか」

 

 食堂に入り席に座ると、モニカが一度、調理場へと向かった。

 毒見を確認しに行ったのだ。

 料理長から皿を受け取ったモニカに給仕される。

 王国の前線は広く、将も分散している。

 なかなか全員で一緒に食事は出来ない。

 最後の一口をテフで流し込んでフロルは会合へと向かう。

 

 ウエストコートと上着を羽織り、胸元に同盟の飾りをつける。

 手を広げて迎え入れたのはヴィクター商会の会長。

 つまりイグナーツの父親であった。

 

「おお!これはこれはセイロスの再来にしてファーガスの獅子、国王陛下。

 ご機嫌麗しゅう。

 いつもヴィクター商会を御贔屓頂きありがとうございます」

「こちらこそ。

 王国と同盟は今や同じ向きを向く者同士。

 架け橋となる貴殿には俺も頭が上がらない」

「はっはっはっ!おだてても出るのはちょっとした値引きくらいなものですぞ?」

 

 モニカから手渡された目録に目を通し、フロルはサインする。

 王国の穀物庫の一つ、フラルダリウス領をディミトリにおさえられているのだ。

 大軍を賄うには食料の一部を同盟から買い付ける必要があった。

 パルミラの侵攻で近頃は供給が追い付かなくなってきているのが頭の痛い問題だ。

 国土の半分が雪に閉ざされた王国は、豊かな帝国とは違う。

 時間をかければ獅子はその爪牙を振るう前に餓死する。

 

 昼は大修道院に訪れた貴族や有力な商人と共に食事をとる。

 近頃は五大諸侯以外の同盟貴族とも繋がるようになった。

 気疲れはするが、彼らは信仰を持っている分、敬意があり不快さはない。

 

 午後からは鍛錬の時間だ。

 剣、槍、斧、弓、格闘。すべての動きを確認していく。

 ひとつを伸ばしたところで、フロルは一流になれない。

 なら、どんな時でもどんな武器でも死なないように戦う。

 それがグェンダルの教えだった。

 

 ひと汗かいてモニカから水筒を受け取って口をゆすぎ、頭から水をかける。

 

「陛下。今日も精が出ますね」

「正直物足りない。

 士官学校の頃はもっと時間をとれた」

「あぁ……あたしもそんな陛下の御姿を見たかったです。

 一年遅らせれば一緒だったのに」

 

 仮にそうなっていればモニカとの関係は敵だっただろう。

 モニカは帝国貴族でありエーデルガルトに憧れを抱いている。

 敵を一人でも減らすためにフロルが半ば強引に幽閉したのだ。

 今は何故かフロルの従者の真似事をしている。

 継承権と紋章を持つ貴族令嬢のはずなのだが……。

 

 鍛錬を終えれば、一度水浴びをしてから執務室で書類に向き合う。

 

 ディミトリ、エーデルガルト、クロード。

 フロルが彼らに勝てる分野はほとんどないと言っていい。

 実際の戦場で相対した時、戦闘力も戦術眼も負ける。

 信仰魔法は得意だが、それも特化した癒者には劣る。

 原作の知識も、もうあまり役に立たなくなってきた。

 

 唯一の例外は政治力、秩序の維持である。

 三級長は生まれや経験からこの分野が苦手だった。

 

 イヴァン公は反ランベールであっても、反ディミトリではない。

 フロルをディミトリの宰相にするため育てた。

 イヴァン公の最大の誤算はフロルを御しきれなくなったことだ。

 気づけば派閥から抜け出せなくなっていた。

 

 清濁を併せ呑み、情に流されず、利益を分配し、派閥を調整する。

 虚構を演出し、犠牲を把握し、切り捨て、迷わず即断する。

 

 必要なのは正解を選ぶことではなく、間違いを選ばないこと。

 才ある者ほど身の程を弁えず、正解を求め、底のない穴に落ちる。

 

 そして命か資格を失った。

 

 ディミトリの父は情を優先し、改革を強引に進めて、ダスカーの悲劇の原因となった。

 エーデルガルトの父は貴族から権力の剥奪に失敗し、七貴族の変で皇帝の実権を失った。

 ディミトリの継母であり、エーデルガルトの母は闇に蠢く者と手を組み、何も成せず死んだ。

 クロードの母はまだ見ぬ景色を望み、責務を放棄し、民を殺した敵国に亡命した。

 その先で待っていたのは軋轢と、異母兄弟から虐待される息子だ。

 

「親の出来なかったことを……か。

 俺もそうだな。

 繋がりは切れないものだ」

「陛下、なにかおっしゃいました?」

「いや、親子の因果は切れないものだと思ってな」

「リュファス様と陛下は仲睦まじいですからね」

「ははっ、今日聞いたどの美辞麗句よりも嬉しい言葉だよ」

 

 フロルはモニカと談笑を続けながら紙を捲る手を止めない。

 帝国領への街道封鎖について確認していると扉がノックされる。

 入ってきたのはメルセデスだった。

 

「フロル、少し時間いいかしら〜」

 

 フロルがモニカに目をやると、頷きが返ってくる。

 羽根ペンを置き、インク壺の蓋を締めた。

 

「問題ないよ。どうしたんだ?」

「城下町の礼拝堂が壊れたままになっているなんて、女神様が可哀想よね。

 でも、今どこも資材が足りてないじゃない?」

 

 壁の一部が壊れていることは報告を受けて知っていた。

 ただ、今は最優先で防衛設備を拡張しているため手が回らないのが現状だ。

 

「どうにかしたいとは思ってるんだけどな」

「フロルもそう思うわよね~。

 だからせめて、聖人さまを布に描いて壊れた壁に張ってみようと思うの」

「……良い考えだな。それなら出来そうだ。

 明後日になるが大きな一枚布と画材を用意させる。

 ハピには近づけさせるなよ。

 あいつ絵が下手くそだからな」

「ふふ、私はあの絵、可愛くて好きよ。

 でもそうね、セテスさんに頼んでみるつもり。

 ありがとう、フロル」

 

 時間になり、モニカを連れ、今度は大聖堂へと向かう。

 訪れたセイロス信徒たちと言葉を交わし合い女神に祈りを捧げる。

 司祭の説教を聞き終わった後は、レアと夕食を共にする。

 時間があればベレス、セテス、フレンが加わることもある。

 主目的は彼らの精神的なケアだ。

 

「こうして二人だけでの食事も良いが、

 今度、アッシュたちと一緒に食事をとらないか?」

「まあ……!嬉しい。

 でも、迷惑ではないでしょうか」

「皆喜ぶと思うよ」

 

 食事を終えてモニカと合流する。

 一度身を清めた後、執務室に向かい、蝋燭を幾つも灯して部屋を照らす。

 子供の頃の貧乏性が抜けなくて勿体ないと思ってしまう。

 残った書類の山に取り掛かり、夜遅くまで仕事を続ける。

 フロルは週に一度の休み以外こんな生活を繰り返している。

 

 モニカっていつ休んでるんだ?

 

 気になって思い返してみると、モニカはつきっきりでフロルの世話を焼いている。

 休みの日も忙しそうにしていた。

 王であるフロルは兎も角、モニカがそこまで働く必要はない。

 

 一通りの政務を終えてモニカに告げた。

 

「モニカ、君に休みを命じる」

「もしかして、あたしなにか陛下の気に障るようなことを……!」

 

 予想できた勘違いだったので直ぐに訂正した。

 

「いやそうじゃなくてだな。

 今前線は落ち着いてるだろ。

 帝国の動き次第では今後休みを取れる機会がなくなる。

 その前になにかしら息抜きをすべきじゃないか?」

「陛下がそんな、あたしのことを考えて下さるなんて」

 

 まるで俺に人の心がないと言いたいようだな、とは流石にフロルも言わなかった。

 モニカが冗談を冗談のままに受け止める自信がない。

 

「やりたいこととか、どこか行きたい場所はないか?」

「でしたら、陛下の御好きな場所にいきたいです」

 

 モニカの即答に、フロルが言葉に詰まった。

 思いつく場所は幾つかあるが最近行けていない場所はひとつしかない。

 

「……それで良いのなら良いが。休暇になるかなぁ」

 

 フロルが思いついたのはおおよそ休暇とは程遠い場所だった。

 二人はガチガチに防寒装備で固めて、王国の北西に向かった。

 何重着込んでなお寒さが身に染みてくる。

 

 雪の中を一歩一歩踏みしめ、振り返ると荒廃した村が見下ろせる。

 フロルとモニカは王国にあるゲネウラ山を登っていた。

 モニカを歩かせるわけにはいかないので、ヴァレリアに乗せた。

 

 ゲネウラ山はファーガスとダスカーの丁度中間にある巨大な山だ。

 かつては山を越える行商や旅人がいたがダスカーの悲劇が起こって以降殆どない。

 麓の村々も荒廃し、人が住まない土地となっていた。

 フロルは自らの罪を確認するために十六の頃ここへ訪れた。

 

「陛下が好きな場所がこんなところに……?」

「まあな」

 

 ゲネウラ山はかつて活火山であり、山の頂上にはカルデラが形成されている。

 火山の熱が残り、夏のこの時期は雪が解けて、湖が出来上がる。

 一陣の風が吹いて花びらが舞った。

 

「わぁ!すごい!すごいです、陛下!」

 

 モニカが目を輝かせて感嘆の声をあげる。

 湖の畔には花畑が広がり、百頭近い白いペガサスの群れが身を休めていた。

 その中にはまだ小さな仔馬もいて、飛べない翼をパタパタと動かしている。

 ここが野生のペガサスの繁殖地のひとつなのだ。

 

「地元の案内を雇ったら、親切な人でな。秘密の場所をこっそり教えてくれたんだ」

 

 ペガサスは天敵が多い。

 飛行する魔獣やパルミラに多く生息する飛竜。

 飛行するために体重を軽くしていることもあってペガサスは被食者だ。

 特に、まだ飛ぶことができない幼いペガサスは恰好の獲物だった。

 

 ゲネウラの上空は猛烈な寒風が吹き、空気も薄く飛行する天敵が寄ってこない。

 そこでペガサスたちは空を飛ばず、山を登って、この地で出産するのだ。

 

「もう少し近づいてみるか」

「良いんですか?」

「普通なら駄目なんだがな……」

 

 ヴァレリアがモニカを乗せたまま、勝手知ったるとばかりに湖へと近づいていく。

 ペガサスたちはぎょっとして顔を上げるが、ヴァレリアを見れば、大人しくなった。

 

「種族も違うはずなんだが、ヴァレリアはなぜか受け入れられているんだ」

 

 花畑の中を二人と一頭は歩いた。

 一頭のペガサスの仔馬が近づいてきて、興味深そうに鼻をふんふんと鳴らす。

 純白の翼が体躯に比べて小さく、飛ぶのはまだ無理そうだ。

 銀の針のような毛並みが、解けた雪の水滴を弾いてきらきらと輝いていた。

 

「きゃっ!」

 

 仔馬がべろんとモニカを長い舌でなめた。

 

「モニカにはペガサス乗りの才能もあるかもな」

 

 フロルが鞄から人参を一本取り出すと、仔馬は奪い取るようにもぐもぐと食べる。

 親馬が嘶いて仔馬は首を傾ける。

 もう一度嘶きが聞こえて、仔馬は名残惜しそうに何度も振り返りながら離れて行った。

 

「この場所、連れて来たのは君が初めてなんだ」

「あたし、陛下にお仕えできて嬉しいです。

 こんなご恩まで頂いて、一生かかっても返せません」

「もっと気軽に……って言っても駄目か」

 

 もしや逆効果だったか。

 モニカはこの日から、いっそうフロルの世話に熱が入るのだった。

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