時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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44話

★〈支援会話:ハピ〉

 

 ガルグ=マク大修道院には沐浴用の水風呂に併設された蒸し風呂がある。

 基本的に王国の民はあまり利用したがらない。

 身を清めるのは、布で垢を擦り落とした後、冷たい水に入るのが主流だ。

 

 ただ、王国の一部地域には、蒸し風呂で体を温めた後、湖に飛び込む文化がある。

 湖の水温は水面が薄く凍り付く寒さだ。

 ごくまれに溺死するので為政者としては頭の痛い問題である。

 やめるように何代か前の王が命じたこともあるが、強い反発を受けて撤回した。

 幸いガルグ=マクにはそんな文化はない。

 

 腰に布を巻き、熱した石に水をまいて蒸気を立て、藁の上に腰を落ち着ける。

 早速温まってきた身体から、汗が雫となって浮かび上がる。

 大きな欠伸を嚙み殺し、身を捻って関節の調子を確かめた。

 体の古傷がなくなったのは、逆に違和感を感じてしまう。

 

 フロルが一人くつろいでいると、からんからんと入り口の鈴が鳴った。

 入ってきたのは浴着を身に着けたハピだ。

 長い赤髪を後ろで一つにまとめていた。

 

「珍しいな。蒸し風呂得意じゃないだろ」

「うーん……まあ、そんなに好きってわけじゃないけどさ」

 

 ハピはフロルの隣に座ると、ぼーっとした目で煙を上げる石を見た。

 

「里にはこんな風習なかったし。でも案外慣れたかなー」

「そういえば、もう結構経つしな」

 

 士官学校に入学した頃はまさかこんなことになるとは思っていなかった。

 準備はしていた。

 しかし、やるだけやってディミトリに殺されるだろうと思っていたのだ。

 入学前、ハピと共に馬車に揺られていたのも遠い昔のようだ。

 

「あの頃は良かったな……って思うのはもう俺も歳か」

「フルルはまだ二十にもなってないじゃん。

 ハピなんてあと半年でもう二十二だよ」

「あー、いや確かにそうなんだけどな」

 

 実はハピの方が三歳もフロルより年上なのだ。

 フロルはハピのことを妹のようなものだと考えていて忘れていた。

 

「キミ、ハピのこと一体なんだと思ってるのさ」

「相変わらず世話が焼けるとは思ってるぞ」

「……今ため息をつかなかったことに感謝しなよ」

「悪かった」

「ホンットムカつく」

「俺なんか悪い事したか?」

 

 急な悪態にフロルが首をひねるも思いつかない。

 ハピが口をへの字に曲げた。

 

「なんで教会の要求を断ったのさ」

「んーああ、魔獣狩りの件か」

 

 フロルがポンと手を叩いた。

 

 ハピのティモテの紋章は魔獣を引き付けてしまう。

 それを利用して支配地域の魔獣を一掃出来ないかと教会から要望があった。

 教会といってもレアやセテスからではなく枢機卿からだ。

 彼ら枢機卿をエーデルガルトは腐敗と言う。

 レアに血を分け与えられ、長寿と紋章を得た枢機卿は交代が殆どない。

 熱心なセイロス教徒なので汚職に手を染めることはない。

 アルファルドのような良心もある。

 ただ、目的のために手段を選ばないのはレアやエーデルガルトと似ている。

 

「ため息をつくと幸せが逃げていくって。

 ……ああいや、言わないんだったな」

 

 顎からぽたりぽたりと汗を垂らしながらフロルは言葉を探した。

 

「多分やったら多くの人が救われるんだと思うんだ。

 でも、心の負担になるだけだからやらなくて良い。

 ため息の回数が増える。

 こういうのは向き不向きがあるからな。

 やりたくないことはやらなくて良いんだよ」

 

 誰にでもできる人助けは心の支えになるが、

 自分にしかできない人助けは義務に変わる。

 善良であるほどやめられなくなる。

 

「ハピは一度もやりたくないなんて言ってないけど」

「俺がため息をつかなかったことに感謝しろよ?」

 

 フロルがハピの口癖を真似てにやりと笑みを浮かべた。

 長く共にいればハピの言葉が嘘であることくらい見抜ける。

 フロルが落ちて来た前髪をかき上げて、言葉を重ねた。

 

「今日はちょっと良いことしようと思ったら、

 隠れてやってみると良い。

 たまになら良い気分転換になるかもしれないな」

「キミって王様向いてないよね」

「そうだな。

 俺が一番向いてるのはハピの世話を焼くことだ」

「……あっそ」

 

 ふとハピの身体がふらついてフロルの肩に寄り掛かった。

 ハピの汗の雫がフロルの腕をつたって流れる。

 

「どこが慣れたって?」

「……ごめん」

 

 案の定のぼせたハピの身体にフロルが手を回して抱き上げた。

 蒸し風呂の扉を開ければ、外の涼しい風が肌を撫でる。

 寒暖差でぶるりと身震いした。

 

「心配してくれてありがとな」

 

 フロルの言葉に、腕の中でハピはそっぽを向いた。

 

 

 王国西部にあるトータテス湖。

 四聖人の一人、インデッハが最後に訪れた地だ。

 様々な食用の魚が採れることでも知られている。

 巨大な漁場になってもおかしくはない立地だが、

 デュバル伯爵家が代々慎重に管理しているため、豊かな自然が残されたままだ。

 今も希少な鳥たちが水面で羽を休めていた。

 桟橋の上で、フロル、ベレス、アッシュがそれぞれの馬から降りる。

 

「おーい、遊びに来たぞー」

 

 フロルがなにもない水面に向かって声をかけた。

 しばらくして、一斉に鳥が飛びたち、水面に波紋が連なった。

 いくつもの気泡が弾け、なにかがゆっくりと浮上する。

 

「……なんだ。あの子は来ていないのか」

 

 まず一本の天を突くような角が現れ、それから長い首の頭部が出てくる。

 長い年月を経て苔むした黒々とした甲羅。

 湖の畔に住む民からは動かざる重きものと呼ばれる魔獣。

 島のようにすら見える巨体だが、言ってしまえば巨大なカメであった。

 

「他の三人もそうだけど、皆フレンのこと好きすぎるよな」

「フン……我々にとって特別な子だ」

 

 フロルと普通に話すこのカメこそ、四聖人最後の一人。

 聖インデッハ本人である。

 マクイルのように力を使い過ぎて人の身に戻れなくなったのだ。

 士官学校の時に、フレンと一緒にセテスに内緒で訪れていた。

 それからは、公爵派の領内で大修道院から遠くないため気軽に会いに来てる。

 

「それで、何の用だ。同胞たちよ」

 

 フロルが釣り竿と魚籠を持ち上げた。

 

「湖の中心で浮島になってくれないか?

 あそこが一番良い釣り場だと俺の勘が告げているんだ」

 

 インデッハが無言で湖に沈み始めた。

 フロルが慌てた。

 

「冗談だって!冗談!いややってくれるなら嬉しいけどさ。

 アッシュに試練を与えてやって欲しいんだ」

 

 急に話を振られて、今まですっかりショートしていたアッシュが動きだした。

 

「え!?ぼ、僕ですか?

 いやそれ以前になんで魔獣と普通に会話しているんですか!?」

「いやまあ……うん。

 本当は相性が良いベルナデッタを誘拐しようかとも思ったんだけど。

 あいつ一度も前線に出てこないんだよな。

 噂じゃ父親が死んでこれ幸いと屋敷に引きこもってるらしいし……」

 

 教会がヴァーリ伯を暗殺して以降、見知った使用人以外を追い出して引きこもった。

 爵位を継いでも、領地の運営は昔からいる内政官に丸投げしているとか。

 いつになるかはわからないが、そのうち様子を見に行くつもりだ。

 

「アッシュが今動ける、うちの中で実質一番の射手だから仕方ないんだ」

 

 よく考えなくても今の王国陣営は近接と魔法に面子が偏り過ぎだ。

 シャミアとツィリルは対飛竜兵のため首飾りに駐屯していて動かせない。

 同期以外も多くの弓の名手を抱える同盟が羨ましい。

 隣の芝生は青いのだ。

 

「魔獣が話すのは……あれだ。

 ヴァレリアみたいなものだと思って、いってぇ!」

 

 背後からヴァレリアの蹴りが叩き込まれ、フロルは湖に落とされた。

 冷たい水から必死に桟橋によじ登る。

 水を滴らせる長い髪を雑巾のように絞った。

 

「ほんの冗談だろう。ああいや、悪かったって。

 お前は魔獣じゃないよな。もっと高貴な存在だ」

 

 ヴァレリアとフロルは昔から上下関係がある。

 馬が上で人が下だ。

 濡れ鼠になったフロルをベレスが火の魔法を使って乾かしていく。

 おーさむさむと火に手をかざしながら、フロルは頭を悩ませた。

 

「アッシュにわかりやすい例えってなるとだな。

 ミッテルフランク歌劇団の演目にもなったリヨラに出てくるあれだ」

「あれは我ではなく、あのバカが……」

「あーもう、話がややこしくなるから黙っていてくれ!」

 

 アッシュが少し頭を悩ませた後、ああーと納得の声を出した。

 

「喋る魔獣と青年、二人との深い森の中での奇妙な共同生活!」

 

 帝国のオグマ山脈に残された伝承を元にした物語だ。

 解る者が読めば女神の眷属が人間の女性に惚れたんだなと納得する。

 

「そうそう、それだ。話が早くて助かる。

 でだな。本題はこのカメが聖弓を持っているってことだ。

 ただし、ケチなことに試練をやらないと渡してくれない」

「手温い試練にしてやっただろうに」

 

 フロルがインデッハに胡乱な目を向けた。

 力試しになると思ったら全然違った。

 

「弓の腕を試されても俺が達成できるわけないだろ。

 自慢じゃないが信仰魔法以外は二流なんだぞ俺は。

 どうする?アッシュ。

 別にどうしても必要ってわけじゃないんだ」

 

 フロルの問いに、アッシュは意気込んだ。

 

「僕、やります!やらせてください!

 まだよくわかってないけれど。

 でも、せっかく頂いた機会、無駄にしたくありませんから」

 

 インデッハが首を伸ばして、アッシュを見下ろした。

 そこには最早近所のおじさんのような雰囲気はない。

 数千年を生きる聖人の荘厳さだ。

 

「では、汝の望み。

 叶えたくば我が試練を乗り越えよ。

 誰の助言もなく、

 日が落ちるまでに、

 生きた黒いカムロス鳥を一羽、持ってくるが良い」

 

 あ!ずるい!と言いそうになってフロルは慌てて口を塞いだ。

 その一言も助言に含まれかねないからだ。

 アッシュは少しだけ頭を悩ませた後、力強く頷いた。

 

「……わかりました。やってみます!」

 

 こうして、アッシュの『尽きざるもの』を手に入れるための試練が始まった。

 フロルとベレスはやることがないので、湖の中心で釣りを楽しんでいた。

 二人並んでインデッハの甲羅の上から釣り糸を垂らす。

 水に半分沈めた魚籠にはもう六匹の新鮮な魚が入っていた。

 

「先生、何時の間に釣りの練習をしてたんだ?」

「ジェラルトが上手かったから、習ったんだよ。

 大修道院であまり見せる機会はなかったけど」

「なるほどな。

 じゃあ今度ジェラルトさんと一緒に釣りに行こうか」

 

 ベレスがひょいっと釣り竿をひくと、大きく育ったクイーンローチが釣り上げられる。

 手慣れた様子で釣り針を外して魚籠に放り込んだ。

 新しく入った仲間に驚いた魚がばしゃばしゃと水飛沫を立てる。

 

「うん。

 ところで、なんでカムロス鳥を取ってくるのが試練なの?

 あの鳥って王国の北ならわりとどこにでもいると思うんだけど」

 

 フロルがげんなりした顔を浮かべた。

 

「それ、茶色いカムロス鳥だろ。

 カムロス鳥が黒いのは冬の若鳥の間だけだ。

 それも渡り鳥だから遥か南、帝国のモズグズあたりで生まれる」

 

 一日では飛竜を使っても行って帰ってくることはできない。

 そもそも今は夏だ。

 若鳥もとっくに羽が茶色に生え変わっている。

 

「弓の腕を試してあげれば良かったのに。

 意地悪だね」

 

 二人を背に乗せたインデッハがベレスに心外だとばかりに答えた。

 

「試練とはそういうものだ。

 あの小僧がそれなりに弓を扱えることは見れば解る。

 同胞でないならば、それだけでは我が弓を預けるに値しない」

 

 カメのようにインデッハの意思は固かった。

 

「日暮れまで長いんだ。まずは腹ごしらえをしよう」

 

 フロルが作ってきたサンドイッチを取り出してベレスに差し出した。

 砂糖を加えたバターと小麦粉を炒めてパン粉でとろみをつけた甘めのソース。

 羊肉の臭みをハーブを練り込んで消して、キャベツとチーズを加えて挟んだ。

 

「我にはないのか?」

「この意地悪じいさんめ、五個だけだぞ」

 

 フロルたちはすっかり日が暮れるまで湖上でアッシュを待った。

 アッシュが袋を抱えて桟橋まで走ってくるのが見える。

 直ぐにインデッハが尾を動かして桟橋の傍まで泳いだ。

 フロルはアッシュを信じていても緊張でドキドキしてしまう。

 

「さて、時間だ。黒いカムロス鳥を我に見せてみよ」

 

 アッシュが頷いて、袋から一羽の鳥を首を掴んで出した。

 間違いなくそれは生きたままの黒いカムロス鳥だ。

 ただし、丸々太った大人の鳥だった。

 

「ぬう、やりおる……どうやって手に入れた?」

 

「試練なら達成出来ないことを求めないって考えました。

 市場で鳥についての本を探したんです。

 そこに長い距離を渡るため羽をかえると書いてありました。

 だから、渡る予定のない飼われているカムロス鳥なら、

 世代を重ねれば羽の色が変わらなくなるんじゃないかって……。

 好事家から買うのに金貨三枚もかかっちゃいましたけど」

 

 おおー!とフロルが感嘆の声をあげた。

 助言を受けられないなら本で探すとは、まさにアッシュらしい回答だ。

 ロナート卿から教わった読み書きが今もアッシュの血肉になっている。

 

「知識、発想、機転、良き教育者を持ったようだ。

 見事なり、人の子よ……。

 汝は我が聖弓に相応しき智恵を示した」

 

 インデッハが大きな口を開くと、舌の上に神聖武器『尽きざるもの』が現れた。

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