時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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45話

★〈支援会話:イングリット〉

 

 王国アリアンロッド要塞。

 白銀の乙女と呼ばれるに相応しい壮麗な要塞だ。

 黄燎の章でディミトリは最後に王都ではなくアリアンロッドを選んだ。

 クラウス王の三人の息子が王国を砕いた時、

 一度たりとも陥落することはなかったのがアリアンロッドである。

 五重の円環状に作られた壁と、直線からひとつひとつ位置をずらした門。

 両側は凹凸に作られ門に挑む兵に矢と魔法の雨を浴びせる。

 道は懐深く蛇のように曲がりくねり、隅は死角になっている。

 策を弄さねば優秀な将が指揮する限り、四倍の兵力でも落ちない。

 

 フロルはローベ伯に幾つかの利権を与える代わりに、戦後までの接収を認めさせた。

 現在アリアンロッドを指揮するのはイヴァン公とロナート卿である。

 すべての裏道を作り変え、あるいは罠を張り、兵の身分調査を徹底した。

 適宜変更される符丁がなければ例え友軍だとしてもその門は開かない。

 既に一度、逆侵攻する前に帝国の侵攻を跳ね返している。

 

 帝国から王都はあまりにも遠い。

 フロルはアリアンロッドで王国の政務を行うことが多い。

 教会法に抵触する話題は大修道院で出来ない。

 教会側もそれをわかっていて見逃している。

 

 会議室に貴族たちが集められていた。

 フロルが届いた密書を開いた。

 懐かしく思いながら指で手紙の文字をなぞる。

 書かれているのは暗号化されたブリギットの文字だ。

 

「ブリギットの王女のもので間違いない」

「よくおわかりで」

「この印は士官学校の時に作ったものだ。

 俺と彼女だけが知っている。

 それに筆跡に見覚えがあるからな」

 

 ペトラに文字を教えて貰っていたのだ。

 その手癖が見えた。

 

 帝国の属国ブリギットが帝国からの離反を提案してきた。

 

「開戦時には積極的に帝国に協力していました。

 どうして今更心変わりを?」

「時勢を見てというのもあるだろうが……。

 仇を討ったことを感謝すると書かれている」

「ああ、確か先王を殺害したのはベルグリーズ伯でしたな」

 

 帝国とブリギットは元々侵略したりされたりの関係だ。

 ダグザ=ブリギット戦役でペトラの父はカスパルの父に殺されて死んだ。

 二人の関係が士官学校で改善しても、恨みが消えるわけではない。

 

「鞍替えの条件はなんでしょうか?」

「防衛協定と交易の密約。

 兵の駐屯を求められているが可能な範囲だな。

 代わりに提示されたのがブリギットにいる帝国海軍だ」

「まあ、属国ですからなぁ。

 高く身売りするのも、お手の物でしょう」

 

 熱心なセイロス教徒のデュバル伯爵が蔑んだ物言いをする。

 信仰が違うブリギットの扱いは王国諸侯からしてみれば低い。

 

「帝国海軍の約半数が集結している。

 これを壊滅させれば、

 ダグザとの交易の再開もそうだが、オックス家も首を縦に振るだろう」

 

 帝国海軍のハラスメント攻撃は王国にとって頭の痛い問題だ。

 数でひたすら商船を襲い、此方の戦闘艦が見えたらすぐに逃げ出す。

 魔法研究に優れた王国に艦隊決戦を挑む愚を帝国はよく知っている。

 逆に滅ぼせば西海岸で更なる侵攻も可能になり、帝国を揺さぶれる。

 

 会議を進めていき、一呼吸ついた。

 

「さて、ベルグリーズ伯を討った功績に報いねばならない。

 ガラテア家の兵は大修道院の危機によく奮闘してくれた。

 特に未知の魔道砲台を防いだイングリットの功績は大きい。

 紋章を持つ次期当主として、立派に務めを果たした」

 

 フロルが巻物を取り出して広げていく。

 王家の紋章が印された勅書だ。

 

「エドマンド辺境伯家より白角海を用いた交易が提案されている。

 今後、王国とエドマンド家はより親密な関係を結ぶことになる。

 そこで、ガラテア家に貿易特権を与え、港の拡張を命じる。

 建設費用は王家ならびにエドマンド家が共同出資する。

 以上だ。今後も忠義と献身に期待する」

 

 功績に対してガラテア家に金や物資を贈ることはできる。

 だが意味がない。

 ガラテア家には貯金を切り崩すことしか出来ないからだ。

 根本原因は土地の魅力のなさにある。

 イーハ領にフロルが生まれたような付加価値がない。

 だから交易港という付加価値を与え、商人という血流を通す。

 

 そこまで素早く理解したガラテア伯は目の色を変えた。

 

「あぁ!陛下、なんと申し上げてよいのやら。

 イングリット、やはりお前は私の希望だ!」

 

 ガラテア伯が歓喜の声をあげ、諸侯が拍手で讃える。

 反対意見はない。

 フロルが根回しに苦労した甲斐があったというものだ。

 彼らも次のガラテア家になろうと戦争に協力するだろう。

 

「陛下、私は……」

「これからも頼む」

 

 イングリットの言葉をフロルは遮った。

 これで良い。

 婚姻などせずともイングリットに報いることが出来た。

 フロルは貴族たちの進言を聞きながら、会議を進めた。

 

 会議が終わり、すっかり外は暗くなっていた。

 貴族が退室した会議室でフロルがガラス扉を開ける。

 露台に脚を踏み入れて、外を眺めた。

 肺に入る空気は刺すような冷たさを帯び、指先がかじかむ。

 夏になったというのに王国の夜は冷たさを宿していた。

 

「風邪をひきますよ」

「生まれてこのかた風邪をひいたことはないんだ」

 

 その分父を心配させなくてすんだ。

 

 フロルが振り返ると、イングリットが立っていた。

 誇り高き騎士。瞳の奥には葛藤を宿している。

 

「今日は良い夜だな」

 

 対照的にフロルの瞳は星の光を映したように深く澄んでいた。

 イングリットが燭台に照らされた会議室から一歩暗闇に踏み込んだ。

 

「私のことがお嫌いなのですか?」

 

 少しの沈黙の後、フロルが口を開いた。

 

「君も本当にそう思っているわけじゃないだろう。

 ただ……俺にそのつもりがないってだけだ」

 

 フロルは理由を言うことができない。

 

 戦後までフロルの妻子など不幸の種にしかならない。

 仮にフロルが死んだ場合、ディミトリが王国を掌握する。

 イヴァン公の協力を得てその準備は終わっている。

 蒼月の章のような亡国を許すわけにはいかない。

 

 死にたいわけではないし、死ぬつもりもない。

 ただ、クラウス王のように、

 死んだ後を考えない者は為政者たりえない。

 イングリットに知られるわけにはいかないのだ。

 知られれば止められることくらいわかっている。

 

「それに謝らなければならない。

 俺は君を不幸にした。

 ダスカーの悲劇を止められず、グレンが死んだ。

 勝つためにガラテア家を利用した。

 フェリクスやシルヴァンと共に歩む道を奪った」

 

 フロルが積み重ねる謝罪に、イングリットが叫んだ。

 

「あなたに私のなにがわかると言うんですか!」

 

 フロルの目が見開く。

 

「私もあなたの考えていることがわかりません。

 それでも……!

 あの日、ガルグ=マクで私の心はあなたに奪われました」

 

 イングリットは物語の騎士に憧れた。

 あの日が訪れるまでは。

 

 朝焼けを背にした王国軍騎兵隊。

 目の前に広がるのは黒雲のような帝国の大軍勢だ。

 歴戦の騎士たちでさえ死の恐怖を隠しきれなかった。

 祈りを小声で囁く。

 体は冷たく、指先が震え、唇が渇いた。

 だがフロルが叫んだ。

 

「ファーガスの騎士たちよ!

 死に向かって駆けよ!

 友と家族と、祖と女神のために、

 我らの名が誇り高く語り継がれるために!

 共に死に向かって駆けよ!」

 

 誰よりも先陣を切ってフロルが駆けた。

 重なり合った二つの紋章が眩いほどに輝いていた。

 その光をイングリットは騎士たちと共に追いかけたのだ。

 先ほどまで隣を駆けていた騎士が槍で貫かれ落馬する。

 次々と死んでいく。

 騎士たちは光を目指して止まることなく駆けた。

 

 ガルグ=マクを、信仰と誇りを帝国から守ったのだ。

 あの日、建国の父ルーグに並ぶ偉大な王が生まれた。

 憧れたすべての物語が色褪せる鮮烈な記憶だった。

 今までの人生はこのためにあったのだと確信した。

 

 他の道など選べないほどに、

 光に心が焼き尽くされたのだ。

 

「あなたのためならば私は殉じるのも構いません。

 望むならば家族だって斬りましょう。

 まして友を斬るのに、なんの躊躇いがあるでしょう」

 

 イングリットがフロルの手を掴んだ。

 

「婚姻などどうでも良いのです。

 フロル、私は騎士としてあなたのために生きたい。

 それさえも許されないのですか?」

 

 勢いで言い切ったイングリットの頬は紅潮していた。

 胸が上下し、口から荒い吐息が漏れ出る。

 フロルの翡翠色の瞳がイングリットを見下ろした。

 その瞳に宿った決意を認めた。

 小さくため息を吐き出して、フロルが観念する。

 

「そうか、わかった。

 俺も君が最期まで共にいてくれたら嬉しい」

 

 帝国暦1181年 青海の節

 女神再誕の儀が近づいたこの日。

 フロルとイングリットは終生の主従として誓いあった。

 

★〈支援会話:ユーリス〉

 

 黒煙をあげて炎上し沈んでいく帝国の戦闘艦。

 その音は海獣の鳴き声とよく似ていた。

 明朝、ブリギット諸島に駐留していた帝国艦隊は奇襲を受けた。

 想定外なことに、それはブリギットからであった。

 火矢が撃ち込まれ、小舟でブリギットの兵が乗り込んでいく。

 次々と船員たちに刃が突き立てられた。

 帝国海軍は混乱しながらもなんとか半数が出港した。

 

 その脱出した先に、ずらりと王国軍旗を掲げた艦隊が並んでいた。

 帝国艦の燃えはじめたマストが熱風にあおられて悲鳴を上げる。

 

「……こちらに、来る気はありませんか?マヌエラ先生」

 

 向き合った船上で、アラドヴァルを手にしたフロルが尋ねた。

 黒鷲の学級の担任を務めたマヌエラは開戦時に帝国についた。

 フロルは怪我をする度に、何度も治療してもらった恩がある。

 だから、ここで寝返るなら受け入れるつもりだった。

 マヌエラは寂しそうに微笑んだ。

 

「良い男になったわね。

 でも、あたくしはこれでも一途な女なのよ。

 最後まであの子たちの先生でいると決めたわ」

「貴方に腕を治してもらわねば生涯不具となったでしょう。

 感謝しています」

「いいのよ。あなたも生徒の一人だったのだから」

 

 一度だけフロルが強く眼を瞑った。

 士官学校の思い出が瞼の裏に色鮮やかに蘇る。

 再び見開いた眼には王としての冷徹さだけが残っていた。

 

「残念です」

 

 背後からマヌエラの心臓が貫かれた。

 それを成したのは一人の帝国兵だ。

 引き抜かれたベガルタの剣が赤く染まり、歌姫は崩れ落ちる。

 帝国兵の手元から魔法の鎖が伸びて、フロルの乗る船のマストに絡まる。

 鎖が縮み、帝国兵がフロルのすぐ隣に着地した。

 

「やれ」

 

 フロルの短い号令と共に王国艦上でいくつもの魔法陣が輝く。

 混乱する帝国艦へ向けて炎や雷の魔法が次々と放たれた。

 立て直そうとした者もいたのだろう。

 一部の帝国艦に障壁が展開されるが、容易く王国の魔法が突き破る。

 艦隊決戦は魔法使いの優劣で決まる。

 魔道学院のある王国と正面からぶつかればこうなるのは明白だった。

 

 フロルの横に立つ帝国兵が兜を脱ぎ捨てた。

 薄紫色の髪が潮風に靡く。

 正体はかつて城下町で出会ったユーリスだった。

 

「あんたに貰ったこれ、なかなか悪くないな」

 

 ユーリスの手には鎖と指輪が繋がった籠手が嵌められている。

 英雄の遺産『ドローミの鎖環』がオーバンの紋章に適合反応を輝かせた。

 フロルがゲルズ公爵家から回収したものだ。

 

「やった俺が言うのもなんだが、態々あんな方法で殺す必要あったのか?」

「マヌエラ先生は俺の尊敬する信仰魔法の使い手でな。

 魔法封じと転移魔法を使える。

 帝国海軍を一隻残らず沈めるには、邪魔だった」

「ははっ、やっぱあんた、悪党だな」

「お前もだろう。だからこうして手を組める」

 

 フロルは大修道院を支配下におくと、直ぐにアビスに手を付け始めた。

 大修道院の治安回復は次の侵攻に備えるため急務だった。

 信仰の有無にかかわらず貧困や病に苦しむ者に糧と治療を施した。

 ならず者を集め、船と、帝国の商船に対する海賊行為の許可を与えた。

 彼らがそういう生き方しか出来ないのは知っている。

 

「今日の飯に困るガキの数だとか、

 安価な薬で治るはずの病で死ぬ貧乏人だとかの数が、

 あんたのおかげで少し減った。

 帝国につこうとも思ったが、こっちを選んで正解だった。

 今は、そう思ってる。

 少なくともあんたは無駄な殺しをしない」

「……帝国軍の統制が取れなくなってきているのか?」

「風の噂だけどな。

 敵対派閥の領地で略奪をやらかした貴族が出たらしい。

 直ぐに隠蔽されたが難民がアビスに来ていた」

 

 帝国は強固な土台をしているが、少しずつ歪み始めているのだ。

 

「なら少しでも良い未来のために、

 これから大勢を殺すことになりそうだ」

「受けた恩はきっちり返す。

 それが俺の信条だ。

 あんたが道を違えない限り、一緒に進んでやるよ。

 地獄の底までな」

 

 マヌエラを乗せた船が炎上し、黒煙が屍を覆い隠した。

 船首が持ち上がり、船体がゆっくりと傾き始める。

 深い深い海の底へ。

 奏でられる船の悲鳴が、歌姫への鎮魂歌となるだろう。

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