★〈支援会話:セテス〉
禁止しようとしても人の歩みを完全に止めることは出来ない。
文明の発展速度を遅らせながら望む方向にコントロールするのが教会のやり方だ。
そのためには、生活に必要な知識を教会が選別して授け主導権を握る必要がある。
匙加減については千年以上やってきただけあって見事な物だ。
中でも命に関わる衛生や医学は意図的に広められた。
原作でも、例えば石鹸は村出身のレオニーが作り方を知り、常用する程平民に広まっている。
貴族用には香りづけもされていて、皆風呂上がりは良い香りを漂わせている。
入れ替わる前のコルネリアが王都で成したように大都市は上下水道が整備されている。
闇に蠢く者にルミール村が実験台にされた際、直ぐにマヌエラが疫病ではなく毒や魔道だと判断できる。
知識がなければ広めることも、禁止することも出来ない。
四聖人が生まれた時代、光の杭を生み出せるほどの高度な文明があった。
それを基に逆算して作られた禁止事項は千年以上フォドラを管理できた要因の一つだ。
うーんとフロルが腕を組んで悩んだ。
「脱穀機か……」
今回枢機卿から公開を提案された農業機械である。
足踏みでベルトを回し、連動した筒を回転させる。
筒につけられた刃が稲扱きを行う。
魔力や電気を使うわけでもない。
思いつきさえすれば再現可能な構造だ。
市井で考案者が出たが闇に蠢く者とは関係ないだろう。
天才とは案外そこかしこにいるものだ。
「そもそもこれ広まるのか?
能率は上がるだろうが……。
千歯扱きがもうあるし、
平民が手を出せる値段にならない」
問いに重症から回復したばかりのセテスが答えた。
「考案者の取り込みは済んでいる。
教会に設置し、管理を司祭たちが担うそうだ」
「なるほど……」
「ただ、私としては反対だな」
セテスの意外な言葉にフロルの頭に疑問符が浮かんだ。
「それまたどうして?
教会にひとつずつ置く分には問題ないと思うが」
「危険だろう。
子供が軸に巻き込まれたら一大事だ」
「……ああ、まあ、そうか」
事故は起こるものだ。
だが教会内で事故が起こってしまえば教会の醜聞になる。
フロルが納得して不採用にサインした。
それを見届けてセテスが重々しく告げた。
「ふむ……君は少し理解が早すぎる」
「……」
「今のは過去不採用にしたものをあえて提案に混ぜた。
構造について十分な知識がなければ、
君ほど早く危険性を理解することは出来ない。
君は教会が公表していない知識を理解していたわけだ」
フロルの頬を冷や汗が伝わった。
霊廟前のクロードとの会話が監視されていたこと。
女神への信仰心のなさを見抜かれたこともそうだ。
セテスは重ねた年月の分、フロルの一枚も二枚も上手だ。
同期で対抗できるのは、辛うじてクロードくらいなもの。
エーデルガルトやヒューベルトが接触を避けていたのも解る。
「あー……なんと言うか」
フロルがなんと答えるか考えていると、セテスが先に制した。
「すまない。
問題視しているわけではない。
アルファルドから君が赤子の人格ではなかったことを聞いている。
おそらく始原の宝杯によって女神の時代の記憶があるのだろう……。
ただ、君がどう理解し判断するか知りたいと思っただけなのだ。
だが君を追い詰めることになったとしたら、不徳の致すところだ」
深々と頭を下げたセテスにフロルは恐縮するばかりだ。
フロルを子供扱いできる大人は少ない。
悪い気がしないのはセテスの人間性が優れているからだ。
「それに嬉しく思う」
「嬉しい?」
「初代の皇帝ヴィルヘルムでさえ、
私たちのやり方を全ては理解して貰えなかった。
命を預けた仲にもかかわらず、多くの隠し事をした」
セテスの瞳には郷愁と後悔と、様々な感情がごちゃ混ぜになっていた。
死ぬ想像も出来なかったヴィルヘルムは死んだ。
遺志を継いだリュカイオンはたった数年で病死した。
そして今や皇帝の子孫が公然と女神に刃を向けている。
「君はヴィルヘルムを超えることができる。
ファーガスの王という地位に拘る必要はない。
戦争で乱れたこの大地をまとめ上げ、
君がフォドラを導く真の王となるのだ」
「それは……」
予感はしていた。
「……俺は王国の王になればそれで良かった。
父上の願いを叶えて、民と大切な物を守れた。
それだけで俺は良かったんだ。
でも、可能性を考えていなかったわけじゃない。
沢山怒られて、沢山反対されそうなことだ」
セテスは子供を見るように微笑んだ。
「私は君と同じ道を歩むと妻に誓った。
その言葉に嘘はない。
もし、どうしようもなくなった際は、
かつてフレンとそうしたように。
私が君を連れ、誰も訪れぬ場所に隠棲するとしよう」
「……ありがとう。
隠居生活もなかなか楽しそうだ」
フロルが目指す未来を話した時、セテスは本気で怒った。
しかし決して譲らないフロルに最後は諦めることになる。
★〈支援会話:ベルナデッタ〉
父の訃報を聞いた時、ベルナデッタは実感がなかった。
ベルナデッタにとって父は絶対だったのだ。
椅子に縛りつけられて、やれ、あれをやれこれをやれと。
お前は紋章を持って生まれたのだから、良い婿を迎えられる。
そう言われて育った。
遊ぶ時間もなし、友達を作る自由もなし。
気づけば引きこもっていた。
亡くなってから色々と見えてくるものもあった。
父も気が小さく子供の頃から引きこもりがちだったとか。
昔の友達が実は暗殺者で、父が守ってくれたとか。
今更知ってもと思うし、素直に愛情を向けてくれれば良かった。
もう今更なのである。
ベルナデッタは家に引きこもった。
あれだけ怖かった母もなにも言ってこない。
今はただ、自室と食堂と風呂場と、ほんのたまに父の書斎。
それだけがベルナデッタの世界だ。
朝日が窓の外から部屋に差し込んで、もそもぞと動いた。
小さな机と椅子、本棚。
窓辺には珍しい植物の植木鉢がいくつも置かれている。
それから中心には部屋の大きさに不釣り合いな天蓋つきのベッド。
今も枕元で、動物を模したぬいぐるみがベルナデッタを囲っていた。
「お嬢様、お拭きいたしますね」
寝ぼけ眼で、大きな欠伸を一つ。
背中に手を回されて上半身を起こす。
使用人にされるがまま、顔を温かい布で拭われた。
声から今日は珍しく男の使用人なんだなと思った。
「口をお開け下さい」
言われたままに口を開けて、歯ブラシでシャコシャコと歯を磨かれる。
最後に水の入ったコップを受け取って、口をゆすいで桶に捨てた。
ん?
貴族の令嬢の寝室に男の使用人?
母なら今すぐその首を刎ねよと、どなり散らしたはずだ。
眠気が一気に吹き飛ぶ。
急いで使用人の顔を見て、口が半開きのまま閉じなくなった。
「よう、ベルナデッタ。
随分と良い生活をしているな?」
「……あ、ああ、ああああ、ああああああ!」
髪が長く伸びた以外は殆ど変わっていない。
翡翠色の瞳と髪をした士官学校の同期、フロルが桶を手に立っていた。
ベルナデッタの身体がカタカタと震える。
くるんと瞳があらぬ方向を見て、口が半開きのまま固まった。
フロルが桶を床に置いて頬をぽりぽりとかいた。
「……流石に不意打ちが過ぎたか。
おーい気絶するな。
ちょっと女性としてしちゃ駄目な顔をしているぞ」
仕方なくベルナデッタの肩に触れてゆさゆさと揺らす。
甲斐あってなんとかベルナデッタは意識を取り戻した。
とはいえ、意識を取り戻して混乱がとけるわけもなく。
「な、ななな、なんでフロルさんがここに!?
ま、まさか、あたしを今度こそ殺しに!
あたしはエーデルガルトさんに協力なんてしてません!
してませんからあああああ!」
「いや、そこは協力してやれよ、人として。
ただでさえヒューベルトが死んで困ってただろうに」
「助けてくださいひいいい!
あたしもヒューベルトさんみたいに真っ二つはいやあああああ!」
「ああ、お前あれ見てたのか。
そりゃあそうか、インデッハだものな」
フロルは一人でうんうんと納得した。
今は巨大なカメと化したインデッハだが元はフォドラで並ぶ者なき射手だった。
ベルナデッタも宿すその紋章には射手として必要な能力が備わっている。
紋章故に、遠方からフロルがヒューベルトを殺すところを鮮明に見てしまったのだ。
「ベルナデッタ、叫んでていいから聞け。
お前が戦場に出てないことも知っている。
今日は普通に話に来ただけだ」
「はっ!?……そ、そうなんですか……。
いや、でもどうやってベルの部屋に……」
ああとフロルは意地悪な笑みを浮かべた。
「カツラを被って正面玄関から入ったよ。
お嬢様に呼ばれた高級男娼ですってな。
お前、もうちょっと貴族らしい威厳があった方が良いぞ。
使用人からついにやらかしたかとか言われてるし……」
「なななな、なんてことしてくれたんですか!?
うわあああああん!
もうお嫁にいけませええええええん!」
ベッドの上でしくしくと叫ぶベルナデッタに構わず。
フロルが椅子を取ってきてベッドの直ぐ傍に座る。
「過ぎてしまったことは仕方ない。
とりあえず元気そうで良かったよ」
「ひどいですよお、フロルさん」
「悪かった。
でもお前も悪いんだからな。
エーデルガルトにも俺にも顔を見せずじゃあ、
無理にでも会いに来るに決まっているだろう」
「なんでベルが怒られているんですかあああああ!」
躊躇いがちにフロルが告白した。
「心配したんだよ。
本当はもっと早く会いにくるつもりだった。
でも駄目だった。
俺がヴァーリ伯を殺すよう命じたんだ。
それで……ごめん」
ヴァーリ伯の暗殺を教会に頼んだのはフロルだ。
戦争に勝つためとはいえ、同期の親を殺す判断をしたのだ。
ひゅうっと声にならない声がベルナデッタの口から漏れた。
「……そんな気は、ちょっとしてたんです……」
フロルが父親のリュファスを愛していることは良く知っている。
ベルナデッタの父を殺して傷つかないはずがない。
全てエーデルガルトが戦争を始めたために。
こんな悲しい眼をしながら、傷つきながら殺すことを決めたのだ。
そう思うと、ベルナデッタは戦争に協力する気になれなかった。
「……ベルは、フロルさんのせいじゃないと思います」
おずおずと言ったベルナデッタに、フロルが一度目を瞑った。
「お前、ずるいよそれは」
ゆっくりとフロルが息を吐き出した。
ベルナデッタの背筋にぞくりとした感覚が走った。
「このまま帰るつもりだったけど、
本気で欲しくなった。
実は俺がこの部屋に入れた理由、あれ嘘なんだ」
「え?」
とんとベルナデッタの肩が押されて、起き上がった体がベッドに戻る。
気づけば視界いっぱいにフロルがいる。
フロルがベッドの上に乗り出し、ベルナデッタを覆っていた。
深い翡翠色の瞳に意識が吸い込まれた。
「お前の母親がな。
領地を安堵するなら、
お前を好きにして良いって言ったんだ。
言ってる意味、わかるよな?」
「……ぁ」
いつもの叫び声ではなく、か細い声しか出なかった。
ベルナデッタの喉がごくんと鳴る。
ベルナデッタはようやく本当の意味で理解したのだ。
あれだけ叫んでも、誰も来なかった理由を。
家を差配する母が、フロルを寝室に入らせた理由を。
ぎゅっと目を瞑ってその時を待つ。
花のような優しく甘い香りがすると思った。
「馬鹿。俺がそんなこと望むわけないだろ」
ばちこーんとデコピンがベルナデッタの額に突き刺さる。
「ひぎっ!いったあああああああああああ!」
ベルナデッタがベッドの上をゴロゴロと悶絶した。
起き上がったフロルがひとつため息を吐き出した。
「母親ならあるいはと思っていたが、駄目だな。
無理にでも連れて行く」
こうしてベルナデッタは懐かしの大修道院へと帰参する。
大修道院に隣接するヴァーリ領。
ベルナデッタを人質に差し出す代わり、目と鼻の先の帝国領を王国軍が侵攻することはなかった。