全軍の指揮をとるリシテアより先にフロルが叫んだ。
「全魔道士で王国軍の将兵をできるだけ転移させる!
将と魔道士が優先だ!自分自身を飛ばし忘れるな!」
わたしが背負うべきものをあなたに背負わせてしまった。
歯を食いしばる。
リシテア、モニカ、コンスタンツェの三点を中心に戦場に魔方陣が描かれる。
魔道士たちが必死に魔力を注いで、空に浮かんだ魔方陣はその軌道を輝かせた。
転移魔法である以上、これから生き残る者、死ぬ者を選別していく。
震えで狂いそうになったリシテアの手を、ハピが支えた。
「ハピはこういうの苦手だからさ。
任せるしかないけど、
誰かが側にいた方が気が楽じゃん?」
リシテアの心に反して、頭脳は直ぐに状況を理解した。
フロルが指定した転移先は遥かに遠く。
どれだけ魔力を絞り集めても、救えない者の方が多い。
なにもわからないままに、彼らはこれから死ぬ。
橙の尾を引く鈍色の柱が紫の輪を通って落ちてくる。
それが見えたのを最後に、転移の魔法が起動した。
光が世界を覆い尽くした。
転移先で見た、グロンダーズに立ち昇った光の柱。
遅れて音と風が吹き荒れた。
あの中にリシテアが選ばなかった兵士たちがいる。
肺の底から引きちぎられるような息を吸い込んだ。
リシテアの身体が跳ねる。
「はぁ……はぁ……はぁ……夢、ですか」
心臓が喉元までせり上がってきている。
頭が熱をもって茹り、髪が寝汗で額に張り付く。
額を拭おうとして、右手が動かないことに気付いた。
リシテアの細い手に、手が繋がれていた。
汗と熱で重なり合った部分が湿り気を帯びている。
その先へと視線を向ければ、ベッドの隣に置かれた寝椅子。
リシテアと手を繋いだフロルが眠っていた。
いつもの大人びた雰囲気は消えて、今は年相応に見える。
代わりに左手で額を拭って、強張った右手の指をもぞもぞと動かした。
びくんとフロルの身体が一度震える。
夜闇の中に二つ、星のように輝く翡翠色の瞳が現れた。
「ごめんなさい。起こしてしまって……」
「気にしなくて良い。
元々眠りの浅い方なんだ」
フロルがするりと握っていた手を外した。
ハンカチを取り出して、リシテアの額の汗を拭っていく。
「……わたし、あなたがどんな思いをしてきたのか。
何も知らなかったんですね」
皮膚の下で何かが蠢いているような感覚が今も消えない。
フロルはリシテアの言葉に返さなかった。
ただ困り顔を浮かべて、寝椅子にまた背を預け直す。
リシテアもぽすんと枕の上に頭を落とした。
到底今夜は眠ることができそうにない。
躊躇ってから、求めるように右手を伸ばした。
手をフロルが掴んで、ゆっくりとベッドの上に下ろされる。
繋がれた手の大きさが少しだけリシテアの心の傷を埋めた。
★
至高のお菓子を作る。
発端はグロンダーズ平原の戦いだ。
光の杭が落下し、多くの兵が死んだ悪夢の日。
リシテアの精神に大きな負荷がかかった。
屋外人格に負荷を押し付けたコンスタンツェや、あっさり割り切ったモニカを見習うのは難しい。
昔、救出したばかりのハピが似たような状態に陥った。
あの時は時間とメルセデスが癒してくれた。
しかし今は戦時。
リシテアは仲間を置いて戦場を離れることを望まない。
別の方法で心の傷を埋めるしかない。
そんな事情から息抜きもかねて同級生の料理人を集めた。
あと単純に仕事に嫌気が差したからでもある。
終わらない陳情の列、勝手なことを言いだす貴族たち。
許すと言ったのに疑心暗鬼に陥る旧国王派。
王様なんてなるものじゃないなと改めて実感した。
食堂の調理場を貸しきって、フロルが一同を見回す。
「さて、料理担当を紹介しよう。まずはアッシュ。
俺の信頼する騎士であり、料理の腕も青獅子随一だ」
「僕が得意な料理はお菓子向きではないと思いますけど。
精一杯頑張ります!」
アッシュは孤児になる前、両親が酒場を経営していた。
手伝いをしていた経験から料理の腕もなかなかのものだ。
「同じく青獅子から。
菓子作りでは俺とアッシュを超えるメルセデス。
腕前は幼馴染の俺が良く知っている」
「うふふっ、帝国のお菓子も少しは作れるのよ。
リシテアのために頑張るわ〜」
メルセデスは帝国から母親と共に亡命してきた。
王国と帝国両方の食文化を知っている。
貴族としての生活も長いので、高級食材も扱える。
「次、黒鷲代表のベルナデッタ。
フェルディナントとペトラの推薦で連れて来た。
手先が器用だから、なにかと役に立つだろう」
「うなあああああああああっ!?
愛しの部屋に戻ったと思ったら、
どうしてこんな目にいいいいいい!」
ベルナデッタがいつものように元気に訴えかける。
皆と挨拶を交わすこともなく、寮の部屋に引きこもった罰だ。
気まずいのはわかる。
しかしフェルディナントとペトラくらいは挨拶をするべきだった。
「あと俺の個人的な伝手でユーリスを呼んだ。
仁義は通すから安心してくれ」
「態々金を払って俺を呼ぶなんて酔狂さには呆れるね。
ま、貰った報酬の分だけきっちり働かせてもらうさ」
貴族社会を渡り歩いたユーリスは美貌だけの男ではない。
三大欲求のひとつである食欲を操るのもお手の物だ。
他の将と関わる機会が少ないので、これを機に親交を深めて貰いたい。
「最後に料理の魔法担当としてアネット。
もう皆も読んだと思うが『魔法でたのしいお菓子作り』の著者だ。
アネットのおかげで菓子作りの文化は飛躍したと言って良い」
「わぁっ!?ちょっと待って!
何でそんな本が出回ってるの!?」
「俺は成績優秀者の著作は八歳の頃から全部読んでるぞ」
複雑な調理工程を魔法に落とし込んだ、生活魔法の傑作だった。
魔道学院は将来国に仕える魔道士を育てる場。
為政者の卵として確認するのは当然のことだ。
「勿論俺もだな。料理担当は以上だ」
思い返すと金鹿の学級に料理が得意な面子がいない。
黒鷲の学級もベルナデッタしかいないとなれば。
ドゥドゥーもいる青獅子の学級の圧倒的な勝利である。
「で……試食担当だ。
先生、コンスタンツェ、フレン。
三人もいらないし先生以外は呼んでないぞ?」
「おーっほっほっほ!
お姉様のお菓子作りとあっては、
この私が駆け付けないわけにはいきませんわ!」
「ま!わたくしも手伝いに来ましたのよ?」
威勢だけは良い。
コンスタンツェとフレンは料理下手。
参加すれば戦力外どころか大惨事になりかねない。
早めに試食で胃袋を一杯にして退場願おう。
「さてなにを作るかだが、
帝国風の菓子を作るべきだと思う」
リシテアの実家コーデリア家は帝国に接していて、文化的にも影響を強く受けている。
故郷の味というのはそれだけで強みだ。
「普通に作るだけだとこの面子を集めた意味がない。
工夫を凝らすとして……。
作れそうな範疇でメルセデスの意見を聞きたい」
メルセデスが指を軽く顎に当てた。
「そうね~。
手間暇を惜しまないならスフォッリャテッラかしら?」
「ひだを何枚も重ねる?
名前からはどんな料理か想像もつかないな」
「パイ生地をパスタみたいに薄くするのよ。
それを何度も重ねるの」
ラードを塗ったパイ生地を何度も重ねる貝のような焼き菓子だ。
中にクリームやチーズを入れて味付けする。
簡単な説明を受けてフロルたち料理人は直ぐに理解した。
「食感を作るのが難しそうだ。
上手く重ねないと生地の層に空気が入る。
重ねるのはベルナデッタにやらせよう」
「そんな重要な役目、無理ですよおおおおお!」
「中身が見えるとちょっと不格好になりますね」
「粉砂糖を上にまぶせば良いんじゃねえかな。
貴族の菓子って感じがして高級感も出る」
「魔法といえば……氷と風の魔法を使えば、
アイスを中に入れられるかも!」
「ええ、焼き菓子とアイスはよく合うものね~」
紙に提案を纏め、丸一日かけて試作して改善点を洗い出す。
上着を脱ぎ袖を捲って、エプロンを腰にまいた各々が準備にかかる。
まずは生地作りからだ。
調理場の空気が小麦粉とラードの香りで満ち始める。
料理人たちの表情には、ただのお菓子作り以上の気合が宿っていた。
これは最早仲間を救うための戦場と言ってよい。
「うわぁ……試作なのに生地をこんなにたくさん作るんです?」
「ああ、味付けにも種類を作りたいし。
心配しなくても大丈夫だ。
先生の胃袋は魔法の袋だからな」
そういえば別の学級のベルナデッタはベレスの食事事情を知らないんだった。
ベレスの胃袋は信じられないほど広い。
週末に大食いをして、平日は小食か絶食という肉食動物のような生態をしている。
曰く子供の頃からそうらしい。
本人の資質もあるが、生活習慣の問題でもある。
男手ひとつで育てたことは立派だが、ジェラルトの教育に疑念が生じる。
二日目、夕方にリシテアを呼び出した。
食堂の机にはクロッシュ、銀のドームを乗せて中身を見えなくした皿が置いてある。
リシテアが困惑した表情を浮かべた。
「……あの、お菓子を食べられるのは嬉しいんですけど」
リシテアの一挙手一投足を見逃すまいと料理人たちはじっと見つめていた。
傑作ができたという確信が、自然と熱を帯びてしまうのだ。
「それだけ本気だってことだ。
とはいえ気が散ったらどんな料理も味がしない。
ほら散った散った」
しっしっとフロルが皆を追い払ったあと、クロッシュの持ち手を握った。
「さあ、どうぞ。お嬢様」
甘い焼き菓子の香りがふわりと広がる。
リシテアは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
現れた黄金色の菓子を両の手で持ち上げてまじまじと見つめる。
無数の薄い層が重なり、触れただけでパリパリと音を立てて割れる。
焼き立ての熱の中に弾力があった。
香りをすんすんと嗅いで確かめると、チーズの優しい甘みがする。
「昔食べたのとは少し違います」
「食べてからのお楽しみだ」
フロルが自慢げに笑った。
リシテアが一口かじると、さくっとした感覚の奥。
バターの深い風味が一気に広がり、舌の上で溶けるように絡みつく。
それだけではない。
一番奥からどろりと甘い冷たさが溶けだす。
「こ、これは……!」
中にはアイスが薄いクリームとチーズに挟まれて溶けずに保っている。
目を細め、うっとりと息を吐く。
「はふっ……はふっ……」
焼き立てと冷たさのハーモニーを前に、食べる手を止めることが出来ない。
途中でボアフルーツの風味が加わり味を飽きさせないのだ。
気づけばすっかり目の前の焼き菓子はリシテアの胃袋の中に消えていた。
余韻に浸る。
はしたないと解っていながらぺろりと指を舐めた。
「感想を聞こう」
「……認めましょう。
あなたたちこそがフォドラいちの菓子職人です」
隠れていた料理人たちがわっと集まって歓声を上げた。
リシテアが囲まれながらもおかわりを要求する。
一人で眠れるようになったのは、ここから更に二週間後のことであった。