時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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57話

★〈支援会話:フレン〉

 

 明朝、フロルが相変わらず書類の山に埋もれていると執務室の扉が開いた。

 入ってきたのはいつもの大司教代理の服装をしたセテスだった。

 部屋の中を見回して、フロル以外に誰もいないことを確認する。

 

「……実はその、頼みがあるのだが、良いかね?」

「ああ、なんでも言ってくれ」

 

 フロルは話を聞かずに快諾したことをすぐに後悔した。

 

「そうか!なら頼む。

 フレンを白鷺杯で優勝させてやってはくれないだろうか」

「……そういえば、昨年は出たそうにしてたな。

 俺は審査員なんだが八百長しろと?」

 

 士官学校の舞踏会前に行われる伝統行事、白鷺杯。

 各級から代表者を出して舞踊の技と美しさを競うのだ。

 士官学校が閉鎖されているため、今年の白鷺杯は学級対抗ではない。

 参加したい者が参加する自由形式だ。

 審査員はフロル、レア、ジェラルトと豪華な面子である。

 

「いや、そうではない。勿論、公平な審査を求める。

 しかし、昨年の優勝者は君だ。

 指導という面でも、優れているのではないかね?」

 

 セテスの指摘は一部正しい。

 青獅子の学級には明確に踊りが得意と言える人材がいない。

 ベレスに命じられて渋々フロルが出場することになった。

 その結果、ドロテアとヒルダという強敵を破って優勝した。

 今も優勝賞品の踊り子の衣装は衣装棚の奥底にしまってある。

 あんなものをフロルが着ても誰も得をしない。

 

 フロルはセテスにげんなりとした表情を向けた。

 

「俺が優勝した理由を知っているよな。

 フレンには無理だ。

 普通に元々ある魅力で勝負したら良いんじゃないか?」

「うむ、フレンの愛らしさを考えればそれだけで優勝に値するだろう。

 しかし万全を期さねば、万が一にも優勝を逃すわけにはいかんのだ」

「それはまたどうして?」

 

 君を責めているわけではないと、セテスが予防線を張る。

 

「青海の節の誕生日をあまり祝ってやることが出来なかっただろう。

 これでは妻に顔向けできない。

 なにか穴埋めをとは考えていたのだが、忙しさにかまけてしまった」

「ああー」

 

 フロルが首飾りで負傷し昏睡したことで、王国は揺れた。

 セテスもリュファスも方々を駆けずり回った。

 つまりフレンの誕生日を祝えなかったのはフロルのせいと言っても過言ではない。

 

「わかった。

 仕事を後回しにしてでもその依頼を達成してみせよう」

「いや、仕事はしたまえ」

 

 そんなやり取りの末、フロルはフレンの指導を務めることになったのである。

 転倒した時のために大修道院の芝生の上で行うことにした。

 本番前には国王権限で大広間を借りて、実際に本番の空気で試すつもりだ。

 

 フレンが目を輝かせて胸の前で両の拳をぎゅっと握りしめた。

 

「うっふふふ!何だか胸が高鳴りますわ。

 わたくし人前で踊りを披露したことなど、

 ただの一度もございませんのよ」

 

 意気込みは十分。

 

「フレンは緊張しても動ける方から大丈夫だ。

 それにしても、帝都で踊らなかったのか?」

 

 フレンはセスリーンとして千年前、帝都アンヴァルで暮らしていた。

 当時の帝都はレアによって治水工事が行われ、既に大都市だった。

 今とそう変わらない豪華さの舞踏会が日夜開かれていたことだろう。

 

「ええ!お兄様ったら、

 わたくしにはまだ早いと言って聞かないんですもの」

「過保護だからなあ」

 

 フロルもすぐに察した。

 舞踏会は貴族が結婚相手を探す場でもある。

 セテスはフレンがそういう目で見られることを嫌ったのだ。

 

「さて、時間がそうあるわけでもないし、早速対策するか。

 白鷺杯は男女二人で行う社交界の舞踏とは違う。

 一人で踊ることになる。

 判断基準は技と美しさ。

 あと一番大事なのは結局見た目だ。

 ただ見た目に関してはフレンに負けはないと言って良い」

「まあ!フロルさんたら。

 相変わらずお上手ですわね」

「もちろん本心だよ。

 技と美しさの両立が必要とはいえ、ある程度偏らせた方が採点が高い。

 相対評価になるから、

 無難に上手いより、そこそこ上手くて目立つ方が高い点数をつけやすい」

 

 目立つ分、技に失敗すればその分点数は下がる。

 しかし、競う以上、最高得点で勝負すべきなのだ。

 

「フロルさんが魅せたあの技みたいに、ですわね。

 是非とももう一度拝見したいですわ」

 

 期待の眼差しにフロルがやれやれと溜息を吐き出した。

 

 フロルも貴族としてそれなりに舞踏の心得はある。

 しかしドロテアとヒルダを押しのけることは出来ない。

 よって大技でその場の注目をかっさらうことにしたのだ。

 

 準備運動を終えて、フロルは大きく息を吸って吐いた。

 

「それじゃあいくぞ」

 

 両手を軽く広げ、弾むように一歩だけ踏み込む。

 ブレーダッドの紋章が青く芝生を照らし出した。

 跳躍の直前に腕を組んで肩を抱く。

 斜めに軸を取り空中で、

 一回転、二回転、三回転──七回転!

 着地の瞬間、崩れそうになる体幹を力でねじ伏せた。

 翼のように両手を広げてぴたりと止まる。

 

 やろうと思えば滞空時間を伸ばして更に回転できる。

 ただ、見た目のバランスを考えると七回転がベストだ。

 

 フレンがぱちぱちと拍手する。

 

「まるで天を舞うおじさまのようですわ」

「これで優勝したのは少しずるい気がするんだけどな」

 

 フロルの出番が最後だったのも良かったのだろう。

 無難にこなしていた最後、七回転ジャンプを披露した。

 マヌエラは総合力でドロテアに票を入れた。

 しかし、審査員は三人いる。

 シャミアとアロイスの票を獲得してフロルは優勝した。

 

「俺の紋章前提だしフレンには無理だ。

 別の方法を探そう」

「ではどう勝ちますの?」

「対策は考えてある。

 おそらくフェルディナントとローレンツが出てくる。

 あいつらは優雅さで勝負してくるだろう。

 なら、フレンの一番得意な可憐さで勝負すれば勝てる」

「ふふっ、わかりましたわ。

 わたくし、可憐さなら誰にも負けませんもの!」

 

★〈支援会話:マリアンヌ〉

 

 王国と帝国が開戦して間もなくの頃。

 士官学校が閉鎖しマリアンヌは同盟エドマンド領の屋敷に帰っていた。

 

 大修道院の城壁から見た光景がずっと頭から離れない。

 

 マリアンヌは覚悟を決めて、義父にフロルについて行くことを伝えた。

 親不孝者、恩を仇で返したと、罵られることも覚悟していた。

 返ってきたのは「行ってきなさい」という肯定。

 

 ただ背中を押された事実だけがあった。

 

 フロルの鶴の一声で一年前のように白鷺杯の後、舞踏会が開かれる。

 貴族の大人が参列を希望したが、フロルは頑として許さなかった。

 卒業できなかった昨年の士官学校の生徒や貴族の子弟に限定された。

 かつてと同じ士官学校の制服がドレスコードだ。

 シャンデリアの光の下、見知った顔も見かけない顔も楽しそうに踊る。

 

 再びマリアンヌは壁の花になると思いきや、誘いの手が尽きることはなかった。

 獣の紋章が明らかになったが、同時に英雄の遺産『ブルトガング』を手にした。

 英雄の遺産はひとつあるだけで戦場を破壊しかねない強力な兵器。

 獣の紋章が呪われているかどうかなど、戦乱の世では誰も気にしていない。

 

 気疲れしてしまって、壁の傍の椅子に腰を落ち着けた。

 こうして用意された椅子は、誘ってはいけませんという合図だ。

 次に誘おうとしていた男性が、名残惜しそうにしながらも別の相手を探した。

 

 大広間の中心には主催者であるフロルがいた。

 もうずっと踊り続けているのに汗ひとつない。

 今の相手はマリアンヌの知らない王国貴族の子女だった。

 フロルが耳元でなにか囁くと、朗らかに笑う。

 

 ふと影が差して、マリアンヌが顔を上げる。

 そこには亜麻色の髪を結ったメルセデスが立っていた。

 

「お隣いいかしら~」

「メルセデスさん。ええ、どうぞ」

 

 隣に座ったメルセデスが、ハンカチで首元の汗を拭う。

 

「ふふっ、調子に乗って踊り過ぎてしまったわ。

 でも、少しの間だけ戦争のことを忘れられたもの。

 たまにはこういうのも良いわね~」

「はい。ようやく、肩の力が抜けた気がします」

「そうね。私たちのお仕事はどうしても、

 女神様の下へ見送ることが多くなってしまうから」

 

 マリアンヌとメルセデスは癒者として多くの死を見て来た。

 イエリッツァがそうであるように、避けられない死はある。

 癒者を長く続けていると心がすり減り壊れてしまう者もいる。

 

「マヌエラ先生に初めて習ったことを覚えているかしら?」

「……ええと、それは……心に引き出しを作ることでした」

 

 大切な嬉しかった記憶を一番最初の引き出しに入れて、いつでも取り出せるようにすること。

 引き出しを開けても耐えられない時は、癒者であることをやめなさい。

 そう今は亡きマヌエラは教えた。

 

「言うのは簡単だけど、これがなかなか難しいのよね~。

 心が締め付けられた時に、引き出しを開けようなんていう余裕はないもの。

 それに記憶って案外当てにならないのよね。

 失敗してしまったお菓子を弟が残さず食べてくれたけれど。

 あの時、私はどんなお菓子を作ろうとしたのかすっかり忘れてしまったわ」

 

 メルセデスが口元に人差し指を当てて、首を傾けて悩む。

 マリアンヌは勇気を出して思った言葉を口にした。

 

「……その時、その、弟の方が、

 どんな表情をしていたのかが大切なんだと思います」

「ふふっ、それならまだ思い出せるわ。

 なら私は大丈夫そうね。

 ねえ、マリアンヌ。あなたの思い出はなにかしら?」

「……私の」

 

 心の引き出しの一番最初。

 差し出された暖かな手と、高鳴る鼓動。

 腰に回された手が力強く体を支えた。

 導かれるのではなく共にありたいと願ったあの夜。

 マリアンヌが驚いてメルセデスを見る。

 

「あの時のあなた、とても素敵な顔をしていたわ。

 でも、一曲分踊れなかったでしょう?

 心残りがあるんじゃないかって、私の勘違いかしら」

「ありがとうございます……。

 でもどうして、メルセデスさんは……」

 

 口には出せなかった。

 メルセデスは気にした様子もなく、ふわりと微笑む。

 

「私たちって似た者同士だと思うわ。

 それにほら、困った顔をしている人を見ると、

 やっぱり放っておけないじゃない~?」

「……」

「綺麗な花が二輪。

 壁に咲かせておくには勿体ないんじゃないか?」

 

 気づけばフロルがマリアンヌのすぐ近くに立っていた。

 話を聞かれていただろうか?

 羞恥と不安が喉までせり上がった。

 メルセデスがマリアンヌを気遣ってフロルに話を振る。

 

「あらあら~、さっきの子はもういいのかしら?」

「ああ、心細い様子だったから。

 彼女はディミトリの派閥だったからな。

 俺が率先して踊らないと肩身が狭かっただろうし」

 

 この舞踏会の目的は二つに分かれた王国を元に戻すこと。

 まずは子供たちから。

 フロルが大人を排除したのは、陰湿な政治の舞台になるのを避けるためだ。

 

 メルセデスの時間稼ぎで、ようやくマリアンヌは落ち着きを取り戻した。

 

 フロルに声をかけようとして、言葉に詰まる。

 なんと言えばいいのかわからなくなった。

 だから、目の前に差し出された手に心臓が跳ねてしまう。

 

「主催者が一番に決まりを破ることになるとは。

 ま、俺は王様だし、これくらいは許されるだろう。

 マリアンヌ、どうか俺と踊ってはくれないだろうか?

 あの時の続きをしよう」

 

 マリアンヌの唇がわずかに開き、息を呑む。

 

「……はい」

 

 そっと乗せた手が優しく引かれる。

 マリアンヌはもう不幸を嘆き、俯くことはない。

 大広間の中心に咲いた淡い青の艶やかな花。

 人々が思わず息を呑むほどに美しく咲き誇った。

 

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