★〈支援会話:ツィリル〉
滅多に人が来ない大修道院の一室。
定期的に掃除はしているのだろう、空気に埃っぽさはない。
カチャリと小さく音を立てて扉が開かれた。
「一体ここでなにしているの?」
ツィリルの問いに、フロルが大きな欠伸をひとつした。
「んー……戻ってたのか」
フロルを呆れた目で見るのは、まだ幼い顔つきのパルミラ人。
レアに保護されて教会で働いていたツィリルだ。
フロルが長椅子から身体を起こして、首をこきりと鳴らす。
猫のようにぐぐぐっと伸びを一つ。
最後に乱れた髪をかき上げて、髪留めを差した。
「見てわかるだろ。サボってたんだよ、ツィリル」
「アナタはファーガスの王様だよね」
「ああ、言わなくてもわかってるって。
小言なら散々聞いている。
でもこれは性分て奴でなあ……。
俺にとっては必要な儀式なんだよ」
「儀式?」
パンとフロルが手を叩いて、にやりと笑った。
「そう!今回見つかったのはお前なわけだが、
色んな人が俺を探しに来るわけだ。
そうやって探し出されたら、
やりたくなくても、まあ、仕方ない。
やってやるかってなるんだよ」
グロンダーズから三節の間、ずっと気を張り続けていた。
光の杭の脅威が排除できたことで、ようやく一息つけたのだ。
流石に限界だった。
面倒なことをしている自覚はあるが、精神的に潰れないため編み出した苦肉の策だった。
昔は父が屋敷中を探し回ってくれたものだ。
「……アナタはファーガスの王様だよね」
「わかっているから二度も言わなくて良いぞ」
二度目の確認に、フロルがひらひらと手を振って脚を組んだ。
「それでパルミラの方は大丈夫なんだな」
フロルはツィリルを対パルミラのため、首飾りに派遣した。
まだ十五歳と考えるか、もう十五歳と考えるべきかは難しい。
フォドラでは十五歳で初陣を果たす者がそれなりにいるのだ。
「今は少し落ち着いているけど。
また一度くらい大きいのが来るってホルストさんが言ってた。
それまでには戻るつもり」
「そうか、負担をかけるな」
「別に、レアさまのためだから」
ツィリルの真っ直ぐな言葉に、フロルは悩ましげに唸った。
「いや、実はレアはお前を首飾りに送ることに反対だった」
「え?」
「そんなに不思議か?
セイロス騎士団に入ろうとか考えてなかっただろう。
ゴネリル家にいた時も使用人だったわけだし、
レアはお前を戦わせるために保護したわけじゃない」
ツィリルが自主的に訓練に参加することはあっても、誰も強いたことはない。
教会の騎士は強いられてなるものではない。
自らの意志で信仰のため、民のためと剣をとるものだ。
「そうかもしれないけど……。
じゃあなんでアナタはボクを首飾りで戦わせているの?」
「パルミラ人だから。
ああいや、勘違いするな。
別にお前が裏切者か確かめてるとかそういう話じゃない」
そんなに性格悪く見えるか?とフロルがぶつくさ文句を垂れる。
「なら……なぜ?」
「さてここで問題。主の五戒の三番目は?」
「……えっと」
ツィリルはフォドラの文字が読めない。
だから司祭の唱えた言葉を思い出すしかない。
うんと悩んだ末に、疑問形で答えた。
「あなたは父と母と、主に連なる者を、敬わねばなりません?」
フロルがにやりと笑った。
「大正解。花丸をあげよう。
本来先祖と女神を大事にしようって意味でしかないんだ。
ただ、フォドラも広いから曲解する者が現れだす。
彼ら曰く、先祖を同じくしない異民族は敵なんだとさ」
セイロス聖教会はかなり教義が緩い。
厳しい戒律もなく、教会法は外交禁止といったように民ではなく国を縛るためのもの。
民に求められるのは、主の五戒に書かれた不当な殺人や窃盗を禁じる基本的な倫理観のみ。
原作の西方教会司祭でさえ、異端としてではなく信徒として裁かれた。
それはレアが支配ではなく、戦乱を小さくし調和を保ちやすくするために作った宗教だからだ。
逆に言えば解釈が生まれる余地がある。
光魔法が使える限り自分の考えは間違っていないと考えてしまう。
「そんなわけないだろって一蹴するのは簡単だ。
でも案外そういう声はバカにならない。
だからお前に女神を、まあ、レアでもいいけどな。
信じるパルミラ人もいるんだと示して欲しいんだ。
人種が違うだけで争う必要なんてないんだよ」
「なんで?」
「なんで!?
俺わりと今良い事言ったつもりなんだけどな!?」
ツィリルがもどかしそうに唇を噛んだ。
「ううん、そうじゃなくて……。
パルミラにたくさんフォドラの人は殺されてきたよね。
ボクには、パルミラもフォドラも、
そんなに変わらない気がするんだけど。
でも、敵だって言うのもわかるから」
「……まあ、そうだな」
昨日まで笑っていた民が殺されて、どうして許すと言えるだろうか。
踏みにじられてきた者たちの嘆きを、上から踏みつけるようなものだ。
理解はできても納得はできない。
「でもツィリルみたいに同じ価値観を共有できるなら、
俺はそれが一番だと思う」
「そっか……そうだね。
本当にそう思ってはいなさそうだけど」
ツィリルの鋭い指摘にフロルはへらりと笑った。
「そうかもな」
信仰の違いだけではない。
些細な違いだけで人は醜く争う弱い生き物なのだと。
そう考えるフロルは根本で人の強さを信じていない。
「ああ、ちょうど良いしシャミアさんに手紙を届けてくれ。
勝手に覗くなよ?」
★〈支援会話:フェルディナント〉
大修道院から見える峰々は、雪で頂を白く染め上げていた。
二枚重ねの窓の向こう側を見ながら、紅茶で唇を潤した。
注がれているのはフレスベルグブレンド。
皇族御用達の高級茶葉を、偶然手に入れたのだ。
フロルの対面に座るフェルディナントが掌の上で遊戯の駒を転がす。
フロルが重々しく口を開いた。
「爆心地に調査隊を入れた」
カップを音を立てずに受け皿の上に戻し、視線を彷徨わせる。
「微弱ながら反応が検出された。
光の杭の着弾直前、兵を守ろうと防御を試みた。
転移の痕跡もない。
闇に蠢く者が、当時の状況を証言できる者……。
爵位も紋章もない彼女を生かすことはない。
ドロテアは戦死したとみて間違いないだろう」
少しの沈黙が流れた。
フェルディナントが手慰みにしていた駒を盤上に戻した。
それから小さく頭を下げる。
「すまない。
君たちにとっては必要のない調査だったというのに、
手間をかけさせた」
「謝るな。
無駄な希望を持つよりはいい。
わかりきったことだとしても、必要な確認だった」
黒鷲の学級に所属していたドロテア=アールノルト。
ミッテルフランク歌劇団の歌姫。
華やかで人を惹きつける美しさを持っていた。
「情けないな……。
彼女と交わした最後の言葉があれだったとは」
「死別とはそんなものだ。
物語のようにはいかない。
だからこそ、後悔してもしきれないんだ」
長い息をフェルディナントが吐き出す。
戦いに参加すると言った時、強く拒絶していれば。
歌姫として、前線に出さず兵の慰撫を任せる道もあったはずだ。
目を瞑り、心の中の整理をつけていく。
「恥知らずなことを聞いてもいいかね」
「ああ」
「なぜ、あの時、ドロテアではなく私を助けた」
光の杭の脅威を認識し、対処できたのはフロルだけだった。
一人でも王国の将兵を助けるために帝国の将兵は転移対象にない。
フェルディナントかドロテア。
フロルだけがどちらかの命を救える立場にあった。
「そもそも俺とドロテアに繋がりなんてほとんどないぞ」
「……確かに君たちが話し合っている所を見たことがない」
フロルは士官学校の生活を思い浮かべた。
「彼女の考えは推察するしかないが、
多分結婚相手として望ましくなかったんだろう。
ディミトリと戦うことは周知の事実だったしな」
フロルが自嘲する。
ドロテアが士官学校に来たのは、結婚相手を探すためだった。
ディミトリと並べればまさかフロルが王になるとは思わない。
ガラテア伯のように時勢を見抜くのはドロテアの立場では難しい。
きっと、これから没落が決まった貴族くらいに見ていただろう。
事実、ドロテアが関わっていたのはフェリクスやシルヴァンだった。
「俺は俺で戦争に備えて忙しかったし。
だが選んだ一番の理由はお前だよ、フェルディナント」
「なに?」
そうだなあとフロルが天井を見上げた。
「ドロテアは女神を信仰しないと言っていただろう?」
「……ああ、憎んでいるとも言って良い。
不平等な社会を作ったからだと言っていた」
「帝都の孤児たち。
悲惨な様子だとは聞いている。
そうなった理由は、これはお前の方が詳しいか」
フェルディナントが言いにくそうにしながらも答えた。
「私が生まれる前の話にはなる。
当時の皇帝が南方教会を追放して以降、
救貧政策が滞り始めたからだ」
教会の闇の正体。
それは秩序のために行われる内政干渉だ。
当時、フリュム伯とヴァーリ伯による謀略合戦が起きた。
南方教会はフリュム伯に味方し内戦が勃発。
両伯爵家が代替わりする大事件となった。
フリュム伯に正当性があったとはいえ、膝元で内戦を起こされた皇帝は激怒した。
皇帝は南方教会の取り潰しを命じる。
以降、急速に帝国と教会の関係が冷え込んでいく。
この一件で帝国が教会の楔から解き放たれたからこそ、エーデルガルトは軍を起こせた。
逆に言えば、皇族に闇に蠢く者の魔の手が伸びる隙間を作ってしまったとも言える。
フロルでさえ事件の概要を知っている。
「元は皇帝の約束を反故にしたヴァーリ伯が悪いんだがな。
面子を潰された皇帝の立場もわかるが、
大勢の民が救われず、犠牲になった。
こればかりは失政としか言いようがない」
皇帝が追放した教会の代わりに民を救うべきだったのだ。
だがそうはしなかった。
できなかったのかもしれないが、責任ある為政者として同じ事だ。
「知っていれば女神と教会を憎むのは筋違いだってわかる。
ドロテアが救われなかったのは、
エーデルガルトの父、イオニアス九世が原因だ。
政治闘争に明け暮れ、領民を顧みなかった。
ドロテアが孤児から抜け出して歌劇団に入れたのは、
イオニアス九世が七貴族の変で実権を失った年だ。
なんとも皮肉な話だな。
それをお前はわかっているから、
俺の前で一度も女神や教会を否定したことがないんだ」
沈黙が流れた。
フェルディナントは貴族であることに誇りを持つ。
女神を憎まず、礼拝堂で祈りを欠かさない。
フロルとフェルディナントの思想は相反しないのだ。
貴族制度の破壊を望み、女神を憎むエーデルガルトより近しい部分が多い。
「……君は、もしや初めから私を?」
フェルディナントの声は微かに震えていた。
流石頭の回転が速いと、フロルが頷く。
「勿論、士官学校の時から」
フロルは大貴族の立場が邪魔をしても、切っ掛けさえあれば手を組めると判断した。
危険を冒してまで同盟領で会いに行ったのもこのためだ。
最後の切っ掛けが光の杭だったのは予想外だが、今こうして向き合っている。
「お前ほど全てにおいて優秀な人間を俺は知らない。
能力的に俺の上位互換だしな。
視野が広く軍事と政治に優れ、武勇もある。
これからのフォドラになくてはならない存在だ」
政治は才があれば、経験を積み重ねて自然と身につくものだ。
フェルディナントならすぐにフロルを追い越すだろう。
そして、共にフォドラをより良い方向に導けるはずだ。
戦争は手段に過ぎない。
フロルはずっと戦後のフォドラを見据えて戦争をしている。
フェルディナントの口からため息が漏れた。
「……王は人である前に、王であらなければならない。
君はまさにそれを体現している」
「そうか?
茶会仲間を殺したくないなんて、
誰でも思うような平凡な考えだ」
フロルがポットから、フェルディナントのカップに紅茶を注いでいく。
上品な香りが部屋に広がった。
「フッ、君は口説き方を練習すべきだな。
だが心に響くものがある……良いだろう。
戦後もこの私が君の治世に協力すると約束しよう」
フェルディナントが指で黒の騎士の駒を倒した。
やはり盤上遊戯は実際の戦いとは違う。
この王の行く末が見てみたくなった。
そう思った時点ですでに、敗北していたのは私だったか。
フェルディナントの心にすとんと落ちる納得があった。