目隠しをしたフロルがぴくりと筋肉を震わせた。
心臓を狙った矢を掴む。
直後に放たれた足を狙った矢を跳躍して躱す。
空中で一回転。
両側から交差するように撃たれた矢を手で払い。
着地した瞬間、踵に矢が当たってもんどりを打つ。
「ぐえっ!」
潰れたカエルのような声がフロルの口から漏れる。
転倒したところを矢が頭に当たった。
そして更に一本、わずかに遅れて頭に追撃が当たる。
「ベルナデッタ!
最後の一本は余計だろ!」
「つい手癖でごめんなさぁぁああい!」
フロルが立ち上がり、目隠しをずらした。
炎の紋章が淡く輝き、頭のたんこぶが消えていく。
当たったのは先端を柔らかい布で覆った訓練用の矢だ。
死んではいない。
「はは……やっぱりベルナデッタは僕より上手いね」
アッシュが構えていた弓を下げた。
少し落ち込んだ様子なのは無理もない。
ほぼ一年引きこもっていたはずのベルナデッタに弓の腕で負けたのだ。
紋章の有無とはそれだけ大きいのである。
「まあこればっかりはな。
アッシュの強みは近接戦になっても戦えることだし、
それぞれ得意分野があるってことで良いんじゃないか?」
アッシュは頷いたものの、やはり納得は難しい。
フロルのような怪力や再生力は見るからに化け物でわかりやすい。
対して技の冴えに関わる紋章は一見わかりにくい分、もやもやを残すのだ。
フロルがアッシュの肩を軽く叩いた。
「真の騎士は紋章の有無で決まることはない。
それこそ、グェンダル卿がそうだったようにな。
お前には灰色の獅子の名を継いで欲しい」
「僕がですか……?」
「駄目か?騎士には格好いい異名がつくものだ」
実際、アッシュの髪は淡い灰色だ。
髪や瞳の色で異名が決まるのはよくあること。
自分の騎士が師の名前を継いでくれたらフロルも嬉しい。
「……まったく、フロル様には敵いませんね」
「騎士が主君に勝ってどうする。
いや、イングリットに訓練でボコボコにされたな……」
アッシュは、最後の最後で恰好がつかない主君を見て、ようやく肩の力を抜いた。
フロルが再び目隠しをすると、訓練を再開した。
今フロルたちが行っているのは士官学校の基礎講座の一つ、狙撃への対処訓練。
弓は魔法に比べて対軍殺傷能力でどうしても劣る。
重装兵部隊を殺したいなら弩兵一部隊よりも魔道士を用意する方が安い。
長距離攻撃ならメティオやサンダーストームの方が射程も範囲も優れている。
そんな事情から射手の将に求められたのは必然、対軍ではなく将への殺傷能力である。
将の隙を見抜く観察眼、気温や風速を把握する繊細さ、外した時の対処、なにより度胸。
レオポルトに矢を当てたイグナーツは、同期で一番「上手い射手」なのだ。
逆に言えば将は優れた射手の狙撃を最も警戒しなければならない。
「わかってはいるんだが全然上達する感じがしない。
自分でなんで防げるのかもよくわかっていないし。
当てる側も防ぐ側も感覚でやるからなあ」
「僕も防ぐのそんなに得意じゃないですからね」
「あ、あたしはなんとなくわかりますよ。
フロルさんもアッシュさんも、
どう動くか考えて動くので凄く読みやすいというか……」
おずおずと言ったベルナデッタにフロルが呆れた表情を浮かべた。
「なんだかなぁ。
訓練でどうにかなる分野じゃない気がしてきた」
イングリットやユーリスなら矢や魔法が雨のように振り注ぐ中にも飛び込み、平気な顔で生還する。
それはもう天性の才能と言っていい。
王として狙撃を最も警戒しなければならないのは分かるが、成長を実感できないのが辛かった。
訓練を終えて、三人で落ちた矢を拾い集めていく。
「そういえば、ベルナデッタ。
先生に賊退治に駆り出されたんだって?
拒否しても良いんだぞ。
俺は別にお前を戦わせるために、
大修道院に連れて来たわけじゃないし」
フロルはベルナデッタにあの家に居て欲しくないから連れ出しただけだ。
ベレスは引きこもりを改善したいようだがフロルは違う。
改善できるとわかっていても過程に苦痛があるなら、引きこもって良いと思う。
「エーデルガルトさんと同じことを言うんですねえ」
「彼女ならそう言うだろうな」
人が成したいことを成せる世界を望んでいるなら。
ベルナデッタの引きこもりも肯定するだろう。
ただし、エーデルガルトは同時に責務も求める。
「でも、やるべきことを果たしたらって言わなかったか?」
フロルの言葉にベルナデッタが目を真ん丸にした。
「ど、ど、どうしてわかったんですか!?
まさかあの時天井裏に!?ひぃいいいいいい!」
「そんなネズミじゃあるまいし。
なんとなく言いそうなことを思いついただけだよ」
矢を集め終わったアッシュが口を挟んだ。
「フロル様はすごいんですよ。
僕が料理を作る時、
何を作ろうと考えているか必ず当てるんです」
「ああ、アッシュは何を作りたいかじゃなく、
何を作ったら喜ばれそうかを考えて作るからな。
わかりやすいと思う」
あと、アッシュのレパートリーが王国の大衆料理に偏るから当てやすいだけだ。
ちょっとした遊び心で始めたが、今のところ偶然一度も外していない。
「じゃあ、今あたしが考えていることもわかるんです?」
「いやいや、流石に無理だ。
でも最近考えていることならわかる。
アネットの歌が気になっているんじゃないかな」
「な、何ですと?
なんでわかったんですか!?」
詰め寄るベルナデッタにフロルがけらけらと笑った。
まるで探偵のように解き明かしていく。
「簡単な推理だ。
お前は引きこもってるから、得られる外の情報が少ない。
行くなら、好きな植物が置いてある温室だ。
最近アネットが歌を考えながら花を育てているからな。
お前も隠れて聞いてると思った」
ベルナデッタは内向的な分、多趣味だ。
音楽もその内の一つ。
アネットの独特な感性に惹かれるのは間違いない。
「ほー……そう言われるとそうかも。
フロルさんてば色々見てるんですねえ」
「偶然だよ偶然。
それで、どうする?
言いにくいなら、俺から先生に言っておくぞ」
ベルナデッタが指をもじもじと動かして悩んだ。
「ううん、先生に誘われるのはそんなに嫌じゃないんです。
ただ帝国の皆さんと戦うのはまだちょっと……ですけど。
賊退治くらいならベルもお役に立てるかなって」
担任でもないのにベルナデッタがここまで心を許している。
流石はベレスと言うべきだろう。
フロルがふっと息を吐いて、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そうか。ま、その方がお前のためにもなる。
無茶だけはしないでくれよ」
脱引きこもりの第一歩だ。
今日はベルナデッタの好物でも作ってやろうと思った。
★〈支援会話:レア〉
夜の帳が下りた頃。
フロルがベッドに寝転がって本を読んでいるとコンコンと扉がノックされた。
この時間に私室にやってくる者は限られる。
本を閉じて起き上がり、解いていた髪をバサバサと頭を振って乱れを直す。
随分と髪が伸びてきたので少し頭が重い。
一息ついてから扉の向こうに返事をした。
入って来た思わぬ訪問客にフロルは少し動揺した。
レアが薄手のドレスの上にショールだけを羽織っていた。
レアとフロルの部屋は同じ階にあるため、簡単に来れる。
ただしそれは物理的な距離の話であって。
「話をしたいのですが構いませんか?」
「あ、ああ……勿論だ」
直ぐに自分のペースを取り戻し、レアをソファに案内した。
寝酒を飲んだのか、レアはとろんとした目をしていた。
「あなたのお陰で今日はとても楽しい一日を過ごせました」
「大したことじゃない。
戦争ばかりしていると気が滅入るから、
丁度良い息抜きだった。
それに誕生日は何年たっても祝われて然るべきだ」
今日は守護の節の十一日。
聖セイロスの日であり、当然レアの誕生日でもある。
なんとか将全員の都合がつけて集まることが出来た。
「ふふっ……まるでお母様のように……」
レアはなにかを言いかけて躊躇った。
感謝を告げるだけなら明日でも良かったはずだ。
今この時、部屋に訪れた理由は別にある。
「良いんだ。言ってくれ」
フロルが戸惑うことなく先を促した。
二人の視線が絡まる。
少しの沈黙の後、ぽつりぽつりとレアが告白し始める。
「私は母に会いたいという願望のために、
忌避に手を染めてしまった。
願いは叶わず、ベレスは今も人のまま。
まるで、あの子のように……」
レアが両手を広げ、じっと自分の掌を見つめた。
どろりと、蓄積した重い泥がレアの心から漏れだした。
「私は、ベレスに母になってほしかった。
わかってはいるのです。
お母様はこんなことを望まないと。
それでも、ふと考えてしまったのです。
ベレスではなく、あなたの内に心臓があれば……。
お母様が目覚め、
私を抱きしめてくれるのではないかと」
フロルは内心安堵した。
もっと突拍子のないことを言われるかと身構えていた。
レアの願いは何一つ変わっていない。
親を思う気持ちはフロルも十分にわかっている。
「もし、俺と先生が死んだらそうしてくれて構わない。
先生も事情を伝えれば納得してくれるだろう。
女神がこのフォドラを導けるなら、
俺はそれが一番良い未来だと思う」
その願いは叶わない。
ベレスの内にいるソティスはレアたちの記憶がない。
レアたちと殺し合うことすら厭わない。
だから、女神は蘇ってもレアの母親が蘇ることはない。
フロルはここにベレスがいればと心底思った。
迷い子のように嘆くレアを導くことが出来ただろう。
こんなやり方しかフロルには出来ない。
「……今はただ、貴方の孤独が埋められるのなら、
俺に抱きしめさせて欲しい」
フロルが腰をあげて誘うようにレアの手に触れた。
潤んだ瞳が見上げる。
「……良いのですか?」
言葉では伺いながらも、レアが手を取った。
共に倒れ込むようにフロルの下へと引き込まれる。
しなだれかかるレアの背にそっと腕を回した。
ぽつりとレアが呟いた。
「……本当はずっとこうして欲しかった」
レアの少し開いた唇の吐息がフロルの鎖骨をくすぐる。
高い体温と蜂蜜酒の甘い残り香。
「……随分飲んだんだな」
「あなたに拒絶されたらと思うと不安でした。
私はもう一度失うのが怖かったのです」
「……わかるよ。俺も失うのが怖いから」
レアの纏まっていた髪が解け、尖った耳が露わになった。
「気が遠くなるほどの年月追い求めて……」
言葉を遮るように、フロルが触れるような口づけをレアの耳に落とした。
桃色に染まった耳が恥ずかしそうにぴくりと震える。
そのままフロルが言い聞かせるように耳元で囁く。
「良いんだ。貴方はここまでずっと頑張ってきた。
その努力を見ずに、罪を問うことはできない。
貴方の罪は他の誰でもない、俺が許す」
フロルが女神の子守唄を口ずさむ。
背中をさすりながら、レアが寝付くまで抱きしめ続けた。