時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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62話

★〈支援会話:アネット〉

 

 金鹿の学級の担任だったハンネマンは開戦後、すぐに大修道院を去った。

 

「やれやれ。

 マヌエラ君はあちらにつくことを選んだようだ。

 安心したまえ。我輩にそのつもりはない。

 ただ、帝国にいる甥や姪のことが心配なのだ。

 人質を取られては君たちも困るだろう。

 ここを出て、我輩は我輩のできることを探したい。

 君たちの教師であれたことは望外の喜びだった。

 また、いずれ会おう」

 

 悩み苦しんだのだろう。去っていく背中は、少し小さく見えた。

 ハンネマンがエーデルガルトの思想に共感を抱いていることは知っている。

 それでも、敵にならないことを選んだ。

 フロルはただ感謝を述べて、頭を下げることしかできなかった。

 

 

 ハンネマンが講義を行っていた実習室。

 理学魔法を試すには必要な道具がすべて揃っている。

 士官学校が閉鎖されているため、今はもっぱら魔道士の訓練に用いられていた。

 

「これでどう?」

 

 フロルがアネットから受け取った紙を早速床に広げた。

 鮮やかな青のインクで丁寧に書き込まれた魔法陣。

 描かれているのは風の中級魔法シェイバーのものだ。

 

「よし、やってみる……」

 

 フロルが気合を入れて魔法陣に両手を置いた。

 魔力を練り上げ、回路に流し込んでいく。

 魔法陣が淡い青色に輝き始め、部屋の中に風が吹き荒れ始めた。

 最初は順調だった。

 風は徐々に勢いを増し、紙の端がはためき、フロルの髪を揺らす。

 広げられた参考にした魔導書の頁がパラパラとめくれた。

 

 しかし、次の瞬間バチリ!と魔法陣に火花が散る。

 急速に紙が劣化し、焦げたような黒ずみが広がっていく。

 形になりかけていた魔法はすっかり失われてしまった。

 

「うーん、ダメかあ。結構自信作だったんだけどな。

 でも大丈夫!

 まだ二つ思いついた方法があるから」

 

 アネットは肩を落としながらも、すぐに表情を明るくした。

 一度は敵として道を違えたことで、アネットの試みは中断された。

 しかし、今も懲りずにフロルに中級魔法を使わせようと努力している。

 リシテアは「もっと有意義なことに時間を使いなさい」と言った。

 言うだけで止めようとしないのは呆れたからか、認めているからか。

 ただ、単なる事実としてフロルに隠された理学の才能などない。

 

「頑張ってくれるのは嬉しいけどな。

 初級魔法が使えるだけで俺は十分だぞ?」

 

 フロルの掌の上で初級魔法の風が渦巻く。

 くるくると安定して回る風は、反復練習の成果だった。

 才能のない身で理学の魔法を使えるという事実。

 それだけでフロルは満足なのだ。

 

「あたしのワガママだってわかってるよ。

 でもね。

 前にフロルが教師だったり、外交官だったり、

 好きになっていいよって言ってくれたよね」

「ん?ああ、なりたいようになると良い」

 

 なんとなく結末を思い出して口にした言葉だ。

 フロルはアネットの就職に協力するつもりでいる。

 王の推薦状を断れる就職先などない。

 

「うん!ありがとう!

 でね、ちょっとびっくりしちゃったんだ。

 あたし今ある事に精一杯で、

 将来何になりたいかとか全然考えてなかったの」

「そんなものじゃないか?」

「そうかな。

 アッシュもイングリットも騎士に、

 コンスタンツェは貴族になれた……」

 

 両手を広げたアネットが指折り数えていく。

 

「皆しっかり将来何になりたいか考えて、

 あたしだけ遅れてるって思っちゃうのは、

 変……かな?」

 

 アネットが上目遣いに不安と期待の入り混じった表情を浮かべた。

 

「なるほど、それで教師に……」

「えへへ、向いていることはなにかなって、

 探してみることにしたんだ。

 フロルにこの魔法を教えられたら、

 おっちょこちょいのあたしでも、

 ちょっと自信がつくかなって思ったの」

 

 フロルにさえ中級魔法を教えられるなら、どんな生徒にも魔法を教えられると同義だ。

 魔力が豊富にあるのに、理学魔法がろくに使えないフロルはとてもできの悪い生徒なのである。

 

 ふと思いついたように、フロルがにやりと笑う。

 

「良い試みだが、

 俺が生徒なら授業に集中できないな。

 教師が魅力的すぎる。

 それはまずいんじゃないか?」

 

 成績をわざと下げて補習授業を受けるようになり、卒業式には告白の行列が並ぶに違いない。

 

「そ、そう言う言葉はメーチェに言ってあげなよ。

 すっごく喜ぶと思うよ」

「ははは、それはそうだ。

 そうなんだが、

 いざその時になるとどうも気恥ずかしくてな。

 こういう軽口とはやっぱり違うだろ?」

 

 フロルが肩をすくめた。

 幼馴染として長く過ごした分、そこから外れるのは少し難しい。

 親愛なのか恋愛なのか、区別できるような関係でもないのだ。

 

 アネットが腕を組んで、むむっと唸る。

 

「うーん、そう言われると、

 あたしもその気持ちわかるなー。

 本番になるとどうしても上手くいかないんだよね」

「似た者同士だな。

 ま、なにもかも上手く行くなんてことはない。

 それで、次の方法って言うのはどんなものだ?」

「あ、うん!えっとね。

 魔力を発散させるんじゃなく……」

 

 雑談をしながらもアネットが新しい魔法陣を用意する。

 この日は結局、フロルの魔法が成功することはなかった。

 

★〈支援会話:シルヴァン〉

 

 中庭の小さな机に置かれた燭台が、フロルとシルヴァンを照らした。

 机の上にはチーズやピクルスなどつまみが並べられている。

 フロルが空になった二人のグラスになみなみとワインを注いだ。

 もう何杯も飲んだのでどちらも赤ら顔だ。

 

「お前なー。

 いい加減イングリットとの関係を修復しろよ」

「またその話ですかい」

 

 タルティーン平原の戦いから、シルヴァンとイングリットはよそよそしいままだ。

 幼馴染にもかかわらず、殺し合った相手なので複雑な関係なのはわかる。

 それでも限度というものがある、とフロルは思う。

 

「あんたみたいにずけずけと人の心に土足で踏み込めないんですよ、俺は」

「俺はそんなことしないが?」

「自分の言動をかえりみたらどうです?」

 

 フロルは腕を組んで天を見上げた。

 酔って頭を左右に揺らしながら思考を回す。

 

「例えば?」

「ほら、マリアンヌとか」

「ああ、他に方法がなかったしな……。

 でもそれ一回だけだ。

 というかお前の方がたちが悪いだろ」

 

 シルヴァンはマリアンヌを自分と同じ紋章に苦しむ相手だと思って同情を押し付けたのだ。

 しかし、立ち直ってからは、シルヴァンが一方的に一歩引いている。

 

「人間関係をちょっと重く見すぎだ。

 別に親しくなる分には心の内なんて、

 知る必要も明かす必要もないだろう。

 話題を避けて普通に話せば良いのに、

 踏み込みたがるのはお前の悪癖じゃないか?」

「……そういうところですよ」

 

 冷たい風が酒で温まった体を撫でていく。

 シルヴァンが目を細めてフロルを見た。

 

「女たちの粘つく視線も、

 値踏みする令嬢たちの視線も、

 俺よりあんたの方がよほど向けられてきたはずだ。

 よくもまあ、そうへらへらとしていられる」

 

 紋章持ちの子さえ産めば次期当主の母親になれるのだ。

 そうなりたいと思う女性は掃いて捨てるほどいる。

 シルヴァンはそれが心底嫌いだった。

 

「考え過ぎだと思うけどな。

 悩むくらいなら好みの相手に求婚すれば良い。

 結婚すれば誘いは減る」

「……そう言うあんたは、

 カトリーヌさんやシャミアさんを避けてますよね?」

「痛い所つくなぁ……」

 

 一年ほど前、シルヴァンにフロルが好みとしてあげた二人だ。

 共通点は大人の女性。

 カトリーヌとは事務的な話以外しないし、シャミアは首飾りに送ったきりだ。

 

「って話を逸らすなよ。

 俺とお前じゃ事情が違うだろう。

 俺は家名や紋章を値踏みされるのが嫌じゃない」

 

 むしろ父と母から継いだ自慢の名と血だ。

 フロルがワインを口に入れる。

 残ったルビー色の雫を、グラスを振って揺れ動かした。

 

「お前がそうやって嫌がるのは、

 生来持っている物だけを見られるからだ。

 なら簡単な話だな。

 家名や紋章を超えるほどの何者かを目指せばいい。

 名家の跡取り、十傑の子孫のシルヴァンじゃない。

 シルヴァンのゴーティエと言われるほどの何者かに」

 

「……それは」

 

 シルヴァンが返事をする前にフロルが言葉を被せた。

 

「悪い、今のはないな。

 俺が世界で三番目に嫌な事をしそうになった。

 大体考えを押し付けようとするだなんて、

 そんな権利俺にあるわけないんだよな……」

 

 何も知らない癖にわかったような口ぶりで、説教するのもされるのも嫌いなのだと。

 フロルがぶつぶつと口の中で言葉を転がした。

 それからシルヴァンの感情を込めた視線に気づいて、はっとなって慌てる。

 

「あー!恥ずかしい!酒のせいだ!

 今のは酔っ払いの戯言だと聞き流してくれ!」

「……やっぱり俺はあんたのことがわかりません。

 人の心に踏み込むくせに、

 越えたら駄目な一線は越えない。

 距離感が上手いって言うんですかね。

 どうしたらそうなるのか、俺にはさっぱりだ」

 

 フロルはぽかんとした表情を浮かべた後、くつくつと笑った。

 

「若いなあ」

「俺より二つ下でしたよね?」

「それもまた真実だ。

 でもまあ、お前よりは人生経験豊富だと思うぞ」

「確かに苦労はしていそうですけど……」

 

 身の丈に合わない苦労を背負い込み過ぎている。

 フロルが自分を労うために、ボトルを逆さまにして最後の一滴までグラスに注いだ。

 

「じゃあ、もっと話を単純にしたらどうだ。

 お前は女性と関わってもろくな思い出がない。

 男友達と酒を飲んでる方が気楽だって話だろ。

 それなら男なんて大抵そんなものだ。

 愛情より友情、別に良いんじゃないか?」

「……そうかもしれませんね」

 

 フロルが誘うようにグラスを掲げる。

 それに合わせてシルヴァンもグラスを手にした。

 

「我々の友情に」

 

 合わせるように二人で一息に飲み干す。

 喉の奥を渋みとアルコールの熱が通り過ぎていく。

 

「ところで俺たちはいつから友人に?」

「出会った時から」

「ははは……あの時の態度は、すみません」

「もう随分と前に謝罪は受け取ったよ」

 

 新しいボトルのコルクを抜く音が中庭に響いた。

 二人の酒盛りは意識が途絶えるまで続いた。

 翌日、紋章の力でけろりと復調したフロルに対して。

 シルヴァンは地獄のような二日酔いに苦しむことになる。

 

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