時のよすがに導かれて   作:そういう日もある

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66話

 

 季節は冬真っ只中。

 王国東部に位置するガラテア家の港には冷たい潮風が吹きつける。

 粉雪が曇天から降り注ぎ、漁村の木造屋根が雪の重さで軋みを上げた。

 

 西部のアルビネ近海と違い、白角海は豊かな漁場とは言い難い。

 点在する島にはエドマンド家の商船を襲おうと海賊が潜む厄介な海だ。

 今は航路の安全のため、積極的に海賊狩りを行っている最中だった。

 とはいえ、海賊退治程度なら騎士と傭兵で足りる話。

 

 もこもこの黒い毛皮を纏ったコンスタンツェが扇子で海を示した。

 

「というわけで、悪魔退治を行いますわ!」

 

 ベレスが小さく首を傾げた。

 

「自分を?」

「つまらない冗談はアロイスさんだけで十分ですのよ。

 悪魔は悪魔でも、赤い悪魔ですわ」

 

 フォドラ怪奇談のひとつ、「赤い悪魔」。

 白角海の底に潜み、船から落ちた者を海の底へと引きずり込むという。

 それを逃れる唯一の方法は、海面に油を撒くことだとされている。

 古くから白角海の船乗りたちは、船に油樽を載せるのが習わしになっていた。

 

 フロルが言葉を継いだ。

 

「どうも実際にいるらしい。

 海賊退治中にそれらしい姿を見たって報告が上がった。

 十中八九、魔獣の類だろう」

「ふーん、だからハピが呼ばれたんだ」

「ああ、頼りにしてる。

 出る度いちいち油を撒いていたら勿体ないだろ?

 だからこっちで片付けてしまおうって話だ」

 

 戦線が激化する中、暇を見つけて集められた面子は五人。

 ベレス、フロル、ハピ、コンスタンツェ。

 そして最後の一人。

 

「おい!早く乗りなよ。

 もう出港の準備はできているんだ!」

 

 レオニーが船の上から頭を出して、手を振った。

 

 言われた通り四人が縄梯子を伝って乗り込んだ。

 フロルが甲板に上がると、肩についた雪を軽く払う。

 

「首飾り以来だな。

 随分と傭兵業も様になってきたじゃないか」

 

 レオニーは開戦後、ジェラルトの口利きにより、レスター侠客隊に入った。

 今は傭兵団ごとエドマンド辺境伯に雇われている。

 上手い事やっているようで、同期としては一安心だ。

 

「そう言うあんたは相変わらず王様っぽさがないなー。

 師匠みたいに髭生やした方が良いんじゃないか?」

 

 レオニーが気安く笑い、フロルの胸を軽く小突く。

 

「この歳になっても生えてくる様子がないんだ。

 お陰で髭剃りに悩まなくて済むが……」

 

 フロルが産毛しか生えていない顎を撫でた。

 

「そういうの、傭兵じゃホワイトトラウトって言うんだよ」

「意味は……ああ言わなくて良い、理解した。

 それで、レオニーたちが赤い悪魔を見たんだよな?」

「ああそうさ。

 といっても直接見たわけじゃないんだ」

 

 そう前置きすると語り始めた。

 

 海は夕日に照らされて赤く染まっていた。

 錨を降ろし、船が完全に止まっている。

 大捕物の後で傭兵団の気も緩みきっていた。

 レオニーは見張り台の上に座り、短剣を研いでいた。

 

「レオニー。お前は飲まねえのか?」

 

 下から声をかけてきた団長に小さく首を振る。

 

「わたしは良いよ。

 一人くらいは素面の奴がいた方がいいだろ」

「お前さんは真面目だなあ。

 そんじゃ、こいつでも食っとけ」

 

 放り投げられたオレンジを掴んだ。

 皮を歯で剥いて吐き捨てると、中身に齧り付く。

 

 なかなかこの傭兵団の居心地は悪くない。

 その名の通り任侠を守っている。

 女として求められることがないのも、気安くて良い。

 

 ふと視線を落とすと、一人の傭兵が用を足そうと甲板の端に立つのが見えた。

 

 その時、凪いでいたはずの海から突風が吹き抜けた。

 船全体が傾く。

 レオニーは咄嗟にマストを支える縄を掴み、体を安定させた。

 

「おい、あんた落ちるぞ!」

「んあ?」

 

 警告も虚しくバシャンと水飛沫が上がった。

 それを見た団長が血相を変えた。

 

「油樽を寄越せ!」

 

 即座に油樽の蓋が斧で叩き割られ、中身が海面へとぶち撒けられた。

 傭兵たちはすっかり酔いが覚めて、海の上を目を皿にして見つめる。

 

 やがて、ぷかりと意識を失った傭兵が浮き上がってきた。

 その傭兵が目覚めた時の言葉が、「赤い悪魔を見た」だったという。

 

「結局赤い悪魔っていうのはなんなんだ?」

「さあね。そいつも酔っぱらっていたから、

 なにも覚えちゃいないんだと」

「……メルセデスが好きそうな話だな」

 

 船は幸いにも海賊に遭遇することなく、目的の海域へと到達した。

 フロルが顔を出して海を覗き込むが、悪魔の影も形もない。

 ただ凪いだ深い青の海が広がっているだけだ。

 ガラガラと重々しい音を立てて、鎖が錨を海底へと連れて行く。

 

「おーっほっほっほ!

 それではハピ。ため息を吐いてごらんなさい!」

 

 ハピは不満そうに口をへの字に曲げた。

 

「……いいけどさ。

 最近のコニーって……はあぁぁ」

「お、お待ちなさい!

 今私を見てため息を吐きましたわよね!?

 一体どういうつもりですの!」

 

 詰め寄るコンスタンツェに、ぷいとそっぽを向く。

 

「お高くとまっちゃってさ。

 最近は一緒に茂みに入って木の実集めとかしないじゃん」

「な!?私はもう貴族の女ですのよ!

 そんなはしたない真似はしませんわ!」

「そう?フロルは一緒にしてくれるけど」

「王なのに貴方まだそんなことしてますの!?」

 

 急に飛び火してフロルは乾いた笑いを浮かべた。

 フロルがハピのお願いを断ることはない。

 

「貴族として庶民の生活を忘れないのは大事だぞ。

 ただ戦って守るだけじゃ駄目だ。

 寄り添って、共に領地を発展させてこそ貴族だろう」

「むっ、正論ですわね。

 ですが貴方に貴族のなんたるかを語られるのは、

 なんだか非常に癪に障りますわ!」

 

 二人の言い合いを、レオニーが呆れ果てた口調で遮った。

 

「あんたら乳繰り合ってないで、見張りを手伝えよ」

「乳繰りっ……って一体なにを言わせますの!」

「いや、勝手に言ったのはあんただろ」

 

 ジト目を向けられて、コンスタンツェが食って掛かる。

 そんな四人の様子に構わず、ベレスはじっと海を見つめていた。

 

「赤い悪魔、出てこないな……」

 

「確かに、赤い悪魔は魔獣じゃないのか?」

「ハピ思ったんだけどさ。

 海の中って、ため息届かないんじゃ?」

「「あっ」」

 

 完全に盲点だった。

 そんなわけで、少しの後。

 フロルは下着以外剥かれて、胴体を縄でぐるぐる巻きにされていた。

 

「おーっほっほっほ!貴方以上の餌はそういませんわね!」

 

 急遽、赤い悪魔を誘き寄せるための策が立てられた。

 その名もブレーダッド一本釣りである。

 赤い悪魔は船から落ちる者を引きずり込む。

 なら人を餌に釣り上げれば良いという頭がおかしい策だ。

 魔獣相手でも怪力なら対抗できるはずという理屈は、わかる。

 

「わかるけど、覚えておけよ!」

 

 海に放り込まれたフロルが、バシャバシャと水飛沫を上げた。

 なにせ動いていないと寒い。

 北から流れてくる寒流によって、体の芯まで凍り付きそうになる。

 

「ってなにかに足掴まれた、うわっ!」

 

 急にフロルの姿が水中に消える。

 繋がれていた縄がぐんと引っ張られ、船が右に大きく傾き始めた。

 

「もう釣れましたわ」

 

 コンスタンツェが愉快そうに扇子を閉じた。

 

 ぶくぶくと水泡が縄が続いている水面から上がり始める。

 直後、天へと立ち昇る光の柱が放たれる。

 フロルの攻撃魔法アプサラクスだ。

 それが一筋、二筋と海の底から奔り、一度静かになった。

 

 ベレスが天帝の剣を抜いた。

 

「来る」

 

 ザッバアァァァンッ!!

 

 水飛沫を噴き上げながら、赤い巨体が姿を現す。

 海面を割って躍り出たのは、不揃いな吸盤が蠢く数多の巨大な触手。

 終点には巨大な水風船のような胴体に、二つ目玉がついている。

 垣間見えた口は深く裂け、牙というより無数の棘が並んでいた。

 

「いい加減離せ!」

 

 フロルがぐるんと身を捻り、捕まっていた魔獣の触手を素手でねじ切って逃れた。

 

「へー、悪魔って言う割には美味しそうじゃん」

「貴方の感性を理解できませんわ」

 

 呑気な会話をしながらも、ハピとコンスタンツェが魔力を高める。

 だが、誰よりも真っ先に動いたのはレオニーだった。

 激しく揺れ動く船の上で、素早く弓を構え三連射。

 目に二本、口に一本。

 

「……くそっ!硬いな!」

 

 目に当った矢は硬質な音を立てて弾かれる。

 口に刺さった矢は紫色の血を噴出させ、フロルから注意を逸らした。

 その隙にフロルが必死に泳いで、船にしがみつく。

 

「よしっ!良いぞ!」

 

 ハピが唱えたハデスΩと、コンスタンツェのアグネアの矢が渦巻く。

 黒と赤の炎が螺旋を描いて突き刺さる寸前。

 触手の一本が頭部の盾になった。

 爆発により触手が吹き飛ぶが未だ魔獣は健在だ。

 

 お返しとばかりに甲板に振り下ろされた触手を、天帝の剣が切り刻む。

 

 甲板に上がったフロルが、固定しておいたインドラの矢を掴んだ。

 敵の本体は未だ近接攻撃では届かない水上。

 ひたすらインドラの矢を投げつけて、触手を撃ち抜いていく。

 

 しかし相手はあまりにも巨体だった。

 海の中だけあって、炎も雷も通りが悪く、殺しきることはできない。

 

 レオニーが矢を放ちながら叫んだ。

 

「このままだと逃げられる!

 あんた、内側からやってくれ!」

「正気かよ!?」

 

 口では毒づきながらも、フロルがぐぐぐっと屈み、直後、船から跳躍した。

 その反動で、船体はひときわ大きく傾く。

 空中で体を丸めたフロルが、牙を砕きながら魔獣の口へと飛び込んだ。

 

「あーもう、やる前に言ってよ。

 たんこぶできたじゃん」

 

 ハピが転んで打った後頭部をさすりながらぼやいた。

 

 魔獣の赤い頭部が内側から稲妻の閃光に透かされる。

 インドラの矢が肉と臓物を貫いて現れた。

 バシュッ!と特徴的な音と共に消失し、何度も何度も槍が内側から食い破り始める。

 たまらず防御を解いた魔獣の隙を逃さず、ハピたちの魔法が放たれた。

 

 赤い悪魔が絶命した後。

 すっかり茹蛸になった傷口から、震える一本の腕が現れる。

 

「男っぷりが上がったな」

 

 レオニーのからかいに、フロルは文句を言う気力もない。

 這い出た後、口から海水に混じった紫の血をぺっぺっと吐き出す。

 

「先生……次魔獣退治の依頼が来ても、

 俺は絶対行かないからな……」

「うん、良いよ。

 でもフロルはなんだかんだ言ってついてくると思う」

 

 ハピが甲板に落ちた触手を足でつついた。

 

「じゃ、食べてみない?」

「絶対嫌ですわ!」

 

 こうして、フォドラ怪奇談のひとつ、「赤い悪魔」は永遠に葬り去られる。

 しかし白角海の船乗りたちは、安全祈願のため、船に油樽を載せ続けた。

 

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